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はてなキーワード: 児童とは

2024-05-17

anond:20240516221255

ayumun 未就学児童は個室を覗こうとする位しかしないと思うんで、別に、こっちが大人なら、覗いちゃダメだぞーって言えば済むと思うけど、何をされると思ってんだろなあ。前の晩にシャイニングでも見たのかなあ

わたし女児です!って言ってる成人女性は一人もいないのに、元女児という事実とともにあの頃言えなかったNOを発信するのはそんなにおかしいの?成人女性は誰もが元女児なのに?あなたもそうだったのに?

女性は元は女児なので、てのを笑ってる人ら、現女性が元女児なのはまんまその通りの意味しかないのに「女児」とか「女の子」にミーム的な変な意味勝手に乗っけてるからウケてるのかな?て思うけどつまり文脈が読めないんだね

大人の女性男児を退けて女児を庇うことで延々燃えてるね

大人の女性が元女児であることを主張するのはキツいってなんかで見たけど

大人の女性が私は女児です!女児の扱いをしてください!って言いだしかヤバいやつだけど元女児からこそ現女児不快な状況から未然に防ごうとしてるだけでしょ

女児っていうのは元女児っていう属性じゃなくてただ元女児を経て女性になったっていう経験しかないんだよ

今までの経験から意見を出しているだけでしょ

何がきめえんだよ全ての女性は元女児だよ

女児を名乗のがキショいって意味がわからない。男女関係なく、みんな元・児童でしょうに。

子どもの頃(年齢的に女児だった頃)、嫌な思いをした経験を覚えているから、今の女児たちが同じ思いをしないように「大人になった今」現状を変えたくて声を上げてるだけだよ。あくまで今は大人です。 今、大人になってる女性女児として扱えなんて一言も言ってないのに、なんでそんな誤解するのか本当に意味がわからない。

読解力がないのか、それとも元ポストの人にあわよくば男児として甘やかされたい欲があるのか。

でないとそんな発想にならないよ………

そもそも男児母が「子供なんだから仕方ないでしょ」って男児女子トイレを使わせてて、男児に怖い思いさせられた女児や元女児がいい加減女に我慢しろはやめてくれ、って言ってるの。それに対して「産めばわかる」って黙らせようとしたのが子持ち。もともと子無しを下に見てるくせに何が母親叩きだ。

自分が知る限りでは保育園幼稚園時代に性被害に遭ったという方がおられますので2〜3歳くらいから起こるのではないでしょうか(当事者に加害の意図はなくてもです)。厳密に○歳だから、というわけでなくとも男児を見たら不意に思い出したしまうということもあるのではないかと推察します。

2024-05-16

共同神拳って強そう

中世ジャップランド拉致された子供たちを救うために凶悪な国際児童誘拐犯を打ち倒す神の拳

川口市小学校児童の2割が外国人

外国人結婚する日本女も急増

移民がやっぱり正しいんだ

2024-05-15

anond:20240515201757

義務教育留年がなかったがためにこんな知能欠乏児童が生まれしまうんやな

貧困の子だくさんを児童労働力というけど、胎内で1年体外で5~7年食わせるのって、十分に気の長い投資だし、それはもはや裕福なのではとおもう

2024-05-14

anond:20240514142150

PTAのややこしいところっていくつもあって、親の負担具合の調節が入るか入らないかの2択しか選べないことと、受益者といっても益の部分がグラデーションではっきり分けきれないところだと思うんだよね

保護者負担って実際、

1. 労働力提供可能かどうか

2. 会費の支払いが可能かどうか

3. 会費は支払わなくとも都度実費を払うことができるのか?

の3段階あるはずで、正会員(会費、労働力提供あり)、サポート会員(労働力提供なし、会費は支払う)、実費参加(記念品授与などは実費を払えば貰えるのみ)、の3つが本来選べるべきだと思うんだよね

まあ当然そんなシステムにしたら誰も正会員にならないから、仕組みは考えないといけないけどね

例えば正会員の会費は安く、サポート会員の会費は高いとかね

もうひとつ問題は、PTAから児童へ与えるメリットが、実費負担できるほどはっきり分けれるものばかりじゃないこと

例えばPTA寄贈の図書図書館にあるとか、PTA寄贈のベンチがあるとかだと、実費会員は図書はいるたびにお金を払う?ベンチ座るたびにお金払う?とかなるよね

でも実際は無理だよね

集団登校のとき道路での監視とかも、PTAがやっていることがあるけどさ、その場合、会員の子信号とかのサポートをするけど、非会員の子は赤信号渡ろうとしてても無視するとか?できるわけないよね

卒業紅白まんじゅうとか記念品とかくらいは実費でどうとでもなるけどさ

どうしていいかわからんものも多い

そうするとどうやったってフリーライドは発生する

やっぱり、入会はしなくとも金銭負担は実質ほぼ強制するしかなくね?と思うけどね

結局PTA入りたがらないのって、仕事やってるのに無駄に呼び出してタダ働きさせるからやん?

行くのも仕事するのも無理ですよ、という枠の会員を作らないといけないんじゃないかなあ

それなら入会でもめる人減るでしょ

PTA活動対象って全児童なんだな

父母がPTAに入ってなければ金銭時間的負担なしにフリーライドできる仕組みなのか

そりゃ揉めるわ

受益者負担にしたらいいのにね

anond:20240514075624

何がいかんの? 実在児童既存実在児童ポルノと偶然似るのは手描きでも起こるし、架空児童ポルノを規制しようとするなら表現規制だよ

2024-05-12

anond:20240512211835

女子同士のいじめ自殺した女子児童生徒も大勢いるのにそれを全部「いなかったこと」にする女さんは善良でよろしおすなあ

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-05-10

当然やけど欧米では子供全裸風呂普通にNGやで

グロ大人の裸体を児童に見せるのは児童虐待にあたるからガキをバスタブに入れて親は服着たまま洗体するのが常識やで

ジャップ倫理観が遅れすぎてるだけや

児童手当拡充含む子ども政策 今後5年間の実行計画素案公表

今のまま選挙になったらお前らの席無いからな、必死で働けよ~。 さぁ、自民解体ショーの始まり

2024-05-09

男は女性ジャンルに来るな的マシュマロの件

https://b.hatena.ne.jp/entry/4753218306303798336/comment/kohgethu

kohgethu 自分はどうしてこの男性同人作家が「ほぼ女性しかいないイベントで」自分の描いたエロ同人誌を頒布してるのか、そっちのが怖いと思った。なんで「男性なのを隠して」わざわざ女性自分性的嗜好を見せたがるのか。2024/05/09

単にBL(っぽいのも含む)を好むファンが圧倒的に女性が多いというだけで、BLファンの男を排除するような場所ではないから。

同好の士であるかどうか、相手の「好き」を尊重できるか、が最も重要で、それ以外の属性はあまり重視されない場所なんだわ。

男性向けエロ漫画好きな女性も、児童漫画好きな大きなお友達も、BL好きなノンケ男も、男のセーラームーンコスも何十年も許容されてきたし、それが同人界の在り方。

女性目当てでスケベ心で侵入して興奮してる露出狂想像しているなら、それは思い違いだ。

この人のジャンルって「ゲゲゲの鬼太郎」らしいし、全年齢本もだしてる。「BL好き婦女子専用」と思い込む方がおかしいよ。

そもそもそんなちんけな下心で継続できるような活動じゃないんだよ。年数回のイベントのために日々一人で漫画書いて過ごすってのは。

↓作者本人のポスト

同人活動が好きなのは作品に対する思いは年齢性別関係なく分かち合えると思うからです。今仲良くしてくれている友達はみんなそう。男性が描いているという事に対して何を思うかは自由ですが僕は自分作品のことを好いてくれる人と仲良くなりたいです。

カクヨムエロを書いたらいけないわけ

カクヨムでは児童向けの小説コンテストがたびたび開催されるが、一度でもカクヨム年齢制限ありの作品投稿した作者は絶対にそういうコンテストでは入賞しないので覚悟した方がいい。

ソースは以前カクヨムで公開された選考編集者インタビュー選考基準に応募の作品だけでなく作者の他の作品考慮してると明言されてる。

というわけで、無駄なことはやめような。どんだけ星集める作品書いても選ばれないから。

2024-05-08

anond:20240508134143

アホなん?当たり前でしょ。全校児童のためのボランティアなんだから。会員向けのサービスじゃないんだよ。

図書ボランティア読み聞かせを会員の子供だけ集めてやるか?

金かかってるイベントなのに会費払ってない親の子が参加するのズルいいうなら自分も不加入を貫けばいいんだよ。

2024-05-06

日本お金を稼いでタイ児童〇春するのが人生の夢だったけどもう日本の半分くらいの物価なんだね、タイ

年を経るごとに金でできそうな夢が減っていく

2024-05-05

anond:20240505113202

ドクターショッピングは嫌われやすい。

転医には基本的紹介状がいるのだが、ドクターショッピングを繰り返していたり今回のように主治医と揉めたりするとそのことを書かれる可能性がある。

問題ばかり起こす患者が最終的にたどりつくような病院にかかりたいのでなければ、問題行動は控えめにしておいたほうが無難な気がする。

そもそも論として児童精神科医は希少なのでドクターショッピングはしにくいと思うが。

anond:20240504181151

受給者証がないと受けられません」案件かな。

受給者証もらうのに必要医師診断書小児科でも出せるので、かかりつけの小児科で出してもらったらいいと思う。自閉症の診断ついていたら療育手帳持ちだろうし、紙切れ書くだけなので受けてもらえる。

うちの子発達グレーの手帳出ない子で、児童精神科は薬が飲めないのを理由に匙投げられてから他に行くところがなく、放課後デイサービス受けるのに医師診断書書いてもらえるところなくて困ったけど、かかりつけの小児科相談したら何ら問題なかったよ。

anond:20240505003910

コメサンクス

こういうの見てると精神科が増えすぎって本当なのか疑わしく思うな

そんな話が!今回の件とは別件だけど、知人が過労で鬱傾向あって精神科心療内科受診しようとしたけど「どこも2,3ヶ月待ちとかで絶望した」って言ってたから、全然足りてない気がする。

あと今回の件だと、児童場合は「児童精神科」になって、こちらは更に少ないっていう…。

anond:20240505002859

コメサンクス

おお!そうなんね。ちなみにうちは1歳半時点で明らかに発達遅滞で、区の発達の病院に診てもらって「まだ慌てるときじゃない。3歳までは様子見ですかね。」と言われたが、後日大病院に行ったら「明らかに自閉症ですね。あそこの区の病院身体系の発達がメインで、児童精神専門の方はほぼいないんですよね。」と言われたよ。

複数専門家意見仰ぐの大事

2024-05-04

医師書類作成拒否され子ども言語リハビリを受けられない

子ども自閉症児で、今年で5歳になる。

まだ発語がないのだが、1年ほど前からカード写真意思疎通できるようになってきて、ここ半年くらいで喃語を話すようになり、こちらの言うこともある程度理解してくれるようになってきた。

電車が好きで、喃語ではあるが山手線の駅はすべて言うことができ、またこちらが駅名を言うと該当の駅名の文字を指差すことができる。

また50音表お気に入りのようで、文字としてはある程度ひらがな理解しているようだ。

一昨年に区の児童発達支援センター言語聴覚士さんにみてもらったのだが、「早めにリハビリしたほうが良さそうだが、区の言語聴覚士は人数が限られており、定期的なリハビリが難しい」ということで受けることができなかった。

そんな中、自閉症児の親の会の参加者の方から児童言語聴覚士訪問リハビリをしている民間会社がある」と紹介を受けた。

お試しできるということで来ていただいたところ、親や療育ではまったくできなかったあいうえお発音練習子どもがすんなり口の形を作っていてさすが専門家はすごいとなった。

言語聴覚士さんから「飲み込みも早いし理解力もあるのでリハビリを受けるのがよさそうです。いま枠が空いてるので開始にあたり医師書類を書いてもらってください。」と言っていただけた。

3年前から発達専門のクリニックで月一で診てもらっているので、そこの先生書類を書いてもらおうと診察に行ったのが今日

そしてタイトルにあるように書類を書くのを拒否された。

以下、記憶にある範囲での医師との会話。

私「言語聴覚士訪問リハビリを受けようと思うので書類を書いていただきたいのですが。」

医師「お子さんはまだ4歳程度の理解力がないので書類は書けません。」

私「???。音声の言葉理解も進んできてますし、文字や絵カード理解できるようになってきていますダメでしょうか?」

医師言葉理解がまだなのでダメです。言語聴覚士さんの言うことを理解できないと思います。」

私「お試しを受けて、言語聴覚士さんの指導で口の形を作ることができていました。また外国語ですと発音ができるようになることで、聞く音も理解できるようになると言われてますが、母語は異なるのでしょうか?」

医師語学のことは分からないですが、子どもは先に理解がきます。私はそのように習っています。」

私「それについて書かれた本、論文を教えてもらえませんか?」

医師「何に書かれていたか覚えていません。言語聴覚士社会的従事者が少ないので、社会全体のことを考えてより効果の高い一定理解力のある人に付けるべきとの判断です。」

私「言語聴覚士さんの方から『枠があるので医師書類を書いてもらってください』と言われたのですが。」

医師現場言語聴覚士の口頭発言では出せません。」

私「法人として書面を書いていただければ、先生書類を書くことは可能でしょうか?」

医師「書けません。」

私「法人側が『児童言語聴覚士対応できる枠が空いていて受けられる』とおっしゃられていて社会的対応できる人が少ない点はクリアしているかと思うのですが、先生書類を書けないのはなぜですか?」

医師「当院の方針です。」(※補足:クリニックには医師が1名なので実質医師方針

当院の方針と言われたらもはやどれだけ話しても無駄判断し、ここで切り上げた。

まさか児童発達に関して医師ブロックされるとは思わなかった。

とはいえ書類を出せないと言語聴覚士訪問リハビリが受けられない。

現状枠を仮押さえしてもらっているが、書類を出せる見込みがないと流れてしまう。

次にまた枠が空くのは半年後か、1年後になるのか、はたまたそれ以上先になるか分からない。

ということで何らか策を打たなければならない。

(案1) 他の発達の病院・クリニックを探す

以前探した際に、どこも初診が概ね半年〜1年待ちだったりで枠の仮押さえ中の受診現実的ではなさそう。

(ただ、書類作成とは別で、今後も医師ブロックされる可能性を考慮して他を探したほうがよさそうとは思っている)

(案2) かかりつけの小児科医師書類を書いてもらう

発達の診察を受けているわけではないが、風邪予防接種などで5年近く診てもらっていて子ども特性理解もある。書いてもらえる可能性は高そう。医療的に何らかの事情で書けない等がないか懸念

(案3) 訪問リハビリ法人医師書類無しで受けられないか確認してみる

法人ではあるが「医師診断書紹介状がなくてもご利用いただけます」と書かれていたところもあり、法人相談してみるのは一つ手ではありそう。

もし他にも妙案がある、あるいは同じような状況にあったことがある等あったら教えてほしい。

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