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はてなキーワード: 観点とは

2024-05-17

anond:20240517144141

味覚の観点でいうと、

・しっかり混ぜ込まれもの

・まだらに混ぜ込んだもの

では味が違うんだよ。

まだらに混ぜたもの、あるいは、表面だけに塗ったものを食べると、舌にダイレクトにあたるので、味を強く感じやすい。

一方でしっかり混ぜ込まれしまうと、素材の風味を変えるような作用になって、そのものの味は感じにくくなる。

から、よく混ぜ込んだものと、表面だけに掛けたものは、両立する。

anond:20240517082845

どちらかと言えば男女平等だのミラーリングだのの観点なので弱者男性的というよりフェミニストの発想の仕方に近い

2024-05-16

マインクラフトセックスアップデートが来た!?

増田にいる奴らは知らないかもしれないが、Minecraftっていうゲームがあって、そこにはピストンっていうブロックがある

シャガシャ鳴るのが特徴なブロックなのだが、今回のアップデートでこの音が変わった

https://x.com/abc_kuma1025/status/1790746910074282061

んで、この音、大規模な装置で動かすとこんな感じの音になる。水音とか咀嚼音っぽい感じ?

https://x.com/TomcoYT/status/1790759528675397991

これがまぁ不評寄りで、「シープマシーン(羊のケツを掘る機械)が強化されるアプデ」だの「オナニーみたいな音」とか、「ついにマイクラセックスアプデが来たか」とか散々な言われようである

だが意外と好きな人もいるらしく、「前より好き」 「マイクラ懐古厨ばっかりだからいい変更でも反発される」 「最高のアプデ」とか言ってる人もいるので正直分からない。

自分はまぁ変更するのはいいけど、技術的な観点から前の音は残しておいてほしいし、あと今の音はちょっと水音っぽすぎるのでちょっと考え直してほしい

anond:20240516005231

くそれ言う人おおいんやけど、それはどういう観点で言ってるか聞いてもいい? 僕の街は人口1万人程度の街で、高校も少ないし給料格差関係で都会の大学には行かせにくいから、周りの同期も大学落ちたら就職なりしてたんだよな そんで僕は限界集落に近い所に住んでて 幼少期、一番近くの友人が3キロ離れた集落にいたからなかなか会いに行けなくてコミュ力もなかなかなかなかm 子供の将来を考慮すると

2024-05-14

無修正動画配信逮捕する意味

成人向けの無修正動画なんてネットで誰でも観られるのにわざわざ逮捕する意味ってなんだろう。

もし住民投票法改正するか決めることになったら規制撤廃されると思うんだよね。

「いま違法ものをわざわざ合法にする必要はない」みたいな意見が出ると思うけど、おれが払った税金無修正動画配信者を逮捕するための捜査費用になってると思うとマジで無駄遣いやめろって言いたい。

関連団体役人天下りするのも無駄だし。

仮に明日から無修正を解禁しても社会にはなんの影響もないでしょ。

エロ表現は日々過激化してるんだからアソコがくっきり見えたところで何も変わらない。同性婚を認めるよりも変わらない。

しか逮捕された人は実名を晒されてデジタルタトゥーが残って今後の社会復帰も難しくなるだろうし。

犯罪者晒し者にするのが世の中の総意なんだろうか。人権観点から考えたら先進国とは思えない扱いだよね。

誰かこの法律正当性現代日本人観点から教えてよ。

あなたはどっち?】「好き」に理由があるor「嫌い」に理由がある

 だいぶ前に、ふとした拍子に「好きな作品なら理由が言えるはずだ」と言ったら、「逆でしょ。嫌いなものには理由があるけど好きなものには理由がない」と返されて考え方の違いに驚いたことがある。

 その時はそれも筋が通っていると感じたからそれ以上は踏み込まなかったが、思い返すにまだ腑に落ちないものがある。

 それは、結局突き詰めて考えると、自分が「好きなものには理由がある」と言う場合、加点法を念頭に置いているからだ。

 

加点法と減点法

 一般的に加点法と減点法ということを言うとき、加点法の方が分別があるとか生産的だとか言う。

 そして加点法で言うならば、「好きな理由」を上げていくことが評価スタンダードでなければいけない。

 となれば、逆に「嫌いなことに理由がある」という考え方は、減点法であり、非生産的な考え方であると言えるはずだ。

 しかし一方で、「好きなものはなんとなく好きで、特に嫌いな理由があるときだけ嫌い」というのも穏当な理屈であるように見える。

 この、論理の噛み合わない感じが、自分の中でまだ消化しきれない。

 「好きなものには理由がある」という加点法的な考え方に対して、「嫌いなものにこそ理由がある」という減点法的に見える考え方は間違っていると言えるのか。

 

「嫌い」ってどこまで嫌いなのか

 ひとつ重要ポイントとして、「嫌いなもの理由がある」という場合の「嫌い」というのがどこまでのことを意味するのかがあると思う。

 「好きなもの理由がある」自分にとって、「好きでないもの」は「どうでもいいもの」だ。特に価値がない、なくて良いけどあっても別に無視するだけのもの

 それは加点法で考える限り当然のことで、加点法で点がつかないものスタート地点の0。そこから上がりもしないが下がりもしない。ある意味ニュートラル

 なので、「理由があるくらい嫌い」と言う場合、逆にそんなに嫌うほどのものってどれだけあるんだろうと思う。

 虫が嫌いとか食べ物の味が受け付けないとかならわかるが、芸術作品など一般的存在に対してそこまで嫌うということは、単純に珍しいものなのではないか

 その場合、「嫌いなことに理由がある」という人は、「嫌いな物はほとんどないかほとんどのものが少し好き」になるのか、「嫌いなところが目についてアレもコレも嫌い」になるのか、どっちなのだろう。

 というところが、分かれ目になる気がする。

 

「好きなことに理由がある」のか「嫌いなことに理由がある」のか、普通はどっちが多いのか?

 結局、普通はどっちが多いのだろう。「好きな理由があるから好きになる」ことが普通だと考える人。「嫌いなものには理由があるけど、好きな理由特にない」という人。

 後者場合、その「嫌い」はどこまでのものを指すのか? あれも嫌いこれも嫌いで、好きな物以外は嫌いだらけという生きづらい人ならかわいそうだけど、特にこれといった理由がなければ何でも楽しめる、というポジティブな人も多いのだろうか。

 また、これは加点法と減点法という観点で語って良いものなのだろうか。一般論としての加点法と減点法の善し悪しに関する議論と、どう論じ分ければ良いのだろうか?

 疑問は尽きない。なんか尻切れとんぼ

 

追記

 自分で整理してみて思ったけど、「嫌いには理由があるけど、好きには理由がない」って、恋愛理屈みたいに聞こえるね。

 自分ものを好きになるって評価するってことだから加点法が誠実だと思ってしまうけど、「好きには理由がない」っていう考え方は、もしかするともっとロマンチックものを求めてるのかも知れない。

 

追記2

 いろいろ意見がきてますね。

 「嫌いなことには理由をつけないと失礼」という意見が多く、考えたこともなかったので驚きました。

 自分にとっては嫌い(というよりどうでも良い)理由説明しないといけないか? 大抵のことは大抵の人にはどうでも良いのがデフォルトだろ? と思ってしまうので、そういう感覚がありませんでした。例えば、鬼滅の刃に興味がない、見る気がない、っていうのに理由がなきゃいけないのかな? 子供向けの漫画大人になって読む方にこそ強い理由がいらない? って思う。(「評判なので試しに読んでみる」は十分な理由範囲として。それでも「興味ない」の方が強くても別に普通だよね、くらいの感覚。ちなみに増田は連載を斜め読みした。)

 ただ、「嫌いに理由をつける人はすべてのことがうっすら好き」はほんとか? とコメントを見てると思うw これを言う人の言い回し博愛主義者に見えないw

 以下に、興味深かったブコメを並べます

 加点法は性悪説というのは、確かにと思った。自分は「すべてのものの90%はカスである」がデフォだと思っているので(カスであっても存在否定しない)。

 面白いね!

2024-05-13

地方の子育て事情(異常な例)

よく男性女性性差議論になるとき性差よりも個人差の方が大きい」という優れた意見出会うことがある.同感である

かに性差はあるだろうが,個人差の方が大きいのは事実だろう.

東京 vs 地方話題も同じだと感じる.どちらも都合よく,文化環境議論をしているように思う.

そこで,地方の子育て事情(3σ外れた異常値と認識している)として,自分が行った子育ての例を紹介したい.

異常値である記載した通り,地方の子育てがこれが平均だというつもりは毛頭ない.むしろ地方においても親が異常者であればこういう子育て可能であるという例である

先にバックグラウンド.私は東大卒で,妻も東京国立大学である.二人とも博士号を有している.

仕事の都合で,地方都市(三代都市圏近郊ではない,まさしく地方都市.人口数十万人)で15年間子育てをすることになった.

私は仕事で住んだ地方都市よりもさら人口の少ない地方都市出身者であり,18歳までその地元暮らしていた.

まず,毎週末のように,県内及び隣県にある文化施設や大きな公園などに高速を使って出掛けていた.

子供たちが異常に好奇心が旺盛であったため,科学館や天文台美術館博物館なんでもOKだったし,

公園には必ず図鑑を持って出かけ,気になる花や虫は図鑑でチェックしながらなるほど〜と家族みんなで確認した.

連休は近隣県でジオパークに出かけたり,温泉旅館に泊まったりした.行く前に図鑑や本で地域情報歴史を調べ,

車の中でみんなで披露するというのがお出かけのパターンであった.

中学校くらいからは歴史に出てくる場所や有名建築家設計した建築物回りなど,社会科学寄りのお出かけも増やしていた.

半年に1度程度の頻度で東京大阪には出かけ,そこでしか体験できないこと(科博,未来館キッザニア鉄博USJなど.なぜかディズニーには一切興味を示さなかった)

にも出かけた.特に未就学時は鉄道大好き人間だったので,JRの全ての鉄博地下鉄博物館京王レールランドなどにも行った記憶がある.

体験格差などという言葉があるが,少なくとも我が家はお出かけという観点において,首都圏の子育てと比べて,劣っているとはあまり思っていない.

それは元々自分も妻もお出かけ大好き人間であり,軽々しく遠出をする人間だったためと考えられる.

の子,下の子ともにゲームは2-3歳から解禁していたが,1日30分というルールで行っていた.最初駄々を捏ねていたが,

1週間もすればルールに順応する.小学生からは1日1時間.お休みの日や特別な日(テストが終わった日など)は長時間を許すという柔軟な運用をした.

私自ゲームが大好きであり,子供の頃も馬鹿みたいにやっていたので,ゲームをすれば頭が悪くなるなんてことは一切考えたことない.

一方で,ゲーム面白すぎるのでやめ時が難しいことが問題で(これはマンガであれ,Youtubeであれ,小説であれ,映画鑑賞であれ他の全ての趣味にも共通する)

そこさえ親がきちんと見守れば,子供がやりたいこと,見たいものは与えて良いと思う.際限ないことが問題なので.

習い事勉強について.未就学期の習い事は上の子水泳ピアノ,造形教室ダンス教室,下の子水泳,造形教室だった.

通っていたお絵かき教室県内で相当有名なところであり,コンクールの賞ゲッターを量産するところだったので,

我が家もそれなりにエフォートを割き,小学生中学生の際にはいくつかの賞を受賞し,地元新聞に載った.

公文個人的に否定派だったので,未就学時は自宅でこぐま会をやっていた.もちろん小学校受験などするつもりはないので,あくまで頭のパズルと基礎力をつけるという程度.

自宅で先取り学習絶対にしないようにした(ここでいう先取り学習とは学年よりも先の内容をやること)

小学校公立)では,全く勉強に困ることはなかった.これは首都圏のようなレベルの高い競争がないため,当然と思われる.

そのため,自宅では,首都圏中学受験用の教材を4年生くらいから利用した.また,その地元進学塾にも通っていた.

大学時代の友人(首都圏在住)を通して,勉強法を聞いたり,首都圏地方での勉強の違いなどを埋めようと親が努力した.

(が,友人とも話したが結局は個人差の方が大きいというオチだった)

中学受験期には,本人も同意の上で,通えないこと前提で首都圏学校をいくつか受けた.本人にとっては力試しという意味が大きく,通えないことは理解していたし,前向きだった.

の子開成に受かり,下の子も渋幕に受かった.上の子中学地元公立中学に進学した.下の子は後述.

の子開成に受かった時は親としても非常に悩ましく,妻と子供たちだけ首都圏で暮らすことも考えた.

が,家族みんなで暮らす方が楽しいだろうということで,これはあくまで力試しが目的だったはず,本来目的に戻ろうということになった.

ただし合格は本人の自信になったようだ.

それから数年後に私の転職があり,首都圏で暮らすことになった.

の子高校受験開成に,下の子はちょうど引越しタイミング受験タイミングが重なり,渋幕に無事合格した.

子供達二人とも首都圏引越しから学校でついていけないこともなかったし,特段の文化的な劣等感も感じることはなかったと話していた.

もちろん本心は本人じゃないとわからない.

の子東大に,下の子医学部に進学した.

この後,我が子が殺人鬼になったり,オレオレ詐欺主犯として捕まる可能性もあるので,手放しで自分たちの子育てが成功であるとは言わないが,

少なくとも人口数十万レベル地方都市においても,首都圏と同レベルの子育てはできるという実例になると思う.

もちろん親は二人ともめちゃくちゃ努力したと思う.そりゃ週末はイオンに行って1日過ごせば親もフードコートゲームセンターで休めて楽だけど,

妻がお弁当を作り,大きな公園で遊ぶ,子供達が疲れてきたら近くのイオンに行き,買い物をして帰るという生活は体力的にも根性的にも辛い.

ただ,あの時の自分たちは私の仕事の都合で地方都市で暮らしいたこともあり,親の都合で子供達の住む場所が決まってしまっていることへの罪悪感からか,

過剰に,それこそ首都圏の子育て以上に様々な体験をさせてやるんだという気概があったように思う

その意味では,首都圏がどんなに文化環境に恵まれていたとしても,1日中switchを与えて親が子供放置していた家庭よりは地方我が家の方が多くの体験をしていただろうし,

かといって周りを見渡した時に,周りのご家庭が我が家のようにある意味狂気的な子育てをしていたかというとそんなことはないと思う

よって「地域差よりも家庭差の方が大きい」という面もあることを伝えたい.

追記

東大卒博士号の経歴をドブに捨てて田舎専業主婦で終わった奥さん可哀想という感想しかない 」

というトラバ,まず妻は東大卒じゃないし,専業主婦とも書いてないんだが,エスパーか?

妻は専門職なので,地方都市でも東京でも育休中以外ずっと働いてたんだが…というのが1点目.

次に,仮に東大卒博士号持ちが専業主婦をすることの何がおかしいのか,可哀想なのかがわからないというのが2点目.

もしかして博士号のような生産性の高い人物子育てという非生産的な行動を行うのが勿体無いと言いたいのか?

世の中で博士号持ちの女性,たくさん子育てしてるよ.日本だけじゃなくて海外でも.

それに,君,働いたことある会社仕事取ってくる営業や開発だけが生産的で,人事はコストセンターで生産性が低いまたはゼロと思ってる?

目の前でお金を稼ぐことだけが生産性じゃないんだよ.世帯内や社会全体で役割が分担されていて,その寄与度は複雑な関係になってるよ.

それに君が好きな生産性で言えば,うちの子供達が2000億ドルくらいのイーロンマスク並の資産形成したら

うちの妻が仮に東大卒博士号持ちの専業主婦20年子育てしたとしても,100億ドル/年のリターンがあるわけで,めっちゃその優秀な能力を発揮したことにならない?そんなこと求めてないけど.

3点目として,別にうちの子供がイーロンマスクにならなかったとしても,うちの妻的には人生が楽しければ良くないか

上にも書いた通り,私はゲームが好きなんだけど,ゲームした時間って別に新自由主義的な意味生産的な時間じゃないだろうけど,面白ければ良いのでは?

我々夫婦が「大変なこともあったけど,色々二人で頑張って面白かったな.子どもたちも育って勝手に好きなように生きてるし,なかなか我々がんばったね」って思えたら御の字で子育てでそれ以上を求めても仕方ない気がする

anond:20240510163027

男性女子枠について物申す際は主に公平性観点から批判される一方で、これを見たらわかる通りバカ膣はそもそも徹頭徹尾自分のことしか考えてない

こんなのを社会に迎え入れるべきではない

anond:20240513013111

こういうところが文系理論の頭の悪さを開陳してるよね

そもそも経済というのは数理理論説明がつく部分が多く、客観的にこうだと言えなければならない

それを、政局争いの観点で話すから政治厨は脳障害と言われる

2024-05-12

働きながら毎日料理する30代夫が、料理をする魅力を語る

私は今32歳で、子供は1歳3ヵ月。妻は専業主婦をしている。

料理基本的に私の担当だ。妻は子供離乳食だけ作る。

今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。

と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。

自分料理担当して、3~4年くらいになる。

元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、

おいしくないもの我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分料理をするようになった。

ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、

別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活最初の方は、かなり適当食生活をしていた。

必要になってやり始めて、だんだん面白くなってきたのだ。

から、今回の話は、必ずしも生まれつき料理好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。

自分料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、

家での料理が、「一石多鳥」である、ということだ。

自分そもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。

自分料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。

節約になる。

健康になる。

③好きなものが食べられる。

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

趣味としてのリラクゼーションになる。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

⑦妻に喜ばれる

以下、順番に説明する。

節約になる。

これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊お金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。

短期的に見れば、確かに一定の初期投資必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。

料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。

ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理日本人使用する食材調味料レパートリーは限られている。

また、そのレパートリーを大別すると、

(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜牛乳ヨーグルト、など。

(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎジャガイモにんじんねぎにんにく生姜昆布鰹節味噌醤油、酒、ワイン蜂蜜、塩、砂糖コショウ、その他種々の調味料、など。

となる。

ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオン場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、

常に一定数以上確保しておくようにすることだ。

(b)の分類の食材が常に冷蔵庫ストックされており、調味料なども揃っていれば、

あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。

肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、

特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料調達できる。

こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。

健康になる。

これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。

野菜を取りやすい、というのは当然そうだ。

しろ調理済みの惣菜や、飲食店食事で、一日に必要野菜摂取量を十分に確保することは難しい。

また、これは料理をするようになって気づいたことだが、

調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物使用されている。

昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品成分表示確認するようになった。

具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。

が、実際にコンビニスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、

加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。

また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、

自炊をする中で、それぞれの分量や性質自分の体調に与える影響の度合いを、実経験観測していくことができる。

こうしたPDCA自炊をしていると自然と回るようになるので、自然ダイエットにもなり、体調管理もつながっていると思う。

③好きなものが食べられる

これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。

コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的選択肢だった。

ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。

また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。

その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。

また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画凄さだと思う。

誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。

Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

上記のように、Youtube動画ちゃんレシピ工程確認しながら多くの料理経験していくことで、料理全般を下支えするセオリー体感にわかるようになってくる。

例えば、

 ・料理において、塩はどのような役割を持っているか

 ・どのようにして旨味を構成するか?

 ・〇〇の食材には、どのような調理法が、なぜ合うのか?

 ・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?

 ・なぜこの順序で食材を投入するのか?

 ・この食材で風味づけする意味は何か?

など、無数に論点がある。

もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。

このことによって、例えば外食に行った場合も、

「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。

また、それに対する考察が、日常料理にもフィードバックされるために、自分家族の食の経験がより豊かなものになっていく。

これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。

趣味としてのリラクゼーションになる。

これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理食材は、「人間自然との強力な接点の一つ」だ。

この前たまたま流れてきた動画の中で、養老孟司さんが、

サラリーマン一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」

というようなことを言っていた。

これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、

やはり現実的にはこれはなかなか難しい。

一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。

料理は、一つの自然である、と考えることもできる。

例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。

また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感総合的に用いたプロセスを、自然経験する。

これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理提供する必要がある。

 ・おいしさ

 ・栄養

 ・原材料費

 ・材料調達(買い出し)

 ・家族の好み(カスタマイゼーション)

 ・新規レシピの導入

 ・在庫管理

 ・洗い物の段取り

これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。

私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理管理活用している部分も色々ある。

こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。

ここまで色々語っているが、自分料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。

このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質アウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。

⑦妻に喜ばれる

結局、これが一番大事だ。

よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから外注した方がいい」などというものがある。

かに資本主義原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。

しかし、近頃子供も産まれ、よく考えることは、

自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方のもの規定する哲学だ」ということだ。

それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。

料理外注化すること、子育て外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味外注化すること。

技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。

原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。

しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。

食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。

まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います

女性差別や性加害はたしかに深刻な問題しまだまだ圧倒的に改善しなければならない点が多いんだよ。

でも一方で、一部だけど、男性嫌悪に基づいた理不尽攻撃もある。

そういうのが積み重なると、まともな男ほどリスク管理観点から恋愛結婚はおろか女性との接点をできるだけ減らそうとするようになると思う。

そうすると残るのはどんどんクズ男ばかりになってしまって、女性はむしろクズ男にしか出会わなくなる。

そうなると女性ますます「男はろくでもない」と思うようになって男性嫌悪も強くなる。

その結果ますますまともな男女性との接点を減らし、クズ比率が高くなり、ますます女性男性嫌悪が増す。

こういう悪循環がどんどん進んでるんじゃないかな。

まともな男との接点がどんどん減っていくことと、女性の方もせめてビジュアルとか表面的な優しさだけでも求めたい、ってことでホスト通いをしたり、彼氏を探すのは諦めて、セフとか推しとか好きピとかを求めたりするようになるのでは。

パパ活も、まともな男がいないからせめて金を取ろう、ってことでは。

最近カードゲームって一般大衆に完全に受け入れられた感が強い

遊戯王界隈の品性のなさを含まない

ここ数年はTCG界隈が激変した気がする

ポケカまさかの台頭、様々な古参カードデジタル化の促進、新規カードゲーム跋扈

特に新規ワンピースドラゴンボールといった、何度目かというカードゲーム化なんだけど、どうやら新規プレイヤー層を獲得しているらしい

遊戯王ラッシュデュエル鳴かず飛ばずなのを横目に、最近ワンピースポケカを取り扱ってはいもののが増えている

そこにまた色んなコンテンツが参入していて、ちょっと話題になったのは名探偵コナンだろうか

基本的子供向けか汚いオタク向けだったカードゲームが、最近特に普通の人に受け入れられている土壌が確立しつつあって、それは界隈も感じているらしい

別にカードゲームなんてMtGの頃からまれては消えをずっと繰り返してきているか新規ゲームが出るのは不思議じゃない

問題遊戯王みたいな昔からやっている人だけしかいないゲーム以外がにぎわっていること

古参オタばっかりだったTCG界隈にちゃんとまともな人が増えている

逆に古参ゲームが歪で腐った人で成り立っているのが随分露呈しちゃっているけど

なぜ今になってワンピースカードが受け入れられているのかわからないけど、企業戦略が実った結果なんだろうね


残念なのは遊戯王とかが全然元気じゃないこと

ゲーム性が終わっているのは15年前からだけど、今の遊戯王特にTCGという皮をかぶった新規お断りのブン回しゲームになりはてている

フォーマットも全部使えるスタンダード以外に存在しないし競技性だけが重視されていて新規が入るスキが本当にない

あとコレクション性という観点がそんなに魅力的じゃない

ブルーアイズとか誰でも知っているカードばっかりが再録されているし、肝心のイラストも25年前からあんまり変わっていない

近年のカードゲームイラスト方面に力を入れているのに対して、遊戯王ってぱっとみて「古臭くてダサくて幼稚」にみえるんだよ

ヴァンガードみたいな全面美麗イラストが当たり前になった時代に、あの古臭い茶色の枠を「きれい」と言えるのは相当遊戯王に毒されていないと出てこない

アニメイラストを求めるなら他のゲームの方がずっといいしね

アニメ自体もやっていないか遊戯王古参濃度はずっと横ばいのまま

新規MDによって支えられているけど流出が酷いからな

あと臭い

MtGは逆に1種類のカードイラスト違いが時に5種類以上でることもざらで、フォーマットも多すぎるから中古買取店が撤退しているという状況に陥ってる

とくにアメリカ大手中古買い取り業者MtGから撤退したのは大打撃だったと思う

それにともなってやたら高額パックがでてくるし、ポケモン並みの面倒なヴァージョン違いを出してきたりと、マジできちんとユーザーに広める努力していないだろうってのが今の印象

なので取扱店舗も少なくなっているし、単にパックを買うという行為事態日本を含めてやりづらくなっている

加えてポリコレ意識しているのがまるわかりで萎えるし、最近日本語パックは誤字脱字やイラスト盗作が頻発していてマジで製品管理に致命的な問題を抱えている

まあ基本的にWoCとその親会社がすべて悪い



そういった悪い例をきちんと開発に取り込んで発売した後続カードゲームがいまかなりにぎわっているのはいいことだよね

から古参カードゲームも見習ってほしい

2024-05-11

anond:20240511225407

いい観点だね。恐怖に限らず、人間の印象ってのは発信側と受信側それぞれについて考える必要があるよ

発信側はどんな印象を周囲に与えているか、そして受信側というのはその印象をどこまで正しく受け取れるかが大事

から発信側が問題なくても受信側が過敏すぎて問題が起きることもあるし、発信側に問題ありありなのに受信側が鈍すぎて問題にならないパターンもある

そして男性が怖がられてしま問題については、日本社会女性に対して防犯意識を持つように再三喚起している以上、女性側の受信度が過敏になるのは致し方ないことかと思うよ

それこそ「犯罪者犯罪者の見た目をしていません!!」なんて言われる昨今、あらゆる男性が警戒されるのは仕方なくて、本人には罪も原因もないんだ

ただ、日本蔓延するゼロリスク信仰女性危機感煽り煽り立てて、男性性犯罪者と警戒させることに駆り立てている

この状況を解消するには、女性防犯意識を持たなくていいよと啓蒙するか、男性側の「今、警戒された?」という受信感度を下げるかになるね

防犯意識を持たなくていいと啓発していくのは現実的じゃないから、申し訳ないけど男性にはスルーしてもらうのが現実的かと思う…

性犯罪ヤフーコメント欄なんか見てみると、被害者への自衛要求圧がすごいんだこれが。どうか日本社会の風潮として受け入れてほしい

個人情報保護観点から車のナンバーから所有者を調べることができなくなったけど

車のナンバーと所有者の氏名が記載された自動車税納税通知書コンビニ払いしてたらコンビニ店員バレバレですよ、

と、コンビニバイト店員(46)のボクは思うのでした。

  メゾンときわ台 の状況  駐輪場つきのアパートが魅力のこじんまりとした4階建て  知能指数維持の観点上、自演者が出ていることが多い。

    具体的事実状況  駐輪場カッターが置いている。  入口玄関のドアが半開きなど、仄めかしが多い。 カッターみえるような巻き尺が放置してあったのは令和5年11月?

  村山マンション場合   小さい包丁が置いてあったが、佳代子が回収した   令和元年10月

    202号室居住者     令和4年9月   和光晴生風の、もどき

                 令和5年5月   赤ちゃんのような太った男、ニート風  →   金光裕鳳にメールスマホの音声を添付して通報したクソガキ

                 令和6年1月9日  熊谷雄市風の70代男性と、 女性が一緒に住んでいる

                 令和6年5月10日   アメリカ人と、イスラム人風の女性が一緒に住んでいる  玄関は散らかっている

                            ※  20時30分には泥睡眠しており、チャイムを鳴らすと機嫌が悪そうに出て来る。

                           

弱者男性Vtuberとの関係

弱者男性Vtuberとの関係性について論じようと思う

基本的には弱者男性Vtuberコンテンツ消費者生産者関係として論じられることが多いが、今回は別の観点から両者の関係性を考えてみる。

まず、なぜVtuber弱者男性から支持されるのかというと、Vtuberがその弱者性に起因する親しみやすさを持つためである。これは弱者男性配信者を尊敬し、「推す」一方で「いい年して何やってるんだ」や「年齢相応の社会性を保持していない」などといった批判をよく目にすることからも明らかなように、Vtuber弱者男性と同様に集団内での弱者性を保持している。しかしながら、Vtuberはその弱者性を克服し、社会復帰を目指すのとは逆に、その弱者性を全面に押し出すことで「親しみやすさ」を演出しているのである

これは弱者性を持つ者同士の対等な関係に思えるが、実際は先に述べた通り、Vtuberの親しみやすさは演出に起因するものであり、多くの親しみやすさを演出し、注目され、「推されている」Vtuberほど収益を挙げており、それらの活動Vtuberもつ強力な社会性によって支えられている。

この点からわかることは、表面的には弱者男性Vtuber弱者性という面で非常に近しい関係であるが裏では弱者強者という非常に対照的関係であり、その関係性は非常に歪であると言えるのである

2024-05-10

痴漢をしない側の男にとって、男に痴漢撲滅するインセンティブがないのはある種当然とも言える。なにせ乗車客の男全員が自分のような男であれば、痴漢自然と撲滅できているわけだから

しろ、これ以上の痴漢撲滅に対する協力ってあるか?彼らは痴漢防止の観点からは味方であるのに、そこに喧嘩を売っても仕方がないのでは。

2024-05-09

心理的安全性で見るアップル炎上

iPadプロモーション映像炎上した。

日本人特有の反応だという声も見られるが、youtubeコメントを見る限りそうでもないらしい。

増田自身特にどうとも思わなかったが、アップルに対するアンチの多さを考えると燃えるだろうなぁということは容易に想像できた。

この出来事心理的安全性観点で考えてみる。

あの映像は、CGであれリアルであれ、制作にはかなりの人数が関わっていることは間違いないだろう。

そうなれば、その関わったうちの誰一人としてあの映像問題点を指摘できない空気であったとするならば、今のアップル心理的安全性がとても低いであろう状況が予想される。

携わった映像クリエイターのうち一人として、楽器カメラデジタルガジェット精通する人間がいないだなんてことは考え難い。

それなのに、誰一人として、自分が大切にしているかもしれない道具が(きれいな壊れ方ながら)ボロボロにされる姿を見て不快に感じないわけがないのだから

そうなれば答えは一つ。

誰一人として、あのプロモーション映像ディレクションに対して文句を言うことができない状況だったというだけのことだ。

もはや独裁に近い状態かも知れない。

権威あるディレクターがこれを作れと言えば中の人間は従わざるを得ず、炎上するかも知れない結果が目に見えていたとしても、ディレクターの前では口に出せないまま、むしろディレクターの才能を称賛しながら自分地位を守る。

すでにアップルにはそういったYESマンしか残っていないのではないかとすら感じられるような、ひどいプロモーションだった。

クリエイターや道具の作り手のことをバカにしているとまでは思わなくても、「今のアップルの状況はひどい」ことをアピールするためのプロモーション映像だったと言ってよいだろう。

その視点から発表されたiPadを見てみると、円安という状況ももちろんありながらも、あまりにも市場価格から乖離した強気価格帯でアップルオリジナルのMのつくCPUシリーズ強気に押し出す姿勢にも、それを誰も止めることができないような状況を垣間見ることができる。

nintendo switchとPS5を比べるべきではないのと同じように、iPadとゲーミングPCを比べるべきではないことはわかっているが、仮に今のnintendo switchの定価が6万円だとしたら、誰もがその強気価格に驚くことだろう。

ipadにはipadしかできないことや楽しみ方があることは十分に理解しているつもりであるが、それにしたって汎用性の少ない独自アーキテクチャで動く端末に、そこまでの投資をできるのはもはや信者しか残されていない。

特に今回は、proと廉価版(と言っても無印よりは高性能ラインアップではあるが)であるairの同時発表だったにも関わらず、どちらも庶民には手に届かないような価格設定だったことに、多くのユーザーは落胆したに違いない。

これがproと無印13インチの同時発表で、半年~1年後にair13インチの発表だったらまだ違ったのではないだろうか。

こうした事態さえも、アップル社内において声が上がらなかったとは到底考えられない。

しかしその声が届かなかったことを考えれば、そこに心理的安全性は皆無であり、独善的経営判断が隠しきれていないと言えるだろう。


こうした強気経営姿勢と相まって、既存価値観をぶち壊すようなあの映像は世の中の反感を買って当然の結果だったと言える。

しかし、これから更にストア・ロイヤルティを強めようと一致団結するアップルの内側から視点では、そうした世の中の冷めた視線は予想できなかったかも知れない。

それ自体は悪いことではないのだが、もしそこに心理的安全性が働いておらずそうした危機感を誰一人口にすることができない状況にあったのだとしたら、やはりこれは企業危機管理意識の欠如によって引き起こされた当然の炎上であったと言えるのだろう。

アップルほどの大企業であっても、容易に心理的安全性が脅かされる状況に陥るという現状は、心理的安全性研究学習)している増田にしてみるとリアルタイムで参考にできる稀有な教材であり、これからアップルが立ち直るのかこのまま崩壊していくのか、どちらにしても興味深い教材といえる。

皆さんも心理的安全性観点からアップルの行く末を楽しんでみてはいかがでしょうか。

増田本人は今回のことでアップル製品に対する夢が冷めたので、同じ予算で14インチのゲーミングノートを買うことに決めました。

あれ?こっちのほうが死ぬほどコスパ高くない?iPadが高いのは円安のせい?嘘でしょ?

anond:20240509041110

自称時間配分が上手い(笑)人って本当に実力維持出来てるの?維持だけじゃなくちゃんと成長出来てるの?

その観点がごっそり抜けてるのは気になる

ゲーム練習時間減らして女に時間使いました、その結果ゲームが下手になりましたじゃ意味ないし、それ時間配分が上手いって言うの?

患者電話制限、国基準に反する 鹿児島県立「精神科姶良病院

患者電話制限カルテ理由記さず 国基準に反する「瑕疵」 鹿児島県病院 2024/5/8 17:40 産経

https://www.sankei.com/article/20240508-JCZKYCBHUVK7BFFXLNZAP4KBUY/

鹿児島県姶良あいら)病院姶良市)が国の基準に反し、精神科入院していた30代男性カルテ理由を記さず電話利用を制限していたことが8日、病院などへの取材で分かった。男性から人権救済申し立てを受け、鹿児島県弁護士会が昨年10月に適正な運用を求める要望書を送った。病院取材に「瑕疵(かし)だった」と説明している。

精神保健福祉法に基づき厚生労働相が定める基準は、人権観点から通信原則自由とした上で、病状が悪化したり治療効果を妨げたりする場合に限り、制限を認めている。制限した場合は、理由カルテ記載し、患者家族らに知らせることを規定している。

要望書によると、男性入院していた平成27年9月~29年2月、病院公衆電話使用を終始禁じ、ナースステーション前の電話機利用も一時制限していたとしている」

・・・姶良病院 院長 小桜一家」で検索せよ。

・・・からグレーな噂ばかりの「県立」ブラック病院だよ。

2024-05-08

anond:20240508133151

さすがだな

Chat GPTだとこんな感じの鑑賞だったよ

まだまだ人間が上か

この俳句は、日本の伝統的な文化である俳句形式使用していますが、その内容は現代ポップカルチャーとの興味深い対比を表しています一般的に、魔法少女というキャラクターは、可愛らしさや女性らしさを象徴するイメージがありますが、「実はおれ」という男性主語使用されており、性別や期待に対する挑戦を示唆しています

また、「告げる雪」というフレーズは、冷たい雪のイメージと、何かを伝えるという意味合いを持っています。この対比は、普段は明るく希望に満ちたイメージ魔法少女と、冷たく静寂な雪のイメージとを結びつけ、その両方に含まれ可能性や複雑さを示唆しています

この俳句は、伝統的な日本文学形式を通じて、現代ジェンダー役割文化的な観点に挑戦し、異なるレベルでの理解考察を促しています

2024-05-07

微視的な観点しか自分仕事を減らそうと動けないの辛すぎるな

anond:20240507211401

統計詐欺師っていうか単純に詐欺師だなそれは

統計学が接してる領域が広くて現実被害とか詐欺の例が想像やすいだけで、数学でも詐欺しようと思えば詐欺できるでしょ

相手無知を利用して演繹の一部をちょろまかしてだますという観点からなら1=2の証明とかはよくあるし、パラドックスの類はその最たる例だと思うんだが

結局何を使っても詐欺はできてしまうし、特に統計では真実がわからないので、悪意が入るかどうかだけでしか詐欺を判定できないように思う

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