「メカニズム」を含む日記 RSS

はてなキーワード: メカニズムとは

2012-02-08

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120207/1328600080

ハックルファンとして、最近の彼の記事の腑抜けぶりには強い憤りを感じていたが、これはもう限界だ。

おおハックルよ、最近浮気性ぶり、他人の言葉を借りるだけで自分言葉で語る不甲斐なさ、すべてがなさけない。

この頃から比べての劣化ぶりはどうしたことだ。全盛期を思いだせよ。

もっとご自慢の感性で、文章力で、はてなの駄目なところを抉れよ。それができないなら少なくともはてなはやめてしまえ!

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080611/1213162474





ハックルベリーに会いに行く」というブログは、

岩崎夏海という人の書いた文章と、はてな民によるツッコミ共振して、

はじめてコンテンツとして意味を成す構造になっている。

最近やらおんなど2ちゃんまとめサイトなどが、

ハックルさんに対する2ちゃん民の記事を取り上げる記事などを取り上げる事案が数件あったが、

正直全然面白くないことからもわかる。

はてな人間が、これだけハックルさんを愛しながらも、

彼のベストセラーもしドラについては、ほとんど興味を持っていないことからもわかる。

ハックルベリーに会いに行く」というコンテンツ

よく知らない外部の人間からみたらただのキチガイしかみえないが、

実際は高度なお約束から、作者と読者の強い相互理解成り立っている、ハイコンテクストな娯楽なのである

時代こそ浅いが、歌舞伎のような伝統芸能の一種と考えるのがふさわしい。

現代風に言うならば、完成度こそ低いが、いや、完成度が低いからこそみんなに好かれる、

アイドルとそのファンのような関係と呼ぶべきものである




アイドルは、読者との間の関係の強さが全てだ。

文章力だの、踊りのウマさだの、そんなものは何の関係もない。

ファンが求める虚像をどれだけ上手に演じられるのか、それが全てである

その点、この岩崎夏海という人物は類まれなる才能を持っている。

彼は、精神科医の診断によると承認欲求赤星巨星といっても良いほど承認欲求に飢えており、

周りなど気にせずマイペースに記事を書いているように見えて、

実際のところは強烈に読者を意識して意識して意識しまくっている。

ハゲって言われただけですぐに傷ついたフリをしてみせるなど、読者に媚を見せることに一切のためらいがない。

しかも、普通このように他者を意識し続け、媚を続けていると、

自己を見失ったり、自己イメージが磨耗して続けられなくなるのが、彼はそうならない。

いかなるメカニズムかはわからないが、彼の自己イメージは尽きせぬ承認欲求供給によって常に明確に保たれており、

日本一ベストセラーを達成しても、常にむっつり不機嫌顔を絶やさず、負のレジリエンシーを維持し続けていた。

彼は、まさにアイドルとなるべくして生を受けたような、選ばれし存在だった。





ところが、最近の彼はちょっとおかしい。具体的に言うと、結婚の発表があったころからだ。

彼のアイドルらしさが薄れてきている。彼自身のスタンスが薄れてきている。

最近の彼の目は応援している観客の方をみておらずなにやら見当違いの方向を見つめているような印象だ。

ありえないことに、「彼が自分の頭で考えたことについて話をしようとしている」ようにすら感じられる。

彼は何か勘違いしているのではないか

彼が人気であるのは、彼個人の思考や目の付け所などは一切関係がない。まして文章力ゴミクズのようなものだ。

それでも人気があるのは、なぜか? 誰が彼を愛しているのか。

記事を更新したら30分以内にはてブを貢ぎに来る愚民どもではないだろうか。

その原点を振り捨てて、新しく進もうというなら、周りくどいことは抜きにして、堂々と宣言するべきではないか

それが我々に対する礼儀ではないかと思う。

礼儀さえ尽くされていれば、我々は彼の変化を心から歓迎するだろう。

しかし今のようなつまらない記事でお茶を濁されるのは、絶対に許せない。





結婚おめでとうございます

ピントのぼけたつまらん記事を書くくらいだったら、家族サービスに徹してください。

その方が、お互いにとって幸せだと思います

今のままだと50ブクマ越えられないと思うんで、しっかりしてください。

50ブクマ越えられないへっぽこ記事を書いてるハックルなど存在する意味ハゲくらいしか見いだせない。

ハゲと言われて傷ついたとか行ってる暇があったら、毛を生やすか、面白い記事をかけ。

そのくらいの根性見せられなくて何がジョブズだ?ザッケローニだ。ふざけんな

2012-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20120202155752

日本文学史で、純文学大衆文学の論争が起きたときも、同じ理由だったんじゃないかという気がする。

そっちのほうは大衆文学の側の

純文学が“ありのまま真実を書いている”って、検証不能じゃないか

また本当に起きたことであっても、書いた人というバイアスを通った以上、その人の主観になる」

に傾き、そして「純文学大衆文学の境目が薄れてきた」現実で論争は終結した。

今の時代は「小説なんて作り話じゃん」が常識だけど、昔は「事実真実でないとダメ」と言っていた人が、

かなりの数いたんだよ。

それより「嘘がソースの話は信用するなボケ」をもっと考察した方がいいと思う。

なぜ多くの人は、言われたことをそのまま信じてしまうのか?

荒俣宏はそれを「アホの力」と名付けた。(と思う)

漫才で片方が何かを言うと、相方が「そうそう、○○ですね~」と復唱する。

疑わない、否定しないお約束なんだけど、(もちろんネタの核心部分に入ったら捻りが出てくるが)

一般人はなぜ素直に信じてしまうのか、せめて信疑保留にしないのか?

そのメカニズム考察する方が、よほど面白い

2012-01-30

googleプライバシー ポリシー改悪が俺の中で話題に

http://www.google.co.jp/intl/ja/policies/privacy/preview/

Google が収集する情報

Google は、すべてのユーザーによりよいサービス提供するために情報を収集しています。その内容は、お客様の使用言語などの基本的情報からお客様にとって最も役に立つ広告オンラインで最も重要視している人物などの複雑な情報まで、多岐にわたります

情報の収集は以下の 2 種類の方法で行います:

お客様から提供いただく情報 たとえば、多くの Google サービスでは、Google アカウントのご登録が必要です。ご登録に際して、氏名、メール アドレス電話番号、クレジットカードなどの個人情報提供をお願いしていますGoogle提供する共有機能をすべてご活用いただく場合は、公開される Google プロフィール作成していただくようお願いすることもあります。これには、名前写真などを掲載することができます

サービスのご利用時に Google が収集する情報 Google は、ご利用のサービスやそのご利用方法に関する情報を収集することがあります。たとえば、Google広告サービスを使用しているウェブサイトアクセスされた場合や、Google広告コンテンツを表示または操作された場合です。これには以下の情報が含まれます:

端末情報

Google は、端末固有の情報(たとえば、ハードウェア モデルオペレーティング システムバージョン、端末固有の ID電話番号などのモバイル ネットワーク情報)を収集することがありますGoogle では、お客様の端末の ID電話番号をお客様Google アカウントと関連付けることがあります

ログ情報

お客様Google サービスをご利用になる際または Google提供するコンテンツを表示される際に、サーバー ログ内の特定の情報自動的に収集および保存されます。これには以下の情報が含まれることがあります:

お客様による Google サービスの使用状況の詳細(検索キーワードなど)

電話ログ情報お客様電話番号、通話の相手方の電話番号、転送先の電話番号、通話の日時、通話時間SMS ルーティング情報、通話の種類など)

インターネット プロトコル アドレス

端末のイベント情報クラッシュシステム アクティビティ、ハードウェアの設定、ブラウザの種類、ブラウザ言語お客様によるリクエストの日時、参照 URL など)

お客様ブラウザまたはお客様Google アカウントを特定できる Cookie

現在地情報

現在地情報を有効にした Google サービスお客様がご利用になる場合Google は、お客様現在地に関する情報携帯端末から送信される GPS 信号など)を収集して処理することがありますGoogle は、たとえば、お客様の端末のセンサー データから提供される近くの Wi-Fi アクセス ポイント基地局に関する情報など、他にもさまざまな技術を使用して現在地を判定することがあります

固有のアプリケーション番号

サービスによっては、固有のアプリケーション番号が割り当てられています。この番号とお客様インストール情報オペレーティング システムの種類、アプリケーションバージョン番号など)は、お客様が当該サービスインストールまたはアンインストールする際に Google に送信されることがあります。また、当該サービスGoogleサーバーに定期的にアクセスする際(自動更新の際など)にも送信されることがあります

ローカル ストレージ

Google は、ブラウザ ウェブ ストレージHTML 5 など)やアプリケーション データキャッシュのようなメカニズムを使用して、収集した情報個人情報を含む)をお客様の端末にローカルに保存することがあります

Cookie匿名 ID

お客様Google サービスアクセスされると、Google はさまざまな技術を使用して、情報を収集して保存します。その際、Google からお客様の端末に一つまたは複数の Cookie匿名 ID を送信することもあります広告サービスや他のサイトに表示される Google 機能のように、Googleパートナー提供しているサービスの利用の際に、GoogleCookie匿名 ID を使用することもあります

引用終わり

2012 年 3 月 1 日に発効

凄い!!!!!!さすが!!!小学生並みの感想

橋下徹氏への期待と違和感

僕はとりたてて左でも右でもないと思うが、個人的に橋下徹氏のやり方には強い違和感を感じる。君が代を歌わない教員を罰する、などといったタカ派的な行動(http://goo.gl/fdA8f DailyMotion: これで彼自身恥ずかしそうにしてちゃんと歌っていないというのは置いておいて...)やテレビタレント時代核武装とか中国売春ツアーODA発言とか弁護士懲戒請求の扇動とか、そういう極端な言動への違和感が第一にある。ナイーブに考えて、下品で息苦しいのである

だが、僕が結構ファンである佐々木俊尚氏(http://twitter.com/sasakitoshinao)や夏野剛氏(http://twitter.com/tnatsu)など、わりとリベラルで先見的と思われる人たちが橋下徹氏に好意的な評価をTwitterでしているのを見て、どうしたものだろうか、としばし考えた。

たとえば佐々木氏は、橋下氏の実行力を評価し、橋下氏の批判者が感情的な批判しかできていない、ということを指摘していた。たしかに、行革財政再建を目指す政策は私も賛成である。また、部落問題や暴力団のような複雑な問題も、彼くらいの突破力がないと解決できないだろう(私が橋下氏に一番期待しているのは、そのような問題の解決においてである)。ただ一般に彼のやり方は、敵を作り、スケープゴートを作ることで住民の溜飲を下げさせていることで勢いを維持しているように見えてしまい、その手法に狡さ・醜さを感じるのである。さらに言えば、それに乗ってしまう人々の多さにも空恐ろしさを感じるのである(こういうと香山リカ氏みたいだが)。私は、橋下氏はルサンチマンに駆り立てられて動いている人間だということに気づいたが、彼がさらに住民の潜在的なルサンチマンを煽っている構図なのではないかと思うのである。そういう点で、現代のヒトラーという指摘はあながち見当違いではない。

私みたいに、緊縮財政行革による財政再建は大いに結構、だがイデオロギー的な押しつけの空気タカ派挙動、さらには彼を突き動かしている感情にはアレルギーがある、という層は多いのではないだろうか。

佐々木氏が今日になってついに「橋下氏について行けない人たち」などという(そこまで言ってしまうと戦時中非国民とかと同じメンタリティーにしかすぎないだろう)気持ち悪い全体主義的なポストまで挙げていたので、なんだかガッカリさえした(本当の知性や強さというものは、結論の出ない曖昧から目を背けず、それに耐えて批判的に考え続けることではないのか。)のと同時に、自分の中でどういう立場を持てばいいのか、折り合いをつけなくてはいけないのかな、とも感じたのである

私は科学者だが、周りを見ていてたしかに偉大な科学者が必ずしも人格に優れているわけではないし、科学者を見る際には業績と人格、さらに教育者としての資質は分けて考えるのが普通だ。政治家もそれと似たようなもので、イデオロギー実質的な政策を分けて考えるべきなのかもしれない。彼の財政再建のための活動は評価するが、彼の人柄や彼を突き動かしているイデオロギーものには疑問を感じる、という折衷的なスタンスをとれば、私自身感じている息苦しさにも折り合いをつけられる。

余談だが、橋下氏、昔はテレビではけっこうチャライ感じでいじられキャラだった記憶があるのだが、いつの間にあんなに強者のキャラになったのだろう。そういうパブリックイメージの変遷のメカニズムにも興味がある。

ひとりのAnonymous Cowardより

2012-01-06

怪し過ぎる

楽にやせる方法 入浴前に水を飲み、入浴後1時間以内就寝

NEWS ポストセブン 1月1日(日)7時5分配信

「実は厳しいトレーニングはしていません。太らないメカニズムを知って生活するだけで、体は自然とやせていくんです」と語るのは、2012ミス・ユニバース・ジャパンを指導するアスレチックトレーナー金塚陽一さん。ひたすらゆるくて楽チンな方法でみるみる変われるという金塚陽一式ダイエットの入浴に関するメソッドを紹介しよう。

金塚メソッドの要となる自律神経。それを整えるのに欠かせないのが入浴だ。

自律神経には体の働きを活発にする交感神経と、体を休める副交感神経の2種類があります。このバランスがうまく保たれていると、健康でやせやすくなります。湯船につかると副交感神経が優位になり、リラックスして精神状態もよくなるので、免疫力もアップ。入眠しやすい状態にもなるので、どんなに疲れていても、夜は湯船につかることをおすすめします」と金塚さん。

また自律神経を整える効果だけでなく、入浴時は、直接的に“やせる”テクニックも駆使すべき。

風呂上がりには、一度冷やすことで体温を上昇させる褐色脂肪細胞を冷水で刺激することも忘れずに。このひと手間で、エネルギー燃焼率のいい、やせやすい体を作ることができます」(金塚さん)

脂肪には、エネルギーを蓄える「白色脂肪細胞」と、エネルギーを燃やす「褐色脂肪細胞」の2種類がある。「体が寒さを感じると褐色脂肪細胞が活発化し、体温が上昇。エネルギーを燃やす代謝のいい体になります」。ダイエット効果の高い金塚式入浴法を、順を追って紹介しよう。

【1】水は入浴前に飲む

入浴前にコップ1杯、入浴中は500mlのペットボトル1本、入浴後もコップ1杯の水を飲むのが理想。常温か白湯が◎。

【2】体温にも近いぬるま湯に

37~39℃の体温に近いお湯のほうが発汗しやすい。湯船には10~30分、トータルでも30分~1時間はいるとよい。

【3】上がるときは冷水を

わき、股間、背中、ひざの裏部分が、エネルギーを燃やす褐色脂肪細胞の多い箇所。心臓に遠い部分から少しずつ冷水をかけて。

【4】1時間以内に寝る

どんなにリラックスしても、入浴後2時間も3時間も起きていたらNG。1時間以内にはベッドにはいるようにしよう。

女性セブン2012年1月5・12日号

2011-12-24

認知の微視的構造 リマインダー

リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。



第一章

1

認知主義、古典認知主義

意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデル意味する。

 この主義の限界を

2

 ・チューリング

 チューリングの形式化が持っている特徴

(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括

(2)そのメカニズムいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している

(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している

⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している

フォン・ノイマンコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーLISPプログラム言語)を開発。

 ⇒ 研究開発が可能に

A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出

 ⇒理論的に自覚化・明確化される

3

・物理記号システム

①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、

②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム

by 1976 ニューウェル & サイモン

・強い物理記号システムの仮説

SPSS strong-physical-symbol-system

「標準的な記号アトムフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」

①仮想機械

現実の物理機械上で実行されるプログラムのみによって存在し、

そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」

 高級プログラムによって定義されるエミュレータ

フォン・ノイマン型の操作

コネクショニズムとは異なった操作

・記号を割り当てる

・変数を束縛する

・記号列の複写、読みとり、修正

・基本的な統語論パターンマッチング操作

等々

③標準的な記号アトム

「テーブル」「ボール」「愛する」「軌道」「電子」のような語

④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段

そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる

 このような主張(標準的なLISPアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践

彼らの仕事の特徴(例:BACON

 ・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している

 ・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能

 ・選ばれた課題領域を扱う

BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則

BACONに対するいくつかのコメント

BACONが取り組んだデータフォーマット化下のは、人間の労苦

BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。

 ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない

BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの

 ⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう

 サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。

 しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。

 心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える

 BACONは、人類の一部のモデル

 知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている

 古典システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。

 古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々

意味論的に透明、意味論的な透明性

STS semanttically transparent system

システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステム意味論的に透明であるといえる」

 きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズム記述レベル2)における計算の対象が、概念レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述レベル1)と同型である場合である

レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え

レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法

レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)

古典アプローチコネクショニズムの重要な違い

(1)古典理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論意味論を組み合わせた記号システムを仮定している

(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。

 もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない

◎要するに、古典システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである


第二章

 古典認知主義に対する懸念

 ドレイファス:古典認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当

 サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論意味論との間にギャップが認められる

 この二つの種類の懸念について検討する。

あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」

 この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念リストをあげる。

 ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。

 ウィンストンの、フレームを使ったアプローチも不十分

 ・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)

 ・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?

 ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか

ドレイファスの二つの主張

(1)身体問題

「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」

 コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない

(2)コード

 人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。

 このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?

 

 AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。

「強いAI仮説」を、サールは批判する

強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる

Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。

サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。

具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋操作者が中国語を「理解すること」の比較

「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」

 以下、サールの誤りについて論じる

 

 サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」

 脳シュミレータ説:あるりプログラム中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる

↑(サールの再反論)

(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)

(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである

 ↑(アナロジー

 光合成光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない

 では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?

  :外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること


↑(コメント

中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効

 微視的機能主義

 機能主義は、心的状態の本質を、

 入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。

 (適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)

↑(批判)

中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。

 こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう

・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか

×大まかなレベルに位置づけ

  ⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ

ライカンの「小人機能主義」

○微視的機能主義

・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981

ゲシュタルト

 :機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ

ライカン「小人機能主義」

 :機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)

 微視的機能主義

  :システムの内的な機能的プロフィール(内的状態の変換)を、

   内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で

   記述しようとするもの

   ・処理ユニット間の形式的な諸関係を記述する

   ・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる


第三章

 認知科学における民間心理学の役割はあるのかないのか

「民間心理学

 :自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解

 民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる

チャーチランド & スティック

「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学

 民間心理学問題点

(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。

 民間心理学は、子供狂人外国人を前にすると、まごついてしま

(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる

(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである

 最近の分析哲学

  :頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか

Daredevil believes that Electra is dead.

Mary hopes that Fermat's last theorem is true.

 のthat以下を、心的状態の内容と言う。

 心的状態が考えられる傾向

  :われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、

  われわれにとってどのように見えているかによって決まる

 ↓(言い換え)

 我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、

 本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない

⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、

 知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆

・双生地球……☆に対して疑いを投げかける

双生地球で、「海に水がある」と発話される。

地球A:海にH2Oがある

地球B:海にXYZがある

 この違い以外は同質だとする。

 すると、

 地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる

(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)

 もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、

 自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、

 単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して

二つの選択肢

(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、

 世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説

(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は

  〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう

プティ と マクダウェル

「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。

 しかし、

〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」

 筆者

 :あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、

 そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない


 その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。

 仮想反論

 :「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」とするならば、

 心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)

(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)

 仮想反論の詳細

:仮定①:

 二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる

 (そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)

 仮定②:

 行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない

 結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない

「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。

 限定的内容といっても、それを妥当概念として了解できるかは明らかではない」

 なぜなら、

「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは

 まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。

 その具体的理由として、

 ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。

筆者

 :広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、

 民間心理学カテゴリーや分類が

 頭の中で起こっていることに関することに関する科学カテゴリーや分類に

 きちんと還元されるなどということは

 とてもあり得ないように思われる。

・民間心理学は、科学心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない

 世界を記述しない信念であり、なおかつ

 ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学記述の上には)存在しないことも可能

 民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?

 :

 他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、

 その人の身体の動きを予測し説明するための手段

民間心理学の主要な目的

 :

 世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること

(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴

①世界に対する感受性、すなわち感覚生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している

②世界をわれわれと共有している

③彼らは我々自身のもっと根本的な関心と必要の大部分を共有している

④彼らの思考の有用性は、

(我々自身の思考と同様に、)

 彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、

 彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている

 この特徴があるので、

「~したい」という欲求さえ同じであれば、

 神経生理学的な詳細は関係なく、地球人にも火星人にも有効。

・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている

・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、

 さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)

 筆者の見解

 :私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、

 行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである

 ……関連する行動を可能にするものとしての、

 根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、

 そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が

 対応している必要はない。

――

 筆者の意見は全体論である。(行動全体に網をかけるから。)

 ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか

<Fordor>

意識の全体論というのは、

命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」

 という考え方。

 これに、Fordorは懐疑的

命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)

われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題認知的連関)を共有しているとは思えない。

 なので、意味全体論はありえない。

 →信念の内容が、その認知的連関に依存するということを否定。

 信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。

 外延的意味論の一形態に賭ける

:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである

「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」

</Fordor>

筆者

 :Fordorの間違い

 全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。

 Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。

Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。

筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている

 全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)


 一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。


(1)民間心理学は、狂人や言葉の通じない相手には使えない

(2)民間心理学は、長い間停滞している不毛な学問である

(3)民間心理学は、神経科学ときちんとつながっていない

(3)に対して、

 民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである神経科学とつながることを目的とはしていない

(1)に対して、

 民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない

(2)に対して、

 民間心理学の目的は限られたものである

 なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。

整理。

 心的状態に関するわれわれの常識的理解と民間心理学は、違う。

 民間心理学には、きちんとした定義がある。

 これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」

 因果関係と、構成的関係の区別

構成的関係

 :

 研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ

因果的に関係

 :

 因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、

 それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる

ということはない。

チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)


・広域的内容の理論認知科学は心を解明しえない

・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている


科学(物質、プログラム

(構成的関係)

科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。

では、構成的関係とは何か。


構成的関係←→因果関係

構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること

因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない

(駒はなくてもチェスは打てる)

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2011-12-01

ある種の親は社会的に認められているもの以外の価値認識すること自体ができない

故に、勉強以外については親に理解されなくて当たり前だ,くらいに考えていたほうがいい

「親に自分のことを理解してもらいたい」という希望は、日本に限って言えば、子供は持たないほうがいい。そうしないと、辛い。




うちの親は収入面では中流の上の方だったと思うけれど、いろんな意味教育は中流どまんなかって感じだったかな。

親の意思で習い事スポーツをさせておいて、

いざ勉強シーズンが始まると、どんだけ抵抗しても「勉強のために」という理由だけでやめさせられた。

その時から分かってはイタけれど、親は社会的認知されたもの以外の価値認識すること自体ができない。

これ自体を責めてみたところで意味が無い。親はそういう時代に生まれてきたのだから




子供の頃に習い事をさせていたのは

子供にいろいろ習い事させるのは良い親」という社会的尺度があったからだろう。

ところが、習い事に関しては、小学校高学年くらいからそういう社会的尺度消失する。

こうした分野で子供成功したり、社会的に評価されることは稀である

そう考えると、別に習い事をさせていても誰も褒めてくれないし、そのための負担は小さくないので続けるメリットが親にはない。

親自身も元から対して情熱を注いでいない。勉強の妨げになるのであればあっさりと切り捨てられる。

いや、実際には勉強の妨げになっていなくても、「自分がそう感じた」というだけで辞める理由になるのだ。

少なくとも、私は、姉が無条件でピアノをやめさせられたことに危機感を感じ、

ピアノ以上に勉強を頑張り、高い成績を維持して、

折につけて「ピアノやってても勉強も頑張れるよ」とアピールをしていたがその時が来たらあっさりとやめさせられた。

最初から最後まで、そこに子供の都合は存在しない。交渉の余地すら無い。

子供過ぎて、勉強も頑張る、程度しか交渉の手段を知らなかったということもあるが、外をまきこまない限りおそらく無理だっただろう。

 そして外を巻き込んだら、多分親に恥をかかせたという罰で殴る蹴るの暴行を受けていたと思う。そうでなくてもよく殴られたしね)

子供は圧倒的な才能や成果を示さない限り、そこで潰される。




そして、これ自体も悪いことではないと思う。

実際、才能がないのに、変にしがみついていても、あんまりいいこと無い。

はやめに見切りをつけて、そのぶん自分にとってたのしいことややりたいことに力を向けるのはむしろ好ましいとさえ言えるかもしれない。

まぁこれにしても、子供にそういう話をした上で判断させるべきところだとは思うのだが・・・難しいか




よろしく無いのは、全部親の都合で、親が勝手に決めたことであり、親のわがままにすぎないのに、

なぜか親自身がそれを認識していないか、認めようとしないことである

親は子供に何の説明もしない。謝罪とまではいわずとも、メカニズムを説明すべきなのにそうしない。


結果として、子供は「自分の意志でやりたいことを選べない」ということを学習する。

「がんばろうががんばるまいが、親が認めなければ自分の大切な物は維持できない」と学んでしまう。

高校生ぐらいのときにこういう仕打ちを受けたなら、まぁ自力救済の道を探っていただろうが

無力な小学生時代にこれをやられると、自分の無力をしみじみと受け入れるしか無い。

しかも、当時は今この記事で書いてるように、明確に親から受けた抑圧を言語化して把握できたわけではない。

無意識に刷り込まれるようにして教訓を植えつけられるので、抵抗しようもない。

むしろ、当時を振り返ると、1ヶ月ほど落ち込んだ後

「親は自分の為を思って勉強に集中させてくれたんだ」「私にピアノ無用だったのだ」と本気で思い込んでいたような記憶がある。

まり「親の言ってることは自分のためであり、絶対的に正しい」という刷り込みが成立していたということになる。

実際小学校4年でピアノをやめさせられた後は、2年間ひたすら勉強ばかりしていた。

そんでちゃんと進学校に入って、それはそれで誇らしい気持ちになった。親には心から感謝したと思う。

実際にこの辺りまでは、親の言うことは間違いというわけじゃないのだ。ただ私の心を全く無視してるというだけであり、実際この当時の私は自分で考えて自分で決めるということがあまりできる子ではなかった。親が決めてくれたことに従うほうが楽だったし、必要だったと思う





ただ、中学校に入ると、もうこれは露骨に問題にすれ違いが生じる。

私のような知恵遅れでも、このころになると自分の意思でいろいろ考えるようになる。

でも、まぁ上のような感じで、自分の意思でヤリたいと思ってもやれないという思い込みがあるから

もやもやしつつも勉強以外のことはあんまりできなかった。勉強か、漫画か、小説か、そんくらい。


親のほうでも、もう社会的に認められている価値尺度勉強くらいしかない。

はいだって社会的には親はどんな感じか」ってことだけ気を使っていて、一度も自分の頭を使って考えたことがない。

子供が何を望んでいるかに興味を持ち、それにどう答えるか、という形で考える訓練をしたことがない。

私が何の部活に入っているかも、私にはどういう友だちがいるのかも、

結局高校卒業するまで全然知らなかったくらいだから本当に我が子には全く興味がなかったのだと思う。

(ちなみにバスケ部な)

そういえば、友達小学校4年の時に親に強制的に絶交させられてから作ったことがない。

中学2年の時にU君という友達がひとりいたけれど、遊びに行ったことも家に招いたこともなかったので

その内に、Uくんも、もっと親密に付き合ってくれる奴のグループに行ってしまった。


多分、自分がもうちょっと勇気を出して親に何か訴えれば事態は変わったのかもしれないが、

結局そのまま6年間過ごして、まぁそれなりにいいところの大学に受かったので、東京に逃げた。






欝で寝込んでるなうコミュ力ゼロの私には、東京で友だちを作ることもできなかった。

多分もうチョットしたら冷静になれて自分の側にも問題があって、過去を嘆いてもしょうがいか

からでも努力して何とかすべきって思えるようになるんだろうけれど、どうしても今の時点では親を恨む気持ちが強すぎて動けない。

もうちょっと早い段階で、家庭内暴力をしてでも、親に何か伝えるべきだった気がする。

いざ自由になってみたところで、何をしていいかも分からない。とりあえず勉強はもうしたくない。勉強だけはいやだ。

2011-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20111022115648

これ見た時、あぁなるほど、って思ったんだけど、人間、一番怒りが沸くのは自分存在とか信念を無視された時なんじゃないかなー、と。

飲食店で待たされるのは自分存在を無視された訳じゃないけど、注文を忘れられた時に怒りが沸くってのは自分を無視されたからだと思う。

自分自身の存在自分の信じている物が無視された社会で生活すると、色々と不利益を被るし、自分の直感に沿って行動する事が困難になるから、こう言った怒りのメカニズム社会生活を営む動物本能になっている気がする。



自分結構怒りっぽいけど、それを表出しても得になるシチュエーションって社会生活上は皆無だから、基本的には"何で、今自分は怒りの感情が沸いているんだろう?"って自問自答して、パターンを色々探って感情を鎮める様にしてた。

その結果、当面の結論として上記の様な結論に至った。

怒りの感情が沸く理屈が理解出来ると、解決法も見つかりやすいし。


これは他人の怒りに対しても、ある程度は通じて、相手が怒っている時に"自分の行動が相手の何を無視したんだろう?”って考えて、それに付いて謝罪する様にしている。




勿論、この理屈がボヤーっとしか当てはまらない事もあるけど、比較的汎用性が効く考えだと思うんだけどなぁ。


逆にブコメ増田も、マナーが悪いだとか病院行けとか御飯が可哀想とか本質じゃない議論に終始しているって事は、自らの怒りの感情や他者の怒りを客観的に見た事が無い人達ばっかりなんだなー、ってそっちに絶望した。

2011-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20111021212428

妊娠とは「精子赤ん坊に変わること」だと言う感覚を持つ人は多いと思う。

勿論知識としては卵子存在も受精のメカニズムも知っているけれど、普段の意識からはそこが抜け落ちていて

母体はただ精子赤ん坊に変えるのが役割だ、と言う感覚を持っている。「産む機械」的な。

こういう人は、生まれる赤ん坊は「精子提供した男の子供」だと言う感覚は強いけど、「産んだ女の子供」だと言う感覚は薄い。

2011-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20110921175802

起業に限らず普遍的な老害化のメカニズムだと思う。

うまく言えないけど、確率という概念を理解できてないんだと思う。決定論とか完全情報世界しか思考できてないっていうか。

2011-09-08

猫の感じ

http://anond.hatelabo.jp/20110908093243を可能な限り段落を再現してエキサイト先生翻訳して頂きました!



長い間、私は暗箱にいます

私が箱の外部で聞いた誰かのコメントによれば、劇薬を含んでいる小さなボトルは、この箱に位置します。ボトルは完全に密閉されますが、ハンマーボトルの近くに配置します。また、彼らは、ハンマーがある時に倒れるだろうと言いました。

いつになるかは「ある時間です?私は知りません。このまさに瞬間に?あるいは遠い将来?恐らく、それは既に来ました(私はそれに関して考えたくありません)。誰もハンマーに影響することができません。独立事象として、それは、見込みで50%倒れるでしょう。見込みはちょうど50%です。ひょっとしたら、ボトルは壊されるかもしれないしあるいはだろう。自分に関して、死者、あるいは、生きている。

私は言わなければなりません、状況はどれくらい恐ろしいですか。

私は、猛烈な憤慨を持たないようにはすることができません。私の人生(私のための最も重要な問題)は、私から完全に離れており、単純な図、FIFTY PERCENTに単独で依存します!あまりに恐ろしい。

さらに、私は、それは完全に不合理であると思います(そして)。私は、ちょうど50%で見込みを維持する多くの方法で束縛されます

視覚。箱は、任意の光から完全に保護されます。それは、ボトル装置を見つけるおよび破壊することから私を回避するためにあります。完全な暗さ。私は完全な暗さにいます。したがって、今、私は、自分アウトラインさえ見ることができません。恐らく、それは奇妙に思えます。暗さは私に私の体自体の存在について疑問を抱かせます

聴覚の知覚。恐らく、私が上に言及した理由から、完全な遮音は使用されます。私は、私自身の音声さえ聞くことができません。私はメカニズムを知りません。まず第1に、私は、何も見ることができないとともに、どのようにそれを調査することができますか。したがって、これは恐らく推測だけです、私の鼓膜はこの箱の中の包囲の前に破損されました、あるいは、ある特別の資料は箱の壁に使用されます

とにかく、光と音の保護であまりによい暗箱では、ちょうど用語が示すように、私の視覚的・聴覚の知覚は死んでいます

たかも一層の確認が必要かのように、私を極度に圧迫する巨大な疲労は私のための別の拘束物です。それらは努力から私を回避するために私にある種類の筋弛緩剤を与えたように見えます。私が同じ姿勢から変わることができないとともに、私の触覚はほとんど麻痺しています

光はありません。音はありません。匂いと味は信頼性が低い。触覚は不調にあります。私は操り人形に似ています。すべての五感は私のコントロールが不足しています。あまり残酷です。完全な拘束物。それらが睡眠薬を与えていた場合、私は望みます。私は、外傷のない苦悩にいると思います。私の生活(私の存在(自体))は完全に無視されます。そのような屈辱は私の正気を維持します。そのような屈辱けができます

自分の生および死をコントロールする権利は完全に奪われます。私はそのような状況を嫌います。私の生活の連続性の中核決定要素は完全に依存します、で、単独で、で、純粋な見込み。誰からでも完全に遠方に、意志があります。私は再びそれを嫌います。私はそれを嫌います!

なぜ私は、そのような箱で囲まれなければなりませんか。そのような途方もない箱では、なぜ私は、そのような完全な拘束物を備えた、生命不安および死にいなければなりませんか。

不合理です残酷です

私は孤独です。私は、中身がなく、水平に感じていますか。すすり泣かないようにすることが困難です?番号私の孤独はるかに深い。私は空間の海でいます。私は一人です。完全に孤独です。孤児として、私はこの無限の暗さに向けられました。私は絶対零度の中で震動しています

この箱に展望はありません。暗さだけがここにあります。私はボトルハンマーを感じることができません。私は壁、底および天井をまた感じることができません。それらはそこにあるに違いありません。しかし、私の五感がすべて奪われます。何もないように、私は感じます。それらのものがいくつかの意味を持っている一方。

正直に話して、私は、箱にいるかどうかそれほど分かりません。私は、私の姿が存在すると確信します。私は考えています。私は空想しています。それは証拠である、私の独自性を示すこと、呼ばれる、自我あるいは意識、あるいは心、固体ですしかし、独自性はありますか、本当に箱で囲まれる?それが別のスペースで浮かんでいることはありえますか。私はそのような疑問を除去することができません。

恐らく、私がここでであるものは、宇宙に結局浮かんでいるか、あるいはマリアナ海溝の底に横になっています。あるいは恐らくキラウエア火山の穴から下降して行くこと。

私には、箱(私を囲んで)がどのようにか知る方法がありません。私の感覚はすべて死んでいます。私は、ここに、箱の内部があるかどうか判断することができません。

私は、本当に生きているように、それに加えて、確かではありません。私には、そんな単純なものを確認する方法がありません。恐らく、50%の見込みは私を越えて既に通過しました。恐らく、私は既に死んでいます。私はまだ、恐らく生きています。浅くて、筋弛緩剤を注入された、呼吸する、弱い心臓の鼓動。あるいはそれらのすべての停止(単に去る肉大型丸薬)。

私は私自身の身体をコントロールする任意の能力を奪われます。誰が私の心が重大な活動を継続する身体に存在すると言うことができますか。五感は完全な暗さで毒されました。それらは感覚器として機能することができません。私は、真実を知る見込みがありません。恐らく、どんな推測も一人で作り上げられます。私を包む状況および自分独自性は恐らくプログラムされた回転プレーのコンポーネントです

私の存在に関して、私は振る舞いを決定することができません。私は、それを認めることを嫌いますしかし、私は変動の最中です

私は、誰かが私を見つけることができたらと思います。私は、誰かが箱を開くことができ私がいかがか言うことができた、らと思い、私がどういう人か決めることができました。私の内側にそうするのに十分な力はありません。私ができるのは孤独の中で震動し続けることです

もし神ならば、私は言うことができるでしょう「そこにさせる、軽い。」私は、それが不可能なことを知っていますしかし、私は、私がそのように言うことができたならばどれくらい素晴らしいだろうか思わざるをえません。

私自身の自由意志!それは、自分を取り巻くすべての変動を固定することができました!

同時に、切望は影を生産します。箱が開かれるなら、私は見つかり観察されましょう。その結果、私の姿は決定されるでしょう。実を言えば、私は決定を心配しているという事実から視線をそらすことができません。

一人で生きているか死んでいるかどうか判断することができませんが、私は死を恐れています。残念ながら、私は死者として決定します。私は受理することができません。まだ、私は感じることができません。私は特定の現象として死を想像することができません。恐らく、そのため、私は死を恐れています

いいえ、それは私に制限されるべきではありません。高潔なキング。致命的な殺害者。規則的な人々。すべての同じ。恐らく、悪い疾病の年上の人々あるいは患者は、十分に真実の死に近いある想像を持つことができました。しかし、それでも、死の特定の経験を知ることができません。

結局、死は圧倒する重要性を備えた最終仕向地です時間意識は絶対的な不可逆性を持っています。死にはさらに変更することができない完全無欠さがあります。それが儀式の通過点あるいは顕著な印象的な出来事でも。

私自身、ここの私の心はそうです、そのときは消えられるだろう、どれ、私がいかがかが決定されます。それらが生ぬるい水(私はその中で温度を感じることができない)から奪う場合、私は、大気に身をさらさないようにはすることができません。

私はそのような不可逆変化を恐れています。それは死の決定に制限されていません。さらに、非常に心配しているので、私は生きていて決定されます

自分現在存在は、無限ポイント上に立っている小さく小さな幻覚に似ています。それほど大きくない。それほど小さくない。それほど長くない。それほど短くない。拡張はありません。収縮はありません。ユニークな単一のポイントで立っていること。それは数学上正確です。私は、自分同一性に関する混乱があるそのようなポイントでとどまるゴーストのようなものです

ポイントは同時(ある位置で既存でない)に座標の飛行機ですべての位置で存在します。ある出来事が生じれば、その瞬間においては、それは、すべての地空(あたかも私の招待がバスから降りるかのように、出来事がその中で生じた)中の単一のポイントに私を集中させるでしょう。関係なしで。ポイントと私がものだったとしても。

幻覚(それはそのようなポイントでとどまった)は、等しい程度に対して、実際で霧のように消されているの可能性を持っています

さて、私はすべての配当通過時間の中で既存です。そして、私はすべての自然を持っています。同時に、私は孤独からそれを受けています、私はすべての自然から離れています。私は、誰かが私を見つけることができることを望みます。同時に、私は非常に心配しています、私はどこにいてそれ、私はその瞬間にいかがでしょうか。

私は原因と結果の法則から解放されました。私は常に永久に決定しません。

2011-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20110904164727

まず、口調に関しては大変失礼しました。以降気をつけます




>A.yuhka-unoさんは、聞くに値する主張をしている

>B.itiさんは、バカ

>C.荒れるメカニズムがわからない。その理由は?

>D.yuhka-unoさんは、全面的に正しい



A〜Dについて、拝読しました。

私の見解ですが、まずAに関しては異論ありません。ブログ記事、大変勉強になります

Bについてなのですが、私はitiさんが「バカ」だとは思ってないんです。ちょっとややこしいんですが。

itiさんからはどちらかというと、物凄く誇張した表現ですが、「狂人」的な感じを受けました。

追いつめられたものが裏返ってああいう形で噴出したかのような印象です。だから大丈夫かこの人?」と思って書いてました。

Cに関しては、荒れるメカニズム自体にはあまり興味がないです

何故あれを見て「悪口」「陰口」と認識したのか、ということが知りたいのであって、ヒートアップぶりはそんなに気になりません。

「ああそうですかご勝手に」とは出来なかったのは、先述のように何かが危うい印象を受けたかです

Dについて、どこまで完全に正しいかというのも特に求めてないです…。

最悪の想定ですが、例えばブログ記事が完全に妄想癖と虚言癖の織りなしたもので嘘八百、本当は子ども思いの苦労人のママなのよーという話であったとしてもそれはそれでいいです

その妄想癖と虚言癖は何がどうなって起こったのか、という話にスライドするだけなので。

また、親は本当に心底そんなつもりで言ったんじゃなかったけどその一言子どもを酷く傷つけてしまって軋轢を生んでしまった、という話であったとしても、子どもの側からしか書かれていなくて不正確、不公平とかいう話には必ずしもならないと思います

何故なら子ども子ども自身の復活のために書いてるブログなのだから。傷の深さは子ども自身がよく知ってます。部外者どころか親にさえそこんとこは何とも断言できない領域です

だったら、子どもが傷ついたというその一点では子どもが全面的に正しいし、子ども認識から出発すべきだというのは妥当だと思います



遺伝子感謝」というのは例え話ですw。100点の成績は誰のものか? 私のものです。親のでなくて。という話です

そして、それなら90点の成績も0点の成績も私のものです。「0点取るなんて、許さないわよォォオ!」みたいなのび太のお母さん的な台詞は本来誰にも許されないことです

itiさんは「あなたが真っ当に育ったことは素晴らしい。私はお母さんを尊敬する」みたいに書いてましたが、その尊敬は真っ当に育った子どもに対してなのかそれとも親に対してなのか、ごっちゃになってますよね。

子どもに対して尊敬を向けるのなら「この親の元でもあなたは育った、素晴らしい」となるわけで、親の賞賛と結びつきません。

親に対しての尊敬なら、子どもが真っ当に育ったかどうかは持ち出すべきではありません。何故なら親が苦労を耐えたことが賞賛の的なわけで、子ども別に犯罪者でも殺人鬼でもいいし、そもそも病弱で成人するまで命が保たなかったとかでもいい。

子どもがまともに育ったということを親をほめるための材料にしてるんです。可笑しな話です

ガードがどうとかではなくて、論理的におかしいんですよ。



子育てが大変だ、というのを完全否定するつもりはないです。大変ですからね、子育て。本当に。

でもそれとこれとは話が別ってやつだと思います

子どもを育てるのは大変だ、アンタを育てるために私はアレも諦めたコレも手放した、みたいな話に繋げられると、子どもは何も言えなくなりますからね。

http://anond.hatelabo.jp/20110904161022

うーんと、

 

改めて確認しとくけど、論点を切り分けておくと、

 

A.yuhka-unoさんは、聞くに値する主張をしている

B.itiさんは、バカ

C.荒れるメカニズムがわからない。その理由は?

D.yuhka-unoさんは、全面的に正しい

 

という話はそれぞれ切り分けておきませんか。

まず、わたしは、A,Bに関しては繰り返しになるけど、

yuhka-unoさんは聞くに値すること(私も苦しめられたパターナリズム批判)をしているし、

おおざっぱに言って、itiさんはバカ、でいいと思います

(まあ、私は、itiさんが実際に目の前にいたら「はぁ、そうですか」でスルー対応すると思うけどね…)

 

あと、ちょっと、あんまり強い言い方をされると、

私も書く気力をなくすので、ご配慮いただけると幸い >きゃあさん

 

******

 

で、改めて、

C、Dに関してはきゃあ、さんとはちょっと見方が違います

 

C.荒れるメカニズム

 

まず、荒れるメカニズムは絶対に、あの手の話はあると思っています

パターナリズム批判は、批判された側が、ぜんぜん理解してくれないですよね。いっつも。

からこそ、荒れる。荒れるのは、もう必然だと言っていいと思います

あと、批判される側(親側)が、旧来的な何かしらの<ローカル正義>を振りかざしていることが多いので

それを、まっこうから全部否定してしまうとね、宗教論争的な風景にならざるを得ないですよ。やっぱり。

まあ、そこで対応としては、

相手の主張を「ああ、そうですか。勝手にそう思っていてください」的なことを「やんわりと」言っていなすか

まっこうから対立しちゃうかのどちらかしかないんだけれども、

yuhka-unoさんは真っ向から対立しているので、荒れるのは仕方ないとは思います

 

D.どこまで完全に正しいか

 

Dに関しては、まあ、おおむねyuhka-unoさんが正しいとは思うけれども、

書き方の問題はあるとはやっぱり思います

 

(ちなみに、「遺伝子感謝」の話なんかは私はしていません……

そりゃ、「遺伝子感謝しなさい」なんていわれたら、「シネ、カス」で終わりだと思いますけれど…)

  

具体的には、ごく一般論として「子育てはやっぱり大変なこと」という論点はあると思います

「親だけの手柄」じゃないのは当然だし、「私だけの手柄」だけでもない。

そこを完全に言い切るのは厳しいのではないでしょうか。

もちろん、

育児が大変だったんだから」という主張に対する伝統的な反論として、

子供は生まれてくる親を選べない」ということもセットであるので、

そこは、お互いに、負い目を負っていると思います

 

子育てが大変だったんだから」ということを

鬼の首をとったように言い続けて恩着せがましい相手は

やっぱり下品だし、わかってないし、ひどいとは思います

でも、そのことを完全否定しすぎるのもやっぱり、言いすぎになるかな、と。

  

ただ、yuhka-unoさんは、きちんと読むと「文章」の部分の功績について、自分の功績と言っているだけで、

その他の部分については、実は言及していないので、yuhka-unoさんはやはりおおむね正しいとは思いますが、

ガードはもう少しわかりやすくかけてもよかった、と思います

 

それと、

ここは、yuhka-unoさんの文章からだけだと、

どのぐらい母親子育てについて、放置気味だったか、そこまではよくわからいから、

部外者には何もいえないと思うんですよね…

 

※ちなみに、話に全然関係ないけど

『誰も知らない』は私も見ていて、あれは本当に傑作なのでおすすめです

あれはほんとのほんとにヤバいレベル育児放棄だけど…

2011-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20110811100710

27 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/07(木) 07:34:16

素人童貞>>>>>童貞は間違いないと思う

童貞は認めたくないみたいだけど、やっぱ大分違うぜ

31 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/08(金) 18:39:37

これ等式記号だろ。素人童貞の方が童貞より偉いって

意味なんだよな。その後で、大分違うってどんな演繹

だよ。違いを知ってるから偉いって意味なのか?

だったら、どう違うか相対的な整合性を仮定しなきゃ

まったく意味がないよな。

人間ゲシュタルト感覚にまで及ぶ言及をするわけだから

個人的な経験則は無効だぞ。

ハイゼンベルグの不確定性理論とか知らないんだろ。

まあ本格的なバカみたいだから簡単に設問すると、

風俗オナニーよりなぜ気持ち良いのか、

科学的に証明しろ。

但し、射精する時の感覚絶対値と仮定する。

32 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/08(金) 20:21:41

偏差値40台な感じでお願いしま

33 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 21:39:53

&gt;&gt;31

僕はその問題に少しだけ詳しいので知っていることを説明しま

あなたもご存知の通り、

風俗オナニーよりなぜ気持ちいいのかという設問は長らく論争の的でした

いまだに決着していないといってもよいその議論は

とりもなおさず生命とは何かということの定義あるいは自己複製へのイデオロギー確信

ついての実在論的なアプローチ歴史でもあります

世界中科学者研究者がこの人類に残された究極にして最後の謎、

洞窟の奥底にひたすら隠し通されてきた輝くべき聖杯を目指して

暗い闇の中を手探り状態で開拓しはじめたのが今から70年程まえです

話は少し長くなりますがやはりこの辺りから始めることにしま

一見、簡単に見える真実こそ証明するのが難しいものです

34 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 22:25:11

今 私の手元には一つの論文があります

著者はサイモンプライマー、題名が「断片の創造性にかかる自己複製への影響の解釈」という

当時まだまったくの無名だった生物化学者が記したものです

この科学論文が英国科学研究機構に提出されたのが今から71年前のこと、

当時この論文にはさほど科学的に重大な発見が記されているとは思われていませんでした

そこに書かれていたのは、自己複製の連続性つまり人類生命誕生における

遺伝子決定に関してたんぱく質が影響をおよぼす断片的な創造性の思想的な解釈でした

それはDNAの2重螺旋構造セントラルドグマとした当時のある種流行とも呼べるテーマでした

この全体としていささかインパクトにかける無名の生物学者が書いた論文

たった一行それはあまりにもさりげなくしかし後の科学にとっては非常に重要示唆が挿入され

それをあくまで直感的に解釈するプライマー言葉が短くしるされていました

それが以下、

「  素人童貞>>>>>童貞

 私はこの等式記号がただちにオナニー快感を否定するものではないことを承知するが

  さしあたって風俗での射精との関連についての演算的なゴールであることを定義するものであること

  を証明するための帰納的な一歩であることをここに記す」

でした。

ここに風俗オナニーに関する科学史の始まりとそして同時に終末が同時に記されたのです

あるいは当時この示唆はあまりにも大胆な飛躍ととられたのかもしれない。

しかし、このほんの小さな一陣の風の前に

一人の研究者が現れることで科学史は大きなうねりを持ち始めるのでした

37 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 22:41:12

意味はわからいかもしれませんけど、まだ始まったばかりですから

最終的に風俗オナニーよりなぜ気持ち良いのか科学的に証明するところまで

行くのにあと300レスは必要なんだしその頃には分かるんじゃないかと思います

38 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/08(金) 23:00:36

ごめん終わらせちゃっていい?

挿入の快感オナニーはないから、でFA

39 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 23:05:39

天才だなお前

46 :31:2008/08/08(金) 23:30:56

ちょっと待ってくれ。

確かに俺は科学的に証明することを求めた。

それはあくまでスレットのタイトルである

素人童貞が聴く音楽」をユニタリ同値的な公理

演算するためだ。人間オスが射精に至るまでの

線形方程式、例えばハミルトン方程式のようなもの

証明できれば、精子時間依存であり、勃起ベクトル

時間発展しないことの証明になると考えたからだ。

&gt;&gt;37がやろうとしていることは生命科学だよな。

まり精子たんぱく質合成から始まって、

大脳辺縁系の性中枢にあるA10神経が駆動してから

勃起射精に至るまでを、DNAのふるまいで解読

しようというわけか?それを300レスで?不可能だろ、常考

おまえがやろうとしているのは疑似科学だ。

風俗オナニーより気持ちがいいという公理

捏造することもできない。

せいぜい南京大虐殺のような物語を書くぐらいか

47 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 23:58:58

&gt;&gt;46

君が&gt;&gt;31で設問したんだよ

風俗オナニーよりなぜ気持ち良いのか、

科学的に証明しろ。

>但し、射精する時の感覚絶対値と仮定する。

僕はそれを証明しようとしてるだけだし

それを疑似科学だとか言うならそもそも君の設問がナンセンスだってことになるよ

それに僕はオナニーでの射精から得られた精液から得られた微量のゲノムDNAサンプルと

風俗での射精から得られた精液から得られたゲノムDNAサンプルのRCA解析の結果を2次元下で

モデル化することで余剰次元素粒子標準の不明点は切り離せると考えてるし

あくまで演算的に設問を証明しようとしてるわけだから可視化力学的性質だけで

検出できない微小なプロセス物理的な効果も無視されるのがふつうだ。

君の考えていることとはベクトルがまるっきり逆だと思う

射精メカニズムを解析するのではなく射精された精液に含まれるDNAのふるまいによる

観察結果がおのずと回答を導くんだ。だから300レスで十分に証明可能なんじゃないか

48 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/09(土) 00:07:58

間違えたPCRでの解析だ。RCAじゃヒッグス機構階層性問題の内部対称性が示せない。

超対称性を取り入れた標準モデル拡張性の大きな強みは、粒子とスーパーパートナー

双方から仮想の寄与があるとき超対称性によって仮想フェルミオンと仮想ボソンそれぞれの量子補正

実現できるてことになるから。とにかくRCAじゃなくてPCRでの解析を比較します。

49 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/09(土) 00:24:32

読んでて頭が割れそうだ。

2011-07-24

タイトルは読んだ人が好きなように付けてください)

追記3  

記事タイトルしました。タイトルが付けられないくらいぐちゃぐちゃの記事なのでこれから読む人は気をつけてください。

追記2 

記事のタイトルがまたミスリーディングになっているようです。こういうタイトルにしたらいいんじゃない?って案があればはてブ等でご指摘ください。

「これは主婦だけの問題じゃない」という毒にも薬にもならないコメントより100倍ありがたいです

追記1

タイトル変えました。自分で読んでも分かりにくい文章だと思うので、言いたかった部分を太字にしました。もうそこだけ読んでくれればいいです




まだネットでは目立たないが、wakabafukadaクラスの人は井戸端会議をうろついていれば山のようにいる。

私は中学生くらいまでイヤイヤ母親に引き回され、置物のようにして主婦の会話を横で聞かされていた。

狭いクラスタで、知識といえばテレビから与えられた物くらいしかない主婦が集まってする会話というのはきくに耐えないものがある。

身内には気持ち悪いくらいに気を使う一方、それ以外に対する配慮は全く無く、常に誰かの悪口や秘密話で盛り上がる。

夫に対する悪口などで収まるものではない、誰それに対する差別的発言など日常茶飯事であった。

ある時主婦の一人が習い事をはじめたり仕事を始めたりしてその集まりへの参加が悪くなると、あることないこといって人格をズタズタに切り裂く。

もっとひどいのが宗教法人みたいなところにいった主婦に関しては、その人だけでなくそ子供の悪口まで平気でいう。そんな最低の時間だった。

彼女たちは、そういう会話を嬉々として繰り返す。全く悪気がない。

「他者を情報化して消費する」感覚において、「情報化された現実自分にとって重要現実の区別がつかないこと」にかけては、主婦はそれこそ二次元好きな人ですら全く太刀打ち出来ないくらいひどい。常時現実だと思って夢を見ているようなものだ。

二次元好きな人がどういうものかよくわからないけど多分主婦の方がひどいと思ってる




そうやって普段から現実の他者を情報として消費してばかりいるサークルの中で暮らしているとどうなるか。自分のことを語れなくなってくる。

からしたら子供を産んで育てているというだけで世界に向かって胸を張れるほどすごい大事業なのだが、主婦の集まりになると、それが「当たり前」になってしまう。

から子育てという大事業に取り組んでいてもそれを自慢できない。

むしろ何か問題があるとすぐに他の主婦情報共有され話のタネにされてしまう。いや、問題じゃなくても少しでも変わったことがあるとすぐ変な話にもっていかれてしまう。

おそらくだが、私を主婦の集まりの場に連れてきていた母は、私たちがいない場ではいろいろ悪口を言われていただろう。そのことを母も察していただろう。

それでムキになってなおさら私を連れ回していたのだろう。私はそれが嫌で嫌で仕方なかった。

小心者で、無知で、自分の中にはなんら人を引きつける要素がない(と思い込んでいる)人間を狭いサークルに放りこむと、無邪気に他人を傷つけるようになるようだ。そういう形でしかコミュニケーションが取れない、そのくらいしか「話題」がないのだから仕方がない。




少し話はそれるけど、

母もいつも家ではあの集団のことがいやダイヤだと文句ばかり言っていたが、それでも「家を守るためにはあそこに行かなければいけない」と言っていた。

私が中学から高校くらいのころ、私の周りの女の子たちは

自分を守ってくれる男ができるまでは、どれだけクソみたいだろうが、女の集団の中から弾かれてはいけない。

 ここから弾かれたら生きていけない。いつかいい男をみつけてこのクソみたいな環境を抜けだすんだ」みたいなことを言ってたけど

残念ながら、うちの場合結婚しても夫が地域の付き合いで妻を守るということはないのだ。

むしろ、うちの父は、お母さんに大して積極的に地域で顔をつなぐことよう求めてた。

うちでは母が父を守っていた。それでいて父は偉そうに「俺が家族を食わせてやってるんだ」みたいな顔をしていた。

女にとってのクソみたいな環境は、彼氏が出来ても、結婚してもまだ続くのだな、と

私は中学の時にはすでに諦め状態のようなものになってしまたから、あんまり男に幻想抱かなくなった。

あの気持ち悪い空間は、誰にも守ってもらえないとかほかに居場所がない主婦が寄り集まって、

お互い命がけで相互に安全保障をする組合みたいなものなのかもしれない。

といっても、敵はその組合の仲間たちであり、夫の無理解であるわけで、何が何だかよくわからない。





まぁとにかく、歪んだ場所で歪んだことをしていれば、発言もだんだん歪んでくる。これは主婦だけに限らない。それこそオタクだって腐女だってAKBファンだって右翼の人だって同じだと思う。もちろん最低限の良識がある人たちは、これは「とじた空間からこそ」ということはよく理解しており、外で同じことをやろうとは思わないだろう。

外で発言する時は、多少抑える。やるとしてもせめて2ちゃんねる増田などの匿名掲示板でやる。

twitterで、まして外側の人間に@を飛ばしながら同じことをやるというのは常軌を逸している。

 ※私的にはwakabafukadaが批判されるなら、オタクの気持ち悪い言動も批判されるべきだと思う。

  彼女の発言が一定の支持を得るのは、やはりオタクたちが自由に振舞過ぎるという側面があるのではないか


私の経験からすると、おそらくwakabafukadaは、発言内容を見るに現実においては卑小な存在であろう。

おそらく地元コミュニティを牛耳れるようなタイプでもない。

主婦の集まりが愚かなものに見えても、やはりそこでトップを取るような人は頭をつかう人だし、

なにかしら「その人なりにすごいもの」を持っているものだ。wakabafukadaにはそれが全くない。

この人のように感情的に思ったことを書くだけの人は、現実人間関係においては力を持ち得ない。

むしろ、この人は隅っこでこそこそ他人の意見同調して、帰ってから夫に文句をいうけど相手にされてないみたいなタイプだ。

そういう人がネット感情を発散したらお友達ができたみたいな流れがありありと想像できる。

例えるなら、女子中学生がボッチをこじらせて中二病妄想に逃げ込んでいたら、

ある時自分を慕ってくれる後輩ができて孤独から解放され、「体が軽い。もう何も怖くない」とラリってる状態。

こういうタイプ人間がどうなるかというのはある程度先が見えている。

それこそ飲酒運転カンニングツイートした大学生と同じで、場を意識して行動する知恵がない人はどこかで消える。

私に直接かかわりを持たない限り、どこかできえるカノジョには興味を持ち得ない。






主婦って今まであんまり相手にされてこなかったと思うけど、生の姿は愚かで怖い。

でも、それって主婦責任だろうか。

社会主婦に主体的な判断を求めたことがあっただろうか。

都合がいいからといって出来る限り彼女たちを無知のままに止めようとし続けて、

貴方達はお客様ですよ、偉いですよ、アホでもいいんですよ。むしろアホのほうがいいんですよ。

と言い続けた結果、彼女たちの発言力が本当に強くなって、操りきれなくなったら

女はアホだ、危険だ、モンペだ、などと批判するのは卑怯じゃないだろうか。

「国が正しい情報をよこさないか代替医療に走ってしまうのもしょうがない」と発言する主婦がいる。

自分の生活に対するクリティカルな問題にすら何者かに依存しなければ自分では何一つ考えられないのだ。

そこまで国やら男やらを信じて素直についてきた彼女たちに、国やら男達は何をしてくれただろうか。

いや、そもそもなぜ彼らが自分たちのために何かをしてくれると今まで信じていられたのか。

私はもうこの国にも男にもあんまり期待できない。主婦の皆さんも、いい加減いつまでもバカなままで許される時代はとっくに終わっていることを認識して欲しい







追記2の続き

本当に文章下手で申し訳ありません。

こういうのは育った環境によるんだろうね。あなたの周囲はそういう人だらけだったんだろうけど、世の中全体がそうな訳ではないよ。

「こう言うのは主婦だけではない」の他にこういう意見をくださる方がたくさんいます

どうして私にそれがわかってないと思われちゃうんだろう・・・。とても残念。

こう言う問題を起こしてしまうのが主婦だけではないってことは文章中でも示していますし、

わたしが書きたかったのは「こういう問題的な発言をする人たちがどういう経緯でそうなってしまうのかというメカニズム」についての私なりの考えです

そういう要素が全くないとは言いませんが、主目的主婦批判ではありませんし、男性や大人批判という訳ではありません。

でもとにかくタイトルとか文章の流れがそういう風になってしまます

むしろ自分が一番良く知っている主婦の観察から「こういう主婦に見られるメカニズム危険から、他でも気をつけよう」という話をしているはずなのに

主婦だけの話じゃないよな」と返されてしまうのは、どれだけ私の文章が下手くそなんだと自分でも悔しいです

あくまで具体例に過ぎないはずの主婦の話が、私のどうでもいい幼少時代とか、個人的な男不信大人嫌いとかが混じって大きくなりすぎたんでしょうか。

正直に言って、最初は「なんでこんな理解するの?」「メインの主張と違う部分にばっかり反応しないで!」などと思っていましたが

自分の言いたいことの焦点に読み手の人を誘導するのは本当に難しいのだということがわかりました。

一方で、数名の方は、私が言いたかったことを拾ってくださっただけでなく、もっと簡潔で分かりやすい表現にしてくださいました。

私もあなたがたのようにすっきりと伝わる表現ができるようにしたいと思います

2011-07-08

アメリカ医療関係の研究機関ポスドクやってるけど、職場の半数以上はクリスチャンだな、そういえば。神が作ったモノを理解したいっていうモチベーション研究の強い動機に結びついているのを感じる。

元々基礎生物学に近い分野で仕事していて、そこから医学に軸足を移すような形で今の仕事にたどり着いた経緯があるのだけれど、医学って症状が改善できれば正義みたいな部分が強いなあと、分かりやすい説明を発見したものが勝ちというか、メカニズムの説明は割合と雑だなと、サイエンスとは別もんとして扱ってもよさそうだよなあと、折々に感じる。

植物がどうやって子孫を残しているのか知らなかったり、この世に存在する木々は全部接ぎ木で増えたもんだと思っていたり、カロリー計算をしない減量(リンゴダイエットみたいなやつ)に勤しんでいたり、そんな人達でも「ヒトの病気」に的を絞った研究であれば、優れた仕事を進めて行くことができる世界でもあって、研究なりサイエンスなりを理解している必要はあるけれど、意外と社会的非常識でも問題なく世の中回っているし、ピンポイントの知識でも世の中に貢献できる仕事ができるんだなと、それくらいの気分で受け止めてる。

2011-06-21

奨学金制度

奨学金の条件「社会貢献活動への参加」追加へ

文部科学省は、国費を財源とする無利子奨学金の貸与を大学生らが受ける際の条件について、成績や世帯収入に加え新たに「社会貢献活動への参加」を追加する方針を固めた。

税金が入った無利子奨学金を受ける際の基準に社会貢献活動が追加されるというニュースだ。ツッコミどころがありすぎて何から始めたらいいかからない程のダメさ加減だが三点ほど。

名称おかし

まずは、何度も指摘しているが、「奨学金」という言葉遣いだ。無利子奨学金というのはあくまで貸与であって、政府の補助は「無利子」の部分でしかない。はっきり教育ローンと呼ぶべきだ。

目的に対して手段がおかし

次に、この政策はその目的を果たすと思えない。

同省は、公費で学ぶ学生社会還元意識根付かせたいとしている。

どうも希望現実が混同されているようだ。社会貢献活動を義務付けると社会還元意識が芽生えるというメカニズムを教えて欲しい。税金を払わせると寄付の心が芽生えるだろうか。

目的自体がおかし

また、目的を達成するかどうか以前にその目的の設定に問題がある。奨学金教育ローンの政策目的社会的に望ましい(教育投資に対して、補助金流動性提供することだ。決して「社会還元意識根付かせる」ことではない。条件・義務を増やすことはこの本来の目的に反するし、二つの目的があるとそれが達成されているかを測定するのも難しくなる。

ちなみにこのように一つの政策で複数の目的を達成しようという試みは、しばしばやりたいことがあるにも関わらず他人を説得できる策が思いつかないときに行われる。この場合であれば、「社会貢献活動を増やす」という目的があるのに、それを達成する有効な策がないために教育ローンという入れ物を利用している(どっかの外郭団体無料ボランティアをほしがっているのだろうか?)。

社会貢献活動がそんなに重要なら、兵役のように全国民に義務付けてしまうこともできる(みんなが社会還元意識をもったほうがいいだろう)。それをしないのはそれだと支持を得られないからで、かわりに立場の弱い教育ローン受給者だけに絞ったのだろう。

最期に一文だけ繰り返し引用する。

成績や世帯収入に加え新たに「社会貢献活動への参加」を追加する方針を固めた

貧しい家庭の出身で一定の成績を修めている人にたった今から(!)社会貢献をしろと言っているようにしか読めない。よくもまあそんなことが言えると思う。

2011-05-24

やおい論はつまらない

男性社会における抑圧がどうこうというが、本質は実はそこにはないのに、なんとか誰かのせいにしようとしてくるからだ。

やおいの正体。なんてことはないそれは女の業である。性という汚らわしくも魅惑的なものをまえに立ちすくみ、でもそこに踏み込みたいという屈折感情が、この世に存在しない架空の種族(男の皮をかぶった女たち)を生み出し、それに感情移入することで責任主体をあいまいにするという仕組みなのである。私はそういうメカニズムを否定するものではない。それは殿方の口にする「萌え」も結局はそれだからだ。ただ、そういう屈折感はやはり自らのなかからうまれてきたものだ。それをジェンダーだのなんだのとひとのせいにしてはいけない。

2011-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20110510173539

地震発生のメカニズムが、エネルギー蓄積に伴ってずっと線形右肩上がりに発生率が高まると仮定するか、一定のエネルギーが溜まるまでは発生せずボーダー超えたら一気に発生率跳ね上がって以降ほぼ一定確率ランダムに発生すると仮定するかによって違ってくる。30年で87%ってのは後者で仮定されてる。

http://anond.hatelabo.jp/20110510122031

つか数字以前に根本的に間違ってるよな。

1000年以内に起こる可能はまあ99.99%くらいかな。おうすげ、竹中算で単純計算すると30年以内に起こる可能性は限りなくゼロだな、もうずっと放置しようぜ。そういうことを言っていることになる。よく統計命な経済教授とかやってられる……

東海地震歴史的に100年~150年で周期的に起こるとされている。全部がはっきりと文書で記録が残っているのは室町時代以降だが早くて102年遅くて147年で起こっている。ところが前回の東海地震から既に157年も経ってるんだわ。30年以内にってのは要するに「190年も待ってくれるとは思えん……」ということであって、その30年のうちいつ起こる可能性が最も高いかと言われたら当然近々に起こる可能性の方が高いのよ。

もっと怖いのはM9東北地方太平洋沖地震東海地震に影響を与えていないかが分からないこと。調べようがないからね。

元々一般には遠距離の震源には影響しないというのが定説だった。東海・東南海南海くらいの距離感ならしばしば同時発動したりそうでなくても2~3年くらいの間に立て続けに起こることは多いんだが、宮城くらい離れていれば大丈夫だろうと当初は考えていた。ところが実際に大震災後の1ヶ月ほどの間に遠隔地の地震が大量に発生し、そのうちの一つはプレート型ではないにしろまさしく静岡で起こっちゃった。富士山で起こった奴ね。てかよくよく考えるとここまで桁違いの大地震にとって近距離遠距離のどの程度よって話になるわけで、もし東海地震が誘発の射程範囲内に収まっていたりしたら3年以内に東海地震も誘発されることになる。最も危険だったのは震災直後の1ヶ月で静岡に来た断層型の地震の代わりに東海地震が来ていても本当におかしくなかった。

誘発のメカニズムはいまだに良く分かっていないので誘発するかもということ自体が杞憂可能ももちろんある。富士山地震たまたま偶然タイミングが近かっただけかもしれない。でももし誘発があるならこの先3年くらいは本当に危ない。俺が損保会社なら3年以内の東海地震発生率は20~30%を見込んで引き当てておくね。

2011-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20110319193339

一時的に私有財産制の原則を停止する、当然資本主義の原則もかなり無視する、ということまで踏み込んだ話なら、別におかしな意見はないですよ。

(もっとも内容次第では、憲法違反になりかねませんが・・・)


ただ実行面では問題だらけです

原状回復を行うにせよ、何が「原状」だったのか、国は家一軒一軒レベル情報を持っていません。

・どこまで回復を行うのか、線ひきが難しすぎる。どんな線引きもある程度不公平で、どう決めてもそれが軋轢を生む。

・これまでの被災地との不平等をどう考えるのか?

・そんな大規模な復旧活動を行うにあたって、その計画を立案・実施できるだけの人的/組織リソースを、国/自治体は持たない。

・基本をマーケットメカニズム運用してきたのに、計画経済的なやり方で復旧計画を遂行するなんて無駄だらけになるのがわかりきっている

・そもそも私有財産まで含めた補償をするお金なんて全く無い。

上手く行きそうに無い理由はいくらでも思いつきます


もし「一時的に私有財産制の原則を停止する、当然資本主義の原則もかなり無視しても、復興を早めたい」というなら、

「公主導で私有財産を含めたあらゆる財を再建する」ことより「被災者全員に一律○千万円配る」なんかの方がまだ有効でしょう。

被災地にいけば金と需要がある」となれば、人や技術は計画なんかなくてもすっ飛んで集まって来るものです。まあ、配られた金を

全額ギャンブルですっちゃう、なんて人も出るかもしれませんが、それでもまだ公主導の計画なんかよりずっと効率的なはずです

2011-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20110228203918

そりゃ認識を異にするな。科学ってのは論理的に証明出来てこそ科学と呼べると思う。

例えば鍼や灸。このツボは冷え性に効くなんてのは実際に効果があるらしい。愛用者も多いしあながちデタラメとも言いきれない。

100回やって98回くらいは効能があるだろう。だからこそ今でも続いている。

けどどうしてそこを刺激すると効果があるのかシステム論理的に説明出来ない。だから科学と呼べない。実際にも呼ばれてない。

オレが全能と指したのは「全てが論理的に証明出来る」と思ってるだろう部分で、そもそもの反論が「科学メカニズムを用いて証左せよ、でなければ誤りだ」だから、全ての事柄に於いて科学的手法を用いて証明は出来ない。出来ると思ってしまうのは「全てが論理的に証明出来る」と思い込んでるからで、それは科学への全能感でそして大きな間違いだろうという指摘。

2011-02-22

ABとまどマギってほとんど同じ話じゃね?

多分どっちも世界脱出系だと思うし、設定だけじゃなく展開もほとんど同じような気がする。

主人公が心臓あげて救ったと同等の位置にいるのがほむらってのも構図がまんまだし

死を保留されて納得したら(ややショッキングな方法ではあるが)成仏してしまう点も同じ。

違うのは、ループシステム構造独立しているか、それに主人公が組み込まれちゃってるかって所くらいじゃない?

で、多分それ見てる人にとっては少なくとも今のところはそれほど重要じゃないはず。

にもかかわらずABをボッコボコに叩いてた奴が、ほとんど同じ構造まどマギをべた褒めしてるのって不思議

演出力って大事だなーと思う。

ただ、現状まどマギQBさんに依存しすぎていて、この先同じだけの牽引力を発揮できるのかはかなり不安



QB黒幕でないのは間違いないと思う。

どっちかというとアレは対話できる環境システムとかチュートリアルたいなもんで

ラスボスになれるような存在だとは思えない。

マラソンでいえばペースメーカ程度の役割だろう。13話を走り切る際の方向やスピードを決定する役目。

もう少し正確に言えばABでいうゆりっぺたいミスリードするのが役割って言ったほうが正しいか。

ABでさえ当時ゆりっぺハルヒたい能力を持ってるみたいミスリードがうまくいってたか

今「魔法少女 VS QB」って物語構造を誤解している人が多いのも頷ける。




比較すると、ABのゆりっぺは説明が不自然かつ主人公(というか視聴者)置き去りにしまくっており

それをごまかすために痛いお笑い部分を大量に必要としたことと比べると、

QBさんは仲間か敵かを明確にしていないし、自ら語るのではなく具体的な惨劇を解説するという形で設定を説明していく形なので

ペースメーカーとしてもミスリード役としてもよく出来ていると思うけれど、こいつほんとに敵じゃあないだろ多分。

個人的には池上さんをマスコットしたらこんな感じじゃないかなと思うのだがどうか。

また、ABはチーム全体を描写しようとして個々がぼやけてしまったのに対して

まどマギはマミ→さやか杏子と個人のエピソードをどんどん乗り換えていくのでテンポがよくて宜しい



と、ここまではとてもテンポよく進んでるまどマギだけれど、7話以降どうするんだろ。

まどマギは「QBに頼りすぎた結果がこれだよ!」になりそうだ。

もうQBさん持ちネタがあと「なんでまどかポテンシャル知ってるの」の1つだけっぽいからこれ以上の牽引力は期待しにくい。

QB魔女メカニズムを知ってたり、その大本を立つ手段を知っていれば話は別だけれどこの作品の魔女システム彼女たちがどうにか出来るものじゃないだろうしな。

かといってさやかとか杏子を首ちょんぱしても新鮮味にかける。

ABで岩沢退場した後次の退場者を出す必要がなかったように、可能性さえ示唆すればそれでいいわけから

むしろ終盤までは殺さないほうが使いでがあって良い。




話変わるがまどかマギカの最大の功績は版権絵で嘘をついてもいいという前例を作ったことではないか

他にも例が会ったのかもしれないけど、私はこの作品ほど露骨に詐欺ったものは知らない。

まどかほむらが弓をともに手に携えてる絵とか、あれも信用できない。

最後に二人が共同で戦えるような立派な敵がいるということはありえないと思ってる。(ワルプルギス云々は多分ミスリード

そんな奴がいてくれるならこの物語には救いがあるが、それがないか絶望するのだと。

そう考えたら、あの絵も詐欺なんだろうな。




ブクマで歌月のパクりだよ説提示してもらったけど、それは前に書いたけど廃棄した案なので却下

影響があるのは認めるけど歌月からは明らかに分岐した要素がある。ABからはそれが見受けられないというのが私の主張。

http://anond.hatelabo.jp/20110222214545

2011-02-06

結局オンチって耳なの声なの?

僕は超がつくほどの音痴だ。


中学生の頃、一人ずつ順番に前に出てドレミファみたな発声練習をさせられるんだけど

いつも僕の番でつまづいて、みんながクスクス笑っててすごく恥ずかしかった。

きな子の前で何度も何度もやり直しさせられて惨めだった。

音楽室でいつも居残りさせられてて悲しかった。


いで社会人になると接待忘年会なんかでカラオケなんかも連れて行かれたりして

「よし、まず増田おまえなんか入れろ」

たいな流れになったりするんだけど、それが嫌でいつも1次会で逃げてた。


音楽は好きなんだ。

歌う事もほんとは好きだ。

もっと大きな声で歌いたい

いで、あわよくばみんなに「うまいね」って言われたい

鼻歌でも音痴なんだねwww」なんてできれば言われたくない。

昔は一つだけ願いが叶うなら「歌を上手にしたい」ってお願いするって本気で思ってた。

今はくだんないと思うけどね。

でもアウトプットが出来ないってもどかしい


不思議なんだけど音痴メカニズムってなんなの?

耳(インプット)に入ってくる音が、正確に聞き取れてないか音痴なの?

声?喉?声域?声量?(アウトプット)がダメから音痴になるの?

色盲画家は?すごいヒトも沢山いるね。

確かベートーベン難聴だったんだっけ?

ちょっと歌と話がずれちゃったけど、SMAP中居さんているよね。

彼はもう20年近く歌を歌ってきて、練習も常人じゃ考えられないくらいしてると思うの。

でもあのレベルなんだよ。いや僕からしたら旨いけどね。でも言いたい事わかるでしょ?


自分が歌ってる時、音ずれてんなーとかわかってるつもり。

バックリ言うと僕は芸術関係の学校に進学したんだけど、そこで学んだことは

絵の上手なヒトと下手なヒトは見えてる情報が圧倒的に違うってこと。

同じコンクリート電柱を描いた時に黒と白の絵の具しか使わないヒトと多彩な絵の具を用意するヒトがいる。

音楽を聞いててもちゃんと聞き取れてるつもり。

でもやっぱり違うのかな。

わかんないんだよねぇ。


あとね、最後に同じような悩み抱えてるヒト。

僕が言うのもおこがましいけど気にすんな。

僕はある時から音痴」を気にしなくなった。

いかりや長介さんが言ってた。

「ヒトには笑われていろ」

カラオケで散々今までの鬱憤を晴らすようにダミ声でクソ音痴な歌で精一杯歌ってる。

コソコソする必要ない。

オンチが一発目いきまぁっす!!!」つって自分から歌ってる。

すっげぇきもちいい。

みんな誘ってくれる。上司も「おまえいいなぁ最高だよ」って言ってくれる。

その言葉を嘲笑ととるか本心ととるかは僕次第だ。

ただし、曲のセレクトはいつも明るくて盛り上がって誰でも知ってる、しかもちょっと短い曲を選んでる。

日曜日よりの使者」とか。セレクトさえ間違わなければいい。

歌唱力で売ってる歌手の曲はだめだ。

平井堅さんとかは無理だ歌いたいけどそこは己を知るってことで我慢してる。

それで悩みが消えたわけじゃないけど、とりあえずハッピーだ。


歌も絵もオナニーなんだってやっと最近気がついた。

カラオケなんてその程度だし、その程度の場所しか社会に出たら歌う機会なんてない。

まさかこんな僕に結婚式の余興の話はこないでしょうしね(笑)

2011-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20110203170428

それは自分も知りたい。本人たちにも聞いたけど、分からないって言ってた。

ぼくは、詳細なメカニズムはともかく、

基本的には、共産党の影響だという仮説を信じている。

というのも、台湾香港出身者が、

その類型に当てはまらないから。

阿Q正伝に描かていた中国人ダメダメだっとしても、

その後の90年で変わる場合もあれば、

変わらない場合もあるのではないかと…。

ただ、ぼくの観察には、「留学バイアス」が入っているので、

本当のところは分からない。

つまり、大陸における留学生のセレクションプロセスと、

台湾香港における留学生のセレクションプロセスは違うので、

それがぼくの観察に影響を与えている可能性を否定できない。

一応言っておくと、

自分中国通でもないし、専門も国際政治とは何も関係ない。

仕事旅行中国に行ったことがあるという程度。

そんな自分が見聞きしたことのちょっとした記録です

しい分析は、専門の方にお願いしたいと思っています。

- 転職ならen
- 派遣ならen
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