はてなキーワード: 無関係とは
ない
あなたは春とヒコーキのぐんぴぃが「バキバキ童貞」と言われた理由をご存じですか?
あなたは「でも幸せならOKです」がどの番組で扱われたか知っていますか?
あなたは「だって童貞だもん」のバラエティ番組が何か分かりますか?
つまりはインターネットがあってもなくても無関係なテレビ番組からもおもちゃになるので、無駄でしかないのです
異世界でなくてもスマートフォンと共にある時代、誰からも盗撮されるリスクがあるという事実
例え自分が奇行じゃないと思っても映って動画にされただけでアウトのこの世の中で、おもちゃにならない方が難しいのではないか
以下の行動をすればリスクは下げられる
警察官補が仕事に当たって依拠しなければならない刑訴法と、犯罪捜査規範には、 条文の中に、 有形力は必要最小限度の範囲内に調節しなければいけないとか、
書面に理由を簡潔に記載して提出せねばならない、といった民事訴訟規則などを、ねたばらしをしている法律の規則がないではない。
しかし、 技術の中には、なんらかの完全無欠なものをそこに出すというものも考えられるが、 刑事訴訟法や それらの中に、そういう技が直接記載しているかというと非常に難しい
警視総監が、 刑訴法53条の2は、東京都個人情報保護条例第2条の2自体が適用していない、としているが、第2条の2は、供述調書の公開に関する規定で、これはいわば、
適用除外というのは、 刑訴法53条の2に関する公文書は、出て来るな、というものである。
刑務所の中における、受刑者の刑の執行にかかる公文書は、 法務省令で、 適用除外、とされている。よって、個人情報の公開の対象にならない。
民法511条の相殺適状に関する判例に関して、 様々に場合分けをしてから、 制限説と無制限説の判例 しかし、 昭和45年判例は、 8対7の僅差だったなど
昭和45年最高裁判決の、法廷意見は、 民法511条の解釈に当たり、 民事手続法など一見無関係な法律も引用して解釈しているなど非常に複雑で驚愕的であり、
一見無関係な法律同士に関係を見出そうとしたり、特定の解釈適用に当たって、一見無関係な概念の登場による構成、 など、 専門的知見からも、技術的知見からも、非常に
小6からずっとオタクグループにいるオタク女なんだけど、処女時代のオタク体験に特有の楽しさというのはあって、その後彼氏できて二次元オタク趣味どころか全趣味エネルギーを喪失した時期があって、その後エネルギーが復活したという変遷があった。
最初の彼氏ができたときは、恋愛に夢中になってオタクをやめたというパターンではなく、幻滅と軽い鬱みたいになって何もかもが楽しめなくなってしまった。セックスが全く気持ちよくなかったのと、前から自分がブスである自覚はあったけど本当にブスの貧乳で無価値なんだなって思えて同人誌やグッズ類を一回全部処分したし、ライト乗り鉄みたいな感じでいろいろなところに一人で出かける趣味も失ってしまった。消費も生産もあのときは完全に止まった。「生産エネルギーが凄い童貞に生産を続けさせるために童貞のままでいさせろ!」みたいな声があるけど、それはこういう理由なのかもしれないなと今でも思う。夢が壊れて読めないし書けない状態になることはあるんだなと思う。私が生産をやめて困る人は別にいないけど、その人の創作に依存している読者が大勢いる商業作家であればそういう干渉も起きるもんなのかなと思う。作家の感性に不可逆な変化が起きてほしくないと思うわなと。
別れたら恋愛・性のコンテンツとは無関係なところから趣味が復活してきて、これはこれという感じで徐々にフィクションも楽しめるようになってきた。その後、別の人と付き合ってセックス気持ちいいのかよ…となり、急に実写映画など二次元以外のコンテンツも楽しく感じられるようになってインプットの幅が広がって(これが個人的に一番デカい体験だった)、創作も寡作だけどまたできるようになった。支部でのブクマ数みたいなところでいうと前より数字出せるようになった。もちろん評価よりも自分が仕事・生活と両立できて適切な距離感でやっていけることが一番なんだけど。交流や、オフラインでの活動がかなり時間も金も溶かすので、そこが無くなっただけで他にも時間が使えるようになる。時間は有限だけど密度みたいなものはある。コンテンツなのかコミュニケーションなのかというのはトレードオフじゃないんだ、生産と消費もトレードオフじゃないんだ、インプットをたくさんすると「個性」を失って他者からの評価が減じるわけでもないんだ、というのを思う。そんなに単純なものではない。あと思えば自分のことを個性的だと思い込んでたときの自分って個性的だったのではなく、オタクのテンプレートに準じていたただの痛いアニメイトJCの延長だったのでは?むしろ類型的だったのでは?とも思う。
オタクはセックスが下手みたいなレッテルも意味がないんだよね。元彼も現夫もオタクだし、両方瘦せ型の眼鏡だから、「見た目の特徴で見分けろ」みたいなことには意味がない。違いをいうなら元彼の友達は彼女がいない人ばかりで、現夫の友達は彼女がいる人が多くて、年を重ねるうちに既婚者になっていった。そういう傾向が、今思えばあるなというくらい。見た目はまじで両方瘦せ型の眼鏡でしかない。とくに高収入とかでもない…むしろ元彼のほうが職業領域としては高収入職のルートに行ったのではないかと思う。追いかけてないけど。
元彼との交際中はメンタルデバフがかかってて何も楽しめないという感じだったし、あれを「現実で恋愛しているからフィクションが不要になってた」という解釈だけはマジでできない…フィクションは大事だし、現実に劣る存在というふうには思わない。低カーストのブスである現実の自分から逃れるためのフィクションという位置づけではなくなってからのほうが、むしろ商業という責任の生じる形でコンテンツ生産を担っている人々への敬意や感謝を持つようになった。そして今の夫と交際開始したことがバフなのかというと、バフとちょっと違って、経験値が上がったような感じがした。小中学生の頃は現実と切り離すためのオタク消費・生産であって相互の影響はないと思いたかったし強固にそう思っていたけど、今思うのは、現実の経験が「どういうコンテンツを好むか」という好みの部分にかなり影響を与える。実際にやったセックスをそのまま創作で晒したり友達をモデルにして作品に出すような行いはしてないけど、コンテンツから良さを感じとる幅が広がって多様な小説や映画などから影響を受けるようになって、インプットするコンテンツの幅と量が激増したからアウトプットも変わったという感じがする。あと経験っていうのは現実の恋愛やセックスだけじゃなくて、ほかの対人関係や仕事などの影響も結構な割合としてある。学生のころ部活で後輩を指導するような役割から逃げ回っていて、職場で後輩ができてついに「先輩」役から逃げられなくなって、案の定うまくいかないとかの経験もかなり大きかったように思う。
自分のダメさを思い知るとかも含め、人生経験があったほうがコンテンツの消費も生産も楽しい。私の場合はだけど、生産において評価の数字も前より出るようになった。ただ、それは好きな時に好きなだけ趣味の創作をして無料で公開するという一番責任の発生しない形のものでしかなく、安定性が要求される商業とは違うもの。また、人と付き合うことで鬱状態みたいになると全部にデバフかかって何も楽しくなくなるから人間関係はリスクではある。人を求めた結果、ホストやりりちゃんにハマってめちゃくちゃというケースもあるんだろう。結局、何の単純化もできない。
男女それぞれに相性テストをかけあうのは、何も間違っていない。
ヒトのお見合いを長く見てきたが、お見合いは試しあい、真剣での試合そのものであり、鋭くしかし華麗に行う必要がある。
婚活においてサイゼリヤデートという話題で炎上するたびに思うのだが、題名とは違って実はかなりの人間がデートの中に"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがある。
以下において"サイゼリヤ"は、"マクドナルド"でも"ドンキ"でも、"スターバックス"でも良い。好きな単語に置き換えて読んで欲しい。
試される側からすれば、実はお試しとしては悪く無い。価値観を知る良い機会だからだ。
問題は、それが意図せずに組み入れられてしまったのか、意図してそこに行こうとしているかの差だ。意図しているのだとしたら試し方としては相当に幼い。
ただ、相手の価値観を変えてやろうと思ってなかなか変わるものでもなく、矯正すれば良いかと気楽に考えていると概ね悲惨な結末を迎える。
(価値観を後から変える成功例は自分の知りうる限り一組だけで、あとは残らず離婚している)
以下は、結婚相談所での経験も含めて、なぜサイゼリヤデートがダメなのか、なぜ相手を試す行為が良くないとされ、実は試す必要があるのかを解説する。
(具体例は当然フェイクや組み合わせを変えたりする)
総じて、結婚相談所は「結婚できる下地はあるが出会いが無かった」お相手同士の縁を結び、そのお手伝いをするところであり、
新兵訓練所ではなく、また訓練するインセンティブも薄い(よほど成婚率が悪いとかでないかぎり、ズルズル在席してもらった方が楽)ので、
多少の背景調査が入るお堅めの合コンだと思ってもらってほぼ間違いない。
多少の違いはあるが概ね合コンセッティング業者と言われても反論はできない。
いやいやお見合いと合コンは違うじゃん!と思ったあなた。貴方の感性は正常です。
そう、男女が出会う場所として本質的に同じだとしても、やはりお見合いと合コンは違う。
事前の準備の面倒さやドレスコード、会食場所を含めて、その差異は、マナーという言葉に集約される。
けっきょっくのところ、これは礼儀、つまり相手に敬意を表すことが出来るか、という点を見られているわけだ。
試しあいだとしても、相手に敬意を持ち、それをきちんと表現した上で、さらに相手を試したり知ることができますか?という。
つまり、サイゼリヤデートは、相手にきちんと敬意を払ったうえでセッティングしましたか?と問われている。
一般的には、初回のデート場所にサイゼリヤに行くのは、試し方としては拙く、無礼だ。
そんなこと言っても、初回の相手にどうやって敬意を表せば良いのだ!と憤るかもしれない。
自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかにフォーカスして考える経験が足りていない。
そもそも結婚数そのものが下がってきている昨今、礼儀作法にうるさいご家庭はかなり減った。
実際のところ、気の置けない友人同士であれば、手土産無しにお宅訪問しても陰口をたたかれることはまず無い。
ただ、家を訪ねるのであれば手土産くらいは持参するだろうという常識が薄れても、それが礼を尽くすことになるかもしれないと思い至れないのは致命的だ。
(ブコメにハレとケの概念について触れているものがあったが、それでピンとくるようであれば読み飛ばしてもらって構わない)
じゃあ、デートにどこに行けば良いのだ!とキレるようであればまだ救いがある。調べたり改善する余地があるからだ。
サイゼリヤでも良いような女性とお付き合いしたいのだから、良いじゃないか、と考える場合は概ね笑顔で肯定し、長く在席してもらうことになる。
パブリックとプライベートとを、それぞれに応じて異なる振る舞いをすることが求められる、ということからわかっていないことが多い。
プライベートで、例えば家にいるとき、家族になった後での家の中での振る舞いで、厳格な礼儀作法を求められると疲れる、というのはわからなくもない。
「だから、サイゼリヤで価値観のすり合わせを」となるところがマズイのだ。デートはパブリックな場所で行われるものであり、特に初回のデートはパブリックよりだからだ。
さて、デートはプライベートな行事ではあるが、パブリックな空間で行われる。
次にこれが"婚活で行われるデート"の場合は、ここに"非日常"という軸が加わる。
冠婚葬祭に普段着で行ってはいけないというのは、それは非日常だからだ。
逆に言えば、高校生のデートであればサイゼリヤであっても問題ない。日常と地続きだし、場合によってはそもそも男女で食事をするだけで非日常だったりするからだ。
最後に、相手と自分との区別がついていない、という点があげられる。
これはもちろんグラデーションがあるだけで誰しもそうだが、極端に自分が中心になっていることがある。
相手が人格を持つ自分とは違う人間なのだということが分かっていないような振る舞いをされる方がまま居る。
これは男女問わずだし、誰しもが多少なりともあるが、自分の考え方が正しく、それに沿うべきだ、と考えてしまいがちだ。
サイゼリヤデートであっても相手は楽しむだろう、それが初回のデートであっても自分は嬉しいから、というものだ。
その時にお誘いした相手はどう思うだろうという視点が欠落している。
ここが"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがあると言った理由だ。
休憩にスターバックスによることが優しさであると感じる方もいれば、騒がしいスターバックスにデート中に寄るのは常識外れだと怒る方もいる。
どちらが正しいとか間違っているかということではなく、その相手がそう感じるという点が重要なのだ。
そんな初回の相手をエスパーでもないのにどう感じるかわかれなんて無理だろ!と憤るのもわかる。
そう、相手のことを心から理解するのは家族であっても難しいし、逆にそんなにピッタリだと不安になる方もいる(相手が自分に無理に合わせていたのではないかと)。
その解消がコミュニケーションであり、ここで相手と意思疎通ができるかはとても重要だ。
自分の言葉で相手に伝わるように言ったはずなのに伝わらなかったというのは大きなマイナスになる。
例えば、「相手からはデートのランチの場所はどこでもいいと言われた」というのが、「どこでもいいと言ったらどう伝わるか」とすでに試されているのだ。
もちろん、慣れていないと、ディナーの予約をしたつもりが、高くてあまり美味しくない居酒屋になってしまうこともある。それは仕方がない。
問題はそこから、どう軌道修正できるか、もしくはそういったところが良いのか実は非日常のデートなら違うところが良いのか、価値観のすり合わせが出来るかが重要なのだ。
際限なく譲歩する必要は無い。ここは譲れないラインだというのをぼんやりとでも持っておくことはもちろん重要だ。
いつもデートは帝国ホテルのディナーを予約してほしいというのは、受け入れられないとか。手違いでも居酒屋を予約するような手際ではムリだ、とか。
まだ家族になってもいない相手を試すのであれば、相応の礼儀を尽くしたうえで、失礼のないように試すべきなのだ。
だから、何度かデートを重ねたうえで、段階を踏んで、「お互い普段はファミレスに行くって言っていたし、どう?」と誘うのであれば何の問題もない。
両方がともに普段着で集まって、いつも行くような店に行こうとコミュニケーションが取れてからなら、焼肉でも二郎でも好きに行ったらいい。
いきなり相手を連れて行って試すような真似をするのは、本当に止めた方が良い。考え方が幼すぎる。
礼儀を尽くしてサイゼリヤに行ったんだと主張するのであれば、それはそれでも良いと思う。似合う人が見つかると良いね。
あなたから見れば、あなたは人生の主人公で、それ以外の人間は登場人物に過ぎないと感じるかもしれないが、実際はそうではない。
まあ、そう無理することも無いと思うんだよね。業界的にはその方が助かるし儲かるから。増田にしか書けないよこんなこと。
つーか、ぶっちゃけオマエ試してる場合なの?ってことの方が多いから、経験則的に言えば全員一律相手を試してる場合ではないでフィニッシュです。
相手を試さないといけないくらいひっきりなしにアプローチを受けてますなんて人は、ホントに出会いが無いだけで結婚相談所の能力と無関係に成婚するしね。
Rの支払いでLのコンビニコーヒーを飲むと数百円の差額で懲戒免職になるという。1900万円の不正支出や自殺への追い込みはどれほどの懲罰になったのだろうか。
職場の中における同調圧力が強すぎて本人の意志とは半ば無関係に同和利権を容認するような書類を処理してしまうのは、職務における真剣さや勇気の欠如ではあるが、それは個人の生存戦略と社会通念上のモラルのどちらを優先するかの話であって、その人間を明確な悪と断ずるのはいささか求めるハードルが高くないか?
対してコーヒーの値段をちょろまかす行為は、明確な自由意志に寄る明白な詐欺・窃盗行為であり、100%自由に自分の行動が選べる状況において、完全に自己の利益のみを目的として、他者に不当で不誠実な取引、というよりハッキリ言って差額分の万引きと等しい行為を行っているわけで、判断力の低下を招くような追い詰められている状況でもなければ、本人以外の意思が介在するようなシチュエーションでもないわけだから、明確にその人間が悪党であると断ずることが出来るんじゃないのか?
扱った額の大小に注目してどっちが重い罪をなしたかではなく、どちらがより「自分の自由意志をもって犯罪行為に手を染めることを選んだのか。犯罪行為に手を染めない道を選択できる自由がどれぐらいあったのか」で判断すべきじゃないのか?
というかそもそも、この2つを比較するのが完全におかしいというか、状況が違いすぎないか?
IT業界で、昔はSESで働いていて、大手によく客先常駐していた。どこも大手ばかりでノウハウはしっかり蓄積され、設計書なども充実していた。
SESを脱退し、そこそこ大手のIT企業の正社員になれた。しかし、そこはこれまでのSESで客先常駐していたような企業とは違い、あまり体制的には良くはなかった。
工数管理は基本中の基本であり、やらないIT企業はなかなかないだろう。しかし、当社は違った。
1日に何をしたのか、報告の義務はなく、ただ作業していればよかった。
工数管理とは、案件ごとに工数管理のための番号(工数番号)を振り、さらにその工数番号ごとに要件定義、基本設計、詳細設計、実装/単体テスト、結合テスト、総合テスト、などのサブ番号に分割して、工数を登録することである。
さらにセキュリティ教育などは個々の案件と無関係なことが多いので、維持管理用の工数番号が振られていることもある。
リリース後のトラブル対応なども工数を消費するので、それ専用の工数番号などもあったりする。
さらに、日々の工数を詳細に記載する日報のようなものも導入しているところが多く、どの作業に何時間作業したかを15分単位などで記載する。
工数管理のいいところは、作業をサボりにくくなることだ。作業効率が客観的に見えてしまうため、現実を突きつけられ、もっと頑張らなきゃ、と思う。
工数管理のだめなところは、とにかく面倒くさいことだ。当然だが、工数管理を行うための工数、は工数管理には入力できる枠はない。が、確実に無視できないレベルで工数を消費する。あとトイレなどにつける工数などもない。
しかし、活用されておらず、形式上だけ数字さえ入っていればそれでいい、というものだ。
その形式上すら煩わしいらしく、若手の意見をバリバリ言う人から、
・工数管理は全く意味がない。適当な工数を入力していても誰もチェックしていないのか、何も言ってこない。
・工数管理をしっかりすれば、1日に働いた時間がわかるのだから、勤怠システムは不要である。工数管理システムと勤怠システムを一本化すべきだ。
などの意見が出ていた。
そりゃあ工数管理が根付いてない企業に工数管理を行えばそうなるでしょう。
工数管理は業務に結びつくものではなく導入メリットは明確には測れない。しかし、めんどくささは圧倒的だ。
結果、工数管理システムは完全に廃れ、入力すらしなくても誰も何も言わなくなった。
つまり、当社はよく言えば従業員の意見が通りやすい、悪く言えば従業員のわがままが通ってしまう企業なのだ。
従業員の意見を尊重し、押し付けをせず、それぞれのルールを重んじる。良いことであるが、それでは業務は改善できない。
これまでもそこそこやれてるのだから、それを無視して新ルールを導入しても、組織が壊滅する可能性が出てくるだけだ。
工数管理は基本中の基本だ。どこもやっている。それすらも当社は従業員のわがままが通ってしまうのだ。
(まあ当社の工数管理はテキトーだからダメだったのであって、もっと厳密に管理して、日報なども義務化すれば、これまでサボってた社員もサボれなくなり、結果的に業務は改善していたと思うが。)
PDCAはPlan, Do, Check, Actionの頭文字を連ねたもので、つまり、まずは予定(Plan)ありき。予定がないと実行(Do)はしてはいけない。
実行した後は必ず振り返り(Check)を行いなさい。
当社もPDCAの概念はあるし、週報という形でそれを実現している。
しかしその概念は根付いておらず、週報以外ではPDCAは無視している。
つまり当社は、まずは実行があり、計画は立てることは必須ではない。多くの人は計画を立てない。
振り返りも当然実施しない。実行のみがある。Do, Do, Doである。
これは作業者レベルでそうであるし、案件レベルでもそうだ。案件はたしかに最後には振り返りの資料を作成する必要がある。しかし、これは単に作成しなきゃいけないから作成してるだけで、綺麗事をまとめた振り返りである。
本来は、まずは理想を語り、次に現実を語る。しかし当社は、過去をグダグダ言っても仕方ない、と理想を一切語らず、現実のみを語る。しかし振り返り資料には上司受けするような荒唐無稽な対策が記載される。
当社は、作業の前には計画ありき、などの文化は全く根付いていない。優秀な人間でも根付いていない。
私はただの平社員なので、それらについて指摘はできない。指摘したところで「じゃあどうするの?」と詰められて終わりだ。指摘するなら十分な資料の作成と具体的な対応策の準備、そして責任と人を動かすカリスマ性が必要だ。私にはそれらを準備してまで無駄に頑張る気はない。
と書かれていた。
本来は、業務改善は個々のチームだけの問題ではないので、上層部でマニュアル化してルール化すべきではないのか?
アイデアは個々のチームから出してもらっても良いだろうが、それを取りまとめて全体で取り組ませるのは上層部の役目ではないのか?
それをなぜ、個々のチームに依頼する?
業務改善といえばマニュアルの作成や設計書フォーマットの作成だ。
それは能力の低い人でもマニュアル通りに作業することで能力の高い人と同等の仕事をできるようにするためである。
しかし、当社はマニュアルを作る習慣はない。自分用のメモは作るが、維持管理に使えるマニュアルは誰も作らない。
フォーマットがあるだけで記載漏れがかなり減る。考慮漏れも減る。作業が具体化されるからタスクも細分化して記載できる。
当社には推奨するプログラミング言語はなく、推奨のフレームワークもない。
これらが共通化されていれば、開発者がいろいろなチームに参加しやすくなるし、別のチームの有識者に相談しやすくもなる。
こういった業務改善は本来は上層部が率先して枠組みを作るべきだ。しかしやらない。
上層部に知識がなく、やるとしたら雑な仕事しかしないから、やられると逆に困るのだが。
当社はとにかく従業員の声が大きい。強い。
業務改善などの施策を出しても、従業員が納得しないと続かない。
そういう文化を変えるのは並大抵のことでは出来ない。
環境が変われば人は変わるだろうが、そもそも環境を変えるには人を変えないといけない。だから変わらない。
仕事が回らなくなり死にかければ変わるかと思ったが、たぶん変わらない。
仕事の仕方を変えるくらいならきっと死を選ぶだろう。それくらい変わらない。
2024/05/15 10:48
工数管理すべきなのは、成果物ではなくサービスを提供する人なのかもしれない。例えばPMなど。
当社の開発チームは、開発者やPM以外にも、君必要なの?何やってる人なの?打ち合わせには参加してるけど、ただの工数食い虫じゃね?みたいな人もいるのです。
まず以下の前提条件を満たしてください
良い物件だと栓をしてボタンぽちーでおよそ5~15分程度の時間で浴槽に十分な温水が溜まる
かつてテレビがある時代なら、終わる15分前ぐらいにボタンぽちーをして終わった後に風呂入るというゴールデンパターンも多かったはずだ
溜まるまでの時間を待つのも有効活用するのは、タイパタイパと言ってる君らにとっては常識では?
一人暮らしであれば別にいきなり入っても問題はないかもしれないが、通常は以下のようにこなすだろう
湯船に入る時間が結構重視されることもあって、15分~30分程度の時間ということにはなるだろう
防水用の時計とかがあれば便利だが、デジタルネイティブの時代ならスマホを持ち込むのは当然ですよね
その前の体を洗う時間はRTAをしても洗浄効果を低くするだけなので、そこは時間を気にせずとにかく綺麗にすることに集中すればよいだろう
風呂入らない人間にとってはそこが障壁だったりするが、その場合は5分は洗うなどの逆RTAだったりスコアアタックと考えるべきだろうな
かつてMステを見ない俺からしてみれば、ドラえもん・クレヨンしんちゃんが終わった後に金曜ロードショーまでは風呂タイムと決めていたぐらいだった
今ではYoutubeなどによって時刻無関係になってしまったため、逆に何らかの方法で決めてしまわないと延々と入らないことになることが多い
「女が学生に液体をふりかけ、奇声をあげている」熊本大学で19歳の女子大学生に液体をかけ髪を引っ張った34歳の女を暴行の疑いで現行犯逮捕
きょう(5月6日)午前10時半ごろ、熊本市の熊本大学で、講義中に女子大学生に液体をかけたなどとして、暴行の疑いで34歳の住所・職業不詳の女が現行犯逮捕されました。
【写真を見る】「女が学生に液体をふりかけ、奇声をあげている」熊本大学で19歳の女子大学生に液体をかけ髪を引っ張った34歳の女を暴行の疑いで現行犯逮捕
きょう午前10時半ごろ、熊本市中央区の熊本大学黒髪(くろかみ)キャンパスで、講義を受けていた学生から「女が学生に液体をふりかけ、奇声をあげている」と110番通報がありました。
警察などによりますと、現場は文学部などの講義が行われる1階の教室で、2時間目が始まった直後、女が突然、教室に侵入。
講義を受けていた19歳の女子大学生に、透明の容器に入った箱から色のついた液体をかけて、髪を引っ張ったということです。
この直後に、女は他の男子学生に取り押さえられ、暴行の疑いで現行犯逮捕されました。女子大学生(19)にけがはありませんでした。
またお前らが精液かけたのか
xxがうまくできません。どうしましょう?
ChatGPTはこう回答してました。
(xxとは到底関係なさそうな内容)
少し読んだだけでわかるくらい無関係な内容が書かれてると逆効果だからやめてくれ。
チームが違うのでそういう質問の仕方やめろとも言いづらい。
Xで共有された動画で塾講師の先生が「要領が悪い奴は定数を動かそうとする、変数をどうにかすべき、だからこういうところが数学を学ぶ意味だ」とか言ってんのよ
いいか、数学ってのは公理から演繹的に体系を導き出す「芸術」だ
証明法にもエレガントさってものがあるし、第一、美しくない公理体系は見向きもされない
定数ってのは物理学の話だ。物理学にはプランク定数h、光の速度c、重力定数G、という基本的な3つの定数があるが、たしかにこれらを「動かそう」という話はしない
あるいは数学にもπやeのような定数はあるが、要領の良さとは無関係であり、動かそうという話もない
しかしそれは常識レベルの話だ、「誰も神の力を持っていない」と言うようなものだからだ
線型回帰を適用したら定数項が出るかも知れないが、これは変数に依存しないというだけの話で、データが変われば動く
政治に対しては努力次第で影響を与えられるし、人間関係だってそうだろう
「努力の大きさに見合わないほど、それを動かすのが難しい」という話をしたいなら、残念ながらそれは「定数」の話ではない、むしろ現象が変数に対して持つ感度の問題である
しかし俺がいいたいのはそういうことじゃない。芸術であるはずのものを「要領の良さ」という低俗なトピックに落とし込むその感性が全く同意できないのである
例えばラングランズ・プログラムの先にあるものはなにか、と考えれば、それは驚愕的な数学の繋がりを示すことであり、陳腐とも言える「要領のいい」応用を目指したものではないだろう
要領の良さというのは、要するに経済学の話であり、数学ではない
わかったか?
ニンテンドースイッチのゲームまた50本遊んで感想書いたのでまとめ(その二)
宝探しが大好きな主人公が、永遠に続く夏休みに巻き込まれてしまう、疲弊する仲間たちを宝探しゲームの魅力で前向きに成長させるノベルゲーム。
位置情報を使った宝探しゲームの魅力が本作の大きな主題で、いわゆる「謎解き」が何故楽しいのかを掘り下げるストーリーは、ある意味ではミステリの評論的でもあり、非常に興味深かった。
作り手はいじわるで解けない謎ではなく相手のレベルに合わせた解ける謎を愛を持って提示すること、解く側は愛を持って作っていると信じること、この二点への議論が丁寧に何度も行われており、なるほど納得する箇所も多かった。
物語としても、永遠に続く夏休みを満喫する楽しいパートと、それを否定して前向きになることを希う苦しいパートとのバランスがよく、ボリュームこそ少ないが過不足はあまり感じない、いい作品だった。
普通の男子市松央路が某国の王女とひょんなことから知り合いになり、いろいろな事情で彼女を始めとした上流階級が通う超エリート校、私立ノーブル学園に転校する学園ラブコメ美少女ゲーム。
魅力的なヒロインが多数登場するものの、市松央路がまさに主人公していき、自分の「金色」を見出していくストーリーは、美少女ゲームにとらわれない王道のまっすぐな面白さがあった。
そんな無数に広がる夢を追う若者の瑞々しさと、とあるヒロインにまつわるビターな展開とが、良い意味で後味が残る作品になっていた。
オープニングテーマの歌詞「明日宇宙飛行士になって大気圏外で愛を叫ぼうか」が端的にこのゲームの良さを示しており、口ずさむたびに主人公の市松央路の未来を考えてしまう。
金色ラブリッチェのファンディスクで、それぞれのヒロインのアフターストリーと、追加ヒロインのルート、そしてゴールデンな独自のルートが楽しめる。
特に前作ではルートがなくサブキャラ扱いだった、年下ながら主人公の教育役でビシビシと厳しく指導してくれるミナちゃんのルート追加が嬉しかった。
前作はビターで苦いエンディングもあったが、今作は塗り替える万事がすべてうまくいくハッピーなルートであることが、開幕早々に示唆される。
多少、いやかなり無茶な設定が唐突に出てくるが、どんな過程だろうと金色ラブリッチェをハッピーエンドに締めてくれたのは嬉しく、これはこれで大好きな作品だ。
ハードボイルドな探偵サイガが、謎と事件がひしめく奇妙な地方都市「祭鳴町」を駆け回る短編連作形式のノベルゲームで、コメディ調の明るいゲーム。
探偵、事件、謎とミステリの建付けではあるものの、そうそうにリアリティラインと軽いノリが明かされ、本格パズラーでないことが明示される潔さが良い。
サイガの相棒となる性別不明の助手役レイの可愛らしさは素晴らしく、キャラクタの性別を問わない魅力的なシーンが多くあって印象深い。
はじめは打算で助手になったレイが、いつの間にかサイガと分かちがたい関係値を築いていくシーンは感動的で、名コンビとして末永くシリーズ展開して続いてほしいと願っている。
数名の客と無限に飲めるドリンクバーしかないファミリーレストランに閉じ込められた主人公が、ひたすらに雑談をし続けなにかを変えていくアドベンチャーゲーム。
とにかく同じく閉じ込められた他のキャラと雑談をしていくことで話が進んでいくのが独特な味を出している。
情緒溢れる風景を描写するテキストに、何かを示唆するような哲学的な会話と、何も示唆しないただの雑談とと、雰囲気重視の芸術的な考えオチ系のゲームかと思いきや、しっかりと設定の開示がされ明確なストーリーの筋があるのが面白い。
徐々に明かされる設定の妙も良いが、魅力的な会話劇がたまらなく、主人公とガラスパン(キャラの名前)のカップリングはひときわ心に残る良いものだった。
非常に荒い抽象的なドット絵で事件の捜査を行うアドベンチャーゲームで、をスマートフォン向けに発表されていた3篇と、移植版独自のエピーソードの計4本楽しめる。
殺人事件の捜査をする刑事という王道中の王道が導入ながら、なかなか一筋縄ではいかず、お約束に縛られないストーリーが面白かった。
ルックのドット絵もそれに一役かっており、この絵柄だからこそ出来る表現もあったりして、やれることは全部やるような圧すら感じる。
謎解きの過程よりもサプライズに寄った作風は、テキストが主体のアドベンチャーゲームでは珍しく、良い意味でプレイヤーと探偵が乖離した、独特の魅力があった。
○好き
月姫-A piece of blue glass moon-
直死の魔眼という人、物を問わずそれを殺す線が見える奇妙な体質になってしまった遠野志貴が主人公の新伝奇ノベルゲームで、同人ゲーム月姫のリメイクバージョン。
全ての人の死が見えるため独特の価値観を持つ遠野志貴が、月が出ている間は決して死なない吸血鬼の姫アルクを見たとき、死の線が見えないため美しいと感じ、彼女と行動を共にすることになる。
この物語の導入部分で一気に引き込まれ、一息に遊び終えてしまい、かなりのボリュームの作品なのに物足りなさを感じてしまった。
真祖の姫、死徒二十七祖、魔法使いなど気になる設定が数多く登場するのも興味深く、特に死徒二十七祖がその「原理」を開示するところは、めちゃくちゃ格好良かった。
(まあ、原作では5ルートあったうちの2ルートしかないから、主人公の生まれの秘密とか、妹の秘密とかは不明だしね)
南極で遭難した調査隊と、何故かメッセージのやりとりが出来るようになり、彼女たちに文章を送付することでストーリーが前に進むアドベンチャーゲーム。
メッセージアプリを模したタイプのゲームで、家庭用ゲーム機では少ないが、スマートフォン向けゲームでは結構流行っていたジャンルだ。
システムの都合上、一切キャラクタのデザインなどは画面に登場せず、テキストだけで淡々と進むが、しっかりとそれだけでもキャラに愛着が湧くし先が気になる。
サイエンスフィクションらしい、未知の技術を踏まえたストーリーも面白く、しっかりした丁寧な作品だった。
母方の実家に帰省した主人公が、奇妙な言動の少女と出会うことから始まる一夏のボーイ・ミーツ・ガールもののノベルゲームで、原作はスマートフォン向けのゲームだがケムコがインディーゲームをパブリッシュする流れで移植したバージョンを遊んだ。
ボリュームはそれなりだが、登場人物がかなり絞られているため過不足はあまり感じず、ヒロインの真琴の魅力は十二分に伝わってきた。
導入こそ嫌な奴だが、少しづつ絆されていき、関係値がどんどん出来上がっていくのは、青春ものらしい良い展開。
中盤で一気に作品の雰囲気が変わり、ハラハラする展開が始まるが、主人公と真琴の関係を疑う余地なく信じられるからこそ、このタメの部分も楽しく遊べた。
原作はセガサターンの美少女ゲームと脱出ゲーム(今風の言い方で昔はこんな呼び方じゃなかったかも)を組みわせた作品で、それを遊びやすくリメイクしたバージョン。
プロバビリティの殺人大好きマンが建てたとしか思えないデストラップ満載の奇妙な館に閉じ込められた男女が、恋愛しつつ館の謎を解き明かしていくストーリー。
ストーリーを楽しむというよりは、フラグを建てたり建てなかったりの、フラグ管理のゲーム性を楽しむタイプのアドベンチャゲームになっており、各ヒロインごとのエピソードはそれなり。
本筋となる記憶喪失の少女にまつわるエピソード郡は文量も確保されており面白いので、手を抜くところと力を入れてるところの加減がはっきりしていたゲームだった。
警視庁に新たに設立された取り調べ専門の部署、そこに配属になった女性刑事の真野ハルカを主人公に様々な事件を取り調べだけで解決していく短編連作形式のアドベンチャーゲーム。
いわゆる閉鎖劇を期待するが、案外普通に現場には赴くし、周辺の捜査や聞き込みを行うパートもあるので、普通のミステリ系アドベンチャーゲームとあまり有意な差異はなかったかもしれない。
しかし、テンプレ感があるのは3話までで、後半の4話と5話は取調専門部署の独自設定をうまく利用した展開が続き、見どころもおおかった。
シリーズ化もできるだろうし、続編では最初から今作後半のクオリティでやってくれれば、もっと好きになれるかもだ。
死を前に運命の女神によって生きながらえた12人が本当の生を求めて「女神の選定」というゲームに挑むノベルゲーム。
そんな緊張感溢れる導入ながら、女子高校生のありふれた日常と、女性だけの三角関係から来る恋の鞘当てが話の主題になっていく構成が面白かった。
特に三角関係パートを陰ながら支え「女神の選定」とは無関係なのにメチャクチャ苦労する小熊真央ちゃんの活躍は目をみはるものがある。
最終的にはこの二つの路線が主人公とヒロインの生きて叶えたかった未練に直結していくため、無駄な描写になっていないのも面白かった。
奇妙な犬、送り犬にまつわるホラーなエピソードがいくつも収録されたサウンドノベル。
サウンドノベルらしく、ルートごとに世界の設定レベルで変化していくため、多種多様なストーリーが展開していく。
ホラーがベースではあるものの、コメディ、サイコスリラーと色の違うものに加えて、視点人物も女子大生、その友人、ストーカー、警備員、ポメラニアンと多様なのが面白い。
メインの主人公が親元を離れて一人暮らしをする女子大生なので、親の目無しセックス有り略奪愛有りの大人なやり取りが多くあるのが面白かった。
ファミコン風のレトロなドット絵でサスペンスドラマのようなストーリーが楽しめるコマンド選択式ADVのミステリー案内シリーズ第三弾。
今作は自殺した女性の足取りを追う丁寧な展開で、落ち着いた雰囲気の中、少しづつなぜ被害者が自殺したのかの心の在りようを探っていく。
シリーズを通しての観光パートや、名産品に舌鼓を打つパートなどは健在で、大分県の名物をたっぷり楽しめる。
社会的テーマを問う部分も、とってつけた感は薄く、しっかりと本題の謎と密接な関係にある点が良き。
終電に乗れなかった主人公が臨時終電と名乗る謎の電車に乗り込んだことから始まるホラーノベルゲームで、携帯電話専用ゲームの移植版で千羽鶴シリーズの第三弾、シリーズではあるが、作品間の繋がりは薄く、今作独自の世界観やキャラクタが楽しめる。
今作では、一つの大きなシナリオがありそこから分岐する形式で、同じ電車に乗り合わせた複数人と力を合わせつつ、シナリオをザッピングしながら進めていくのが特徴。
原作の媒体が携帯電話なので小さいゲームではあるが、本格的なサウンドノベルをやろうとする気概が伝わってくるし、実際フラグ管理や、群集劇めいた作劇の妙など、かなりシッカリしたゲームになっていた。
メインから離れた設定のシナリオも用意されており、そちらではコメディ、SF、恋愛ものなど、ホラー以外のバラエティ豊かなエピソードも読めるのが良かった。
小学生男子のけんた君お手製の自作RPGを放課後に遊ぶという”テイ”が面白い、アドベンチャゲーム。
小学生が作ったという建付けのルックが徹底しており、手書きのノート、筆箱やボールといった小学生のお道具を使ったシーンなど、見てるだけで小学生らしさが伝わり凝っている。
けんた君がその時々ですべてのシーンを演じてくれるのが、作中作めいた構造の妙を感じれて面白い。
テキスト主体ではなく、その時々シーンに応じた操作方法になる多様なゲーム性があるが、ステータスを増減させたり、複雑なフラグを立てたり、アクションのプレイングが求められたりといった、他ジャンルの要素はあっさりめで、あくまでアドベンチャゲームではあったと思う。
携帯電話専用ゲームの移植版で、物語としてのミステリー、というよりは推理クイズの体裁のシリーズ第三弾。
今作はシリーズを通してついにストーリーらしいストーリーが導入され、普通に面白かった。
とはいえ、相変わらず推理クイズのような謎とあらすじの関係性が薄い点は気になりはしたが、ストーリーがよければ全て良しなのはこのジャンルならでは。
シリーズを通しての馴染キャラたちにも変化があるなど、続きが気になる終わり方ではあるが、移植されているのここまでなので、続きの移植もG-Modeさんお願いします。
アウトドア初心者の新人ライターがキャンプのツアーに参加するホラーノベルゲームで、携帯電話専用ゲームの移植版で千羽鶴シリーズの第二弾、シリーズではあるが、作品間の繋がりは薄く、今作独自の世界観やキャラクタが楽しめる。
ホラーなストーリーが主軸ではあるが、ルートごとに全く異なる設定になっていくタイプのストーリーで、コメディ、伝記、スリラー、サスペンスなどが楽しめる。
視点人物がヒロインに変わるパートもあり、そちらではまた異なったエピソード郡が待っているのも面白い。
全体的に人が死んだり傷ついたりする残酷な話が多いものの、やったやられたのバトルシーンのような読感のため、ある意味カラッとした山らしい内容が多いのが特徴的。
携帯電話で展開していた探偵・癸生川凌介事件譚シリーズの第十一弾。
今作からシーズン2と呼称されており、今までとはシナリオライターさんが異なるし、作品中でもいつもの面々の登場も少なめ。
五作目の「昏い匣の上」で登場した、都市伝説ライターの弥勒院蓮児が視点人物になっているため、情緒的な文章が多く、謎解きも動機の側面が多め。
シリーズキャラである癸生川凌介が登場するときに思わず、ホッとしてしまい空気感が変わるのが面白かった。
携帯電話で展開していた探偵・癸生川凌介事件譚シリーズの第十二弾。
小中学校を舞台に複数の事件が発生し、それぞれを追っていく複雑なシナリオ。
謎を解き明かす過程よりも、それぞれの事件における被害者と加害者の心の在りようを深堀りしていく操作が多く、人間関係の妙を楽しむタイプの作風だ。
短い文章ながら、身勝手な悪意で他人を振り回す残酷さがしっかり情緒豊かに描かれており、操作を通じてドンドン嫌な気持ちになっていく悲しいストーリーだった。
Wikipediaの定義は「特定の集団に所属する個人や、性別など特定の属性を有する個人・集団に対して、『その所属や属性を理由に』異なる扱いをする行為である」とある。
また、国連は「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である」と言っている。
「鏡面対称の女性への好意」という逆の命題は「除外行為」や「拒否行為」ではないので差別に含まれない(対称ではないのだよ)。
よく考えたらわかると思うんだけど、好意まで差別とか言い出したら、「このお店は好きだからよく利用する」とかも差別になるぞ?
「このアイドルが好きだからスパチャする」というのはその人でないといけないわけで、「所属」や「属性」で判断してるわけではないので差別に当たらない。
所属や属性(「男だから」「女だから」「黒人だから」)とか、差別される側からしてどうしようもない理由で「男(女)だから」とまとめて除外とか拒絶されるというのが差別だ。
あと、「男女不平等に女だけ厳しくする理由が何かありますか?」はについての答は「そんなものはない」になる。
ただし、差別が何かを理解していなくて、あなたが自分(女)だけに厳しいと勝手に勘違いしてるだけ。
キチガイなんて他人に安直に言える人格のが人間として底辺ですよ
これは何度も出てくるが、結局のところ「男性と痴漢が全然関係ない」ことを理解してない奴らが多すぎる。
で、「男に痴漢撲滅するインセンティブなんかなくね?」に反対する奴らは、「インセンティブがない」という人に何をしてほしいんだ?
まず男性には痴漢撲滅するインセンティブはない。これは単なる事実だ。
そもそも「男性と痴漢が全然関係ない」ことを理解していれば、痴漢をなくすために「男性に何かをしてくれと依頼」する内容になるはず。
でも「依頼」しているどころか「ウエメセ」で見下す内容しかない。
少なくとも男性が痴漢に関係していると思いこんで、やたらと上から目線で攻撃する輩しかいないようにしか見えない。
そしてエセフェミが出てきて、男性に依頼するという概念を理解できず、やたら攻撃的だ。
「男性と痴漢が全然関係ない」ということを理解せず、あえて否定する奴らばかりでどうしようもない。
ここからが本題で、結局、全く痴漢に無関係な男性に何をしろと?
- 正気で言ってるのだろうか?
- どう見たって極論をいいたいだけ
- それで運賃が上がりますと言われたら反対するが会社がかぶるなら何も言わない
しかも上から目線で男性を犯罪者と断定してくるやつにすることはなにもない。
そんなつもりはないとか言い出すかもしれないが、どう見てもそう見える。しかし、本題はそこではない。
「男性と痴漢が全然関係ない」ことをなんにも理解してないことは、置いておいて、で何をしてほしいの?
未だによくわからないんだが。
もしなにもないのであれば、インセンティブはないのは正しい。
「一部の差別者男性以外みんな納得して協力してくれるでしょ」などと言って、勝手に男性に背負わすのはやめろ。しかも差別者にするな。