はてなキーワード: 自己完結とは
彼は科学と疑似科学の境界を「反証可能性」に求めた。ある理論が科学であると認められるためには、それが「反証可能」でなければならない、すなわち、
2:かつそれを現実世界の経験と照らし合わせて検証することができなければならない。
ポパーは疑似科学の例としてフロイトの精神分析論を好んで取り上げた。例えば、ある男が子供を川に殺意を持って突き落とそうとしており、もう一人の男はその身に代えても子供を助けようとしているとする。フロイト論者は、この二人の行動を、同じくらい簡単に説明することができる。一人は抑圧されており、もう一人は昇華を遂げたのだ、と。フロイト論者は、どんな行動に対しても、それに対する説明を編み出すことができるわけだ。ポパーはこれはおかしいのではないかと考えた。何でも説明できてしまう理論は、むしろ理論と呼ぶに値しないのではないかと。
進化論もこれに似たところがある。どんな生物でも、その形質は進化論で説明できるとされる。キリンの首が長いのは、高い位置にある木の葉を食べるのに、首が長い方が有利だからだ、という。進化論者はどんな生物に対しても、理由を探し出して進化論的な説明を編み出すことができる。
フロイトの理論と進化論が違うのは、進化論は理由を進化論の外に求める点だ。進化論は自己完結した理論ではない。「高い位置にある木の葉を食べるのに、首が長い方が有利」であるという主張は、進化論それ自体からは導き出せない。その主張を入れ替えれば、進化論はどんな生物にも適用することができる(もちろん主張それ自体がある程度の説得力を持っている必要はあるだろうけれど)。
進化論は反証可能性を持つのだろうか?そもそも自己完結していない進化論を科学理論と呼んでよいのだろうか?それとも単に僕の中での言葉の定義がおかしいのだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20090222170142
増田は俺と似てる気がするよ。 エゴグラムをやるとAとCPが強いんじゃないか? 留学するのにはもってこいだけど、ちょっと遅かったか・・・
増田は「で、それになんの価値があるの?」っていう疑問をもつことがあるのかもしれない。 俺も人に興味を持とうと思って、この問題にぶつかった。
市場価値も、学術価値もない。 じゃあ、無価値か? っていうと、多分人間は価値が無いってところに行き着くんだろう。
「人間は価値が無い」ということが前提になっていると示唆するものはたくさんある。 でも人間は「あなたには価値がある、あなたが大切だ」ということが前提になっているものでしか生きていけない。 物理的にも。
技術も、金も、社会も、制度も、みんなある意味そうだとおもうんだ。
「あなたには価値がある」を前提としたやり取りをするには、増田も「俺には価値があると言ってほしい」と願ってる状態じゃないといけない。 しかも無自覚的に。
俺の論理に無理矢理当てはめてしまって悪いんだけど、増田は「俺には価値があると言ってほしい」っていうのを「これができるようになった。 これもできるようになった。」という形で実現してる。 「あなたは、自分の価値を高めることで人を引きつけようとしている。」でも書いたけど、自己完結した世界。
俺もこれでかなり救われてきたし、これを批判するのは馬鹿だとおもう。 でも、それにはまりきらない部分もあるんだと思ってる。 ・・・というかそう思いたいな。
俺は多分増田みたいにできがよくないから、いろいろ挫折したり、進展がみられなかったりすることがよくある。 そういうとき、↑のやり方だと次の成果を出すまで黙々と作業し続けることになるけど、多分応援してくれる人がたくさんいた方が自分のアウトプットもブーストされる。 ・・・・そういう仲間を作っておくコストを下げるという問題は、自分がそれを必要とすることであって・・・となんかまとまらないんだけど、
「それはすごく大切だと思う」とか、自分の価値観で、相手を喜ばせられるポイントがあったら逃さないことで、コミュる手助けになる。 きっかけにはなる。
とりあえず相手は、聞きたいことを言ってくれて、聞きたくないことを言わなければ友達になれるし、増田みたいにコンペテンシーがあると自慢できる友達に慣れる。 あとは増田が楽しめるかどうかだとおもうし、最初は「それはすごく大事なことだと思う」「悪いんだけどそれの何が大切なのか今の俺にはわからない」とか言ってみるといいと思う。
俺は「自己完結できる」ということに気付くことが遅すぎた。
※主にリアルでの話
そんなこと言われなくても分かっているという人は
これはただの注意喚起と自分への戒めなのでテキトーに読み流してもらえればいいと思う。
自分がヲタであるということを他人に示すのはまさに自己主張の塊
ヲタ趣味が自己完結できる趣味であるというのはもはや言うまでも無い。
さらに良好な人間関係を築いていくというのは不可能に近いことではないだろうか。
そもそもヲタ趣味に限っては、人間関係を築くきっかけとしては有効かもしれないが、
「友達」と「ヲタ友達」というのはかなり異質なものである。
ヲタ友達を作る最大の目的となるのが「趣味の話題の共有」だろう。
共通の話題を持つ人間同士は会話が盛り上がり、一見すると大変仲の良いようにみえる。
しかし、本当に趣味が合う=仲が良いかといえばもちろんそうではない。
何万何十万といるファンのうちの一人でしかなくいつでも代替の効くものだ。
友達同士でオタク趣味を共有し、気づけばヲタ友達となっているケースもあるだろう。
しかし、そうなったら最後オタクな話題が先行し、ちょっとしたすれ違いから
「こいつとは趣味が合わない」と疎遠になってしまうことも珍しくはない。
何故そういったつまらないすれ違いが簡単に起きてしまうのか、
「モノ」が先行する世界であるという点ではないだろうか。
例えば普通の友人同士の会話でありがちなのが昨晩見たテレビ番組などだ
この程度の話題であれば、割と見ているものも共通で話題としても取り上げやすい。
凡庸であればあるほど、共通の話題は軽い内容でありさほど重視はされない。
そのため深く話題について議論する必要もなく会話は総じて個々人が尊重されて進んでいく。
たとえ芸能人の好き嫌いがあったとしても、オタクとは違い思い入れは薄い。後腐れの残るような会話もまず起こらない。
これがオタク同士になると、例えば好きな絵師について話題にしようとしたとする。
Aは「○又先生が好きでさ~」と話を振ったが、Bはデッサンの崩れやハンコ顔について指摘した。
(オタクというのは自分の趣向に総じて貪欲であるためこういった指摘は平気でする。)
Aはこのあとどのように快い会話を続けられるだろうか?
たとえ指摘まではしなかったとしても、あからさまに無関心そうな顔をするか話題を逸らすだろう。
たったこれだけのことでも友達となれる人が限定されてしまう、それがヲタ友達だ。
また、オタク同士の会話の中では「モノ」についての話題が不可欠となる。
その話題も多様で、入手方法・作者・価値・収集・保管・鑑賞など様々だ。
モノの入手について合理性を追求した集まりの典型が、同人誌即売会のバイヤー仲間だろう。
そのやりとりは時に「本当に友達なのか?」と疑問を抱かせる場面も少なくない。
良心で協力していたものが、気づけばただ利用されているだけになっていたなどということはしばしばだ。
遠方であり、その友人はなかなか行くのも難しい状況であったため快く引き受け、
早朝から午後まで半日以上並ぶことになったが、なんとか2限で自分と友人の分を手に入れることができた。
しかし1年後、別の友人づてから聞いたのだが、もうすでに飽きてヤフオクで処分していたらしい。
しかも、倍以上の利益を上げてだ。
「隠れヲタ」というものがあるが、
実社会で信頼を勝ち得て良好な人間関係を維持していくにはこれはかなり堅実な選択ではないだろうか。
ただし、ヲタの本質が強いほどこれはかなり忍耐を強いられるものだろう。
今幸いにも良好な人間関係に恵まれ、さらにオタク趣味も共有できる「友達」がいるのならば
「ヲタ友達」にしてしまわぬよう気をつけるべきだ。
特定の話題に固執するばかりに相手を不快にさせない、相手を尊重し思いやること。
これだけでも出来ていれば「まともな」友人関係は継続できるはずだ。
既に自分が相手にとって「ヲタ友達」でしか無くなっていた場合は手遅れであることが多いが・・・
それでもやっぱり「自分は○○が好きなヲタです」と吹聴して回るオタク
それは、ただ手放しで自分(が好きな○○)を絶賛してくれる誰かを待っているだけではないだろうか?
将棋に強くなるための11か条
・最初はモチベーションが大事
・本気になれる
・楽しい
■大局観で指す
・駒の損得のみで局面を見ない
・手筋を理解する
・手番・駒の働き・玉の堅さを意識する
■定跡を覚える
・模倣は悪いことじゃない
・プロの検討の過程で洗練されてきた手を手と頭に叩き込む
・自分の指したい戦形を見つけろ
■盤面を必ず見る
・嘘をついてはいけない
・手拍子で指すのは自爆
・棋書を読む場合でも、盤面を見ろ(並べろ)
■省略しない(読みを)
・手拍子で指さない
・序中盤の劣勢であきらめない
・ディテールを略さない
・細い攻めをつなぐ
■ライバルを作る
・相手よりも強くなりたいと思え
・達成可能な目標地点を作る
・時には自惚れろ
■自分を追い込む
・将棋を指さなきゃいけない状況を作る
・頑張らなければ一生将棋は下手糞だ
■自分より強い人に見てもらう
・間違った部分を理解する
・正しい指摘をしてくれる人に指摘してもらう
・自己完結しない
■投資を惜しまない
・棋書を買っただけでは強くならないが、買わないと得られないものもある
・金より力を優先しろ
■勉強する
・向上心を忘れない
■将棋のことを好きになる
・常に将棋のことを考えるようになれ
・将棋に恋をする
・「この気持ち・・・まさしく愛だ!」
少し補足すると、将棋はダメな手というのははっきりしている場合が多いけど最終盤以外は「正しい手」というのはわかりにくい。(プロが感想戦で検討しても結論が出ないことも多い)
なので、指すときは思い浮かんだ手を指し、あとから検討することが必要。棋譜は対局終了後すぐに保存するべし。
勝局と敗局を分けて保存しとくと、負けが込んできたとき勝局の棋譜を並べると自信になります。
あと、こういうリストはブクマしたりメモしたり保存するだけではなくて、うまくなるにはどうすればいいかについて自分なりにいろいろ考えることが大切なんだと改変の過程で気づいた。
■好きな絵を描く
・最初はモチベーションが大事
・本気になれる
・楽しい
■立体で描く
・輪郭線で物を見ない
・構造を理解する
・奥行きを意識する
■模写する
・模写は悪いことじゃない
・正しい線を手と頭に叩き込む
・自分の描きたい絵柄を見つけろ
■資料をかならず見る
・嘘をついてはいけない
・想像で描くのは自爆
・嘘を描く場合でも、本物を見ろ
■省略しない
・最後まで描く
・顔で終わらない
・バストアップで終わらない
・ディテールを略さない
・細い線で描く
■ライバルを作る
・相手よりも上手くなりたいと思え
・達成可能な目標地点を作る
・時には自惚れろ
■自分を追い込む
・絵を描かなきゃいけない状況を作る
・毎日○枚は描く、という目標を立てる
・頑張らなければ一生絵は下手糞だ
■自分より上手い人に見てもらう
・間違った部分を理解する
・正しい指摘をしてくれる人に指摘してもらう
・自己完結しない
■投資を惜しまない
・買っただけでは上手くならないが、買わないと得られないものもある
・金より力を優先しろ
■勉強する
・全体のバランスなど、学ぶべきことは多い
・向上心を忘れない
■絵のことを好きになる
・常に絵のことを考えるようになれ
・絵に恋をする
・「この気持ち・・・まさしく愛だ!」
たまにネガティブなことが書いてあるエントリを見かけるんだけど、そういうのは往々にして頭の中でのせめぎ合いをそのまま文字化したように、
言葉の意味が抽象的過ぎてその人にしかわからない自己完結的な内容であることが多いのでコメントのつけようの無い、まさにチラシの裏にでも書いてろ状態なものが多い
そういうエントリは意味が分からないから基本無視で、コメントをつけるとしたら、その主な理由は遊びか逆釣りで、心の底から救ってあげたい、励ましてあげようなんて思ってない
みんな口(文字)には出さないけど、そう思ってる?
自分が他人のそういう内容の文章を見かけたとしても、何も感じない、せいぜい単なる文字の羅列だな程度にしか思わない、
もし実のある内容だったとしても自分には救えないし、自助の兆しにも出来ない、釣りだと心してもいざ釣られると精神的に痛いので触らないようにしている
そんななのに、自分は、言葉を使ったある種の自傷によって気晴らしするのが半分、ついたコメントから救いを求めたいってのが半分の文章をよくネットに発表してたりするけど
そういう文章は勢いで書くと、同じように客観的に見て無意味な内容になってて(でも露出癖に似たものがあるんだろうな、登録しちゃう)、結局自分以外注目されずに流れていくだけ
自分が「実は自分が話しているのは日本語に似た何かで、日本語ではないのかもしれない」とよく感じているのは、頭ごなしに書いてしまうと自然と意味の無い文章になってしまうからで、
こうなってしまうのは文章力並びにコミュ能力の致命的な不足なのだろうか
意識して詳細に書いてみたらブックマークが20ぐらい来てたけど、そういうのは是非とも参考にしつつ、同時になんか申し訳ないなと思ったりもする
またしても「不快→通報→排除」シーケンスに入ったらしい。相変わらずというか、何というか。
今回「問題」の発端はとあるユーザーが政治関連の長文をPOSTしたことらしい。
このユーザーに関しては以前からしばしばハイク内で他ユーザーと衝突していたが、しばらくするとPOSTが止まっていたので都度収束していた。
しかしなぜか今回はそうはいかなかったらしい。
通報の名目は、戦争でケガ人をした人や亡くなった人の画像を貼っていることが規約に反する、みたいな感じらしいんだけど。
でもこれ、どの項目に該当するんだろう。
第6条(禁止事項)
2-3:倫理的に問題がある低俗、有害、下品な行為、他人に嫌悪感を与える内容の情報を開示する行為。
2-4:迷惑行為、嫌がらせ行為、誹謗中傷行為、正当な権利なく他者に精神的被害・経済的被害を与える行為
考えられそうなのはこの辺だろうか。仮にそうだとしたら相当無理があるような・・・。
黙っていても結果はハイクで報告してくれそうなので(この通報の件もわざわざハイクで報告されてた)、これは取りあえず置いておく。
どうも政治的だったり社会的な内容が絡むと過剰反応を示す人が多いらしく、今回は件のユーザー(便宜上「I」とする)に絡んでいく人が割といた。
その絡み方は様々で、お決まりの「長文ポストは携帯の人が見にくいから控えたほうがいいですよ」みたいな割とソフトな感じのものから、「何がやりたいのかわかんねぇ」といったもの、少数ではあるけどエントリーに対する意見、議論のようなもの等々。
どのパターンを見ても何となく「不快感」が透けて見えて、ひどい場合にはそれの押しつけにしかなってないものがあったりして、事態は平行線を辿っていた。
見たところ(完全に私の私見だが)「ユーザーI」は頑固そうなイメージを受けるし、やや高圧的な部分も見受けられるので、不快感を持つ人がいるのも分からなくはない。
立場によっては「何も知りもしないクセに」と思ってる人がいるかもしれないのも分かる。
だからといって突っかかっていくのはどうなのかと思う。しかもその突っかかり方が中途半端。そして挙げ句に「通報」って。
ハイク村の「自警機能」は凄い。
一部騒いでる人たちは「あの人には何を言っても無駄」とか思ってるみたいだけど、別に「ユーザーI」は誰の話も聞かないとは言ってないんだよね。
信念のようなものを持ってるみたいだし、頑固そうではあるけど自分のエントリーに対して批判も意見も受けるとは言っている。
でも何も変えないのは、あの人を納得させる「ちゃんとした」批判も意見もないから。
取りあえず「不快感」を投げつけるだけのものは論外だろう。「暗黙のルール」を持ち出すのも意味がない。
それなりに理にかなった意見じゃないとダメなんじゃないかしら。と、書くと「上から目線だ」なんて思うかも知れないけど、人に意見する上で当たり前のことじゃないのかな。
日頃、どっかから「わがままな親がどうの」なんてニュース拾ってきて難癖付けたりする割に、それと変わらないことをしていたりするから不思議。
そういえば日常生活ではどうしてるんだろう?同じような「不快感」のぶつけ方してるんだろうか。やっぱり不思議。
単独の意見として「自分のことは棚の上に上げておいて」というスタンスはありがちだし自己完結してる分には構わないと思うけど、誰かに意見する更には何かを変えさせるとなれば、それじゃ通用しないでしょ。
その点にほとんど誰も気づいていない。もしかしたら気づいてるのかも知れないし私が見逃してるだけかもしれないけど、それに類する書き込みは未だ見かけていない。
「そんなことやってられっかよ」って思う人もいるかもしれない。そう思うんだったら「スルー力」とやらを発揮して無視してもらうしかないだろうね。
「だって長文は携帯ユーザーに迷惑」っていうのもダメだろうね。ハイクの機能として可能となっていて、規約等に禁止が明記されていない限りは禁止事項じゃない。
「たまたま」多くの人がそれに納得して気を遣っているだけで、本人が納得しない限り、いちユーザーが強制できることじゃない。不服ならアイデアでもなんでも出すしかない。一応そういう「ルール」になってるみたいだし。
もう少し気になることあったけど、ちょっと長くなってきたから今日はここまでにしておこう。
貴方が他人から理解されないのは、貴方が他人を理解しようとしないからです。
何故、「非処女(非童貞)」=「簡単に身体を許してしまう精神」と決め付けるんですか?
貴方が他人の「セックスが行われるまでの過程」の何を知っているのでしょう?
どんなに真剣な恋愛でも、結果として結婚に至らない事もあります。
処女厨でも何でも自己完結しているだけなら、他人も何も言いません。
自己正当化する為に他人を批判したい、叩きたい、なんて精神が理解されると本気で思っているんですか?
…と、ここまで書いて、誰にでも(処女厨叩いてる人達にも)当て嵌まるな、これ。
と思った。
貴方が他人から理解されないのは、貴方が他人を理解しようとしないからです。
何故、「処女厨」=「恋愛恐怖症のキモオタ童貞」と決め付けるんですか?
貴方が処女厨の「処女を愛する精神」の何を知っているのでしょう?
どんなに真剣な処女厨でも、結果として非処女とセックスに至る事もあります。
非処女でも何でも自己完結しているだけなら、処女厨も何も言いません。
自己正当化する為に処女厨を批判したい、叩きたい、なんて精神が理解されると本気で思っているんですか?
…いや、やっぱ当て嵌まらんか。
処女厨うぜー。
いや、自分が言いたかったのはもっと具体的に書いてくれということ
いかん。寝れないから、関係ないけれど、口出させてくれ。
「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」「能ある鷹は爪を隠す」
どっちも、失敗した人が作ったことわざなんだろうなと思う
なるほど。笑った。
一枚板とは思ってない。きっと、一枚板風に振る舞ってるけど各人個性があって、無個性を装ってるけどプライベートでは社交ダンスしてるとかプロデビューを夢見て何か技術を磨いてるのかもしれないって思ってる
彼らは大人だから、普通を演じれるんだろうなって
そんなわけねえだろ。いや、そういう人もいるかもしれないけれど、少なくとも君の興味を惹くほどの個性のあるヤツはいない。いれば分かるよ、自然に。個性的な人が普通の人を演じてるんじゃなくて、普通の人が生きていきやすい普通の人を演じてるんだよ。
色んなコツを知ってるからこそ、人の心が読めたり、ちょっと未来を読めたりするんだろうな
そんなコツ、増田だって頭フル回転して考えてりゃすぐ分かるようになるよ。要はコツを分かろうとして頭とか気を回すかどうかだけ。特に会社ってことで場所限定なら、人間関係といってもパターンがありまくりだし、うまくやってるヤツとか観察していればつかめてくる。そんでだいたい分かってきたら、あとは自分の脳内マニュアルに従ってこなしていけばOK。面倒だけど、慣れてくればわりと自然に出来る。ただ、人間同士だけに心がこもってないと見破られることもあるだろうけど、そこは大丈夫なんだろ。
つうか、何で会社なんかに勤めてんの?増田のせっかくの何か大切なものが潰されそうで、他人事ながら心配ですよ。ただいずれ外に出るとしても、普通の人の集団との関わり方を磨くのは、無駄にはならんだろうから、いいのか。自己完結。
あとこっちは、もう同意すぎてどこから引用していいのか分からないから、2つだけ。
http://anond.hatelabo.jp/20081211025651
でも俺傾聴されるの嫌いなんだ。話題振ったら相手からも同じぐらい話題や、今まで知らなかった知識が欲しい
それでも傾聴を試みてみると、意外なほど相手はこちらに悪印象を持たない。この事でまた一つ一般人に対する理解が深まったと思う
俺も増田と同じなんだよね。なんで、相手としばらく話してただ聞いてるだけだと、相手が物足りなく思ってるんじゃないかと不安になるんだけれど、相手満足してるんだよな。えええ?と思ったけどもう慣れた。ただ、このヌルいコミュニケーションに慣れすぎると、今までの友達と会った時についていかれない。
いくらでも提供できるんだ。楽しい事がしたいとか、自分の趣味の発表の場が欲しいとか、クラブに行ってみたいとか美味い飯屋に行きたいとか面白いゲームやってみたいとか。俺自身でムリでも、それができる人の輪がある
相手の気持ちや立場を慮るのはいいことだけどさ、
自己完結しちゃってんじゃん。
耳が痛いです。相手のことを考えるふりしながら自分で完結させちゃってる。おっしゃる通りです。
そのせいか、どこまで行っても結局は自己愛の世界から抜け出せていないのじゃないか?という自問が抜けません。
結局のところ、自分が彼女を好きでいる。そして、その見返りがほしいという苦しみにいるだけの気がします。
身勝手ですね。
要は、想いの伝え方とその後のフォローとかを工夫すれば言ってもいいと思うんだよね。
増田はそれに悩んでるんだろうけど...
彼女の負担になりたくないなぁ。
振られるのも仕方ないし、それはそれでしょうがないと思うんだけど
でも自分自身の自己満足のために彼女が負担になるのはいやだなぁ・・・。
と、言い訳をしている気がします。
結局、やっぱり自分が一番かわいいのか・・・とか、自問のループにまた入ってます。
うじうじうじうじ鬱陶しいというのが自分自身でも思います。
相手の気持ちや立場を慮るのはいいことだけどさ、
自己完結しちゃってんじゃん。
ずっと答えが出さないでいると、答えを出すことさえできなくなる。
その時に未練タラタラにならなきゃいいけど。
たとえもしフラれるとしても、答えが得られれば次に進みやすいんじゃないかな。
言っておくけど、告白をするのが正しいと言ってるわけじゃあないよ。
要は、想いの伝え方とその後のフォローとかを工夫すれば言ってもいいと思うんだよね。
増田はそれに悩んでるんだろうけど...
http://anond.hatelabo.jp/20081020231740
>シェイクスピア、ヘッセ、トルストイ、ヘミングウェイ、ホメロス ドストエフスキー
この中だとヘッセ以外ならだいたい読んだよ。
神様につく枕詞がいちいちかっこいい。物語自体の意味なんてわからなかったけど、ホメロス読んでると現代文学がおもしろくなる。ジョイスだったり。
たしかに自分のまわりにもほとんどいないな。文系だけど。
でも、もし語れたとしても語る内容が重くなるから気軽にはなせないんだよね。
それだけじゃなくて、少々わかりにくいし意味だってどうとでも取れるから、適当なことを言ったらバカにされそうだし、背伸びしてこむずかしいこと言ったら相手が「うーん」とか言って黙り込むし。たまに原典厨がいて(帰国子女や外国語が得意な人に多い)、日本語訳しか読んでないくせに偉そうに語るなと陰で言われることもある。ある意味間違いではないけど、そういうこと言い始めたらなにも始まらない。
本当はドストエフスキーは笑えるほどおもしろいらしいね、大学の先生が言ってた。それなのに、私小説あがりの陰気な日本文学史の態度で読むのが(インテリの)マナーみたいになってるからみんな難しい顔して読まないといけないようになってしまってると僕は思う。たとえばアメリカのビートあたりはもっと楽しく読めるけど、そういう明るいのは正当に評価されないし。実験的作品でも笑えない言葉遊びだけが文学的に評価されて笑える言葉遊びは評価されてないと思う。
それから、読んだことの見栄や既得権意識が邪魔してる。今でも憶えてるけど、僕が高校生の頃ライ麦畑でつかまえてを学校図書館で借りたら「おっ、ライ麦か、ふーん」と読書家の友達からちょっと上から目線でコメントされたことがある。
似たような感じだとドストエフスキーだったら3作読むだけでも大仕事なのに、「地下室読んでないの?あれは基本だろ!」とか「死の家の記録は彼の転換点なんだから、読んでないなら彼を語るな」とか「ニーチェも読んだ?バフチンは?読まないとダメだよ」なんていくらでも言われる。読んでることが既得利益になってる、情報ならなんでもそうだけど。そうやって見栄を張るための道具になってて、さらにはプロの批評家同士が勉強不足をなじることで議論に打ち勝って原稿料をせしめるというシステムすらあるから、なかなか声に出しずらいんじゃないかと思っている。別にアホな感想でもいいから気軽に楽しく読んで話せたらいいのにと思うけれど、そういうつっこみが怖くて誰も語らないからどこに行っても話題にならない。
結局読書は自己完結なんだから良いのかもしれないけど、読書は上からありがたく拝見させていただくだけ、という図式になってるのが問題なのかなと思う。この形式は読書感想文なんて最たるものかもしれない。一人で静かに書いて先生にみてもらう。そして先生が採点する。そういうのより、みんなで3冊ほど読んで、昼ご飯食べながら2時間くらいしゃべったりしたほうが、活字離れはなくなるはず。逆にマンガみたいなのは下からの支持があって成立するからみんながわんさか話し合って業界全体が盛り上がれる。ただし、みんなにみてもらわないと成立しないというのは弊害もあって、萌えなんかの要素に頼ったり、似通った感動パターンの作品を量産してしまう欠点はある。そういうのがあって深みがないだとか他の分野から言われることもあると思う。ライトノベルと携帯小説の強みは楽に読めて楽に人に勧められる点にあるのかもしれない。
殴り書きしてみたけど、こんな感じかな。
もしかしたら、こういう風にきまじめな分析をしてみたがること自体が気楽に話せなくなる理由の一つかもしれないけれど。
とりあえず、ここで気楽に話してみたらどうよ?
若い人読んでるの?シェイクスピア、ヘッセ、トルストイ、ヘミングウェイ、ホメロス、etc…
いや、俺も大学生なんだけどさ、なんかドストエフスキーとかは2chとかの「この本は読んでおけ」みたいな話題で名前がでるじゃない?それだけ見てると実際読んでる人結構いそうだと思うんだけど、俺の周りには全然いない。
俺自身が理系の学科にいるからっていうのもあると思うけど、バイト先にもいないし、サークルにもいない。やっぱそういうのを読んでる奴って文学部とかなの?確かに俺の知り合いには文学部はいない。
俺はさ、上に挙げた人達の作品って好きなんだ。でも、周りとまったく共有できない。別に趣味だから自己完結しても良いんだ。それでも楽しめるからこそ趣味なわけだし。
でも、たとえば漫画とか音楽だったら、リアルな友達とも話せるし、ネットでも共有できる。でも、古典は駄目。mixiのその手のコミュとかも見るけど、小難しいことを言ってるか、大学で出された課題とか卒論の相談ばっかり。他のグループみたいに自分の嗜好をフルオープンにする人もいない。
ねぇ、どこかに、その手の本が好きな人達が気楽に話せるところはない?それともやっぱり若い人は読んでない?俺そのジャンルで唯一話が合うのは父親だけなんだ。
あなたが自己完結しちゃってて、相手にしてもあなたを信頼できないんじゃないでしょうか。
自分がされたら嫌だからなるべく男性にもしないようにしているんだけど
気になる人には毎日メールとか送った方がいいのかな?
でも、相手のことをよく知らないうちって書けることあんまりないよね。
「今日は○○をしたよ」とか書いても受け取る側も正直困るだろうし・・・。
それで困る相手とは仕事としての付き合いはできても恋愛はできないんじゃないでしょうか。
用も無いのに一緒にいると楽しいから恋愛したり結婚したりするんでしょう?
言葉でも好きって言っているし、苦手なメールも何度も自分から送っているし、
それなりの言動はしているつもり。
でも、本当に好きだから何度もメールを送りつけてうざがらせてはいけないと思うし、
電話とかも気が引けてできないし、相手の都合を考えずに強引にデートに誘ったりできない。
「できない」というのは相手の気持ちに関係なく、あなたが作った自分ルールではないのですか。
「電話してもいい?迷惑じゃない?」とか、ちゃんと会話してます?
あと、「こういう相手にこう思ってほしいんだけどどうしたらいい?」とか「こうしたら相手はどう思うかな?」ていう質問でなくて、自分のスペックや自説をバリアみたいに展開してるように見えて気になりました。
スペックの高さなんて、相手が好きなら長所、嫌いなら短所になるだけでしょ。
そんなことを気にするくらいの男とはどのみち付き合わないんだから。
前回書いたユーザーの問題で昨日は一悶着あった。そのユーザーの傾向とは、
なのだが、その後も他ユーザーの「忠告」も無視し続け(理解してない?)我が道を通していたところ、
いよいよ問題のユーザーのidページに他ユーザーが乗り込んできて「対話」が行われていた。
「対話」とはいうものの、かなり過激なやり取りだったように思う。
しかも書き込んでいるユーザーが問題のユーザーのidを揶揄した明らかなサブアカウントである。
正直、若干の恐怖を感じた。路地裏に引っ張り込んでリンチかましているような。
問題のユーザーのスタンスにも問題があったのかもしれないが、あまりにも度を超えているんじゃないだろうか。
わたしははてな内の揉め事にそれほど詳しくないのだが、ダイアリー辺りでもこんなやり取りが起こるんだろうか。
ハイクのような場の流れが早い場所で、矢継ぎ早に追い込みをかけるようなやり方はいかがなものかと思った。
また他方では積極的に運営に働きかけ、アカウント削除を試みる人もいたりするようだ。
確かに問題のユーザーとの対話は暖簾に腕押しのような印象を受けたし、
実際に人によっては「粘着」と受け止められかねない絡み方が原因でハイクを去ったユーザーもいるようだ。
それにしても「毒には毒を以て」というのは問題があるんじゃないだろうか。
「そうは言っても、理屈が通じない」と言われると上の行と無限ループが起こってしまいそうだが。
しかし問題ユーザーを責めるための「正義感」はあまりにも不確かだし、いちユーザーがそこまでの権限を持つとも考えにくい。
このように一部のユーザーが強硬な姿勢を示すことで、それを目にしたライトなユーザーは何らかの「畏怖」を感じるのは想像に易い。
こうして一部ハイク内に「学級裁判」な空気が蔓延し、より「村」としての性質が強まる。
TOPページでのライトな雰囲気の裏にidページ等に流れる重い黒さ。
何が正しいのか分からなくなる。