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はてなキーワード: Everestとは

2013-11-03

富士山荒川川問題について

そもそも英語ではMount (Mt.) だの River (Riv.) だのを付ける必要は無い。

mount Everestという用法も用いられるが,多くの場合

エベレスト山を指すにEverestのみで行われる。

したがって富士山Fujisan荒川はArakawaと表記すれば十分である

また,日本語として考えた場合も「荒川」は「荒という川」ではなく「荒川」という固有名詞である

松田聖子がおばさんになっても松田聖大人にならないように,荒川英語になってもAraRiverにはならない。

 

このような中学生じみた英語化は日本人伝統でもある。

毛沢東はMao ZedongであってZedong Maoでは無いのだが,日本人はなぜかYoshinobu Tokugawaになってしまう。

欧米の多くの民族で "first" nameをfamily nameよりも先に書くからといって,日本人名前がその習俗に合わせて変形する筋合いはない。

(そのくせ Franklin Delano Roosevelt が「ルーズベルトフランクリン」にならないのだから益々意味不明である。)

翻訳時に固有名詞の原語を変形させるような悪習は直ちに廃棄せらるるべきだ。

2009-12-25

I left a woman to die on Everest

この間の富士山遭難事故について。3人で登って1人だけ生還した。

それが想像できない立場にいる人からは、彼らがどんな状況に置かれていたのかを、想像することも、理解することも出来ないのだろうと思う。

もちろん、片山さんが悪いわけじゃない。彼は、生き残れる力はあったが、助ける力はなかった。単にそれだけだ。

例えば、踏み切りで脚をとられた人がいたとして、どの瞬間まで人は助けに出るだろう?

それが知り合いだった場合、どれだけの決断が必要なんだろう。責めないで欲しい。


今回の事故で思い出した記事がある。

標高の高い山で遭難に遭うと、死体は地に帰らない。ずっと、永遠にそこにある。

世界最高峰エベレストには50年間で3800人以上が登頂し、200人以上の方々が亡くなっている。

死体は、回収されるまでそのままにある。登山者たちはその死体を横目に登頂を目指す。

Everest + body」で検索してみればいい。登山服を着た日焼けした死体に出会うだろう。

http://www.dailymail.co.uk/news/article-451798/Everest-climber-returns-mountain-bury-woman-forced-abandon-9-years-ago.html

1998年、イアンはエベレスト登頂を目指していた。

頂上まで背負える空気ボンベは1本。約1時間分のエアになる。

急いで登らないと登頂はおろかキャンプまで下山することもできない。

"Please don't leave me."

8000m付近で遭難して動けなくなっている女性がいた。彼女自分がここで死ぬことを知っているようだった。

イアンは、登頂を諦めて空気がなくなるまでのあいだ、彼女の傍にいてからキャンプに戻った。

それは、彼女最後の言葉となった。

人は死んだら、ただの物体になる。Manとbodyは類義語ではない。生命が抜け落ちている。

それからずっと、イアンは彼女のことを忘れることができなかった。

2007年彼女を引き取りに行くまでの間、彼女の体は、9年間もの間、登山道の傍で置き去りとなって太陽の光りを浴びていた。


人間死体は、登山者にとってはとても運べる代物ではないのだ。

野口健エベレストゴミ回収を始めた時、それより死体回収をやって欲しいという声もあったそうだ。

特に、締める言葉は用意していない。

生きてリスクを冒せば、成功することもあれば、失敗することもある。その場を生き延びる人も、死ぬ人もいるけれども、100年後にはみんなゼロになってる。

わたしたちは限られた時間の中にいて、死ぬ前の時間を生きている。誰かと一緒にいて、どちらかが死んでしまったとしてもそれはあなたのせいじゃない。

ただ、悲しい出来事があったというだけだ。

危険なことは避けるべきだと思うかもしれない。でも、それは本人が決めるべきことで、他人が気を揉んでもしょうがない。

一回限りの人生だから、何をして生きるかは自分で決めたらいい。だけど、できそうなことに挑戦していくしかないんじゃないかな。

 
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