はてなキーワード: スクールとは
消費者庁が「大手メーカーや企業に配慮し、結論ありきでデータを作っていることがあるのでは?」と指摘されることがある。
真偽は不明だし、公表されている資料を見る限りはっきりと「忖度している」とは言えない。
アメリカにおいて高等教育を受けていない大多数の国民は日本人の大半が知っている炭水化物、タンパク質などの知識を持っていない。
もちろん単語として知っている人はいるだろうがそれを実際の食事に生かす知識はないし、あっても金がない。
上院議員や州議員にはこれを改善するため「学校での栄養指導義務化」や「公立学校でのスクールニュートリショニスト設置義務化」や「生鮮野菜の小売店への優先的な供給」を法案として提出している。
しかし、その度に冷凍食品メーカーやファーストフード運営企業から支援を得ている議員やロビイストが「子供の自由と人権」や「農業生産者や企業の自由」を盾に攻撃する。
彼らによると、韓国や日本の児童が栄養指導や食育と称して好んでもいない食品を学校で食べさせられていることは人権侵害なのだと言う。ちなみにロビイスト(多くは名門T14ロースクール卒の弁護士)や議員が子供を通わせている学校の多くはは廊下で制服のネクタイを緩めて歩いたり、英語の発音を間違えただけで厳しく叱責される全寮制校則ガチガチのボーディングスクールである。それは人権侵害ではないのか?
また、農業生産者には小売店よりも大手企業に対して安定した価格で商品を買い取ってもらう自由があり、大企業にも自由契約として農業生産者から商品を買い取る自由があると主張する。
それを目にした庶民も「自由と権利の侵害⁈許さん!」って感じで法案に反対する。
法案は常に廃案となり、冷凍食品メーカーやファーストフード店運営企業は安い価格で野菜を軒並み買い取る。また輸出に積極的に回される。
庶民は食品が含有する栄養や添加物の知識も一切なく、生鮮食品を買って自宅で調理するより手間もお金もかからないファーストフードを利用する。
元々男性の暴力性を持ってる上に、社会規範を敵視して相手をナチス呼ばわりしてるから、衝動の抑制が効かないんだね
トランス過激派の事件は、特に米国で大きな注目を集め、暴力の可能性について懸念を抱かせている。
特に憂慮すべき事件のひとつは、ナッシュビルのキリスト教系小学校で銃乱射事件を起こしたトランスの射手、オードリー・ヘイルに関するものだ。ヘイルは最近、彼/彼の代名詞とエイデンという名前を採用し、コヴェナント・スクールで3人の子供と3人の大人の命を奪った。
別の事件では、元NCAA水泳選手のライリー・ゲインズが、サンフランシスコ州立大学で、女子スポーツに女性選手を入れることに反対を表明した後、トランス活動家から暴行を受けた。この身体的暴行事件は、このテーマについて反対意見を表明する個人が直面する敵意の高まりを浮き彫りにしている。
彼らは、特定のジェンダーに関連する慣習を禁止する法律は「トランスジェノサイド」に相当すると主張し、過激な思想の推進を煽っている。
さらに、サイクリストのハンナ・アーレンスマンは、生物学的男性との競技に反対したことで直面したハラスメントにより、スポーツを辞めるという苦渋の決断を下した。ハラスメントに関与した人々の中には、プロトランス団体であるジョン・ブラウン・ガン・クラブのメンバーも含まれていた。
トランスの人々が投稿する、武装自衛を擁護するビデオの増加も気になる傾向だ。現在は削除されたTiktokの投稿で、2400人のフォロワーを持つタラ・ジェイは、女性用トイレの使用を妨げようとする人に対して銃を使うことを警告している。
このような事件は、『トランスの権利.さもなくば......』というスローガンを銃の画像とともに表示したシャツの販売とともに、トランスジェンダーのイデオロギーを取り巻く過激主義と脅迫の風潮を助長している。
持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。
人間だれしも自分が特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、
自分が自分の環境や立ち位置を理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。
高校生のみつみちゃんは「まだ」自分がちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。
作品内で扱われている「人間関係のポジショニングとゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップとローファーはキャラクターの演出をしている。
氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。
作中では、稠密な人物の内面描写やキャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間が相互に作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。
“グループで過ごす時間と不協和音スレスレのスクールライフ・コメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的な空気を持っているのは作者の技量だと思う。
スキップとローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物の属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。
田舎と都会、陰キャと陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃんは水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。
そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女が物語を大きく動かす役割をもつ可能性は高いか。
このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。
恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来のパートナーのために舞台装置や出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、
ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。
本当はもっと掘り下げたり、メタな視点からの感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクターの名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。
需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性がありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。
「自分には価値や自己肯定感がないから……自分を肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地が必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。
スキップとローファーではそもそも都内の進学校に通える学力があって、経済的な問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。
志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。
スキップとローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後や可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺の世界とは無縁だよね。という強がりの業か。
アフタヌーン掲載漫画は結構心理の描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。
持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。
人間だれしも自分が特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、
自分が自分の環境や立ち位置を理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。
高校生のみつみちゃんは「まだ」自分がちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。
作品内で扱われている「人間関係のポジショニングとゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップとローファーはキャラクターの演出をしている。
氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。
作中では、稠密な人物の内面描写やキャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間が相互に作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。
“グループで過ごす時間と不協和音スレスレのスクールライフ・コメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的な空気を持っているのは作者の技量だと思う。
スキップとローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物の属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。
田舎と都会、陰キャと陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃんは水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。
そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女が物語を大きく動かす役割をもつ可能性は高いか。
このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。
恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来のパートナーのために舞台装置や出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、
ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。
本当はもっと掘り下げたり、メタな視点からの感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクターの名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。
需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性がありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。
「自分には価値や自己肯定感がないから……自分を肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地が必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。
スキップとローファーではそもそも都内の進学校に通える学力があって、経済的な問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。
志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。
スキップとローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後や可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺の世界とは無縁だよね。という強がりの業か。
アフタヌーン掲載漫画は結構心理の描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。
PCのリースなら許可いらない。けど古物商は取っといて損しない
https://kyoninka-support.net/43/
子供向けについて
案外、エクセルのショートカットを壁に貼って覚えましょうねみたいなのもウケるかも?
最近だと情報の授業で基礎=低レイヤのことも学ばせるみたいな話がある。勉強し直さなきゃ
大人向けについて
PythonとJavaScriptでいいだろ
既に動く環境を貸出PCに作っちゃって、講師の助けいらなくなったら貸出料だけもらって…みたいにしちゃえば解決すると思った
最近はスマホ持ってるけどPC無いみたいな人も多いしいけると考えてる(個人で細々やる分には)
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自分の中の知識を外の人に伝えて、知識の希少価値を下げ、自身を希薄化させたいのかもしれない
身内に不幸があった2日後に泣きながら講師労働をした経験があり、自分に向いていると感じている
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あとで考えとく
油絵ではないけれども、自分は貧困母子家庭出身で家族の誰もアートに関心のある人はいなかったけど、小5の頃には漫画原稿用紙で漫画描いてたよ。家族から馬鹿にされながら。
PILOTインク、Gペン、丸ペン、スクールペン、さじペン、ミリペン、カラス口、ケント紙、スクリーントーンをお小遣いで少しずつ揃えて誰に言われずとも一人で勝手に描いてた。
エヴァが流行って、レタリングも誰にも習ってないのに一人で勝手に覚えた。だって極太明朝体が自分で簡単に描けてしまうのが楽しすぎたから。
貞本義行の美しいカラーイラストが油絵風のタッチなのは何故だろうと調べてアクリル絵の具に辿り着いた。
そこから水彩絵の具やカラーインクやポスターカラーの違いなどを知った。
当時はインターネットが無かったから本で読んで覚えたんだったかな。
世界堂新宿本店が家の近くにあったから画材道具というものを直接目にする機会が多かったというのもあるかも。ということは結局は環境が大事ってことになるのか……?
それを言ったら、生まれたときからネット環境があって調べようと思えば何でも調べられる今のほうがずっと環境的に恵まれてる気もするが。
周りから馬鹿にされようが貧乏だろうがなんだろうが、何かに興味が持てる人間は勝手に一人で伸びていく……こともある。少なくとも自分は東京在住という環境以外には恵まれてる点はなかったけど、興味があることに関しては伸びた。興味がないことはまったく伸びなかった。
最近LGBTだのなんだのと話題になってるけど、個人的にどうでもいいじゃんってなるんだよな。
推進派は非科学的なイデオロギーを撒き散らすだけだし、反対派は身体面での医療面しか見てねーし、目くそ鼻くそ。
くだらねーな。
しかもレスバをやってる奴らの年齢層を見てみたらだいたい、推進派が30〜40代、反対派が40後半から50、60代ばっかだぜ?
こんなんばかりが意見を出して法整備ダー、人権ガー、子供ガーとか言ってんの……もう日本は終わりだわ。
その中にLGBT当事者とか居るワケだけど、だいたいデカい声出してるの男ばっかじゃん。
ときたま女居るけど、どっち側にしろそのコミュニティに属してる名誉男だろ、くだんね。
どちらにも溢れている俺にはどちら側に付いてもメリット無いんだわ。
だってアイツらが掲げる【ホントーに困っている当事者】はガン無視なんだもんよ。
LGBT推進派は、各々の性自認が最優先って言って身体面でのリスクを度外視するよな?
何言ってんだって、ホルモン剤の使用や性別移行手術が身体に良いワケないし、簡単に戻れるワケねーだろ。つか戻れねぇよ。
じゃあLGBT反対派の意見は正しいか?っつったらそうでもねぇよ。
アイツらはホルモン剤や手術の前にカウンセリングとか勧めるけど、現実的じゃない。
カウンセリング料って保険きかねぇんだから、高くてとてもじゃねーが継続的に通えねーよ。
性自認が揺らいでいる時期はずっと通うのか?
無理だろ。特にガキはよ。
推進派はメンタルしか見てない、反対派は身体面のリスクしか考えてない。
もうこれ議論にならねぇよ、アホくさ。
視点違いすぎ。
推進派の言う通りにしていたら問題解決するのか?って言われたらそうでもないし、絶対に将来的に健康面で影響ある。
反対派の言う通りにしていたら問題にはならねぇの?それも無理筋だろ。だってアイツら身体の健康面しか見てねぇもん、それだとメンタル拗らせて最終的には社会不適合者まっしぐらだろ。
そう言う奴良く見るしな。
どっちも極端なんだよ。
いかに自分達の資材を確保するかがLGBT論争の影に隠れてる感じする。
この資材ってのは言い方悪いが女子供の事な。
推進派は女子供にLGBTは多様性だ、認めない奴は差別主義者だ!
反対派は男を女スペースに入れるな!女スペースを守れ、子供にホルモン剤?とんでもない!
ただし性転換手術済は女スペースOK。
一般女「……え?」
…………もうなにも言えねぇ。
聞いたとしても、どっちも名誉男の女ばかりのだろ。
バカらし。
例えば推進派はGにも子供を持つ権利がある!だから代理母認めるべきとか言うじゃん?
ガキ欲しいならLGBTコミュニティの身体女に頼めば良いだろ、なんで一般人まで巻き込む?
なら反対派はって言うと産めない奴がなんでか、少子化が〜、子供産まないと日本滅びる〜とか言うんだよ。
これを30代からもうほとんどガキ産む機会が無い60代の奴や元々産めない性別の奴らが日々レスバしてんの。
現在を生きる20代とかの一般女の意見なんか聞かねぇの、不毛すぎだろ。
政府がやってる少子化対策とかもそうだけど、どいつも産む女の事考えてねーわ。
資材くらいにしか思ってないし、女の意見も鬱陶しい!なんだよな。
黙って子供産め。
これで資材じゃないならなんなん?
ちと話が逸れたが、LGBTとそれに絡んで来る話ってとにかく他人の女や子供の意見を空気化するんだよ。
無い事にしたあげく、双方の発言のケツをふかされるのは他人の女子供じゃん。
意味ねーよ。
この論争に参加するメリットってなんだ?
推進派にしろ反対派にしろ自分に都合良い事しか話さねぇんだからメリットなんてねぇよ。
推進派は身体に害がある事しかしねぇし、反対派は精神的に害がある事しか言わねぇ。
互いの主張から溢れていく人間達のアフターケアを一切考えてないんだよ。
良く見る話だと子供にジェンダー肯定医療はやるべきじゃないって意見あるけど、じゃあ性違和で苦しむ子供どーすんの?
思春期はジェンダーなんて決まらないものって放置するけど、それを拗らせたのが今のLGBT推進派だろ。
利権でやってる奴だけとか言うが、たまにガチもんな奴居るじゃん?
子供が抱く不安とか反抗期とかキチンと解消してやらねーとあぁなるじゃん。
スクールカウンセリングを受けさせろって言うが、この間、スクールカウンセラー足りませんってどっかの団体が声明出してなかったっけ?
じゃあ反対派の意見を通すか?それって女が大嫌いな家父長制だろ……ますます今の女が議論に参加なんかしないし、参加してるのは家父長制の中で生きて来た名誉男の女だけだろ。
……うん、くだらねー、参加する価値無し。
双方から大ブーイングを喰らったキ〇シーの方がまだ中立に見えるぞ。
俺はこれからどれだけ犠牲が出ようとLGBT関連は見てるだけにする。
特に意見とか言わないし、推進派反対派共に距離を置く。めんどくせぇもんアイツら。
ごちゃっとしたが、10代20代の女子供はこの先の身の振り方考えた方が良いぞ。
LGBTがどちらの方向に進むにしても、ソイツらのやらかしのケツを拭くのはまったく関係無いお前らになる。
これだけは確実に言える。
これだけ残して、俺はログアウトするわ。
どんなに超絶技巧プレイだったのとしても俺は注目されないだろう
というか、俺でなくても、超絶技巧プレイヤーはまったく注目されてない
俺はチェックしてるけど、多分、ほとんどの人は、なんかすごいね、で素通りしてしまっているのだろう
それより、初心者記事とかが強い、ギタースクールの講師とか、スタジオミュージシャンのうんちく語りとか、楽器屋店員の雑談の方が見られてる
あと、エッチなかっこのお姉さんが演奏した方が爆発的に注目される
ぼっちざろっく!でぼっちちゃんに水着でプレイしてもらおうという話はあながち間違っていない
際どいコスプレでピアノを弾くのと、普通のオッサンがピアノを弾くのと、どちらもレベルが同じだったら、みんなはどちらを見るのか?
つまり、デブでキモイ童貞で中年の俺ではギターヒーローどころか、視聴者を不快にさせたと運営に通報される方が近い
なるほど、となると音楽理論のうんちく、というか、俺はちゃんとした教育受けてないから偉そうなこと言えないし、間違ってる可能性もあるけど、
あの有名な曲は、こういう仕組みで作られていて、つまり、作者はこういうことを伝えたいという意図があると考えられる、
耳コピをすることで、作曲者の意図を推察することができる、みたいな話を書けばいいのだろうか
でも、それもそんなネタないしなあ
はなわはベースだったけど、イングヴェイやインペリテリがお笑いやったら面白いだろうか?
いや、それも違うか…
情報系のやつらってべつにパソコンが得意だったから選んだわけじゃなく、しいて言うならパソコンくらいしか趣味がないみたいな連中が情報系に行くんだよね
機械系とかは車大好き!みたいなやつらが多いイメージなんだけど、情報系は覇気がない
その結果、三木谷もホリエモンも孫正義も、サイバーの藤田も南場智子も情報系ではないし、前澤は高卒だし
こういうやる気のあるやつに負けるんだよね
日本は小中高でろくに情報系の教育をしないから、不本意的に情報系にたどり着いたチー牛タイプの独壇場になってしまった
陽キャなやつらは情報以外に行ってしまうので、情報系がチー牛のブルーオーシャンになってしまった
GIGAスクールで陽キャなやつらに情報科目に触れさせ、パソコン面白いじゃんと思わせて情報系に進学させてほしい
小学生のころ美形の友達がいた。美形な上にノリもよかったので男女を問わず人気者だった。彼の母親がフィリピン人で、母親譲りのくっきりした顔立ちが印象的だった。一番美しいのは目とそのまわりで、眉毛が濃くてまつ毛が長い上に目自体が大きく二重で黒目がちと非の打ち所がなかった。鼻は筋が通っているものの横に広いにんにく鼻で口はたらこ唇だったが、それも不格好すぎるということはなくむしろ愛嬌と色香をもたらしていた。俳優の赤楚衛二をはじめて見たときはその同級生がこっそり芸能界入りしたのかと思ったぐらいである。
6年生の春に彼はフィリピンの祖父母に会いに行った。そして向こうで割礼というのを受けさせられてから帰ってきた。割礼とは文化として行われる包茎手術のことである。帰ってきた彼は割礼体験のことを「いきなり今からチンコの皮切るって言われてパンツ脱がされたんだぜ」「チンコから見たことないぐらい大量に血出てた」「かなり痛かったけど泣いたらオカマだと言われるから耐えた」とどこか自慢気に語り、クラスの男子は筆者も含めみんなえげつない体験をした彼のことを尊敬の眼差しで見ていた。元から人気者なのにその一件で彼の株はさらにあがった。ただ、筆者はそんな体験を平然と語れる彼のことが少々恐ろしかった。心がどこか麻痺しているのではないかと思ったのだ。
筆者はその同級生と同じスイミングスクールに通ったりしていてけっこう仲がよく、家によく遊びに行っていた。あるとき彼の家でふざけてチンコがどうこう言って騒いでいたら居合わせた彼の二つ上の姉が、「こいつがチンコ切られた時の写真見る?」と言ってデジカメを見せてきた。日本ではありえないが、フィリピンでは割礼は男なら誰でも子供のうちに病院などで受けるもので、大人に近づいた記念のような意味合いがあるので手術室に家族が同伴して写真を撮るのは珍しいことではないらしい。写真は何枚もあったが、不服そうに手術を待っている姿、股に麻酔注射を打たれて絶叫している瞬間、おさえつけられて号泣しながら局部を切られている様子などが鮮明に収められていた。割礼体験を武勇伝のように語っていた彼は、本当は号泣していたということを知られるのが恥ずかしいらしく、なんでこんなの見せるんだよと姉にキレていた。だが姉の方が強い姉弟だったので姉はカメラをしまわなかった。そして筆者はというと、むしろ彼にもちゃんと恐怖心があるのだと確認できて安心したのだった。それからそのような辛い体験を乗り越えた彼に優しい言葉をかけてあげたくなった。あまり共感性の強くない子供だった筆者にとってはあまり馴染みのない感情だった。
最後に見せられた写真は術後のもので、痛いのか彼は不機嫌そうな顔をしてハーフパンツを履いて股間のところを指で摘んでいた。傷口や亀頭が服に擦れると死にそうになるのでそんなふうにガードするのが向こうでは常識らしく、その姿のことを現地語で割礼ポーズなんて言ったりもするらしい。筆者は青いハーフパンツの布越しに彼の性器の存在を感じ取って不覚にもドキリとしてしまった。それはボディーラインを強調するような服を着た女性を見たときと同じ胸の高鳴りだった。この下にデカい乳が潜んでいるんだと想像してワクワクするあの感覚である。当時はそんなボキャブラリーは持っていなかったが、彼の性器から幼い私はエロスを感じていたのだ。そしてエロスを感じさせてくれる人というのは男でも女でも皆尊い。
写真を見終わって「お前すげえな」と声をかけたら、「この写真のこと絶対誰にも言うなよ」と強く口止めされた。本当はもっと「頑張ったな」とか「もう大丈夫だからな」とか言いたかったけれど男子同士でかけ合うような言葉ではないのでやめた。代わりにそれからというものの、給食当番で彼によそう時だけ肉を多めにして心のなかで「手術頑張ったご褒美だよ」と呟いたりした。
やがて筆者はダメだダメだと思いながらキッズケータイで撮った彼の写真を見てマスターベーションをするようになった。彼が異国で割礼の痛みに苦悶する様子を思い浮かべて「頑張れ、我慢しろ」と励ましながらである。そして射精するタイミングで「よく頑張ったな」と褒めてあげるのである。長じてはマスターベーションなら同性でも異性でもできるようになったが、同性をオカズにする時の筆者は相当なSである。肉体的な痛みに苦しめたあと労ってあげたいのだ。
彼はいま英語の能力を活かして某有名大学で学んでおり、しかも同じハーフの彼女がいる。彼女とも面識はあるが、やはり美形で人間性も素晴らしい人だ。敬愛する友人が痛みを乗り越えたそのどうしようもなくエロい性器で彼女と気持ちいいことしているのだったらいいなと思いつつ、今でも私はときどきその友人が割礼で苦しむ姿を思い浮かべながら己の性欲を解消している。彼が苦痛に顔を歪ませる姿は何よりも尊いけれど、それでもそんなこととは関係なく彼にはずっと幸せであってほしいと思う。