はてなキーワード: 一貫性とは
個人情報と尻全体をフルオープンにしろって話したか? 判断と理性の一貫性の話してるんだよね。
お前がそういう面倒くさいことを全部やってるなら、マイナンバー登録を渋るのはいいんじゃないか?
メルアドが全部ランダム英数字だったり? サイトごとに変えたりしてる? すげーと思うよ。マメすぎて。俺の言ってるアホには当たらないわ。
マジでやってたらだけど。
あ、言っておくけど、楽天やgoogleやLINEは十分に「個人情報を洩らすヤバイサイト」だからな。
日本国官公庁から個人情報が洩れるのを心配しているぐらいだ。格としては同じようなもんだ。
世の中にはウンコのようなシステムがあるが、その最たるものとしては複数のアプリケーションでDBを共有するものだ。
まさに今取り組んでいるプロジェクトがその典型例だ。データの一貫性や整合性がとれないようなシステムはおむつに包んで汚物入れにいれるべきだ。
DBを複数のアプリケーションから共有するな。これだけのことを何度言わせるのか。
上記の問題を解決するために、他のソリューションを導入したりする。
ちがう、そこじゃないんだ。データはアプリケーションで閉じろって話だ。
根本的な問題は、要求事項から最適なシステムを作る人の不在だ。
REST APIの設計も酷いもので、エンドポイントがDBのテーブルそのままを表しており、トランザクションもクソもない。
APIがデータベースの構造に過度に依存しており、データベースの変更が直接APIの修正に繋がる。このため、些細な変更でも広範囲に影響が及ぶことになる。
子供の頃の私は親の知り合いや親族の中にいる「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」がとても好きだった。かなり懐いていたように思うし、その人物たちはほかの子供たちにも大人気だった覚えがある。
私は結婚する予定が現在なく、自分がそのルートに乗っかっていく可能性も一応検討しておいた方が、後々のためにも幸福かもしれないと思い、最近つらつらと考えているのだが、意外とハードルが高いのかもしれないと気づきつつあり、怯えている。
まず、子供のそばに置いてもよいという判断を親からもらえるレベルの社会性や身分の保証が必要である。
次に、友人や親族が続々と結婚や妊娠・出産のラッシュを迎えていても同調圧力や社会規範に屈することなく、あくまで朗らかに緩やかかつしっかりとした関係性を築く。
そして、子供たちの流行やその世代におけるなんとなくの暗黙の了解、社会的なルールやタブーをアップデートし続けることで、頭の固い親とは違った唯一無二のポジションを獲得する。
意外とステップも多い。その上、実は二つ目の、社会規範に流されない、卑屈にならずにちゃんと接しやすく親しみやすい己を整えておくことで好かれるように努力する、という手順。実はこれこそが曲者で、みんな自分ならできるだろうと軽んじているのに、最も難しく、乗り越えがたいハードルなのかもしれない、と薄ら理解し始めてしまった、という話である。
人手不足の時代である。一つ目の、定量化できる身分の保証が一応の定職があるということを指すならば、そこまで実現は難しくない。ちゃんと食い扶持さえ稼いでいて、そこそこやっているように見せられればある程度はよさそうだ。
三つ目の子供たちの暗黙の了解の獲得はとりあえず、ちゃんと相手の話を聞くことと独身ゆえの身軽さを利用して、インターネットなど社会に広く開かれた窓口を往復しておくことが重要だろう。また、自分が若い頃の文化について体系的に話せたら、おそらくそれなりにはおもしろがってもらえるのではないだろうか。よほど話が下手で聞いていられないほどではない限り、親というものは権威があるので、子供と同じ目線に降りて自分の若い頃の情熱や失態を話せないから、親と同世代の自分がきっと楽にかっさらっていけるのだ。
じゃあ、自分のケアをして愉快な接しやすい人格を保っていられるか。ここがどうやら思っていた以上の難関なのだ。
というのも、現在アラサーの私の友人や知り合いの動き方を眺めるにつけ、人間というのはかくも一貫性を保つのが難しいのかと実感するからである。
彼氏を作った友だちに呪詛を吐き、結婚式を唾棄していた女性がいつのまにか結婚する。ポップな女嫌いをつぶやきまくっていた男が唐突に結婚相談所に登録する。恋愛がわからない、自分はひとを好きになれないと悩んでいた友人が、その悩みがどこにいったか、なぜ解決したのかの経緯を説明することなく嬉しそうに同棲中の部屋の写真を見せてくる。こういった流れに対して、なぜか私と同じ身分の者たちがどんどん卑屈になっていき、他者との関わりを絶ってしまうのだ。
私は先述の通り、愉快なおもしろおじさん・おばさんポジションが欲しい。まぁ、実際に得られるかはわからないが可能性はとりあえず残しておきたい。なので、上述した人々はまさに格好の獲物である。「あなたのお母さん、昔は彼氏持ちのひとを心底羨んでてね……」「お父さん、若い頃は結構おもしろい荒れ方してたんだよ!」「好きになることわからないとか言ってたけど幸せそうでなによりと思ってるわ〜」など、密やかな秘密の話としてポップに子供に吹き込む、毒にも薬にもならない存在を目指すのに楽だからだ。当人たちは自分の子供にそのような話は決してしないだろうし。「お父さん/お母さんには内緒ね!」と告げたときの相手のきらきらとした目が見たい。
でも、仲間がどんどん消えていってしまう。なんなら消えている期間に自分もパートナーを見つけて、何事もなかったように戻ってきて、私の次の獲物に変貌するひともいる。それはそれで構わないのだが、帰ってこなかった「おもしろおじさん・おばさん」候補はどこへ消えてしまったのだ。というか、なぜ消えたのか。これではどんどん私がマイノリティになっていってしまうではないか。
と、ここまで至ってなるほど、自分自身のケアをして揺るがない自我を築いていくという作業は思っているよりも難しいのだ、という結論を得た。周囲の「結婚ラッシュ」に焦る気持ち、自分は出来損ないなのではないかという劣等感、現実が見えなくなり狭窄になっていく感覚、なんとなく慢性的に存在する不安感。こういったものに抗うのは、意識的でなければ、人間は全員ちっぽけなので、不可能に近いのだった。
いまの私は、まぁたぶん、まだこのビッグウェーブに呑まれていない。そう信じたい。なので、一応おもしろおじさん・おばさんポジションの候補にはなれていることだろう。未来のことはわからないので、もしかしたら文字通り「闇落ち」を迎え、候補者リストから外れるかもしれないが。それは考えても仕方のないことだ。
最近は休日にひとりでドライブをしたり、写経をやっている。また、ジムにも通い出した。そして、編み物にも手を出している。映画も観るし、若いアイドルたちにもおそらくほかの友人よりは詳しい。こんなことを続けながら、自分自身の心のケアをしておくくらいしか、おもしろおじさん・おばさんルートは開かれないのだとしたら、それはまるでライトな修行僧のようではないか。実際に結婚や妊娠・出産とも縁遠かった結果として開かれるルートではある気がするので思っているよりか近い存在なのかもしれない。
幼少期に懐いていた「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」にもこんな苦悩があったのかもしれないと思うとなかなかの感慨である。そして、だからこそ、わりと寛容な人格者だけが残り、子供からちやほやされていたのだなぁ、と思う。結果だけを見たらお気楽そうにも見えるが、努力をしたからこそ得られたボーナスポイントで若い世代からの支持を得られるのだろう。
この記事は人間によって書かれたものだと思われます。以下の点から、そう判断できます。
1. 文章の流れ、構成がスムーズで自然である。AIによる生成された文章には、まだ人間らしい自然な文章構造を作ることが難しい。
2. 具体的な例(東京-新大阪の運賃の数値例)が適切に使われている。AIも例を挙げることはできるが、あまり具体性がなかったり文脈に合わない例を挙げがちである。
3. 文章に人間らしい主観や価値観が反映されている(「かわいそうと感じ譲ってあげたい」「無理に譲る必要はない」など)。AIは一般的にこうした主観的な記述は苦手である。
4. 軽い言い回しや言外の意味が自然に表現されている(「指定席を取るべきだという意見もあるでしょう」など)。
普通に考えてさ
匿名性の良いところは、現実で表に出せない本音を語れるところだからぶっちゃけようぜ
ついこの間まで16歳から結婚出来たのに一歳年下とはセックス出来ません
欲情するのは異常ですって、生物学的にも客観的に見ても論理的に考えてもあり得ないだろ
もちろん、現代社会の常識は急速に更新されるし、教員の職業倫理的にダメだってのはその通り
けど、中学3年生に欲情するのは異常とするのは、あまりにも現実離れしてる
むしろ男にとって一番魅力的な年齢がそのぐらいから二十歳までの間だろう
そもそも中学生同士がセックスして妊娠する問題があって、性教育しろって言ってるひとたちが、中学生に欲情するのは異常だと思うの一貫性がないだろ
子供のころによく履いてたブランドで、あのASICSのストライプは俺にとってスポーツスニーカーの象徴だった。
そのイメージもあって、大人が日常的に履くのはちょっと……って何となく敬遠してた。
でも、今は自分の中で再燃しつつある。
オニツカタイガーに負けてないデザインのものもあるし、履き心地や機能性に優れたものもあるし。
スニーカーブランドとしては今でもトップ争いしている印象だけど、個人的に履き心地いいと思ったことはない。
どっちかっていうとスタンスミスとかのローテクが強いブランドって印象。
そのスタンスミスにしたって、近年は本革仕様を復刻させて、いま2万近くで売ってる。
「2024年までにリサイクルポリエステルのみの使用に切り替える」とか宣ってたくせに。
ローテクスニーカーといえばって感じで、履き心地のために選ぶブランドではない。
でも値段はリーズナブルで、ブランドとしての一貫性を感じるしで、好感は持ってる。
好感は持ってる、んだけど。
厚底スニーカーならここを思い浮かべる。
履き心地そこそこ、値段もそこそこ。
FILAよりも安い厚底スニーカーはたくさんあるけど、当たり外れが多くて履けたもんじゃない。
そういえば、厚底スニーカーは「ダッドスニーカー」なんていわれることもあるね。
けど、粗悪な厚底スニーカーをダッドが履いたら死ぬよ(下半身が)。
履き心地はトップクラスだと思う、個人的にはニューバランスより好き。
如何にもスポーツスニーカーって感じのデザインばかりなのが玉に瑕。
一番好きなブランドかと聞かれればそんなことないけど、最近よく履いてるのはこれって感じ。
リカバリーサンダルならウーフォスやテリックも好きだけど、あれらはデザインが野暮ったいというか素っ気ないというか。
スニーカーってイメージがあまりなかったんだけど、割とがんばってるみたいね。
実際、履いてみたら予想以上で感心した。
日常使いしやすい革靴ライクなものもあったり、デザインも力入れてる。
でも、それなりの値段がするのもあって、あの価格帯なら他のブランド優先しちゃうなあ。
日本でも妙に人気があるけど、俺としてはあの「N」の文字がどうにも野暮ったいと感じてしまう。
だからロゴが目立たないモデルとか買うんだけど大抵ローテクだから、ニューバランスの履き心地の良さを堪能できないっていう。
俺がありがたがるようなブランドじゃないなあ、って先入観が未だに拭いきれない。
スニーカーブランドのトップだけど、個人的にはそこまで思い入れがない。
エアフォース履いてる人多いなあ、くらいの印象。
エアフォースって履き心地はハイテクに勝てないし、パッと見でエアフォースってわかるデザインなんだよな。
わざわざ1万以上だして、履き心地が普通の、他人とカブりやすいスニーカー履きたいって価値観が俺にはない。
じゃあハイテクスニーカーはどうなんだって感じなんだけど、チンドン屋みたいなデザインばっかりでなあ。
履き心地だけならトップクラスだと思うけど、あの特徴的なソールは人を選ぶ。
値段も結構するしね。
高い金払って、あんなデッコボッコなソールの履くのは勇気いるよ。
子供のころ、アシックスの次くらいによく履いてたブランドのはずなんだけど。
なぜかほとんど印象に残ってない。
俺にとっては「数あるスポーツスニーカーのひとつ」としか言いようがない。
最近、自分のファッションスタイルに丁度いいブランドだと思ってて。
合わせやすくて、ブランドの主張が強くないモデルがあって、かつカブりにくい。
最近だとクラブシーのセレクトショップ限定モデルが、個人的にドンピシャだった。
現代のテキストエディタがCtrlを押しながら矢印、Shiftによる選択、Home,Endなどを組み合わせたときの操作に対して、viが本当にエディタを乗り換えるほどの優位性を持っているのか疑問
viに有利な例題でない限りはそんなに差は無いのでは?
あとなぜvimはいまだにヤンクというクリップボードの下位互換のヤンクという概念で操作せねばならないのか?
このせいで「ビジュアルモード」という選択範囲クリップボード操作と同等の操作と、vi本来の操作が入り混じった一貫性に欠けたテキスト編集を強いられる
fugaをコピーしてhogeに上書き張り付けするという自然な操作の流れが「vi流」のキー操作で行えないのは明確な問題だと思える
vi開発当初にクリップボードという概念が存在しなかった事は分かる。しかしそれがいまだに改善されていないのはなぜか?
テキスト操作を便利にするためにユーザにはvi流の変態的操作を押し付けるのに
テキスト操作を便利するためにエディタ側はクリップボードを使った操作体系を取り入れないのは単に昔からの慣習を至上とする悪習なのではないか