はてなキーワード: 広報とは
議会との対立を鮮明にして泥仕合を繰り広げた安芸高田市長が東京都知事選に出馬するということで話題になっている。
この市長は、議会との論戦を志向していたようだが、本邦の地方議会、二元代表制は残念ながらそういった方向には適していない。
当然ながら、首長はその自治体の職員を駆使して議会に向けた調査研究を行う。対して地方議員は、多少の政務活動費こそあれど国会議員と異なり公設秘書はおらず、秘書を雇えるような収入が確保できる議員は限られる。自治体の業務は広範で、議会に諮られる案件も産業振興、厚生、文化に教育など多岐に渡る。これらの内容を議員やその支持者の少数で調査し、理解し、疑問点を整理しなれけばならない。加えて、議案説明会は上程日の1週間前が相場である。時間も足りない。
なお、議員から条例の制定などの提案も可能だが、その場合は一層の調査研究が必要なのは言うまでもない。
先述のとおり議員側には方方のリソースが不足しているため、特に首長の政策的な面が強い案件については、突然議会に諮られても賛否以前の問題なのが現状である。そこで、議案説明会の前に、政策の内容を議員に説明し、質疑応答などを経る「調整」「根回し」というものが行われる。これを馴れ合いと忌避する人もいるが、議員側に事前知識がなければ議会で実のあるやりとりはできない。
「初歩的な部分を質問せざるを得なくして首長がマウントをとる」「事前に言われれば簡単に用意できた内容を不意打ちで質問して議員が勝ち誇る」といった展開は、果たして議論として称揚に値するものなのだろうか。
チェックアンドバランスということで、議会と首長は対等のように見えるが、一概にそうともいえない。かつての阿久根市での暴挙で一定の枷はついたが、専決処分は依然として強力であり、再議も可能。首長の不信任決議は逆に議会を解散させることもできる。
首長と議会の権限の差は置くとして、まずは議員のリソース強化に尽きる。時間的な面では議案説明会から議会への上程までの期間を空けることも一考だが、首長側のスケジュールはタイトになる。政務活動費、報酬の増はわかりやすい例だが、賛同する人は少ないかもしれない。住民を巻き込むという点では、議会広報などによる発信強化も面白いところだ。
なお、件のガチンコ志向の安芸高田市長にあっては、議会広報の予算をカットした予算を提出、議会が当該部分を復活させた修正予算を可決したことでやっぱり揉めていることを申し添えておく。
議会と首長のガチンコ勝負というのは昨今の政治のエンタメ化の文脈では受けるかもしれない。しかし、国と異なり地方は二元代表制で、議員も首長も市民が直接選んだ代表である。それぞれがそれぞれの民意を反映している。この中で必要なのは、各々の背負った民意をすり合わせて着地点を探ることである。一方の民意が他方の民意を足蹴にする様で快哉を叫ぶのはよく考えた方がいい。自分の民意が足蹴にされないとも限らないのだから。
計6誌に連載されていたにもかかわらず、連載当初はあまり注目されていなかったという[19]。1973年に最初のテレビアニメ化が日本テレビ放送網で行われたが、制作会社日本テレビ動画の解散により半年で終了。『ドラえもん』の人気も一段落したとみなされ、漫画連載の終了も模索されるようになる。
単行本は1974年8月から刊行開始された。第1巻はレーベル『てんとう虫コミックス』の第1号作品である。
単行本は当初、全6巻だけでの予定で刊行開始されたが小学館にとっても予想外のヒットとなる。この反響を受け、1977年には各学年誌に掲載されたドラえもんがまとめて読める雑誌『コロコロコミック』を創刊。人気・知名度もさらに上昇し、単行本は1978年の時点で1500万部を売り上げた[20]。そして1979年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画もヒットを記録し、社会現象となった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録した[21]。2019年11月時点で関連本を含めた国内累計発行部数は約2億5000万部を[22]、2020年時点で全世界累計発行部数は3億部をそれぞれ記録している[23]。1974年8月発行の単行本第1巻は5.4ヶ月のペースで毎年重版が行われており、2019年11月時点で246刷に及ぶなど[24]、小学館を代表する作品となっている。
本作の出版物のみならずアニメーションなどのメディア、おもちゃなどのグッズは巨大産業と化した。1980年代の前半から藤本の執筆活動は本作の短編と大長編作品が中心となり、それまで定期的に発表していたSF短編の仕事を引き受けることができなかったり、『エスパー魔美』の新作執筆が不可能になったりする等の弊害も生じた。
人気を維持し続け長寿番組となっている。放送しているテレビ朝日は、同社(およびANN系列局)の実質的なマスコットキャラクターとして扱っており、さまざまな番組・広報誌などでドラえもんの意匠を使用している。災害発生時には「ドラえもん募金」の名前で募金活動が行われている。
高い知名度から、教育分野にも広く浸透している。小学校の教科書に『ドラえもん』のキャラクターが使用されているほか、大学入試の問題にも登場した[25]。
『タイム』アジア版の「アジアのヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された[26]。『日経エンタテインメント!』2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートでは第1位にランク入りした。
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https://anond.hatelabo.jp/20240502193039
この時期は多くのことを考えた。特に就職のことだ。第一志望の大学には入れなかった。だからこそ、今後の人生では逆転したいと思っていた。
就職四季報を読み耽ったし、就職活動の参考になるサイトは巡回したし、就職課の方々にもクソお世話になった(ワンピース的な意味で)。
リクナビとかあるじゃん。あれで友達とかにURL付きの回答ページを送って、送り主のことを回答してもらって、そしたら他人から見た自分自身の分析結果とか、どんな業界が向いてるとか、どんな価値観で仕事をしたいとか、いろいろわかるサービスがあった。そういうのをやってた。
当時は、LINEとかTwitterが一般的だった。ひと昔前の人って、LINEとかなかったんだろ? もしかして、全部メールとか郵便で就職活動をしてたんだろうか、一体どうやって? という疑問を感じていた。
本格的に就職活動が始まろうとしていた。自分は、1回生の頃から【TOEIC】の勉強に励んでいた。少しずつではあるけど実力を身に付けていた。勉強時間はそれほどでもないけど、ずっと続けていた。二年半。
受験にはお金がかかるし、実力を付けてから挑んでみようと考えていた。そしてついに、秋頃だったかな。受験料が少ないタイプの学内試験(※本番で実施済のテストを使い回すやつ)を受けることにした。
人生で初めてのTOEICは……うん、こんなもんかって感じだった。緊張していて、そこまで問題は解けなかったけど、ベストを尽くすことができた。
その結果は、なんと……(ドラムロール鳴る)……760点だった!! 当時の自分は、大喜びだった。狂喜乱舞だった。心の中でもリアルワールドでも小躍りをしていた。実際、佛教大学でのランキングは堂々の二位だった。一位は確か、文学部英米学科の人だったと思う。
これは、この結果は……紛れもない一流である!! おそらくきっと、この点数は、同志社だろうと立命館だろうと飛び抜けた点数だろう。京都大学でも通用するし、ましてや就職活動で通用しないはずがない。祇園や木屋町などの飲み屋街、東本願寺や渉成園とかの観光地で【外国人】とトークをしても通用するだけの英語力を、ついに、ついに身に付けたのだ!!
※そんなふうに考えた時期が俺にもありました。
そんなこんなで、就職活動が本格スタートした。俺は必死で、シューカツとやらに取り組んだよ。リクスー集団に交じってさ、学内の企業説明会とか、大阪城ホールでの合同説明会とか、東京までOB訪問に行ったこともあったっけ。とにかくマジだった。
あの頃の自分は飢えていた。なんの実力も実績も持っていないのが嫌だった。とにかく何か、ほかの人から見て、「あいつはスゴイ」となるものを最低一つはほしいと考えていた。
いつからか知ることになったのだが、この佛大というのは宗教系の比較的裕福な大学である。当時の週刊誌の大学職員給料ランキングでは、慶應や関西大学などの有名私大と肩を並べていた。キャッシュフロー的な意味で裕福な理由はいくつかあるが、そこまでは述べない(この日記の趣旨ではない)。
大学構内には、相応の見た目の講義棟(兼研究棟)が鎮座している。学生時代は「おしゃれ~でかい~」くらいの印象だったが、歴戦の社会人となった今ではわかる。あの1棟ものの巨大な建物は、建設工事だけで百億とかいってるかもしれない。同じ規模の大学で、あれを作れるところは少ないだろう。
あれは確か、3回生の終わり頃だったかな。本日の部活もさあ終わりだ、という時に、部長(※教員側の部活責任者)から声がかかった。ほかの3回生も一緒だった。「佛大の就職試験を受ける気はないか? 希望者がいたら優遇する」ということだった。
考えたのだけど、大学職員というのは、その大学がすんごく好きな人がなるものだと思った。当時は、民間企業への就職を視野に入れていた。優遇できる枠は1名ということで、ほかの同回生が手を挙げることになった。
まあ、年収であるとか、職務内容とかのバランスを考えると、「魅力的だ」とは正直思った。当方は、人生の方向転換が苦手なタイプである。この頃は、先輩やOB・OGを探して、就職活動に関する考え方や情報を集めていた。何でもいい、そういう生のデータがほしかった。
けど、嫌なことはやっぱり起きる。わざわざ日記に書いているのだから、当時の俺は相当ムカついたのだろう。
就職に関する情報を探してる中で、聞き込みのために学内アルバイトをすることがあった。それは講義の出席者からレポートを受け取って、受付番号を整理して、最後に整頓するようなアルバイトだった。1日勤務で六千円だった気がする。
二人一組で受付作業をするのだが、隣の組を見てると気分が悪くなった――と日記には書いてある。
その組は、男子と女子の組み合わせだったのだが、男子の方がやたらと女子の方にがっついている。レポート提出者がいない時に、割と雑談をしていた。
その中で、男子の方が「彼氏いる?」と聞いた後で、女子の方が「いる」と答えると、男子の態度が急に悪くなったのだ。それは仕事終わりまで続いた。
最後にレポートの仕分け確認をする時も、その男子は怒鳴りつけるようにして女子に当たっていた。俺はあまりにムカついたので、「ちょっと静かにやってもらえます?」と声をかけて、ようやく静かになった……。
と、記憶を思い返したけど、今の俺にそこまで思うことはない。「男の態度がひどいね。でも、オスってそんなもんじゃね?」くらいしか思わない。間近で見たらムカつくんだろうけど。注意とかするかもしれない。
当時は、実際どんな人間だったんだろう。俺って。記憶が薄らいでるとかいう次元ではない。消失している。全然わからない。
なんかさ、十年前の自分ってさ、もはや『他人』じゃないか。体の細胞でいうと、20回分は完全に入れ替わっている。もはや完全に他人である。
余談だが、佛教大学に通ってる女子には可愛い子が多いと、アルバイト先の立命館大学の人に言われることがよくあった。
根拠は全くないものの、社会に出た後の個人的感想では当たっていると感じる。福祉や教育に強い大学はそうなのだろうか?
就職活動に本気だった。この頃は、大手企業は今よりも早く内定を出していた(4月の1週目くらい?)。就職活動以外に教職課程のこともあったが、時間の隙間を縫って面接試験を受けに行った。まあ、書類選考でお祈りされることの方がずっと多かったけど。
うちの大学の卒業生で、すごい就職先に進んだ人っているのだろうか? 自分は高望みをしていないだろうか? そんなことが気になっていた。大手病に罹患していた可能性が極めて高い。
当時は社会学部で政策学を学んでいた。社会学だけじゃなくて、社会科学ならなんでも学べる学部だった。地域を盛り上げる系のゼミに入っていたのだけど、どんな先輩方がどんな進路に進んでいるか、正直気になるところだった。
ほかのゼミと交流する機会があった時に、同輩や先生方に聞いて回ったのだけど、凄い人というのはやっぱりいた。学生が六千人もいるのだから、レベルが高い人は一定数存在しているのだ。
社会学部の先輩(俺と同じ公共政策学科)の例だと、自分が入学する数年前に総合商社の内定を取った人がいたらしい。学業だけじゃなくて、外の世界に飛び出して活動していた人だと聞いた。とにかく忙しい人で、授業にはそこまで出席してなくて、水商売の仕事に明け暮れていたらしい。
単位はそれなりに取得して、教職課程最難関の講義(兼演習)ではチーム全員で百点満点を取って、大学同士の研究分科会では発表役になって、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って……とにかく活動的な人だったらしい。
学歴って、仕事の実力とは相関が薄いよな。多く見積もっても3割くらいだ。『誰もが嘘をついている』という本に書いてあったのだが、高偏差値の名門校に1点差で受かった人・落ちた人を追跡調査する社会実験があったらしい。結果的には、学歴と現在の地位に相関関係はないという結論だった。相関係数は0.1程度とあった。
アメリカ合衆国での話なので、日本だとどうなるかわからない。けど、自分も同意見である。どんな中学・高校・大学を出てるとか、そういうのは人生での成功にはほぼ関係ない。
どんな瞬間だって、自分が今どこにいて、何を目指していて、どんな努力をしているか。それが大事だ。学歴を振り返ってる暇があるなら、さっさとやることをやって次の先に進むのだ。
就職活動の話に戻るけど……就職活動の面接で問われる内容(志望動機、自己分析、自己アピール、就職活動の軸、ガクチカ)とかってさ。釈迦人になった今ではわかるんだけど、ぶっちゃけ茶番だよな。はてなブログだと、借金玉さんがそんなことを言ってた。部族の掟に近いものがあるってさ。
就活的なキャラの型枠を、リクルートその他の人材会社が用意したうえで、企業側が「茶番」に対して本気になれる人材(会社の方針を素直に受け入れて、貢献してくれる)を探してる。それだけだ。
若き大学生が当日記を読んでる可能性は低いけど、たったひとつだけ、ただひとつだけ、会社選びで言えることがあるとすれば……以前、どっかの増田日記に書いてあったのを参考にすると、こんなところだ。
「自分が入りたい会社というのは、自分が将来、どんなキャリアを描きたいのか、どんな人生を歩みたいのか、どんな人間になりたいのか。そういうところから逆算して決めていく」
就職活動の軸というよりは、人生の軸という観点である。ちなみに軸、というのは「他人に関係なく、自分が正しいと思える考え方」という意味だ。
経済社会でバリバリ働きたいなら、そういう会社に行くべきだし、あなたが大事にしてる『たましいの仕事』があって、仕事は副業でやりたいなら暇そうな業界を選ぶべきだ。
将来、どんな人生を歩みたいのか? それさえ決まっていれば、業界や会社を決めることはできる。職種についてはナントモだが……敢えて言うと、保育所とか幼稚園とか小学校とか、それくらいの年頃に何が面白かったのか、が答えになるんじゃないか。その年代に心から楽しめたものは、大人になってからもきっと楽しい。
結局、その年の春の終わりに就職活動を終えて、内定をもらえたのは……京都市内にある電子機器メーカーだった。
大手企業を受けるのはやめた。大手病を克服したのだ。それで地元の会社一本に絞った。ここまで絞ると、受験できる会社の数は十社程度になった。自分の力をそんなに分散する必要もない。十分に集中できる。
当時は嬉しかったよ。両親に報告したら、父も母も衝撃を受けていた。うちの親って、自分の子どもを親戚の子と比べたがる嫌いがある。それはムカつくのだが、いい結果を報告できてよかった。
両親が、俺が出した実績をありがたがって聞いている。その実績を、電話などで親戚やご近所に知らせて調子に乗りまくっている。スタンダールの小説の『赤と黒』を思い出した。小説の中で、こんな感じの場面がなかったっけ? ブクマカで詳しい人がいたら教えてほしい。
両親よりも喜んでいたのは就職課の人だった。内定先を告げると、ご機嫌なビートで小躍りするようにして、ハッピーな感じでターンをキメていた。ずっと以前から、いろいろとお世話になっていた。喜んでもらえてよかった。
この年度の終わり頃、卒業間近だったか。大学が出してる何かの広報で、俺の就職先がデカデカと上の方に載っていた。トレーニングルームでそれを読んでいる時、隣にいた学生達も同じ広報の同じページを読んでいた。
「ん。どこどこ?」
「ほら、ここや。この会社」
「ああ、それマンコやろ」
「……」
「女の一般事務職だって。総合職ちゃうし。こんな掲載は詐欺に近い」
俺の怒りは有頂天に達していた。当時の日記には「有頂天」と書いてあったが、怒髪天と書きたかったのだと信じたい。
こういう連中はどこにでもいる。気にしたら負けである。増田の読者の人も、レベルが高い解釈と低い解釈があるとしたら、迷わず高い方を選ぼう。そっちの方が心身ともに健やかな人生を送ることができる。
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物売るってレベルじゃねえぞ!はそういうネタとしてミーム化されちゃったけど
実際にクレームをつける側ってみんなそういう意識だからクレームをつけるんだと思う(クレームつけることで別の利益を誘導するようなのは除いて)
受ける側としてはその金額ではその品質が精一杯なんですわかってください!という気持ちがほとんどじゃなかろうか
商品としてお金の提供を求める以上ここまでは最低限こなして欲しいという購入側とギリギリ成立する金額をつけて販売する側とサービス以上の価値を提供できると言っちゃった広報宣伝のやり方と
そのへんのアンバランスさが今はすごく悪いように思う
原材料費の高騰、人件費も減らせられない、他社はなぜその値段・サービスで売ることができるんだろうという不思議さ、そういうのが毎日頭をよぎる
もー円安やばいとか後進国だとここ数日いい話が全くないし、絶望することばかり。
「なんでこんなに働いてるのに」ってみんな思ってるんじゃないの。自分の周りの仕事を見てるとここ15年であきらかに「手数が増えている」気がする。無償の。広報みたいなPRの人たちは外注すればいいのにそのお金がないから「自分たちでSNSに投稿する」とか、他の部署や他社を説得するために余計な(これはほんとに余計な。最後の目的のためにじゃなくて誰かがどこかで「安心」するためだけの)書類が増えたり。
生活で言うところの「見えない家事」みたいな仕事が増えてきてる気がしてて。「丁寧に」「細やかな」みたいな呪いをかけられてる日本国内の仕事は、そりゃ残業時間も多くなるよね。でも残業代もらわないと今の生活水準保てないよね。残業代マックスでもらった後サービス残業当たり前。その残業代も36協定みたいなやつで縛られて。
雑とか言われてもいいからさ、「最低限」で最適解を出したいよ。上司の「聞いてない」を解消するためだけに会議のための会議をやったり、資料をつくる、その丁寧さ、お金にならない細やかさがどんどん労働を蝕んでるんじゃないのかな。
人類学者であるデヴィッド・グレーバー氏は、現代社会において多くの仕事が無意味であり、社会にとって価値を生み出していないと主張しています。2018年に出版された著書『ブルシット・ジョブ:クソどうでもいい仕事の理論』の中で、彼はこのような「ブルシット・ジョブ」の存在について論じています。
グレーバー氏は、以下の特徴を持つ仕事が「ブルシット・ジョブ」であると提案しています。
企業法務、テレマーケティング、広報、一部の管理職などが、「ブルシット・ジョブ」に該当する可能性があります。これらの職業は、必ずしも社会に貢献していないと断言することはできませんが、その価値が明確に見えにくい場合が多いと言えます。
粗雑なコードを修正するプログラマーは、「尻拭い」のカテゴリーに分類される可能性があり、以下のような問題に直面しがちです。
このような状況下でプログラマーは、本来創造的な活動であるはずの新しい価値を生み出す作業ではなく、過去の過ちの修正に追われることになります。これは、ソフトウェア開発プロセス全体に大きな問題があることを示唆しています。
ヒトラーとナチスドイツ関連のドキュメンタリー番組が多すぎる。
普通にIQが平均以下なので、死後もこんなにたくさんドキュメンタリーが作られるヒトラーってやっぱすげえんだ!カリスマ!くらいは平気で言ってしまいそうになる。
IQが平均以下でもなんとかイスラエルやハマスやパレスチナやらについてなんとなく理解したけど、結局ユダヤ人(シオニスト)こわっ!虐殺肯定するアウシュヴィッツの広報担当こわっ!みたいな感想しか出てこない。
IQが平均以下なのに最近スタバとマックとドミノピザとAmazon不買してる。
でも結局スマホ使ってる時点でイスラエル支援企業と手切れてないよ!っていうの見てなにも言えなくなった。
自分のような善良な心を持った平均以下のIQの人間にとって不買活動は難しい。
白か黒かはっきりさせたい性格ではないけど、ユダヤ人ってやっぱやべー悪人なんだ!って平気で外で言ってしまわないか少し不安になるくらいヒトラーとナチスドイツのドキュメンタリーを見まくっている。
イスラエル支援じゃないとされるUNEXTで映像の世紀バタフライエフェクト見まくってるけど、ヒトラー関連の多さはやっぱり異常だと思う。
ジェノサイド回、ヒトラーVSチャップリン回、ヒトラーVSチャーチル回、映像プロパガンダ回、独ソ戦回
チャップリンはトーキーを否定してたけどヒトラーはいち早くトーキーを取り入れた!とかも低IQ者には危険すぎる。
youtubeでもナチスやヒトラーについてのゆっくり解説動画の多さ、専用チャンネルまで見かけるとやっぱり再生回数が伸びるんだー!と思う。
ヒトラーは美大落ちで友達1人しかいなかったとか、そういう割とどうでもいい感じのエピソードを虐殺されたユダヤ人もひとりひとり持ってたはずなのに虐殺された側はざっくり○○人!ってただの数字になってヒトラーの美大落ちエピソードが語られ続けるのがなんか切ないと思う。
まず投票先に関わらず投票自体に報酬がある場合の話をしているので2の買収の話は関係ない。
3,5に関しては国が通貨発行して負担すればいいだけ。自国通貨を発行可能な国で財源そのものが問題になることは原理的にありえない。国内産業がろくになくて供給不足で高インフレになってるとしてもそれは供給能力の不足が問題なのであって財源は関係がない。
4はそもそもその投票義務が果たされないからそれを解決するための解決策として提示してるのだから倫理的問題を言うのであれば倫理的解決策を述べるべき。そもそも投票権を売買してるわけではないのだから商品化しているという表現は奇妙である。
1だが政治不信の問題が根本的に解決されるわけがないし、政治不信と投票率を上げる提案にはそもそも関係がない。政治参加への無関心を解決するための提案なので循環論法になっている。投票に関する情報不足は広報の問題であってこの解決策の反論にならない。一時的にしか効果がないというが根拠がない。