はてなキーワード: 若い女とは
ほんの一例の話。
細い階段で持っていた荷物を落としてばら蒔いてしまった。慌てて拾っていたが量が多く指に麻痺があるのでなかなか上手く拾えず時間がかかってしまっていた。
最初に通った若い女性は邪魔!って言いながら荷物を踏みつけて通り過ぎた上にこちらを振り返り憎しみを込めた目でにらみつけられた。悪意凄いな…とポカンとしてしまった。
後で通った若い男性と初老の男性は大丈夫ですか?と声をかけてくれて荷物を拾うのを手伝ってくれた。ごめんさない、ありがとうと伝えた私に気にしないでくださいと笑ってくれた。
これは今日のことで昔話ではないし私は女なので異性に警戒という訳でもない。ついでにおばはんなので男性に下心がという説も100%ない。
たった一例を全てに当て嵌めるのは駄目だと分かっていても一度植えついた思考というのはなかなか離れてくれない。だから少し前に話題になっていた女性の方が助けるとか共助意識が高いって話を今は信じることが出来ない。この事件が起きるまではそう思っていたのに。
そしてどちらかといえばフェミニスト寄りだったが何でもかんでも女は正義だと言い張る思考が気持ちの悪いと思った。男性にも女性にも等しく優しい人はいるし悪い人も勿論いる。ネット上の優しい身内の言葉だけではなく外の世界でこういう体験をして中立を維持するべきなのかもしれない。
ともあれあの時の男性の御二方、本当にありがとうございました。
絶えず緩まずコツコツと積み上げていると長い時間を経てやがて大きな資産となる
積み上げを怠ってきた者が短期間で取り戻そうとすると無理が出る
三大と言いながら3つ並べてあと一つは?って聞くの流行ってるの?面白いの?最近の若者の流行にはついていけない
いやいや、批判するとかじゃなくて、今の若者の事を勉強したくて、若い女にモテたいから、俺48歳だけど18歳で美女と美少女の間みたいなのと付き合いたいじゃん、だからどういうトークが若い子にウケるのか知りたくて、教えてちょんまげ
1,高身長
2,高学歴
3,高収入
あと一つは?みたいな?
はぁ?って言われない?
三大目玉焼きには?
1,塩コショウ
2,ソース
3、醤油
あと一つは?みたいな?
俺は塩コショウ派だけどね、どうでもいい?すいません嘘ですごめんなさい
マジでオタクは歳の差ワンチャン狙っているやつが多いからこういうときやらた擁護するんだよなw
オタ活してるとマジで20とかなんなら未成年の女と絡む機会が多い 必然ワンチャン狙ってるおっさんが多い
Vtuberとかアニメとかが大ヒットしていて、いくらオタクカルチャーが一般化しても、いまだに不登校とか定時制高校通いとかの普通の社会に馴染めなかった子達の受け皿としてオタクカルチャーが機能している現実があるのは想像に難くないと思う
そこに絡みにいくおっさんの多いことと言ったらない
ちなみにそういうおっさんは大体大卒高卒フリーターでマジで同世代の男とも女とも交流なさそうなタイプばっかなんだよなw
ASD診断済み、高IQの稼げるエンジニア男性のもとに、仕事をしたくない専業主婦希望の10歳くらい若い女性が嫁いできて、半年~1年くらいで実家に逃げ帰るのを3例見た。
東京のでっかいショッピングモールの駐車場近くの信号のない横断歩道
ショッピングモールが(地元住民の要請なのだろう)事故防止のために誘導員を3人置いている
誘導員とは言ってもみんな若い女性で、訓練もされているのだろう、とてもアグレッシブに動いてくれるしハキハキと声も出してくれる
一人のママチャラーが、誘導員がわざわざ道の真ん中まで出て手を上げ頭を下げて止めに来ているのに、一切無視して直進していったのがなんか妙に印象的だった
続きです。
しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった
「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験が作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった
しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロは自由だからだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコも子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガやエロ同人はエロいのだ
そして俺は漫画家になりたいのではない。エロの二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし、精緻な設定も重厚なストーリーも人生経験もエロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは、読子やまほろさんをんほおさせること。それだけだからだ
とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサンの勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして
マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ(部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ
だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガの形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う
そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ
いきなりコミケはハードルが高すぎるし、何よりもサークルの当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガやエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロ絵しか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる
そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)
そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在だから、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして
初めてのエロ同人が完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ
そこから俺はイベントごとにコンスタントに新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店やメッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫をショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった
一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年の危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入をエロ同人から得ていたからだ。就職も卒業もする意味も理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった
親からは就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家もフリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ
さて、無事に大学も卒業して「職業、エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメやゲームを見ては妄想と股間を膨らませて、いかにこのキャラをアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えでダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は
だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガの技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初のデビューの作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ。小学生の描くバカみたいなマンガをプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人「作家」としては何も進歩も進化もしてないのではないか。そう思った
学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなものは不要だと考えた。エロ同人に必要なのは、一にも二にも画力とエロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間の真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった
しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生の妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか。小手先でエロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか
俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家でありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質も要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラにアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品を理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした
今から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない
だから俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックスを体験すれば、それが何らかの形でマンガにフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった
だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックもインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しかし女の子とイチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ
話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルのイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある
でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望をありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ
俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実の若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実の女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ
とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかしエロ同人的な世界観を内面化している自分が、常識的なセックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれた
話を戻すと、いざ実際に現実の女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった
だがこの感覚をマンガにフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手が多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロに昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした
ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持、ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数も在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった
後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事な同人イベントや敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀」なのだと俺は思う
そして迷走してはいたものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性がサークルスペースに現れた
まだ続きます。。。
10年以上前、半ば無理やりに友人に池袋のキャバクラに連れて行かれたことがある。その時私の横についた女性は母子家庭の長女で弟が高校生という身の上だった。私が予備校講師だと聴いてその弟を大学に行かせたいけどどうしたらいいかというガチ相談になった。私もガチで弟さんの話を聴いてしまった。
結局私は自分の事はほぼ話さず、彼女の弟さんのこと、お母さんについての思い、将来自分は池袋等で終わらず銀座でトップをとりたいという将来の夢について語る彼女の話をじっくり聴き、それを肯定したり励ましたりすることに徹してしまった。これは職業病なのだろうか。
そのお店は時間ごとにぐるぐる女性がローテションするシステムで、次に来た子は大学になじめず体験入店で来ているということだった。また私はほとんど自分の事はしゃべらず地方から来たその子の東京になじめない話をじっくり聴くことに集中してしまった。自分も地方出身者だったからすぐ共感できた。
その二人の持ち時間が終わった時点で私の入店時間が終わり友人を置いて先に店を出た。二人の悩みや人生を真剣に聴いてしまって心理的に疲弊してしまったからだ。もうこれ以上はきつかった。面白かったのは二人ともローテションで移動する時「え?もう終わり?延長できない?」と言ってたこと。
延長はお客である私が求める事であって、接客者である彼女たちが要求する事は出来なかった。それでピンと来た。ああ、そうか。彼女たちはこの店で稼いで別の店で私ではないイケメン君達に話を聴いてもらってるんだ、と。だからつい「延長できない?」などという客の立場の言葉が出たのだ。
性的な欲求ももちろんだけど、むしろそれ以上に男女ともみんな「話を聴いて欲しい」「真剣に自分を見て欲しい」という切実な思いがあるのではないか。そういう風に思うようになった。そういう体験をして、キャバクラ等のお店がより一層苦手になった。行けばつい真剣に聴いてしまい疲弊してしまうから。
「私の話を聴いて分かって欲しい」という承認欲求と、単純な性的な欲求を、区別できる人と出来ない人が恐らくいる。それが出来ない人が男女ともおり、その発現の仕方で暴力的なストーカーや路上売春などの犯罪に走って推しに貢ぐ人になったりするのかもしれない。
https://twitter.com/HirMiura/status/1789307253000147002
この人、これを書いただけなのに「そんなのキャバ嬢の「若い女性の相談に乗ってあげてる気分になりたくてたまらないおじさん」に対する常套手段に決まってるじゃないか。何勘違いしてるんだよ。自分が相談に乗ってやって喜ばれてとるとでも思ってるのか」って叩かれていてかわいそう。本人悪意もないし、性的な欲求もないし、自省的だし、キャバ嬢が本当にそういう意図だったかどうかもわからないし、そもそもこの人はこれでキャバにのめり込むどころか嫌になってるのに、よってたかってここまで決めつけて蔑む必要があるのか。
こんなことで叩いてたらそれこそ世の中の男性はみな、キャバ嬢であろうがなかろうが、この女性は一見自分に相談してるように見えるけど何か意図があって自分の「相談に乗ってもらいたい欲」を刺激しようとして演技してるだけだからまともに取り合わないようにしよう、って思うだけになるのでは。
年上の女の人の方が好きという男性は意外といると思うんだけど、
年上の女性が無理というか、年上の女性と結婚する男性が無理?みたいな
そういう考え方は年配の男性に多いと思う
こないだ親戚で集まったとき
テレビで出てきた男の芸能人に対して、「この人の奥さんすごい年上の人らしいよ、なんか意外だよね」って何気なく自分が言ったら
「え!?気色悪!」みたいなこと年配のおじさんたちが言い出してさ いやまああんまり良い話ではないんだけど
このパターンの年の差婚に対して、気持ち悪いという感想を持つ人がいることに驚いた
この増田は女性向け同人イベントに行ったことがない、漫画を読んで想像で書いている男性では?と思ったので気になった点をメモしてみる。
若い女性が背伸びしてるのかもしれないけど25歳って言うほどアラサーか?
増田が本当に自分のことをアラサーだと思っているならただアラサーと書きそうなのに具体的な年齢を出していて違和感。
“そんな夢や希望と共に20pのペラペラ漫画本10冊を持って迎えた当日”
20pは漫画同人誌としては一般的でペラペラとは言いません… コピ本と言いたかったのか?
あとイベント参加を決意してからいきなりイベント当日に飛ぶけど 「部数は?お品書きやpopのデザインは?ポスターは作る?」とか「自分で設定したとはいえ締め切りがキツイ」」 「新刊サンプルにいいねがついて嬉しい」 「イベント前にユーザーネームにサークルNO.を入れるとジャンルの仲間入りしたみたいで嬉しい」とか初参加ならではの不安やワクワク感が全然書かれていないんだよね。
“あと会場がほんのり汗臭い”
増田が本当に女の子だったら「周りが臭いということは私も気付いてないだけで汗臭いのかも?」とまず心配にならんか?
毎年気温が上がってくるとカードショップやカードゲーム大会に現れる異臭レベルのオタクが話題になるから「男オタクがそんなに臭いなら女オタクもそれなりに臭いのでは?」と考えた人が想像で書いた感がある。
いやトイレ行くふりなんかしなくても自ジャンルのサークルなんだから堂々と物色すればいいじゃん。せっかく来たのに欲しい本はなかったのか?
作品主体のイベントなのに最初から人の観察ばっかりで違和感がある。
一番気になったのが向かいのサークルがずっと大声で下品な会話をしていたという点。会議室を借りてやるような個人主催のオンリーならともかくビッグサイトなら向かいのサークルとの間は数メートルはあるはず。10回に満たないくらいサークル参加してるけど少なくとも私は向かいのサークルの話してる内容まで聞こえたことはない。
そんなクソデカ大声で猥談をしてたなら増田以外にも気にした人がいるはずだし「開場前とはいえけっこうなトーンでR-18な話をしているサークルがいました。参加者には未成年もいるんだし自重してほしい…」みたいなツイートがバズって今頃当人は炎上してるだろ。
それから容姿ヲチが好きそうなのに会場を練り歩いているコスプレイヤーへの言及が一切ないのが不思議。
増田なら「さすがにレイヤーは可愛い子が多い」とか「スタイルの悪いレイヤーが推しキャラのコスしてて嫌だった」とか書きそうなのに。
同人女の感情にはコスプレイヤーが出てこないからそこまで頭が回らなかったか?
“でも文章下手とか性格悪いとかボロクソ言う割に服のダサさには反論できてなくて草”
そもそも同人誌即売会という一種のお祭り会場に来ている人のファッションを一般的にお洒落かどうかでジャッジするのが不毛じゃね?
例えば全身緑と紫でコーディネートしている女性がいたとして「今日はイメージカラーが緑のキャラと紫のキャラのCPプチオンリーがあるんです」って言われたらハアそうなんですねでしかないじゃん?
全体的に「女オタク=下品・臭い・ダサい=悪」 「悪しき腐女子文化に染まっていない眼鏡ちゃん=清楚=善」みたいな「若い女性が男性抜きで性欲を満たしていることへのやっかみ・揶揄」を感じる文章だった。
暮れの新幹線。相当の混雑なので指定車両に移ってみた。ここも満席だったが、 ふと見ると、座席に小さなバスケットが置いてあり中に小犬。隣に若い女性が座っていた。早速「ここ空いてますか」と尋ねてみた。すると、その女性は、「指定席券を買ってあります」と答えた。私は虚を突かれた思いがした。
改めて車内を見渡すと、多くの立っている大人の中、母親の隣で3歳ぐらいの男の子が座っている座席もある。あれも指定切符を買ってあるのだろう。
仕方なくいっぱいの自由席に戻ると、ここにも学童前と思われる子が親の隣に座っていた。懲りもせずにまた「ここ空いてますか」と尋ねると、母親は仕方なさそうに子どもをひざの上に乗せ、席を空けた。私はその座席で居心地の悪さを感じながら、この新幹線の中での三景をどう考えたらいいのか自問した。