2020-07-10

さよならふつう日本人

私には素晴らしい友人がいる。

しかも何人もいる。

彼らは思慮深くて理知的ユーモアがあり好奇心旺盛、話していると本当に面白く、何時間でもいっしょにいたいと思わせる、心優しき人たちである

離れてしまっても付き合いが途切れないよう、こつこつと人間関係メンテナンスし続けてきた。彼らの存在は私の財産だ。

そしていま、私には悩んでいることがある。

彼らがあまりに素晴らしく、尊敬すべき、愛おしい人たちであるので、

そうではない他の人がなんだかものすごくどうでもよくなってきてしまったのだ。

どうでもいい、と言うと語弊がありそうなので具体的に言うと、

私は昔からわりと人付き合いが好きなタイプだったので、学生時代友達地元友達、元職場の同僚たちなど、

いろいろなコミュニティの繋がりをそれなりに大切に思っていたはずだったのだが、

この人たちとこれ以上いっしょに時間を過ごすことが、ちょっとしんどくなってきてしまった。

彼らは新聞を読まない。本も読まない。情報源まとめサイトTwitterトレンドだったりする。

彼らは自分たち中立だと思っている。右翼左翼もこえーよwと笑う。

彼らは差別や生きづらさを訴える人を自己責任、甘えだと言う。

彼らは日本に住んでいる外国人を疎ましく思っていて、特に韓国人が嫌いだ。

彼らは社会のために活動したり発言したりする人のことが内容如何に関わらず全員うっすら嫌いだ。

彼らには目標がない。死ねるなら今すぐ死にたいと言う。だから将来について話したりもしない。

もちろんこれの全てに該当するわけではないのだが全員この中の2〜3個くらい当てはまる。

そしてそういう部分をチラリと見せてくるたびに私は、なんだか必要以上にがっかりして疲れてしまう。

彼らがいわゆるふつう日本人だということは理解している。

そうではない友人たちのほうがこの社会ではマイノリティなのだということもちゃんと分かってる。

彼らのほとんどは名の知れた大学を出ている。

結婚している人もいればたくさんの部下を指導する立場の人もいる。

彼らが特別差別的だったり、冷笑主義だったり、無気力・無関心なのではない。彼らはふつうだ。

そして私はこの、日本人の8割くらいを占めると思われるだろうふつうの人たちと、正直もういっしょにいたくない。

今までも、彼らと話していて「うっ……」と思うことはあった。

それも「まあ、100%私と同じ考え方や感覚の人なんていないし」と受け流して付き合ってきた。

自分とは対照的な考え方をする人と付き合うことでバランスをとっているつもりでもあった。

しかし、100%とは言わないまでも、ものごとへの基本的姿勢や時事的な知識の多くを共有している人と出会い

同じくらいのテンポと強さで会話のラリーができる心地よさを知ってから

(同じくらいと思っているのは私だけかもしれない、相手が私レベルに合わせてくれてる可能性は十分にある)

「うっ……」と思う発言に身構えながら、こちらも迂闊な発言をしないよう気をつけて、相手の機嫌を伺い、

当たり障りのない会話をすることにほとんど意義を見出せなくなってきた。

私に残された選択肢はふたつだ。

ひとつ。「ふつう日本人」たちとの交流をそれとなく当たり障りなく徐々に減らし、将来的にはFBで繋がってるだけの人たちにする。

ふたつ。彼らの前で、私の意見を素直に言ったり、彼らの意見に異を唱えたりする。今度は私が「うっ……」と思われる人になる。それで相手が去っても追わない。

それで、今まで「ふつう日本人」たちに使っていたリソースを、あの素晴らしい人たちと文化の話をしたり、社会の話をしたり、仕事の話をしたり、これから私たちがどうなりたいかについて話したりして、いい時間を過ごすために使う。

どちらの手段を取るかは、もう少し考える。

いい友達だと思っていたはずなのに、私は彼らのことがもうそんなに好きではない。

ひどく身勝手だけど、それがすごく寂しい。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん