はてなキーワード: 各部とは
いい区切りだったので乱文になるけど吐き出させてほしい
8年ほど前、まだ20代後半だった自分が今の会社に中途採用された際に同時入社の同期が1人いた
自分とは歳の離れた40代後半であった同期である彼こそが後に、時限爆弾を仕掛ける人物である
入社した会社はその時期に基幹システムの刷新を考えていたらしく
その募集でシステム部として採用されたのが自分とその同期であった
当時のシステム部の社員は2名体制で1人が60代で定年間近の上司A、もう一人は50代の上司B
2人でなんとか基幹システムの維持だけを行っている状態であった
会社としては基幹システムの刷新以外にも社員の世代交代を徐々に行っていくための採用だったと入社直後に言われた記憶がある
60代の上司A、50代の上司B、40代の同期、そして20代の自分
確かにそのまま行けば年齢層は順調に推移して、10年単位で20代を採用することを繰り返せばいい感じにも思えた
入社してからの仕事としては60代上司Aの定年退職が控えているため、まずは稼働中の基幹システムの仕様理解に日々の業務の引継ぎ
そんな多忙な業務をこなすなか同期と話すうちに彼の人柄が徐々にわかってきた
箇条書きでまとめるとこんな感じだったと思う
・今の会社に採用される前、同じような職を転々として現在8社目であること
・受託システム開発ばかりやっていたが、そろそろゆっくり仕事ができる社内SEでまったり過ごしたいこと
・年齢と経歴の割にプログラムが雑なこと(※これは自分視点だがそう的外れではないと思う
また、今の会社に対してのスタンスや不満が溜まってきていることも伝わってきた
・システムを作る自分たちのチームが上で、運用するチームを下だと見下していること
・その運用チームから稼働テストの際にミスを指摘されると不機嫌になること
中々怪しい気配が漂ってきたと当時の自分は思った
残業に関しては、毎日という程ではないが20時頃までは働いていたと思う、遅くても21時までだったはずだ
ただこれはシステムの刷新が終わるまでという明確なゴールがあったのでそれまでは申し訳ないが対応してほしいと事前に説明があったし残業代もきっちり出ていた
自分は前職が完全にブラックで終電帰り、残業代なしが当たり前という環境もあったため特に問題なく仕事ができていたが同期はかなりストレスだったようだ
給料については会社の方針として勤続給ではなく年齢給であったため同時入社であるものの同期は自分よりかなり貰っていたはずであるが、それでも不満だったようだ
トラブルといってもただ上司Bが打ち合わせ中の同期の態度について不真面目だと切れて説教したのだ
この上司Bと同期の彼は相性が悪いようで度々小さな衝突はあったが上司Bが声を荒げて説教するのは始めてのことであった。
しかしこのことがきっかけで上司Bは同期に対して我慢がきかなくなったのかこの後もおよそ2ヶ月に1度のペースで業務のミスといったことから朝に挨拶をしなかったといった細かいことまで説教は続いた
この状態に嫌気が差した同期はある時を境にプライベートの予定があるからと基本残業はしなくなった
たまにどうしても必要がある際は業務命令という形で残業を依頼していたが、それでも19時くらいまでであった
しかし同期はそれもかなり不満だったらしく
残業した日は会社の最寄り駅と会社の間にあるビジネスホテルに泊まり
翌朝、ホテルの前を出勤中の社長や役員の前を偶然を装ってチェックアウトして遭遇し上司Bが無茶な残業を強要するせいでホテルに泊まる羽目になったとアピールするということもあったという
そのため、ちょくちょくシステム部にたいして過度な残業に関する指導が入っていたと後に上司Aから聞いたことがある
そして入社からおよそ3年が過ぎ、なんとか新システムも完成に近づいた時
しかしこの時は同期も相当機嫌が悪かったのか、それとも今まで積もり積もったストレスが限界だったのか、もしくは両方か分からないが
上司Bも同期もお互いに売り言葉に買い言葉で収集が付かず、上司Bが一旦頭を冷やすといって席を離れた際に同期はPCを少しいじると私物をまとめ無断で早退として帰っていった
なおこの時、上司Aは有給で休み、自分は電話応対中であったため止める者がおらず気がついたら終わっていたといっていいスピード感だった
そして同期は翌日、人事部に退職すると電話するとその後出社することはなかった
新システムの作成中データを取り出すために起動したがそれ以降はそのまま一度も起動することなく放置という状態であった
上司Bは撤去したい様子ではあったが、ある役員から戻って来るかもしれないからとりあえずそのままにしておくようにと指示があったので触れることもしなかった
その後、同期の担当分を自分が引継ぎ新システムの作成にとりかかるが彼の担当していた機能はなんとなく察してはいたが、かなり雑な作りな上
運用部門の要望をまったく聞かなかったため、とてもリリースできる状態でないことが発覚
改めて要望に沿った形で修正をする方針で進めると彼が作成したコードで残った部分は30%も残らなかった、ほとんど作り直しと言っていいレベルだ
そのときには定年から雇用延長となっていた上司Aは区切りがついたと退職
会社の業績もあまり安定しない時期でもあったため追加人員の採用は見送られシステム部は上司Bと自分の2名体制となった
その際に新システム作成が評価されたのと2名体制で苦労をかける事情からか自分は課長に昇進した、4年目のことである
新システムはその後、小さなトラブルはあるものの順調に稼働を続ける
なお小さなトラブルの大半は同期の彼が作った部分が関わっていることが多く
その度に彼が作ったコードは修正され、今では機能の殆どに彼のコードは残っていない
残っているのはせいぜい彼が名付けた関数名や変数名くらいである、中身はもう別物だ
そして6年目のある日、上司Bが突然亡くなった
腹痛を訴え病院へ、で即入院してそのまま復帰することなくという形だ
癌だったらしい
その時の会社の上層部はかなり大慌てであったらしいがシステム部としては正直あまり変わりがなかった
というのも新システムを作る際に運用部門の要望をほぼ取り込んだ結果
システム部の基幹システムに関する仕事はほとんどなくなったといっていいレベルとなったのだ
しかし周りはそうは思っていないらしく、システム部は1人しかいないのだから極力負担をかけないようにと各部門には通達がいったらしい
しかし実態はあれだけ忙しく残業していた日々が嘘のように毎日定時で帰っても問題ないのだ
同期の彼が望んでいたゆっくり仕事ができる環境がここに完成していた
そんな中、同期のPCを残しておくよう指示を出した役員も退職する時期となり
そこで改めてPCを起動して中をいろいろ確認していったのだが、そこであることに気づく
起動回数は1回限りで未実行、起動予定はかなり過去の日付が指定されており、とっくにその日付は過ぎていた
バッチ処理の内容を詳しく見てみるとPCの全ドライブの消去コマンドが書かれていた
同期の嫌がらせだったらしい
起動予定の日付を良く確認すると彼が退職を連絡した日の翌月が指定されていた
しかし実際は彼が退職した翌日以来、PCを起動した事はないしバッチも動作していない
※今回は不発だったから良いけど実際にやると損賠賠償になるから
このことは報告していないが、業務でバッチ処理に関わる度に同期のことを思い出す
もし彼が残っていたら昇進したのは自分ではなく同期となり、彼の言う満足いく給料を貰えたかもしれない
もし彼が残っていたら上司Bがいなくなりストレスがない職場で彼は働けたかもしれない
もし彼が残っていたら運用部門からの要請はなくなり、残業とは無縁な仕事が出来たかもしれない
いや最後のは無理かな
作ってたコード雑だったし、人の話聞かなかったし
ふと彼のその後が気になって調べてみたことがある
世間話で同期がSNSをやっていると聞いたことがあり検索してみたのだ
アカウントは知らなかったが彼の話していた世間話の内容で検索してみると意外なほど簡単に見つけることができた、アイコンも自身の顔写真にしており間違いないと思われた
また次(の次?)の職場で残業がらみのトラブルを起こした愚痴が書いてあった
うちの会社を退職したときの事は何を書いていたのか過去の在職期間の投稿を見てみると大半は案の定愚痴の羅列が並んでいた
そして、その連続した投稿の中で退職直後の時期に面白い投稿があった
要約するならこうだろうか
社内システム作っている自分に無茶ぶりばかり、データ全部消去して退職してやった
直してくれと謝罪の連絡してももう遅い、既に新しいホワイトな職場でまったり仕事中です
彼の中でうちの会社は有用スキルを持った人間を無能と決めつけ追放したギルドのように写っていたらしい
しかし実際はデータ削除の時限爆弾は不発であったし、仮に成功していても
現在彼の書いたコードはほぼ残っていないから直してくれと依頼することもない
そして彼の新しい職場は現在のSNSの投稿を見るに彼基準ではホワイトな職場ではないと自白をしている始末だ
ところで実際彼に連絡した人がいたのかという話だが
上司Bは既に亡くなっているので分からないが、おそらく連絡はとらなかっただろう
彼が退職の連絡をしてきた後、残っていた有給を消化したくらいのタイミング(大体1か月後)で退職に伴う書類の送付先の確認で何度か電話をしたが繋がることはなかったという
どうやら彼はこの連絡を会社からの謝罪の連絡だと思っていたのかもしれない
逆に、働いて沢山稼がなければ生きていけないという縛りが無駄な仕事を生み出し、無駄な労働で勝手に消耗してるっていう側面も無視できないよ。
みんなが出世競争に明け暮れ、各部署で協力し合うどころか、責任のなすり付け合い。
各々が自分さえ良ければいいと考えていなければ会社では生き残れない。
そのせいで社内で情報共有が進まず、作業の共通化ができず、みんなやってることがバラバラ。
社会に貢献しないような、それをまとめる間接作業が膨れ上がるばっかり。
そんで、Githubでソース眺めてると、どれも綺麗に整頓されてるなって思うけど、
あまりにひどい軍事考証、史実捏造、1950ー1960年あたりのステレオタイプ描写などで
しこたま叩かれたマイケル・ベイの『パールハーバー』って2001年の映画なんですよ
Michael Bay Should Never Have Made ‘Pearl Harbor’
ほんで、彼は当時こう言ったんです
『気取ったインテリ向けに映画を作っていない、大衆には大ウケだ』ってね
まぁ実際、アルマゲドン、タイタニック級のヒットにはならずとも、赤字にはならなかった($449,220,945) わけなんですけど、
ゴールデン・ラズベリー賞に各部門全てノミネートされるわ、当時もネット民に叩かれるわでした
でもこれ、ほぼ四半世紀前のお話なのですわ、2001年の作品だからね
隙あらばアジア系へのヘイトクライムが起こるお国柄(COVID-19然り)、扱っているテーマの重さなど、
『世に与える影響が段違いだろ』はありつつも、
はっきり言って、chatgptとか、github copilotには、直せとだけ言って直るような頭のよさはないぞ
正しいか?なんて聞いても同様。見直し法で多少はましになるが、結局最後は自分が見るしかない
それに、複雑なクエリだと途端に精度が悪くなるからな。注意力の限界値が低すぎるねん
パンピーが簡単なのを扱えるようになるのはそうだろうが、300行近い糞長クエリが動いてるようなところも未だにあるんだぞ(泣きたくなってきた)
そんなの、aiは全部読むことさえ不可能だし、他の処理との整合性だって把握しきれない。各部分の目的を推測するみたいなことが極端に苦手だからなあれは
キングクリムゾンの能力って、発動中に周りの意識が飛ぶならその間行動のとりようもねえだろ。停止するかその場で立てずに崩れ落ちるだけだろ。それとも意識の慣性のようなもので動いてんのか?って不思議に思ってた。
過去は情報でしかないし未来はただ言葉で表されるだけの概念で、この世に存在するのは常に現在だけ。おれはそう思ってるし、それはこの作品においてもそうだと思ってた。
ジョジョの世界においては確定した未来というか運命的なものが存在するという世界観を理解してから、初めてちょっと納得がいった。
というかそれって「眠れる奴隷」に集約されてるように、5部と6部のテーマを理解するにあたって極めて重要な事であると気が付いた。運命は全部決まってるけど、それでもその過程を誠実に生きようというのが話の軸になってる。
でもそれが利他の心である黄金の精神や自分のためなら他人を陥れる事も厭わない吐き気を催す邪悪とどう繋がってくんのかはいまいち分かってない。
「真実に向かおうとする意志」とか「真実から出た誠の行動」とか、多分一般的な意味とは異なるジョジョタームとしての「真実」の言わんとするニュアンスも掴みきれてない。
運命の存在を認めるなら信じるも信じないもなく全部決まってるじゃんと思うけど、ジョジョにおける運命は一直線ではないんだろうか。予め決まった選択肢しかないけど、いつかに枝分かれしたそれを選び取る事は出来る、みたいな感じだろうか。基本的には流れが決まっていて、それと向き合う事が正義であり「真実」に向かおうとする意志。でもスタンドとか使って多少ズルする事は可能で、それを行使する各部ボスは邪悪な存在、みたい事なんだろうか。
運命と向き合う事と、(どちらかと言えば一般的な意味での)真実に向き合おうとする事と、黄金の精神を持つ事はそれぞれ全然別な気がするんだけど、ジョジョを理解していてればそれらが重なり合うんだろうか。
ジョジョの世界観はまだ完全に捉えられてないけど、おれの人生の解釈として似たような事を考えたりする。
物理法則なり化学法則なりが一切の例外なく神様が決めた通りに働くのなら全てはドミノ倒しみたいに必然の連鎖な訳だし、そうなると全ては自然法則の掌の上で踊ってるだけじゃん。そう薄々思いつつ、それでも自由意志というか、脳が生み出す形なき魂の囁きに従って生きているのだと信じたいと思ってる節がある。そんな感じなんだろうか。
でもやっぱ運命の存在を認めてしまうのなら、意志を信じる気持ちも疑念も信念も何もかも全て運命の筋書き通りじゃねえか、結局掌の上じゃねえかって思ってしまう。
メタフィクション作品のキャラが自分は作り物の存在だと気付いたとて、それは結局作者がそう言わせてるパペットに過ぎない。仏陀の掌の上で舞い踊る孫悟空。そんなような感じだ。
理屈でそれを否定出来る気もしないし、した所で幸せに近づけそうな予感もないのでおれは考えるのをやめるようにしてるけど。それすらも運命の筋書き通りだったりしてな……って思ったり思わなかったりするのでやはり蓋をして忘れ去った方が良いように思えてならない。これは真実に向かおうとする気持ちから逃げているんだろうか。でもそれすらも運命の……(無限ループ)ってなるし、こんなん考え続けてたら気が狂うで。
中古戸建の我が家の3階には部屋が2個ある。片方にはベランダがあるのだが、もう片方にはベランダは無く窓が2個ある
将来的には子供の部屋にするのだがベランダの無い部屋のエアコンはどうしようか悩んでいる
前の住民は3階から1階までホース降ろして室外機を置いていてそのカバーも残っている。その場所は家の正面から見て右側の隣家との境目部分、ブロック塀もあり地面に室外機を置くと家の奥には行きにくくなるし何より室外機の前にはブロック塀でほぼ空間が無くなる
なので取り付ける場合は
のどちらかかと思っている。ちなみに壁設置と屋根設置はしたくないと思っている。
前の家主のエアコン用穴と外カバーあるので出来れば下に置きたいけど色々追加費用も掛かるしそうなると窓エアコンとエアコン用穴を綺麗に埋めた方が安上がりなのかなと思っている。
たぶんはてな住民は各部屋にベランダあるような豪邸に住んでいるかデカい庭あって空間とか気にしない人ばかりだろうが、もしこんな狭小住宅に住んでいる人居たら是非知恵を貸してくれ
>感覚リセットすべきのは、したり顔で語っとうお前じゃー! id:Shin-Fedorさん!
すまんかった。id:fugunokamatari氏
呼ばれたのでお返事しよう。
>カロリーナは、前田拓摩の奥さんへの立派な加害者だし、責任は夫である前田拓摩と同等にある。
同意する。不倫に被害者がいるとしたら「裏切られた配偶者」だけであり、不倫者はどっちもクソである。
で、俺のブコメだが
>「当初は離婚済みと説明されたが、交際が深まった時点で実はまだ既婚と判明」って、川谷ベッキーの時と同じだ。というか大半の不倫劇がこのパターン。相手が既婚と判明した瞬間に関係をリセットするのを常識にせよ
俺が伝えたい事は以下のような話である。
あんまりカロリーナ氏前田氏という個人にフォーカスした話でもない。
不倫する奴って「よーし遊びで妻子を裏切って不倫しちゃうぞー」みたいな奴はあまりいない。
裁判沙汰になってるものだけ見ても、「お互い割り切りセフレでした」みたいなケースは実は少ない。
じゃあどういうケースが多いのかというと
「本人たち的には正当化できており、不倫の2文字から目をそらした恋」
みたいなパターン。
例えば広末と鳥羽は、完全に二人とも酔っ払っている事が明るみになった。
年齢は関係なく、50でも60でも恋愛脳で気が狂うことはよくある。
恋愛感情で気が狂う→しかし不倫という悪行を引き受けるのが不愉快だ→なんらかの正当化を行い、2人で幼児退行化する
といったフローなんじゃないだろうか。
これは不倫に限った話ではない。
例として挙げると、俺は差別者だし、杉田水脈さんも差別者だし、はてブ民も差別者だが、
なぜなら人間は自分が悪党だなんて考える事もおぞましく耐えられないので、
差別も不倫もなんらかのロンダリングを脳内で行う必要があるわけだ。
こういうアホな事例が古今東西で繰り返され、何度も報道されているにも関わらず、
次から次へと恋愛脳で爆死するアホが現実世界で後を絶たないので、
「相手が既婚とわかった瞬間に、それまでの甘ったるい夢は全部捨てろ」
という常識を広めたいのや。
これは別に男女問わずの話だが、広く一般に「男側が既婚、女側が独身」のケースが多いので、
「男側が加害者ってことか」みたいに受け取られるかもしれんな。男女逆でも当然同じことです。
福原愛と不倫相手だって、上原多香子と不倫相手だって、彼らの中ではふわふわした夢の中で自己正当化できているはずや。
客観的には「全てはまず離婚してから」しかないはずなのだが、そこまで覚悟決めて現実に向き合える強さが既婚者側にはないのや。
だってせっかくの現実逃避のための不倫なのに、シビアに覚悟決めて現実に向き合うって、矛盾してるからね。
俺はカロリーナ氏を悲劇のヒロインだとは思わなくて、よくそこらにいるような、恋愛脳で気が狂ったアホだと思っている。
それを前提に、一部にレスをすると、
>また、「そもそも前田夫妻はインスタ相互フォローであり、奥さんのインスタの方で仲睦まじい写真が多くUPされている。タグ付けもされているから検索も容易。これで最初は既婚者と知らなかったとは信じがたい」という指摘も存在する。
その指摘を見ていないのでアレだが、恋愛脳で気が狂った人間は、何もかもを自分に都合よく解釈する「恋愛脳バイアス」がかかる。
ベッキーは「川谷夫婦がすでに破綻しており、すぐ離婚する」という川谷の都合の良い話に全乗っかりしてしまった。
ベッキーやカロリーナがアラサーとかは関係なく、また男女の別も関係なく、
恋愛脳で頭がおかしくなった2人は、常に自分たちに都合よく世界を解釈し、幼児退行して、
「これは不倫とかそういう悪いやつじゃないから。まだ法的に離婚してないだけだから」
と脳に霞をかけて生きているんだよ。
それで、人にもよるだろうが、インスタでフォローしてる人のさらにそのまたフォロー先とかって言うほど確認するやろか?
俺は直接の友人知人のポストは見てるけど、そのまた先のご家族とか全く把握してないからよくわからん感覚や。
まあ仮にちらっと見えたとしても、後ろめたい&現実を見たくないカロリーナ氏は現実を直視する勇気はなかったのではないだろうか。
(ちなみにカロリーナ氏と前田氏も相互なの?そうでないならますます、見てなくてもおかしくないでしょ。都合の悪い現実を見たくないだろうし)
そして前田拓摩の方も、恋愛脳で幼児退行してカロリーナと同じぐらい幼い思考をしていただろう。
いや不倫してる奴らって本当にふわふわしたままごとみたいなやりとりしてるよ。
川谷ベッキーや、鳥羽と広末のLINEだかメールの文面を見ても、現実逃避感が強い。
でも不倫がバレると、一気に甘ったるい夢からさめて現実に向き合う事になる。
不倫相手を人生から切り離し、顔面蒼白で家族に許しを請う事になる。
>次の言い訳「交際が深まるまで既婚者と知らなかった」を真に受けるなんて正気か??? 状況証拠・暴露を加味して判断すれば、最初から既婚者と知って付き合った可能性は相当に濃い。
「最初」をどこに置くか次第だが、交際初期から既婚者だと気づいていた可能性はあるな。
「離婚済みと説明された~」を「事実上離婚状態と説明された~」にすれば、
ほとんどの不倫カップルに該当する平凡な物語に回収できると思う。
本格的に恋愛脳になってしまうと、都合の悪い情報は脳が拒否するようになるのや。
もはや後には引けなくなり、サンクコストというかコンコルド効果というか、
川谷ベッキーケースも、妻を裏切っている状態を受け容れられない川谷が「もう離婚は秒読み段階で、後は手続きぐらいなんだよ」と半分自分に言い聞かせるように説明し、
ベッキーも「なんだ、もう事実上離婚状態なんだ。じゃあ奥さんに悪いとかいうこともないよね!!よかった~」と自己暗示をかけたのだろう。
人間の脳はそのようにできている。
俺の人間理解は「人間そんなに強くないので、自分の悪行を引き受けられない」という立場であり、
カロリーナ前田カップルもまた不都合な現実から目をそらしつつおままごとをしていた可能性が極めて高いと思う。
なぜなら大半の不倫はそういうものであるからだ。彼らもまた平凡な俗人だとみなすのが合理的ではないか。
不倫カップルが「世界に一つだけの物語」と錯覚しているものの正体は、ごく凡庸で典型的な不倫でしかない。
後世のためにも、「恋愛脳で酔っ払って現実から目を背けつつキラキラ不倫する人々」に事あるごとに冷たい水をかけていきたい所存だ。
俺は「狡猾なおじさんが判断能力のない若い女性を騙した」という前提には立っておらず、
お疲れ様にござる。増田殿に代わって、誰が悪いのかを妄想で押し付けるブクマカ共に、誰が悪いかの正解を講釈して進ぜよう。
この件の責任は100%出版社にある。他の登場人物の責任を全部足しても0.何%にしかならぬ。
マンガ家サイドが自分の見聞した範囲ですべて真実を書いていたと仮定すれば(そうでなくても出版社の責任は変わらないのでこの仮定は実は不要)、出版社は
「(実現出来るはずのない)条件をのませた!」
とマンガ家に嘘をついていたとしか解釈できぬ。伝言ゲームで実際の契約内容が違っていたパターン以外に、実際の契約書の文言にそのような条件が盛り込まれていたパターンでも、会社間・部門間の力関係でそれを実際に行使するのは至難であると理解してない編集者がいたら、社会人失格レベルの無能にござる。
テレビ番組とは、局以外にも、スポンサー・代理店・事務所・出演者・BPOなどなど、無数の人間が関わる大伽藍のような物にござる。それを、原作者の思惑だけで全部ぶち壊せるというのは、法理上そうなっていても、現実的とは言えぬ。実際に企画が走り出して枠が決まってしまったら、立ち止まることは許されぬ。マンガ家個人の担当編集者以外は、全員、この企画を回して無事に放送を終えることを最優先に行動するほかなくなるのでござる。
マンガ家に出来ることは編集者を通じて要望を出すことしかなく、編集者が100%マンガ家の味方をしようとしても、映像化に合わせて色々と企画を立てているであろう社内の各部署が味方になってくれる可能性すらそれほど高くはござらん。雑誌の看板作品であれば編集部は味方になってくれる可能性はあるやもしれぬが、テレビ局との窓口になっている部署は、当然、局の顔色を窺うであろう。そういう仕事であって、個人がどうだったとか考えて始まらぬ。
「作者にどんな不満があっても、なんとかなだめすせば放送を終えることができるだろう」と担当編集者以外の全員(あるいは、担当編集者を含む全員)が考えていても、何ら不思議な事ではござらぬ。それに、何かの間違いで、今回の事案に限っては出版社が全社挙げてマンガ家の味方をしていたとしても、やはり責任の100%は出版社にある。
その場合の最適解とは「原作を尊重したドラマ化など現在の情勢ではほぼ不可能だから、今回の話は惜しいですがなかったことにしましょう」と誰でも分かる常識的判断を下すことでしかなく、あるいは、本読みの初期段階で「やはり無理なので原作を引き上げます」と撤退することにござる。それまでの数々の先例から考えれば、守られる可能性が極めて低い約束を結べたなどとマンガ家に告げて、徒に疲弊させることではない。
最後のブログへの投稿に至っては言語道断である。出版社はなんとしてでも止めるべきであり、マンガ家を守るため、出版社名か、それが無理ならせめて編集部名で何らかの説明を出すべきだった。それをせずにマンガ家個人に情報発信させるというのは、最悪中の最悪手であり、先の仮定『何かの間違いで、今回の事案に限っては出版社が全社挙げてマンガ家の味方をしていた』可能性は、やはりゼロだと考えるほかない。社内政治だか局との関係だかなんだかを優先して、本来やるべきだったことを怠り、守るべきマンガ家を悪意の中に抛擲したとしか言えぬ。
この後、第三者委員会が作られて真相が解明されるかはわからぬ。分からぬが、仮に、何かの間違いで、出版社が本当に作者に説明したとおりの内容の契約書のもとにメディア化を許諾し、それを守らせようと最大限努力していて、局の側もそれを誠実に守ろうとしていたのに、ひとり脚本家だけがそれに逆らっていた、という子供の正義感を刺激するような話が結論になったとしても、それは出版社を免責する物ではない。そしておそらく、真実はそんな簡単な話ではなかろう。人の噂も七十五日。報告書が出る頃にはこの件で騒いでいた人間は何も覚えておらぬだろう。今はただただ故人の冥福を祈るのみである。合掌。
この方を大雑把に「防災研究の第一人者」として、しかも御本人は「これから指摘することは、私の責任でもあります。」と述べているにもかかわらず見出しでは「初動に人災」「阪神の教訓ゼロ」とするのは、世論をミスリードしたい気持ちが見え見えで憤りを覚える。
記事を読んだとき、石川県の防災アドバイザーとしての自分自身の反省と読めたのでミスリードしているとは感じなかった。
室崎さん記事に対する一連の批判は、発災直後からの報道が、今回の地震津波の被害を想定外だとする世間の印象を色濃く反映しているように思える。
blueboy まったくトンチンカンだな。問題は初動でミスったことじゃない。初動のミスのあとで修正できなかったことだ。大量の一般車両が交通を渋滞させたのだから、車両の選別をして、渋滞を解消するべき。今も。
初動というのは、実のところ、災害時の緊急対応計画にかかれた想定シナリオ以外に動くのは難しい。発災直後の行政の状況というのは情報洪水であり、いちいち判断をしている人的・時間的な余裕はない。だからこそ計画が重要なのであり、初動は行政各部署が被害想定を部署別のタスクとして平素からいかに予習しているかにかかっているのだ。
したがって交通渋滞という点での初動のミスは、交通規制が計画にかかれていなかったことなのであって、あとで修正できたかどうかはほんとリーダーの資質によるという話でしかない。室崎さんの指摘は、現場での判断ミスではなく、計画の欠如という点にフォーカスしているということはまず抑えておきたい。そのうえで室崎さんは前例にないことが起こってしまったことに対する対処の提言をいろいろしている、というふうにみるべきじゃないかと思う。
例えば奥能登へは入らないように、としたが、石川県全体に入らないように受け止められたのではなかったか、もっと良い周知の仕方はなかったが、など。
と増田がいうように、情報発信に問題があったという指摘は重要だ。
石川県は能登方面への不要不急の移動は控えてといっているし、個人からの支援物資は、受け付けないといっているし、不通や片交だらけの道路で緊急車両の邪魔になるとわかって、一般車両の通行禁止が始まった、みたいなニュースもみる。こんな形で「やれないこと」ばかりを伝え、やれることを伝えない報道の仕方も、一般人にはできることはない、というムードを作っていると思う。この点では室崎さんの指摘に同意せざるを得ないと思ってる。
その一方で、増田が以下にいうように
ボランティアによる大渋滞は阪神・淡路大震災でも発生したが、それが大きな問題でありコントロールの必要があるとされたのは東日本大震災大震災以後。被災地に向かう車両に許可証を貼っていたのを覚えておられる方もいるだろうと思う。
これはその通りだと思う。また、数日前、鍵屋一さんもNHKで、一般の方々、今は待つときです、と強調していた。
しかし、では、肝心のボランティアのコントロールって、報道の側面ではどうですか。また行政はそれを明確に示してるだろうか。
どう活動すればいいか、があまり報道されないし、情報提供もされていないのが現状でしょう。
待つことばかりが印象づけられ、実際にいち早く現地入りして活動しているNPOなどもいるのにあまり報道されない。
1日の発生以来、自分がかつて泊まった宿などが心配で、関心を強く持っている一部地域の宿やお店などのSNSをずっとチェックし続けていたのだが、
一週間くらいすると、XXNPOの支援を受けて頑張ってます!みたいな投稿がちらほらみられ始めた。
なかには、発災から驚くべき速さで準備を整え、現地入りし、ニーズ調査を開始、物資を届けているNPOもあった。世の中には山岳救助なみの準備が必要とされそうな事態でも迅速に駆けつけるNPOがいると知ったのは個人的には希望だった。実績の多い「震災がつなぐ全国ネットワーク」や「RSY」だ。また被災者SNSで偶然「MAKE HAPPY」という団体を初めて知ったが、世の中、いざ鎌倉みたいに駆け付けられる団体がけっこうあることを心強く思った。
これらの活動はたまたま能登半島の特定の被災者(以前、北陸旅行で宿泊したことのある宿や酒蔵)に関心をよせていたから知りえたのであって、報道だけをみていたらわからないことだった。能登町や穴水町などで数多くのNPO支援団体の活躍が聞かれる一方で、奥能登まではまだまだ悪路でごくわずかの団体しかいけていない、という具合に、どのあたりに今現状、支援が進んでいるか、全く進んでいないかのぼんやりとしたイメージがみえてくる。
苦しんでいる被災者を目の前にして、「道路が渋滞するから控えて」ではなく、「公の活動を補完するために万難を排して来て下さい」と言うべきでした。
という室崎さんの考えは、災害対応のコントロールという観点からは暴論にみえるかもしれないが、一理あると個人的には思っている。情緒的な言い方をすれば、公けではない活動による突破、ブレイクスルーの側面を信じているし、実際そのインパクトは無視できない。
いや、むしろ日本の防災の理念というのは、法律上も公けというのは、自助、共助を補完するものなので、公助が整うまで待てという理屈は実はいびつだ。
ただ、室崎さんが指摘している処方箋が筋が悪いという指摘も確かだ。例えば
どんな被災地にも、スタンドプレーのように目立とうとする迷惑なボランティアはいます。そういう人たちに向けて、ブレーキとしてのメッセージが必要なのは分かります。
しかし、今回は「控える」の一色になったことで、被災者にとても厳しい結果を招いたと思います。交通渋滞の問題ならば、例えば緊急援助の迷惑にならない道をボランティアラインとして示す方法もあったのではないか、と思います。
というとき、このボランティアラインというのが、どうにもその場の思いつきっぽく響いてくるのも確かだ。
かりにも室崎さんが防災アドバイザーであったのなら、すでに計画の中において方法論が確立され、いざというときに判断をしなくていいように、ボランティアのコントロールを行政のタスクとして、緊急対応計画のタイムスケジュール表に記載すべきだったと思う。それを例示としてしか示せないのは計画性の欠如だと思える。
そもそも、阪神の教訓というのは、発災直後の、行政部署別の個々のさまざまなタスクのタイムラインがなんらかの被害想定をもとに明確に決まっていなかったから初動が遅れた、という問題意識だったはずだ。目標管理型のタスク管理、これが阪神以来、災害関連死が問題となった中越を経て、東日本・熊本へとずっと教訓として積み上げられてきたはず。膨大な情報洪水で忙殺される発災後のリーダーシップには限界がある。現場の判断に時間をとられ過ぎてはいけない。だからこそ、刻々と変化する現場のニーズに翻弄される前に、計画において予め想定する事態(ニーズ)とタスクと何日後までに達成するという目標を明確にする、というノウハウが蓄積されてきた。例えば避難場所のトイレ整備ひとつとっても、発注から目標個数まで細かいスケジュールをあらかじめ想定しているのが防災計画だ。
室崎さんが、インタビュー記事の数日前、自身のSNSで以下のような提言をしているのは、まさにそういうところだ。
支援あるいは復興では、「残心補填」で先を見ながら必要な資源の事前確保をはかることがかかせません。救命救助のニーズが一段落した段階で、大量の消防隊が1週間後の今になって投入されているが、後手に回っている典型例です。今、何をしなければならないのか、3日後に何をしなければならないのかを考えて、必要な人材や資源を早めに送り込まなければなりません。孤立を解消する活動、震災関連死を防ぐ対応、瓦礫撤去整理の活動、被害事態を明らかにする活動、住宅再建に向けた判定と相談業務などが急がれます。
この段階で、「一般」の定義が上から目線でされているのが気になるのですが、「緊急部隊の邪魔になるので、一般支援者やボランティアお断り」というメッセージが、声高に叫ばれています。その結果として、劣悪な避難所の支援や隅々まで物資を届ける活動が疎かになり、再建や復興の相談に乗ることも疎かになっています。ようやく、昨日から自衛隊の食事の提供が始まりましたが、避難所のケアや被災者の相談を自衛隊や消防隊にしていただけるのならいいのですが、・・。
保健衛生、瓦礫撤去、物資配送、被災相談などの対応をはかるには、経験や技能を持った専門的ボランティアを積極的かつ戦略的に受け入れる必要があります。いまこそ緊急援助隊のみ優先の発想を切り替える必要があります。
この点では、初動の遅れ、というのは計画が必要なタスクを想定不足だった、ということだ。緊急対応計画の不備という問題に跳ね返ってくる。
室崎さんが阪神の教訓がゼロになった、と自省するとき、それは室崎さんが指摘する初動における情報収集体制のみならず、ボランティア活動のコントロールについて計画面での想定の甘さも検証される必要があるのだろうと思う。しかしながら、指摘されていることは至極真っ当なことだし、経験に裏打ちされたことばかりだ。
しかし、問題は室崎さんの自省として書かれたからどうだとか、室崎さんが第一人者かそうでないか、なんてことではない。
死ぬほどどうでもいいことだ、と思っている。ああこれはないな、とおもうところはあっても室崎さんの言葉から光るエッセンスをくみ取れば十分なんだよ。
その代わりに、各部署にポットが配置されるようになった。
部長が君たちで決めていいよと言ってきたので、平社員同士集まって相談。
ここは上司部下関係なしに、残り500mlを切った時点まで使った人が交換しようという話でまとまった。
部長「わかったよ。それなら僕も協力する。ところで、朝一は誰が水を替えるの?」
俺「え?いや、なので、500mlを切った人がその都度変えるので、朝一は特に替えたりしないです。あ、もし朝一に利用が集中しそうということなら、16時過ぎたら1000ml切ったら交換するってことにしましょうか?」
部長「ちがうちがう。そうじゃなくて、一晩経ったお湯は汚いから、朝一で新鮮なお湯にしないの?って意味。」
俺「・・・」
新鮮な?お湯?
90度超えたお湯に新鮮もクソもあるか。みんな死んでるわ。
平たく言うと部長は潔癖症なのだけど、やっぱり潔癖症というのは無知から来るんだなと再確認した。
「そうですね。自分だけじゃ決められないので話し合ってきます。」と言ってその場は離れ、みんなには「OKだったよー」と伝えて席に戻った。
(前part)
https://anond.hatelabo.jp/20231213191557
直情的なタイプだった。怒りだろうと悲しみだろうと、感情の振れ幅が大きいタイプである。
最初の方で説明した場面で、職場のコピー機が置いてある台を蹴っていたのが彼になる。傍目から見ても、「どうして採用されたのだろう……」と疑問が湧いてくるほどだった。
ストレスには耐えられないし、自分勝手なスタンドプレーは多いし、立場が弱い人間には辛く当たるし、自分は凄いといった主張をしていた(「俺の親、若くして自治会長だから!!」など)。相手の意見を曲解することが多かった。
私も手痛い思いをしたことがある。私がいた指導課には住民基本台帳ネットワークシステム(戸籍課や税務課の職員が使っているものと同じ)があったのだが、B君は特に許諾もなくそれを操作し、職務遂行に必要な個人情報を入手していた。本来であれば事前申請を要するし、厳しい自治体だと戸籍課以外の職員によるシステム操作を認めない。これが普通である。
ただ、ほかの部署から個人情報取得の依頼があった場合でも、身内だからということで、口頭による承認で住基システムを使わせることはあった(課員への一言)。能率を考えてのことだ。が、B君の場合は明らかに一線を超えていた。職務遂行に必要であることがわかるが……一度だけ、彼を思い切り叱り飛ばしたことがある。以降は、口頭で課員の承認を得てからシステムを使うよう徹底させた。
ところで、あなたの職場にもいるのではないか? 仕事でも家庭でも趣味でも、何でもいい。ストレスで精神的に潰れかけた人間の姿である。B君は、元々コミュニケーション能力に難があった。いわゆる話がわからないタイプだった。
残業も多かった。指導課や学事課の教員出身者と同程度と仮定すると、おそらく月60h~70h程度か。彼の上司は「仕事をたくさん振っていないのに……なぜ?」というスタンスだった。
市職員の場合は、予算がある限り時間外勤務手当が支給されるという。私が若い頃だと、時間外勤務をしていないのに、予算消化のために闇残業を認めるという慣習があったほどだ。
教員出身者の場合は、月20hまで支給されていた。学校現場から教育事務職に移った者にとって、長時間労働やサービス残業は避けて通れない。この試練があるからこそ、一定の基準に達した教育人材を育成することができている。
人は光を求める。そして、その光の見える方向へ動いていく。教職員にとっては、教育に関する哲学、という光を見出すための修行の場こそが教育委員会である。量・質ともに圧倒的なレベルでの修行。厳しい体験を幾度となく積み重ねるから人格や能力が磨かれ、玉になっていく。
さて、彼の上司はB君を徹底指導して残業縮減に務めた。だが結果は出ない。残業縮減の効果は僅かだった。ところで、B君の場合は学校歴がよかった。地元の名門公立高校を卒業して、大学も相応のところを出ていた。地元的には血筋もいい。それが採用に繋がったのだろう。
縁故が悪いか? といえば時と場合による。一概に悪いとは言えない(ex.公共の学童クラブの指導員は、その多くがスカウトである。特に、男性の場合はほぼ100%だ)。教職員の採用試験においても、学科・面接試験の点数以外で、非公式に評価すべき点というのは確かにある。
行政一般事務の職員のことはよく知らないが、彼らと仕事をしていると、確かに地元において血筋がいいとされる人に仕事のできる人が多かった。※主観的な統計である。
高等学校の入学試験ですらそうだ。学科試験以外で評価される要素がある。内申点などは、その典型である。本人の人柄や人格、学習態度や常識力、社会への順応性が点数化される。内申点以外にも、+-の評価がされる要素も一応はある。
プラス評価の例としては……今では絶滅した慣習であるが、昔は公立校でも縁故による入学があった。とある高等学校の名門運動部などが、どうしても○△中学校のあの子がほしいという場合、事前に保護者・児童や中学校側と話をつけておく。かくして3者が合意に至った場合、入試前に合格が決まっていた。内申点は中三期を満点にするなどして対応する。
マイナス評価の例としては……生活習慣だろうか。公立高校の入学試験の基本は、学科試験+内申点の合計で決まる。とはいえ、点数に関わりなく不合格になるケースもある。こちらは犯罪行為であるとか、補導されるのを繰り返したとか、入学試験の際に相当奇抜なことをしない限りは関係ない。
ただ、その子が合格基準点に達していた場合でも、入学試験の要綱要領に定めのある範囲で不合格になることはありうる。欠席数が極端に多かったり、在学中に異常な行動を繰り返したなどが内申書に書いてある場合だ。学校教育とはいえ、高校側も不用なリスクを取りたくない。名門とされる公立高校に問題児が少ない理由のひとつである。
B君の話に戻ろう。その年の夏頃に聞いたところだと、どうやら事件を起こしたらしい。
梅雨が明けた頃に、霞が関の新卒キャリア官僚が研修にやってきたという。T区の各部署を廻って地方行政の実務を学習するのだ。T区は、その年の中央省庁の研修先のひとつに選ばれていた。
キャリア官僚達は、ごく普通にT区の歴史や成り立ちを勉強して、地方行政の実務を視察して、心ばかりの現場仕事をこなして、一週間ほどで霞が関に帰る――はずだった。
最後の日に行われた交流会(飲み会)で、B君はやってしまった。喫煙所のよもやま話で聞いたところだと、以下の流れだ。
ex.研修先部署の部長の肩に手を置く、女性職員の体に何度も触る、別省庁のキャリア官僚に「ぶっ殺す」と発言するなど
③国交省キャリアが「お前の区の国庫補助金ゼロにするからな」と言ったところで、B君がキャリア官僚を蹴り飛ばし、馬乗りになる
④ほかのキャリア官僚とB君の部署の係長が、彼を羽交い絞めにして止めた
……気持ちはわかる。侮辱されて悔しかったのだろう。だが、いくら何を言われようと、暴力だけは駄目だ。確かに、若手官僚の場合、調子に乗っている者は一定数いる。子どもの頃から勉強に勉強を重ねてきた自負があるとともに、仕事では自分の親ほどの年代から神輿を担がれるような扱いを受けるのだから。調子に乗るのも当然である(上に出てきた国交省キャリアは東京大学卒だった)。
かくいう私自身も、文部科学省の事業査定担当官であるとか、会計検査院の検査官から相当辛辣なことを言われたことがある。だが、怒りの感情に囚われてはいけない。駄目なのだ。
人間はいかなる状況の下においても、自己の衝動をそのまま表に出してはならないし、出すべきでもないし、さらに言えば、出したいとも思わない、という主張はまったくの真実であり、妥当な見解であると私は考える。衝動は制御することができるし、制御しなければならない。それは現実の要請というだけでなく、一人の個人としてのまとまりや一貫性および価値観の要請でもある。突き詰めて考えるならば、人生には実存的葛藤や解決不能な問題、さらには、あることのためには別の何かを諦めなければならないというような状況が数多く存在しているのだ。こうした状況こそ、人間が生きる上での本質的条件となっているのである。何らかの葛藤が常につきまとい、ある方向へ進もうとすれば別の道を諦めざるをえない。人間はこうした状況に苦悶しつつ、自己を制御しながら生きていかなければならないのだ。 完全なる経営(2001) A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳) P.295
私とB君が教委事務局で一緒だったのは一年だった。その年は、社会教育課にとって厳しい年だったらしく、彼は相当追い詰められていた。年度末の三月時点では、まるで50代のごとく自分が思ったことを脊髄反射で口に出すようになっていた。
声をかけようか、とも思った。あまりに辛そうだったからだ。係長も課長も、彼を見放しているところがあった。どれだけ残業が積み重なろうと、仲間によるフォローを呼び掛けたりはしなかったし、むしろ失敗に対して反省文を書かせていた。
B君は、口に出すのが憚られるほど救いようがなかった。もし、上司や仲間にとって彼が『かわいい奴』だったら、こんな事態にはなっていない。彼は、実際に不良な人間だった。職場の仲間から非人格的な言動を咎められるのはまだいい方で、はっきりいって見捨てられていた。自業自得だった。
しかし、やはり可哀想に感じることがあって、廊下をすれ違う時やトイレなどで「元気?」「今日は温かいね」「辛くないですか」など声をかけることがあった。
それから、彼がどうなったかというと、真相を確かめたわけではないのだが……私が定年になる前に退職したらしい。別の部署に異動しても活躍できず、しかしながら、何の因果だろうか――霞が関への出向を命じられたという。省庁までは不明。
本来名誉であるはずだが、その出向期間中に退職を申し出たということだ。もしや、生贄型の出向だったのだろうか?
現代社会において、感情が表に出るタイプの人間はしんどいのだと思う。彼が今、どうしているかはわからない。ほどほど幸せにやっていることを祈っている。
先ほどの2.3.でいうところの係長にあたる人物だ。この人は、冷血漢と呼ぶにふさわしい人間だった。サイコパスとは書いたが、私は臨床心理学の碩学ではない。仕事熱心で、結果を求めるタイプだったのかもしれない。目的のためであれば何でもする人だった。思い出してみる。
例としては、部下の叱責だ。普段は物静かで、部下の相談や報告を聞いている。が、一定レベルの何かに触れると怒号を発する。
C係長「お前、こないだできるっていったよな!」
若手部下「すいません」
「なんでできねーんだよ」
「……なんとかします」
「言ったな? じゃあしろよ。今週末までだ」
※部下ができなかった場合は、定時を過ぎても何十分でも説教していた。そして、できるまで残業をさせる。
後は、イベントだろうか。市区町村においてイベントを主催する部署はいくつかあるが、教委事務局もそのひとつである。教育○○大会などの厳かな発表会もあれば、○○総合フェアなど若い人や家族連れが多く集まる文化的なものもある。
さて、そのT区にとっての○○総合フェアの時だった。毎年過ごしやすい季節に、とある大公園で実施されるのだが、50以上もの出店が立ち並ぶ大イベントだった。
その年のイベントは、残念ながら雨天だった。初日は少雨で済んだものの、翌日以降の天気は崩れる可能性が高い。社会教育課は、教育総務課・指導課と並んでイベント主管課のひとつだった。
その初日の、夕方~夜にかけてのことだった。教育長を始めとする幹部級職員が現地に残って、明日以降の対応を話し合っていた(ほかの教委スタッフは全員帰っていた)。主な論点は次のとおりである。
□ イベント会場は維持できるのか?
上記3点のうち、2点目がなかなか結論に至らなかった。イベント会場には、テントも備品も野外展示物も並んでいる。風雨によって損傷する可能性があった。そして、2点目の解決手段を提示したのがC係長だった。
彼は、「業務委託している会場警備員がいるでしょう。数十人。彼らにやらせましょう。折り畳み式テント(※鉄パイプではない)の屋根を低くする作業や、野外展示物の収納もです」といったことを述べた。
私は「それは契約内容に入っているのですか?」とC係長に問うた。すると、彼は「緊急事態です。契約内容にあろうがなかろうが、現場の指示に従ってもらわないと」と言っていた。
教育局長は「後で問題にならないか?」と聞いたが、「私の責任で収めます」と彼は返した。教育長に「本当にできるんだな?」と聞かれると、「問題ありません。警備の発注は当課です」と返していた。ここから先はうろ覚えだが、C係長は警備会社の現場責任者と交渉を始めた。
夜7時頃だったか。私がトイレに行く途中で、社会教育課長とC係長、警備会社がロビーで交渉しているのを見た。当然ながら、相手方は渋い反応だった。
私はそのままトイレに行って、また帰り際にロビーを通りかかったところ、「契約切るぞ。ええんか!?」というC係長の声が聞こえた。この人は、気分が高まると大体こうなる。
以下、会話を手帳にメモしているわけではない。思い返してはいるが、やはりうろ覚えである。
「切るといっても来年からね。今年はもう契約してるし。来年は、こちらの権限でほかの警備会社と契約します。それでいいなら、あなたの判断で断ってください。テントの作業OKなら、これから私の責任で指示しますが」
「いや、でも。ちょっとの量じゃないでしょ? テントの数は何十個もあります。それをひとつひとつ、高さを下げていくんでしょ? それはもう――」
「あなたが決めるしかないでしょ。責任者なんだから。この時間、あなたの会社に上司がいるんなら電話で伺ってください」※このあたりから方言になる
「判断ができません」
「毎年、あんたの会社と契約しとるんやぞ。しっかも言い値で。本来なら正式に競争入札せんといかん金額やのに。こういう時のために、うちは権限使っとるんやぞ。官製談合みたいなこと、してやっとるんやぞ。俺らとあんたの会社のためを思って。で、上の人間に電話するか、あなたの判断で決めるかのどっちかや。あなたが決める場合は、契約切られても全部責任とるんやぞ」
「……」
「俺が責任を持つ。あんたが上司に怒られんようにする。後で言っとく。知り合いだから。頼む!」
「わかりました。指示をお願いします」
C係長のこの判断が正しかったのか、誤っていたのか。今でもわからない。
結果だけ見れば正しかった。その夜は雨も風も激しかった。(鉄パイプ式でない)テントを張ったままだと、風雨で確実に潰れていた。テントや野外展示物を片付けるといった作業は絶対に必要だった。それを怠って、一般スタッフを帰した私たち幹部の落ち度である。
手続き的には違法である。正しくない。警備会社をロハで使ってしまっている。C係長のことだから、きっと事後処理はうまくやったのだろう。あの後、彼やその上司が処分を受けたという話は聞いていない。
個人的には、C係長の行いは正しかったように思える。実際、あの場面だとああするしかなかった。組織のために泥を被ってくれたとも言える。ただ、それが未来に繋がる行為だったかというと怪しい。
例えば、テントが崩壊する未来を選んでいれば――教委事務局が「組織として学習」することができていた。それがいい未来につながった可能性もある。
(次part)
役所といえば「たらい回し」のイメージが付きまとう。実際にたらい回しにされた経験がある人も少なくない(私も何度もある)だろうが、もちろん役所側も好きでたらい回しをしているわけではない。
また、慢性的な人手不足から、役所全体の業務を横断的に把握して的確に問い合わせ対応できる人材も今後ますます減ってくると思う。
そこで、お互いの不幸な時間を減らすためにも、問い合わせる側の留意点をまとめてみた(役所側にたらい回しを防ぐ努力が必要なのは言うまでもない)。
はてな民ならこの点については心得ている人が多いと思うが、市の業務について国や県に問い合わせても答えられない(逆も然り)。国の下に都道府県、その下に市町村というイメージがあるが、法律上三者は全く別の組織で、業務も別々である。
ここを間違えてしまった場合「お住まいの市にお問い合わせください」などと言われて終わり、たらいすら回されない。
ちなみに現在は、一般市民が関わるような事柄は大体市町村が担当している(昔は都道府県が所管していた業務も多かったが、市町村への権限委譲が進んだ)。
役所に連絡を取ろうとしたきっかけはなんだろうか?手紙だったら手紙に、WebページだったらWebページに必ず代表電話ではない担当の直通電話ないし内線番号が書いてあるはずだ。イベントなど臨時の事業の場合は専用ダイヤルを設けていることも多い。
代表電話はどこを見ても担当が不明であるときの最終手段にしたほうがいい。代表電話の人は、問い合わせてきた人が話すキーワードを元に手探りで所掌を特定して振り分けるので、どうしても担当違いが起こりやすい。
ちなみにギャンブルなのは、代表でも担当でもない関係ない部署に直接かけてしまった時。ベテランの職員がすぐに取り次いでくれるかもしれないが、経験の浅い職員が電話を取った日には、長時間保留ののち更に無関係の部署を案内されるかもしれない。
役所の人手不足は深刻で、ある事業について職員一人で担当し、隣の職員は全く知らないということもザラだ。なので直通番号にかけているのに、なお担当外の職員が電話に出るということが起こる。長々と話をしたのに最終的に担当は隣の職員だとわかり、また一から説明というのは骨が折れる。そこで、手紙やWebページのタイトルなど「今何を見て連絡をしているか」を役所側に伝えるのをおすすめする。「〇〇っていうのが届いて、それについて質問があるんですが、担当の方お願いします」といった具合だ。
役所は一つの事柄に対しても様々な角度から関わりを持っている。
例えば一口に「障害者(児)に関すること」と言っても、手帳の交付、施設に関すること、差別解消への取り組み、バリアフリーの推進、特別支援教育など、業務は多岐にわたる。その一つ一つについて、担当が細かく分かれているのだ。
問い合わせの際は、できる限り具体的に内容を伝えてみてほしい。
まとめると、たらい回しを避けるためには、①正確な部署に連絡し、②具体的な内容で問い合わせることが大事だ。
先述した通り、役所は人手不足であり、職員は自分の所掌事務で手一杯で、曖昧な問い合わせがたらい回しされるリスクは減らず、むしろ今後増えていく気がする。
面倒だと思うかもしれないが、少しの準備でその後の時間(電話なら電話代も)が節約できると考えてみてほしい。
最後に補足だが、役所の業務についてchatGPTなどの生成AIに聞くのだけはおすすめしない。特に法令が関わるような事柄について、生成AIが答えた内容を信じて間違っていても役所は責任の取りようがない。面倒でも、わからないことは役所の公式の情報※を調べるか、直接問い合わせるべきだと思う。
※Webページについて、サイトURLが「go.jp」や「lg.jp」で終わるものは、役所しか取れないドメイン(goが中央官庁、lgが地方自治体)なので公式情報として信頼できる。ただし誰でも取れる汎用ドメインで運用されている役所HPもあるので、「go,lgは公式、そうでないものは公式情報かしっかり確認する」のがいいと思う。(12/7修正:地方自治体では非lgドメインで運用しているところもあるのですべてlgドメインという書き方を修正しました。ブコメでのご指摘ありがとうございます)。
たくさんのブックマーク、コメントありがとうございます。当たり前のことだったというコメントも多かったが、役所の客は管轄となる地域のすべての住民なので、参考にしてもらえる人がいたら何よりだ。
以下、いくつか返信させてもらえればと思う。
来訪する人はジャスコの文房具売り場で『活鮑』あります?って聴くと担当者は(中略)「はい、活鮑」と売ってくれる筈と思ってるが普通無理。
いくつかコメントにあったがいい得て妙だと思う(文房具を教育委員会、活鮑を農林系の部署にするとしっくり来る)。フロアや建物によってジャンル分けされているのも似ている。そして、
これもそのとおりだ。特に地方自治体は、「やっと今の仕事に慣れてきたと思ったら異動」ということが多々ある。ただ、問い合わせ対応自体のスキルは勤続によって向上していく(はず)ので、異動したてでわからない問い合わせに対しても相手をあまり煩わせずに対処できるようになっていく(はず)。
これは本当にそのとおりで、Webサイトを始め問い合わせを減らすための広報を充実できないのは、単なる人員不足もさることながら、それを重要なタスクだと認識して組織的に取り組むという意識の薄さも大きいと思う。
そうなんだよ〜だからこそ特定の一人に長い事時間かけらんないんですすみません。なるべく多くの人の奉仕者でいなくてはいけないんです。ご協力よろしくお願いします。
基本的には必要があって聞いていると思うが、万が一慣習で不必要な項目まで聞いているとなると、それは役所にとってもリスクだ(当たり前だが、必要ない個人情報は収集してはいけない)。
あまりにも理由不明だと思ったときは、「なんの必要があって聞かれていますか?」と聞き返してもいいかもしれない。
例えば保健所がそうで(政令指定都市・中核市は市が、東京23区は区が、それ以外は都道府県が担当)、コロナのときは混乱して大変だったと思う。全住民レベルで考えれば、自分の住んでいる自治体が政令指定都市や中核市なのか、把握していない人も大勢いる。
職員側は「お住まいの地域では市(県)が担当です」と簡単に済ませがちだが、問い合わせた側は「どこが担当とかどうでもいいから問題を解決してくれ!」といらだちが募るだろうなと想像する。
議員経由だと対応する職員の職位がグッと上がって組織対応になる(下っ端は解放というわけではなく、そのための事務作業は下っ端の役目)。最早「問い合わせ対応」ではなく「議員対応」だ。良くも悪くもしっかりと記録に残されると思う。
ブコメにも貼られていたが、アンサイクロペディアの「盥回し」の記事は秀逸。「再帰」も好き。