2014-04-25

好きになってはいけない

この季節、満開になった桜とともに、俺にはたまらなく嬉しい事がもう一つある。

今年も新人が入ってきた。

会社に新しいメンバーが増えるのは、独特の喜びがある。

子供の頃に大好きで、もうとっくの昔に連載が終了したマンガ。大人になってふと本屋に立ち寄ると、そのスピンオフとか続編だとかが発行されていることに気がついた、そんな感じに似ている喜びだ。

今年は新人のうち一人に、俺が直接仕事を教えることになった。

院卒の彼女は非常に優秀で、専門知識も豊富で、才能もある。

何より、動きづらそうなス―ツで固めた彼女の目には、仕事への熱意があふれていた。

教育時間になると、俺のオフィス彼女がやってくる。

そんな様を見て、ベテラン社員のオバちゃんは俺をひやかした。「念願の秘書が出来ましたね(笑)」。

諸君に紹介しよう。俺の秘書彼女は、蒼井そらを地味にしたような印象の女の子だ。

理系常識にもれず口下手な蒼井そらは、会話の冒頭を必ず「あ」から始める。

俺「この関数計算量はわかるよね?」「あ、まず、はじめのアルゴリズムのオーダーがlogNですから…」みたいに。

そして緊張すると、1オクターブ声が高くなる。

俺「うん。よく出来たね。ところでお昼ごはんどうする?」「あ⤴、今日はお弁当用意してきてないです。」

はじめの時はガチガチに緊張していたが(お互い)、近頃、肩の力が抜けてきたのか、笑顔が見られるようになった。

彼女八重歯を見せて、屈託なく笑う。

あかん

俺の頭に警告ランプが灯る。beep音が鳴り響く。

参った。いい年してこんな気持ちになるなんて、思っても見なかった。

この歳まで仕事一筋で生きてきた俺。

でも、まさか社員に手を出す訳にはいかない。

から、俺のディスプレイを覗きこんだ彼女香水が昨日と違うことに気づいても、

(フ、俺にとって社員目的達成のためのコマに過ぎない。会社の成長とユーザー笑顔こそが、俺の全てだ。)と頭のなかで唱えてやり過ごし、

俺のコンビニ弁当野菜が少ないのを見越した彼女が、手持ちの手作り弁当からトマトをひょいと寄越して「あ、私、実はトマト苦手なんです。母に食べろって言われてるのでしかたなく入れてるんです」と言ってニッコリ笑った時も、

「うん、それなら貰うよ。ありがとう」(全ての親はいだって自分の子どもを心配しているものである。これは子孫繁栄のために全ての動物に見られる特徴である)などと念じ、

議論が白熱して夜遅くなって、車で送ろう、と言った時も、

「あ⤴、まだ終電ギリギリ間に合います陸上部だったんで、足には自信があるんです、ダイジョブですよ」って固辞した時も、

(車を使うと地球温暖化を推し進める怖れがあるからな。賢明な判断じゃないか。だから俺が特別嫌われてるわけではない。嫌われているわけではない。嫌われているわけではない…)

などと呟いて事なきを得た。

でも歯車が致命的にズレて、万が一にも、彼女と交際して、最悪、結婚する、という事態になったら、目も当てられないことになる。

社員を招いて結婚パーティーを開かなくちゃならないし、取引先にも知れてしまうかもしれない。

悪いうわさが立つかもしれない。「あー、あそこの会社社長蒼井そら似の新人に手を出したんですってよー」。ぐうの音も出ない。

会議で司会進行役の社員が、「以上です。『パワハラ』さんはなにかご意見ありますか? アッ」などと、呼び名を間違ってしまうかもしれない。

それだけは避けたい。

から駄目だ。手を出しちゃ駄目だ。

明日彼女は俺のそばに来る。それは避けようのない事態だ(いや、無理言えば避けられるけども)。

ギリギリラインがよくわからない。

彼氏いるかどうかを聞くくらいはセーフなんだろうか。

土日を一緒に過ごすのはアウトか。

食事くらいはいいのか。でもそれで我慢できるのか。全てが未知の領域だ。真っ暗闇のなか目隠しをされて歩く。吹き上げてくる風を感じる。両脇は崖だ。

ああ。

こんな気持になったのは小学生以来かもしれない。

放課後教室、誰もいなくなった教室に、隣の席に座っていた長い髪の女の子を呼び出して告白したとき以来だ。春の風が窓から入りこんで、彼女の髪が揺れる。ニッコリと微笑む。そして言う。『NO』。

俺はモテナイ。俺はモテナイ。かの事件以来、オイラーの公式以上にシンプル事実は、俺の心の碑文に深く刻み込まれていた。wikipediaで調べたところによると、およそ1500年前に気の利いたインド人が、どんな数も割れない数『0』を生み出したそうだが、そんな彼も、1500年後にとある日本人(俺)がモテナイ、ってことには気が付かなかったと思う。同じくwikipediaで今調べたところによると『-1』のルートをとった数に『虚数』という意味が与えられたのはおよそ500年前だそうだが、俺は500年たってもモテナイ以上の意味を持つことはないだろう。

別に上手くないな。

…とにかく俺は、逃げた。

勉強に逃げた。中学生になってからプログラミングに逃げた。

コミュニケーション能力を磨くとか、目の前の人間をちゃんと向き合う、といった人間として必要努力背中を向けたクズに成り下がった。

一般的視点で見て、ネジ曲がった青春を送ったと思う。

マフラーで結ばれた同学年の男女が公園のベンチで自販機スープをすすっている時に、俺は、

ろくに暖房も効かない部室で、部費で買ってもらった貴重なコンピュータモニタを、同志たちと肩を寄せあって睨みつけていた。

恋愛映画を見ている恋人が、映画が終わった後、ホテルで相手の服を脱がすその手順を考えている時に、俺は、

メモリの限られた計算機上で、いかに効率的破綻なくプログラムを組み上げるかに没頭していた。

そうだ。誰に否定されても、変わらない事実がもう一つあった。

俺は、プログラミングが好きだ。

俺の心の碑文の裏には、それがきっと刻まれている。

無意識のうちに好きになったプログラミングを嫌いになるなんて、絶対に出きっこない。

いや、人間、一度好きになった対象を嫌いになるなんて、不自然なことができるわけ無いのだ。

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