はてなキーワード: 社会貢献とは
論理性が大事だと強調するのって、多分理性が云々というよりは会社員の道徳にどっぷりと浸かってるんだと思う。会社員でなくとも、目的を共有してる組織の構成員というか。
飲食ならうまい飯を追求したいだとか車屋ならもっと速い車を作りたいだとかのロマンもあるかもしれないし、あとはよりよい労働環境の実現だとか社会貢献みたいな副次的なものもありつつ、主要な所で言えば多くて5つくらいの目的に絞られそう。
目的が共有されてればあとはそれを実現する方法論を追求するだけでいいから、論理性・合理性だけを気にしてればいい。
でもそれはそういう組織や商売の世界みたいな限られた社会でだけ通用するものであって、別に世界中で目的が共有されてる訳じゃない。
いるけどね。日本国民たるもの〜理性に生きる人間たるもの〜みたいな人も。
人権思想ですら本当に共有されてるかどうか怪しいもんだし。目的じゃなく手段であって、自分さえ困ってなきゃそれ以上に機能しなくとも別にいいと思ってるかもしれない。
論理性以前に、前提となる価値観だとか目的が共有されてなきゃ話にならない。
コミュニタリアニズムと徹底した個人主義のそれぞれを信奉してる二人が、各々が思う「よりよい社会」のどちらが正しいかと論理的に議論しても平行線にしかならない。前提が違うんだから。
まず互いの前提となる価値観や目的を確認して、それが衝突するかどうか、すり合わせる余地はあるか、そうやって前提を共有して、論理的な話はそれからだと思う。
まあ確かに論理がおかしいせいで話が通じない事もあるかもしれない。ただそれが全てでもない。論理も大事なんだけどそれはあくまで手段であって、まず目的がなきゃ何の訳にも立たない。
これを間違ってると思うなら、それは「論理性に欠ける感情的な判断」だからじゃなく前提となる怠惰な態度が気に食わないだけだ。将来での悪影響を考慮し、一定以上の摂生を心がけるべきだ、という前提を当たり前に相手が自分と同じ目的を共有してると思ってるか、この一規範を疑うべきもない真理であると信仰しているか。いずれにしても、合理的な指摘ではなく一価値観への非難に過ぎない。
YouTube広告の面白いところは怪しげな企業や個人の広告が見られるところだ。
怪しげな広告はあの手この手でユーザーを刺激してくれて、とても刺激的だ。
コンプレックスを刺激、悩みに同情、解決案の提案、輝かしい未来、社会貢献、限定感などなど。
正気を保たないとうっかりメルマガやらLINEを登録してしまいそうになるほど魅力的な提案や商品を紹介してくれる。
出稿者がどんな人や企業なのかを調べたり、動画の制作に関わった人たちのことを想像し、その背景を想像できるのがとても楽しい。
商品購入や会員登録はされてるのかな、商売って難しいよな、こんな動画作りたくて業界に入った訳じゃないよな、人生って厳しいよな、会員登録したやつはリスト化されて情報売られてるのかな、なんてことを考えさせてくれ、世の中に溢れているありきたりなコンテンツよりも、私に内省と気付きを促してくれる。
ちゃんとしてそうな企業の広告はイメージ広告が多く、ぜんぜん面白くない上に何を訴求したいのか分からないので非常に退屈だ。タレントを使った広告なんて誰のための広告なのかを疑ってしまう程に貴族の遊びだ。
今ではイメージ広告と本編が始まるとイラッとして次の動画にスキップするくらいだ。
でも、動画をサクサク飛ばしていると個人の情念が乗っかったクソみたいな動画(再生回数も少ない)に偶然出会えるのも楽しみのひとつだ。
変に定着されて、昨日は気にならなかった1mm1pxが今日は気にくわないからって、印刷会社やウェブ会社に進行ストップかけて関係者のスケジュールを破滅させるような馬鹿が一人消えて良かったじゃん。社会貢献として誇って欲しい。
単に生活するため、食べていくための社会貢献を誰がしたかということに関して言えば、そもそも、昭和54年からのこの国の行政の行動原理がそんな善意の行為なんぞにあるとは思えないが
食べるとか生活するだけだと今の4,50代は生まれたときから何でもあったし、食べられないと言うことが理解できない。井上修二の時代であると、延岡西高校で、学歴のない生徒は、
筋肉だけつけて、受験生は別の世界で戦う、北予備では、医学部生を育成し、文系は適当にやってもらう、更に、40歳の東大生の世界では、東大生のうちに文化面で活躍してもらう
といったような、雑然とした政策で、そうした政策は、東大生に関しては、麻生太郎が管轄していたので、麻生太郎が知っているだろう。
その、30代、40代は終わったから世間体で外に出られない、もう賞味期限が切れている、といったようなこの国の漠然とした価値観から自宅にいるしかないといったような感じである。
そのような戦時中のような生活を強いられ、 平成時代に存在した事情は1つも言えないという常軌を逸した状況がここ10年である。
インターネット上では、遊びの話、といったものはなく、全て、食べていくうえで糞か糞ではないかの争い、それ以外は、食べることに直結する、エロの話で、一昔前のような女子供向けのサイトは
どんどん消えている。いくら東京大学生がはるか昔から食べる社会を支えてきたといっても、食べるものはあって当たり前という完全無欠でstrongな社会が40年前からあったのだから、最近の東大卒
これを、わりと政治ネタに反応している方まで言っているを目につくのだけれど、どうしてかと思えば、原因となった問題からもう35年とかたってるからなんだな。
上の世代は知ってるから当たり前だと思ってるけど、下の世代は規制後しかしらないから、当時何があったか知らないんだとわかった。
ロッキードと言うアメリカの飛行機屋が、新作飛行機が売れなかったからと言って各国の政治家に金を賄賂をばらまき買わせたと言う事件。
収賄で当時の首相田中角栄ほか大物政治家がごそっと逮捕される。
当時は不動産などもやっていたリクルートが不動産開発で目を付けた土地の規制解除等を目的として多数の政治家に未公開株を配った事件。
当時は暴力団の公然経済活動を行う組織の一つであった東京佐川急便と大物政治家が共存関係にあった事件。
金丸信は東京佐川急便を通じて今で言う反社会的組織をコマとして動かしていた一方で、政治献金も受け取っており、最終的に内閣総辞職に追い込まれた。
政治家個人と企業が献金等を通じて近くなりすぎ、共依存関係になると問題が大きいとして、企業政治献金が勤仕されるという経緯がある。
一度政党や政治資金管理団体が受けろという事になったわけだ。これはそれなりに効果があって、ここまでエグい、企業献金が関わる汚職事件はその後しばらくは起きていなかった。
ただ、それがパーティー券という形で迂回される事態になっており、それがエスカレートした挙げ句、裏金として流通していたというのが今回の話で、
政治資金規正をしたら汚職が大きく減ったのだが、その迂回方法があって規制に穴が開いていたのでまた問題が発生した、と言う事で、このような規制逃れは辞めるべきだ、という話になっていると言うのが今の話。
ちなみに、政治資金の質は、特に大企業はコンプライアンス遵守のため大きく様変わりしている。
大抵の大手企業は、主な政党全てに、法律で許容される限度額を目安に均等に政治献金を行っていて、それは多くは「社会貢献である」と答えている。
こう言う横並びの状況の中で、パーティー券の購入は数少ない政治家個人にアプローチできる手段になっている面があって、企業は頼まれたら断れない場合も多いと思われ、
献金している大手企業は冷めた目で見て、さっさと規制してくれた法が面倒がないと思っている。故に、政治家側が資金源がたたれるため、ジタバタしている面がある模様だ。
このあたりの件。ゴミ行政はそもそも制度設計がミスってるので、現行制度を前提にあれこれ言ってもあまり意味がない。
ゴミ行政の目標とするところは、細かい点で議論はあるにせよ、大まかに以下の点は疑いないだろう。
1. ゴミの総量を減らしたい(環境負荷と処理費用の両方の観点で)
2. 特に、ポイ捨てや家庭ゴミ持込のような不法行為を減らしたい(見た目に美しくないし、迷惑なので)
現行制度(消費者からゴミ回収費用を取る)を考えると、ゴミになるものを買った時点でゴミの発生は確定しているので、ゴミの総量は減らない(1の観点でメリットが無い)。回収が有料なので、ポイ捨てや家庭ゴミ持込にインセンティブが生まれる(2が悪化する。市民のモラルによって影響の程度は異なり得るが、必ず悪化の方向へ誘導される)。モラルの高い市民は、ゴミを減らすために商品を買い控える(3が悪化する)。総合すると、全面的に悪化する。
ここで、ゴミ回収費用を製造者・販売者から徴収する(ゴミ税を新設してゴミの出にくい商品を作るほど減税する)ように制度を変更すると、個々の商品から出るゴミが減るので、ゴミの総量が減る(1の観点でメリットがある)。ゴミ回収費用をケチるためのポイ捨てや家庭ゴミ持込はなくなる(2の利点。そもそもモラルがない奴もいるのでポイ捨てや家庭ゴミ持込は完全ゼロにはならないが、必ず減る方向へ影響する)。メーカーが競ってゴミの出にくい商品を開発して売り捌くので、経済が回る(3の利点)。
メーカーにとってゴミの出にくい商品を作るほど儲かるので、ビジネス上の合理性とCSR上の合理性が一致する。メーカーはあたかも社会貢献かのような顔をして自分たちが儲かる商品を広告することができるようになるだろう。さらに、ゴミの出にくい商品ほど安くなるので、消費者の視点からも経済的な合理性と環境的な合理性が一致する。こうした一致は資本主義の仕組みの中で環境意識を醸成するために、また経済弱者であっても環境負荷の低い行動を選択できる社会を形作っていくために極めて重要だ。
類似の構造の制度は炭素税や環境税の形で多々前例があるので、導入のハードルはそれなりに低い(もちろんコストはゼロではない)。もはや導入しない手はない。
補足として、現行制度はリサイクルごみの回収を無料、その他のゴミの回収を有料にすることでリサイクル促進を図っている訳だが、ゴミ自体を減らす政策の方がシンプルで効果が高い事は言うまでもない。ゴミの種別間で扱いを変える事でルールが複雑になり、経済的合理性のない余計な事務作業や誤り訂正コストが発生しており、折角のリサイクルがペイしていない。今すぐ止めるべき仕組みである。
さらにいえば、自治体の有料ゴミ袋は日常的に必要になるものであるにも関わらず、キャッシュレスNGである事が多く社会のキャッシュレス化に逆行している。コンビニによってはバイト君が「カードでも払えますよ」というのでカードをピッとしたらブッとなって「あ、ダメでした」からの「じゃあ支払い分けて下さい」で三度手間まである。不便極まりない。後ろに並んでいるアロハシャツの兄貴のイライラも最高潮だ。舌打ちが聞こえる。マジでスイマセンね。言うまでもなく、この不便の根本的な原因は、家庭ゴミ回収が有料である事である。
これは被災地でも起こっている問題でもありますが、人はどうなると思いますか?
憲法で保障されている“健康で文化的な最低限の生活”が送れる。
仕事や趣味で「自己実現」「社会貢献」したいという高次の欲求がない人、状況にある人は怠惰になります。
本人のTwitterより
https://twitter.com/sakainatsumi724/status/205899543789834240?t=9Q2zsyikHcq9NS831D7cHw&s=19
東京15区 衆議院補欠選挙2024 候補者アンケート|NHK選挙WEB - https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/local/hosen2404/survey/54852.html
東京15区 衆議院補欠選挙2024 候補者アンケート|NHK選挙WEB - https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/local/hosen2404/survey/54852.html
東京15区 衆議院補欠選挙2024 候補者アンケート|NHK選挙WEB - https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/local/hosen2404/survey/54852.html
⑤大阪都構想に賛成
都構想実現ならず…かぁ。
つまんないなぁ。
本人のTwitterより
https://twitter.com/sakainatsumi724/status/599933966095757313?t=paHzaPWKew2WrQs819V_oA&s=19
⑥増税に賛成
人口分布から、10.20.30年後の労働人口が減り、医療・介護費が増えるはわかりきっていること。
税収を増やし、国民が平等に負担して社会保障に充てる以外に方法はあるんですか?
早く増税すればいいのにと思う。
本人のTwitterより
https://x.com/sakainatsumi724/status/275487591640477696?s=46&t=ONQoH4qDuttoFUCI8dkD3w
⑦討論会にはなるべく参加しない?
「折からの『政治とカネ』問題のおかげで“ボーナスタイム”のような状況。ビラが次々にハケています。東京15区は9人も出馬して乱戦状態ですが、野党共闘がまとまり、共産、社民の支援も得られた。乙武さんは知名度が高いので当初は警戒しましたが、いまは悪目立ちしてしまっている。ただし、酒井さんの演説は正直“並”。討論も得意ではないので、討論会にはなるべく参加せずに『政治とカネ』問題の是正を訴え続け、投票日を迎えたい」
「学歴詐称疑惑」再燃で国政復帰が黄信号!?…本誌直撃に小池百合子・東京都知事の「ズレた返答」(FRIDAY) - Yahoo!ニュース - https://news.yahoo.co.jp/articles/e25c87557dd562ca2f701dff3f40e73ff9c46d9c
弱者女性とか、メンヘラ女性とかって、体力ないからできること少なくて無能になるってことじゃん。
スポーツ経験があれば、体力あるから、行動量でカバーできるじゃん。
まあ、仮にブスだとしよう。発達障害もあるとしよう。
例えば、柔道とかどうだ。ブスでも発達障害でも、とにかくデブでもやれる。
男子とも絡むし、ブスだ何だと言われても、持ち前の体重で寝技でボコボコにしろ、悔しかったら、ボコボコに投げれるまで柔道を強くなればいい。
とにかく、チアリーダーだの吹奏楽だの、女子校だのの女性系に逃げるな。そういうのは、まともな顔面やまともな精神の女性だけに許されたものだ。
ブスで発達障害とか、もう若い時間を無駄使いしてる場合じゃない。
推しかつだの、ピエンだのは、25歳超えて人生が終了してからやってろ。
チャンスがある、10代、アラツーをそんな馬鹿なことに使ったら終わるぞ。
まあ、ここまで書いて思ったけど。
ブスはまあ、低賃金労働してくれりゃいいし、発達障害は夜職もあるだろう。
それで社会貢献してくれりゃいいのか。
子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。
子どもたち「絵、うま!どうして?」
親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」
子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。
こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。
ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。
最近はオタク文化が根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく)
というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…?
ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。
*
初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。
想像が目に見えるという楽しさで描いていた気がする。
しかし当時は
みたいな時代だった。それか自分の学校の治安が悪かったのかもしれん。
「うえ~wこいつ絵なんて描いてるぜ~wキッショ!」
である。
移動教室でちょっと自分の席を離れていたら、しまっていた自由帳を黒板に張り出されているし。
色鉛筆や道具箱消えているし。
女キャラを描いていたら
「おっぱい描いてるwきっも~~~www」
だ。
しばらくして図工教室に籠もるようになった。
担任も「絵なんて描いてないで外で遊ぼう!」しか言わんかったし。
その中でも絵を描く同士で集まって、出始めたころの初音ミクの衣装を考えてみたり、好みのイラスト本を共有し合っていたりした。奪われて晒されて怒られたこともあったけど。
同士がいることは本当に心強かったな。
絵がとんでもなく上手い奴がいたのだ。
マジで上手い。
な…なんだ…これ…背景?!…ぽ、ポージング?!横顔?!うま?!なんで?!
自分の絵なんて赤子どころではない。猿がかいた…いや猿の方がもっと上手い。
下手すぎる。なんだよ横顔をかけないからって逃げるなんて。
しかも鈴木は堂々と絵を描いていた。小学校時代に怯えながら描いていた自分とは違う。
「増田、どうしてそんなキャラをたくさん生み出せるの?!え、漫画も描いてる?!すごい!」
いいやつすぎる…なんだこいつ…。
私立だったからしらんけど、絵描きをいじめるやつはいなかった。
そして鈴木を中心にどんどん上手い奴が集まってくる。
「うまくならなきゃ!!!みんなに失礼のないように!」
鈴木がコミケに遊びに行こうと誘ってくれて、デジタルというのを知り親に頼んでみる。
「パソコンで絵が描けるみたいだけど、何か知ってる?」と父親に相談した。
父親は電化製品が大好きで、PCを自作するタイプの人間だった。
父親はペンタブという存在を知っていた。イラストソフトっていうのも知っていた。
「一緒に買いに行こう」と初めて秋葉原に遊びに行った。
すげぇ…あんなに迫害されていたオタクという文化が街に存在している…。
逆に渋くてかっこいいのもある!
ペンタブというものがあり、デジタルだとあんな絵が描けるというのも知った。
レイヤー?バケツ?解像度?ペンの種類多すぎじゃね?色どうやって作るの?絵の具とは違う?
でも毎日触っていた。機能がわからなくてもペンを動かすのは同じだったから。
このくらいからまわりが「アニメ絵やポップな絵が欲しいなら増田に頼む」という認識になった。
鈴木が「めっちゃ絵上手になれた。増田のおかげ」と言ってくれたこともあった。
自分にとって、鈴木は目指すところだし、憧れて悔しいところもいっぱいある。
でも一緒に上手くなっていくのが楽しかった。ライバルってこんな感じかもしれん。
鈴木にもようやく追いつけたぞ!と思った。
Twitterが盛り上がり時期で、このあたりでネットにも投稿し始めた。
ネット上にはもっともっと上手い人がいる。激うま。みんなプロじゃないのか?
でも自分の中では「自分はまだ高校だし」と思って、いつも通り適当に絵を描いていた。
大学受験が疎かになってペンタブを没収されるくらいに絵を描いていた。勉強しろって話だ。
変わらず授業中に絵は描くし、風邪ひいていても絵が描きたくて起きたり、兎にも角にも絵が描きたい!!!!!!!!!!という中高時代だった。
そう、これがやばい。
第二の衝撃。
みんな………………絵が………………うますぎる。
え?みんな先月まで高校生だよね?
え?え?
鈴木の絵は上手いと思っていた。まじでリアルの周りで頂点だと思っていた。全然だった。
鈴木の5000000000000000倍上手い奴らしかいない。(鈴木も十分上手い)
(ネット上だとプロとかもいるしと、なぜかフィルターをかけて「しょうがないよね」ってなってた。たぶんネットだから実感がなかったんだと思う)
比較して鈴木が下手の分類になると、必然的に追いつけたくらいの自分はもっと下手になる。
改めて自分の絵を見る。
へっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっただな!!!!!!!
クソみたいに下手な絵だな?!?!?!これで投稿していたんか!!!
みんななんで上手いんだ?!デッサンしたほうが良いのか?!
でも、デッサンをやっていない人ばかりだし、それでも絵が上手いってなんでだ?!
息をするように神うま激うま絵が出てくる!!
困惑しつつも、成人して鈴木と一緒にコミティアに出た。イラストと漫画。
計5部くらい売れた。終わり。
ようやく現実を突きつけられた。
「自分はうまくないんだ…」
鈴木は楽しそうだった。上手い・下手だけで生きていない聖人だったから。
「もっとうまくなりたい」とぼやいたら「向上心の塊か?なろう!もっと高みに行こう!」と言ってくれた。
何をすれば絵がうまくなるんだろうと悩んだ。
ペンを動かしても「違うよな…」となった。
塗り方を変えてみたりした。
たくさんのメイキングを見たり、ペンには何があるか、生物の構造は何があるかちゃんと勉強した。
なんとなく模写していたら上手くなっていたし、ちょっと意識すれば上手くなったからだ。
でも限界があった。
嘘みたいに絵を描く気力が落ちていった。
だって自分より上手い人なんてごまんといる。比べ始めてしまった。
絵を描いて…何がしたいんだろう。仕事にしたいわけじゃない。
どんなにインプットしても思い通りに描けない。アウトプットがうまくいかない。
授業中に絵を描くのは大学生になっても続いていたが、なんか満たされない。
片道2時間半の通学も車窓の景色を見つめてぼーっとしてしまう。
周りの真似や、メイキングをあさっても、なんかピンとこない。
「十分上手い」と言われても自分では納得できなかった。
つか、上手いってなんだ?何をもって上手いなんだ?
人体通りに描けていれば上手いのか?
でもそうじゃない人もいる。
崩しが上手い人、デフォルメが上手い人、モンスターが上手い人…。
ここで初めて「絵が上手い≠綺麗に人体が描ける」と思った。
絵が上手くなりたい。でも明確なゴールって?
鈴木を超えたら終わり?
楽しければいいと思っていたが、うまくなればもっともっと楽しい。
でも上手いってなんだろう?
『芸術は人の感情を動かすことができる。自己完結ではなく、第三者に影響を及ぼせる。
技術も科学も芸術も一人で終わってはいけない。第三者に影響させてこそ輝く。
社会貢献という形で自己の確立にもなるんだ。すでに君たちは与える側に立っているんだ』
その世界が伝わるから絵を見ることは楽しいし、すごいってなる。感動する。
絵を描き続けるだけが楽しいと思っていたが、元はそうじゃないって気が付いた。
想像を形にして、自分にそれが伝わるから楽しい。絵で感動しているからだ。
なら第三者に伝えられることができればもっと楽しいのでは?!感動させたら?!
せっかく芸術系の大学に入れたんだ!しかも他の学科も受けれる大学だ!
他のジャンルの授業を受けてもっともっといろんなものを見よう!
そこから自分が手にしたい絵柄、表現にたどり着こう!第三者に伝えられるように!
それでこそ自分の想像が完成する!自分の勘違いで終わらせない!
という結論になった。
流行りやあこがれで選んでいた絵柄は自分では表現しきれないと諦め、アニメ・ギャル塗りを極めようと絞った。
そして、好きなものは何だろう。自分が良く描くものは?と徹底的に自分が100%実力が出せるように調べた。
大変だった。
初めて絵を描いて「違う!!」「こんなの下手すぎる」となった。
漫画を描いてもストーリーはまた別の技術。これまた自己嫌悪になった。
何を描いても必ず楽しいにはならなかった。
「ゴミみたいな作品生みやがって…」と自分にキれることも増えた。
何作も描き終えては「ゴミだな…」となり、試しに小説を書いたりもした。
「くそみたいな話だな…微塵も面白くねぇ…」と二度と読み返さないのも増えた。
ふと、気が付いたらなんか想像していた通りの絵が描けた。
急にだった。どうした?
徐々に上手くなったのかもしれないが、突然意識して「あれ?上手くね?」となった。
無我夢中だったのか?
SNSでも反応が増え始めた。
完売した。50部
え…?
え……?
た、たどり着いたってこと?!
人生で積み重なって山になった自信がようやく噴火した瞬間だった。
つか作るのたのしぃ~~~!!
思った通りに!意のままに!絵が描ける!描けている!自分の勘違いじゃない!
賞をいただけて、意図が伝わっている!
伝わっているってこんなにも楽しいなんて!
20何年。ようやく堂々と絵が上手いと言え、それにうなずいてくれる第三者がいる。
なんとなく絵が上手いよねくらいじゃない、絵が上手い人にへと!
*
「「ずるい」は、自分に有利にするために、汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま。」ってgoo辞書にある。
どう見たってずるじゃねぇだろうがい!!!と叫びつつ、これをどうにか圧縮して投げつけたい。
「絵が上手いね。どうして?」と言われたら
「ずっと描いていたからね」と回答する。
とりあえずの最適解なんだよな。
でも、これを3年くらいでやってのける人間もいるしな~。世界は広いよな。
自分の絵は上手いと思うが、でもやっぱり去年の絵をみて「まだまだ」と思う。
だからおおっぴらに自慢できないけどさ、ここに残しておいてもいいよな。
AI絵とかできて自分の絵は不必要になるかもだが、それでも描いていたい。楽しいんだもん。
ちょっとでも誰かがすごいって感情が動いて、感動してくれれば、自分がこの現実に生きているって思えて嬉しい。
考えればこの親もずるいっていう感情が生まれている。嬉しいことかもしれない。
<余談>
鈴木のことは超えられない。というか超えるっていうの止めた。
鈴木も当然とんでもなく絵が上手くなっていて、すごいことになっている。
絵のジャンルは違うけど、いまだに嫉妬しつつ憧れているし、お互いの絵を褒め合って羨ましがって「いいだろ~」「お前上手いな!」と言い合っている。
Aさんがかつてやっていた仕事を
BさんがAIを使って奪い取る
ここで考えて欲しい点は、既にある仕事を代替するだけであるのだから
ではなぜここで不幸が増えることが想定され、AIに反対したり、危機感をあおる言説がまかり通るのか?
というアナクロな思想をBさん、ひいては社会の大多数の人間が持っており
仕事がなくなったAさんに(Aさんが他に何か価値を持つ仕事をしない限り)Bさんが生産した富を回そうとしないからである
つまり仕事を奪って富を生み出す存在がこのアナクロな思想を持っていることが問題なのであって
この思想を社会的に克服できればAIによる仕事の代替は全く恐るべきではなく、むしろ歓迎すべきことなのだ
では具体的にどのようにすれば社会が克服できるのか、というと、宗教やらなんやらしか思いつかないわけだが
AIに聞いてみるか
ワイ:
Claude 3 Opus:
AIの導入により一部の仕事が代替されることで、短期的には失業や格差の拡大といった問題が生じる可能性があります。しかし、ご指摘の通り、これを乗り越えるには社会全体の意識改革と適切な施策が必要だと思います。
「アナクロな思想」を克服し、AIによる恩恵を皆で享受するための施策アイデアをいくつか挙げます。
・ベーシックインカム(最低所得保障)の導入 働けなくなった人の最低限の生活を保障する。これにより、AIに仕事を奪われた人も尊厳を保ちつつ、再教育の機会を得られる。
・教育システムの抜本的改革 AIにはできないクリエイティビティ、問題解決力、人間性を育む教育を実施。失業のリスクが低く、AIと協働できる人材を育成する。
・AIの利活用による産業構造の変革 AIにより自動化される分野と、新たに人手を要する分野を明確化。効率化で生まれた富を、新産業の育成と雇用のシフトに活用する。
・労働時間の短縮と余暇の充実 AIの導入で生産性が向上した分、労働時間を短縮。自己啓発や社会貢献活動などに時間を使い、働かなくても人生を充実させられる社会を目指す。
・多様な価値観の尊重と包摂性の向上 ステータスを仕事だけで測るのではなく、社会貢献やボランティア等も尊重する意識を育む。多様性を受け入れ、誰もが居場所を見出せる社会を創る。
AIの本質的な目的は人間を豊かにすることです。そのためには、AIを脅威ではなく味方として活用し、社会のあり方をアップデートしていく発想が欠かせません。一朝一夕では難しいかもしれませんが、一つ一つ着実に、みんなで議論を重ねながら理解を深めていくことが肝要だと考えます。
”教育”というのはつまりはなんらかの「価値のある知識技能を得る」ということであるからClaude 3もアナクロな思想に染まってしまっているといえるし
あとは「ホームランを全選手が打てば勝てます」という、そのホームランを全選手が打てるようにする方法を聞いてるんだが~~~という話である
働かずに暮らせる世界は遠そうだ