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はてなキーワード: 本質的とは

2024-05-19

anond:20240519052738

30年間、日本は男以外が変化に対応してきた国だよ

移民を働かせ、女性を働かせ、非正規で安く使い回す

日本より先に人口ボーナスを終えた欧米はこの間ずっと子育てやす社会システムを男女で作ってきた。

そもそも30年以上前から少子高齢化問題視されていたけどその間、本質的な所にメスを入れなかったのが日本

最近になって男の家庭貢献も言われてきたけど、もう遅いよね。

anond:20240518125951

おぢから貰った金で買った野菜とおぢから野菜支給本質的な違いってなんだろう

野菜支給家族に言えるけど金支給野菜購入は言えないってことかな

現金を介さないと良心がいたまないのかしら

2024-05-18

食事にこだわるのって下品だよね

快楽求めてるんだから本質的セックスしたがりの猿と一緒でしょ

anond:20240517232037

こういうタイプの年上や同い年に学生時代から一貫して付きまとわれやす気質の俺からすると共通する黄色信号はある

○向こうから仕事以外の文脈、つまり親睦の情としての意味合いで連絡先交換を申し出てくる

○一対一でイベントをやりたがる


○一対複数の構図でも「自分対年下複数」でのイベントをやりたがったらヤバい特に、先輩サイドは一人なのに「お前も自分友達ガンガン誘っていいからさ」みたいに言ってくるのはアウト。端的に友達いない

逆に先輩が同い年同士で固まってるけど「年上ばっかだけどお前も来たけりゃ来るか?」は結構まともな人だったパターンが多い。


余談だけど、作家西村賢太ってゲラゲラ笑わせちゃう私小説昇華させたか生前マジの糾弾はされてなかったけど、本質的にはこの増田と全く同じレベルだよな。

暴力性向を伴っていたかもっと有害である

2024-05-17

お客様神様精神

こうした価値観時代遅れで昔のもの現代でこういう考えの奴がいたらやべー奴って認識されるのが普通だと思うんだけどさ、実際は違うよね。

アイドルなんか、私生活ちょっと態度が悪かったするだけですぐ炎上するし。アイドルでもプライベートアイドルじゃなくてただの一般人なんだよ?それなのにプライベートでもアイドル像を強制するというのは、まさに「ファン神様」だと思っているからだ。アイドルはそういう職業なんだからプライベートでもファンの望む姿そのままで居ろって強制するのは、昔のクレーマー本質的にはなにも変わらないのだ。

https://anond.hatelabo.jp/20240516095143

元彼と関わるとなんで軽く鬱みたいになっていったのか。

物事について即座に優劣で評価する人だった

早押しクイズみたいに。評価が高速で断定的であればあるほど頭の回転が速いと考えているようだった。

優越欲求自体は私の中にも存在するし、それが無ければ大学受験就職活動を乗り切れていないようにも思う。

エナドリ飲むように、優れていたいとか勝ちたいとかいった感情に酔っぱらうことで戦えるという一面はあるけど、それが人生のすべてではない。

勝つことが全く意味がないとも思わず人生のなかの重要な一部であるとも思うけど、プライベート人間関係に持ち込むのは相性が悪いから使い分けが必要だと今の私は考える。

しかし優勝劣敗が物理法則のようにこの世のすべてに当てはまるような世界観を手放さない人だった。

私をマウント素材にしつつ私のブスさを憎んでいた

身長が低い男性や、肥満体型の男性など、女性けがよくなさそうな容姿の同性の友達とつるんでいた。

彼女ができる可能性が低そうな友達の前で、自分彼女持ちであることをマウント要素にしつつも、私がブスでなければもっとマウント取れたのにという不満を持っていた。

友達の前で私の容姿馬鹿にしていた。おそらく友達可愛い彼女ができて、「負けた」と感じたら元彼発狂していたと思う。でも知りうる限りそんなことは起きなかった。全く女に縁がない男の具体的なイメージとして今でも彼らの姿が頭に浮かぶ

別れたあと悪評を流された

この人のそばはいたくないと思って別れてほしいと言ったら、すぐに別れてくれたけど悪評を流された。

訂正して回る気が起きなくて共通の知人がいるコミュニティからも逃げた。小学生ときいじめられたことあるんだけど、それとは比較にならないほどのストレスを受けた。ストレス反応の身体症状が出まくった。このときの対人関係ストレスを上回る出来事はその後起きてない。

それ以降、伝聞の悪口を信じなくなった。その噂は丸々嘘の可能性もある。

 

なんで元彼と付き合ったのか。

口説き方が強引で明確だったか

行儀が良いコミュニティにいたのを、ブスだから私には誰も欲情しないと思っていた。男性ストライクゾーンの広さについての理解が浅かった。お互いが唯一の存在になるという女性向けコンテンツありがちな関係幻想に染まりすぎだった。

最初露骨口説いてきたのが元彼だったし、私に勃起する人がいるんだと感動した。

(これを若いブス狙ってレイプすりゃいいんだなと解釈する人間が湧きそうで本当に嫌だ)

「俺に欲情して強引に露骨口説いて彼女になる女はいなかった。ブスにはそういう男が湧くのに。やはり女はイージーモード」と呪われそうだ。

買って済む話ではないことはわかる。ホスト貢ぐための金を得るために必死な女の時間を買うことでは解消できない種類のもの

同じ大学、同じオタクという同類意識があったか

私大の陽は怖いけど受験勉強を真面目にやった芋なら大丈夫だろうみたいなポジティブ方面偏見安心感を持っていた。単純化は愚か。怠惰

救おうとか考えた

元彼の両親は偉い父親専業主婦、うちは二馬力だったので家庭に関する感覚が全く違っていた。

元彼父親強要された価値観に苦しめられているように見えたけど、父親価値観インストールして母親馬鹿にしているようにも見えた。

「親によって苦しめられ歪められた人を恋人が救う話」というコンテンツの影響を受けてきたオタクだったから、初めての恋人との関係美談に仕立て上げていたが、元彼は私にまったく救われていないし、そもそも私に救われることを望んでいたか。私が空回っていただけの可能性が高い。元彼の望みは「整形ではない可愛い処女彼女ができて高カーストの男からも羨ましがられるようになる」辺りのほうが本質的だったのではないかと思う。

SNSコストはただじゃない

だけど本質的必要SNS広報ツイート)なんかのコストを正当に支払われない

しかたなく必要だと思った人が場当たり的にやるんだけど

金をくれないどころか煙たがられる

そりゃ生産性悪いわ

あらゆる「だれかがやらなきゃいけない仕事」がしっかり報われますように

2024-05-16

"サイゼリヤ"デートは、大人相手を試す方法として幼すぎる

男女それぞれに相性テストをかけあうのは、何も間違っていない。

ヒトのお見合いを長く見てきたが、お見合いは試しあい真剣での試合のものであり、鋭くしかし華麗に行う必要がある。

そう、華麗さが無くてはいけないのだ。人はこれを礼儀と呼ぶ。

婚活においてサイゼリヤデートという話題炎上するたびに思うのだが、題名とは違って実はかなりの人間デートの中に"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがある。

以下において"サイゼリヤ"は、"マクドナルド"でも"ドンキ"でも、"スターバックス"でも良い。好きな単語に置き換えて読んで欲しい。

試される側からすれば、実はお試しとしては悪く無い。価値観を知る良い機会だからだ。

問題は、それが意図せずに組み入れられてしまったのか、意図してそこに行こうとしているかの差だ。意図しているのだとしたら試し方としては相当に幼い。

ただ、相手価値観を変えてやろうと思ってなかなか変わるものでもなく、矯正すれば良いかと気楽に考えていると概ね悲惨な結末を迎える。

価値観を後から変える成功例は自分の知りうる限り一組だけで、あとは残らず離婚している)

以下は、結婚相談所での経験も含めて、なぜサイゼリヤデートダメなのか、なぜ相手を試す行為が良くないとされ、実は試す必要があるのかを解説する。

(具体例は当然フェイクや組み合わせを変えたりする)

最初にまとめ

総じて、結婚相談所は「結婚できる下地はあるが出会いが無かった」お相手同士の縁を結び、そのお手伝いをするところであり、

新兵訓練所ではなく、また訓練するインセンティブも薄い(よほど成婚率が悪いとかでないかぎり、ズルズル在席してもらった方が楽)ので、

多少の背景調査が入るお堅めの合コンだと思ってもらってほぼ間違いない。

多少の違いはあるが概ね合コンセッティング業者と言われても反論はできない。

試し方が拙く無礼

いやいやお見合い合コンは違うじゃん!と思ったあなた貴方感性は正常です。

そう、男女が出会場所として本質的に同じだとしても、やはりお見合い合コンは違う。

事前の準備の面倒さやドレスコード、会食場所を含めて、その差異は、マナーという言葉に集約される。

けっきょっくのところ、これは礼儀、つまり相手に敬意を表すことが出来るか、という点を見られているわけだ。

試しあいだとしても、相手に敬意を持ち、それをきちんと表現した上で、さら相手を試したり知ることができますか?という。

まりサイゼリヤデートは、相手にきちんと敬意を払ったうえでセッティングしまたか?と問われている。

一般的には、初回のデート場所サイゼリヤに行くのは、試し方としては拙く、無礼だ。

礼儀そもそもわかっていない

そんなこと言っても、初回の相手にどうやって敬意を表せば良いのだ!と憤るかもしれない。

そういう方は、そもそも礼儀が何かわかっていない。

自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかにフォーカスして考える経験が足りていない。

そもそも結婚数そのものが下がってきている昨今、礼儀作法にうるさいご家庭はかなり減った。

実際のところ、気の置けない友人同士であれば、手土産無しにお宅訪問しても陰口をたたかれることはまず無い。

ただ、家を訪ねるのであれば手土産くらいは持参するだろうという常識が薄れても、それが礼を尽くすことになるかもしれないと思い至れないのは致命的だ。

公私の区別、非日常日常との区別相手自分との区別がついていない

ブコメにハレとケの概念について触れているものがあったが、それでピンとくるようであれば読み飛ばしてもらって構わない)

じゃあ、デートにどこに行けば良いのだ!とキレるようであればまだ救いがある。調べたり改善する余地があるからだ。

サイゼリヤでも良いような女性とお付き合いしたいのだから、良いじゃないか、と考える場合は概ね笑顔肯定し、長く在席してもらうことになる。

こういった場合そもそも公私の区別がついていない。

公私の区別

パブリックプライベートとを、それぞれに応じて異なる振る舞いをすることが求められる、ということからわかっていないことが多い。

プライベートで、例えば家にいるとき家族になった後での家の中での振る舞いで、厳格な礼儀作法を求められると疲れる、というのはわからなくもない。

「だからサイゼリヤ価値観のすり合わせを」となるところがマズイのだ。デートパブリック場所で行われるものであり、特に初回のデートパブリックよりだからだ。

日常日常との区別

さて、デートプライベート行事ではあるが、パブリック空間で行われる。

次にこれが"婚活で行われるデート"の場合は、ここに"非日常"という軸が加わる。

冠婚葬祭普段着で行ってはいけないというのは、それは非日常からだ。

逆に言えば、高校生デートであればサイゼリヤであっても問題ない。日常と地続きだし、場合によってはそもそも男女で食事をするだけで非日常だったりするからだ。

相手自分との区別

最後に、相手自分との区別がついていない、という点があげられる。

これはもちろんグラデーションがあるだけで誰しもそうだが、極端に自分が中心になっていることがある。

相手人格を持つ自分とは違う人間なのだということが分かっていないような振る舞いをされる方がまま居る。

これは男女問わずだし、誰しもが多少なりともあるが、自分の考え方が正しく、それに沿うべきだ、と考えてしまいがちだ。

サイゼリヤデートであっても相手は楽しむだろう、それが初回のデートであっても自分は嬉しいから、というものだ。

その時にお誘いした相手はどう思うだろうという視点が欠落している。

ここが"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがあると言った理由だ。

休憩にスターバックスによることが優しさであると感じる方もいれば、騒がしいスターバックスデート中に寄るのは常識外れだと怒る方もいる。

どちらが正しいとか間違っているかということではなく、その相手がそう感じるという点が重要なのだ

コミュニケーションが取れるか、価値観のすり合わせが出来るか、どこが譲歩できないラインか整理ができていない

そんな初回の相手エスパーでもないのにどう感じるかわかれなんて無理だろ!と憤るのもわかる。

そう、相手のことを心から理解するのは家族であっても難しいし、逆にそんなにピッタリだと不安になる方もいる(相手自分に無理に合わせていたのではないかと)。

その解消がコミュニケーションであり、ここで相手意思疎通ができるかはとても重要だ。

自分言葉相手に伝わるように言ったはずなのに伝わらなかったというのは大きなマイナスになる。

例えば、「相手からデートランチ場所はどこでもいいと言われた」というのが、「どこでもいいと言ったらどう伝わるか」とすでに試されているのだ。

もちろん、慣れていないと、ディナーの予約をしたつもりが、高くてあまり美味しくない居酒屋になってしまうこともある。それは仕方がない。

問題はそこから、どう軌道修正できるか、もしくはそういったところが良いのか実は非日常デートなら違うところが良いのか、価値観のすり合わせが出来るかが重要なのだ

際限なく譲歩する必要は無い。ここは譲れないラインだというのをぼんやりとでも持っておくことはもちろん重要だ。

いつもデート帝国ホテルのディナーを予約してほしいというのは、受け入れられないとか。手違いでも居酒屋を予約するような手際ではムリだ、とか。

まとめ

婚活相手を試すのが問題ではなく、その方法が拙いのだ。

礼儀とは、相手に敬意を表すことだ。親しき中にも礼儀あり。

まだ家族になってもいない相手を試すのであれば、相応の礼儀を尽くしたうえで、失礼のないように試すべきなのだ

から、何度かデートを重ねたうえで、段階を踏んで、「お互い普段ファミレスに行くって言っていたし、どう?」と誘うのであれば何の問題もない。

両方がともに普段着で集まって、いつも行くような店に行こうとコミュニケーションが取れてからなら、焼肉でも二郎でも好きに行ったらいい。

いきなり相手を連れて行って試すような真似をするのは、本当に止めた方が良い。考え方が幼すぎる。

礼儀を尽くしてサイゼリヤに行ったんだと主張するのであれば、それはそれでも良いと思う。似合う人が見つかるといね

あなたから見れば、あなた人生主人公で、それ以外の人間登場人物に過ぎないと感じるかもしれないが、実際はそうではない。

まあ、そう無理することも無いと思うんだよね。業界的にはその方が助かるし儲かるから増田しか書けないよこんなこと。

つーか、ぶっちゃけオマエ試してる場合なの?ってことの方が多いから、経験則的に言えば全員一律相手を試してる場合ではないでフィニッシュです。

相手を試さないといけないくらいひっきりなしにアプローチを受けてますなんて人は、ホント出会いが無いだけで結婚相談所能力無関係に成婚するしね。

https://anond.hatelabo.jp/20240515130736

2024-05-15

anond:20240515205710

サイゼ何が悪い! 女を試して何が悪い! みたいな人って

男女同権には関心ないし本質的には女性関係のない人生でしょ

2024-05-14

anond:20240513193823

でもマイナンバー囚人番号だの騒ぎまくってたのを見てると、「本質的には同じ」という認識が出来るのは抽象化能力のある一部の人だけなんじゃないかという気もしてくるんだよな

初めにきっちり訂正を求めておかないと、「親に番号をつけるだなんて!」みたいなこと言われ続けるんでしょ?

政治家はこういう人達無限相手にしてきてるわけで、「議論する前にまず表現を直せ」という話になるのは仕方ない気がする

anond:20240514093922

結局それも社会経験の無さとかから来てる気がするな

人間生きてきたら、金っていう物がなんなのか?というのがわかるんだよ。

これほど冷酷で物質的、しか人間の心を左右する物も他にないんだけど、

それを若い頃は理解できないんじゃねーかな

ひとつには、本質的に金に困った事があるかどうか?っていうのがひとつ大きい気がする

例えばずっと実家暮らし自分の小遣いくらいでしか金の苦労をした事がない人は、

実際金に無頓着というか、どんぶりな部分がある気がする。

もちろん実家暮らしでも金に対して正常な見方を出来る人の方が多いとは思うけどな。

2024-05-13

立憲「父母呼びは削除」「『親1・親2』にするとは言っていない」

立憲民主党「『夫婦』や『父母』を『親』か『婚姻当事者』に変えるだけだしデマはやめろ!」

法案への賛否別にして立憲民主党のあり方に疑問を覚えたので備忘録的に記しておく。

議論の経緯

櫻井よしこ氏)

立憲民主党がとんでもない民法改正法案を提出しました。婚姻平等法案です。性の区別をなくし、父も母も親1、親2とするそうです。家族の在り方が崩壊し、バラバラ個人集合体のような国になりかねません。こんな日本を誰が望んでいるでしょうか。

https://twitter.com/YoshikoSakurai/status/1788882499713773675

立憲民主党 米山隆一 衆議院議員

一応「識者」と言われている立場でしょうに、こういう明らかなデマ意見の異なる相手を論難するのは、余りに志が低く、極めて残念です。「保守自分達が作り出したフィクション世界で溺れているのではないか保守派一体どこに向かっているのか?」と思います

https://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1789397435699052987

立憲民主党代表 泉健太 衆議院議員

櫻井よしこさん、誤った情報拡散は良くありません。

立憲民主党婚姻平等法案には「親1、親2」なんという表現は全く無い。

「するそうです」ではないのです。訂正されませんか?

https://twitter.com/izmkenta/status/1789167748083601573

立憲民主党提出法案

(旧)

夫婦の氏)

第750条 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

親権者

第818条 成年に達しない子は、父母親権に服する。

(新)

夫婦の氏)

第750条 婚姻当事者は、婚姻の際に定めるところに従い、婚姻当事者の一方の氏を称する。

親権者

第818条 成年に達しない子は、親権に服する。

※その他全般的に同様の改正となっている。

https://cdp-japan.jp/files/download/daUV/U0pN/aoe0/5xWH/daUVU0pNaoe05xWHh6Hi8JnR.pdf

事実関係

立憲民主党提出法案では、夫婦婚姻当事者と、父母を親と書き換えている。

櫻井よしこ氏の「性の区別をなくし、父も母も親1、親2とするそうです。」という主張は、親1・親2ではなく「親」であるという範囲において誤り(性別をなくす、父母を親にするという点は正しい。)である

雑感

櫻井よしこ氏は批判するなら一次ソースに当たれば親1、親2ではなく、「父母を単に親とする」という書き方にできたはず。そうしても櫻井よしこ氏の主張には一切影響しないのだからそうすべきだった。

米山隆一氏の「明らかなデマ」や泉健太氏の「『親1、親2』なんという表現は全く無い」とするのは明らかに言い過ぎ。櫻井よしこ氏の主張の根幹は『夫婦から性の差異をなくすことが問題』だと理解することは文脈上容易であり、そこに触れずに「デマ」などと切り捨てる立憲民主党は、本件について国民議論をしようとしているようには見えない。

◯というか、婚姻当事者しろ親にしろ、法的にはこれでOKでも運用上二人を区別する必要があるときには婚姻当事者(1、2)とか親(A、B)とか、甲乙でもなんでもいいけど書き分ける必要があるわけで、全く的外れ批判とも思えない。これがデマだとするなら立憲民主党はどう運用することを想定しているんだろうか。

◯いずれにしても立憲民主党として、全く国民対話をしようとは考えていない様子であり、他の事例での立憲民主党言論弾圧志向と合わせ、残念でならない。

追記

そもそも櫻井よしこ言いがかりが幼稚すぎるのに、よくこんなところで頑張れるな。法律上の『夫婦から性の差異をなくすことが問題』ってどこが? 法律上表記性別がなくなると人間性別が消えると思ってるの?

◯「家族の在り方」って何なのよ? 日本古来の家族歴史について、専門家に教えてもらってきな。歴史学者でも考古学者でも文化人類学者でもいいからさ。お前らが信じている「日本古来の家族観」って明治以降だぞ。

国際勝共連合プロパガンダ親和的アカウントが湧き出てくる。山田太郎統一教会イベントに出たことを問題視していたのは、本人が信者でなくともフォロワーに向けて広告塔役割を果たすからなんだよな

櫻井よしこ問題意識の是非の話なんてしてねーだろ。

その問題意識理解した上で立憲側が話をそらして相手デマ扱いしてるのがおかしいと言ってるだけ

相手の論が誤ってるなら真正から議論すれば良いだろ

櫻井よしこの言っているデマ国際勝共連合(統一教会)と全く同じ内容

◯立憲が親1,2に変えようとしているという話のネタ元は櫻井よしこ氏だけど出した法案にどこにもそんな記述はないし、櫻井氏のその表現ネタ元は勝共連合記事なのか?

勝共でもなんでもいいけど少なくとも大きな方向性としてデマではないと思うが

理由は本文に書いた通りで反論があればどうぞ。

法令記載しないことと,運用禁止することは違うのでは。住民票に「子」としか書いてなくても,長男・長女などの表現社会普通に使われている。e-Gov法令検索全文検索で「長男」「長女」は0件にもかかわらず。

◯立憲は将来の同性婚を考えて父母呼びをなくしたならそう主張すべきで、そこで逃げるから論点ボケて本質的議論が出来なくなる。/個人的には同性婚養子貰って育てるのまでは賛成出来ない。

そう、議論ならこうでないと。泉健太氏も米山隆一氏も揚げ足取らずにこういう議論すれば良かったんだよ。

ちなみに実運用では「第一子」、「第二子」などが普通に使われている。

例えば、

厚生年金保険法施行規則(加給年金対象扶養子(第一子及び第二子を除く。)の数)

本巣市第一出産祝金支給事業実施要綱

東京都板橋区幼稚園等の保育料の額を定める条例第一子と第二子以降の保育料の額))

などなど、事例は山ほどある。

このように区別必要があれば役所でも親1や親2として扱われるようになるよね?まぁ親1、親2じゃなくて一方の親とかでもいけるのかもしれんが、後者のとおり批判主題はそうじゃないよね?

立憲には

家族間を規定する法律上、父母表記夫婦表記など性別意識させる表記不要である、その理屈はこうだ」だって回答

が求められてんだよ。泉健太氏も米山隆一氏も話しそらしてるブコメも皆分かってんだろ?なんでそこから逃げるんだよ

2024-05-12

働きながら毎日料理する30代夫が、料理をする魅力を語る

私は今32歳で、子供は1歳3ヵ月。妻は専業主婦をしている。

料理基本的に私の担当だ。妻は子供離乳食だけ作る。

今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。

と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。

自分料理担当して、3~4年くらいになる。

元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、

おいしくないもの我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分料理をするようになった。

ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、

別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活最初の方は、かなり適当食生活をしていた。

必要になってやり始めて、だんだん面白くなってきたのだ。

から、今回の話は、必ずしも生まれつき料理好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。

自分料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、

家での料理が、「一石多鳥」である、ということだ。

自分そもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。

自分料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。

節約になる。

健康になる。

③好きなものが食べられる。

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

趣味としてのリラクゼーションになる。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

⑦妻に喜ばれる

以下、順番に説明する。

節約になる。

これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊お金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。

短期的に見れば、確かに一定の初期投資必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。

料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。

ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理日本人使用する食材調味料レパートリーは限られている。

また、そのレパートリーを大別すると、

(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜牛乳ヨーグルト、など。

(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎジャガイモにんじんねぎにんにく生姜昆布鰹節味噌醤油、酒、ワイン蜂蜜、塩、砂糖コショウ、その他種々の調味料、など。

となる。

ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオン場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、

常に一定数以上確保しておくようにすることだ。

(b)の分類の食材が常に冷蔵庫ストックされており、調味料なども揃っていれば、

あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。

肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、

特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料調達できる。

こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。

健康になる。

これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。

野菜を取りやすい、というのは当然そうだ。

しろ調理済みの惣菜や、飲食店食事で、一日に必要野菜摂取量を十分に確保することは難しい。

また、これは料理をするようになって気づいたことだが、

調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物使用されている。

昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品成分表示確認するようになった。

具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。

が、実際にコンビニスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、

加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。

また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、

自炊をする中で、それぞれの分量や性質自分の体調に与える影響の度合いを、実経験観測していくことができる。

こうしたPDCA自炊をしていると自然と回るようになるので、自然ダイエットにもなり、体調管理もつながっていると思う。

③好きなものが食べられる

これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。

コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的選択肢だった。

ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。

また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。

その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。

また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画凄さだと思う。

誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。

Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

上記のように、Youtube動画ちゃんレシピ工程確認しながら多くの料理経験していくことで、料理全般を下支えするセオリー体感にわかるようになってくる。

例えば、

 ・料理において、塩はどのような役割を持っているか

 ・どのようにして旨味を構成するか?

 ・〇〇の食材には、どのような調理法が、なぜ合うのか?

 ・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?

 ・なぜこの順序で食材を投入するのか?

 ・この食材で風味づけする意味は何か?

など、無数に論点がある。

もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。

このことによって、例えば外食に行った場合も、

「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。

また、それに対する考察が、日常料理にもフィードバックされるために、自分家族の食の経験がより豊かなものになっていく。

これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。

趣味としてのリラクゼーションになる。

これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理食材は、「人間自然との強力な接点の一つ」だ。

この前たまたま流れてきた動画の中で、養老孟司さんが、

サラリーマン一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」

というようなことを言っていた。

これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、

やはり現実的にはこれはなかなか難しい。

一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。

料理は、一つの自然である、と考えることもできる。

例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。

また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感総合的に用いたプロセスを、自然経験する。

これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理提供する必要がある。

 ・おいしさ

 ・栄養

 ・原材料費

 ・材料調達(買い出し)

 ・家族の好み(カスタマイゼーション)

 ・新規レシピの導入

 ・在庫管理

 ・洗い物の段取り

これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。

私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理管理活用している部分も色々ある。

こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。

ここまで色々語っているが、自分料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。

このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質アウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。

⑦妻に喜ばれる

結局、これが一番大事だ。

よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから外注した方がいい」などというものがある。

かに資本主義原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。

しかし、近頃子供も産まれ、よく考えることは、

自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方のもの規定する哲学だ」ということだ。

それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。

料理外注化すること、子育て外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味外注化すること。

技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。

原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。

しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。

食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。

まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います

anond:20240512171626

リベラルフェミニズムのもの本質的差別意識内包しているからそれに被れてる奴はそりゃ差別主義者なのよ

しか正義面しているから負い目もなく自分の負の側面が全く見えてない酔ってるのか万能感もマシマシで性質が悪いタイプ

リベラルフェミニストが強い差別意識内包してるのなんて昨今世界的に語られ尽くしてるしそこはどうでもいいだろ

はい論破」の有害

 「はい論破」という言葉インターネット上で広く使われるようになり、議論や会話の文化に大きな影響を与えている。一見すると、このフレーズは単純で面白いものに思えるかもしれない。しかし、この言葉が持つ真のインパクトと、それが会話や議論の場にもたらす潜在的な害について考えることは重要である

 「はい論破」という言葉は、一般的に、議論や会話において、相手の主張を反論したり、論破したりしたときに使われる。このフレーズは、インターネット・ミームとして始まり、多くの場合ユーモア皮肉として用いられていた。しかし、この言葉が普及するにつれて、その使用法はより深刻で有害ものになってきている。

 「はい論破」の有害性の一つは、それが建設的な議論や会話を阻害することである。このフレーズは、相手の主張を真剣に受け止めるのではなく、単純に論破することに焦点を当てている。その結果、議論が本題から外れ、個人的攻撃感情的応酬に陥りやすくなる。建設的な議論や会話では、相手意見尊重し、理解しようとする姿勢重要であるしかし、「はい論破」という言葉は、そのような姿勢を損ない、議論不毛ものにしてしまう。

 さらに、「はい論破」という言葉は、複雑な問題単純化しすぎる傾向がある。多くの問題は、単純な白黒つけられるものではなく、複数の要因が絡み合った複雑なものであるしかし、「はい論破」という言葉は、そのような複雑さを無視し、単純な二元論に陥りがちである。この結果、問題本質的理解が妨げられ、有意義解決策を見出すことが難しくなる。

 また、「はい論破」という言葉は、相手意見尊重せず、自分意見押し付けるような態度を助長する可能性もある。このフレーズは、相手の主張を真剣検討したり、理解しようとしたりするのではなく、単に論破することに重点を置いている。この態度は、相手意見尊重し、多様な視点を受け入れるという、健全議論や会話に不可欠な要素を損なうものである

 さらに、「はい論破」という言葉は、特にオンライン上の議論や会話において、攻撃的で有害文化を促進する可能性もある。このフレーズは、相手の主張を論破することに重点を置くため、個人的攻撃侮辱嫌がらせにつながることがある。このような有害な行動は、建設的な議論や会話を阻害し、参加者不快にさせ、議論から撤退させる可能性がある。

 「はい論破」という言葉有害性は、それが議論や会話の文化に与える影響だけにとどまらない。この言葉は、特に若者などの影響を受けやすい人々の批判的思考能力議論スキルの発達にも影響を与える可能性がある。批判的思考能力とは、情報や主張を分析し、評価する能力であり、議論意思決定に不可欠なスキルであるしかし、「はい論破」という言葉は、単純な反論論破に重点を置くため、批判的思考能力の発達を妨げる可能性がある。

 要約すると、「はい論破」という言葉は、建設的な議論や会話を阻害し、複雑な問題単純化し、相手意見尊重しない態度を助長する可能性がある。さらに、この言葉オンライン上の有害文化を促進し、批判的思考能力の発達を妨げる可能性もある。したがって、私たちは「はい論破」という言葉使用法に注意を払い、それが持つ潜在的な害を認識する必要がある。建設的な議論や会話を促進し、複雑な問題真剣検討し、相手意見尊重する文化を育むことが重要である

anond:20240511100235

質問のテイをとっているが、言い訳の為であって、

本質的には自分の見たいものしか見えなくて、自分の聞きたいものしか聞こえないんだな

お前は

2024-05-11

anond:20240511175508

そうだよ

から宗教禁忌を作ったりして行動を縛ろうとしたんだ

現代では法律を枷にしてるだけで本質的にしてはいけないことなんてない

anond:20240511125827

恋愛経験ゼロで頭撫でられたら惚れるって点ではすでに世の中に溢れ返ってるとも言える

より本質的な、怠惰卑怯他責的で異性叩きに興じてるみたいな点ではあまりいか

anond:20240511081901

多分、金を得てそれに靡く女を手に入れようと一念発起した段階ではその認識はあったはずと思うんだよなぁ

歳食ってそれなりに金が入ってきたならばそれに伴う地位もあるはずで、それ由来で昔よりもチヤホヤされる、尊重される場面が増える事によって、それが自分地位なんか本質的には何も関係がない恋愛関係にも適用されるとか勘違いしたりすんのかな

2024-05-09

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/courrier.jp/news/archives/363596/

ryun_ryun サービスエリアで高速充電30分してバッテリーの半分も充電できないのに条件完璧な訳ないだろ。ガソリンなら3分満タン

https://b.hatena.ne.jp/entry/4753211162695789536/comment/ryun_ryun

これ本質的で、結局アメリカとかヨーロッパでは、利便性で劣るけど環境のためなら仕方ないか、って思う人がいたかEVがまあまあ普及したんだよね

日本はそれがなかった

自分我慢するのだけは絶対に嫌って人が大多数

次の世代のために何ができるか? じゃなくて自分世代いかに逃げ切るかしか考えてない

SDGsとか聞くと顔真っ赤にして怒り出すし

そりゃあ子連れ様とか言い出すよね

彼女が好きなのはホモであって僕ではない」ってどういうこと?

タイトルがしっくりこない

タイトルが作中の状況と一致していないように思う。

作中、彼女=三浦は明らかにホモであるからとか理由を超越して主人公を好いているように見える。

そもそも三浦BL=ホモ趣味としているのは、

BL本質的に好きというよりも単に非日常的だから好きなのであって、

またその趣味共感してくれたようにふるまっている主人公好意が芽生えたと解釈している。

タイトルホモ恋愛対象を抱いた感じなのに、実際はそうですらなく、趣味共感を抱いたから好きになったというよくある恋愛パターンで恋に落ちたに過ぎない。つまり彼女ホモ好きの特殊性癖というよりはごく普通乙女

しかも「僕(主人公)」自体BLホモと違いファンタジーであると明確に両者を別物と認識している。

もし同じ内容の作品タイトル命名権が俺に与えられたら「僕が好きなのはホモであって彼女ではない」としている。

なぜ「彼女が好きなのはホモであって僕ではない」なんだろう?俺が解釈違いなの?

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