はてなキーワード: 筋違いとは
違う。工学自体が本質はチート。数学における抽象化もチートそのもの。
いや、揚げ足をとってるんじゃない。こういうことが理解されてないから、技術や学問を必要以上に難しいものと考えて、苦手意識におびえたり、逆恨みして衒学趣味だとかなんとか筋違いの批判を浴びせる人が後を絶たないんだよな。
工学ってのは、面倒なことや大変なことを機械的にできるようにしようという営みだし、数学を抽象化するのはまさに「暗記を最小限にしよう」ということなのだ。それを念頭に置いておけば、勉強するときにもツボが見つけやすくなるし、逆に「難しいものをがんばって覚えよう」というような努力ほど本質から遠ざかることというのはない。
余談ながら、このあたりの勘違いが一番ひどいのは工学の中でもITの分野で、ITってのはそもそも「サボる技術」なのに、IT技術者ほど「合理化してサボろう」という精神が身に付いてない人たちって珍しいんじゃないか。そういう人種が「エンジニア」を名乗ってるのを見ると、本当に殴り倒したくなるね。
連立方程式が行列で一般化されて「ハイ簡単に解けますね?」って
いわれても「計算量ぜんぜん減ってないじゃん」っていまいち納得できなかったけど
複素数はマジすげえと思った。
「連立方程式が簡単になる」という説明は非常に悪い説明だと思う。本当は、線型代数(行列とかベクトルとか)のありがたみは「次元を増やす」「座標変換を簡単にする」ことにある。
実はラプラス変換というのもある種の座標変換なのであって、「微分」という演算が簡単に計算できるように座標軸をあわせてやっているのだよ。
終身雇用制が悪い説
終身雇用は国としての制度ではないです。そもそも終身雇用は企業が使用者の都合で敷いている制度なので、やめようと思えば明日からでもやめられます。終身雇用のせいで企業業績がとほざく企業は明日から終身雇用をやめなさい。既にやめてる企業は一杯あります。「終身雇用制だから」は全く理由になりません。筋違いです。
解雇規制があるから雇用期間が長期化されやれすくなって結果として終身雇用と呼ばれるわけだから、制度のせいではないともいえない。明日から首切りしても問題視されないような労働法制や判例があるならあなたの言うことも正しいだろうけど。
年功序列が悪い説
経験つめばスキル上がる可能性高いんだから、成果主義的にしても年功と同様に年齢に従って賃金や職位が上がりやすくなるんだから、年功序列と成果主義って外から見て区別できるものでもないと思うが。成果主義にしたら年功的な賃金にならない会社というのは働き続けても能力が身につかない会社、無能な中年雇いつつ、有能な若者雇ってる奇妙な会社ってことでそういう会社のほうが淘汰されやすいんじゃないかと思う。
全くスキル無しの中途採用は難しいでしょうね。そんな人は派遣制度があってもどうせ底辺だと思いますが。失業者に対してキャリアの整理やスキルの補完といった就業支援の制度は立ち後れていることも事実です。これはむしろ派遣の弊害ですね。スキル付けられないままずるずると派遣階級固定になりますので。
派遣でも失業続けるよりはスキルはつきやすいし、中途採用の場合も派遣すらしたことない失業者と派遣の就業経験のある人では後者のほうが有利。仕事につかせるのが最大の職業訓練。派遣がもたらした弊害というのは責任転嫁。
あとスキルがないと就職しにくいのに文句言いつつ新卒採用批判する人をネットでよく見かけるのが不思議。そういう立場から見れば、スキルがない新卒を雇うのはほめるべきことのはずなのに。
企業文化的に終身雇用などが幅を利かせているのは問題ですが、これは制度ではなく文化の問題なので老害がいなくなるまで待つしかありません。現在の30代が50代くらいになれば自ずと消えていくでしょう。
長期雇用も年功賃金もほかの先進国でもよくあること。日本がほかの国より首は切りやすいといいつつ、終身雇用が幅を利かせてるのを問題視するのが不思議。首切りにくい国のほうが雇用期間は長期化しやすいはずだし、失業期間も長期化しやすく失業率も高くなりやすい。
困ったことに、ここで完全な競争があれば救いもあるのですが、天下り目的の御用派遣子会社なんてのが幅を利かせまくっていたりして、派遣はほぼ寡占市場です。皆で示し合わせて「じゃあ明日からピンハネ7割な」と言い出したら明日からそうなるような市場です。
派遣は参入規制なんかないわけだし、数社の企業が圧倒的なシェア持ってるわけでもなかったはず。派遣会社の利益率低いこと見ても競争の激しい市場だというのは明らか。ピンはね率というのは派遣社員の人件費以外の費用無視したプロパガンダの数字だし。
そういう税金は(子あり・なしに関係なく)皆から一律に取ればいい。
わざわざそれを「子を持ってない奴らから」取るのは、単に「子を持たぬ自由」を侵害しているだけのように思えるが。
勿論、現在の子供をもつ夫婦に対する色んな意味での補助はもっと必要であると思うが、それを「子無し税」で補うのはいかがなものか?その税の背景には、「子を持つほうは偉い。でも子を持つと大変なことばかり。子を持たない奴は、大変じゃない。楽ばかりしている」という価値観が隠されている。だが、果たしてそうなのか?この一方的な価値観の上にもたらされる税は危険だ。単なる子無し差別に過ぎない。子の為税が必要ならば一律に取ればいいのだ。
また、「子を持つと大変で海外旅行などにもいけないから、作らない」という考えが憎い、楽でズルい、と思うのであれば、自分もそうすればよかっただけの事。そうしなかったのだから一切の苦を背負えとは言わないが、そういう選択肢はあったのだから、それを責めるのはどうかと思う。あくまで、「子持ちに対して社会の補助が少なすぎやしないか」というところに怒るなら分かるが、その怒りの矛先を「子を持つと大変だから作らない」という所へ向けるのは、筋違いのように思うのだが。(大体、子を持つと大変で旅行にいけないから作らないというのは、「子を作ると大変」になってしまっている社会がもたらした考えでもあるのだし)変えるのは社会であって、そういう個人の考えを攻撃するのは違うだろう。人生において子育てを放棄し生きるのもそれもまた一つの人生。子を持たないなんて楽でズルい、と思うならそうすればよかったのに現在子持ちの人がそうしなかったのは、それと比べても子を持つことによるメリット(子が愛しい、楽しい、など)が上回ったからだったのではないのか。それを得たかったから作ったのではないのか。その基本を忘れて、どうも「子無しは楽ばかり」という方向へ流れている気がする。
要は、自分で好きで作ったのであろう?その上社会からも子供に対してはきちんと補助が与えられている。その補助がまだ足りぬと訴えるのはいいが、「作らない人」に当たることはして欲しくは無い。それならば、「あなたも作らなければよかったではないか」というだけだ。
未熟なハンターは迷惑なだけじゃなくて危険なんだよな。人を間違って撃つおそれがあるから。
ネット見てると疑似科学叩きとか歴史修正主義叩きとかやってる人がいるけど、後者はともかく前者についてはそういう意味で俺はかなり苦々しい思いがあるんだよね。なぜなら、疑似科学ハンターやってる人間自身が科学的思考法をろくすっぽ理解してなかったりして、これもまた科学哲学をろくに理解してない「科学主義者叩き」の温床になってたりする。で、そういう奴らが科学であろうと歴史学であろうとあるいは科学哲学であろうとそういう分野への偏見を増殖してるんだから、専門家にとっては迷惑この上ない話だよ。
それで、君は何が目的なのかな?ウヨあぶり出しとか言ってたけど、わかっててわからんふりをしてるのか、本当にわかってないのかどちらなのか。
俺が言っているのはあくまで「君の意見には反論がいくつも考えられて、たとえば例1、例2、例3・・・」という話だ。君はその中で、俺が「例1」まで言ったところでそこに延々と噛み付いて、それを元に反動主義者だとかウヨ認定だとかしてくれてるわけだよね、俺に。正直、確かに「例1」は粗雑な議論なんだが、自己啓発厨やネトウヨみたいな反知性主義者なら一番簡単に料理できる論法なんだよ。ところが君は反知性主義者じゃなくて素朴近代主義者だったわけで、その意味ではかえって逆効果だったかもしれん。ただそこを見誤ったというのはディベートの戦術としての問題ではあっても、勝ち負けで議論しているわけではない俺としては別になにも痛くないわけだ。
これがわからんのだったら、正直本気で頭が悪いと思うぞ。君はswitch文で最初のcaseに引っかからなかったらswitch文を抜けると思ってるのかね?
で、いつまで撤回した仮定を引きずるわけ?w
つまり、君が絡まなくなるまでだ。
別にITに限ったことではない。だが、英語である必然性はないと言っているんだ。むしろ、近代科学の初期の頃にラテン語が用いられたことに比べてこの点では退歩している。英語という言語は公平ではないし、習得が容易なわけでもないんだから。
ナショナリズムの浸透によって各国で自国語が用いられるようになり、第二次大戦の時にヨーロッパの有力な科学者がこぞってアメリカに亡命したことが結果的に英語一極支配を作ったというだけのことだ。つまり、英語支配というのはアメリカのナショナリズムの勝利ということなのだ。
で、それを「韓信の股くぐり」で受けいれるというのなら俺は反対しない。しかし、文化資本(英語も文化資本あるいはそれと類似の構造の産物だぞ?)による階層格差を否定する君が、「英語帝国主義で構わん」というのだから、これは明らかなダブスタだろう。それを俺はおかしいと言っているんだ。
底上げをすることと、古典をやめるなどして内容を減らすことは全然関係がないだろう。それからもう一つ、俺は「普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」なんて話は一度もしていない。
それは、特にアセンブラが必要でもないケースでか? ちょっと勘弁して欲しいなw まあ仕事としてうまくやれてるならそれでもいいけどさ、特殊ケースだろ?
特殊ケースじゃない。大多数の人にとって計算機やプログラミング言語というのは単なる道具だからだ。字を書いてる人間はいくらでもいるが、みんなが書道を習っているわけではないというのと同じこと。計算機自体が目的ではないのだから、不便を感じなければ勉強しない、他にすることはいくらでもあるという人は多い。だから、それ以上の領域は趣味と考えるべき。その意味で、明らかに筋の悪い無駄なコードを書かないようにするための感覚だけが身に付いていればそれでよしと考えるのは割と普通のこと。
以下は枝葉末節。
具体的に挙げてくれる? 君の議論の最大の弱点って多分具体性がないことだから。
いや、君の「役に立つ」の基準がわからんと、また筋違いな方向から噛み付かれるだろうからうんざりしてるんだよ。君は何をもって「役に立つ」としているのか、それを挙げてみてくれ。率直に言えば、普遍的な観点から「役に立つ」なんて断言できるものはほとんどないと思うが(洋の東西を問わず)、絞ってくれれば答えもできよう。
そりゃ「影響」はしてるだろうがな。別にキリスト教の神である必然性などない。/いや、親鸞の書いたものは当然古語で書かれてるでしょ?
一神教文化圏で「神」といえば論理的に当然限定されるわけだが。まして、冠詞がある欧米語では"the God"のようにそのことは明示される。で、日本の古典というのは君にとって親鸞以外読む価値がないのか?ちなみに親鸞というのはむしろ江戸時代以前の過小評価の反動で明治以降に過大評価されているんだが。正確に言うと過大評価というより、君のような近代主義者が、日本にプロテスタンティズムの代替物を無理に求めた結果親鸞を再発見したということだ。
いや君がニュートンを引き合いに出したんでしょうに。民主主義に関してはギリシャにまで遡って意義深い書籍を見つけることは出来るだろうなあ。
さすがにニュートンより古いものを引用する奴はいないからなあ(ガリレイとかならあるかも)。あと、ギリシャの民主主義については明確に誤解。ギリシャに伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。ギリシャの民主政というのは市民階級(貴族階級と言おうか)だけのものであって、そんなことを言えば日本の惣とか寄合の方がよほど民主的かもしれない。
いや、だから、別に人も物もいらんよ。
それだけの権力とか得て、一体何をしたいのか?ってことだろ?
具体的にお前はさ、一体何を得たいんよ?人とか物とか、っていうけど、具体的にどんな人を得たいんよ?どんな物を得たいんよ?
それともなんだ、お前は「何か欲しいものが出てきたときのために保険として」ステータスを得ておくの?そのモチベで頑張れる?脱線しそうだが…
あと再び言うけど、女になんでそんな拘ってるんだよ?俺女に価値があるとか恋愛に価値があるとかいう類の主張はしてないんだが…さっきからお前一人だけが妙に女に拘ってるのが不思議だよ。別に好きな異性が出てくりゃ恋愛するだろうし出てこなければしない、俺はただそれだけの話なんだけど…それが出てくる前から「くだらない!恋愛なんてくだらない!!!」って拘る意味が分からん。なんでそこまで女とか恋愛に執着してんの??……結局お前ってさ、本当は女とか恋愛が欲しいんだろ?でも得られないから、必死に欲しくない理由作り出して、こうやって必死こいてそんなんどうでもいい俺に言ってきてるんしょ?必死に書くなかで自分自身をも思いこませようとしてるんしょ?そうやって俺を論破できればさ、お前のなかでは女とか恋愛が欲しいけど、でも得られない、っていうジレンマが、すっぱい葡萄みたいに「いや、つーか、ほしくねえし、あんなくだらねーもん」って思い込めるからさ。防衛なんだろ?分かりやすすぎて笑えるけどさ……中学生か高校生くらいだろ?モテなくて、なんか世の中わかったような事かいてみて、大人ぶってみてるんだろ?もうそういう道俺が一度通ったから恥ずかしいほど丸見えなんだわ、悪いけど……。今までからかってごめんな。そういうの全部分かりながら返答してた。そうじゃないと言い張るのもいいけど、そうじゃない人間、ほんとうに女とか恋愛とかどうでもいって思ってる奴はな、んなことここで、興味のなさそうな人間に対していつまでも筋違いの主張をぶつけてくるようなことしてないんだわ。悪いけど。この間に金と権力得ようと頑張っちゃってるんだよ。お前が自分の気持ちを必死に納得させようとマスかいてる間にさ。本当にどうでもいい人間は、どうでもいいから、こんな強い主張なんてしないんよ。好きの裏返しは嫌いっていうだろ?お前結局、そこまで強く主張するのは、本当は得たいからなんだよ。本当にその主張どおりのこと思ってたらいちいち主張しないんだよ。百歩譲って主張はまだしも、女の話題に触れてない俺にたいして執拗に女がどうこうなんて引っ張ってこないんだよ。話題を。実はあそこで試してたんだけどね。まだ女の話題してきたらアウトだなって。それに見事にひっかかってくれちゃってさ。本当昔の俺を見てるようで恥ずかしいよ。ま、ある程度オナニーしたら寝るんだぞ。防衛もほどほどにな。あんまりやるとひねくれた人間になるぞ。
んだから「見たくない自由」とだよ。
あとまだまだ区分けは浸透しきっていない。本屋とかいきゃそんなのは一目瞭然だろうが。
そりゃ「筋違い」といえばそれまでだが、
今まで言ってもなかなかやらなかったから
こんな強硬手段を出さざるをえなかった面はあるだろうと言っている。
その背景も考えず一方的にただただ「イクナイ!イクナイ!」とか
好き放題やっておいていざ自分らが規制され始めるとギャーギャー騒ぐ、オタクって基本的にそういう風だから世間に嫌われるんだよ。
他者の存在をちったあ考えろということ。
>それぞれの自由を全部尊重していたらどっかで衝突する
>ポルノを「見たくない」自由、権利も認められねばならないのだが、
>現在の日本はコンビニ・本屋でエロだだもれの表紙のポルノ雑誌が普通に売られている
コンビニで成人指定本が分離されるようになった経緯を知らないのか?
児ポ法なんぞが出張らなくても、そういう議論は普通になされて隔離が実現されてるの。
不足だというなら、その方向での強化を論ずるべきであって、児ポ法は筋違い。
あのな、興味もなく知識もない奴がポッと出で思いつくような程度の議論は、
当たり前だけどとっくに済んでんだ。口開く前にググって調べろ。
何か色々コメントもらったけどね
人から聞いた話は特に指摘もなく無条件に支持されて、やってる人の突っ込みは疑われるってなんで?
そもそも元記事が印象論でしかないのに
元記事
http://www.meitai.net/archives/20080304/2008030407.html
電通とか企業とか、どうでもいいからさ、それ叩きたい人は叩けばいいけど、そもそもそれとその仮想世界のスペックって関係ないだろ?
例えば自分の企画が失敗しましたって言うのが現実世界のスペック問題だったりするの?
その世界で成功してる人はどうなるんだよ
元記事はそれをやってるんだよ
それからSecond Lifeやってもないのにこんな時だけ「セカンドライフ(笑)」とか「オワタ」って沸いてくる連中いるけど、いつ終わるの?
流行ってる記事が鳴かず飛ばずだったけど、それと変わらない稚拙さだろ
何か疑われるらしいのでLinden.Labが発表してるSecond Lifeの統計をグラフ化してるサイト
http://sheila6225.blogspot.com/
このグラフからしたらいつ終わるんですか?
最初に見たオワタ記事も、もうすぐで一年くらいなんだけど
セカンドライフってもう終わった?
http://ohnishi.livedoor.biz/archives/50313770.html
そしてSecond Lifeでよく言われる電通がどれだけ小さい存在か
Second Lifeの中の経済って世界の企業って世界の日本って世界の一部マスコミと繋がってる辺りのうちの一つ
そしてもっと的確に言えば一ユーザーでしかない
更にアイデア勝負の世界だから、つまらなかったらそれで終わりなんだよ
Second Lifeで企業がどんなもんかってエントリー
http://www.chikawatanabe.com/blog/2007/07/post-4.html
あとは少しはかじった内容だったので次のエントリーに対して書いてみる。
このへんは事実じゃないの?
正確にはSecond Life内で勝手な銀行業は禁止。
現実で許可があればOK。
ギャンブルは禁止。
コンテンツを本格的に楽しむには有料で複雑な手順の登録が必要
苦労して登録してもCG(コンピューターグラフィックス)の処理は利用者のパソコンの性能に左右され
アバターの操作性も低い
さらに一つのコンテンツが同時に閲覧できるのは数十人だけの小規模
このへんも特に大きく外してはないと思うけど。
特に鼻につくのはコンテンツって記述かな。
元々地面と海と空以外何もない=ほぼ全てがユーザーが作り上げたコンテンツなんだから。
それを一まとめにして有料コンテンツがどうのとかコンテンツの閲覧どうとか言うのはおかしくなるだろ。
無制限に配布できるコンテンツもある。
あと複雑な手順の登録って何と比べて?
苦労するほどの登録ってなんだよw
更に今じゃ日本人向けに簡易にされた登録も数箇所ある
アカウント登録サイトと最初のオリエンテーションランドも作れるものだから
日本企業メルティングドッツのSecond Life登録ページ
それを伝えるのに要らない枕詞ついてるだろ。
それが印象操作じゃなくて何?しかも聞いた話で。
セカンドライフはそもそもそんなに大々的に普及するような代物じゃない。
それを大々的に流行ってるとかしかもそこに金の匂いとか勘違いくっつけて壮大にコケたのがマスコミだよな。
Second Lifeにはそんなこと関係ないし、Linden.Labのインタビュー見ても物づくりとかシミュレータとか、どう見てもそこがSecond Lifeの趣旨だろ。
中の人はそんなこととっくにわかってるんだよ。
その趣旨を差し置いてどうもズレた感覚であーだこーだ好き勝手言ってるのが「セカンドライフ流行る」とか「セカンドライフオワタ」とかそう言う連中だろ。
だからオワタとか言ってる連中にとりあえず落ち着けって言いたいんだ俺は
セカンドライフ衰退に電通を持ってくるのは筋違いというのは同意。
先にあげた記事みたいに、Second Lifeからしても日本の一企業が失敗とか撤退とかどうでもいい話。例えそれが電通でも。
日本じゃ一企業とか言ってもSecond Lifeじゃ一ユーザーと同じだから。
互いそうならいい関係なんかもね?
セカンドライフはかなり昔にちょっとかじっただけでやめちゃったんだけど、
元記事の中の
このへんは事実じゃないの?
このへんも特に大きく外してはないと思うけど。
セカンドライフはそもそもそんなに大々的に普及するような代物じゃない。
どっちかといえば一部のマニアが好んで扱うタイプのものだよね。
セカンドライフ衰退に電通を持ってくるのは筋違いというのは同意。
それは握りつぶされないような努力をしようってことになるのでは?
できる人はしたらいい。それだけのこと。
そういう努力の方向もあることに気付かなかったり、あるいは具体的にどんな手を打ったらいいかわからなかったり、あるいは実際に有効な手だてがなかったのなら、それはそれで仕方がない。精一杯やったのだから(やってなくても)誰にも責められる筋合いはない。それだけのこと。
単に、「成功するまで努力しろ」といって、社会的責任みたいなものを本人に丸投げするのがよくないと言ってるだけ。
解決策の一つとして「努力する」というのを提案するのは自由。ただし、それが有効かどうかを判断するのは飽くまで当人だし、その解決策が妥当でないという批判も甘んじて受けなきゃいかんよ。まして、「努力する」という解決策を採用されなかったからと言って「失敗しても自己責任だぞ」なんて無用な捨て台詞を吐くのは余計なお世話。「お前は何様だ」と言われてそれで終了。
まともな大人に、人としての最低限の道徳とか社会の最低限のルールを守れ以上のことを軽々しく言うもんじゃないというだけのことだよ。そして、「努力しろ」というのがそんな「最低限」のことだとは俺は思わないからね。
「教えて断固害」といわれて「自分で努力しろ」と答えたら、横から割り込んできて「努力は万能じゃない」「ネオリベ」「自己啓発厨」とか言い出すのは言いがかりのような。
理不尽な状況に追い込まれた人が、具体的な打開策を求めているのに、それに対して筋違いな精神論を上から目線で語るというのは余りにも失礼だと思うが。単に、人の弱みにつけ込んで自慢話をしたかっただけとしか思えない。リア充系のブロガーってどうしてもそういうのが多いし、そういうのをありがたがって聞いてる奴が多いんだから救いようがないと思うけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20070115031815
正直この人はなんという視野の狭い人なんだろうと思う。
世の中にはそういう恋愛感情的なものが同性にしか向かわない人がいるし、
同性から好意を持っているコトだって告白される可能性だってなくはないのだ。
そういう恋愛感情と全然関係ないひとだからこそ、安心できたのに
それを裏切られたような気持ちになると思う。
恋愛なんてよくよく考えれば自分のエゴと相手のエゴとのぶつかり合いなんだし、
裏切られたなんて考えるのはまったくもって筋違いだと思えて仕方がない。
極論な話、相手のエゴが許せない、相手のエゴで自分が傷つくのが嫌だというなら自分の人間関係なんて
全て壊してしまうしかないと思う。
純粋に友達として、好き。一緒にいると安心できるってのは、男女の愛以上得がたくて
大事なものだと思うよ。
筆者の言いたいことは物凄いよくわかるのだが、同性に対しても異性に対してもこれは言えることであって、
(男女の)愛以上に得がたいものだからこそ、そういう相手のエゴをぶつけられる可能性があるってことを
常に心のどこかで知っておかないと人間関係なんてやってられんと思う。
特に男女間で仲良くなるってことはそういうことなんじゃないの?
純粋に友達として付き合っている人から告白なんてものは、人間関係の生理みたいなものと割り切るしかないのではなかろうか。
真夜中に書いたためかなり言いたいことが纏まってないな_| ̄|○
其の零「虐められる側にも原因がある」
"原因の追究"を途中で止めた結果陥る、典型的な錯誤である。理由がどうあれ、数ある選択肢の中からその行為を選択しているのは行為者自身。当然の事だが、虐める側が虐め以外の選択さえすれば、虐めは起こり得ないのである
被行為者に自身の行為の原因を求めるのは行為者の甘え・責任転嫁でしかない。これは虐待、差別、嫌がらせ、暴行の他、思考、解釈、期待、信頼、妄想なども同じである
この錯誤を主張する者は「虐めの原因」と「虐め発生以前に起きた他の事柄の原因」を混同していたり、原因(客観)と理由(主観)の区別すら付いてない事も多い
また加害者に上手く対処できない無能な教師が教育責任を放棄する際の論点ずらしとしても、しばしば使われる
虐めの真の原因は唯一虐める側の慈愛心(包容力、想像力、表現力、忍耐、思いやり)の欠如に帰着する。つまり100%行為者(の心)に原因がある。第三者は行為者の言い訳を鵜呑みにしてはならない
其の一「学校を何度変わっても虐められる。これは虐められる側に原因がある証拠だ」
この場合、本当の原因は「どの学校にも多様な個性を受け入れられず自己表現力に乏しい未熟者がいる事」である。「多数派は正しい」という誤謬を安易に盲信してはならない
其の二「虐められる側が変わったら虐めが止んだ。これは虐められる側に原因があった証拠だ」
この場合、本当の原因は「虐める側に虐めたくなる理由・口実がなくなったこと」である。結局は行為者が変わらなければ行為は止まない。「被行為者が変われば行為を止める」というのは「自分が変わらずに済むための逃げ口上」でしかない
これに類似した勘違いに「祈ったら病気が治った→祈ったことが治った原因」等がある。目に見える事象のみで物事の因果は測れない
人格矯正に必要なのは広く豊かな経験や知識であって虐めではない。寧ろ却って人間不信・社会憎悪を増しかねず逆効果。この場合、矯正すべきは「虐め以外の手段を知らない」者の浅はかさである(躾と称した虐待や体罰も同じ)
其の四「弱いから虐められる。強くなればいい」「この世は弱肉強食」
其の二と同じで、論点のすり替えである。虐め回避法として必ずしも間違いではないが、これによって虐めの原因が無くなる訳ではない。なお弱肉強食は生物界の一側面に過ぎず、共生など異生物間ですら相互扶助している例は幾らでもある
其の五「周囲に不快感を与えたのだから虐められても仕方がない」
感情に自己責任が取れない者の自己正当化である。不快感の原因はそれを感じる各人の固定観念であり自業自得。他人のせいにするのは筋違いである(虐められた不快感も同様。>1-3参照)
其の六「虐めは本能、必要悪」
本能とは呼吸・睡眠・摂食のように「生命維持に欠かせない行動」をいう。虐めてないと死ぬ人はいないので本能ではない。また必要悪とは自動車のように「危険性・環境負荷」を孕んでいても「利便性・経済効果」が上回るような事を言う
これらの理屈は、虐める事で快楽を得る側の自己正当化に過ぎない
其の八「虐めは無くならない」
いつの時代も「成長途中の人間」が存在する以上道理だが、それは「無くそうとしても無駄」という理屈にはならない
多くの名も無き人々の不断の努力により人知れず無くなって(解決して)いる事例は幾らでもある。大きく報道されることだけが全てではない
其の九「虐めをしたら厳罰に処すればよい」
飲酒運転と同じで、安易な厳罰化や一時的な対処は問題の陰湿化・冗長化を招くだけである。虐めは脳が未成熟な証拠。何らかのストレスが背景にある事も多いので、非難や制裁以前に監察や教育を施すべきである
其の十「虐められる側を助けるべき」
緊急時なら間違いではないが、真に救うべきは”愛に飢えた”虐める側である。被害者を救う必要はない。加害者側を救えば被害者は自動的に救われる。その事を無視して被害者のみを救おうとする行為は自己満足に他ならない
以上を読んでも尚「虐められる側にも原因が」と主張する人は、己の非(愛の欠如)を認めたくないか感情に自己責任が取れてないか、さもなくば読解力がないのである
ある個人氏の終焉、と言う文章を先日読んだ。男女が出会い、子供を妊娠した、と言う話だ。
私は十代のころに子宮筋腫が出来、そして手術を受けた。不妊の傾向はあるだろう、と言う診断もその時受け、定期的に通院している。
私は子どもの頃から、よく人のことを聞く人間だった。勉強はするもので、ご飯は食べるもので、部屋は綺麗にするもので、結果は収めるものである、と。自分の生の意味を考え始めたのは思春期の頃だ。大概、親のために、社会のために。上手に生きるため、に収束した。私は常に落胆した。酷く憂鬱に毎日を暮らした。したいことは何も無かった。酒を飲み、寝て、本を読んだ。しかし私は何者にもなれなかったし、ならなかった。なる事を選ぶことすらしなかった、出来なかった。
学生のころに恋人と暮らすようになった。恋人といると安心はした。しかし、恋人は私の生に意味を与えてはくれない。私はその、その人が体験する、一部の風景でしかない。せいぜい、美しく、楽しく、心和ます、そして少し何かを感じたり勉強になる風景でしかない。過ぎていく風景。恋愛、と言うのは突き詰めればそれだけでしかない。恋人は幾人か移り変わっていた。
そのうちに社会人になった。ある日に妊娠した。腹部の腫れを感じ病院に行ったら妊娠を告げられた。恋人が「結婚しよう」と言った。私はその笑顔で小さな不安をかき消し「ありがとう」と返事をした。私が、子宮が鉛のような私が。妊娠するとは。
感動はした。したのだ。しかし、その感動は、自分の生に意味が初めて与えられたように思ったからだ。しかしそれは同時に危険な考えだ、と私は思った。生に意味なんか、元々無いのだ。無い。意味を欲しがりすぎて、自分の憂鬱を晴らしたくて、胎児に、子供にそれを負わせるのか筋違いだ…ただ私はセックスをしただけなのだ。もちろん、相手を愛してはいたが。一月、二月と月日が過ぎた。体調の変化が訪れた。私は食事が出来なくなり痩せた。手に骨が浮き、顔が白く、醜い妊婦になった。毎日変わる体調。子宮のせいか、早産の疑いがあると言うことで仕事は休職した。
私は家で、一人、自分と世界を初めて繋ぐように思える胎児を体内で育て続けた。
七、八ヶ月に胎児が動きはじめた。腹部を、足で内側から蹴られた。どし、どし。出せ、出せ。彼か、彼女か。私の中の胎児が生きているのを感じた。私に対する周囲の人の反応も、おなかが目立つにつれ変わっていた。母親、と言う肩書きが社会から与えられた。私は、何者かになった。しかし私の頭の中では、私自身ではいまだ私は、私でしかなく何者ですらなかった。私は焦った。母親になることを。
十ヶ月、子供を出産した。酷い難産の末に子供が生まれた。子供が私の体内から出たときしばらく泣かなかった。気道がつまっていた。私は思わず喚いていた。助けて、赤ちゃんを!お願いだから!私は自分のために叫んだのだろうか。
出産した日の夜、母親が私のそばで付き添って寝ていた。私は体中の激痛と疼痛、全てにうめいていた。そして自分が、子供を、まるで自分の心の拠り所にしてしまいやしないだろうか、という不安に押しつぶされていた。母親に私は話しかけた。「お母さん」母は答えなかった。寝息が聞こえた。安心したような安らかな寝息。私は一人で声を押し殺して泣いた。
私が何者かであれば、子供をそんな風に思わずにすんだのかもしれないのに。私なんかの元に、子どもが生まれて幸せになれるんだろうか。母親が突然言った。「かわいかったねえ」私はどうしたらいいんだろう。私はもっと早くに、何もせずに、死ぬべきだったんじゃないんだろうか。でも今はもうそれも、許されない。
悩む暇もなく子育てが始まった。乳をやり、オムツを替える。お風呂に入れる。子供の体はグニャグニャしていて、そして良く動く。三時間ごとに乳をやる。休む時間も寝る時間も無い。疲労が蓄積した。子供は実際さほどかわいくは無かった。変な赤いグニャグニャだった。しかし、熱かった。命がつまっているかのように熱く赤く、やたらに泣いた。そして何者で無い私を、私だけに縋り付いた。私の乳にむしゃぶりついていた。
私が動物だからか、人間だからか、子供に対して初めて、激しい、愛着ともいえない、胸を締め付けるような何かが、沸き起こった。
数日後に退院して家に帰った。帰った私と子供に、夫はとても正直に言った「なんか変なのが来た」私もそう思った。そうなのだ、変な何かなのだ。よく解らない何かなのだ。現時点では。
周囲の大人たちは、口々にかわいいといい、子供を褒めた。そして子供が生まれたことはよいことだ、良かった、嬉しい、と言った。私はそうですね、と返事した。そして笑った。夫が居てよかった。私は何かを生んだだけなのだ、と言うことを忘れたくなかった。そしてそれは私が私と夫だけが、息子の誕生を喜びたかったのだ。何者かになりたくない。
数ヶ月たって、夫が急に言った「あ、こいつ、息子は、俺の、子供なんだな」この人は今、初めて父親であると言うことに気付いたんだろう。夫は仕事を転職した。私は賛成した。夫と喧嘩する事が急激に減った。
息子は今、七歳になった。私は今も、相変わらず何者でもない、と思っている。息子に持たれかからないように、いつも思っている。息子は私の何かではない。私の人生は、私の個人史は、息子が生まれたことで確かに意味を持った、と思う。そしてそう思われる。しかし、息子は私のものでは絶対にない。息子は成長するにつれ自我を持ち自分の意志を表すようになった。息子は自分の人生を生きていく。私は自分の人生を生きていく。個人史は終わらない。
私は風景ではない。夫と息子と長く暮らすうちにそう思うようになった。かつての恋人たちに対して、私は風景であり、一種の彩のようにしか思っていなかった。しかし、そうではない。人生は、時間は一人一人の、それでしかないものだ。それは時折交差する。通り過ぎるだけの風景ではなく、ぶつかって、形を、向きを、何かをお互いに変えたのだ。
私は、自分が生きる意味を理解した。それは私が生きる事自体にあるのだ、と。意味を与えるのではない。ここにただいることだけで、意味があるのだ、少なくとも私にとっては。そしてそれで十分である。
前の60行テンプレートエンジンを改良して、レイアウトテンプレート機能を追加してみた(それでも全部で90行)。
レイアウトテンプレート機能とは、例えば個別のテンプレートが<table>...</table>を出力して、それをレイアウトテンプレートが<html><body>...</body></html>で囲って出力するとかそんなの。
詳しくは終わりの方のサンプルをみてくれ。
これは Ruby on Rails(とその仲間たち)にある便利機能のひとつ。
ついでにいうとSmartyにはない機能のひとつ。
今まで知らなかった人はぜひ試してくれ。チョー便利だから。
前回はたくさんのブックマークありがと。
コメントで「男前テンプレート」と名前がついてたので、勝手に採用。
あと、これ以上の機能追加はしないので、各自勝手に改造して使ってくれ(そのためにコメントをつけてるから)。何でも人任せにするな。
コード:
<?php /* * OtokomaeTemplate.php -- レイアウトテンプレートに対応した90行のテンプレートエンジン * * - レイアウトテンプレート中で echo $_content; とすると中身が表示される。 * - テンプレート中で設定した変数をレイアウトテンプレートで使うことが可能。 * - レイアウトテンプレート名をテンプレート側で指定することも可能。 * - 使い方: * require_once('OtokomaeTemplate.php'); * $TEMPLATE_DIR = 'templates'; // 省略可、パーミッションに注意 * $LAYOUT_TEMPLATE = 'layout.php'; // 省略可 * $context = array('title'=>'Example', * 'list'=>array(10,'<A&B>',NULL)); * include_template('template.php', $context); * - 要 PHP 5.1 or later * - ライセンス: public domain (自由に改造してね) */ /* * 設定用のグローバル変数 */ $TEMPLATE_DIR = NULL; /* テンプレートを探すディレクトリ */ $LAYOUT_TEMPLATE = NULL; /* レイアウトテンプレートのファイル名 */ /* * テンプレートを読み込んで実行する。 * $_context は変数名をキー、値を要素とする連想配列。 * $_layout はレイアウトテンプレートのファイル名。 * - NULL または省略した場合は $LAYOUT_TEMPLATE を使う。 * - FALSE ならレイアウトテンプレートを使わない。 * - $_context['_layout'] = '...'; とすればテンプレート側でも指定可能。 */ function include_template($_filename, $_context, $_layout=NULL) { global $LAYOUT_TEMPLATE; $_content = render_template($_filename, $_context); if (@$_context['_layout'] !== NULL) // テンプレート側で指定された場合は $_layout = $_context['_layout']; // それを使う。 elseif ($_layout === NULL) // 引数で指定されなかった場合は $_layout = $LAYOUT_TEMPLATE; // デフォルトのファイル名を使う。 if ($_layout) { $_context['_content'] = $_content; // レイアウトテンプレート中で使う変数 $_content = render_template($_layout, $_context); } echo $_content; // or return $_content; } /* * テンプレートを読み込んで実行し、その結果を文字列で返す。 * include_template() の実体。 */ function render_template($_filename, &$_context) { $_cachename = convert_template($_filename); extract($_context); // 連想配列をローカル変数に展開 ob_start(); include($_cachename); // テンプレートを読み込んで実行 return ob_get_clean(); } /* * テンプレートファイルを読み込み、convert_string() で置換してから * キャッシュファイルに書き込む。読み込み時のロックは省略。 * (file_get_contents() もファイルロックできるようにしてほしいなあ。) */ function convert_template($filename) { global $TEMPLATE_DIR; if (! file_exists($filename) && $TEMPLATE_DIR) $filename = "$TEMPLATE_DIR/$filename"; $cachename = $filename . '.cache'; if (! file_exists($cachename) || filemtime($cachename) < filemtime($filename)) { $s = file_get_contents($filename); $s = convert_string($s); file_put_contents($cachename, $s, LOCK_EX); // LOCK_EX サポートは 5.1.0 から } return $cachename; } /* * テンプレートの中身を置換する。 * - '#{...}' を 'echo ...;' に置換 * - '%{...}' を 'echo htmlspecialchars(...);' に置換 * - ついでにXML宣言も置換 */ function convert_string($s) { $s = preg_replace('/^<\?xml/', '<<?php ?>?xml', $s); $s = preg_replace('/#\{(.*?)\}/', '<?php echo $1; ?>', $s); $s = preg_replace('/%\{(.*?)\}/', '<?php echo htmlspecialchars($1); ?>', $s); return $s; } ?>
<?php require_once('OtokomaeTemplate.php'); $TEMPLATE_DIR = 'templates'; $LAYOUT_TEMPLATE = 'layout.php'; $context = array('list'=>array(10,'<A&B>',NULL)); include_template('template.php', $context); ?>
<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?> <!DOCTYPE html PUBLIC "-//W3C//DTD XHTML 1.0 Transitional//EN" "http://www.w3.org/TR/xhtml1/DTD/xhtml1-transitional.dtd"> <html xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml" xml:lang="en" lang="en"> <body> <h1>%{$title}</h1> <div id="maincontent"> <!-- テンプレートの内容 --> <?php echo $_content; ?> <!-- /テンプレートの内容 --> </div> </body> </html>
<?php // レイアウトテンプレート名をテンプレート中で指定する場合 ?> <?php //$_context['_layout'] = 'mylayout.php'; ?> <?php // レイアウトで使用する変数をテンプレート中で指定する場合 ?> <?php $_context['title'] = 'レイアウトのサンプル'; ?> <table> <?php foreach ($list as $i=>$item): ?> <tr bgcolor="#{$i % 2 ? '#FFCCCC' : '#CCCCFF'}"> <td>#{$i}</td> <td>%{$item}</td> </tr> <?php endforeach ?> </table>
出力例:
<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?> <!DOCTYPE html PUBLIC "-//W3C//DTD XHTML 1.0 Transitional//EN" "http://www.w3.org/TR/xhtml1/DTD/xhtml1-transitional.dtd"> <html xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml" xml:lang="en" lang="en"> <body> <h1>レイアウトのサンプル</h1> <div id="maincontent"> <!-- テンプレートの内容 --> <table> <tr bgcolor="#CCCCFF"> <td>0</td> <td>10</td> </tr> <tr bgcolor="#FFCCCC"> <td>1</td> <td><A&B></td> </tr> <tr bgcolor="#CCCCFF"> <td>2</td> <td></td> </tr> </table> <!-- /テンプレートの内容 --> </div> </body> </html>
いくつか補足:
元増田です。
欲求と欲望については、他増田の
っていうのであってます。
人間は、少なからずの人がフェティシズムを持っていて、色んなフェチの人がいるが、
大多数の人は「セックスをする」フェチを持っている、と言える。
それは明らかに後天的に獲得したもの(欲望)で、
いわば個人の趣向のようなもの。
そして、元記事で「性欲は欲求」と言ったのは、
対象がセックスやレイプのようには具体化されてないもののことです。
その具体化のされ方は人によって違う。
セックスも、アニメ絵を使ったオナニーも、死体を使ったオナニーも、
性的欲望の対象としては、本質的な差異がない。
ほとんどの人は「セックスをする」趣向を獲得するというだけ。
「人間のセックスは飽くまでも文化的なもの」はそういう意味です。
そりゃ、中には異常者(別にセックスしたくないとか、屍体でしか勃たないとか)はいるだろうけど、
「男/女はセックスしたいと思うのが大多数だ」ならいいが、
「したいはず」と言ってしまうと、そうでない人は、おかしい、異常だ、ということになりかねない。(実際そう書かれている)