ついったーのおもしろさについて。
これは色んなブログさんで語られているし、見る人にとっても飽き飽き飽きしている2つの問題。
「Twitterの何がおもしろいの?」と「ついったーつかれたわ!」についてです。
ついったーって本当に不思議なツールで本来は「今、何してるの?」を共有するツールでした。それが何時の間にやら「@だれだれ」を使ってリアルタイムに近い会話を楽しんだり、まなめさんがまとめている「さまざまなめりっと」のように、ある一つのテーマに沿って複数の人が会話をしたり。フォロー人数や誰と繋がっているかによって、見えている(コトバの世界)は地球と月ぐらい違う世界なのかもしれない・・。
例えるなら、ついったーは「パン」や「ご飯」みたいなモノなのかなぁーって思う時あります。
ご飯の上に(生卵を載せて、ぐっちゃぐっちゃ)って食べる人もいれば、パンの上に(なっとうを載せて食べる)何て人もいる。美味しそうに食べる横で(何が美味しいのソレ?)って聞かれても、数秒の沈黙の後(美味しいじゃん?)と言うしかないよね。人生なんて、大体が何となくで動いてる。ついったーもそれと一緒で明確に面白さを入試的(○○○文字で説明しなさい!)みたく文章にできる人って殆ど居ないと思います。強いて挙げるなら、「納豆パンおいしいよー!」って書いたら、フォローしている方から(えー美味しいのソレ?)という返事が来るぐらい。2回ー3回のやりとりがあって、会話が途切れる。ついったーお決まりの流れですね。ここで、なっとうパン愛好会が結成される何て思った日には、とっても悲しい気分になってしまいます。
で、もう一つ「Twitter」を何かに例えるとしたら、ペットなのかなぁ?って思うんです。
犬ではなく、猫に近い存在。抱いたり撫でたりするけど、自分勝手で犬のように主人に忠実じゃない。唯一、なつかせる手段があるなら「マタタビ」。猫の前でマタタビを水戸黄門の印籠の如く振りかざせば、「ニャニャー」「ニャーゴロ」思いのままです。
ちょっと長くなってしまったので、最後に「ペット的、ついったー術」を羅列しておきます。
1.自分の悩みを打ち明けたって、相手はマタタビに夢中。言いたいだけ言って、スッキリした方が吉。
2.相手の発言であったり、思いの丈を綴ったコトバを読んでいると、何だか癒される。
4.相手が嫌がっているのに無理やり接しようとすると、痛い目を見る。
5.「何で聞いてくれないのー」とか言っちゃダメ。何故なら、聞いていないから。相手の返信より、自己完結した方が楽。自己完結型の楽しみ方を1.2つ見つけましょう。
6.親身に接していれば仲良くなれるかも。