「自己完結」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自己完結とは

2009-11-25

ひきこもりだったときにしてほしくなかったこと、してほしかったこと

 

 してほしくなかったこと

 ・階下からドア越しに聞こえるような大声で連日論争などしないでほしかった(それを起こさせた私にそもそもの原因はあったのだが)

 ・いきなりドアをぶちやぶって入ってこないでほしかった(自分の部屋=最後の牙城ではないと悟った。いつも臨戦態勢でいるべきだと知った。誰も信用できないと、

  奪われたくないものは隠すべきだと学んだ)

 ・少ない小遣いで買い集めたレアソフトを、ゲームが原因だと勘違いして燃やさないで欲しかった(これはいまだに根に持っている)

 ・ひとの手紙勝手に開けたり捨てたりしないでほしかった

 ・一緒に食事を食べることを強制しないでほしかった(食卓=被告席みたいな面があった。普通の家庭を取り戻したかったのだろうが、私の恐怖感も察してほしかった)

 ・服装を整えることを強制しないでほしかった(身なりを整えておけばいつでも外出可能な状態だ、あとは気分だ、と思っていたらしい。誤解だ)

 ・自分のせいだとめそめそ自己完結しないでほしかった(誰がどう反省したって過去が変わるわけではない)

 ・置手紙などしないでほしかった(いかに心配かを書かれても、でしょうね、ってなもんで何の感慨もなかった。気持ち悪かったし、怖かった)

 ・他人事みたいに無責任に話さないでほしかった(深刻に相談しても大丈夫だ、とか、いいのいいの、としか言われなかった。親を無能だと思った。

  理性的な話がしたかった)

 ・感情論一般論で話さないでほしかった(一般的な状況に戻したいという思いはわかるが、やはり理性的現実的な話がしたかった。世間体で話されても困る)

 ・言いたいことだけ言わないでほしかった(人の話を聞かない人だった。いつも、これだけは言っておく、と自分勝手に話が終わっていた。

  親は自分が正しいと思っていたんだろう。実際その通りだったのだが)


 してほしかったこと

 ・いつでも映画を見にいけるぐらいの金がほしかった(私の場合、ひきこもり省エネ生活という側面が強かった。

  必要なものは粗大ごみで拾ったり、図書館で調べたりして無料で補っていた。絵を描いたりゲームをしたりといったローコストな生活では社会につながらない。

  労働社会生活の素晴らしさを実感できるだけの行動範囲が欲しかった。都市部に行き、ライブハウス画廊などを見たかった。

  その先に何か自分が活かせる場がある気がしていた。だが金が無かった。どこへ行くにも電車代千円ぐらいは必要だ)

 ・ほっといてほしかった(あれはいいか、これをしなくていいかと纏わり付かれた時期があった。

  いつ敵に豹変するかわからない人にそんなことを言われても怖いだけだった。貰えるものは貰ったほうがいいのか、とも思ったがとにかく不気味で面倒だった)

 ・味方してほしかった(意味不明だがそう思う)

 ・兄がほしかった(理性的で、同じ高さの視点で、頼れる、力を知恵を貸してくれる、自分を導いてくれる存在がほしかった。馬鹿馬鹿しいが本当にそう思った)。

2009-11-17

行きつけのゲーセンが閉まっていた

久しぶりに家庭用ゲーム機で普段やってるものとは別のゲームを遊んで「楽しい」と思えたことから、かつて通っていたゲームセンターに久しぶりに行きたいと思い始め、思い立ったそのすぐ今日に、昼から暇があったので、行ってみることにした。

約半年ぶりに、当時と同じ足取りで向かうと、騒音と共にその光景が憧憬として深く頭に残っていたゲーセンは、跡形もなく消え去っていた。デパート内の一角にあったそのゲーセンフロアシャッターで閉ざされ、入り口前の掲示板には、10月末に閉店したことと、これまでのご愛顧に対する感謝の旨を伝える文章が、それぞれ別のアニメゲーム画像ネタと共にいくつも貼られていた。驚いたが、実は閉まっているんじゃないかという心配はちょっとだけあった。そのゲーセンは、その手ではおそらく中堅~大手の会社によるチェーン店だったが、単純に経営難に陥ったのか、やむを得ずに立ち退きをせざるを得なかった複雑な事情があったのか、理由はいくつも考えられたが真相を積極的に知ろうとは思わなかった。

閑散とした一角を前にして、こみ上げてくる寂しさと同時に、ゲーセンに通っていた思い出が蘇る。そのゲーセンに通い始めたのは2年半前のことだった。レバーとボタンを使ったゲームに大きな興味のあった自分は、インターネットで調べた結果、近くて通いやすく賑わっていそうなこの店に通い始めた。最初は多くのゲームをだらだら触っていたが、古めのゲームは対戦相手が少ない上に強すぎて勝負にならないこと、新しいゲームでもそのほとんどは操作が難しいなどの理由で肌に合わず、多くのゲーム、多くのキャラクターを試した中から一人だけ自分マッチしたキャラを見つけ、そのゲームを集中的にプレイすることにした。それなりに歴史のあるゲームだったが、最新作が出てから日は浅く、プレイヤー数も多かった。

結局のところ、プレイしていた2年間はずっと負け続きだった。自分だけの力では手も足も出ず、インターネット攻略情報を調べ、操作に慣れようとしては乱入され、コテンパンにされ続けた。やっとまともに動かせるように思い始めた頃からは、筐体の周りに出来た行列に並んで待ち、自分の番になると一回も相手に触れずに負けたこともあった。いくらお金を注いでも、上手くゲームを遊ばせてもらえなかったし、相手は自分を勝たせてはもらえなかった。それでも楽しかったのか、それとも上手くなれると信じきっていたのか、毎日のように通っては迷わずお金を落とし続けた。

プレイを始めてから一年半ほど経ち、ラインナップもそれなりに変わり始め、自分のやるゲームも古くなり、稼動しているセット数が減り、人口も減ってきたが、今やっているゲームほど自分を満足させるものはなく、同じゲームプレイし続けた。しかし、同じゲームプレイしていた人達は新作に移ったというわけではなさそうで、その頃には、自分が見た同じゲームプレイヤーのほとんどはゲーセンに姿を見せなくなっていた。おそらく、自分はその9割には一回も勝てなかったであろう。行列に割り行っては手も足も出なかったあの頃とは違い、中級者程度なら初見ではそれなりに肉薄できるようになった代わりに、筐体の周りには休日にも人だかりはほとんど出来なくなっていた。

対戦ゲームと並行して一人用のゲームもいくつか嗜んでいたが、お金を山ほどつぎ込みながら、ノーコンティニュークリアまで到達できたゲームはごく簡単と呼ばれるもののみを片手で数えるほどで、本格的なスコア稼ぎの領域まで手を出したゲームは一つも無かった。こちらも対戦ゲームと同じように、鳴かず飛ばずの大失敗だったと言えるだろう。

二年ほど経った頃、自分が全く上手くなっていないことにやっと気づき始めた。手先が不器用で反応も鈍いことや、妙な癖があり簡単に隙に付け入られること、攻略他力本願で何も考えていないことなど、自分の弱さにとことん難癖をつけ始め、ネット上で上級プレイヤーの話を聞くと、自分ほどの高さに達するまではほとんど苦労はしてないであろうと思い込み、自分のセンスの無さに失望し、ゲームを続けることに面白さを見出せなくなっていき、ゲーセンから自然と足が遠のいていった。弱肉強食ゲーセンゲーム事情において、弱い存在である自分自然淘汰されたということである。自分ゲーセン通いは、いわゆる人生に数多い挫折の一つというやつで、こともあろうか自分は娯楽に対してそれをしてしまったというオチだった。通うのをやめてからは、そのゲーセンの近くには意識してかせずか立ち寄ることが全くなくなり、空白の半年の間は、店舗の様子を見たこともなかった。

自分ゲーセンで出来た知り合いはいなかった。個人的に同じゲームで同じキャラを使う上手いプレイヤー尊敬や淡い思慕の念を持ったことはあったが、だからといって自分から話しかけることはなかったし、定期的に開催される大会に出たことはないし、コミュニケーションノートにも一筆添えることもなかった。それらは単に、ゲームを中心に回るコミュニティの中で自分の存在をアピールするためには当然ゲームの上手さが必要であるという思想から、他人による自己承認を求め、待ち続けていただけの臆病さによるものなのだと思う。その思いとは裏腹に、話しかけられて腕前を賛美されるといったこともなかった。むしろ、自分や筐体に対して罵言や殴打で怒りをぶちまけられることこそ無かったが、ゲーム内では対戦中に挑発や舐めプレイという形で自分を疎んじる態度を頻繁に表され、今でも枕で思い出しては後悔と戒めの念を抱くほどである。だから、自分はこのゲーセンコミュニティの中に存在していたとは思えないし、そのゲーセンにいた人達と今、閉店に対する思いを共有できるかといったそうではない気がする。ただ、少しでもこのゲーセンに通っていた人なら、奥底には自分と同じような寂しさを持っていて欲しいと願う。あと、おそらくこのゲーセンが無くなったことで、中にはアーケードゲーム自体をやめてしまった人も少なからずいるのだろう。それは寂しいことだと思った。

思い出話はいい加減やめにする。通っていたゲーセンが閉まっている現実を目の当たりにしても、あのゲームをもう一度やりたい、という思いは失せることはなく、近くにあるもう一つのゲーセンに向かった。そこはアミューズメント事業では最大手のゲーム会社が運営しているため、そうそう閉店することはないであろう。ビデオゲームフロアに足を運ぶ。平日の昼間だけあって人はほとんどいなかった。筐体の配置が変わった程度でラインナップは半年前とほとんど変わった様子が無く、自分のやりこんだゲームも変わらず対戦台で稼動しているのを見つけた。100円を入れ、自分の使っていたキャラを選ぶ。久しぶりのプレイ不安だったが、動かしてみるとそうコンパネの扱い方を忘れてはいないことに気づいた。さすがに応用となると怪しい部分もあったが、基本はおおむね満足に動かすことができた。かつて何度も練習した猶予2フレームのテクニックも、身体が覚えていて問題なく出すことができた。レバーをガチャガチャと動かし、いつもの癖でボタンを順々に思いっきり弾くように押す。外が寒く、暖房が強く効いていたせいもあるが、上着を脱ぎたくなるほど身体が火照った。乱入はなく、一人プレイをそこそこに終えた。楽しかった。次に、かつてノーコンティニュークリアしたこともある、簡単な一人用ゲームプレイした。うろ覚えはしているものの、基本は思いつきだけで立ち回っていく。当然のように、後半になるとすぐに攻撃に追い込まれていく。最終ボスの最終形態ゲームオーバーになり、結局変わってないか、と上手くなっているのを期待していたことを自嘲した。それ以上ゲーセンでゲームプレイする気にはならず、ゲーセンを後にした。

馴染みの深いゲーセンの閉店を目の当たりにして、これから、を思うと、これからは他のゲーセンインカムに貢献して微小ながらゲーセン全体を盛り上げよう、などという気持ちはない。腕も無ければ人脈もない、ゲームセンターという文化に馴染めなかった人間なので、これからもなおさら、関わらないようにしようと考えている。

今の自分は、ゲーセンはおろか、今はゲームというものに対して良い思いを持っていない。今は一つのゲームのみを家でプレイしており、そのゲームプレイ時間は150時間を既に越えたが、一向に上手くなる気配を見せない。最初に比べると随分な上達なのだろうが、普通ゲーマーなら1/4程度のプレイ時間自分の高みには達せられるだろうと思う。もちろん最初は楽しくプレイできていたが、上手くならない自分に苛立ち、そのゲーム逆恨みを募らせていった。恨みを持ってまでそのゲームをするのは「諦めたくないから」という無駄な意地で、上を見てもキリがないし限界があるので、ある程度納得する結果が得られたら、そこでゲームとはしばらく縁を切ろうと思っている。何を娯楽に真剣に、と大笑いされるだろうが、自分にとってゲームとはそういうものになってしまっている。たぶんそれは悲しいことだと思う。

自分は非常に負けず嫌いでプライドが高いので、通っていたゲーセンに対して、そのゲーセンにいたプレイヤーを含め、自分を貶めたことについて憎悪の念を持っていたのだと、今思い返せば、そんな気がする。そして、ゲーセン通いをやめた時から今まで、いつかはゲームが上手くなって、見返してやろうと思っていたんだと思う。そんなこと、できるわけないのに。この胸の中に小さな穴が開いたような虚しさは、復讐の相手を失った感じという表現が合っている気がする。

今の自分を形成している、一つの大きなものが死んだという感覚は、初めてだった。


拙い語彙に、自己完結して他人が読むには意味の通らない文章、まとまりのないテーマ、過ぎた自分語り抽象的すぎる表現。見てて不快感を催しても仕方ありません。申し訳ないです。

ただ、心の中にある複雑な思いをどこかにぶちまけたくて、増田に書かせてもらうことにしました。

長文、失礼します。

2009-11-13

うちの場合。

自分もあまり彼女に対しては怒らない。

何かイラっとすることがあっても、怒らずに自分の中で消化をする。

突発的に怒ること=相手を不快にすること

自分の中で位置づけているからだ。

彼女不快にしても何も楽しくないし、自分もイヤな思いするだけだ。

どちらにせよ自分がイヤな思いをするぐらいなら自分の中で自己完結させたほうがいいと思っている。

だから怒らない。


それに対して彼女は平気で怒るし、俺をよくダメなやつ」とか「使えないヤツ」とか言う。

まぁ褒めてくれたりもするんだが、相対的に侮蔑するような発言のほうが多いため記憶に残らない。

もちろん、怒られたときに反論せずに相手の言うことを全肯定して

相手にとても非がある場合以外、相手が多少悪かろうともたいがいは自分が悪いという結論に落ち着かせる。

反論しても相手のほうが口が達者なので言いくるめられるので怒られたことを真摯に受け止め反省する。

デートにもあまりいかない。彼女が出不精だからだ。

だから彼女の部屋に行って掃除をするのがもっぱら休日の過ごし方だ。

格別映画ゲームをするわけでもない。ましてやSEXもだ。

そんな彼女でもたまには共通の友人と飲みに行ったりもする。

でもそこで俺が帰り道に方向違うのに途中まで一緒に付いてって送っていったりすると

「こんなときだけ彼氏面しないで」とか言われたりして凹む。

あるとき、たまたま俺が「なんで俺たち付き合ってるのかね?」

彼女からは「めんどくさくないから付き合ってるんじゃない?」なんて言葉が出る始末。

こんなこといわれて、愛してるの言葉とかもないし、ましてや肉体関係もない。

俺が愛の言葉をささやいても「ふーん」とか「キモい」って感じで流される。

それに凹む。

そんなことで日々精神的にやられる日々。


じゃあ何で付き合ってるのか?

趣味がかぶるところあるし、結構彼女の言うことは的確だし、俺よりもいろいろ器用な面もあるし、そこまでスタイルよくないけどお洒落にはハンパなく気を使うし

何気ないところで俺のほしいものや好きなものを買ってきてくれたりするし。いろんな意味で機転が利くし。


結局俺がベタ惚れなんですよ。なんだかんだ凹んだりイラついたりするけど。好きなんですよ。

恥ずかしいし、言ったりすると思いっき罵倒されるから言葉にしないけど好きなんですよ。

でも、そのうちすれ違っちゃうのかなぁ…。


http://anond.hatelabo.jp/20091112234253

を読ませていただいたらいろいろと頭のなかがめぐったので

思いのたけを書きなぐってみた。

自分非モテで、なんか近さを感じたから吐露したくなったのかもしれない。

あー、やだやだ。

2009-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20091109195921

俺は精神外科の「脳ミソを弄れば精神病が治る」って発想に美しさを感じてるから、それがちょっとでも生き残ってると思いたいんだ。

ああ、でも実際は治るじゃなくて運がとってもよければかなりマシになるくらいだったっけ?

それに薬物や磁気刺激も脳ミソを弄ってるか。

じゃあいいや。

すまん、自己完結しちゃって。

2009-10-30

飲み会は金を多く稼いでいるやつが多く出すべきか

何をいまさら、いつだって結論は出ないテーマ

「男が女より多く金を払うべき」

僕は基本的には男女等しく割り勘にすべきだと思っている。

それがこちらが誘ったデートならまだしも、友達同士ならなおさらだ。

学生時代の友人と飲むときは割り勘が常だった。

ところがあるときそこに学生時代の友人とは別の友人が輪に加わるようになった。

彼はリーダーシップがあって、幹事を進んでやってくれる。

僕らも「やってくれるなら」と特に不満はなかったのだが、僕には一点だけ不満があった。

それが、「男は女より金を多く払うべき」だ。

彼はなぜか毎回会計時に「男4000円、女3000円」という言い方をする。これが僕は非常に気に入らない。

理由はいくつかあって、一点目として、もともと割り勘だったのになぜ今多く払うのかということ。

二点目として、友達同士でなぜ男女で差をつけるのかということ。

三点目として、給与の差を考慮したって、僕が一番給料が安いということ。そして二番目に安いのも3人男がいる中のうちの一人だということ。

つまり、幹事男>女の子たち>男友達>僕という順で給与の差があるということだ。

この状態でなぜ多く払わなければならないのか。

これがようやく口説き落とした女の子のためならまだ小さい男だと思われたくないとか、

経済力をアピールしたいとか下心があるからといった理由がある。

でも損得勘定なしの学生時代の友達じゃないか。多く払う理由が見当たらない。

だったら割り勘を切り出せばいいじゃないかとか、お前が会計をやれというのはもっともなのだが、

それは置いておいて、先に幹事男に切り出された場合を考えてみる。

これが非常に厄介で、各々がそれぞれの金額を出し始めたときに割り勘と言うのは非常に勇気がいる。

女の子からしたらお金を多く払わずに済む話で、割り勘なんて言おうものなら露骨に嫌な顔をするだろう。

もしかしたら、友達だからこそ了解してくれるかもしれないが、裏で小さいやつとか思われるかもしれない。

また一番めんどうなケースは、「じゃあお前は3000円でいいよ」と言われたとき。

これは、正直、ある種義憤みたいなのを感じていたはずが、ちょっぴり萎えてしまう。

となると、僕は「男は女より金を多く払うべき」というテーマに憤りを感じつつ、

それを隠れ蓑にして、単純に自分が多く払いたくないだけということになるのだろうか。

そんなことない、とは思うけれど、でも、きっとそうなんだろうな。

けどそれならそれで、そういう通念はもっと存在していいと思う。

幹事男は「男は女より金を多く払うべき」というのはマナーだと言った。

それは男が女より高い収入を得ているという社会的通念の存在という前提がある。

彼はその前提の上に立ってマナーだと言っているのだろうが、それならそのマナー自己完結していればいい。

金を多く稼いでいるやつが多く出す。男女でどうこうとか言わず、それでいいんじゃないかと思う。

案外「男は女より金を多く払うべき」というテーマ隠れ蓑にしているのは彼もなんじゃないか。

しかし世の中はそうは見ないんだよな。それが不思議

友達が友達でなくなっていくのは、時間空間の隔たり、そして収入だ。

いつまでも利害関係のない友達関係を続けていくには金銭条件はきちんと考慮されるか、

あるいはまったく考慮しないかのどちらかだと思う。

僕はどっちかはっきりしてほしいし、どちらかと言えば後者であってほしいのだが、彼は一体どうしたいのだろうか。

2009-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20091025221649

関西弁に限らないけど、方言というのはその人の「素の部分」だと感じる。

だから、あなたのその発言を聞いた人は「とても感情的に怒ってる」と感じるんだ。

あと、「お前なにやってんねん」というのは関西弁というか、関西人の会話の一部だと思う。

そのあとに何らかの返しがある。でも、そういう流れみたいなのって、全国共通じゃない。

関西に限らず、その地方独特の会話パターンというのはある。

相手も周りも同じ地方の人じゃないと成り立たない言葉・会話というのは確実に存在する。

特に東京自己完結が基本なので、会話の打ち返しを期待するような発言はすべきでない。

まあ、諦めて関西弁を極力喋らないようにするか、関西に戻りな。

2009-10-16

あと30分で講義がある、だから30分暇なんだ。

今、経営学科で偏差値46?ぐらいのE?F?ランの大学生をやっているんだけど、昔はもうちょっとマシな偏差値学校、いや、まぁ、どうせチラ裏だしほんとの事言うと偏差値でいったら57くらいのちょっとマシな公立行ってた、もうちょっと昔で言えば中学じゃTOP10くらいにはいて優越感に浸ってたし、小学生に戻れば学年一番で頭がよくて人受けも人生の中で一番良かったな、スクールカースト的にはまぁ全体的に地味目でも普通な感じだった。

あぁ、なんかもう最近となっては慣れたんだか、昔のことを忘れたんだか、わからないけど今と昔の比較なんてあまりしなくなってきた、しても何の意味もなさないのは理解してるつもりだし、でも今日までの遍歴を他人と比べたり考えたり、何の進歩、何の利も生み出さないことを知りながらも繰り返して悶え、鬱になり、躁なり、なんだか最近鏡を見てると鏡の中の自分自分と感じられない有様だ

後20分か、あーあとこの文章は練ってない、ただの走り書き、読み返したりしてないから・・・嘘です、ちょっと気になって読み返しました。

で、なんだったかな、そうそう高校で弓道部だったんだ、これが以外と県内有数の施設でさぁ、結構強かったんだよ?

あんまり真面目にやってなかったんだけどさ、レギュラーにはギリギリ入ってた、インターハイは進出直前で前年覇者に当たって死んだ、シードにしとけよ前年優勝者くらい。

で、今通ってるFラン大学にも弓道部があってさ、これはもう鳴り物入りって感じで入れば、優遇されるんじゃないかって考えと、少し弓が引きたくなってしまったのが相まって入ってしまった。まぁ、雑用があるとか先輩におびえるとか雑用で休日で潰れるとか、は当たり前だよな一年だし、やってきたことだし。

ただ、弱かった。高校の後輩と今の先輩をぶつけたらきっと惨敗では済まない倍の点数差をつけられるんじゃねえかと思ってしまうくらい、それと自分の実力も一年生に戻ったが如くボロボロだった事とか、良くある先輩への不満なんかで、色々募っていった。

そんなこんなで何とか春学期を終えて、これから夏休みって時だった。

なんだったかな、夏休みも当たり前のように

あーもうだめだ時間が来た、9階から隣の棟の5階とかねぇよ、じゃあ、もし読んでくれた人がいたのなら、また後で

追記

こんなのを読んでくれた物好きな人が居たもので、今度から教室間の移動が億劫になる数だけコメントくれた人のことを思い出すことになりそうです。

さてまた後でとか言いながらもう5日くらい経ったかな。

今日は1コマ空いててあと一時間ちょっと時間があるから、またダラダラ書きますよっと

そうそう夏休みに入るところからだった。

夏休みに入るとほぼ同時に部活の練習が組み込まれていたんだよね、それでさ、練習場所がなんか毛虫が上空から降ってくるという野外練習場で、夏休み前に休日返上して掃除しに行った。まぁーショボイ、暑い、泥だらけ、本当に毛虫が降ってきた。

またこういうところで過去を持ってきてしまうところからして未練タラタラ自分は、あー高校の頃は、大会が自校開催できるくらいの立派な道場で好きなだけ、やりたい放題やっていた頃が懐かしい羨ましい妬ましいとか思いながら、初日の練習を次の日に控えて準備をしていた。ふと次の日の練習時間が何時からだったか知らないことに気づき同期に連絡を取る、俺は始発に乗っても間に合わない時間ということを知り、なんか不満が爆発。

まったく、最近の若者無気力なくせにすぐキレるから困る、ちなみに松岡修造はキレるって言葉が一番嫌いなんだってよ。

次の日、無断欠席。その次の日無断欠席。その次のつぎの(ry

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめ(ry

とまぁ、入ってくる留守番電話、着信、自宅の呼び鈴にビクビクしながら大学夏休みは終わった。

この夏休みの事、不満爆発の原因(本題)も事細かに語るのは大変だから、必要に応じて小出しにしますか。

そしてぇ、秋学期の始まり。

あれだ、最初のほうに述べたとおり、そこそこの学校からFランに転落してきたから、未だにこの学校には馴染めていない、金髪のにーちゃんねーちゃん、根暗が沢山だし、タバコも嫌いだ。二人組みを作るのに本格的に苦労はしてないけど友達が居ない(本題)、ほぼぼっちだといっても差し支えない。

で、無駄に長い通学時間読書して潰してる。最近海辺のカフカ(上)とネガティブハッピーチェンソーエッヂと化物語(上)、グラスホッパーをほぼ同時に読み終わる。最早、本が友達になってきた。

西尾維新はいいよね、言葉遊びが好きです。でも表紙とか見るとあんまり他人には薦められないっていうか、そもそも自分の気に入ったものは他人に見せたくない、自分の中で自己完結させたいから他人には薦めないという心の引き篭もりっぷりを発揮している自分は寂しい奴のような気がしてなりません。

じゃあ本題に入りますか。

部活のことですけど、無断欠席を続けていてもう部内には居なくなった人になったと同期が教えてくれました。

実質退部。その理由

なんで友達を作れない、作らないのか。その理由



そのー、今の自分が大嫌いなんですよ。

予備校通って、受験勉強してきたつもりになって、自分の生活、楽しみを投げ打った結果Fランにしか受からねぇ。

春休みはそんな無力感で何もできませんでした。今までの自分はなんだったのか、過去自分との対比から始まり、今後の生活、将来、周りへの影響、今までに無い程の自己嫌悪。いろんな物が急に押し寄せてきたような、そんな気がして動けないままに動き方を忘れた。

そして、そのまま学校は始まり、何となく居場所がなくて、部活に何となく入り。

何となく日常の授業をこなし、ノートのために友人らしきものを作り。

ある日、周りの人が自分と通じる、というか同じような、人であるという考えが思い浮かんだまま離れなくなって、自分と同じ場所に来てしまうような、自堕落な、自分と同じカテゴライズにされてしまう人間は嫌いだと、そんな風に思ってしまった。

その考え方が元で、この学校に属する人とは仲良くできる気がしない、自分を認めることができない、部室に居る先輩も、隣で授業受けている人も、教えてる先生も、誰一人、尊敬できない、認められない、居ないほうがマシだ、と思ってしまう。


いやぁー、我ながら酷い文だ、読み返す気にもならない、ちょうど後10分で次が始まる。

英会話が強制的に組み込まれてるのってどうなのよ、まったく。



追記の追記

一ー

というわけで、化物語検索してこんなものを読ませてしまって申し訳ない。

その1 じゃなくて そのぉ っていったつもりだったんだ。

ブログmixiもやってないからコメントが付くといちいち嬉しいね。続きが読みたいなんて言ってくれる人が一人でもいれば死なない限り続けると思います。

で、読み返したけど、読みにくいし、全体的にちょっとアレだし、句読点の場所とか漢字おかしいとことか結構あるよね、直さないけど。


現状ね。もうほんと最近さ頭働かしてないんだ。

最近どころじゃねぇ、もう半年くらい何にも考えてないといっても過言じゃないね、現状をどうにかしようとか、彼女つくろうとか、勉強しようとか、資格取ろうとか、オシャレに気を使おうとか(パーカージーパンシャツで成り立っているよ)、考える事をしなさ過ぎて、行動もしないし、それが続いてて、疑問を感じなくなって悪化している。そんなスパイラルはまっているんじゃないかと、思ってる、ただ悪いことだとは、思えなくなってる。

どうしたいのか?と聞かれて今これだけの事が頭に浮かんだ、現実じゃそんなこと聞いてくれる人いないから、現状の打開なんていう事からすら無意識に逃げていたっていう事に気が付かされたよ、逃げていたというか、現状に対しての諦め、拒絶、無関心というのが正しいかもしれないかな。

唐突だけどさ、今週休4日なんだ、羨ましいでしょ?

これがまたいけないのかもしれない、今までの人生でこんなにボケッとしていることはなかった。

大学に行くまでにさ、二時間半も掛かってしまうと、授業を固めたくなっちゃうんだよ。

それにそんな、授業自体は難しくないし、宿題もそんなないし、レポートとかまだ2、3回しか作ったことないし、いいのかよこの学校

あ、やばい、すごいことに気が付いてた。まだ大学に入ってから、自宅での勉強時間時間行ってねえ。

ここまでくると少し自分に恐怖を感じちゃう。

追記

悪ふざけが過ぎたよ、ごめんなさい。

2009-09-23

自己向上

分類

  1. 自分を知っている』つもりの人
  2. 自分を知っている』人


自分性格や力、キャラクター、更には向上度をしっかり自覚している上で卑下する人・・・は案外希少なのかも知れない。

少なくともと最近は、『自分を知っている』つもり故に停滞し続けるのがある種の「世界に一つだけの」個性!な風潮が見受けられる気がする。

それどころか「そのままの自分を愛して」とのたまう人もモジャモジャ潜在していると思う。

無気力で興味や夢を持たない若者揶揄されるけれども、今の自分で停滞し続ける向上心のない(頑張らない)自己を恥ずかしいと思わないだけ。

更に一歩進んで、努力してもねと自分自身で向上度を低く見積もって、どうせたかが知れてると自己完結

なんにせよ自分自分の向上度を過小評価している=

自分をよくわかっている』つもりで、本当は本気出したMAX値を知らない=自分を知らない人。

向上度ってぶっちゃけ思いがけない火事場の糞力でMAX値なんて如何様にも出せると思春期部活恋愛なんかで学んでいれば

自己停滞は目標や夢がある限り起こらないはず。

(当然失敗の痛みも経験するだろうけど、向上度の限度や加減を覚える+挫折後に立ち直り成長できた嬉しさを獲得できたら完璧

だからこそ自分というのを自覚した上で改善しようと常に努力し続ける人こそがありかたとして一番高尚だと思うし、

そういう人に惚れてしまう自分だったりするw



結論

思春期青春しろ。何かに全力を尽くし、挫折し、一つでも何か達成すべし。(この際DQNなイタタでもまぁ良い)

家に自堕落に引き篭るのだけは絶対しない。

向上心を常に持つ。

2009-09-20

anond:20090920194210


我が強すぎて協調性がないタイプ

目立とうとして自分だけ人とは違うことやって喜びを感じるみたいな。

でも、結局は何も成さないで独りよがりで自己完結しちゃってる。

で、協調性があり志しを同じくすることができる人たちに嫉妬して毒吐いたりする。

2009-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20090905133820

想ってるだけじゃ伝わらないもん。例え伝わってたとしても、向こうがこっちを「いいな」って思わない限り放置じゃない?

熱い思いを伝えても何をしても相手次第っていうのはどっちも変わらないと思うよ。

両想いですら、言葉の重みと差異で温度差あったりするし。

そんなの恋愛じゃないっよ。

自己満足世界だよ。

そんなのも恋愛

人の数だけ手法も方法もある。

わかってるけど、どうにもできなくて粉々に砕け散ったなにかは何にもなれないまま、ゴミになるんだろうな、と思った。

分かってるというけど、そうやってわかったつもりで自己完結しても何も終わりも始まりもしないと思った。

砕け散ろうが爆破されようがどんな状態にあっても変化は訪れるよ。

妥協を通り越して諦めたりしちゃうとゴミどころか無になるかもしれないけど。

2009-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20090901081839

時代は回ってるだけだと思うけどなぁ。

これまで、女性女性誌ってのは、女性の地位向上だの。社会進出だの

自分自身」を高める方向に進んでいたんだけど、

カップルというならば同姓婚やDINKSというのもあった。)

結局は、負け犬にはじまって、モテ非モテ小子化で、

結婚してなくて、尚且つ子供がいなけりゃクズみたいな社会観が押し寄せてきちゃったわけだ。

だから、自分を向上させるよりも、他人から評価され、愛されてナンボ、という価値観が生まれても仕方がない。

できちゃった結婚も、さずかり婚だのWハッピーだの下らない言葉で装飾しなきゃいけない。

自分自身を向上させて、がんばっても、その子供から(もしくは若い人から)

自分専業主婦で楽したいよなー」=他社依存の「したい」

って言われてオシマイって訳だ。

元増田は「したい」「されたい」って事にこだわっているみたいだけど、

結局は自己完結だろうと、他者依存だろうと、

自分がどの方向やゴールを定めているか、というだけで、

自分の「したい」「する」には変わりがない。

女性は「愛されるために」「何かをする」のだから。

運だなんだと言っても、所詮宝くじを買うのとは違って、

努力も認められるし、嫌らしい根回しだってちゃんと効くんだ。

人間関係ってのは単純に運だけで左右される事じゃない。

自己完結努力して、ダメな事だって山ほどある。

自己完結型の方が、自分に甘くなる、という旨みはあっても

他者に判断を委ねることと、さほど差異はないよ。

また数十年先には、女性自己完結型が幸せ、って時代が来る。

流行なんざ無責任なモンなんだから。

いや、もっと早いかな?

あと、それを鵜呑みにして一喜一憂するほど普通の人はお馬鹿さんでもないと思うけど。

2009-07-24

山ちゃんのニコヨン日記

ワシの仕事はニコヨンや

ほんだら ワシのホンマの仕事を教えたろか

ワシの仕事はなあ 日記タイトルどおりニコヨンや

ニコヨンいうても わからんやろな ニコヨンいうたら土方のことや

スポーツ新聞求人欄で土工とか人夫とかで募集してるやろ あれや

昔はニコヨンいわれてたけどな 今では日給で12000円から14000円くらいやで

なんで 金に幅があるんかわな ピンハネの度合いや

直でやったら 13500円でも 飯場通したりすると12000円(ワンツー)とかになりよるんや

ワシらが やり始めたときは8000円とか9000円とか1万以下やったけどな

バブルの時に 一気に値上がりしよったんや

あの時は ホンマに景気がようてな とにかく人夫が足らんかったんや

そやから 手配師とか番頭があっちこっちから人間かき集めてきとったんや

それでも 足らんかったんやで実際

そういう時にも タコ部屋ができるときもあるんやけどな

(タコ部屋については またあとで 教えたるわな)

夜勤いうて 晩方から朝までの仕事やったら 日当は昼間の2倍くらいあるで

体力に自信があるもんは 通しでがんばってや ワシは堪忍やで

ニコヨン・・・

日雇労働者のこと 労務者

昭和24年 「緊急失業対策法」の施行により職安を通して日雇労働者を受け入れた

その定額日当が当時240円だったので そこからきている


始発でGO! センターをめざせ!

そういう仕事にどうやってありつけるか いうたらな

まず 最初にいうた 新聞求人欄で見つけることがあるわな

そやけど ワシらも含めて ほとんどの人間センターからの斡旋やな

センターいうたら 西成のあいりん総合センター環状線新今宮駅の近所

南海電車新今宮駅の下や 俗に言う釜ヶ崎やな 西成でも霞町でもエエで

そこで 窓口にはられた 求人の紙を見て選ぶんや

ほんで センターの横付けしとる ワンボックスマイクロに乗り込んで現場へ行くんや

(昔は 観光バス中古みたいなデカイバスも着てたけどな)

ワシらは センター通さんと 直でバスに乗り込むんやけどな

そのバスフロントガラスにも おんなじような 仕事内容の書いた紙が貼ったあるからな

現金日雇い)とか出張契約つまり泊まり)とかのな

それで 選んで乗り込むんや

バスに乗りこんで そのまま現場に行くんやないで

まずは その人夫出しのとこか飯場へ行くんや

(この人夫出しは「ニンプだシ」と「だ」にアクセントがあるんやで)

飯場についたら まず朝飯や 粗末なな

それから 現場の振り分けやな 10人ほどバスで連れてきても

全員同じ現場いうことはまずないで あそこは5人 あそこは2人とか

そうやって振り分けするわけや 飯場現場とは直接関係ないからな

人夫を斡旋するだけやから 人材派遣業になるんとちゃうかな

で またバスに乗りこんで現場に出発するんやで


ワシらのコスチューム

ワシらのかっこ言うたらな 昔はニッカーボッカーで地下足袋トレードマークやったけどな

今は普通の作業ズボンジャンパーやな これも季節によるけどな

絶対 半袖のシャツでは作業せんで なんでかいうたら 日焼けや これが 体力奪いよるんや

靴も一足580円くらいの スポーツシューズで マジソンバッグみたいなもんに

地下足袋長靴を持ってるくらいやな

(これはどんな現場にも対応できるようにや 通常=足袋 生コン等=長靴

最近の作業ズボンで文句言いたいのはな あの 足首までぶかぶかのズボン

ワシのは ちゃんと足元にまとわりつかんように ゲートルみたいになっとるやつやけど

あんなもん なんの意味があるんや 余計に危ないやないか

流行やろうけど 機能美が全然ないやないか ぶさいくなだけや 腹立つで


やります できます あんこです

仕事の内容いうたら いろいろあるで もちろん 建築関係がほとんどやけどな

まず ホンマの土方やな スコップもって穴ほったりするやつや

今時はユンボ(土すくう アームのついた機械や)があるさかい ユンボが使われへんとこ

つまり 隅とか いりくんだとことかの 穴掘りやな これが 汚れるんで いやがる人間もおるな

他には 解体屋の手伝いやな 解体屋が家とかビルとか壊しとるやろ

その手伝いとか その廃材を ダンプに載せる手伝いとかやな

あの 道路工事とかで見る ガガガガいうて 道路の穴開ける機械 チッパーいうねんけどな

それも やらされるで あれは 目にカスが飛んでくるからな 防護めがねは必需品やで

できれば 防塵マスクもやけど これは タオルで我慢やな

ここで ワシはエライ目に会うたで

箕面風呂屋の解体に行ったときに 柱を引き倒すから 柱の上にロープ結んで来てくれ

いわれてな 登ったんや 風呂屋は平屋やけど 屋根が高いんや

それに ほとんど壊し終わっとるから 登る足場もぐらぐらなんや

そんなとこに 登らせるないうねん ワシは鳶(とび)やないで

あとで 文句いうといたけどな


物事の本質を見抜け!

という具合にな ワシら土方はなんでもできる万能選手なんやで

それこそ 「大きなビルから小さな増築まで」や

実際 ええように使われてるだけやねんけどな

その分自由というもんがあるんや 働きたい時だけ働いて 休みたいときに休む 何者にも縛られへん 自由がな

ホンマはこれがあかんねんけどな これに浸かってしまうとな なかなか 一般人には戻られへんのや

しかし わかるやろか この感覚自分にあるすべてのしがらみからの開放

親や兄弟 妻 子 友人 近所 上司 同僚 得意先などなど 諸々の自分にとって大切であるからゆえのしがらみ

自分自分であるためのつながり こういう 一切のもんからの開放や

あるときは 自分を救ってくれたりしてくれるんやけど その反面 多大に自分を苦しめ 制約するもんや

完全な自己完結世界やな ある人は自由といい またあるひとは 負け犬のねぐらとも言うな

まあ 一遍 その世界から抜け出して見るのも ええかも知れんで

そうすることによって 自分のホンマに大切なもんが見つかるかもしれんしな

(全部が いらん いうこともあるかもな)

平々凡々と暮らしとったら 本質を見抜く目ぇが 雲ってしまうかも知れんのやな

当たり前と思ってることが なんでそうなんかが 分かるかも知れんで かもやで かも

そやから そこいらでゴロゴロしてるおっさん 見かけても 乞食 とは違ういうことを認識してや

(また 乞食には乞食ポリシーがあるのもおるからな 乞食とは違うということだけやで)

なれの果て と みるか 憧れの究極の自由人とみるかは それは勝手やけどな

2009-07-04

底の浅いエロ漫画についての考察

エロ漫画の巻末漫画を読んで、思った。

エロ漫画家は……いや、漫画家は、大分すると2つに分かれる。

フェチ系」か「変態系」か、だ。

フェチは「自分の好み」をまず追求する。「相手」を余り考えない。自己完結型。

変態は、相手との関わり合いを追及する。それがどんな繋がりであってもいい、いや、むしろ繋がりが変であるほどいい。「○○プレイ」は、ご主人様と奴隷がいて成り立つ。

---

例えば靴下。

主人公が少女の靴下をスーハスーハーしちゃうエロ漫画を描く、というのが命題だとする。編集者から「もう次の君の読みきりは靴下って事で決まったから」と断定されたとする。

---

変態系」だと、まず困るところから始まる。

靴下?靴下で俺は変態行為が出来るのか?オナニーできるのか?いや、普通じゃ出来ない。普通だと無理だ。

なら、どうする。どこまで堕ちれば俺は靴下と性を結び付けられる?と妄想する。

まず、靴下の匂いをかいでスーハーしてる自分を思い浮かべる。何故スーハーしてるのか?好きな女の子の靴下だから、と補完する。

自分が大好きな少女少女の靴下。でも、単に少女の靴下が手に入っただけじゃ、それでスーハーなんてしない。

じゃあその少女フェロモン体質で、靴下からでさえもフェロモンプンプンで嗅いでるだけでイッちゃいそうになる靴下なんだ、と思う。いやいや、それだと靴下モノじゃなくフェロモン少女モノになりそう、とりあえず思いつかなかった時の保険にしよう、と思い別ルート模索

例えばその少女がイケイケSで、こちらがMで、命令されるとか。「靴下の匂いを嗅ぎながら私の前でオナニーしなさい」とか。ああ、俺は靴下なんかでオナニーしちゃう変態なんだ、少女に命令されてこんな卑しい事を、なんて考える。前より「靴下モノ」に近いな、これもSMメインで靴下サブだから保険にしておいて、別ルートだ。

と、様々な事を考える。

靴下で抜け、というたかが命題1つに対して、真剣妄想する。

圧倒的な妄想の量、その中からやっと1つの漫画ストーリーとして使えるのを持ってくる。

これは妄想の量を自慢しているわけではない。

靴下1つで変態行為を行う事に対して、裏付けが欲しいのだと思う。そして誰かを想っていたいのだと思う。

---

フェチ系」はそれが必要ない。

「靴下で欲情なんて当たり前じゃないか」という、悪い言葉で言えば思考停止気味な一言で片付ける。

だから妄想も底が浅いというか「少女の靴下スーハスーハー最高!」な人間がそれをただ描くだけなので、妄想がそもそも要らない。

---

どちらがいい、というものではないかも知れない。

俺自身が妄想タイプなので、自分とは違う生き物のフェチ系を排除したい、と幼稚に思ってるのかも知れない。

ただ、俺には、フェチ系の言ってる事は「底が浅い」ように感じてしまう。

そして時代が経つ毎に、変態漫画家は減っていく。フェチ漫画家が増えていく。ノレない話が増えていく。

時代の多様性、と考えればいいのかも知れないが、何か納得できない。

---

これは、エロ漫画だけでなく、漫画全般に言える。

好みのシチュエーションやら台詞回しやらを追求し、妄想を深くしなくてもその台詞回しだけでイケちゃうというタイプフェチタイプ

とにかく細部まで妄想しないと気が済まない、最終的に描かないかも知れないけどその世界である事は一応全部妄想してから描く変態タイプ

と分けられると思う。

例えば部活メンバー全員で一斉下校してた時に、とあるカップルがいきなりキスしだしたりする場面があったとしよう。

そこで一様に「えーっ!?」と全員で驚いてしまう、それがフェチ系。とにかくキスが一番名目であり、キス以外の情報は「邪魔」。みんなの前でキスそれが大事

変態系は「えーっ!?」と驚くやつもいれば「ああ、とうとうやっちゃったか」と思うやつもいる「ああ、若いねぇ」と思う先輩もいれば「がーん」なんて片方に思いを寄せてた後輩もいる、とバリエーションを増やす。「キス」が大事なのではなく「キスが及ぼす更なるドキドキ」が大事なのだ。

---

そこまで妄想してしまうから、絵じゃ足りなくて漫画にしてしまうわけで。

逆に、フェチ系の方々はよく漫画が描けるな、と思う。たかが○○が大好き、そんなのだけで漫画描いてたら、数作描いたら行き詰まりにならないか?と心配する。

妄想を最初にしておけば、サブルートもたくさん考えてあるし、一人一人にスポットを当てればそこからまた新たなストーリーがいくらでも作成できる。変態であれば漫画を描くのに困らない(絵を描くモチベーションとかそういうので困るかも知れないが)。

---

先に書いたが、どちらが優れているというものでは無いんだろうな、と思う。

俺自身はフェチ系にはノれないし底が浅いと感じてしまう。

でも今の世の中、既に漫画フェチ系の時代に入っている。

底が浅い、妄想が足りない作品が多く出回っている。この台詞を使いたいが為に作品全部を歪ませました、なんて公言して自慢する作家もいるぐらいだ。

まぁ、絵が良けりゃそれでいいからなぁ、漫画なんて。

2009-06-30

親と子って永遠のテーマだね

上から目線のつもりはないけど、ムカついたらごめんなさい)

そんなに悩む事ないと思う!

このスレ反響見ても、同じ問題を抱えてる人がいっぱいいるって解るし

だいたい、親と子どもって上手くなんていかないのが普通だよ

『友だち親子』とか『何でも受け止めてくれる親』

って最近育児論の方がおかしいと私は思う

子どもはいつか親を越えて行かねばならぬ存在

こんなクソ親しんじゃえ、って思う事があって

こんな親にはぜったいなんないって思うから

ちくしょ〜ってがんばって

向上出来るんじゃない?

私そうだったよ

親だってほんとうは一生懸命ベストをつくして

それであの程度だったんだって許せる気になったのは

一人暮らしして

自分一人でトラブルに対応して

とことんオトナにならなきゃならなかった時だった

誰も護ってくれない

この状況で親はせいっぱいがんばって

自分を育ててくれたんだって思って

許せない事いっぱいあったけど許せた

感謝できた

簡単に言っちゃえば、親になれば親の苦労がわかるよ

親の愚かさがそのまま自分自身の問題だって解る

親が解決出来なかった課題

次の世代で解決する

それが人類の歩みってことじゃないでしょうか?

ネット世界って自己完結しやすいね

たくさん意見があり過ぎて訳が解らなくなっちゃ

自分をしっかりもって!

まず、自分を傷付けたような親には絶対にならない

そこからスタートすればいいんじゃない?

そしてね、みんな、み〜んな親と子の事で悩んでいるんだよ!

『あの親だからこんな自分なんだ、どうせ駄目だorz』じゃない

『あの親だからこんな自分だけど、そういう事が解ったスゲー自分なんだから、きっと親を越えられる!』そう思って欲しい

元気出せ、あとはアナタのヤル気しだいだよ!

2009-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20090625153259

ああ、そうやって自己完結して自分が何もしてないということを正当化してんのか。

倒産しそう(だけどしない)大手電機メーカーとかにも腰掛けはいっぱいいるし、

民間が嫌だったら公務員財団とかに行けばいいじゃん。

2009-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20090610110830

そうそう。

 

育ててもらった恩ってさ、

返すものじゃなくて、

次の世代に渡すものなんだよなあ。

 

オバマの就任演説でも当たり前のように

自分達が受け継いだ国を更によくして次世代に渡す」

というわけだけども。

ほんと、

そうしないと循環が止まって、

自己完結しちゃうのにね。

2009-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20090607215838

付き合っていたわけではないが、俺にとって、今までで一番濃い思い出は、彼女だった。

一般的には、俺のような男はバカにしか見えないだろう。しかし、後悔はない。


彼女にとって俺はなんだったのか。。

これは関係ない。

彼女元増田をどう思っていたとしても

彼女がいたから、今の自分がある

んだから。

いや、むしろ彼女がどう思っていたか分からないのに、今の元増田があるのだからこそ、彼女の気持ちなんてどうでもいい。

元増田は、元増田の中にいる彼女の思い出と、自己完結して満足してるんだから。

それは高歴非モテの特権かもしれない。

そうじゃない「一般人」は、相手の気持ちや、何らかのカタチという「返戻」を残さない限り、思いは完結せず「一方通行」「撃沈」のまま破棄されるから。

元増田には彼女の気持ちがどうだのこうだの考えたりするよりもカッコイイ生き方お勧めしたい。

そんな元増田さだまさしの「八つ目の青春」を捧げる

2009-06-05

こりゃひどいw

http://diamond.jp/series/marriage/10012/?page=4

近藤さんのように、すでに親が要介護の場合、結婚は無理なのだろうか?

たしかに、条件が優先される婚活では不利になってしまうかもしれない。女性には家庭や子どもを守り育てる本能がある。

本能ww押しつけんなバカwww

 回答を見ていくと、「介護は義務だから」というより「愛する夫の親ならば」という内容が多いことに気づく。

義務じゃねぇし、愛で済むもんじゃねぇよ介護は。

こんなバカが戯言ぬかしていられる世の中は平和なのか世も末なのか。

ウチは実家を売り払い遺産全部を使って自己完結してもらうって事で話は付いています。

2009-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20090604174824

潔癖なんだなあ。でも、気持ちは分かるよ。

ただ、彼女に罪があるわけじゃなかろう。そこは区別して接してあげような。

自己完結しすぎた態度の急変てのは、彼女にとって理不尽なことだと思うぜ。

あと、増田に早く次の春が来ることを祈る。よりよく生きろ。

2009-05-21

僕のペットついったー

ついったーのおもしろさについて。

これは色んなブログさんで語られているし、見る人にとっても飽き飽き飽きしている2つの問題。

Twitterの何がおもしろいの?」と「ついったーつかれたわ!」についてです。

ついったーって本当に不思議なツールで本来は「今、何してるの?」を共有するツールでした。それが何時の間にやら「@だれだれ」を使ってリアルタイムに近い会話を楽しんだり、まなめさんがまとめている「さまざまなめりっと」のように、ある一つのテーマに沿って複数の人が会話をしたり。フォロー人数や誰と繋がっているかによって、見えている(コトバの世界)は地球と月ぐらい違う世界なのかもしれない・・。

例えるなら、ついったー「パン」や「ご飯」みたいなモノなのかなぁーって思う時あります。

ご飯の上に(生卵を載せて、ぐっちゃぐっちゃ)って食べる人もいれば、パンの上に(なっとうを載せて食べる)何て人もいる。美味しそうに食べる横で(何が美味しいのソレ?)って聞かれても、数秒の沈黙の後(美味しいじゃん?)と言うしかないよね。人生なんて、大体が何となくで動いてる。ついったーもそれと一緒で明確に面白さを入試的(○○○文字で説明しなさい!)みたく文章にできる人って殆ど居ないと思います。強いて挙げるなら、「納豆パンおいしいよー!」って書いたら、フォローしている方から(えー美味しいのソレ?)という返事が来るぐらい。2回ー3回のやりとりがあって、会話が途切れる。ついったーお決まりの流れですね。ここで、なっとうパン愛好会が結成される何て思った日には、とっても悲しい気分になってしまいます。

で、もう一つ「Twitter」を何かに例えるとしたら、ペットなのかなぁ?って思うんです。

犬ではなく、猫に近い存在。抱いたり撫でたりするけど、自分勝手で犬のように主人に忠実じゃない。唯一、なつかせる手段があるなら「マタタビ」。猫の前でマタタビ水戸黄門の印籠の如く振りかざせば、「ニャニャー」「ニャーゴロ」思いのままです。

ちょっと長くなってしまったので、最後に「ペット的、ついったー術」を羅列しておきます。

1.自分の悩みを打ち明けたって、相手はマタタビに夢中。言いたいだけ言って、スッキリした方が吉。

2.相手の発言であったり、思いの丈を綴ったコトバを読んでいると、何だか癒される。

3.エロイ発言がマタタビ

4.相手が嫌がっているのに無理やり接しようとすると、痛い目を見る。

5.「何で聞いてくれないのー」とか言っちゃダメ。何故なら、聞いていないから。相手の返信より、自己完結した方が楽。自己完結型の楽しみ方を1.2つ見つけましょう。

6.親身に接していれば仲良くなれるかも。

2009-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20090511034737

あなたが他人を見下しているため自己完結の傾向が強いのと、内罰的なのはわかった。

人達が疲労しているのを見ていられない私かわいそうアピールならお疲れ様。

疲労している友人達をどう助ければいいかの相談なら仕切り直した方が良いよ。あなたが他人に相談する価値を感じられるのなら、だけど。


私も同僚や知人がバタバタ倒れたり、最悪過労で死亡したりする職場にいたけど、心配していることを伝えたり、無理矢理相手のスケジュール開けさせて息抜きさせたり、将来の話をしたり、いたわるやり方はいろいろあるよ。

2009-04-30

友達

私があの人に言ったことは届いているのだろうか、届いていたのだろうか。私がいくら言ってもなにひとつ届かなかったけれど、今はもう変わったのか。それとも私の言葉だけが届かないのだろうか。私は私の言葉だけが届かない、ということをもっと真剣に考えたほうがいいのかもしれない。

単純に見た目だけの問題なのか。

言い回しが悪いのか。

人間性に説得力がまるでないのか。

あの人のためを思って必死で励まし続けたことがひとつも届かなかったことが、私を半年間ひどいうつ状態へ落とした。”世界の可能性”のようなものが信じられなくなった。自分の誠実さには何の意味もないんだ、と思わされたようだ。

昔傷ついたことに邪魔されて、素直な気持ちになれない。私は立ち直って生きているけど、傷が癒されたわけではない。絆創膏を付けているだけ。

だから少し悲しくなる。

余計に私がムダだったんじゃないかと思わされる。

恨み節。誰にも罪はないのに。

いつだって勝手押し付けている、私が一番の罪人だ。

そう、全部勝手押し付けです。

でもあの頃は「自己満足のためにボランティアする」というような潔さに乏しかった。ただ絶望感だけが残った。

矢張り、よくもわるくも、どう頑張ったって自分が他人の人生に干渉することなど出来ない。

家族でも恋人でも親友でも、私はただ彼らの人生を隣で見守ることしかできない。

励ましたい気持ちや、支えたい気持ち、応援したい気持ち、幸せになってほしい気持ちだって

ただの干渉だよ。そうだったんだよ。

私は他人の人生踏み込みたかったのかな。

少なくともあの人のこと(同性の友人)が大好きだったから、同じように気持ちを通じ合わせたかったのかも。

あー。

もう今度呼び出して「お前はわかってないだろうけど、今まで出会ってからどれだけお前のことを大事に思ってきたか!!沢山傷つけられたけど、それでもお前の事が心配で忘れられなくて、思い出すとムカつくけどそれでも気に掛けてしまってきていた、なんだろね、これ、恋か!?恋なのか!?恋みたいだろ!そのくらい大事な友達なんだよー!」って洗いざらいいってやろうかな。バカ。

なんか悔しさとか悲しさとかで泣きそうだ。

私は押し付けなくなればいいよ。自己完結すればいいよ。

自己完結や、自分の内側に溜まる強烈な衝動を何かしら、自分ひとりで消化できるようになればいいよ。

きっと問題はそこです。

仕事に生きよう。

2009-04-28

痴漢者をカテゴライズてみるテスト

 痴漢にまつわる議論を追っていて、どうも一口に痴漢といっても加害者像にかなりの幅があるんではないだろうか、と感じた。

 ちょっとした思いつき程度ではあるけれども、痴漢パターンから加害者像を想像/分類してみた。

 

1.「出来心

 「服の上から撫でる、さする」「傘でつつく」「満員電車で密着」「覗く」

 ・体調、ストレス、直前の出来事、妄想ポルノに影響されて。

  「むしゃくしゃしてやった。今は反省している。」

  一般的に痴漢と聞いて想像されるパターン痴漢被害の実態を啓蒙することで相当防げる範囲じゃないかと。

 

2.「酔っ払い」

 「からむ」「抱きつく」「卑猥な言動(売春を持ちかける等)」

 ・アルコール向精神薬で歯止めが利かなくなっている人たち。

  酔っていることがほとんど顔に表れない人も結構いる。個人的には酒は免許制にすべきだと思う。

 

3.「知的障害者

 「比較的空いている車内にもかかわらず体を密着させる」「周囲の視線を全く気にしない」

 ・認知症自閉症etc.

  知的障害を持つ人の性欲は社会的認知が進んでいないと聞く。難しいね。。。

 

4.「常習者」

 「通りすがりに胸を叩く」「下着にまで手を伸ばす」

 ・放火万引きと似た依存症の一種のようなもの。

  場数を踏んでいる為、行動に躊躇が無い。痴漢被害の大部分を占めているんではないだろうか。警察に捕まるまで止めることはたぶん無い。

 

5.「倒錯」

 「使用済みコンドームを投げつける」「同じ被害者、似通った服装や体形の人物ばかり狙う」

 ・状況や人物への執着。フェティシズムサディズム

  どちらかというとストーカーに近い?被害者へのダメージ大。他の痴漢とは違って自己完結せず被害者の反応を窺っている場合もあるか。

 

6.「ヘイトクライム

 「民族的な特徴のある服をナイフで切る」「同じグループ階層(と加害者が考えるもの)の人間を狙う」

 ・被害者属性への攻撃にセクハラという手段を使う。

  「痴漢」と分類されている中にも、こういった動機のものも含まれているんではないだろうか。

 

 「男性性」ってカテゴライズが大きすぎることが議論が錯綜する原因のような気がしたので、対象を切り分けることでなんか見えてこんかな、と期待したのでありました。考慮一助になれば幸いです。

2009-04-05

社民党党首福島氏の発言に見る誤解と理解と

普段やっているブログ政治・軍事ネタは扱わないので、増田に書き増田

時事ドットコムはすぐに記事が消えるので、痛いニュースの以下の話題経由で

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1244337.html

にある社民党党首福島氏の発言

政府の大失態ではないか。間違ってミサイル防衛迎撃していたら、先制攻撃にもなりかねなかった」

を読んで、一体どういうふうに解釈すればそう言う指向になるのだろう、とずっと考えていたのだが…つまり「迎撃というのはまさに迎え撃つことなので、迎えるものがないと迎撃なんてできないのでは」という風に思ったのだが、いくら何でも弁護士資格を持つ政治家なので、そう言った基本的な言葉の部分で間違いを犯すことはないだろうと思い、何かが決定的に解釈がおかしいのだろうと思ったのだが。

はてなブックマークブックマークページ

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1244337.html

にて、b:id:Chishow氏が以下のようなコメントを出していた。

迎撃ミサイルってのが放り投げたボールをこっちからも放り投げたボールをぶつけるイメージなんだろう。 向こうのボールが無かったらそのまま向こうの基地に落ちる=先制攻撃という脳内自己完結

これを読んで、どういった点で勘違いしているのか、と言うことが腑に落ちた。つまりアニメなどで銃弾を銃弾で撃ち落とすと言うシーンが出てくるが、ああいうイメージなんだなぁと…。つまり、向こうが発射してきていないのに、発射したと思って迎え撃つミサイルを発射すると、もし当たらなかったら、相手にむかって飛んでいくと言うイメージなんだと。正面衝突させるイメージなんだという可能性である。また、ミサイルというとみな同じで、ロケットとは違うもので、種類があると言うことに気づいていないのではないだろうか。

そうだとすると一連の福島みずほ氏の発言に一貫した勘違いの原因が見えてくるような気がする。以前にも福島氏は

迎撃ミサイル目標に当たったら残骸(ざんがい)が落ちる。当たらなくともミサイルは向こう(国外)へ行ってしまう。国内外の市民に被害はないといえるのか」

と言うような発言をしていたと報じられている。これを読んだときに「当たらなくてもミサイルは向こうに行ってしまう」と言うのを「ミサイル迎撃しなくても、国外に勝手に出て行くのだから問題がない」と言う意味解釈し「国内に着弾しそうなときに迎撃って話では?」と思ったのだが、これも[b:id:Chishow]氏の解釈をふまえると納得がいく。

実際のところ、ミサイルロケットは山なりに上昇して宇宙に出てから加速して(衛星ならここで軌道投入したりして。軌道型の弾頭を軌道に入れて)本体あるいは軌道型でない弾頭は最後に山なりに落ちる。

ミサイル迎撃システムイメージ的には第一弾は上昇中、後ろから追いかけていくようなイメージで、「人」の文字のように、上昇中のミサイルを後ろから追いかけて落としたり、「T」字的にしたから打ち落としたり、PAC3のほうは、逆に振ってきたのを「y」字的に迎え撃つイメージだったと思う。(「T」字的に打ち落とすのは巡航速度が速すぎて無理とか言う話だったような気もするけど)

こういう話を読むと、今北朝鮮ミサイルについて様々な議論をしている人の一体どれぐらいが、基本的な技術論(どういうものか、と言う基本)を押さえているのかと言うことが不安になってくる。普通の人はこのあたりの理屈を、一体どこまで理解しているものなのだろうか?

とはいえ、さすがに福島氏は社会党の党首である。社会党は今は減少傾向にあるとはいえ、国として政党として認められた多数の人間の信任の上に成り立っている党である。当然、その中にはこういったことに詳しい人間がいて、アドバイスもできるはずだ。そう考えると、なぜこのような発言が出てきたのかが、どういう政治的な意図があるのか。

自分は、その意図は「無知国民レベルに合わせることで、その層を取り込もうとしている」と言うことではないか、社会党がねらいに行くほどそう言った層は広いのではないか、と言う懸念を持つ。

まぁこんな事を深夜のインターネットの片隅に書いてもしょうがないのだが…。

2009-03-27

気象理論疑似科学である

http://anond.hatelabo.jp/20090326205141

20世紀科学哲学者、カール・ポパーに従えば。

彼は科学疑似科学の境界を「反証可能性」に求めた。ある理論科学であると認められるためには、それが「反証可能」でなければならない、すなわち、

1:その理論に基づいてある予測をたてることができ、

2:かつそれを現実世界経験と照らし合わせて検証することができなければならない。

ポパー疑似科学の例としてフロイト精神分析論を好んで取り上げた。例えば、ある男が子供を川に殺意を持って突き落とそうとしており、もう一人の男はその身に代えても子供を助けようとしているとする。フロイト論者は、この二人の行動を、同じくらい簡単に説明することができる。一人は抑圧されており、もう一人は昇華を遂げたのだ、と。フロイト論者は、どんな行動に対しても、それに対する説明を編み出すことができるわけだ。ポパーはこれはおかしいのではないかと考えた。何でも説明できてしまう理論は、むしろ理論と呼ぶに値しないのではないかと。

気象理論もこれに似たところがある。どんな天気でも、その原因は気圧変動で説明できるとされる。昨日雨が降ったのは、日射により大気が膨張し、上昇気流が起きたからだ、という。気象理論はどんな天気に対しても、理由を探し出して気象理論的な説明を編み出すことができる。

フロイト理論と気象理論が違うのは、気象理論は理由を気象理論の外に求める点だ。気象理論自己完結した理論ではない。「日射により大気が膨張し、上昇気流が起きるから」であるという主張は、気象理論それ自体からは導き出せない。その主張を入れ替えれば、気象理論はどんな天気にも適用することができる(もちろん主張それ自体がある程度の説得力を持っている必要はあるだろうけれど)。

気象理論反証可能性を持つのだろうか?そもそも自己完結していない気象理論科学理論と呼んでよいのだろうか?それとも単に僕の中での言葉定義がおかしいのだろうか?


メカニズムについての理論と、個々の事象への対応を混乱するとこうなるのかな。天気予報が外れたからといって、気象理論モデルが否定されるわけではないというところを、もうちょっと考えてみたらいいかもね。

http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/index.html

Q.進化論は反証不可能なので科学ではないのでは?

A.例えば先カンブリア紀の地層から大量の石器が発見されれば進化論に対する強力な反証になります。進化論科学ではないと思いたいために「進化論は反証不可能である」と主張する創造論者もいますが、原理的に反証不可能であることと、反証の証拠が見つからないことを混同すべきではありません。進化論原理的に反証可能ですが、現在のところ反証されていません。[2000.4.11]

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん