はてなキーワード: メンバーとは
「ハマス拘束下の人質は亡くなっている人を含め約130人とされ、ハマスは戦闘休止を巡るイスラエルとの間接交渉で駆け引き材料にしている。ハマス政治部門メンバーは「長期にわたり発見できなかったことは軍の能力のなさの裏返しだ」と挑発した。」
こんなこと言ってるようじゃ
反差別アンソロの件でかなり精神的に参ってるので書き殴り日記。駄文で冗長、婉曲的です。事実誤認があったらすみません。
検索に引っ掛かりたくないのでグループ名をAとします。大体この件を知ってる人には名前も詳細もばれてると思うので。嫌だけど。
自分は三年前からAをゆるゆる追いかけてきた。もともとゲームが大好きでなんとなく見始めた動画が、いつの間にか楽しみになっていた。
ファンアートも描いた。本人たちのガワを使って自分の好きなシーンを書いて、誰かにこの動画面白かったよね、が届くのがうれしかった。実際好きな絵描きさんのところには、「あなたの絵がきっかけでAを見始めました!」とか、「あなたの投稿で(メンバー名)に興味がわいて見てます!」というようなコメントも見られた。自分の絵は稚拙で影響力もさほどないのだが、ファンアートってこういうものだ、とうれしくなり、誰かの興味を引くかも、と描くときもあった。動画を見るのが楽しい。メンバーが楽しそうにしているのを見るのが楽しい。ファンアートが楽しい。同じファンの人の呟きを見るのも楽しい。なんて楽しいコミュニティだろうか。
昔はしょっちゅう荒れるクリエイターの界隈にいた。学級会、大手絵師とその意見を絶対とするアカウントたち、いつも苦言を呈している人、本人に凸る人、本人の個人情報撒く人。クリエイター自身は好きだがファン同士でうまくやっていけなかった。ところがAの界隈はどうだ、ほどよい距離感でみんな穏やかに生きている。やさしい人がたくさんいた。楽しい人、面白い人、絵がうまい人。今まで歩いてきた界隈はそんなに多くないけど、きっとここは清流の水源に最も近い場所だと思った。
5月14日の夜。ふとTwitterのおすすめタイムラインを見て、あのツイートが目に付いた。初めは、自分の描いたファンアートを自分用にまとめて本にしたのかな、と思った。でも違った。表紙に書かれた文言を何度も読み直す。これって、Aを使って反差別を主張しているの? Aはそんな事一度たりとも言ったことがないのに? なんでAを題材に作ったの? なんで公開垢で投稿したの? 頭の中にいろいろな感情が駆け巡った。界隈のことを考えた。荒れる、と思った。私は少なくとも、このツイートを見て酷い嫌悪感を抱いた。誰か同じことを言っていないだろうかといろんなワードでパブサしたが、特にツイートは見つからない。まだこのツイートは拡散されてないし、寄稿者っぽい人が引用RTしてるだけ。いくつか本当に目を疑う文言もあるけど…このままみんながスルーしていれば、界隈で学級会…みたいにはならないかも。ーーでも、ALTにガッツリグループ名書いてない?見つかるのも時間の問題では?現に今自分のおすすめTLに流れてきてるわけだし。ていうか何だよおすすめTLって。どういうしくみだよ。泣きたくなった。どうかおおごとになりませんように、と祈って寝た。
翌朝、件のツイートに一つだけリプライが増えていた。話を広げたくない。実在人物でこういうアンソロを作って公開するのはやめた方がいい、鍵垢にしてほしい。そんな内容だったと思う。ああ、よかった、自分以外にもこれに疑問を持つ人がいてくれたんだ。ファンアートは自分の主義主張を乗せるものではないと思う。楽しさを表明するためのモノじゃないだろうか。自分は事態が良い方向になるようにと祈りを込めて、鍵垢でそのリプライに20数個目のいいねを付けて外出した。
昼、界隈はすでに火の手が上がっているように見えた。いろんな人がこの件に触れている。ああもうだめだ、と思った。このまま延焼を続け、やがてこの界隈をよく知らない人も野次馬精神の人もやってきて、好きなだけ意見という名の薪を投げて、次の日には忘れて暮らしていくのだろう。今も焼かれている村に住んでいた人たちなんてお構いなしだ。私は明日もここで暮らすつもりでいるのに。アンソロ寄稿者の多くは、Aのファンというわけではないらしい。アカウントを覗いたときAのファンアートはほとんどなかった。何もかもを呟くわけではないし今日び別垢の存在も大きいけど、本当に彼らがAのファンなのか、私は疑っていたかもしれない。彼らは自分の意見の狼煙が、より高くより遠くへ届くようにと、偶然そこにあったAのファン界隈という潤沢な森を選んで火種を落としたのではないか?--そんな根拠のない憶測までしていた。多分疲れていた。
いろんな意見が飛び交っていた。全部にダメージを受けた。自分がツイ廃であることをこの日ばかりは後悔した。
Aって反差別とか掲げてるグループなんだ→ちがうよ…一番危惧してたことが起こってるじゃん
反差別と思われたくないって何?→本人たちが表明してない思想を持っていると勘違いさせるものはそれがどんな意見であろうとよくないと思うんだよ…
nmmn界隈よくわかんないけど~→じゃあなんで来たの…ほっといてよ…
アンソロ参加者へ誹謗中傷→マジでファンのイメージ悪くなるからやめてくれ
だけど、フォローしている絵描きさんたちがぽつぽつと、しかし一言二言だけ、意見をツイートし始めた。「実在の人物はキャラクターじゃないよ」 「ファンアートはこういうことを気を付けてる」 「楽しく絵描いていこうね」私はそれに救われた。森の中でまだ焼けずに残っていた集落で、まだこの明かりはともっている。ひとつひとつにいいねを付ける。鍵垢にして閉じこもってしまった家々もあった。自分の絵を今一度顧みて消す人もいた。炎は確かに私の住む森を焼いたが、住人たちは生きていた。三年間かけて穏やかな人たちで形成してきたTLは私の心を救った。
延焼はだいぶ遠くへ行ってしまった。「Aが炎上!?原因は!?」みたいな早計な記事ができてたり、まとめサイトにまとめられてたりするが、今はたぶん、Aのことは関係ない思想とか主義とかの議論がボヤになっているぐらいだろう。私は絵を描いている。描きたいシーンがたくさんある。祝いたい記念日も、話したいこともたくさん。
本人たちももう見ているだろうな。「公開したやつより拡散したやつの方が悪い」みたいな意見もあったけど、もうどうでもよくなってしまった。本人たちがまた楽しくしてるところを見られたらそれでいい。
私は祈る。多くの人の「祈り」が宿ったツイートが森を焼いたことが、どうかあの人たちに1㎜でも伝わりますように。一連の流れを見て、「A界隈ってこういう人たちなんだ」 「Aってこういうグループなんだ」じゃなくて、「みんながみんなこういう人ってわけじゃないよね」 「界隈の人たち大変だっただろうな」と思ってくれた人が、どこかにいますように。そう思ってくれた人に幸せが訪れますように。そしてこの出来事をみんなが忘れて、でもやっちゃいけないことがあるってことだけ覚えて、明日も好きを表現していられますように。
どうやって探せばいいんだろうか。
20年以上前の本だからか駿河屋とかとらのあなとかでも在庫がなく、歴代タイトルのデータすらあやふや。
せめてどんな作品が収録されてたのかが知りたい。
その作家はもう何年も活動してないし(そもそも生きてるのかすらわからない)、
まして同人時代の詳細なんて、今やネットで検索しても引っかからない。
悩ましいのは、妙にお行儀の良いファンが多くて「同人時代のことは本人が触れられたくないかもしれないから表立って話さないように」という界隈の雰囲気があること。
まあ商業デビューにあたってサークル脱けて個人サイトも消したとのことなので、その辺の事情を汲んでるのかなとは思うけど。
ちなみにその作家が所属してたサークルの別メンバーはTwitterアカウントあるけど、
というか凸るのはさすがに気が引けるし。
(本人周辺に認知されたくない。)
そして、時が流れてその先輩は大学を卒業した。誰もが彼のことを忘れたかのように見えたが、実はその先輩は卒業後に一念発起し、自分を変えようと決意していた。彼は自分の欠点を直視し、自己改善に努めた。特にコミュニケーション能力を磨き、相手の話を聞くスキルを身につけるために、数々のセミナーやワークショップに参加した。
数年後、その先輩はビジネス界で頭角を現し、次第に成功を収めるようになった。彼の名前が新聞やビジネス雑誌で取り上げられるようになると、かつてのサークルメンバーたちは驚きとともにその記事を読んだ。特に、彼がベンチャー企業を立ち上げ、わずか数年で急成長させたことは多くの人々を驚かせた。
一方、サークルで無視していた側だった「俺」もまた、心のどこかでその先輩の成功を見て、自分自身に問いかけることが増えていた。自分もあの頃と同じように変わることができるのだろうか、と。
ある日、サークルのOB会が開かれることになり、懐かしい顔ぶれが集まる中、あの先輩も姿を見せた。彼は以前のように焦り笑いを浮かべることもなく、堂々とした姿でみんなと接していた。彼の変化に気づいた「俺」は勇気を振り絞り、先輩に話しかけることにした。
先輩はにこやかに答えた。「ありがとう。君も元気そうで何よりだ。あの頃は色々と迷惑をかけたけれど、今は少しは成長できたかな。」
その言葉を聞いて、「俺」はふと、自分も変わることができるかもしれないと思った。先輩がそうであったように、自分も努力次第で新たな自分を見つけることができるのではないかと。
それから「俺」は、自分の内面と向き合い、成長の道を歩む決意をした。先輩の成功は、ただ単にビジネスの世界での成功にとどまらず、人間としての成長の象徴でもあった。それが「俺」にとって、大きなインスピレーションとなったのだ。
サークルで嫌われすぎててメンバーの集まりでも無視されてた先輩を思い出すわ
その先輩が来た時だけ集まってた全員が静まり返っちゃうんだよな
返事をしてはいけないあの人みたいになってる状況で、件の先輩だけが焦り笑いしながら呼びかけてるの、でも誰も返事をしない
一度返事をしたら、つまらない話を一方的に繰り出された挙げ句、年下の女だったら誰彼構わず惚れる奴だっていうのが浸透してたから
その先輩が来たら怖かったよ、俺には優しい先輩や楽しい同期もその時だけは無表情で一点を見つめて黙りこくってさ、俺も怖くてみんなの真似をしながら乗り切ってさ
2024年から活動を開始した霞ヶ浦北浦資源保護協議会という団体がある
この団体は、一見すると霞ヶ浦や北浦の漁業資源を持続可能にするために活動しているように見える
(ただし、「環境」や「生態系」という言葉は意図的に一切使っていないようだ 怪しい)
また、この団体が保護対象とする「資源」とは何なのかについても、意図的に曖昧にしている 怪しい
この団体についてwebサイトから読み取れることを書いていこうと思う
何を保護しているのか
上にも書いたが、この協議会は「資源保護」を謳っているものの、具体的に何を保護しているのかは明確にしていない
ただ、バス釣りをする人からすれば一目瞭然で、実際にはブラックバスという外来魚の保護に力を入れていることがすぐに分かる
その根拠を書き出してみよう
1.協議会のメンバーを見てみると、その多くがバス釣りに関連する業者や団体であることが分かる 具体的には、レンタルボート店、釣具店、そしてバス釣りのトーナメント運営団体が名を連ねている
2.協議会メンバーの開催するバス釣り大会のルールに言及があり、魚体保護などの呼びかけを行っている
3.霞ケ浦水系でバス釣りをする人には有名な「ブラックバスのスポーニングエリア(産卵場所)」での釣り自粛を、ブラックバスの産卵時期に合わせて呼びかけている
これだけでもう根拠としては十分だろう
どのような活動内容なのか
以下のようなことを実現するために活動していく、と書かれている
(保護対象がブラックバスであることをこの団体は建前上隠しているようだがここでは補足して書く)
・遊漁券の収入で漁協に「ベイトフィッシュ(バスの餌となる魚)」を放流してもらう
・バスの産卵期に、一般の釣り人に対して、ブラックバスの産卵エリアでの釣り自粛を呼びかける
ブラックバス保護という目的を前面に出すつもりがないのに漁協に放流してもらいたい魚を「ベイトフィッシュ」と表現してしまうあたり、残念さを隠しきれていない
問題点を書いておく
ブラックバスは生態系、漁業資源に悪影響を及ぼすため特定外来生物に指定されている
1993年に発効した世界の環境保全を目的とした国際条約「生物多様性条約」に日本は批准した
条約に基いて国は「生物多様性国家戦略」を作成し、実効性のある法として特定外来生物法が作られた
根絶を目指していくことには、国家戦略として30年前から社会的合意が得られていた
そんな生物を、目的を意図的に隠して保護活動をするなど控えめに言っても反社会的だ
密放流の横行が前提で築かれ拡大した業界にはそもそも存在の正当性がない
奴らは一部の心無い放流とか言うが、バス釣り業界の人間が組織的に放流していたことを告白した文献も多数ある
釣り具の市場規模はバス釣りが最も大きい それゆえマナーを呼びかける他魚種のプロアングラーも業界に忖度してバス釣りにモノを言えない
こんな奴らの提灯記事を書いている雑誌が釣り文化を語りだす 狂っている
そんな外来魚の漁業被害で霞ケ浦水系の漁協は困窮し、霞ケ浦の漁業文化は風前の灯火である
その困窮の原因を作ったやつらが、困窮した漁協の頬を札束でたたいてバスを増やすために「バスの餌」を放流させる
狭い趣味の業界の目先の利益のために共有財産たる自然環境を食いつぶし、それを経済効果だと言って行政や漁協を懐柔し、「餌」の放流に協力させようとしている
漫画家の「儲け」にまつわる話には、ふたつの矛盾するように見えるストーリーがある。
世間一般の思う、一度当たれば「印税」でガッポガポというイメージ。
一方で、例えば「バクマン」に描かれる、(いちおう)漫画家自身の表現によると「連載が終われば数年で貯金も尽きる」という話。
どちらが間違っていて、どちらが正しいのか? というのは誰しも思う疑問。
しかし深掘りして考えてみると、これは「どっちも正しい」。だからこそ、漫画家って商売は他にない特殊な営業形態なんだとわかる。
※以下では、漫画家業のもっとも「売れる」形態として「週刊連載漫画」に限った話を考える。
まずほとんどの漫画家は雑誌に連載するという形で基本的な収入を得ている。
ここではわかりやすく、1万円とする。
すると、1万円×毎週20P×月4本で、月収は約80万円(100万円弱)くらいが一般的な週刊連載漫画家の最低収入の相場と言える。
ジャンプコミックスの場合約40円。連載が続けば年に約5冊出るわけだから、例えば単巻10万部売れていたら2000万円の収入になる計算だ。
もちろんこれは税金等を一切考慮していない売上高であり、これだけの額になれば実際には半分程度持っていかれるだろう。それでも、なかなかの高収入に見える。
しかし問題は、これだけ大きな売り上げが見込める週刊連載漫画には、実際にはスタジオ制作というコストのかかるシステムが必要なことだ。
最低限度で考えても、アシスタントを4人雇えばその人件費だけで40万は下らないだろう。さらに、それだけの人数で描くと、多くの場合自宅作業ではなく別途仕事場を借りる必要もある。
まあこのあたりは人により原稿料もスタッフの給料もさまざまなので一概に言えないのだが、一般論として原稿料の高いベテランほど、大きなスタジオと技術の熟れた固定メンバーを確保して経費も大きくなる傾向がある。
そんなこんなで、よく言われるのは、原稿料はこれらの諸経費だけで全部消えてしまうという話。
増田にも漫画を描いた経験があるが、20Pの原稿を1週間(弱)で仕上げるというのは信じられないような過酷な作業であり、アシスタント制をなくしては、現代の商業誌に載っている平均的なレベルの漫画を毎週仕上げるなんてことは、作家の「画力」がどれだけあろうとほぼ不可能に近い。
商業漫画のクオリティというものは、この自転車操業のほぼ利益0のシステムが必須であるということはよく覚えておきたい。
一方で、出版冬の時代といわれる昨今、単行本はどれだけ売れているのだろう。
実は、漫画雑誌の中でも押しも押されもせぬ発行部数を誇る「週刊少年ジャンプ」と言えども、信じられないような低い数字も珍しくない。
「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」の華々しい数字がメディアに踊るので勘違いしがちだが、ジャンプ連載漫画のほとんどは単巻10万部も売れていない。
例えば、最近アニメ化もした「アンデッドアンラック」や「夜桜さんちの大作戦」(どちらも20巻を越える長期連載)でやっと10万部前後だ(総発行部数を巻数で割って大まかに計算)。
ものすごいものになると、大人気漫画「磯部磯兵衛物語」の作者・仲間りょうの次回作「高校生家族」は、ネット上ではちらほら好意的な感想が散見されたものの、実は売り上げは単巻1万部以下(計測不可)で打ち切りとなってしまった。増田も好きだったのでショックを隠しきれない。ドラマ、絶対いけると思たのに!!!!!
閑話休題。そもそも、「磯部磯兵衛」も単巻ではやっと30万部売れたくらいだ。「斉木楠雄の災難」も同レベル。ギャグ漫画はヒット作でももともとそんなものだということも注意しておきたい。
上でも計算したように、10万部売れてやっと年収2000万、税金が多く引かれることを考えると、サラリーマンならそれなりに良い会社に勤めているというレベルだが、長くても数年で終わってしまう印税収入であることを考えると、はっきり言って少ない。これが一桁上がると一気に数億円になって生涯年収というクラスになるが、そういう「上がり」の漫画家は本当に一握りなのだ。
原稿料はスタジオ維持費で消える。「もうけ」は単行本売り上げ次第。この二重構造が生むのは、株の売買でいうレバレッジの危うさだ。
株のレバレッジ買いというのは、簡単に言うと「株価が上がった時は2倍儲かるが、下がった時は2倍損する」ような信用買いを言う。らしい。増田も素人なのでそこら辺は聞き流していただきたい。比喩なので。
漫画家の場合、ある意味でなお悪い。連載があるときは、定期収入でスタジオを維持しつつ、漫画が当たれば大きなもうけがザクザク入るが、当たらなければそれなり。連載がなくなるとスタジオの維持費を賄う原稿料もない上に、普通は昔の単行本もそこまで売れ続けないので、ただ金が減るばかり。
当たらない漫画を描くということは、その連載中の儲けが少ないだけでなく、連載を終わらせることのリスクも同時に上げてしまうのだ。
当たらない漫画ほど、原稿料の維持のためにしがみつきたくなるという負のインセンティブが働くのである。
こうした不思議な構造は、漫画家が作品を当てて印税収入で儲けを出すという「作家」の側面を持ちながら、スタジオを抱えて自転車操業で日々口に糊するという「中小企業の経営」を求められるという二面性を持つ仕事であることに起因する。
本来、トキワ壮くらいの時代の漫画家は、前者の性質しか持たなかった。小説家や他のフリーランスのアーティスト業と何も変わらない「作家業」であった。
しかし、彼らが売れていくにつれ、漫画産業が盛んになるにつれ、漫画家は「作家」ではいられなくなって来た。
当たれば天国、外れてもまあまあの貧乏暮らしという気楽な稼業でなくなった漫画は、作家としての挑戦に誘うものよりも、日々の仕事をキッチリキッチリで稼ぐ真面目な仕事という側面が大きくなってきてしまった。それでいて、やはり作家自身の成功の如何は、印税収入という儚い夢だけに支えられているのだ。
たまに当たりはあるけども、当たったところでそれはそれだけ、次の事業拡大には繋がらないビジネスなんて、他にあるのだろうか?
こうした漫画家業の二重性は、もしかすると将来の漫画産業に負の影響をもたらすかも知れない。あるいは、既に?
週刊連載をしないと、ここまでのスタジオワークは必要ない場合がある。
とは言え、多くのメジャーな月刊誌を見ている限り、やはりある程度売れる作品は週刊漫画と同じスタジオワークとクオリティで商品価値を保っている例が多いと感じる。
さらに、やはり週刊連載漫画は漫画界におけるある種の花形である。
「鬼滅」「呪術」の例に漏れず、誰でも知ってる大ヒット作というものは週刊連載作品が多い。
これは作品の展開が早いこと、露出が多くなり話題にあがりやすいことなどが理由としてはあるだろう。
ジャンプ連載作品というブランドがまだまだ強いとも言える。しかし、それでも上で述べたように、大半は10万部も売れない自転車操業なのが現実である。
逆に言うと、この状況を変えれば、週刊連載という危うい綱渡りに賭けなくても良いのかも知れない。
現代はネット社会である。作品を世に出す、露出させることについては技術の恩恵がさまざまに得られる時代である。
漫画産業がこれからの時代も伸びていくかどうかは、こういった状況をうまく利用して、漫画家という「稼ぎ方」をどれだけ変えていけるのかにかかっているのかも知れない。
オーケストラ参加してたことあるけど、直前リハまで指揮者がここはこういう感じ、ここはこういう感じとかどんどん注文つけてきてそれを全部メモってるからあれは音符を追ってるっていうよりは注釈確認って感じで見てる人が多い
後は中小規模のオーケストラだとフルメンバー常にいなくて当日だけのエキストラも少なくないからそいつらはマジで見ながら演奏してる
とある趣味サークルでは地元公民館で丸一日遊んだあとサイゼリアに行ってだらだら話しながら飯食って帰るのが定番だった
いつもはだいたい12~6人くらいで2つか3つのテーブルに別れて座ってテーブル関係なく話したい人と話してた
その日もいつも通り大勢でサイゼリアで話してたら後からカップルが入って向かいのテーブルに座った
優しい彼氏は壁側のソファーを彼女に譲ったのだが彼女は彼氏が大喜びしてそうなミニスカートを履いてた
2人用の小さいテーブルは横の防御力が著しく低いので見えそで見えないミステリアスバミューダに俺は釘付けになってしまったのだが
さすがに見過ぎは申し訳なさすぎる
妻子いるジェントルマンがパンツ見たさにテーブルの下を凝視するなど情けない
と気にしない振りをしてみんなとの会話に戻ったのだがなんかみんなも適当に相槌するばかりで話が乗らない
サークルのメンバーに無職や低収入がいると書いたけどやっぱりそういう人らは女に縁が無いのだ
これを逃したら次は無いだろうというチャンスに遠慮なくガン見しちゃったんだろうな
サイゼ好きの彼女がネットミームになるはるかに昔の話だけどサイゼ好きの彼女のネタを見ると思い出す
うちらの失礼な行為で貴重なサイゼ好きの彼女の一人に「サイゼリアは女に縁のない無職や低収入が無遠慮にスカートの中を覗いてくる客層の店だ」と思わせてしまった
いまでもとても申し訳なく思う
理系女子やガチ高学歴女子もそうだけど、Theブスでも普通に生きてるだけでイケメン彼氏できるんだよな。
彼氏ガチャ引いてるうちにそう遠くないうちに確率の問題で引き当てる、という流れでだけど
ていうかブスでも彼氏ガチャ引き続けられるのが凄いよ、男じゃよっぽどじゃないと彼女ガチャ引き続けられる境遇とか有り得ん
(年収数千万であるとか、DQNであるとか、吉本や人力舎の芸人であるとか、毎年プロを輩出する大規模軽音サークルのトップ格のバンドのメンバーだとか。なお、学歴に関してはいくら東大だろうと医学部だろうと女からしたら屁にもならない)。
しかも女のほうは本人がたとえ腐女子でもドブスでもせっかくできた格上イケメン彼氏の顔に値打ちを感じてないのが凄い。
くらいにドライだもん。
自分は石ころなのに。
私はアラサーの女だが、会社辞めて暇なので記憶を頼りに書いてみようと思う。
該当する中高生の女の子がちょうど読んでくれるだなんて思ってないけど、どこかの誰か一人の心を軽くできる可能性が、わずかでもあればね。
いつも仲良くしている3〜6人程度のグループから「なんとなく避けられている気がする」と感じた経験がある人は、全国にたくさんいるだろう。
大人になって思い返せば、「そんなこともあったな」と思い出になるだけの人がほとんどだ。
「あの経験以来、コミュ障をこじらせている」という人も少なからずいるけど。
でも中高生のあなたは「大人になったらどうでもよくなるよ」と言われたところで、
「今が苦しいからなんとかしたいんじゃい(怒)」と言いたくなるよね。
止まない雨は無いとかじゃなくて、今降ってる雨がキツイんだってのにな。
大人に相談しても「世の中いろんな人がいるからね〜」みたいな、何の解決にもならないことしか言われないし。
私の経験は、以下の通り。
・中学2年生の頃。
数日前に、私以外の3人で温泉施設に遊びに行き、アイスを買って、こぼしてしまったという爆笑エピソードがあったそうだ。
話についていけなくなって以来、距離感を掴むことが難しくなった。
修学旅行当日も、横一列になって並ぶ3人の後ろを、私は歩いていて、一生「友達ってなんやねん・・・」と考えていた。
文化祭が終わった後、トイレに向かう廊下にて、打ち上げで焼肉に行こうという話題に。
ハブられたくねえ〜〜!と思った私は、必死に食らいついて「私も行きたいんだけど…」と言った。
沈黙する4人。
必死に「え?ダメな感じ?笑」と訴えるも、何も言わないまま、4人のうち3人がトイレに消える。
トイレに入らなかった1人から「ごめん、〇〇(私)が入っていないLINEグループがあるんだよね…」と打ち明けられた。
仲が良かったはずの人と、上手く付き合えないもどかしさ。
強いストレスを抱えることになった。
こじれた考えを持つようになり、自分に価値がないと思い込み、常に死にたいと思っていた。
高校3年生の夏からは、大学に進学するために、予備校に通っていた。
予備校では、別の高校だけど同じ志を持つ同級生が多数いて、とても気が合った。
私は予備校の友人に、文化祭の打ち上げで、ハブられたことを打ち明けた。
その友人は、「どのグループに入るとか入らないとか、気にならない」といった雰囲気でありつつも、
グループ絡みに疲れて「私もそうなりたいから、どうすればなれるのか教えてほしい」と聞いた。
彼女の答えは「基本は独りで、たまに普通に喋るといいよ」とのことだった。
シンプルな答え。
昼休みは「ぼっちなんて、何も気にならない」という顔で昼食を摂り、次の授業まで自習室で勉強。
たまに近くの席の生徒と「課題やった?」「やってないwやばい見せてw」なんて他愛もない話をした。
それ以外は、ひたすら勉強に注力した。
なんでこんな簡単なことが、今までできなかったんだと思った。
これを意識することで、他の人とほどよい距離感の保ち方がわかるようになったから、本当に良かった。
もちろん元の関係に戻れる見込みがあるなら、その努力をした方がいい。
わざわざ友情を手放す理由なんてない。友達は大切にした方がいい。
最終手段として「基本独りで、たまに普通に喋る」を試してみてほしい。
寂しい。毎日が楽しくない。ハブったメンバーが憎い。みんなにどう見られるか怖い。恥ずかしい。
慣れるまでは本当に苦しい。人間関係って本当に難しい。消えたくなるくらい辛い。
でもいい距離感を掴めるようになれば苦しい気持ちから徐々に解放されていくようになる。
中学・高校は脳の成長が人によって全く異なると思うんよ。(私は専門家でも何でもないですが…)
何を面白いと感じるのか?
将来どんな人になりたいのか?
何が欲しいのか?
何をされたら嬉しくて、何をされたら嫌なのか?
そういった考えが、13歳くらいまでは大体なんとなくみんな一緒なんだよね。ぼんやりしているから。
でも思春期は、感性が人によって全く違う方向へ成長していく時期だと思います。
みんなが面白いと笑っているのに、あなたは面白くないと感じるかも。
あなたが楽しいと感じているのに、みんなは楽しくないと思っているかも。
そのギャップがなんなのかわからなくて、息苦しいと感じるかも。
それはあなたが、周りのみんなより少し大人な視点を持つようになっただけだ。
大人になったらぼっち耐性あるってかなりすごい長所になるから。
いきなり知らない人たちの中に放り込まれても「たまに普通に喋ること」ができる人って、会社とかだと重宝されるんだよね。
いずれはいつメングループで毎日会って遊ぶなんてことなくなるんだから、それを早く経験するか遅く経験するかの違いでしかないのよ。
友達や先輩いないと重要な情報を知らないまま単位取れなかったりするからな。
進学先決まったら#春から〇〇大のハッシュタグで入学前に関係作っとくのは大事です。
その辺は自分で調べてください。
寂しがりな女もそれはそれで可愛らしいけど、22〜3歳くらいになってもそうだと、少し重い&イタいと感じる男性は少なからずいるぞ。
思春期に傷ついた経験があって、人付き合いに悩んだから、同じ悩みを持つ人の気持ちがわかる、孤独が怖くなくて、自立した人間。
そんな、優しくて、少し変わっているあなたを、本気で幸せにしたいと愛してくれる人が、きっと現れるはずです。
どこかで悩んでいるあなたがいつか幸せだって言える日が来ますように。
ちなみに、卒業式の時に、「LINEグループがある」と打ち明けたその1人は謝ってきた。
打ち明けられた日以来、勉強を頑張って私はそいつよりもいい大学に進学するので「いいよ、お陰で〇〇大学に入れたし」と謎マウントを取ったのが最後の会話だ。
覚えてるかな。今でもお前のことは嫌い。
メディアや事務所やスタッフや仲間(メンバー)のバックアップでキラキラしたエンタメを提供する低身長男性とそれを消費する女性がいるからといって、現実のマッチングアプリや婚活市場で低身長男性のみ余り、身長とマッチ率が比例するのとはなんの矛盾もない
俺は割と原作の漫画版が好きで買って読んでたんだけど、正直不満の方が多い。
SNSでは割と好評な意見が多くて今年ベストみたいな人もいてびっくりした。
1.品川ヒロシ節がウザい
これを現実に存在する人間が口に出して言うのに違和感しかない。
品川ヒロシの過去の映画でも頻出するコント文法というかなんというか。
A「なんかこいつキムチ臭くね?」
A「っていうか焼肉臭くね?」
こういう寒いコント風のやり取りをいきなり入れてくるので、何この場面?ってなりがち。
2.終わらせ方が紋切り型すぎる
今回の話は漫画の第一章にあたる「爆羅漢」編を映画化したものなんだけど、
元々の話は、敵対グループの爆羅漢とのタイマン3本勝負で決着がつく。
主人公と総長丹沢の"ヤバさ"を周囲のメンバーが思い知るという構図になっていたが
大乱闘→乗り込んだ先でバラバラになってタイマンという形に変更されている。
これはクローズ1、2もそうだったし、ハイローもそうだったし、東リベもそうだったし、
昨今流行したあらゆるヤンキー漫画が大乱闘→バラバラにタイマンの構図になっており
元々の流れを変更してこっちにしちゃうのかーと残念な気持ちになった。
3.アクションシーンは概ね良い
うーん、これは当ててませんねぇって一目見てわかるシーンがちょちょいと出てくるのは気になったが
パッと見て頑張ってるな!って思えるアクションシーンが多いのは品川作品のいい所だと思う。
ちゃんとバエるように戦う場所も工夫されているし、こういったカジュアル近接アクションを撮らせたら
実際頑張ってる監督はいっぱいいるんだけど、予算ついてアイドルも入れてこれやれるのは割と貴重。
暴走族のメンバーをラップで紹介するパートがあるんだけど、マジでダサい。
これに比べるとさすがにLDHが主導してただけあってハイアンドローの各チームのテーマ曲はかっこよかった。
あと、東リベのマイキーに激似のチビで金髪で長髪で喧嘩ゲキ強いけど飄々としてる総長が出てくるんだけど、
これってまぁ特攻の拓のマー坊時代からの系譜ではあるんだけども。
やっぱ演技させるとドラマ版池袋ウエストゲートパークの窪塚洋介のキング”風”でしかないなぁと思わされる。
中堅以上は管理職を含めて中途が過半数、若手はほぼ全員新卒入社という環境
コミュ障なりに前職で身につけた、とりあえず挨拶、分からないこと聞く、分かるまで質問というスタンスで、働いている
前職のノリを引きずっていたので理性的な雰囲気の今の職場では聞きすぎ空回り質問魔になっていた気もするが、来年ぐらいまでに落ち着いて仕事がまわせるようになっていれば問題ない、それよりも分からなくても許される入社年度の浅い時期に聞いた方が良いことを出来るだけ聞いておきたい、このスタンスで1〜2年後に使えるメンバーになれば最初は酷かったな〜という笑い話に出来るのでよし、というつもりでこのスタンスを課の全員に対して行っていた。
私より同年代〜年上の人はこのタイプの人間もいる、という認識で付き合ってくれている(と思う)
問題は社歴が私より長いがほぼ新入社員の若手にも同じスタンスをしてしまったことだ。
私は分からない知らない教えてを連発していたし仕事もところどころつまづいていた(見積購入の方法がこんなに違うとは思わなかった)ものの、前職の経験と知識という下地があったのでコツを掴めば直ぐできるようになり、上司も経験者として雇っているので若手後半中堅序盤に相応の重さの仕事を渡してくれた。
これが若手から見た時にどう思うかを考えていなかった。
私は若手の子にも分からない知らない教えてを連発していたし、色々教えて貰っていた。
若手の子も私に相談をしてくれたりしたものの、前職なら1年後なら答えられるがほぼよそ者の今は答えられない、という状態であった。この時、私は笑いながら○○さんに聞けばわかる気がするなどと回答していた。
後輩から見れば、知識のないヘラヘラしてる奴が自分より重たい仕事をしている状態になっていた。
結果後輩から、「違う仕事のほうが向いてるんじゃないですか〜」と笑いながら言われることとなった。しかも他の人がいる前で。
言われた時初めて若手をまずい状態にした事に気がついた。
正直私だけに言うなら全然よかった。私も前職で後輩の方が重たい仕事を先に任されたり多部署の同期が先に進んでいた時に暗い気持ちになったことは良くあった。
でも他の人がいる前でいうのを我慢できないレベルにしたのはまずい。若手が他人にそう言う事を言う人間だと思われる状態にした責任を感じる。
同年代〜年上の人が私の態度を許してくれている理由の一つに、私の言動から経験ある事が分かるからということがある。
業務内容が多少違くとも色々あったことがお互いにわかる空気があった。ただ若手は未経験ゆえにその言語化されていない部分の共有が難しい状態であった。その点も余計に若手になんでこいつがと思わせてしまう要因だったように思う。
これおもろいな
https://newspicks.com/movie-series/14?movieId=3739
https://www.youtube.com/watch?v=T-r31bIECXE
金融緩和を推し進め、「超円安」をつくってきたリフレ派が、政策決定メンバーから姿を消しているのだ。
この前、会社で近々結婚する男性社員と既婚者のメンバー交えて雑談中、家事の分担みたいな話をしているときに
「うちの旦那は〜」と話し始めたら、一通り話が終わったあと上司に「旦那とか言わないほうがいいよ、自分を卑下してるみたいだから」と注意(?)された。
その場では気をつけます〜と言って流したけど、たまたまインスタで赤の他人に主人・旦那呼びを指摘してる人がいて、え、これ常識になりつつあるの?と驚いてしまった。
人の配偶者をご主人・旦那さん、奥様と呼ぶのは失礼←これは分かるけど、
まあ、嫌な気持ちになる人がいるなら避けるけど、