はてなキーワード: 原則とは
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たとえば自分のブコメを引用されたり、アカウント名を出されたりした場合でも、運営に報告すれば削除してもらえる。
はてなの規定に準じて、情報の削除および発信者情報の開示を行います。
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なお、はてな匿名ダイアリーの特性に鑑み、特定の人物への言及に対して、言及された当事者より削除の申立があった場合、原則として発信者への意見照会を経ずに削除を行います。
【1】掘削道具(最低でも1~3本のシャベル)とキャタピラ修理用キット、遠隔照準装置を調整するためのレンチ、戦車を緊急時に引っ張るためのフックを戦車に持ち込むこと。乗員全員が1つ以上の腕時計とコンパスを持つこと。
【2】外付けの燃料タンクは空に確実にすること。全ての外部燃料容器を必ず空にする。
【3】運転‐整備士は燃料配分バルブが内部タンクに切り替わっていることを把握しておくこと。砲手は照準器のシリカゲルが乾燥状態かをチェックする。
【4】外部タンクは空にするが外さなくてもよい。後ろから被弾した際にそれが砲塔への影響を低減する可能性があるからだ。中には水をいれておいてもよいが、接続パイプは外しておくこと。ただしこのアドバイスの適用は場合による。経験の浅い又は記憶力の低い戦車兵の場合はこれをするのは推奨しない。
【5】外付け部材で戦車に増加装甲をしたい場合、小火器用の亜鉛製ボックスが最適である。砂や砕石の袋で車体を覆うのは推奨されない。初弾被弾時に乗員や車上に乗っている兵士たちへ当たったり、外部機器を損傷させて外部火災の可能性を高めてしまう。
【6】戦車砲塔にある可搬スペアパーツ用ボックスには水を凡そ1/5、時には1/3ほど満たしておいてもよい。防御性能を高めるだけでなくそれは消火や衛生用途にも使えるだろう。
【7-2】内部側面及び砲塔肩部の段差に弾薬を置かない。転輪裏の装甲が戦車では最も薄い。ここに被弾すれば爆発を確実にしてしまうだろう。
【7-3】自動装填装置では各弾薬タイプ別に順々に1つのタイプを使ったら次のタイプをロードすること。
【7-4】コンベヤーのベルトには、きたる戦闘の種類に適した弾薬を選び置いておくこと。
【7-5】やれる時はいつでも、主砲から発射を行った後は尾栓をメンテナンスすること。
【8】戦車兵は、拳銃だけでなく標準武器のカートリッジのパックを胸ポケットに入れておくこと。
【8-1】防護効果。
【8-3】ポケットの内の1つに手榴弾を入れておくのもいいが、アンテナ固定用のもの例えば絶縁テープを追加するのもできる。
【9-1】経験豊富な兵士はカートリッジを1つ薬室へ入れて置きセーフティにすることを推奨する。
【9-2】マガジンへの装填はこのように行う。カートリッジ1つ→曳光弾1つ。
【10】戦闘を予見するにあたって、砲身内の初弾は常に対戦車榴弾にしておくこと。その弾薬ならどんな種類の機甲車両にも効くし、歩兵に対しても十分な破片を飛ばせる。全ての武装は装填され薬室に弾薬が入っていること。
【11】戦車の操縦手が覚えておくことは、貴方は常にあらゆる所から見られているということだ!敵は常に貴方に対して武器を用いる準備をしているのを忘れないこと。
【12】幾つかの方向からの伏撃を予想しておくことは戦車兵の基本的ノルマだ。
【13】No.10と同じ。
【14】行軍中、ハッチは常に閉めておくこと。戦闘中は、その車両の各特性上必要となるならば周りの監視観測のためにКТのハッチは少しだけ開けておいてよい。市街戦、特に高層建築のあるエリアではハッチは常に閉めておくこと。
【15】(位置的に)停まることになったら、戦車はすぐに道から外れ分散すること。その戦車は敵伏撃または射撃陣地がありうる場所に直面しているのを忘れてはならない。小隊及びそれ以上の戦車編制では、各戦車は異なる方向へ分散する。
【16】可能ならば、戦車は木の下やより生い茂った所に位置取りするのがよい。最良なのはリンゴやサクランボの木だ。安定用翼のついた対戦車兵器が枝に引っかかって飛空方向が変わったことは1度のことではない。
【17】停車したら、整備士は装甲ブラインドを閉じること。動く時に忘れずに開けること。
【18】最低でも乗員の一人は戦車に残るようにすること。小隊以上の編制では、1輌又は2輌の戦車を一部の乗員と共に残しておいて、或いはその他のメンツを残して、離れることができる。
【19】操縦手は車内にいる方がより安全でより信頼性があるということを忘れるな!
【20】砲やロケット弾に被弾したら、時には何発も受けることがあるのだが、どんなにそれで怖くなったとしても、焦って戦車を離れようとするな!車内に火災が発生していないのであれば貴方はまだ大丈夫なのを忘れるな!
【21】戦車の外にいるよりも中にいたほうがより信頼性があり安全である。戦車を離れて多くの者たちが死んでいった。敵の狙撃やマシンガンは貴方たちを待ち受けている。
【22】煙とは火ではない!車内に煙が出たからといってそれが戦車内部で火災が起きているとは限らないのを覚えておくこと。車内で炎上が無ければ貴方はまだ大丈夫なのだ。
【23】被弾して、戦車を離れた場合。貴方が生き延びており、5分後にまだ戦車が爆発しておらず、ハッチから煙が流れているのが見える時がある。そのケースではソフトウェアが鍵になる可能性が極めて高い。すぐに戦車の中に入って、車両オペレーティングシステムを再起動し戦車を稼働させること。戦車内部にいるほうがまだマシなのを忘れるな。
【24】戦車兵よ、機動力と火力と装甲こそが貴方の勝利と幸運を保証してくれる最たるものであることを忘れるな!
【25】開けた場所では、戦車兵はしばしばハッチを開けたままにしておくことがある。市街地ではハッチは閉めておくこと。戦車長はハッチと砲塔の隙間をあけて周囲を監視することができる。
【26】市街地を進むルートを計画する際に、最も近い構造物から車体面までの距離が50m未満にするように選ぶこと。大半のRPGはこれほど近すぎると発射準備を整える時間が無い。
【28】防御において、1つの射撃タスクを完了したら、隠密に射撃位置を変えること。市街地で射撃する場合も同じ原則となる。
【29】夜間にある位置で従事したら、隠密に場所を変えること。昼でも同じ原則となる。
【30】サボらず、掘削を行い砲塔をそこから出すようにせよ。枝葉を刈り、戦車のカモフラージュに使用せよ。装甲ブラインドを閉じること。予備陣地や囮の欺瞞陣地を設置せよ。指揮官は戦車を火力のカードにせよ。
【31】戦車とは難聴で弱視なのだ、だがて敵兵はそれをわかっていない。忘れるな、敵は常に戦車を恐れているのだ!時にこちらが抱く恐怖よりもだ。たとえ周囲の状況が(合理的には)絶望的であったとしても果敢に行動せよ。己の恐怖を克服し、敵には恐怖を抱かせるのだ! No.24を理解すること。
【32】戦闘任務を遂行する前に、その行動予定エリアを乗員によって隠密に偵察することは強く推奨される。No.31を理解すること。各事項は追加される可能性はあるものの、単に覚えておくだけでなく毎日実践すること。
【33-2】集合住宅から攻撃を受けて且つ敵の正確な位置がわからなかった場合、各階の間の階段の吹き抜け部を射撃するのが最善だ。その結果、2つの階にわたって全てを取り除ける。
【33-3】副武装によって集合住宅のパネルの末端を射撃するのはその通路に相当なダメージをもたらし、正面からは家を貫通する時がある。
読んだらウラー!と叫べ
愛子さまがキラキラしくて惑わされそうなんだけど、天皇家は男系男子で繋いでいくのが原則なんですよね。
悠仁さまがいらっしゃって、とりあえずまだすぐに断絶することはないかなっていうのが現状だけど、
例えば、愛子さまが明治天皇の玄孫さんと婚姻されたなら愛子さまが天皇となって、そのお子様が皇太子さまにっていうのが理想なのかなって思うのだけど、まあ、悠仁さまがいらっしゃるし、そのお子様が継承されるなら安牌なのかわからないけど、絶対はないものね。
まあ、継ぐ方が増えるならありかなと思うんだけど、それ以前に、皇室の方々が婚姻される前提みたいなのもあるしだけど。
どうしたら最善なのかしら。
二次創作についてガイドラインが出てなくて許可取りしてなくても「自己責任でどうぞ」と「あくまでその行為をそそのかすことになる」言動をとる人たちがいるが、
この根拠を親告罪であることに求めているなら、それは上記で列挙したような器物損壊や名誉毀損に対しても「自己責任でどうぞ」と言ってよいとするのと同じだ。
物を壊す、人を侮辱するというのは典型的な「非倫理的なこと」平たくいえば「悪いこと」だ。つまり「悪いことをそそのかしている」ことに他ならない。
悪いことをしようとしている人に対してかけるべき言葉は「自己責任でどうぞ」ではなく「自分で責任をとれたとしてもやるべきではない」だろう?
某増田へのブクマで「私的自治の原則」を挙げて反論した気になっている人がいるが、親告すれば罪になりうる内容の二次創作は刑法犯としての性質を持つものなのに、民法の原則を挙げるのはちゃんちゃらおかしい。
「犯罪行為に対してはその被害者が赦していることが起訴しない絶対的な理由にならない」というのもまた法学のきほんのきだと思うのだが…。
創作の「意義」とやらを掲げて、非親告罪としての権利者が認めているか不明な二次創作の実行を擁護するなら、刑法175条にふれるわいせつ図画にも意義がないとはいえないでしょ。あるいはそれと比べ「二次創作」の方がどれだけ意義で勝っているといえるのだろう?
創作の意義を云々するなら、ストリップも文化的意義がないとは言わせないぞ。でも過去に上野のストリップが公然わいせつで捕まったな(これは、、被害者=劇場の観客が許していようが起訴しない理由にはならない例でもある)。
意義なんて曖昧なものを掲げるほうが、かえって法律上の不条理を浮き彫りにしてしまう。あるいは、二次創作の方がわいせつ図画やストリップより意義が大きいとみなされているから、後者2つと違って親告罪とされているのだろうか?
どれも「表現」には変わりないはずなのだが、その意義に差があるとでもいうのだろうか?どうせ、いやらしい方が意義が低いはずだみたいなステレオタイプにあてはめて判断しているだけで、理路整然とした説明は出来まい?
身もふたもない言い方すれば、自分たちの大好きな二次創作だから「好きだから意義深いはず」って信念だけだよね。それ、無修正エロ漫画が好きな人だって同様に思ってるはずだけど、(少なくとも創作側は)悪いことだと認識して我慢してるんだよ(読者側はしらん)。
結局この複雑な状況に出すべき結論は「お上が法律で違法と言っている」ことをそそのかすのは悪いことなんだよ。「自己責任で」と枕詞をつけることが免罪符になるわけでもない。
その証拠に「自己責任でなら無修正で性器ぱっくり図画出していいよ」「自己責任でストリップ劇場開いていいよ」って言うのははばかられるだろ?そういうこと。
別にはてな民じゃなくても普段反差別を気取ってる奴は全員ダブスタが酷くて面白い
・人種で差別することは許さないのに「白人」が差別される側になると突然差別主義者に豹変するリベラル
・宗教で差別することは許さないのに「ムスリム」が差別される側だと突然差別主義者に豹変するリベラル
・移民を差別することは許さないのに隣の家に移民が引っ越してくるとなると突然差別主義者に豹変するリベラル
・生まれで差別することは許さないのに「九州出身者」に対しては突然差別主義者に豹変するリベラル
・イジメは許さないのに「同和」の関係者がイジメ加害者だった場合は突然イジメ加害者に加担するリベラル
・死刑はもちろん国家による人権侵害は許されないと思っているのに「性犯罪」になると突然推定無罪の原則を忘れ国家による積極的人権侵害を奨励するリベラル
・不法移民にさえ就労機会を与えろと行政に迫るほど人々の就労に対して意欲的なはずなのに「ロリコン」については将来的な再就職も禁止し、ありとあらゆる社会復帰の道を閉ざし自殺しか認めないリベラル
・デマが嫌いなはずなのに自分が撒いたデマには視力が0になる不思議な目を持つため自分のポストについた「コミュニティノート」が見えなくなっちゃったリベラル
・住民が訴訟で自らの知る権利を勝ち取った稀有な事例なのになぜか「暇空茜国賠訴訟勝訴」の文字が読めないリベラル
・最近なぜか戦い始めたフェミニストとトランスジェンダー(勝手に戦え!)(もう結果だけ教えろ!)
・天賦人権説を採用しておりあまねく人類に普遍的に存在すると謳っているのに「健常者男性」に対してだけ何故か頑なに人権を認めたがらないリベラル
ビクトリア・アトキンス保健相は、「性」は生物学的なものではなく、流動的なものであり、ジェンダーと同様に社会的な構築物であるという信念の遵守を求めるトランス活動家のようなジェンダー・イデオロギーの支持者に対する画期的な反撃として、NHSの憲法を大幅に変更することを発表した。
NHS憲法は、医療サービスの原則と価値観、患者と職員の法的権利を定めたもので、2015年に最終更新された。少なくとも10年ごとに国務長官によって更新されなければならない。重要なことは、すべてのNHS機関、NHSサービスを提供する民間および第三セクターのプロバイダーは、決定を下す際にこれを考慮することが法律で義務付けられていることである。
新憲章にはこう記されている: "私たちは性を生物学的な性と定義する"
この政府の考え方の転換は新憲法に反映されており、NHS信託はもはや、「胸式育児」や「卵巣を持つ人々」といった表現を使って女性を指すことによって、「トランス・インクルージョン」を追求することはできないと明言している。
学生っぽくていいですね。当方男だけど、メーカーとITの現場を見ている経験からもコメントしとく。
取り敢えず院出るまで待つのがおすすめ。工学系大学院はそれ自体がエンジニア業務のインターンシップであるため、エンジニアの適性を判断するのに有効だから。本当の進路はそこから考えても遅くはない。
20代の数年は問題にならないから。今、各企業はプロパーとしてやっていける優秀な学生の不足に直面しているため、20代を丁寧に扱うようになった。第二新卒などのやり直しにも寛容なのがその証拠。信じられないなら色々ネットを漁ってみましょう。
大企業のお仕事は、大学院ほどのスピード感で進めないし、分業制。人の成長スピードもまったり(ただし、蓄積で力をつける)。
なので、1年や2年でどうこうとはならないんですよ。逆にいうと、1年や2年では上に行けない。原則長期戦。
絶対に大企業の方が良い。今は学生が考える以上に男女平等に厳しく、女だからとか子供作ったからとか、こんな言葉を不用意に言ったら懲戒処分も普通にありうる。この辺のハラスメント管理については、たぶん学生が考える10倍くらい厳しい。
大企業の技術系、特に研究よりの方が色々男女差を意識しなくて済むと思う。男のエリート系の院卒は割と早く結婚相手を見つけるし、今はその流れが加速している(この人の彼氏のように)。という事情で、一般論としては男のエリート技術者は女にガツガツする率は低い。
あと、技術系は身分制があることも知っておきたい。超大企業の内勤系技術系プロパー(研究職とか先進開発職とか)はピラミッドの頂点なので、色々大切にされるし、理不尽なことも少ない。まあまあハードだけど、旧帝院卒カード使ってでも行く価値はある。
逆にいうと文系寄り、営業寄りの方が女性にガンガン来るし、中小になると未婚率が上がって変な人も増えるし、仕事のレベルも低くなりがち。独立なんかしたら、もっともっと自分の想定外の人間と付き合う必要がある。
大企業の方が分業制がきちんとしているので育児との両立は一般にやりやすいし、理解がある。子育てはヒューマンマネジメントとタスクマネジメントの訓練の側面があるので、マネジメント職との相性はそこまで悪くない。子育てのコミットメントを高めたければ仕事の優先順位を下げる必要があるのは当然のことだが、その判断はつまりマネジメントそのもの。
居住地が首都圏で無い可能性が結構ある。地方に拠点を構える企業が多いためだ。これは全国転換のある文系就職でも同じだが、かなり考慮が必要。今の彼氏と同じところに住めなければ結婚、子育てが難しくなる。旦那の転勤や海外駐在についていくか、といった判断も発生する(逆もある)。この点についてはコントロールできないことも多いが時間をかけて考えたい。
はてな匿名ダイアリーでは、特定の人物への言及があった場合、本人からの申し立てがあれば記事は削除される。
たとえば自分のブコメを引用されたり、アカウント名を出されたりした場合でも、運営に報告すれば削除してもらえる。
はてなの規定に準じて、情報の削除および発信者情報の開示を行います。
はてな情報削除ガイドラインで定める通り、特に匿名性を悪用していると考えられる事例については発信者への意見照会を経ずに削除の可否判断を行うことがあります。
なお、はてな匿名ダイアリーの特性に鑑み、特定の人物への言及に対して、言及された当事者より削除の申立があった場合、原則として発信者への意見照会を経ずに削除を行います。
今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。
と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。
元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、
おいしくないものが我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分が料理をするようになった。
ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、
別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活の最初の方は、かなり適当な食生活をしていた。
だから、今回の話は、必ずしも生まれつき料理が好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。
自分で料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、
自分はそもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。
自分で料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。
①節約になる。
②健康になる。
③好きなものが食べられる。
⑦妻に喜ばれる
以下、順番に説明する。
これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊はお金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。
短期的に見れば、確かに一定の初期投資は必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。
料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。
ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理で日本人が使用する食材や調味料のレパートリーは限られている。
また、そのレパートリーを大別すると、
(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜、牛乳、ヨーグルト、など。
(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎ、ジャガイモ、にんじん、ねぎ、にんにく、生姜、昆布、鰹節、味噌、醤油、酒、ワイン、蜂蜜、塩、砂糖、コショウ、その他種々の調味料、など。
となる。
ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオンの場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、
常に一定数以上確保しておくようにすることだ。
(b)の分類の食材が常に冷蔵庫にストックされており、調味料なども揃っていれば、
あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。
肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、
特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料を調達できる。
こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材を無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。
これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。
むしろ、調理済みの惣菜や、飲食店の食事で、一日に必要な野菜の摂取量を十分に確保することは難しい。
調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物が使用されている。
昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品の成分表示を確認するようになった。
具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。
が、実際にコンビニやスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、
加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。
また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、
自炊をする中で、それぞれの分量や性質が自分の体調に与える影響の度合いを、実経験で観測していくことができる。
こうしたPDCAが自炊をしていると自然と回るようになるので、自然とダイエットにもなり、体調管理にもつながっていると思う。
これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。
コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的な選択肢だった。
ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。
また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。
その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。
また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画の凄さだと思う。
誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。
Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか。
上記のように、Youtube動画でちゃんとレシピや工程を確認しながら多くの料理を経験していくことで、料理全般を下支えするセオリーが体感的にわかるようになってくる。
例えば、
・どのようにして旨味を構成するか?
・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?
・なぜこの順序で食材を投入するのか?
など、無数に論点がある。
もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。
「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。
また、それに対する考察が、日常の料理にもフィードバックされるために、自分と家族の食の経験がより豊かなものになっていく。
これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。
これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理や食材は、「人間と自然との強力な接点の一つ」だ。
「サラリーマンは一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」
というようなことを言っていた。
これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、
やはり現実的にはこれはなかなか難しい。
一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。
例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。
また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感を総合的に用いたプロセスを、自然と経験する。
これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。
料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理を提供する必要がある。
・おいしさ
・栄養素
・原材料費
・在庫管理
・洗い物の段取り
これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。
私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般に経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理の管理に活用している部分も色々ある。
こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程を俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。
ここまで色々語っているが、自分が料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。
このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質のアウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。
結局、これが一番大事だ。
よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから、外注した方がいい」などというものがある。
確かに、資本主義の原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。
「自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方そのものを規定する哲学だ」ということだ。
それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。
料理を外注化すること、子育てを外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味を外注化すること。
技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。
原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。
しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。
食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。
まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います。
…
素直にそう思う。
シスプリリピュアってアニメが昔あって、とても独特な構成になっていた。
テレビ放送前提なので一般的にはOP-Aパート-CM-Bパート-EDと構成されているのだけれど、この作品はAパートとBパートが別の作品だった。
Aパート(ストーリーズ)はシスプリ自体のアニメオリジナルストーリーを毎週にわたって展開し、全13回の1クール長編アニメとして構成されていた。
Bパート(キャラクターズ)はシスプリのメインコンテンツである12人の妹を全12回、毎回1人ずつ紹介する短編アニメ集だった。
と上記のように、キャラクタを深堀することに全力を費やしたのが、シスプリリピュアのキャラクターズパートである。
おそらくコストも相当かかってるが「電撃G'sマガジンの紙面企画のメディアミックス」としては最高の出来だった。
まあ昨今は関係性オタクとかも幅を利かせているので向き不向きはあるだろうけど、ソシャゲはこの方式でやってもいいんじゃないかと思うんだけどね。
俺は見る側だから作る方の都合は知らんけども。
肖像権を財産権(パブリシティ権)として考えたらそうなるけど、人格権(プライバシー権)であるともされてるから必ずしもそれだけとは言えないよ。
とはいえ、盗撮罪という罪はないし、正当な理由があれば証拠となる撮影を相手の同意なしに行っても原則違法ではない。
民事で訴えられる可能性は否定できないけど、撮影や画像の利用目的が正当であることが証明できれば、訴えられても別に問題はないよ。
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はてな情報削除ガイドラインで定める通り、特に匿名性を悪用していると考えられる事例については発信者への意見照会を経ずに削除の可否判断を行うことがあります。
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怖いのはわかるんだけど、自分は舌打ちしかできんかったのに、「そして何より性犯罪者を絶対に許さないで欲しい」という結論はなんかもやっとする。「みんな痴漢は警察につきだしてね、私はしないけど」ってことだろうか。
「冤罪を恐れている人はその憎しみを性犯罪者に向けて欲しい」ってところは無理筋だろう。法治主義の原則は推定無罪だよ。
「ちなみに痴漢は自分よりかなり身長が低い男で、更に嫌な気持ちになった。」この一文書く必要あったか。なんか無駄に敵を増やしているだけのような。
「電車を降りたら、その子に「大丈夫でしたか?」と一言声をかけてあげてほしい。」とあるが、実際に男性がそんなことしたらどうせ叩くんじゃないかね。これは女性だけに向けた文章なのかもしれないが。
増田やはてブでなにかあったとき運営に通報すると対応してくれることがある。
意外とその辺の情報がまとまってなかったので、通報のやり方とかを備忘録として残しておく。
はてな匿名ダイアリーでは、特定の人物への言及があった場合、本人からの申し立てがあれば記事は削除される。
たとえば自分のブコメを引用されたり、アカウント名を出されたりした場合でも、運営に報告すれば削除してもらえる。
情報削除・情報開示について
はてなの規定に準じて、情報の削除および発信者情報の開示を行います。
はてな情報削除ガイドラインで定める通り、特に匿名性を悪用していると考えられる事例については発信者への意見照会を経ずに削除の可否判断を行うことがあります。
なお、はてな匿名ダイアリーの特性に鑑み、特定の人物への言及に対して、言及された当事者より削除の申立があった場合、原則として発信者への意見照会を経ずに削除を行います。
また伏せ字にしたり婉曲に書いたりしても、誰について言及しているのか分かる場合は削除される模様。
故にどんな形であれ増田でブコメを晒した時点で削除対象となる。idを省いても無駄。
ちなみに規約違反などで運営によって削除された増田のブクマページはタイトルが「Not Found」になることがある。
https://hatena.zendesk.com/hc/ja/requests/new
「以下の中から該当する内容を選択してください」から「お問い合わせ」を選んだら「詳しい内容」に書き込んで送信するだけ。
詳しい内容→増田で言及されたので当該記事を削除してくださいという旨を書く(記事URLは必須)
スパム増田とか、規約違反行為を推奨する増田とかも通報したあとに記事が消えてることが割とある。
https://hatena.zendesk.com/hc/ja/requests/new
「以下の中から該当する内容を選択してください」から「お問い合わせ」を選んだら「詳しい内容」に書き込んで送信するだけ。
詳しい内容→やってるアカウントについて書く(基本的にはアカウントのURLは必須。ただし非公開ブクマでも通報でBANされる場合がある)
ちなみに増田にはそこそこの頻度でスパムや複垢ブクマが出現するんだけど、これも通報すると対応して貰えることが結構ある。
実際に何度もBANされてるところを見てる。
禁止事項と各種制限措置について
複数のメインアカウントや、サブアカウントで同一のエントリーをブックマークする行為
https://anond.hatelabo.jp/20240508110231
この増田も本当に自演工作してると思うなら試しに通報してみたらいいと思う。
ただし運営側が、「やってる」という判断を下さないとBANはされないので、明確な根拠を書く必要がある。
これは運営ではなくインターネット・ホットラインセンター(https://www.internethotline.jp/)に通報しよう。
殺害予告や犯行予告、自殺をほのめかす投稿を見つけた場合の通報方法を教えてください
はてなでは投稿者の所在を調査することができませんので、まず警察に対して通報をお願いします。はてなに対し警察からの緊急照会がありました際にはプライバシーポリシーに基づき、警察に対して投稿者の情報を開示しますので、結果的に早期の解決につながります。
警視庁では、緊急性のあるものは110番への通報、必ずしも緊急の対応を要しない内容の書き込みを発見した場合には、最寄りの警察署又は都道府県警察サイバー犯罪相談窓口への情報提供を求めています。
参考URL https://www.npa.go.jp/cybersafety/Homepage/homepage3.html
患者の電話制限、カルテに理由記さず 国基準に反する「瑕疵」 鹿児島県立病院 2024/5/8 17:40 産経
https://www.sankei.com/article/20240508-JCZKYCBHUVK7BFFXLNZAP4KBUY/
「鹿児島県立姶良(あいら)病院(姶良市)が国の基準に反し、精神科に入院していた30代男性のカルテに理由を記さず電話利用を制限していたことが8日、病院などへの取材で分かった。男性から人権救済申し立てを受け、鹿児島県弁護士会が昨年10月に適正な運用を求める要望書を送った。病院は取材に「瑕疵(かし)だった」と説明している。
精神保健福祉法に基づき厚生労働相が定める基準は、人権の観点から通信は原則自由とした上で、病状が悪化したり治療効果を妨げたりする場合に限り、制限を認めている。制限した場合は、理由をカルテに記載し、患者や家族らに知らせることを規定している。
要望書によると、男性が入院していた平成27年9月~29年2月、病院は公衆電話使用を終始禁じ、ナースステーション前の電話機利用も一時制限していたとしている」
僕はインターネットが好きです。ちょうど2000年台の初期に初めてインターネットという世界に触れました。学校のパソコン室ではFLASH動画を見ていたし、iモードで繋がった先の掲示板でドラクエのモンスターの交換募集をしていました。トイレではガラケーを開いて前略やらmixiを眺めてました。世代の人ならわかってくれると思います。(iPhone登場前の世界の話をしています。いわゆるインターネット老人会。。)
で、表題について。
別に2000年代前半のインターネットの治安が良かったということを語りたいわけではありません。当時のインターネットの治安は特段良くなかったと思いますし、「荒らし」も大量に湧いていました。ただ、どうも最近は当時とは別の治安の悪さを感じることがあります。インプレゾンビと呼ばれるような、収益目的のアカウント・ポストが急増しています。また、我らがGoogle先生に質問しても、しようもないコンテンツが検索結果のトップに出てきます。
これら事象の嫌だなと感じるところは、そのコンテンツ自体の中身のなさ、不快さとは違うところにあると思っています。それらの投稿は、閲覧している我々に直接向けられておらず、プラットフォームの仕様やSEOのアルゴリズムに対して投稿をしていて、それを我々が見せられているという構図が不快なんですよね。
僕らはゲームのバグや仕様の穴を突くのは好きですが、それをオンラインでやるなという話に似ています。
そんな愚痴をこぼしていたところ、友人がWebサービスを作ってくれました(唐突)。
分かる人向けに超簡単に言うと、和製Redditです。とはいえRedditは日本ではかなりマイナーです。Redditはアメリカ発の掲示板サイトで、アメリカ版2ちゃんねる(5ch)と言われることがあります。
このサイトには、「グルメ」や「美容」などのコミュニティ(≒板)が作られており、ユーザはコミュニティの趣旨に合ったトピック(≒スレッド)をその中に立ち上げて、ほかのユーザとコミュニケーションをとります。
そして、このサービスでは、トピックやコメントを「upvote(いいね)」か、その逆「downvote(よくない)」の形でユーザが投票・評価します。upvoteが多いほど上位表示され、さらに多くの人の目に触れる仕組みです。5chやX(twitter)とは異なる点がここで、このサービスが一番重きを置いているのがこの機能だそうです。
直感的には理解しづらいですが、これはシンプルに、コンテンツを評価するのはあくまでユーザだという原則として機能します。評価アルゴリズム自体にハックしにくくなるので、インプレゾンビは淘汰され、ユーザにとって本当に有益なコンテンツが上位に表示されるという話らしいです。ホントか?って感じですが、アメリカでは今やググるよりRedditで情報収集することも多いとのこと。
その他に面白いなと思った点としては、(X)TwitterやInstagramのように、個人をフォローするのではなくて、コミュニティ(≒板)をフォローするというところです。興味のあるコミュニティをフォローすることで、従来のSNSのように同じ趣味を持っている人をいちいち探してフォローしなくて済みます。新しいサービス使い始めるときにいちいち個人をフォローするのは正直面倒なので助かります。
また、コミュニティがすべてオープンであるという特徴もあるということでした。コミュニティ文化でいうと、日本ではDiscordが主流な気がしますが、Discordと違って全てのコミュニティがオープンになっているため、コミュニティに飛び込む前に様子を伺うことができるという点で異なります。これはコミュニティの参加者とオーナー双方にとって一定のメリットがありそうだなと思いました。
と、いうことで、基本的にはRedditの日本ローカライズ版ということらしいです。
てかそれならRedditでよくない?とも思ったので、実際Redditも使ってみました。たしかに不思議と治安がよかったですが、そもそも「掲示板」サービスを母国語以外で使うって結構ハードルが高い。どうしても話題がアメリカに寄るし、コミュニケーションがむずい。
さらに言えば、日本はSNSに対してのとらえ方が独特で、しばしばガラパゴス化しますよね。その文脈でいえば、英語UIしかなく、英語ユーザが圧倒的多数なRedditではなく、こっちを使ってみるというのも面白そうです。
すっかり後半は友人作のサービスの宣伝ばかりになってしまいました。今はその友人の友人くらいの規模でぽつぽつ活動しているところですが、本家Redditは4億ユーザ超えということで、ポテンシャルはすごいのかも。
興味が向いたらぜひアカウント作ってみてください。
ここで俳句の解説するとボロクソ言われるのが落ちなので、リアルで相談した方がいいよ。
…というのは、俳句は滅茶苦茶コンテクスト(文脈)に依存する芸術だからだ。短歌31文字が対決的な文化(歌合せとか)を成立させてきたように「向き合う他者」に言葉を届ける能力をもつのに対して、俳句は仲間内のような座の中で成立してきたように「コンテクストを共有する仲間」の間で盛り上がるタイプの道具であり、背景となる文化文脈を共有していないことが多い現代社会(特にネット上)では、説明したところで、「そうとは限らないのでは?」みたいな突っ込みが山ほど入るのが目に見えてる。「なんでそう言い切れるの?」「必ずしもそうとは限らない」etc……いやうるせえわ。俳句ってそういうモンなんだから仕方ねえだろ。
それを踏まえた上で、可能な限りの解説をするぞ。長いので暇人向けだ。ちなみに、調べて作者名見て「あー」(嘆息)と声が出そうになってあと調べるのはやめた、から、ほぼ推測のみで書く。まあ、ちょっと古い昭和の俳句だわ、くらいに思いながら聞いてくれ。ちなみに、俺はこの句、一読して「短歌的な俳句だ。それだけに、短歌増田が感心したのは分かる」と感じた。俺自身は、こういう俳句は作らないと思う。理由は後述する。
「ここで昼餉(ここでひるげ)」
初手から6字で字余りだ。字余りについては今更説明しないが、基本的にはあんまりやらない。なぜなら、基本的にはリズムを壊したり重たくしたりしてしまうからだ。わずか17字でつくる詩で、およそ1/3のリズムが崩れかねないというのは、かなりオソロシイことだ。逆に言えば「その危険を押してでもやりたい」と作者が判断したときだけ、リスクを背負ってやる。素人にはあまりお勧めしない手法だ。さて、作者はわざわざ字余りをして、「さあ、この辺(の場所)で昼飯にしようかな」というメッセージを伝えているわけだ。何とも人を食った話だが、昼飯の場所が決まっていないということはこの人が日常の中にいるわけではないことを暗示してる。まあ、単に定年で暇になって毎日あちこちの公園やらデパートやらで飯を食ってる爺さんという可能性もゼロではないが、後で出てくる夏という季節にそんなことをする爺さんもあまりいないだろうから、ここで作者はそれなりに若く、夏の最中に野山を歩き回っていると推測される。これで一気に「作者の年齢、場所、状況」に関する情報が得られるのだから、字余り使った値打はあると言えばあるが、それ以上に作者がここであえて句のリズムをもったり重たくさせたのは、「いい年したおっさんが夏の昼間にハイキングしてる」という「のんびり感」を演出しようとしたためであるかもしれない、とも推測される。その意味では、この初句、のんびりして見えて人を食ったような、それでいて計算もあるやり手の初句だ。ちなみに、この初句、体言止めで切れる。俳句はやはりどこかで「切れる」ことが推奨されるが、それは句の焦点をはっきりさせるためだ。句切れの前に焦点があるか、後にあるかはケースバイケースだとしても。
ただ、それにしても「ここ」が山とか自然の中、は分かったが、どんな場所なのか、また、ここで昼飯にしようと思ったのはなぜか、作者はいまどんな気分なのか、とかは分からない。それは、続く部分で種明かしされる。(よって、ここでは句切れの後、つまり「種明かし」パートが句の焦点だと考えられる。)
「真赤な夏の/花佇つゆゑ」
最後に「ゆゑ(故=理由)」とあるが、普通に考えたらこれまた俳句では普通やらないおきて破りである。句の中でこういう「理由の明示」みたいなこと、ダメだろ普通。なぜかというと、基本的にカッコ悪いからだ。たとえば「閑けさや岩にしみいる蝉の声」を、「蝉の声岩に染むゆえ閑かなり」とかやったら、なんかいろいろ台無しだろう? ネタ晴らしというかなんというか、たとえそういう意図を込めていたとしても、言わずにそこを感じさせて感心させるところがさあ、まあ句の仕掛けなんだから、答え言っちゃったらもう何かダメじゃね?とふつうはまあ思うんだよ。でもこの句はもう少し進化した句で、理由を言っちゃった上で「え?それが理由になるん?」と読み手に突っ込ませることを狙った作品なのだな。突っ込みさせた上で、「え……理由…?………になるんか、…ならんこともないか、うーん、なるほど」みたいな。最初ののんびり路線がここで効いてくるわけだ。作者は「それが理由なん?」という突っ込みに対して"のんびり"という姿勢をとることで「それが理由ですが、何か?」と返してきているわけだ。そうやって自信満々に言われるとなんかこっちが間違ってる気もするし、そう言い切られたらそうかなあ、と少し納得感がないでもない……と思わされた時点でもう作者の術中に落ちているのだ。この作戦、小難しく解釈しようとする人であればあるほどハマる。
もっとも、そういう、突っ込みさせつつセルフ納得もできる「微妙な線」を狙うのはなかなか難しい。だから、それを実現させるために作者は2つほど仕掛けをしてる。
一つは「真っ赤な夏の花」だ。これ、普通なら夏に咲くその花の名前を入れる部分だよな。たとえば朝顔ならアサガオ、向日葵ならヒマワリ……だいたい花の和名なんてそんな長いものじゃない。少なくともただ花それ自体を指すのに9字も使うのって、俳句始めたての人の句なら真っ先に直されそうな部分だ。でも、その上でだ。聞いてみるけど、この花何だろうな? 日本の、ハイキングで行くような野山に、真夏に「真っ赤」な花なんて咲いてるか? あとで「たつ」という言葉がある以上、人の背丈程度には高さがあってすっと伸びた草花だ。さて何だろう? 作者の答えは「知らん!」だよ。知らないから「真っ赤な夏の花」なのだ。おいおい、そりゃねえだろ、と読者に突っ込ませておいて、そこで作者はぬけぬけと「だからここで飯にするんだ、悪いか?(ニヤリ」とやってくるわけだ。無責任に適当にやってるように見せながら計算もあり、でも基本的に楽天的で天衣無縫な語り口の句だ。それが初句の「のんびり」加減と相まって、この句に独特の雰囲気を醸し出していることは否定できない。なんだったらここで笑い出しちゃうような面白みがある。
二つ目は「佇つ」だ。学のある人をこれで引っ掛けようという腹だ。この字、音数から考えれば「たつ」と読ませているのだろう。だがこの字に原則として「たつ」の読みはない(少なくとも家にある広漢和辞典(全四巻)でみる限りはない)。一般的な読みは「たたずむ」で、じーっと立っている、という意味だ。「たつ」に宛てたのは、その意味を合わせて感じさせたかったからであろう。花はいつまでもじーっと立っているのだから、人間が「立つ」のと同じ字でない方がいいんじゃありませんか、というか、「佇む」には途方に暮れて立ち止まる、みたいなニュアンスも漂う。何か、その夏の花が所在なくじっと立っているので、仕方なくしばしのひと時を一緒に過ごす、みたいな感じだ。なんだろう、ひょっとしてこの「真っ赤な夏の花」というのは、山道を歩く途中で一緒になった、真っ赤なサマードレスを着た女性か何かの比喩なんではないだろうか、みたいな、そんなちょっと色気みたいな解釈・深読みが(実際、俳句読みはその手の暗喩、創作をよくやる)この「佇」一字から立ち上ってくるのである。そうなると、花の名前が特定できなかったことも、何だかそのための仕掛けであるようにすら見えてきて、うーん、と悩まされるのだ。当然、そこまで考えての、このルール違反の用字である。
結果、山歩きの途中花の下で飯食うかあ、というだけの句が、俄然ストーリー性、物語性、ロマンスの色彩まで帯びてくる。が、もちろん現実にはそんなことはないのであって、実際ただ飯をくっただけなんですけどねー、という緩い種明かし(そもそもそんなロマンスが勃発したら俳句なぞ作っている暇はないので)を前提に、その幻想を楽しむ、そんな句ということに落ち着くわけだ。
そんな風に、この俳句はなかなか外連味(けれんみ)のある、仕掛けとイメージてんこ盛り、物語調の俳句で、実に面白いと言えば面白い、一般的な俳句の目指すところとはちょっと外れた句だ。一般的に俳句はもっと、瞬間的、即物的、断片的に風景を切り取るのが基本なので、まあ普通は「季語+感情」でつくるとこから始めるのが適切だろう。この句も、山道で赤い花に出会った瞬間の感情を句にしてると言えなくもないが、それにしてはいろいろな仕掛けが人を食っていて、また、無用に物語調で独特だ。一般的な俳句なら、たとえば「握り飯ハイビスカスの色に染む」とかでいいわけだが、この句はその瞬間の風景以上に、遊び、のんびり感、山道を歩いてきてよいしょと腰を下ろすそのしぐさ…からああ花がきれいだな、という一連の感情を全てこの一句に込めようとしてるのだ。これを17字でやるのは、本来かなり無理筋なので、普通はもうちょっとワンショットに切り分けようとしたりするか、あきらめて短歌にいくかするだろう。その無理をやってる(そして、そこそこ成功もしてる)のがこの句の面白いところで、たぶん短歌増田が感心したところなんじゃないか。
まあ、こういう句、狙って作るのはなかなか難しい(ちなみにこの作者・中村草田男は、こういうのをやたら作るのだが、ひどい失敗も多いので有名な人だ)。そういう意味でも、まあなかなかない句ではあると思う。あと、何も知らずにいろいろ書き飛ばしたので、もっと知ってる人から突っ込み入れてもらえたら感謝する。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、いずれもアブラハムを共通の祖とする一神教であり、それぞれが独自の歴史的経緯と教義を持っています。
ユダヤ教は紀元前13世紀頃、預言者モーセによって確立されたとされ、旧約聖書に記された神との契約に基づく宗教です。
キリスト教は1世紀にイエス・キリストの教えに基づいて生まれ、新約聖書に記されたイエスの生涯と教えが中心です。
イスラム教は7世紀に預言者ムハンマドによって創始され、コーランに記されたアッラーの啓示が中心となっています。
カトリック教会は、初期キリスト教会から発展し、ローマ帝国の公認宗教となった後、西ヨーロッパで中心的な役割を果たしてきました。
しかし、16世紀になると、教会の腐敗や聖書解釈に対する異議が高まり、マルティン・ルターによって宗教改革が起こされます。
ルターは「信仰のみ」「聖書のみ」「万人の司祭職」という原則を掲げ、これに賛同した人々がプロテスタントと呼ばれるようになりました。
ルターの宗教改革は、カトリック教会からの独立と新しい教義の確立をもたらし、プロテスタントの多くの派が生まれるきっかけとなりました。
プロテスタントの中でも、ジャン・カルヴァンの教えは特に影響力があり、彼の予定説や職業倫理は商工業者に受け入れられ、西ヨーロッパの経済発展にも寄与しました。