世界に広がる「“弱者の大義”に憤る人々」とどう向き合うか(望月 優大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/57359
ブコメには「良い記事だ」という評価もあるが、個人的には二週遅れくらいの言説だと思う(「多文化共生」が叫ばれていた二昔前くらいから変わっていないので)。
結論を見てみると、
映画を観てぜひ考えてみてほしい。
であるが、これは「一人一人が真剣に考えなければいけないと思います」という思考を丸投げする小学生の作文と変わらないと思う。
例えば、別の少数派であるLGBTだが、彼らは「(生物学的に)例外」だと思う。
もちろん、「(生物学的に)例外」だからと言って、差別して良い訳ではない。
(「万能マニュアル」を作ろうと思った時点で間違っていると思うのだが)
例えば、彼らを平等に扱うと言っても、トイレを男女の他にトランスジェンダー用に二つ追加で作るか?と言ったら、「そのコストは誰が負担するのか?」という話になると思う。
逆に、同性婚の婚姻届くらいであれば、社会的コストはそれほどでも無いと思う。
(もちろん、テクノロジーの進歩でトイレが容易に追加できるようになれば考慮に入れるべきだと思う)
この場合、問われるのは「(社会的コストや人権配慮も含めて)バランスの取れた常識的な対応」だと思う。
移民問題にしても、闇雲に移民を入れたら、社会がより無秩序化すると思う。
というか、現実は逆であって、ドイツでは実際事件が起きて社会が無秩序化しつつあったから、それに対する反発があったのだと思うが。
「どうやったら私たちは「向こう側」の人々と話し合うことができるだろう」と言うけれども、話し合った結果、内乱が起こる可能性もあるが、メディアはそれに対する責任は取れるのだろうか?
「では、日本も無制限に移民を入れますか?女性は夜道を歩けなくなるでしょうけど」と言ったら、急にNOを唱え出す人もいるし、制限的に入れる、と言っても、「例えば、クラスの半分が外国系になるが、それに対するコストも含めて承諾していますか?」という話にもなる。もっとも、承諾している、いないにかかわらず、現実的に日本の産業が(移民的な)外国人労働者抜きではやっていけない見通しなので、外国人労働者を受け入れる流れがほぼ決まっているのだろう。
ついでに言えば、メディアのフェイクニュースについてはメディア自身が黙りを決め込んでいるが、そういうメディアが人に誠実性を問えるのだろうか?
現実として、「ない袖は振れぬ」である訳だし、「(両立しないものを)両立させろ」という要求仕様にバグがあるとしか思えないのだが。
「問題提起」は結構だと思うが、メディア自身の認識が変わらない以上、実は何も考えていないのではないか。
二週遅れくらい 月刊誌くらいに思えば