はてなキーワード: 人格とは
昔、インディーズの漫画家がSNSに投稿した漫画に対して、「この漫画、〇〇な人にはめっちゃ刺さると思います」的なコメントを残したことがある。
すごく喜ばれたし、そのコメントを見た他の人もいいね的なものをくれた。
言語化できなかったが、俺も気分が良かった。
はてなでも、「その意見賛成です」「気に病まないで欲しい」的なコメントを残すようにしている。
やっぱり、なんとなく気分が良い。
正直、はてなの投稿には気持ちの良いコメントを残す人が少ない。
自分の話に持っていく人、全然関係ないところで議論を始める人、言葉の矛盾や間違いを指摘したがる人が気になる。
人の欲求に「優越したい」というものがある。誰かに対して自分が勝ったとき、人は快楽を得る。
これは勉強やスポーツ、仕事などにおいて強い力を持つが、人格に問題を抱えたり、人間関係が歪になってしまってトータルでマイナスになる可能性がある。
もし「優越したい」という欲求を持って人を貶めるようなコメントをしている人がいたら、気持ちの良いコメントに置き換えるかコメントしない方が良いんじゃないかな、と思う。
当時、私はとあるカップリングにのめり込んでおりました。マイナーなカップリングです。仮に受けをA、攻めをBとします。公式からの供給も少なく、十数人の方がカップリングについてせっせとツイートしたり、絵を描いておりました。
私は厭に行動力だけがある人間でした。私は専用のアカウントを作って、そのカップリングについてのツイートをしていました。思えば、そんな事なぞせずに暫くネットというものをよく学んでからそういう事をすれば良かったのです。それなのに私はアカウントを作りました。
そのうち、そのカップリングの絵を描いている人達にフォローバックされました。当然、私は浮かれました。相互フォロワーです。それも、フォロワーが100人以上いるような絵師さんとです。彼女を、仮にCさんと呼びます。わたしは友達ができたとばかりに喜びました。
当時は公式からの供給も少なく、各々が行間を読んでキャラクターの人格をそれぞれ定義していました。時折、「もくり」と呼ばれる通話アプリで会話なんかをして各々の見識を深めたりしていました。
ある日、妙なムーブメントが起こりました。
各々の解釈のAを交流させるというものです。今思えば、荒唐無稽な話です。しかし、他人との交流というものは存外楽しいものです。皆各々のAはこうなるだろう、こういう反応をするだろうとツイートをしていました。内輪でしか通じないような、そんなムーブメントです。それでも私は楽しかったのです。多くの人のいいねよりもその人達からの肯定の方が、私には暖かかったのです。
そのうち、「壁打ちアカウント」という物を作りました。その「壁打ちアカウント」にリプライを送る形として、そのA達の交流についての話をツイートするというものです。
当時の私は、突然出てきた知らない概念に、暫し困惑をしておりました。よく調べていれば、そこで済んだのです。
そのうちCさんからDMが届きました。「壁打ちアカウント」についての説明と補足、使い方についてです。それでも、私は分かっていませんでした。フォロワーさんの1人がとりあえず様子見をすると言いました。TLに不安が広がっていました。
その晩、私は通話アプリを開きました。すると、1人のフォロワーさんが通話に参加しました。彼女も、ムーブメントに参加していた人でした。
昔の出来事なので、会話の詳細な内容も、そうなった流れも覚えてはいません。ただ、「一回壁打ちアカウントを作った人達と話し合ってみよう」という流れになった事は覚えています。
Cさんとその関係者が呼び出されました。
何故そうなったのかは覚えていません。フォロワーさんは強い口調でCさんを、まるで自分が正しいのだと言わんばかりに罵りました。内容はよく覚えていません。怖い、と罵られる側で無い私でも感じていました。私は何も言えませんでした。今考えれば、止めれば良かったのです。懇々垂れる罵倒は1時間ほど続きました。
次の日、Cさんはアカウントを消す、との旨のツイートをしました。アカウントを消す事になった流れを画像でツイートしていました。
多くのフォロワーさんの嘆くツイートでTLが溢れかえりました。その人の作品が好きだった絵師さんもアカウントを消しました。
削除してほしく無いと、アカウント削除を重く受け止めていた私はDMで我儘を言いました。いつも話していた誰かがTLからいなくなる寂しさは、当時の私には耐え難い苦痛でした。どうしたら今までの関係に戻れるのだろうとばかり思っていました。もう戻れるはずがないのです。
目くらになった私は、通話アプリを開きました。誰でも良いから相談がしたかったのです。この気持ちをぶつける拠り所が、このアプリくらいしか無かったのです。入室したのは、件の罵倒したフォロワーさんでした。私は、頼れるよすががもはや彼女しか無いように感じていました。目くらな私は、まだ今までの関係に戻れるかもしれないと思っていました。
そのうちCさんはアカウントを作り直しました。私はまたフォローをしても良いかと直接掛け合いました。しかし、件のフォロワーさんと私が通話している所を見た、とCさんは言います。そして、件のフォロワーさんと繋がってしまう恐れがあるからフォローしないで欲しいと私に言いました。
今までみたいにみんなで仲良く、というのはもう到底出来ない事のようでした。
思えば、私があのフォロワーさんに相談なんかしてしまったからそんな事になったのです。当時のことはよく覚えていませんが、その事だけははっきりと分かっています。罵倒を止められなかった小心者で、判断を誤った愚かな若輩者のせいで件の出来事が起こったのです。
タイトルの通りなんだけど、中途で入った仕事できないおじさんの取り扱いにチームメンバーが困り始めている。
中途の人、年はたぶん40後半くらいで、歳の割にすこぶる老いている。肌はアトピー気味でボロボロだし、かなり禿げている。見た目に気を使わない人なのだろう。
まあそんな容姿の話はどうでもよくて、とにかく仕事ぶりがひどい。だが人格に問題は無く、優しくて、オドオドして、時たまヘラヘラしている。タチが悪い。
おじさんのポジションは総合職寄りの機械設計の技術者。派遣メンバー、若手、子会社の人員なんかをうまく使って大きなプロジェクトを進めていくのが仕事。
他のエンジニアとの共同も重要で、特にソフトウェアとの連携が必要なポジションにいる。
俺はこのおじさんと共同でプロジェクトを進める28歳のソフトウェアエンジニア。俺はプレイヤーとマネジメントの中間くらい。おじさんはリーダー。だった。
おじさんは気が弱く、誰にも質問ができない。
今進めてるプロジェクトが何のために行われているのか、進めるために自分が何をすれば良いのかがわからない。
でも誰にも聞かない。で、見かねた誰かが「〇〇さん、これはこういうことで…」と話すと、
「アッ…アッ…ソウデスネ、アッ…ハイ…ナルホドデスネ…」を連呼する。
説明してわかったようだがわかってないのが困りもので、何というか、「今その状況に合ってるっぽい言葉をとりあえず吐いてる」みたいなんだ。
俺が「〇〇さん、これからやること大丈夫ですかね…?」って聞くと、
「エーット…ソウデスネ…エト…エト…カクニンシマス」とか言いやがる。
その場だけは取り繕えるけど、中身はスカスカ。それが働かないおじさんの本質。
まあ、そんなこんなで1年くらいおじさんと共同で進めてるプロジェクトがあるんだけど、段々現場が地獄みたいになってきた。
みんな、「これは〇〇さんの仕事…だよね?」と疑心暗鬼な状態になりつつ、みんながおじさんの仕事を巻き取る状態。
年も職歴も、俺はおじさんには及ばない。でも、実質のプロジェクトリーダーは俺になってしまったらしい。疲れた。シンプルに、疲れた。
おじさんの仕事を巻き取る分、俺はあぶれた雑務を後輩や派遣さんにお願いする。
みんな、状況をわかってるから助けてくれるけど、段々陰鬱な雰囲気が漂ってくる。だから俺はできるだけ、手伝ってくれたみんなを労う。おじさんの代わりに。
最終的におじさんは一つのテーマの一つの仕事しか任されず、それでも毎日キッチリ2時間だけ残業を付けて帰る。
正直、「こいつが居なくなればな…」と俺の心は悪態をつく。コイツ一人雇う金で、定時帰りの派遣社員を二人雇ったほうがはるかに安上がりで仕事は回る。と思う。
おじさんは教育も雑務も適正が無い。そもそもうちの会社が合ってない。
「なんでこんな奴を雇っちまったんだ…」 と俺は憐憫の眼差しをおじさんに向ける。
とにかく疲れた。どうしたらいいんだろ。
同意なき性行為は強姦だし、同意なき買収は敵対的買収だし、現代では基本的に何をするにしても同意を取ることを求められやすい。
仮に逮捕や刑務所への収監のような原則ベースの人権侵害行為の場合でも、国民による立法によって社会的合意を形成した上で行われる。
だったら出生も同じことで、法律ベースの合意や、出生されるあかんぼう本人の同意を得るべきだと考えている。
実際には法律で白か黒かにしたら社会体制終わるし、生まれる前のガキに同意取れるわけないので本当に実現されたら困るのだが、思想としてはそうなのだ。
一応個人的には正解として「人格データも含めた既存の人間のクローン生産」というのはある。
要は生きてる人間に同意取ってそれを複製すればよくねえかって話。
🍓やなぎやぎ🍓@yagi200901
そりゃ無限に供給があって10年15年単位で現役のアイマス界隈・ラブライブ界隈にいれば「魂が摩耗するレベルの飢え」なんて感じないよな
おじさんは数年前まで4つの界隈掛け持ちしてたんだけどここ4年ぐらいで全部展開終わっちゃったんだ
厳密にいえばたまに思い出したようにグッズが出るから完全に死んだわけではないけど、それ以上の展開は何もないから生殺しでしかないんだ
そして興味の持てそうな新しいコンテンツにはここずっと出会えていない、そうこうしてるうちにいつの間にか漫画読む体力もアニメ見る体力もなくなってしまった
何ならアイマスとラブライブは二次元に飽きても声優推しに切り替えて三次元に逃げられるっていうチートじみた裏技使えるからな、恵まれすぎてんだよ
おじさんはやなぎやぎ君と違って三次元コンテンツは受け付けないから少しでも声優メイン役者メインのコンテンツに触れるとアレルギー出ちゃうんだ
それでもとある2.5次コンテンツ(一応名前は伏せる)が奇遇にも前にいた界隈に似てたからちょっとだけ覗いてみたけど、やっぱりみんなキャラじゃなくて中の人のことを見てるから辛い
ファンアートを漁っても役者とキャラを同一視したイラストばっかで、自分を騙してうまいうまいと言いながら猛毒食ってる感じがして悲しくなってくるんだ
なあ、(狭義の)オタクって二次元が好きな人たちだろ?声優とか舞台俳優とか、生身の人間の私生活や人格曝け出すコンテンツありきじゃなかっただろ?
俺の20年間は何だったんだ?
だから大人は社会的人格や建前やマナーなんかで、キモい自意識を隠して生活することができる場=社会を作ったのです。
自意識のキモさというのは、統制された社会の美しさの裏返しなのです。
つまりそのキモさを受け入れ、積極的に表出していこうとする姿勢は、反社会的でアナーキーな姿勢ということです。
一部のアーティストはそれを芸術に昇華し、社会の美しさに対する疑問として提出するでしょう。
また社会よりも個人を重視する視点を持つ人は、それを日常的に表すことで、社会の中での個人の重要性を主張するかもしれません。
動物的身体にこびりついた自意識の扱いは、個人と社会の関係性を測る物差しでもあるのです。
知らんけど
こういうのはウソか作り話のどっちかだと思うんだよね。
慣れないというディスアドバンテージはあるだろうけど
相手が明らかに拒絶してるのにグイグイ行けるのは認知能力か人格に問題があるわけで
珍しく女性に偏重した男女不平等だったけど、これも男女平等への重要な一歩だ。
たしかに導入直後は混乱もあるだろうが、根本的な仕組みとして不平等な仕組みだったので長期的に見れば良い改正だと思っている。
少なくともオレは安心して結婚して子どもを持てるな、と思ったよ。
海外でも日本人女性と結婚すると子を連れ去られるから結婚してはいけない、という呼び掛けを時々見かけていたがそういうのもだんだんと減っていくだろう。
共同親権という枠組みは維持したまま、細かい調整を随時加えていけば十分実用的で安全な仕組みになるはずだ。
あとは夫婦別姓などの他の男女平等施策も進んでいってほしいところ。
誰かが反対でもしようものなら論理ではなく、全く別の過去の行動を取り上げて人格批判や印象論での批判ばかりで、ほぼ誹謗中傷といっても良いレベルだった。
そのせいで賛成派はSNSでは怖くて声を上げられず、ノイジーマイノリティがSNSを跋扈する状況となった。
増田がそういう価値観なら、最初からそれを出して、価値観の合う人を探したらいいと思う。合わない人は多いと思うけど、自分がそれでいいならそうすれば?
初デートって「これからこの人と付き合うとどんな生活になるか」を想像する場でもあるので、お互いに自分をよく見せようとするもの。増田は相手のことより、自分が受け入れてもらえるか、相手が自分に合うかと「相手の人格を見極める」ことばかりに目が向いていて、相手を楽しませようという気持ちが見えない。自分の価値観を押し出して「受け入れてもらえるか」を重視する自分中心の人と、「相手を楽しませよう」とする相手中心の価値観の人は相容れないものです。
だから、増田にとっては初デートでサイゼリヤに連れて行くのが正解だと思うよ。価値観の違いに気付いてもらえるからね。
話術がすごいとか、特技があるとか、趣味が合うなど、食事以外で「一緒に過ごして楽しい」メリットがある特別な人以外は、雰囲気がよくてそこそこおしゃれな店に連れて行くのが無難だと思うけどね。
男女それぞれに相性テストをかけあうのは、何も間違っていない。
ヒトのお見合いを長く見てきたが、お見合いは試しあい、真剣での試合そのものであり、鋭くしかし華麗に行う必要がある。
婚活においてサイゼリヤデートという話題で炎上するたびに思うのだが、題名とは違って実はかなりの人間がデートの中に"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがある。
以下において"サイゼリヤ"は、"マクドナルド"でも"ドンキ"でも、"スターバックス"でも良い。好きな単語に置き換えて読んで欲しい。
試される側からすれば、実はお試しとしては悪く無い。価値観を知る良い機会だからだ。
問題は、それが意図せずに組み入れられてしまったのか、意図してそこに行こうとしているかの差だ。意図しているのだとしたら試し方としては相当に幼い。
ただ、相手の価値観を変えてやろうと思ってなかなか変わるものでもなく、矯正すれば良いかと気楽に考えていると概ね悲惨な結末を迎える。
(価値観を後から変える成功例は自分の知りうる限り一組だけで、あとは残らず離婚している)
以下は、結婚相談所での経験も含めて、なぜサイゼリヤデートがダメなのか、なぜ相手を試す行為が良くないとされ、実は試す必要があるのかを解説する。
(具体例は当然フェイクや組み合わせを変えたりする)
総じて、結婚相談所は「結婚できる下地はあるが出会いが無かった」お相手同士の縁を結び、そのお手伝いをするところであり、
新兵訓練所ではなく、また訓練するインセンティブも薄い(よほど成婚率が悪いとかでないかぎり、ズルズル在席してもらった方が楽)ので、
多少の背景調査が入るお堅めの合コンだと思ってもらってほぼ間違いない。
多少の違いはあるが概ね合コンセッティング業者と言われても反論はできない。
いやいやお見合いと合コンは違うじゃん!と思ったあなた。貴方の感性は正常です。
そう、男女が出会う場所として本質的に同じだとしても、やはりお見合いと合コンは違う。
事前の準備の面倒さやドレスコード、会食場所を含めて、その差異は、マナーという言葉に集約される。
けっきょっくのところ、これは礼儀、つまり相手に敬意を表すことが出来るか、という点を見られているわけだ。
試しあいだとしても、相手に敬意を持ち、それをきちんと表現した上で、さらに相手を試したり知ることができますか?という。
つまり、サイゼリヤデートは、相手にきちんと敬意を払ったうえでセッティングしましたか?と問われている。
一般的には、初回のデート場所にサイゼリヤに行くのは、試し方としては拙く、無礼だ。
そんなこと言っても、初回の相手にどうやって敬意を表せば良いのだ!と憤るかもしれない。
自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかにフォーカスして考える経験が足りていない。
そもそも結婚数そのものが下がってきている昨今、礼儀作法にうるさいご家庭はかなり減った。
実際のところ、気の置けない友人同士であれば、手土産無しにお宅訪問しても陰口をたたかれることはまず無い。
ただ、家を訪ねるのであれば手土産くらいは持参するだろうという常識が薄れても、それが礼を尽くすことになるかもしれないと思い至れないのは致命的だ。
(ブコメにハレとケの概念について触れているものがあったが、それでピンとくるようであれば読み飛ばしてもらって構わない)
じゃあ、デートにどこに行けば良いのだ!とキレるようであればまだ救いがある。調べたり改善する余地があるからだ。
サイゼリヤでも良いような女性とお付き合いしたいのだから、良いじゃないか、と考える場合は概ね笑顔で肯定し、長く在席してもらうことになる。
パブリックとプライベートとを、それぞれに応じて異なる振る舞いをすることが求められる、ということからわかっていないことが多い。
プライベートで、例えば家にいるとき、家族になった後での家の中での振る舞いで、厳格な礼儀作法を求められると疲れる、というのはわからなくもない。
「だから、サイゼリヤで価値観のすり合わせを」となるところがマズイのだ。デートはパブリックな場所で行われるものであり、特に初回のデートはパブリックよりだからだ。
さて、デートはプライベートな行事ではあるが、パブリックな空間で行われる。
次にこれが"婚活で行われるデート"の場合は、ここに"非日常"という軸が加わる。
冠婚葬祭に普段着で行ってはいけないというのは、それは非日常だからだ。
逆に言えば、高校生のデートであればサイゼリヤであっても問題ない。日常と地続きだし、場合によってはそもそも男女で食事をするだけで非日常だったりするからだ。
最後に、相手と自分との区別がついていない、という点があげられる。
これはもちろんグラデーションがあるだけで誰しもそうだが、極端に自分が中心になっていることがある。
相手が人格を持つ自分とは違う人間なのだということが分かっていないような振る舞いをされる方がまま居る。
これは男女問わずだし、誰しもが多少なりともあるが、自分の考え方が正しく、それに沿うべきだ、と考えてしまいがちだ。
サイゼリヤデートであっても相手は楽しむだろう、それが初回のデートであっても自分は嬉しいから、というものだ。
その時にお誘いした相手はどう思うだろうという視点が欠落している。
ここが"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがあると言った理由だ。
休憩にスターバックスによることが優しさであると感じる方もいれば、騒がしいスターバックスにデート中に寄るのは常識外れだと怒る方もいる。
どちらが正しいとか間違っているかということではなく、その相手がそう感じるという点が重要なのだ。
そんな初回の相手をエスパーでもないのにどう感じるかわかれなんて無理だろ!と憤るのもわかる。
そう、相手のことを心から理解するのは家族であっても難しいし、逆にそんなにピッタリだと不安になる方もいる(相手が自分に無理に合わせていたのではないかと)。
その解消がコミュニケーションであり、ここで相手と意思疎通ができるかはとても重要だ。
自分の言葉で相手に伝わるように言ったはずなのに伝わらなかったというのは大きなマイナスになる。
例えば、「相手からはデートのランチの場所はどこでもいいと言われた」というのが、「どこでもいいと言ったらどう伝わるか」とすでに試されているのだ。
もちろん、慣れていないと、ディナーの予約をしたつもりが、高くてあまり美味しくない居酒屋になってしまうこともある。それは仕方がない。
問題はそこから、どう軌道修正できるか、もしくはそういったところが良いのか実は非日常のデートなら違うところが良いのか、価値観のすり合わせが出来るかが重要なのだ。
際限なく譲歩する必要は無い。ここは譲れないラインだというのをぼんやりとでも持っておくことはもちろん重要だ。
いつもデートは帝国ホテルのディナーを予約してほしいというのは、受け入れられないとか。手違いでも居酒屋を予約するような手際ではムリだ、とか。
まだ家族になってもいない相手を試すのであれば、相応の礼儀を尽くしたうえで、失礼のないように試すべきなのだ。
だから、何度かデートを重ねたうえで、段階を踏んで、「お互い普段はファミレスに行くって言っていたし、どう?」と誘うのであれば何の問題もない。
両方がともに普段着で集まって、いつも行くような店に行こうとコミュニケーションが取れてからなら、焼肉でも二郎でも好きに行ったらいい。
いきなり相手を連れて行って試すような真似をするのは、本当に止めた方が良い。考え方が幼すぎる。
礼儀を尽くしてサイゼリヤに行ったんだと主張するのであれば、それはそれでも良いと思う。似合う人が見つかると良いね。
あなたから見れば、あなたは人生の主人公で、それ以外の人間は登場人物に過ぎないと感じるかもしれないが、実際はそうではない。
まあ、そう無理することも無いと思うんだよね。業界的にはその方が助かるし儲かるから。増田にしか書けないよこんなこと。
つーか、ぶっちゃけオマエ試してる場合なの?ってことの方が多いから、経験則的に言えば全員一律相手を試してる場合ではないでフィニッシュです。
相手を試さないといけないくらいひっきりなしにアプローチを受けてますなんて人は、ホントに出会いが無いだけで結婚相談所の能力と無関係に成婚するしね。