僕は数年前大学を出た後都心で一人暮らししていて実家も埼玉だからいつでも帰れるが滅多に帰らない。今度の帰省もその申し訳無さからという程では無いが、そんな感じだった。
滅多に帰省しないのは居心地が悪いからで、やはり今度も母とちょっとした口論になった。
なぜ居心地が悪いのか。
僕の実家は感覚的にはザ中流という家庭で今の貧乏になった日本の現状から客観的に見ると中の上という感じだろうか。両親は高卒で共働きだ。無理をすれば二人兄弟のうち一人には中学受験させることができるくらい。僕はその恩恵にあやかった。
自分は「中流」家庭の親の涙ぐましい、悪く言えばくだらない上昇志向によってそれなりの大学に入ってそれなりの賃労働者になったが実家に帰ると相変わらず貧乏くさい光景が広がっている。どうでもいい無意味な節約根性があるから冬なのに電気もガスもケチっていて寒いし家族は暇な時間やることと言えばネットフリックスを見るか寝ること。僕はニューイヤーコンサートを見たいがどうせ見たいのは自分だけだから再放送を帰ってから見ることにして大人しく格付けなんとかを一緒にしばらく見て自分の部屋に逃げる。
実家に帰ると両親と自分の属す「階級」の違いを実感する。電気代を数百円けちったってしょうがないじゃないかと少し指摘するとうちはどうせ貧乏だとかこうして努力したから今のお前があるとか否定しがたいことを言われるから余計不愉快だ。
こんな悩みは階級の移動がある程度可能だった幸せな時代の結果で、日本がどんどん貧しくなって階級が固定化されていく、いわば元の状態に戻って行けばこうして悩む人はいなくなるかもしれない。
母は僕を愛しているがその愛情が教育の過程で「資格があれば食いっぱぐれない」とか「男子は理系へ」とかいう貧乏くさい処世訓として現れたのも実に中流らしい。決して「なんでもあなたの好きなことを」というブルジョワ的な言葉が母の口から出たことはなかった。
母は寿司が食べたくなると「くら寿司」に行きたいと言う。食べたいと言うならもっと高い寿司が食べたいでしょうと言うと「くら寿司で十分」という。かつて僕が回転寿司しか食べたことが無かった時、僕は喜んでくら寿司を美味しく食べた。しかし母が僕が子供の時と同じ慎ましい暮らしを続ける間僕は高い寿司の味を覚えてしまった。もうくら寿司では満足できないよ。こんな些細なことでも隔たりを感じてふんわりと悲しくなる。
階級云々関係なく、物心ついた時から両親は不仲だから家族揃って食事などもしない。だからもう家族の体を成していないので一家団欒の正月みたいなのは期待すべくもないのだが...。
長々推敲もせず進んで何が言いたいか、自分でもよくわからないが、正月に集まって仲良くやれる家庭は少し羨ましく思うなあ、と。色々な理由でそうはできない人も多いのは想像に難くない。僕は帰省したたった数日で嫌になってしまって逃げるように帰ってきた。
こんなことを言ったって返ってくる反応は大体予想がつく。僕は自分が恵まれていることを十分理解している。でも似たようなことを感じている人もきっといるだろうと思って備忘ついでにここに残す。
恵まれてないし階級とか関係ないぞ 機能不全家庭の不満を母親は節約にぶつけ 君も階級のせいにするために父親の収入を憎んでいるだけ
あなたのお母さんは良い人だと思います。 ただ世の中への処世術とか貧困を抜け出すための知識が少ない気がします。 こんなご時世なので運もあったでしょう。 愛と知識は別物です。