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2024-05-17

運動会(体育)って教育的にどうなの

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6501256

↑この記事読んだ。いつの時代運動音痴は苦労するんだなあって思った。

優劣の付き方が激しい点は体育の悪点として挙げられがちだ。けど俺はここじゃないと思う。テストなどなど色んな所に優劣はあるし。

俺は集団で何かをしないといけない状況がダメなんだと思う。そしてそれに伴う"個人攻撃"が子供の心を壊す。クラス一丸となって物事を成し遂げることは素敵な事だと思う。けど運動会は逃げ場がないんだよな。合唱祭なら下手なりに声出したり、邪魔しないように口パクでもいい。周りが下手なやつを補える。運動会はそれが難しいんだよなー。集団行動で成長を促すんならそれに伴うケアをできる仕組みじゃないとダメじゃない?ヤフコメでは逃げ癖だとか嫌なことでも〜って書いてるけど、足が遅かったり縄跳びが下手なだけで個人攻撃される空間なんて逃げてしかるべきでしょって思う。みんなが出来ることを出来ないやつもいることは想定内なんだからそいつ批判が集まらないような仕組みを作れよ!!全体で見て成功でも、個人の心には一生物トラウマが残ることもあるんだから!!!

まあなんでこんな情熱的に語ってるかは分かるよね、、俺は真面目に体育に参加してたけど、全部サボった方が幸せに生きられてただろうな。

(追)運動会について書いたけど、その練習含む体育全般に言えると思う。辛いけどマラソンとかは気持ち的に楽だった。責められないし

anond:20240517102635

性加害したあとならねじ伏せられるが、トイレという空間で性加害前に対処するのは難しいだろう

2024-05-16

サイコパスダイエット薬のせいでどこでもオナラ出来なくなった」

普通は人前ではオナラはしないんだよね。

トイレとか自宅とかのもしもウンチ漏れても大丈夫な所でオナラをする。

ウンチ漏れたらヤバイようなタイミング=周りに人がいるようなタイミングってのは、そもそもナラをしちゃいけないタイミング

それが分からない奴はただのサイコパスだよ。

溶けた脂肪とオナラ区別が出来なくなることがヤバイんじゃなくて、どこでもオナラをしてしまうその神経が元々ヤバイわけ。

そもそもナラってのは成分的にはウンチと同じものをかなり含んでいるし、発射の勢いで粒子化したウンチの欠片を飛び散らせるわけ。

個室でもなんでもない空間でそれを撒き散らせる神経がそもそもバグってるわけよ。

anond:20240515221853

なんか見るのも嫌、空間を分けろと言っていた大昔の黒人差別者のような発想だな。人権意識というものを持たずに生きてきたのだろう。

anond:20240516080709

食に対する好奇心旺盛な人って、グルメバーガーも食べるし普通ファーストフードバーガー特に期間限定モノ)も食べるイメージがある。

グルメバーガーだけしか食べない人って珍しい気がする。居心地の良い空間品質の高いものしか食べたくないって感じなのかな。

anond:20240515221358

続きです。

しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった

「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった

しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロ自由からだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコ子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガエロ同人エロいのだ

そして俺は漫画家になりたいのではない。エロ二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし精緻な設定も重厚ストーリー人生経験エロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは読子まほろさんをんほおさせること。それだけだから

とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサン勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして

マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ

だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガ形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う

そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ

いきなりコミケハードルが高すぎるし、何よりもサークル当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロしか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる

そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)

そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在から、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして

初めてのエロ同人完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ

そこから俺はイベントごとにコンスタント新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店メッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫ショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった

一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入エロ同人から得ていたからだ。就職卒業もする意味理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった

から就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家フリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ

さて、無事に大学卒業して「職業エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメゲームを見ては妄想股間を膨らませて、いかにこのキャラアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は

だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガ技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初デビュー作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ小学生の描くバカみたいなマンガプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人作家」としては何も進歩進化もしてないのではないか。そう思った

学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなもの不要だと考えた。エロ同人必要なのは、一にも二にも画力エロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった

しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか小手先エロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか

俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家ありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした

から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない

から俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックス体験すれば、それが何らかの形でマンガフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった

だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しか女の子イチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ

話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある

でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望ありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ

俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ

とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかエロ同人的な世界観内面化している自分が、常識的セックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれ

話を戻すと、いざ実際に現実女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった

だがこの感覚マンガフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロ昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした

ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった

後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事同人イベント敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀なのだと俺は思う

そして迷走してはいものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性サークルスペースに現れた

まだ続きます。。。

"サイゼリヤ"デートは、大人相手を試す方法として幼すぎる

男女それぞれに相性テストをかけあうのは、何も間違っていない。

ヒトのお見合いを長く見てきたが、お見合いは試しあい真剣での試合のものであり、鋭くしかし華麗に行う必要がある。

そう、華麗さが無くてはいけないのだ。人はこれを礼儀と呼ぶ。

婚活においてサイゼリヤデートという話題炎上するたびに思うのだが、題名とは違って実はかなりの人間デートの中に"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがある。

以下において"サイゼリヤ"は、"マクドナルド"でも"ドンキ"でも、"スターバックス"でも良い。好きな単語に置き換えて読んで欲しい。

試される側からすれば、実はお試しとしては悪く無い。価値観を知る良い機会だからだ。

問題は、それが意図せずに組み入れられてしまったのか、意図してそこに行こうとしているかの差だ。意図しているのだとしたら試し方としては相当に幼い。

ただ、相手価値観を変えてやろうと思ってなかなか変わるものでもなく、矯正すれば良いかと気楽に考えていると概ね悲惨な結末を迎える。

価値観を後から変える成功例は自分の知りうる限り一組だけで、あとは残らず離婚している)

以下は、結婚相談所での経験も含めて、なぜサイゼリヤデートダメなのか、なぜ相手を試す行為が良くないとされ、実は試す必要があるのかを解説する。

(具体例は当然フェイクや組み合わせを変えたりする)

最初にまとめ

総じて、結婚相談所は「結婚できる下地はあるが出会いが無かった」お相手同士の縁を結び、そのお手伝いをするところであり、

新兵訓練所ではなく、また訓練するインセンティブも薄い(よほど成婚率が悪いとかでないかぎり、ズルズル在席してもらった方が楽)ので、

多少の背景調査が入るお堅めの合コンだと思ってもらってほぼ間違いない。

多少の違いはあるが概ね合コンセッティング業者と言われても反論はできない。

試し方が拙く無礼

いやいやお見合い合コンは違うじゃん!と思ったあなた貴方感性は正常です。

そう、男女が出会場所として本質的に同じだとしても、やはりお見合い合コンは違う。

事前の準備の面倒さやドレスコード、会食場所を含めて、その差異は、マナーという言葉に集約される。

けっきょっくのところ、これは礼儀、つまり相手に敬意を表すことが出来るか、という点を見られているわけだ。

試しあいだとしても、相手に敬意を持ち、それをきちんと表現した上で、さら相手を試したり知ることができますか?という。

まりサイゼリヤデートは、相手にきちんと敬意を払ったうえでセッティングしまたか?と問われている。

一般的には、初回のデート場所サイゼリヤに行くのは、試し方としては拙く、無礼だ。

礼儀そもそもわかっていない

そんなこと言っても、初回の相手にどうやって敬意を表せば良いのだ!と憤るかもしれない。

そういう方は、そもそも礼儀が何かわかっていない。

自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかにフォーカスして考える経験が足りていない。

そもそも結婚数そのものが下がってきている昨今、礼儀作法にうるさいご家庭はかなり減った。

実際のところ、気の置けない友人同士であれば、手土産無しにお宅訪問しても陰口をたたかれることはまず無い。

ただ、家を訪ねるのであれば手土産くらいは持参するだろうという常識が薄れても、それが礼を尽くすことになるかもしれないと思い至れないのは致命的だ。

公私の区別、非日常日常との区別相手自分との区別がついていない

ブコメにハレとケの概念について触れているものがあったが、それでピンとくるようであれば読み飛ばしてもらって構わない)

じゃあ、デートにどこに行けば良いのだ!とキレるようであればまだ救いがある。調べたり改善する余地があるからだ。

サイゼリヤでも良いような女性とお付き合いしたいのだから、良いじゃないか、と考える場合は概ね笑顔肯定し、長く在席してもらうことになる。

こういった場合そもそも公私の区別がついていない。

公私の区別

パブリックプライベートとを、それぞれに応じて異なる振る舞いをすることが求められる、ということからわかっていないことが多い。

プライベートで、例えば家にいるとき家族になった後での家の中での振る舞いで、厳格な礼儀作法を求められると疲れる、というのはわからなくもない。

「だからサイゼリヤ価値観のすり合わせを」となるところがマズイのだ。デートパブリック場所で行われるものであり、特に初回のデートパブリックよりだからだ。

日常日常との区別

さて、デートプライベート行事ではあるが、パブリック空間で行われる。

次にこれが"婚活で行われるデート"の場合は、ここに"非日常"という軸が加わる。

冠婚葬祭普段着で行ってはいけないというのは、それは非日常からだ。

逆に言えば、高校生デートであればサイゼリヤであっても問題ない。日常と地続きだし、場合によってはそもそも男女で食事をするだけで非日常だったりするからだ。

相手自分との区別

最後に、相手自分との区別がついていない、という点があげられる。

これはもちろんグラデーションがあるだけで誰しもそうだが、極端に自分が中心になっていることがある。

相手人格を持つ自分とは違う人間なのだということが分かっていないような振る舞いをされる方がまま居る。

これは男女問わずだし、誰しもが多少なりともあるが、自分の考え方が正しく、それに沿うべきだ、と考えてしまいがちだ。

サイゼリヤデートであっても相手は楽しむだろう、それが初回のデートであっても自分は嬉しいから、というものだ。

その時にお誘いした相手はどう思うだろうという視点が欠落している。

ここが"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがあると言った理由だ。

休憩にスターバックスによることが優しさであると感じる方もいれば、騒がしいスターバックスデート中に寄るのは常識外れだと怒る方もいる。

どちらが正しいとか間違っているかということではなく、その相手がそう感じるという点が重要なのだ

コミュニケーションが取れるか、価値観のすり合わせが出来るか、どこが譲歩できないラインか整理ができていない

そんな初回の相手エスパーでもないのにどう感じるかわかれなんて無理だろ!と憤るのもわかる。

そう、相手のことを心から理解するのは家族であっても難しいし、逆にそんなにピッタリだと不安になる方もいる(相手自分に無理に合わせていたのではないかと)。

その解消がコミュニケーションであり、ここで相手意思疎通ができるかはとても重要だ。

自分言葉相手に伝わるように言ったはずなのに伝わらなかったというのは大きなマイナスになる。

例えば、「相手からデートランチ場所はどこでもいいと言われた」というのが、「どこでもいいと言ったらどう伝わるか」とすでに試されているのだ。

もちろん、慣れていないと、ディナーの予約をしたつもりが、高くてあまり美味しくない居酒屋になってしまうこともある。それは仕方がない。

問題はそこから、どう軌道修正できるか、もしくはそういったところが良いのか実は非日常デートなら違うところが良いのか、価値観のすり合わせが出来るかが重要なのだ

際限なく譲歩する必要は無い。ここは譲れないラインだというのをぼんやりとでも持っておくことはもちろん重要だ。

いつもデート帝国ホテルのディナーを予約してほしいというのは、受け入れられないとか。手違いでも居酒屋を予約するような手際ではムリだ、とか。

まとめ

婚活相手を試すのが問題ではなく、その方法が拙いのだ。

礼儀とは、相手に敬意を表すことだ。親しき中にも礼儀あり。

まだ家族になってもいない相手を試すのであれば、相応の礼儀を尽くしたうえで、失礼のないように試すべきなのだ

から、何度かデートを重ねたうえで、段階を踏んで、「お互い普段ファミレスに行くって言っていたし、どう?」と誘うのであれば何の問題もない。

両方がともに普段着で集まって、いつも行くような店に行こうとコミュニケーションが取れてからなら、焼肉でも二郎でも好きに行ったらいい。

いきなり相手を連れて行って試すような真似をするのは、本当に止めた方が良い。考え方が幼すぎる。

礼儀を尽くしてサイゼリヤに行ったんだと主張するのであれば、それはそれでも良いと思う。似合う人が見つかるといね

あなたから見れば、あなた人生主人公で、それ以外の人間登場人物に過ぎないと感じるかもしれないが、実際はそうではない。

まあ、そう無理することも無いと思うんだよね。業界的にはその方が助かるし儲かるから増田しか書けないよこんなこと。

つーか、ぶっちゃけオマエ試してる場合なの?ってことの方が多いから、経験則的に言えば全員一律相手を試してる場合ではないでフィニッシュです。

相手を試さないといけないくらいひっきりなしにアプローチを受けてますなんて人は、ホント出会いが無いだけで結婚相談所能力無関係に成婚するしね。

https://anond.hatelabo.jp/20240515130736

2024-05-15

家にいきなり人が帰ってくるのが嫌だ

自分は在宅で仕事をしている。

表題の通り、家にいきなり人が帰ってくるのが嫌だ。

同居人からすればいきなりでもなく毎日ただ自宅に帰宅しているだけだ。

自分で決めていた時間コーヒーを淹れてその後仕事をするの流れが中断される、

台所の棚を開けたいのに人がいて断りをいれなければいけない等、

普段の行動を遮られたり自分想像していた通りに動くことができないことにパニックになる。

自分の動きたい手順が自分以外によって急に予定変更されることが許容できず、とてもイライラして同居人をとても嫌な気分にさせてしまう。

その後時間が経つと人が家にいることに慣れるのか落ち着くが、次の日またその人が帰宅するとしばらくイライラしてしまう。

毎日帰ってくることが当たり前なのに時間が不確かだから毎日ストレスに感じる。

毎日決まった時間に人が帰ってくるのなら毎日その時間はそのようなものだと身構えることができるから毎日決まった時間帰宅して欲しい。

それが難しいのなら事前に連絡して欲しい。

しかし事前に連絡があったとしても自分空間他人が入ってくるという状態に数分は緊張というか身構えてしまう。)

いつになっても慣れないから多分ずっとこうなんだと思う。

申し訳ないのは一緒に住む人。毎日毎日自宅に帰るだけで嫌な思いをするなんて。

どうすれば改善できるのだろう。

私の両親は放任主義であったので、私は色んな物語背中を追って成長した。家にある本を対象年齢などお構いなしに片っ端から読んでいたので早いうちからどうやら人間は必ず死ぬらしいということを知った。事故、病、それらに気をつけたところで寿命というので死ぬらしい。幼い私の狭い世界の中では老人といえば父方の祖母と母方の祖父母であった。当時の私は血縁関係など知らず、やたら会う回数が多くて、やたら親しげに話しかけてくる親ではない人間、その程度の認識だったが、それでもこの人たちはもう間もなく死ぬのだと思うと堪らなく悲しくて、祖父母宅に泊まり眠る時の「おやすみ」や、帰宅する際の「さよなら」で別れを強く意識してしまい泣くことがよくあった。

しかしその三名の間というのは私が思ったよりも用意されており、私が初めに対面した死は保育園の友人のものだった。友人と言っても同い年ではなく、私がそう認識しているだけだった給食調理員の女性で、友人と思っていたために意識していなかったが彼女も今考えれば当時の祖母たちとそう変わらない年齢だったように思う。

礼儀作法を知らないので何度も何度も棺の中を覗きに行っては泣いた。いくら泣いたところで目を閉じた彼女が横たわっているだけで何も変わらなかった。

二度目は小学校の2〜3年生の頃、またもや勝手に友人扱いしていた女性教頭先生だった。

学校体育館で行われたお別れの会で大きな額縁に入った彼女写真を見た。遺体があるわけではないので前のように泣きはしなかった。ただ、急だなと思った。

三度目は飼っていた猫だった。私が生まれるより前から家にいた猫の女の子しまる。

母が譲り受けて、初めは家の中で放し飼いされていたらしいが兄が生まれた時にケージに入れられるようになり、それからは基本ケージの中がししまるの全てになった。

私は私たちのせいで自由を奪われることになったししまるへの罪悪感からまり積極的に関わろうとはしなかった。

高校の帰り道、同級生数人の本当に心底どうでもいい話に付き合っている最中に母からメールでししまるの危篤が知らされた。どうしてか、私はどうでも良い話を切り上げず最後まで聞いて家に帰った。ししまるは冷たくなっていた。21〜2歳だったと思う。

なぜすぐに帰るという選択をしなかったのか、あんな会話よりもずっと大切な存在だったのに。

私よりも悲しんでいるに違いない母の前で泣くのは躊躇われて、やり場のない怒りと悲しみを階段に座ってやり過ごした。

数年後、くだらない話をしていた内の一人が飼っている猫がもう亡くなるかもしれないというLINEがきた。たしか写真映像うんざりするほど見せられていたが、私はいつも適当に聞き流していたのでどんな猫だったかはこれっぽっちも覚えていなかった。そんな猫が死ぬかもしれないと聞かされたところで正直どうしたものか反応に困ったが、眼前に迫った愛猫の死に動揺して私という藁にまですがる様子に「本当に大切ならこうなるはずだ、お前はどうだった」と問われているような感じがして口の中が苦くなった。

四度目は父方の祖母が亡くなった。同じ家に住んではいもの特に交流はなく、幼い頃から苦手な祖母だった。

祖母の部屋はニ階にあり、私の部屋は一階にある。あの日、夜、二階の台所飲み物を手に入れて自室に帰るという時、祖母の部屋からガタッと物音がして「部屋から出てくるかも」と思い微かに開いた扉を横目に逃げるように階段を降りた。少し経ってから帰宅した兄が「婆ちゃんが倒れている」と家中に知らせて、部屋の中で固まる父、父の代わりに各所へ連絡を取る母、救急車パトカーの音、集まってくる従姉妹たち、その全てを私は凪いだ目で見ていた。

父方の祖母は以前に一度死にかけたことがあり、救ったのは家の鍵を忘れた中学生の頃の私だった。

私は幼い頃から忘れ物常習犯であり、家の周りに民家がないのをいい事に家の前で欲しいものを大声で伝えて家の中にいる人間に取ってもらうというのをよくやっていた。

その日も帰宅したら玄関には鍵がかかっており、また、私は鍵を持っていなかったため外から「鍵開けて」と何度も繰り返し叫んだ。かなり長い間何も反応がなく、どこかに出かけているのかもしれない、帰ってくるま玄関先で座って待っていようかと思い始めた頃、ようやく階段を降りる音が聞こえてきた。玄関の扉が開いて真っ先に伝えられたのが「病院に連絡して」だった。

諸々が終わった後で聞くには、どうやら意識を失っており、私の声で戻ってきたとの事だった。

以降、祖母はこの話を何度も繰り返しては私に感謝した。「綺麗な真っ赤な空間にいたらあんたの声が聞こえた、だから私は助かった、ありがとう」と。顔を合わせるたびに話されるので話すのをやめるようお願いしたほどだった。

死にかけた祖母はその後何もなかったように生き続け、恐らくボケて、兄と揉めることが多くなった。兄が言うには包丁を持ち出してくることもあったらしいが、 真偽は分からない。

そんな揉め事が起こるたびに私は「あの日、私の帰りがもっと遅ければ」「私が早々に呼びかけを諦めていたら」などと思ったのだ。

ガタッと物音がした時に私が様子を確かめていたら、祖母はまた帰ってきたのだろうか。祖母あの日のように真っ赤な空間で私の声を待っていたんじゃないだろうか。あんなに嫌っていた祖母である。「あの時死んでいればこんな問題起きなかったな」とさえ思ったことがある祖母である

そんな祖母葬式で私は涙をなかなか止められなかった。悲しむ資格道理もないのにどうして涙が止まらないのか不思議自分に腹が立ってしょうがなかった。

祖母が亡くなってから父はよく兄妹たちを家に呼び、兄妹たちも呼びかけに応じて気軽に集まる。父も兄妹たちも祖母が生きていた時はそんなことしなかったのに。

五度目はまだ起きていない。

母方の祖母癌治療中で、祖父ボケが始まっているがまだまだ元気にやっている。出来る限り健康で長く生きてほしい。

いつか絶対に五度目がくる。

何度経験しても慣れない死を悲しんだり、悲しんだふりをしていることに気づけないでいたりを繰り返しながら自分の番を待つ。

みんな死んでほしくないな、死にたくないな。

2024-05-14

夫のモラハラ 仏教の話に基づいてるらしい

昨年育休より復帰

復職前は育休もあり、平日ほぼワンオペ対応

復職時に分担は見直そうねと話して復職

が、いざ復職するも具体的な分担の話はできないまま

私がほぼリモートの一方で夫は地方役所づとめで毎日遠距離通勤(片道1.5時間、平日朝は6時には出て帰りは20時近く)もあり、復職前と変わらず平日ほぼワンオペ状態半年以上続いてました

仕事で色々あったこともあり、育児家事分担が妻である私に偏ってると感じ分担の見直し相談を持ちかけました

ここでよくなかったと反省はあるのですが、前段で他の家庭での話を出してしまいました

うちの会社の同世代以下の男性陣がかなり育児に協力的な人が多く、奥さんが専業でも平日終業後は育児家事専念してる、などの話を聞いた直後でしたので、その話を夫にもした後に分担の話を切り出しました

今思うと、比較され気分も悪かったかとも思いますが、こちらもいらつくことに、返答として「人は望めば望むほど更に望む」といった主旨の話を夫が切り出しました

(イラつきマックスで詳細忘れましたが、当時よく読んでいた仏教関連の話から引用したそうです)

更に「具体的に何すればいいの?」と聞かれたので、保育園の準備や朝ごはんの用意など、いまの通勤形態でもできる内容を挙げました

ここでまた、聞き方が人を馬鹿にしているとしか思えないもので、私が「保育園の準備」などと言うと「あとは?」と、こちらが分担したい家事育児を挙げるのに対して、ただ一言「あとは?」を繰り返すのみです

今思えば仏教の話にある、望めば望むほど、を繰り返しの問で気づかせようとでも思っていたのかとも思いますが、私としては話し合いする気もないとしか受け取れないし、真剣相談たかったのに対してバカにされているとしか感じられませんでした

その場は私が呆れ返ってしまいそれ以上の話ができずだんまりモードで話し合い(?)も打ち切りとなりました

それ以降、望めば望むほど、と返され傷つくのが嫌で愚痴相談もできなくなりました

今度話しをするとしたら、離婚を切り出すときくらいかなと思います

本人も言ってましたが、家事など「やれるところはやっている」※ので、ゴミ出しや洗濯干しなどやってもらっているところも確かにはあるので、その多少の支援と一緒の空間にいることの辛さとの天秤がいずれ崩れたとき決断ときかなと思います

(※夫が「やれないところ」は否が応でも私が対応してる点を言った上で上記の流れになった点もあったのを書いてて思い出しまイラつきが再発してきました、、)

いないと思って全部自分でやるほうが精神的には楽なのではという割合最近増えてきました

直近だと飲み会に関しても思うところがあったものの、仏教の話切り出されるのが怖くて思うことを言えませんでした 

子供2人目も考えたかったですが、現段階では産後負担を考えて(かつ生理的にも)到底無理そうです

年齢的にも難しい齢に踏み込んできているところだったので、もともと考えどころではあったものの、こういった事情で諦めざるを得ない状況になってしまっているのは自分としても結婚当初は想像もつかず大変残念なところではありますが、そういった相手であることを分かりきれずに選んでしまった自分の落ち度でもあるかなと思い、自分自身を無理やり納得させている状況です

とりとめもなくオチもなく長文失礼しました

吐き出しどころもなくモヤモヤしてましたが、せめてもの決断ときの証跡にでもどこかに残しておきたかったのでここに投稿させていただきます

また思うところあれば、投稿したいと思います

お読みいただきありがとうございました

ひも理論検証ができないのはエネルギー不足

解像度を上げるには膨大なエネルギーがいるが、地球の外周ぐらいの長さの加速器ではひも理論検証には不十分

これを考えると、「じゃあエネルギー無限にあれば無限小の理論が実現できるのか?」という話になるが、無限エネルギーなんてもんがあるのか?

そんなものがないのだとしたら、人間もつ解像度じゃ離散スケールの中で生きているってことになるよな?

では時空はどうだ?これは離散的なものなのか、って話になる

そもそも観測によってズームインしていけば際限なく拡大できると考えるなら、空間時間無限観測できるという話になる...と一見すると思われる

ところが「ある主体がどの時点まで観測たか」という話になると、時間空間もどれだけズームインしても有限の値になる

要するに有限論破増田に分があるってことだ、物理世界に「無限」は存在しない可能性が高い

ネットコミュニティアプリブロックゲームになってる

Xアプリでも5chブラウザでもはてなブックマークアプリでも、有害アカウントブロックNG非表示にしていくことに結構時間を使ってる。

こいつらをいかに早くブロックするかのゲームになってきた。

ブロックで消毒した空間を眺めるのは最高だ。お掃除完了後のすがすがしい気分を味わえる。

しかし奴らはすぐにカビのように無限に生えてくる。なんでこんなに有害な奴らが多いのか。

なお、ここでいう有害アカウントとは、荒らしスパムインプレゾンビヘイターデマ屋、バズ屋などを指す。

2024-05-13

anond:20240513140438

シンクロ率無限大とか、急にゲンドウが化け物になるとか、虚数空間とか、あれを受け入れて深み感じる方がやばいやろ。

2024-05-12

入院中の脳バグ

精神科に5回か6回ぐらいは入院したが、その時の自分の行動の傾向についてメモする。

やたら勉強ボードゲーム卓球などをしたがる

暇で発狂するレベルなので、やたらとアクティブになる。将棋卓球をやる相手を探してひたすら声をかけたがる。

コミュニケーション障壁がなくなる

どういうわけか、コミュ症ではなくなる。女性とも平気で会話する。病院患者内のコミュニケーション支配することもある。

頭が悪くなる

投薬量が増え、頭が急激に悪くなる。IQテストみたいなのをやらされるが、全くわからなくなる。

超能力が発動する

これは妄想可能性があるが、保護室に入れられたときに、絨毯よ重くなれと念じたら持ち上げられないほど重くなった。

いびきが伝染る

他人いびきが俺に伝染する。その結果、呼吸ができなくて眠れなくなり、睡眠薬必要になる。

看護師がおかず

患者オナニーのおかずにすることよりも、看護師をおかずにすることが多い。たまに便秘になると、看護師お腹スリスリマッサージしてくれるので、それがネタになる。

一定確率患者喧嘩をする

被害妄想を持った患者一定数いて、俺の会話内容を横で聞いて誤解して喧嘩をふっかけてきたり、テレビの前を歩いたことに因縁をつけてきたりする。

殴られそうになったことが一回だけあるが、そいつは俺の個室に勝手に入ろうとしてきた。

ゲイ恋愛感情を持たれる

入院患者にはゲイがいて、一度いきなり抱きしめられたことがあった。看護師は「それは、友情の証なのか、それとも性志向なのか」とそいつに問いただしていた。

保護室の壁をぶん殴りたくなる

見られていないので、壁を思いっきりぶん殴る。ストレス発散になる。

保護室空間が徐々に狭くなっていくように感じる

保護室は殺風景な部屋なので、どんどん狭くなっているように見えてくる。部屋の空間の大きさを歩幅で確認するが、精神が異常なので歩幅の数を記憶できない。

保護室時間感覚がなくなる

時間カウントするために、トイレットペーパー丸め始める。時間が本当に流れているのか疑う。

精神回復し、暇すぎて退院したくなると、母のパワーが役に立つ

母がいなければ入院期間はもっと長引いていることだろう。電話を使う機会があるが、そのときに母に頼んで退院を早めるよう交渉してもらう。

でも両想いなら純愛とか言ってもてはやすんでしょ?

>長年愛用していた自動車バイクを売り払い、被害女性におよそ2000万円の金を結婚資金として渡していたという。

人生をともにした宝物を売り払ったことは事実なのだろう。が、それでも私はほとんど同情する気持ちが起きない。

 

2人は上野ガールズバーで客とスタッフとして知り合い、韓流スターファンということで意気投合したという。もうこの時点で、すべてを察しなくてはいけない。

26歳も年下の、親子ほど歳の離れた水商売女性と「真摯恋愛」をして、まともに付き合えると思っている50代男性は、ちょっと「どうかしている」のではないだろうか。

あるいは、社会常識論理的思考力、相手立場に立ってものを考えるといった知性が欠落していると言わざるを得ない。

 

そうしたケースもこの世にゼロではないかもしれないが、宝くじで1等賞を当てるぐらいのレアケースであり、ほぼゼロと言っていい。

 

ガールズバーキャバクラホストクラブといった空間は「擬似恋愛」を楽しむ場所だ。色々と調子の良いことや気分が上向くようなことを言われるかもしれないが、それらは基本的にすべてお世辞か社交辞令であり、彼ら彼女らはお金を稼ぐために仕事として行っているに過ぎない。

水商売の色恋営業を真に受けて、自分の宝物を売り払った容疑者は「51歳にもなって自分客観視できない残念な人」としか言いようがない。挙句一方的に恨みを募らせてストーカー行為を繰り返し、ついには人殺しまでしてしまったのだから、残念である以上に凶悪まりない。

人間視覚というのは、かなり中央の部分しか色の検知が出来ないらしい

から真ん中以外の周囲は色がない映像とのこと。

しかし、我々が認識している世界が全面フルカラーである

これは脳が目一杯機能してそのように見えるように工夫しているかららしい。

目は定期的に周囲の空間スキャンしている。

そのときに色の認識をしているのは視覚中央部分だけでその他は白黒なのだが、

目は周囲をスキャンした映像をつなぎ合わせて上手いこと世界フルカラーに見えるような映像に変換してるらしい。

これすごいよね。

同じことを機械やらせるとなったらなかなか大変なことだと思う。

とすごいすごいと言ってればいいわけでもない。

というのは人間世界を誤認識してしま理由も同じ機能によるものからだ。

要するに見えていないものでも見えているように錯覚させてしまうのだ。

ちょっと試して欲しい。

実際、視界の中で見えているものと思い込んでいるものがどれほど見えていないかを。

ここまでは見えていると思っているものでも案外と人間の視界は狭い。

それでも我々が周囲のことを把握している思っているのは脳がそのように錯覚させているからだ。

セクシーな女の人の写真の背景にゴリラが写っていても気づかないみたいなのとかもそれ。

このことをよく理解して認識していないと事故が起こる。

信号のない交差点自動車で右折しようとする。

一時停止して右を見て左を見て何も来ていないから右折。

と右折してからルームミラーを見ると車が真後ろにいる。

いったいこの車はどこから来たんだ?

なんて経験がある人もいるのでは?

これなんかは典型的錯覚で見えていないものが、なかったことにされている現象だ。

人間は絶えずこのような勝手想像をしている。

要はね、焦点がどこに当たっているか?を常に意識する必要がある。

人間なんてど真ん中のことしかわかっていないんだ。

とよくよく了解していたら、錯覚は起こりにくい。

見えている範囲で言えば真ん中のことしか実際には見えていない。

そのことを忘れないことは大事だ。

こういったことは視覚だけでなく、人間の様々な認識で現れる。

私達は、実際にはこの世界のことを殆どわかっていない。

どうしてスマホの表面を指で撫でると文字入力できるのか?

このスマホの画面はどのような仕組みで表示されているのか。

スマホに触れている指の先っぽの爪、これはなんで伸びるの?

ほとんどのことを何も知らない。

でも、生きているとそういう知らないということを意識することが出来ない。

なのになんとなくわかっているような気だけはしている。

脳がそのような働きをするからだ。

スマホにはタッチスクリーンが内蔵されていて電位的なものと感圧を測定して……

とか全然理解していないのになんとなく言葉だけは出てくる。

これは生成AIが嘘を言うのと同じ仕組みだ。

(と断言したがもちろん同じ仕組みなのかどうかは知らない)

でもまあ結局、人間というのはかなり適当な生き物なんだ。

から天才になる人っていうのは、なんで?なんで?って子供の頃質問を連発する。

やっぱ天才子供の頃から違うんだねとかいうけど、

これは逆説で天才からなんで?って聞くんじゃなくてなんで?なんで?って理由を確かめる人だけが天才になれるんだよ。

なんか話がズレたな。

とにかく人間というのは焦点を合わせた物事しか正しく認識することは出来ないということだ。

その他のことは生成AI連想するように物事勝手でっち上げて「現実」だと認識させている。

人間が自信を持って嘘を言うのもそういうことだ。

タイトルしか読まずに反論をするのとかもそれ。

勝手連想して勝手に内容をでっち上げてそのことに反論している。

から焦点がどこに当たっているか認識する必要がある。

反論を書く前に、ちょっと待って私はタイトルしか読んでない!、と気づかないといけない。

大事なのは、いま焦点を当てているのはどこか?ということ。

アンガーマネジメントなんかもそう。

怒り沸騰しているときには、「怒りの出来事」に心の焦点が当たりきってしまっている。

そのことに気づいて焦点を他のことに移す。

とにかく焦点。

人間大事にしなくてはいけないのは、いま焦点がどこに当たっているか?を認識すること。

2024-05-11

台所で過ごしたい。料理を楽しみたいとかそういうものの例えじゃなく、マジで広い台所生活空間として利用してくつろぎたい。 押し入れを秘密基地にしようとする欲求に近い。

テレビでも置いてダラダラと映画観たり、ダイニングチェア腰掛けギターでも弾いたり音楽かけながら雑誌を読んだりしたい。

映画に出てくる古き良きアメリカ白人家庭の母親昭和団地のプロパガンダ映像に出てくるサザエさんみたいな専業主婦にように台所で過ごしたい。

学生生活下宿先を探してた時、妙に気になる物件があった。1Kっつったら大体ワンルーム廊下の間に仕切りがあるか無いか問題しかないけど、そこはキッチンがえらい広く取られててなんか妙に魅力的に見えた。そこでくつろいで過ごす姿がぱっと思い浮かんだ。SUUMO情報なんか全くアテにならないから入居は出来なかったけど。

今思えば要するに1DKと呼ぶのが適切な物件が1Kの検索結果に紛れ込んでいたのだろうけど、未だになんか憧れがあるぜ。

anond:20240511140359

やってないよ。

うちの会社は賃料が安くなったのを見計らって一等地オフィス移して環境整備した。

休憩室とかめちゃくちゃ金をかけてそこらのホテルより居心地良い空間になってしまった。

これに慣れるとリモートワークとか糞過ぎて無理。

anond:20240511173655

ネット以外では批判されない行為無視して勝手にやって良い

バーチャル空間批判されても痛くも痒くもないし

[] 他人意識して描くときはヒット作をそのままなぞると良いと言うが

趣味長編ラノベ(ライトノベル)を書きたい増田をみたので、ワイも考えてみた

(以前、カクヨムなどで長編を完結させたというすごい増田もあったけど、今回はそれ以前の問題の『何を書こう』)

 

ワイが他人意識せずに、自分自身のためだけに書けるのは、マンガでも小説でも、50ページくらいがエネルギー限界。このページ数はとても長編とは言えない

50ページ以上書き進めるには、外部からガソリン必要だが、他人に読んでもらうためには、他人を楽しませようと意識する必要がある

他人意識すると、へっぽこなのを誤魔化そうと見栄を張ることになり(なお、誤魔化せる訳がない)、結果として筆が進まなくなるので、長編作ろうが未達で終わる

 

趣味なのに自分技量無視して無駄な見栄を張ろうとする問題・・・まぁさておき、他人意識して描くとき(楽しませようとする時)は、ヒット作をそのままなぞると良いと言うが、

ワイが好きな万人向けヒット作はドラゴンボール以外に無いんだよなぁ・・・ドラゴンボール鳥山明の超画力でなければ成り立たない

ドラゴンボールを題材にせんでも、バトルもの空間認識能力が高く、人体構造を考えて描くのが楽しい人にしか向いてないが、空間把握能力が死んでいるのは元より、骨格や筋肉、関節にも死ぬほど興味がない

 

ワイは死ぬほど運動音痴なので、ダンス新体操を見て、人間本来はこうやって動くことも可能なんだなァ・・・ってなるのは好きだ。ついでに、映画時代劇ゲームで、たびたび魅せてくれる映え殺陣(たて)も見るのも好きだ。でも、骨格や筋肉、関節には死ぬほど興味がない。そのため、現実格闘技武術剣術には微塵も興味はない

じゃあ、銃になら興味があるか?と言うとない。なぜなら基本的に銃には殺す以外の目的が無く(スポーツとしての銃もいちおうあるが・・・)、いままで書き連ねてきたことと比べると、人間身体ってこんな風に動くことも可能なんだなァ・・・ってなる要素が薄いかである

クレーン射的とか実際に体験したら、きっとスカッとはするのだろうけど、自分が描きたいか自分3Dキャラ操って楽しいか?と言われたら別だ

 

強いて言えば、人がそれぞれの自然姿勢で歩く様子を見るのも好きなので、その文脈なら骨格や筋肉、関節に興味が持てるが、それはバトルじゃないし、

スポーツテーマにしたマンガ小説映画で好きな作品ひとつもないので、競歩をやろうって気も微塵もしない(日記エッセイならいいだろうけど、長編を書こうの目的からは逸れる)

 

 

鳥山明以外では、ONE も好きだ。ONE も万人受けする大ヒット作家だ。ONE ならバトル描写のもの以外がメインになっているが、ワンパンマン村田雄介の超作画じゃないとマス受けはしなかったよなぁ・・・

というか、『マッシュル』の前に、ジャンプで『努力しすぎた世界最強の武闘家は、魔法世界を余裕で生き抜く。』という作品があって、ワンパンマンスタイルで描かれていたにも関わらず、ウケなかったもんなぁ・・・

なお個人的には『魔法世界を余裕で生き抜く』はとても気に入っている。イヤな奴、悪い奴がいっさい出てこないコメディで、めちゃくちゃ単純な話だから

主人公はサイタマと同じく何でもワンパンで倒せるチートフィジカルを持っているが、魔法に関しては絶望的に才能がない。それでも魔法が好きで、魔法使いを目指すという大変分かりやすストーリー

結局、主人公はすごい魔法使いになることはできないが、ささやか魔法は使えるようになる。主人公はそれにめちゃくちゃ喜んで満足し、今日よりも明日!少しずつでも能力を向上させよう!と前向きに努力を続けてマンガは終わる

(ただ、『魔法スターマジカルエミ(1986年) 』でも、主人公の舞が魔法を捨て去り、自分自身の力で本当のマジシャンを目指すみたいなのが、マス受けしてる感じしないし、作画以外の要素もありそう)

 

マッシュル』もワンパンスタイル作品かつ、海外で大バズりしている。魔法世界フィジカル全振り+すごい魔法使いになるっていうコンセプトは、『魔法世界を余裕で生き抜く』と共通している

ボーボボ彷彿とさせるギャグシーン/良いヤツばかりの日常パート差別や困難に立ち向かう前向きな姿勢ボースティング、これらはワイも超好き

ただ、主人公マッシュワンパンで敵を倒すシーン・ギャグで圧倒するシーン以外のバトルは、個人的にはあん面白いとは思えんのよな・・・

週刊少年ジャンプ作家なので、一定クオリティが保たれているから、見るのが苦痛とまではいかないけど、正直、マッシュ以外のバトルは別に無くてもよくね?みたいな・・・(まぁ、バトルなきゃこんなに売れなかっただろうけど・・・)

結局のところ、ワンパンギャグじゃない正統派バトル漫画は、超画力の選ばれし者にしか描けないよなぁ・・・と改めて思うばかりよ

小説でも多分同じだわね。ワンパンギャグではない、読んでて楽しい、映える正統派戦闘描写なんて、気が遠のくわ・・・

 

 

とりあえず、ワンパンスタイルは頭の片隅に置きつつ、バトル/アクション描写がメインではない自分の好きな作品について考えてみる

でも、やっぱ、マス受けしているヒット作の中で好きな作品ひとつもないんだよな・・・。まず、マス受けする恋愛ものが好きではないし、特定フェチ推したいという情熱も無い

バトル/アクションがメインでなく、ウケそうな恋愛描写もメインでなく、フェチ特に無いという時点で、かなり対象者が絞られる

何かないかな?と思うが、何度考えても何もない。昔のハリウッド作品2010年以前)なら、それなりに好きな作品があるけど、うぅ~ん・・・

なお、他人を楽しませようとして、マス向けヒット作を模倣しようとする理由は、対象者を絞った作品で作者の技術が極端に稚拙だと、最終的に読者との文通のような形になってしまうから

ワイがやりたいことは、稚拙・未熟ながらも、読者に何かを感じさせる"物語を書くこと"で、文通ではない。ついでに、日記や観察報告を誰に見せることでもない(趣味長編ラノベを書きたいと言っていた増田もたぶん同じだと思われる)

ちなみに、鳥山明ONE、昔のハリウッド作品以外で好きな作品は、モノクロ時代日本映画小津安二郎作品、重苦しかったり淡々としているインディペンデント映画アキ・カウリスマキケン・ローチフィリップ・K・ディック川端康成遠藤周作いがらしみきおsink/かむろば村へ/Iなど)、海外ヤングアダルト作品児童文学名作劇場系(日本アニメーション制作系)のアニメあたりがぼんやりと好きだ。つまり鳥山明ONE、昔のハリウッド作品以外は、対象者が絞られる作品が好き

いわゆる巨匠大御所/名作/お子様も観てOK以外では、トッド・ソロンズ岡部閏、明智抄奥瀬サキなど、やはり対象者が絞られる作家作品が好き

ワイがこれらの作家作品をそのままなぞったら誰かとの文通になります・・・

 

 

ワンパンスタイル、昔のハリウッドスタイルで、ワイがなぞれそうなのないかなぁ・・・は、まぁ暇な時に考えつつ、

 

なんかヒット作でワイも好きなのないかなぁで思い出した、岡部閏の『グッド・ナイトワールド』、対象者が絞られまくっている作品から、せっかくアニメ化したのになんかすげ〜無風だけど、脚本パトレイバー横手美智子なのよ。『ネトゲSFギミックになってるサバイバー再生物語り』で興味が持てそうな世界中の人に届いて欲しい

グッド・ナイトワールドの絵の作り方も印象に残ったけどね。プラネットAI幻想的で無機質な描写や、ピコちゃんプラネットオフった後の日常パート描写よかったし、キャラのお目目の表現良かった

クソのクソの解説演出も、中学生(の見た目だが実はそうではない)ってぽくて、とてもよかった

 

横道にそれたところでおわる・・・

anond:20240511104654

それもどうなんだろうな

見てもいないのに犯人扱いして捕まえるの?

俺は重いものつのまれたら喜んでもつけど

自分判断つけられない争いで片方に荷担するのは難しい

女は痴漢気づきやすいっていうなら気づいた女が横から撮影するのが一番現実的逮捕に繋がる取り組みだと思う

それでネットで公開するのもありだしね

それで社会的地位を失った痴漢とか何人もいるじゃん

逆に加害してるといいがたい男を晒したらその女がやられてるし割りとフェアな空間

anond:20240511102557

目に入ってこず、空間を共有せず、一切の接触を避けてくれれば、別に中年女性が生きていること自体否定しないんだよ。

anond:20240511102140

中年男性であることそのものに対する蔑視がひどすぎてそのことに憤ってるんだよ。

別に中年男性であることを蔑視してるんじゃなくて、20代女の子ワンチャンあるかもって勝手に期待して、期待が裏切られたら逆上して殺すってのがキモいって話なんだが。

目に入ってこず、空間を共有せず、一切の接触を避けてくれれば、別に中年男性が生きていること自体否定しないんだよ。

anond:20240510224705

から公共施設使ってるのに我々の空間って何?君のために世の中があるんじゃないよ

大抵の大人はそれ理解してるけど同人女にはその程度もわからないの?

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