はてなキーワード: 中谷巌とは
マンキューやスティグリッツや中谷巌は経営学の分野に入るのか?
聞いてきたのは貴方なんだが…
細かい分類っていうけど経済と経営は字体が似てるだけで別物です。
元々「知識と基礎は別物ですよ」という本題の中での揚げ足取りと言われればそうですが
掘り下げたのは貴方ですし…別に絡んでるわけではないですよ。
経済学の知識は必要だから齊藤誠やローマーの本を読め、と俺が言えば満足なのか?
マンキューやスティグリッツや中谷巌と言ったのは、単に彼らが書いたマクロ経済学の基本テキストを指してるわけで、まさかそのことを文脈から読み取れなかったわけじゃあるまい。
いちゃもんをつけたいがために無理やり絡んできてるように見えるんだが、どうなんだ?
経営学ってのは日本独自のカテゴライズだから経営分野っていう言い方をしたんだけど
マンキュー、スティグリッツ、中谷巌は実践主義者で行動経済学≒経営理論に重きを置いている著者ではないかと思います。
最近はその手で学術、科学的な一般経済学を経営者視点に置き換えた書籍が流行していますが、
厳密に「経済学」というのはマクロな視点で科学的や数理的なメカニズムを追ったものなので
今回のような文脈で用いられると違和感があることは間違いないです。
貴方が推薦している書物はすべて経営分野のものなので誤解されているようでしたら訂正。
マンキューやスティグリッツや中谷巌は経営学の分野に入るのか?
ちなみに私の考えでは
これは「戦略サファリ」の言うところの「デザイン・スクール」または「プランニング・スクール」で、著者の言うように問題の多い(主に柔軟性の面で)考え方だと俺は思う。
ん?技術者に求めている基礎は、今言ったように経済学やファイナンスの基礎だよ。
ファイナンスについては、俺が読んだ中ではグロービスの「MBAファイナンス」っていう本が良かった。
もう少し簡単な本だと、「証券アナリストのための企業分析」っていうのがいいかも。
経済学はマンキューなりスティグリッツなり中谷巌なり、よくある基礎の本を簡単に読めばいいかと。
(どうでもいいけど、IFRSっていう新しい会計基準は、考え方がかなり理系っぽくて面白い。全然詳しくないんだけど。)
数学の基礎は高校の数学ⅡBくらいかなあ。解析の基礎と論理学の基礎とあと確率論の基礎は必須だと思う。
最近のカリキュラムはどうなってるのか知らないけど。これだけだとモデリングの経験が足りないから、その辺は適当に補完する必要があると思う。
あとは個人的には、複雑系のダイナミクスとか集団現象の統計物理学みたいな部分はイメージだけでも知っておいてほしいなあと思う。
MBA出身者が、経済の範疇を超えて力をふるった場合、ろくなことが起きないのは明白だ。
昨年末、自戒の書「資本主義はなぜ自壊したのか」をリリースした、中谷巌が(重みは違えど)似通ったパターンである。
中谷は小泉政権時代の新自由主義的社会設計を支えた張本人であるが、そもそもなぜ経済学徒が優先的に社会設計に与するのだ?
確かに経済は重要である。しかし、それだけでは社会は回らない。当たり前のことだ。社会設計を担う者は、経済だけでなく社会・倫理などを包括的に扱うことの出来る者でなければならない。さもなくば我々は、再び大きく道を誤るだろう。
勝間和代はたしかにMBAの論理思考を用いて、経済問題や、社会問題について数々の考察をしてはいるが、その内容には、明らかに社会的、倫理的、文化的な蓄積が欠落している。
当人は、その欠落も、統一した論理操作で埋められると考えているようだが、果たしてうまく行くだろうか。
それは、社会がこれまで蓄積してきた膨大な経験知や、歴史的見取り図をろくに参照せず、無理矢理身近な問題からのみを出発点として思考する、とても遠回りで愚かな行為に過ぎない。
もちろん、身近な問題から出発すること自体は間違っておらず、多くの人々を勇気づけることはできるだろう。その点では異論がない。少しずつではあるが、確かに問題の核に近づくことは出来るからだ。
社会におけるトライアンドエラーと再構築は、確実に膨大な損失を生む。意志決定とその遂行の速度には限界があり、軌道修正するにしてもコストが大きすぎる。
これがもし会社であったならば、経営者の愚かさは会計上の損失として計上され、再帰的な新戦略の再構築に向かうことが出来る。しかし社会は会社ではない。どれだけ不可逆な損失が存在するか、考えただけで恐ろしい。
ちなみに中谷の場合は、社会はほぼすべて自由競争にしてしまえば、見えざる手がもっとも良い社会を作るという思考停止によって、社会無設計を実現した。まあこの状況では、さすがにそれを追従することはないだろう。
しかし、間違いがないのは、社会は目に見える範囲での利益追求的な思考だけでは妥当な結論は導き出せない、ということだ。仮に広範囲での幸福度についての尺度を設けたとしても、経済価値最大化と同様の論理操作で、果たして社会問題が解決するだろうか。
つまり、問題範囲に漏れがあったら、結論は間違いを必ず含むということ。そして、問題範囲に漏れがないということを保証することが出来ないということだ。
人間は、社会の問題をMECEよろしく漏れなく記述できるだろうか。
そしてそれに対して、妥当な結論を、実験無しに導くことが出来るだろうか。
私には、政策強行の結果、部分最適化の小さな効果のみを取り上げ、その責任をやり過ごす姿しか見えてこない。
万が一、勝間和代が国政に関わることとなった場合、ベテランは人気取り以上の役割を与えないよう細心の注意が必要だ。
まあ、それは麻生で懲りているだろうから、起きないとは思うが、変にいろんな委員会などで、MBA的ディベートを展開された場合、無力化する作業は非常にめんどくさいことになるだろう。
もし音沙汰無ければ、私こそが過大評価者だなw まあそれが一番良い。
イチローに学ぶ「天才」と言われる人間の共通点 - 電子書店パピレス
イチローに“偉大《いだい》な才能”を与えたのは、名古屋空港の近くにあるバッティングセンターである。
イチローは小学三年から中学三年までの七年間、そこに毎日通いつめた。
それも一週間に一日くらいは休むといったレベルの生易《なまやさ》しいものではない。
一年間に三六三日通いつめたという。休んだ二日は、バッティングセンターが休業した、正月の二日間だけだった。
天才と言われる人間であっても、絶《た》え間ない精進《しょうじん》を繰り返して、初めて彼らは成功者の仲間入りをすることができる。
イチローが一流選手としての称号《しょうごう》を得たのは、二一〇本の安打を打ち、打率三割八分五厘で首位打者に輝いた九四年の秋である。
http://kokokubeta.livedoor.biz/archives/51030990.html
何事にも閾値はある。そこに至らなければ、意味がないという数字だ。
「頭のいい人が成功しない理由」という本に、閾値の話があった。
なぜ失敗は「すればするほどいい」のか~脳研究者・池谷先生の新たな研究 | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
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