hagexさんは、それが直接的な批判や言及ではないにしろ、特定の誰かについてまとめる、あるいは晒すという自分自身の行動についてのリスクというのは理解していたのではないでしょうか。
リスクについて理解した上で、あるいは自身が定めたラインは超えないよう考慮した上でいろいろな記事を書いていたのではないでしょうか。
彼がやってきたことはそういった理解の上で彼自身の選択により行われてきたことではないでしょうか。
普段車を運転していて、数秒後に自分が交通事故で死んでしまうかもしれないと常に意識している人はほとんどいないでしょう。しかし、どこかでそういう事故が起こっており自分もそうなるかもしれない、という認識は多くの人があるのではないでしょうか。まさか自分が、と思っていたとしても。車もスピードを出しすぎたり、脇見運転などをすればより事故のリスクは高まるでしょう。車を運転するということはそういうことだという理解は多くの人にあるのではないでしょうか。
インターネットで誰かに対して言及したとして、後々そのだれかが自分を刺しに来るリスクというのは交通事故のそれよりも低いでしょうし、本当にまれなことだと思います。
しかし、hagexさんは自らの選択によって車を運転し、あるいはバイクにのって(あるいはブログなど書いたこともなく、それが多くの人の目に触れるということなど成し遂げたことの無い多くの人にとってそれは小型飛行機のように見えるかもしれません)、本当にたまたま事故に巻き込まれたということだと思います。
それに対して、hagexさんは車が危ないなんてことは知らなかったし、バイクで死亡事故がおきるなんてことも知らなかったし、ましてや車の運転なんて知ていなかったよ、と過保護に擁護するやり方というのは彼にとっても不名誉なことなのではないでしょうか。
彼が飲酒運転をしていた、という主張をしている人は少ないと思います。
彼は交通規則もきちんと理解していて、安全運転も心がけていた、時々スピードも出しすぎることもあるけどもちろんハメを外しすぎることはなかったよ。不運な事故にまきこまれたことは本当に残念だ。というのが彼に対する真摯な態度ではないかと思います。
彼がやっていたことを、小型飛行機を見事に操縦するようなものだと認識する人もいるのではないでしょうか。そういう人達に対して、彼の操縦は完璧だが、機体のトラブルによって不運にも墜落してしまったと説明したところで、やっぱり飛行機というのは怖いな、という印象を抱くと思います。
特定の人物について直接的に言及しないまでもその行動をまとめて第三者に広く周知できる状態にする、ということがまとめられた人物の感情に与える影響というのは無視できるものでは無いと思います。
例えばそれが注意喚起のためであり第三者に大して有意義な情報であったり、あるいは、正しくない行動をしていた者をさらすことで啓蒙する意思があったとしてもです。
そういうことはhagexさんは理解していたのではないでしょうか。
今回事件に巻き込まれたのは不運だったからでしょう。偶発的な要因により他の誰かが殺されていたのかもしれません。
そこには車を運転していたら事故にあったという因果関係以上のものがあったことは明らかだと思います。
ただ、hagexさんは自分の行いに対するリスクに関して完璧にはヘッジできなかったものの、一定の理解と配慮に基づいて行動してきたのだ思います。リスクを0にすることはもはや不可能なため、自分自身の選択によってブログで記事を書いたり、セミナーを開いたりしていたのであり、決して純真無垢、天真爛漫、無知、聖人君子な人間が全くの偶然により事件に巻き込まれたわけではないのです。
リテラシーもあり分別もある人間だが、多くの偶発的な要因によってターゲットにされ命を失ってしまったということが結果から言えることだと思います。
「彼は人を殴るときは目立つ顔じゃなくて腹を殴るようにしていた」みたいな話。