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2024-05-18

anond:20240517190423

なんで高校の時と比べるんだよ、

こっちは土木建築系の技術者全然足りてなくて60代以上の爺さん無理やり働かせてるくらいなんだぞ

土木系は身体動かす仕事みえるかもだけど、肉体労働じゃなくCADだったりスケジュール管理とかの事務雑務する仕事いっぱいあるよ。

20代大卒とかは高給だす大手に取られちゃうし3年くらいかけて実績と資格撮ったら転職とか独立されちゃうから、中くらいのゼネコンとか狙い目だよ。

会社お金資格とらせてくれるし、転勤気にしないなら家も用意してくれるし。

2024-05-17

anond:20240517211456

ファリンは城に定住せずウロついてそうにみえるが…

https://anond.hatelabo.jp/20240517055322

   志村消防署技術吏員なのに俺にとって何のメリットもないクソゴミ。 延岡消防署の3階の警防課技術吏員は、門川市のホテルに、みほを出すような装置を見返りとして制作したように

  みえるがなんの役にも立たないな。お前が俺にとって何のメリットがあるんだよ。がちで何もいいところがないごみだな。それに俺が住んでいるアパート点検をした消防司令補点検日が30年前で

  もう退職してるだろ糞。

2024-05-16

地方議会首長ガチンコ勝負」という幻想

議会との対立を鮮明にして泥仕合を繰り広げた安芸高田市長東京都知事選出馬するということで話題になっている。

この市長は、議会との論戦を志向していたようだが、本邦の地方議会二元代表制は残念ながらそういった方向には適していない。

議会との調整」の意味

議員リソース不足

当然ながら、首長はその自治体職員を駆使して議会に向けた調査研究を行う。対して地方議員は、多少の政務活動費こそあれど国会議員と異なり公設秘書はおらず、秘書を雇えるような収入が確保できる議員は限られる。自治体業務は広範で、議会に諮られる案件産業振興、厚生、文化教育など多岐に渡る。これらの内容を議員やその支持者の少数で調査し、理解し、疑問点を整理しなれけばならない。加えて、議案説明会は上程日の1週間前が相場である時間も足りない。

なお、議員から条例の制定などの提案可能だが、その場合は一層の調査研究必要なのは言うまでもない。

それは本当にガチンコなのか?

先述のとおり議員側には方方のリソースが不足しているため、特に首長政策的な面が強い案件については、突然議会に諮られても賛否以前の問題なのが現状である。そこで、議案説明会の前に、政策の内容を議員説明し、質疑応答などを経る「調整」「根回し」というものが行われる。これを馴れ合い忌避する人もいるが、議員側に事前知識がなければ議会で実のあるやりとりはできない。

「初歩的な部分を質問せざるを得なくして首長マウントをとる」「事前に言われれば簡単に用意できた内容を不意打ちで質問して議員が勝ち誇る」といった展開は、果たして議論として称揚に値するものなのだろうか。

対等のようにみえ首長優勢な権限

チェックアンドバランスということで、議会首長は対等のように見えるが、一概にそうともいえない。かつての阿久根市での暴挙一定の枷はついたが、専決処分は依然として強力であり、再議も可能首長不信任決議は逆に議会解散させることもできる。

根回しを不要とするためには

首長議会権限の差は置くとして、まずは議員リソース強化に尽きる。時間的な面では議案説明会から議会への上程までの期間を空けることも一考だが、首長側のスケジュールタイトになる。政務活動費報酬の増はわかりやすい例だが、賛同する人は少ないかもしれない。住民を巻き込むという点では、議会広報などによる発信強化も面白いところだ。

なお、件のガチンコ志向安芸高田市長にあっては、議会広報予算カットした予算を提出、議会が当該部分を復活させた修正予算を可決したことでやっぱり揉めていることを申し添えておく。

そもそもとして別に勝負ではない

議会首長ガチンコ勝負というのは昨今の政治エンタメ化の文脈では受けるかもしれない。しかし、国と異なり地方二元代表制で、議員首長市民が直接選んだ代表である。それぞれがそれぞれの民意を反映している。この中で必要なのは、各々の背負った民意をすり合わせて着地点を探ることである。一方の民意が他方の民意を足蹴にする様で快哉を叫ぶのはよく考えた方がいい。自分民意が足蹴にされないとも限らないのだから

2024-05-15

父親になるってことが何なのかわかっていなかった

最近になって、妻といる時間が苦しく思うことが増えた。私はまだ30代だけど、妻とは人生の半分以上を一緒に過ごしてきたので相応に理解しているつもりだった。

もちろん、相手のことが手に取るようにわかるわけではなく、積み上げた経験によって、どんな入力がきたらどんな出力を返すのか、相手の振る舞いを推測できる精度が高いだけにすぎないのだが。

転機はやはり子供ができたことだと思う。お互いに、それによって心境の変化があったわけではないけれど、過ごす時間の大部分を子供に取られるようにはなった。

断っておくと、それ自体苦痛な訳ではない。私は分類としての子供というものが好きではないけれど、自分の子供まで苦手、というわけではないのは自分安心したところだ。

全く言葉も何も通じたものではないし、言うことも聞いちゃくれないんだけど、よく懐いてくれているし、可愛らしさもある。

私はこの居心地の悪さのような苦痛がどこから来るものなのか、最初はよくわからなかった。

機嫌の悪そうにみえる妻が怖いのか、子育て領域にそこまでの貢献ができていないことへの申し訳なさがそうさせているのか。

結論からいうと、妻の私への対応が変わってきたことにあるんだと感じている。

そしてそれは、きっとどうしようもないことで、彼女の余裕を育児が奪ってしまっているんだろう。

まだ赤ちゃんの子供と2人で過ごしてみたらわかることだが、本当に手間がかかる。寝ている時間のなんと穏やかなことか。

離乳食のためのスプーンは弾き飛ばすし、危険なところに自ら向かって行くし、まだ立てないのに両手をいきなり離して転がるし、風呂で泳ごうと試みて沈みそうになるし、突然吐くし、理解できない。こんなのを相手にしていればそれはもう疲弊するに違いないのだ。

余裕のない人間コミュニケーションは、可能な限り効率化される。

無駄なことは言わないし、議論は直接的だし、表情は硬い。

視野が狭まるので、相手の悪いところばかり目に入るし、いいところは見えなくなって行く。

普段の会話はなくなるし、味気ないものになって行く。

今の私は率直に言って妻が苦手になってしまった。その日の機嫌によって対応がころころと変わり、最悪なときは何を話しかけてもろくな返答は帰ってこない。

仕方のないことだ、余裕がなく、疲れているのであれば仕方がない。それがわかっていても心は疲労する。

育児というタスクに対して、私の貢献度は限定的だ。なので妻もそれほど私に期待はしていない。

保育園に送ることを除けば、他の育児に参加できるかは業務状況に左右されるため、妻は最初からほとんどの育児自分タスクとして捉えてしまっているんだろう。

そこに分けるという発想はもうない。コミュニケーションを取って分けるより、足りないところを教えるより、自分でやった方が早いからだ。

そこに下手に歩み寄っても断られるだけだし、何か落ち度があったらため息も出てくる。私はその度にすり減っていく。

自覚していたことだが、私は妻に強く依存していたし、妻は私に強く依存していた。いわゆる共依存

健全関係かと言われると疑問ではあるが、そうして生きてきた。

ここにきて、妻は私への精神的な依存から脱却し、母親として自立しようとしているのかもしれない。

私にはそれはとても寂しいことだけれど、やはり母親になるということは特別ものなのだと感じる。

元来、私自身妻のために生きてきた。(ここからすでに妻に依存している)

自分には経営やら営業の才能はなかったので、一点に振り切りつつも、その分野の勉強を続けたことで、幸いにも年収だけはそれなりに高く、同年代平均年収の倍以上はある。

でもそれは、資本主義のこの日本で暮らすには、ある程度の資金があった方が良いと思った結果に過ぎず、結局のところ妻が幸せになったらいいなという動機しかない。

ほとんどのことを妻のためになるか、喜んでくれるだろうか、と生きてきた自分にはほとんど自己欲求というものが欠如していた。

求められて、応えていれば上手く生きられている気がしていた。

人間というのは現金もので、無報酬な行動を繰り返せるほど高尚にはできてない。

相手が喜ぶなりのリアクションを返してくれるからそそういった行動をとれるわけで、そこが塩対応になってくると苦痛になってくるのは当たり前のことだった。

結果的に、われながら極端な話だと思うが、私はもう生きていることが辛くなってきている。

私が父親として自立しなければならないのだと思う。子どものためを思えば当たり前のことだ。

けれども、子供のために生きられるかというと自分はどうやらそこまでの熱量がないらしい。

生命保険がいくつかかかっているので、何かしらいい感じに死ねたら楽なのだが、と思うけれど、なかなかそんなことにはならない。

車でバカ単独事故死をしたら生命保険っておりるものなのかと考えた。

客観的に見ると、完全にメンヘラヤンデレ対応で笑うしかないのだが、これが精神依存真骨頂と言えるだろう。自分の不調を改善するために、自らを盾にして相手コントロールしようとするのはとても良くない。

けれども、自分が死んだとき、妻に悲しく思ってもらえなかったらと思うとゾッとするので、今のうちに死んでしまいたい気持ちがあるのは事実だ。

私はそれを冷たく理性で抑えつつ、次の環境の変化を期待して生きて行くのしかないのかもしれない。

いずれにせよ、核家族共働き子供ができるというのは大変なことだったということだ。

子供は出来合いの離乳食もよく食べてくれるし、病気がちでもないし、人見知りも少ないのにたくさん時間を持って行く。まぁ甘えん坊ではあると思うけど、恋人という関係で過ごす時間を根こそぎもっていく。

そういう期間が数年はあることは覚悟しなければならないことだった。

最後

こうして、何かしらの形で出力しないと自分気持ちに整理がつかなかった。

端的に言えば私は子供と妻の取り合いをしているのかもしれない。

今までよく理解していなかった、シャア・アズナブル迷言が頭をよぎる。

たとえ妻の一番が子供になったとしても、私にとっての一番はずっと妻のままだ。

その気持ちに嘘はないし、ちょっと辛さがあるにしても、毎日一緒にいられる。

一分一秒でも一緒にいる時間が欲しかった頃からしたら考えられないことだ。

から、、どうしたらいいかはわからないが、めげずに頑張ろう…。

anond:20240515233444

ちゃん勉強してみえるようになったんだね

偉い偉い☺️

女性を試しても何も出ないよ」

注目エントリの「女性を試して何も問題ないよ」がそうみえしかたがない

anond:20240515194947

これパッと見、トイレットペーパーを黙って補充しとくがスマートな令和風夫にみえて、実は妻に文句言う方が正解だよな。まさに。

本当の意味男女平等女性を扱っているのなら、女の担当家事責任を男が奪取するのはおかしい。

優しくクレームをいれて、責任果たしてもらうのが◯

anond:20240515195515

俺としてはこっちの問題の方が難しい。

ってか助けても見捨ててもトラウマになるビジョンしかみえなくて泣く。

大人男性に成れなかった。

anond:20240514223818

うまいこと言うつもりなんじゃなくて普通に同じ穴の狢にみえるっ指摘だろうよ

ワイもそう思うもの

2024-05-13

日本維新の会吉村が0歳児への選挙権付与公約にと言い出した。

成人まで親権者代理権をもって投票するということのようだ。

ヘンなことを主張し出したようにもみえるけれども、

基本的に賛成かな。

0歳~小学生くらいはともかくとして、中学生高校生ともなれば親に対してどういう投票行動をしてほしいかを伝えることができる。

最終決定は親権者だとしても、そういうコミュニケーションができるようになるということそれ自体が大切だと思う。

事実上世帯としての投票となる傾向が強いと想定されるため、世代間格差など投票バランス問題解決寄与する。

子育て世帯の声がより政策に反映されやすくなる。

そもそも持続可能な開発理念にかなっている。

公共インフラ投資都市計画や保健福祉政策などさまざまな政策決定の受益者の多くは将来世代だ。

まあ吉村維新も全く評価していないのだけどね。

これは悪いアイデアではないと思う。

anond:20240513153014

ア゛ㄘア゛ン!ア゛ンア゛ン!(まる犬のΨΨ) ザラザラΨΨをれろΜΜΜ うん最高ガンコ!!111ㅤ Ψ おΨΨΨを、ま○こに、ぶち込快楽極致へΨ *ムッキュッ!* ドピュッ!💥💥💥ザーメン噴火Θ ギモチア゛ッチャッタ…タ-ラ-ナ-イ-モ… パイパイレーイパパイ乳チーッチΨチッチッチッズオォΨ おっぱいΨΨE Ψ ま○こΨΨE = 我慢のΨΨΨΨΨ! ウァァ!!れモイッチャウゥゥゥ!!!ウウウΨΨΨΨΨゥゥゥゥゥゥゥゥΨΨΨΨΨΨΨ!イィィΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨ!! *デカいおめΨΨを恵んでくれ?* *カプチーノΨΨ*… 先っぽΨ侵入してきやがるΨ… い、い~くぅイクイクイクイクイΨお゛ぉおおおおおおΨΨぉおおおおおぉイグゥゥゥΨΨΨ… 最高脳汁ブシャー…出力をΨΨ… アチャー!*(ハイってやるΨ)* ヂャッヴァ゛ァ゛ァΨァ゛ァ゛!!!ドクドク精子放出ΨΨ! 太いシーチキンをブチ込みえ…(太いΨΨΨを挿入たいΨ) まこΨ奥底まで届くおΨΨロックオン*(ま○Ψ最奥部まで)* *ウゥンそこ*...ズボズボ突いてΨ*エヘァアンアァァァ*!! もう無理…*チΨコ千切れるΨΨ*… おΨΨΨΨ欲しいΨΨ… ペロペΨ👅👅めまくりてえΨ 快楽Ψ悶えてお尻ヒクヒクしゃってるΨΨ(?) *完全勃起チタン合金おめΨΨ*(カチカチ…デΨい…おΨΨ) ニンニンニΨニンニΨ… おっぱいΨ寂しがっΨるぜΨ… 気持ちよく、挿入してΨΨΨ しゃぶΨTIME…しゃぶりTIME…(しゃぶりΨい…しゃぶりたい…) ンキモチΨΨ! *ジャッ!ギー!チェンッ!ジャッ!キー!チΨッ!リズミカルな腰振り!* ケツΨ穴がひくひくしてやがるぜΨ… おっぱいもみもみパラダイΨ *ヒャシンスΨ香り!* *おΨΨΨしゃべらせてεεεε…?*(おΨΨしゃぶらせてεΨΨΨ…?) いっぱい搾精したいガラム汁だらけΨ ズブズブΨ入れΨれてえ~ あΨ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁΨΨぁぁぁぁぁ~ オッパイ・ゲドΨ ぷΨもえんぐえげぎωφζξおんもえΨょっΣεχιそ! *ハァハァ!!ケモノと化したΨΨΨ!!ま○こΨ中でΘΘΨEasy Peasy!* *てっ↑Ψっ↑てっ↑* いっぱいいっぱいゆうじろうΨ入してΨ(中でいっぱいいっぱいΘΘまわってやがる…) ケツΨ奥までぶち込んでΨれえ… あ~…ヒクヒクしてやるΨ… *テュルルリンΨ*♪ イクイクイクイクイク!*いっちゃうよお!イグゥ!* 快楽地獄に落としΨくりー *オーマンマミアマンマΨア* あ~い~ちΨΨΨΨΨΨΨ! ま○この中Ψヌルヌルでモコモコしてやがる *脳がトロけるくらい気持ちえ~* ま○この日記帳にΨ録しまうぜ アイ~ン…シコシコシコ *あぁ^~ๆะเศษติเมนตัลな射精ぅ^~* ム-ア!*ガマン汁がΨれ出しまう* ま○こに、ブチ込んでΨ、快楽の坩堝とΨせ! *ま○こがもうΨ慢できねえ*…

2024-05-12

anond:20240510163027

私も旧帝工学部修士卒です。正社員として現在まで10年以上働いています (IT系職種です)。中小企業にもメーカーにも在籍経験がありますし、結婚出産もしています配偶者フルタイムで働いています。偉そうにみえたら大変申し訳ありませんが、あなたの書いた内容に、個人的には違和感のある点がいくつかあり、コメントさせてください。

あなた大学入学後に感じたことに共感します。実は私も講義に出づらくなり、専攻推薦を受ける自信を最初からなくし、新卒では自由応募で中小企業就職しました。ただその後転職し、メーカーなどを経験しています。その上で、やはり一般大企業の方が労働時間面も給与面も条件がよいとは思います特にメーカーというかいわゆる日系大手企業には、扶養手当や住宅手当が手厚く、家庭をもつ社員が多い企業も多くあると思います (手当については、夫婦のうち収入が大きい方という支給条件が多いことに留意)。手当の他に育児のための特別休暇を設ける企業もありますが、いくら休めても自分だけ休んだら落ちこぼれるだけなので、個人的にはそもそも有給日数の方が重要だと思います中小企業については、色々な企業ありすぎて何ともいえません。行政書士はわかりません。家庭と両立しやすかったら教えてください。

大切だと思うのは、推薦にせよ自由応募にせよ、面接で「御社で何をしたい」と語れるくらいには、各企業が何をしているのかを調べ、そこで自分が何をしたいのか考え、その根拠自分経験に照らして説得力があるように言えるようにして選考に臨むことだと思います。私は新卒とき志望度が高い企業に悉く不採用になったのですが、旧帝大であることに慢心していたのか、業界企業比較調査が甘かったと思います。想定していた業界内定が出ないこともあるかもしれないので、理系院卒カードを捨てるとか捨てないとかいう以前に、広く検討した方がよいとは思います (現在リーマンショック当時より売り手市場ではあるでしょうが……)。信頼をおいて就職活動相談ができる同期や先輩の女性があまりに少ない/いないという点では、理工系女性が苦しいということに大いに同意します。

ただ、あなたの「理工系女性は苦しみを味わう」という主張については、家庭をもつことを前提にしているのもさておき、男性に対しても理工系でない女性に対しても理工系女性に対しても決めつけが大きいので、もっともらしいのか判断できません (私は学力が低い学生が混ざることで現場教員負担が増えるなら女子枠に反対ではあります)。

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

     単なる感想であって客観的にどのようにやっているかは分からないが、 地域交番センターにずりあがってくるオレタチリモコンで、 14階の裁判官の妻の女に命令して、何らかの装置で、

  4階の4人くらいの稚児が浮き出てくるところに、うにょ~んと言わせるようにしているだけではないかと思う。それだけを見ると可愛いようにみえるが、大声にて、極めて悪質、であると叫ぶと、

   同じような階層にいる今度は別の爺が浮き上がってきて、こっちをみるといったような感じ。  その現象漠然認識したというだけで、それが何であるかということを理解することは困難であろうと思う。

   現に 向こうの方でこっちをみている者にしても、向こう岸の者の頭の中でそもそも理解が成立していないのではないかとは分かっていても言わないのだろう。

高い身長でひたすらダンクシュートを決めて粋がってるだけにしかみえない

最近カードゲームって一般大衆に完全に受け入れられた感が強い

遊戯王界隈の品性のなさを含まない

ここ数年はTCG界隈が激変した気がする

ポケカまさかの台頭、様々な古参カードデジタル化の促進、新規カードゲーム跋扈

特に新規ワンピースドラゴンボールといった、何度目かというカードゲーム化なんだけど、どうやら新規プレイヤー層を獲得しているらしい

遊戯王ラッシュデュエル鳴かず飛ばずなのを横目に、最近ワンピースポケカを取り扱ってはいもののが増えている

そこにまた色んなコンテンツが参入していて、ちょっと話題になったのは名探偵コナンだろうか

基本的子供向けか汚いオタク向けだったカードゲームが、最近特に普通の人に受け入れられている土壌が確立しつつあって、それは界隈も感じているらしい

別にカードゲームなんてMtGの頃からまれては消えをずっと繰り返してきているか新規ゲームが出るのは不思議じゃない

問題遊戯王みたいな昔からやっている人だけしかいないゲーム以外がにぎわっていること

古参オタばっかりだったTCG界隈にちゃんとまともな人が増えている

逆に古参ゲームが歪で腐った人で成り立っているのが随分露呈しちゃっているけど

なぜ今になってワンピースカードが受け入れられているのかわからないけど、企業戦略が実った結果なんだろうね


残念なのは遊戯王とかが全然元気じゃないこと

ゲーム性が終わっているのは15年前からだけど、今の遊戯王特にTCGという皮をかぶった新規お断りのブン回しゲームになりはてている

フォーマットも全部使えるスタンダード以外に存在しないし競技性だけが重視されていて新規が入るスキが本当にない

あとコレクション性という観点がそんなに魅力的じゃない

ブルーアイズとか誰でも知っているカードばっかりが再録されているし、肝心のイラストも25年前からあんまり変わっていない

近年のカードゲームイラスト方面に力を入れているのに対して、遊戯王ってぱっとみて「古臭くてダサくて幼稚」にみえるんだよ

ヴァンガードみたいな全面美麗イラストが当たり前になった時代に、あの古臭い茶色の枠を「きれい」と言えるのは相当遊戯王に毒されていないと出てこない

アニメイラストを求めるなら他のゲームの方がずっといいしね

アニメ自体もやっていないか遊戯王古参濃度はずっと横ばいのまま

新規MDによって支えられているけど流出が酷いからな

あと臭い

MtGは逆に1種類のカードイラスト違いが時に5種類以上でることもざらで、フォーマットも多すぎるから中古買取店が撤退しているという状況に陥ってる

とくにアメリカ大手中古買い取り業者MtGから撤退したのは大打撃だったと思う

それにともなってやたら高額パックがでてくるし、ポケモン並みの面倒なヴァージョン違いを出してきたりと、マジできちんとユーザーに広める努力していないだろうってのが今の印象

なので取扱店舗も少なくなっているし、単にパックを買うという行為事態日本を含めてやりづらくなっている

加えてポリコレ意識しているのがまるわかりで萎えるし、最近日本語パックは誤字脱字やイラスト盗作が頻発していてマジで製品管理に致命的な問題を抱えている

まあ基本的にWoCとその親会社がすべて悪い



そういった悪い例をきちんと開発に取り込んで発売した後続カードゲームがいまかなりにぎわっているのはいいことだよね

から古参カードゲームも見習ってほしい

2024-05-11

  メゾンときわ台 の状況  駐輪場つきのアパートが魅力のこじんまりとした4階建て  知能指数維持の観点上、自演者が出ていることが多い。

    具体的事実状況  駐輪場カッターが置いている。  入口玄関のドアが半開きなど、仄めかしが多い。 カッターみえるような巻き尺が放置してあったのは令和5年11月?

  村山マンション場合   小さい包丁が置いてあったが、佳代子が回収した   令和元年10月

    202号室居住者     令和4年9月   和光晴生風の、もどき

                 令和5年5月   赤ちゃんのような太った男、ニート風  →   金光裕鳳にメールスマホの音声を添付して通報したクソガキ

                 令和6年1月9日  熊谷雄市風の70代男性と、 女性が一緒に住んでいる

                 令和6年5月10日   アメリカ人と、イスラム人風の女性が一緒に住んでいる  玄関は散らかっている

                            ※  20時30分には泥睡眠しており、チャイムを鳴らすと機嫌が悪そうに出て来る。

                           

2024-05-10

女子枠なんかクソくらえ 現役旧帝理工系女子より

旧帝大工学部機械B4女子

東工大やら京大、軒並み女子枠の設置が相次いでいる。Twitterではもっぱら「バカな女に下駄をはかせるな」と盛り上がってるが、自分は別の視点から女子枠に大反対。女子枠なんてクソくらえ。

争点は大学入試ではなくその後のキャリア。いわゆるメーカーにいくか、どうするか、大変なやんでいる。

プロフィール

自分地方公立進学校→旧帝工学部機械B4。INTJ。つきあって3年の彼氏がいる。(ここではとりあえずこの人と結婚する前提で話がすすんでます

(1)メーカー就職する場合

弊専攻機械には大量の推薦もあり、多くの人が推薦を使ってトヨタダイキンやパナに就職。けど、女子メーカー技術職?それが幸せとは到底思えない。

子供をもうけるとなった場合産休育休は必須妊娠したら、大切なプロジェクト重要ポジションには就かせてもらえないだろうね、男は産休取らないから、そっちに任せるのが合理的。育休からかえってきたら、後輩が上司になっていたりして。復職後も保育園からの呼び出し、小学校の参観などで有給をすり減らせて育児上司は全員おじさん、同期もほぼ男。みんな子供の世話は奥さんがやってくれるもんね、迎えにいかなくていいんだ。それを60歳まで?いくら安定性のあるメーカー勤務でも幸せとは思えない。

男は10頑張ればよいところを、女は20頑張らなければ同じ土俵に立てない。メーカー就職することは、その壁を確認しにいく作業にすぎない。

(2)文系就職する場合

こっちは就活のもの問題

就活の早期化で、就活は3回生の春からが基本になってきてる。院生修士で修了する場合修士1年で就活開始。正気か?同研究室の1つ上の先輩を見ている限りは到底無理。大学院の大量の講義を受けながら実験・成果報告。仕送りだけではまったく暮らせないのでアルバイト必須。その時間で大量のESWebテストを受けてインターンに行き、私立文系学生と対等に戦えるのか。いずれにしてもいばらの道である

(3)キャリアあきらめ、子供を産むと同時に退職専業主婦orパート

中高6年を学業に費やし、大学6年間のレポート実験卒論を乗り越えて、主婦努力をみずから無碍にするようなまねはしたくない。

いまの彼氏結婚した場合旦那メーカー自分パート。同じ大学を出て、同じように勉強して、旦那年収1000万、自分レジ打ちで100万。うつ病になりそうだ

(1)~(3)のいずれも、「頑張ればいいじゃないか」といえばその通りだ。男に負けないよう2倍がんばれば済むし、私立文系と対等に戦うために睡眠時間を削ってESをかけばいい。自分気持ちに蓋をしてレジ打ちもできる。ただ、男はそこの心配がいらないじゃないか自分が男だったら、迷わず大学推薦で就活してメーカー就職する。心底うらやましい。

勉強して高学歴になったのが間違いだったのか。がんばって勉強して、がんばって就職しても、旦那海外駐在がきまったらどうなる?地方転勤には帯同するのか?生まれ子供身体障害があったら?小学生不登校になったらどうする?

高卒でこどもを産んで専業主婦をしている地元の友人がうらやましい。高学歴になってみえたのは女の頑張れる限界妊娠しなくても親になれる性別に囲まれて働くことの難しさ。そんなもの見えないほうがよっぽど幸せである

高校では男ばかりの物理の授業を受け、男ばかりの入試を受けた自分を、少し誇らしく思っていた時期もある。自分は男勝りだと。物理数学が好きで、よくできる自分は特異なものだと。なんなら、数3と物理を捨てて看護系に進む同級生を少し下に見ていた。

蓋を開ければ一切その気持ち払拭された。医療系に進んだ彼女たちが正解で、こっちは不正解理工系女子理工系の中で「普通」に入ることは断じてできない。

大学入学したあと感じたのは、「女」であることは常に異質であり、常に異性としてまなざされることは苦しいということ。高校までは男性を苦手と感じたことなどなく、何なら男のほうが話しやすいと思っていた自分でさえ、教室に入るのが苦しくなり、不登校になりかけた。最低限の授業だけ行き、あとは家で寝ている生活キャンパスも男ばかりだから食堂図書館いかなくなった。実験で同じ班になった男に、「〇〇さんですよね?昨日△△で見かけました」と声をかけられる。こっちとしてはお前誰?レベルなのに。正直気分が悪い。

これを就職してもずっと続けるのか?40年間?とんでもない。

理工系女子枠?リケジョ優遇?クソくらえ。こんな苦しみを味わう場所に女をふやすべきでない。入試が少しラクになる程度のエサで女を釣るな。高学歴女の最適解は文系進学もしくは医療系。間違っても理工系で男と対等にやれるなんて思ってはいけない。「親」になるために身を捧げる側は、捧げない側に混ざって対等に戦うことはできない。

旦那専業主夫をしてもらえばいいじゃないかという声も聞こえてきそうだが、そのつもりはさらさらない。自分が苦労して大学に入って勉強したのと同じように、彼氏努力している。自分専業主婦になりたくないからこそ、彼氏専業主夫を求めるのは筋が通らない。

いまのところ自分理系院卒の肩書を捨てて、関西ローカル中小文系企業就職するか、行政書士などの資格をとることを考えている。

anond:20240510103256

収入高くても税金でだいぶとられちゃうなー、ってゆってるやつとおなじにしかみえない😡

2024-05-09

anond:20240508165744

鑑賞増田とは別の俳句かじり増田だけど、この句は軽く作ってるようにみえてかなりかっちりできてるよ

いわゆる一語一語が「動かない」ってやつだね

まり言葉選択必然性があって、他の語に入れ替えができないようになってる

から行くと、

「実は」:これまで秘密にしていたことを明かすというシチュエーションを冒頭で設定している

「おれ」:男性という主体提示女性であったとしても男勝りの人物像を表している

魔法少女と」:魔法という非現実感と、性別の飛躍によるインパクトが絶大。魔法少女を詠んだ俳句は初めてみたよ

「告げる」:告白という劇的な状況の緊張感を表す語彙だね。話すじゃダメ

「雪」:鑑賞増田がいうように、この季語選択絶妙。劇的な告白シーンの背景として、雪が静寂感を演出してる。死や最終決戦を予感させる心象風景でもある。

かなりのストーリー性が詰め込まれていて、職人技を感じるね

検索しても増田記事しか出てこないから作者はわからんが…

2024-05-08

anond:20240508211227

アブストラクト

…県立防衛軍陸軍予備校だったかで敵キャラが鼻をかんだあとのテイッシュを開いて見せつけてきて「何にみえる?」と圧をかけてくる描写を思い出した

(いやアレはロールシャッハテストのもじりか🤔)

anond:20240508145711

マジレスしてやる)そうそう、こんなかんじでAI構文が会話してるようにみえ薄っぺらいのはそういうことなんだよな

anond:20240508133151

カッケー解説でお題の句がカッコよくみえてきた

アナタDJの才能がありますね!

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