はてなキーワード: 座右の銘とは
5日前に書いたのにエラーで消えてしまったので放置してしまった。
もうPCも買い換えなきゃならんな。
※長文注意
http://anond.hatelabo.jp/20101112212549
これの続き。Ads by Googleがオーテクなのが笑える。
上の文章そのままで。
本当はオーテクの社長さんに送って見たかったけど、天下のグーグル先生でも発見できず。
送信してから1日後に返信あり。
以下コピペ
ご連絡の件は説明が不足しご不快の念を申し訳ありません。
ご送付したお見積書にて
1.ご理解をお願いしているジョイントホルダー・ジョイントカバー
は塗装が剥げていて再利用できない訳ではありません。部品名称に
トソウとありますのはあくまでも手前共の管理上のことであります。
左側のジョイントカバーはご送付のものを使用できると判断して
2.なお、ジョイント部分とは耳にあたる本体から頭上の二本のヘッド
耳にあたる側がジョイントホルダー、表側がジョイントカバーで
あります。表面上は劣化が判りにくいのでご不審をお持ちになられた
ことと思いますが、これらが締め付けているはずの頭上のヘッド
バンドがガタついており内側で劣化が進行していることを判定して
おります。
今後ともよろしくお願いいたします。
ご理解して金を払えと。
ジョイントの説明などどうでもいいのに。
トソウが何だろうとどうでもいい。
メールを見た瞬間、本当にあきれた。
入金の帰りの横断歩道で叫びそうになったわ。
こちらの要望としては、一刻も早く返して欲しい。
コード交換以外は必要なかった。
もちろん金は払いたくない。
と最後に書いてあるのに。
残念で仕方がない。
金を工面しろや貧乏人がといったところか。
うざがられているのは間違いない。
よい酒の肴にもなったことだろう。
小心者だから舐められているのだろう。
AIWAでも使ってろよってな感じか。
以下、送信文コピペ
ご連絡ありがとうございました。
再度、こちらの要望をお伝えします。
以上、ご確認お願いします。
ちょっと脅しを付けてみた。
1000円ぐらい払いなさいと言われて終わりそうな気がする。
」ってのを見つけた。
http://www.kokusen.go.jp/recall/recall.html
クレーマーには堪らないでしょう。
知らずに食ってしまった。金返せ。
いつ食ったかなど忘れた。金返せ。
レシートなど取って置いてない。金返せ。
オレも接客業やってるからわかるんだけど接客態度がなってない。金返せ。
その金俺が出すから帰れと。
あとは、若い女の人に嫌な客が多いですな。
なんでそんなにツンツンしてんの?生理か?
ってくらい多い。
金投げるやつとか。自害しろ。
飲食店でも「ご馳走様」は欠かさない。
人にされて嫌なことはしない。
これが私の座右の銘。
関係ないがモットー(伊: Motto)に驚いた。
以下コピペ
ご連絡ありがどうございます。
可能でありました。調査に不徹底があり申し訳ありません。
するよう指示いたしました。こちらからの発送までに一両日
のご猶予をお願いいたします。
今後ともよろしくお願いいたします。
あれ?再利用不可なんじゃないの?
触れることなく交換可能?分解するんじゃないの?
これは酷い。やっぱり詐欺だな。
1日後に到着。
何かおまけでもあるかと少し期待したが、何も無し。
パッドもおまけで交換してくれればいいのに。
ガタつき?なども感じられず。まさか直してくれた?
コードは新しくなったのかな?
正直良くわからない。
今思うと無いならないで困らなかったかな。
イヤホンあるし。セカンドヘッドホン(残念ながらAIWAではない)もあるし。
装着感が宜しくないけれども。
これまで沢山の人が同じように料金を取られたのだろうか?
♪NOW PLAYING♪
http://tower.jp/item/2760657/メナ
まだまだ知らない音楽が溢れている。
R40世代が懐かしがって盛り上がってるだけかな。というか必死なんだろうな。
でも、若い子にも人気だな。そこが信じられない。洗脳か?
オワリ
随分昔だけど、ちょっと自分の思い出を書く。
元増田や他の増田と同じく、私も振袖?ナニソレイラネ、って考えだった。
それでも着てほしいという親に私は無理難題押しつけた。
レンタルは嫌
着物を選ぶのに付き合うのは2回まで
自分が気に入のがなければそれでオシマイ
…他色々。
着たくないって言ってるのにレンタル嫌とか酷いよね。
特に予算が無理言った。
金額覚えてないけど、レンタル同然の値段が条件だったはず。
ところがあったんですわ。
激安で、しかも自分も親も、これならいいんじゃないかって着物が。
別に激安なのを選んだんじゃなくて、偶然選んだのが聞いてびっくりな値段だった。
しかも、ああいう場所って、大概売り場によって値ごろ感が揃えてあるのね。
周りはン十万、ン百万という中でやっぱりこのレベルの値段だと良いのがあるな、
あの正面に飾ってあるのなんて、超綺麗だ。
冷やかし半分にちょっと見せて、って言ったら
激安だった、という冗談みたいな話。
でも、それって反物の金額なんだよね。
そしたら母親が言いだした。
そんな値段で着物買える訳がないでしょ、私が作るのよ、と。
…しまった、謀られた。
けど、正直通らない筈の無理を押しつけるつもりで言った金額で、
しかも偶然気に入った反物が激安だったと、運も重なって
しゃーねーや、と私が折れた。
ただ、そこで私も謀った。
高卒だったから、もう働いていたのね。
親の反対を押し切って、反物や帯のお金は全部出してやった。
これは何を着ようと分かってた。
そっから、3年経って、妹が私と同じ病にかかった。
振袖イラネ病。
ところが、直前になって、成人式では友人一同振袖着ない約束を反故にされて
急に着たいと言いだした。
大慌てで私の着物を手直しした。
良い運は重なるもんだ。
親は着物の金の分だからといって、プロの写真を撮らせてやった。
そっから、さらに1年後。
母親が癌になった。
私の無理難題を通した、偶然の運を笑っていた。
「人間万事塞翁が馬」
素敵な柄に出会えて、運が良かったね、と。
随分久しぶりだったから大変だったけど、
若い頃に和裁を習っていて良かった、と。
こんな些細な事、親孝行でも何でもないとは思うけど
思い出をひとつ作れたのは結果論だったけど、良かったと思うよ。
だから、元増田も、自分が譲れない所を親としっかり話し合うと、
ちゃんと運や偶然の方が、一番良い選択を運んできてくれるかもしれない。
ちなみに母親は激痩せしたけど、無事手術成功。生きてます。
再発まであと数年は心配が残ってるけど。
そろそろ四月ということで、職業としての「プログラマ」になる方も、はてな界隈では多いでしょうか。なにはともあれおめでとうございます。マの世界へようこそ。私も4月になるので、心機一転頑張りたいなと思い、働いて学んできたことや言われてきたことなどをつらつらと書き出します。
仕事のルールはたくさんあります。その中で座右の銘ではありませんが、指針となるような一つ目標があるといいでしょう。私が念頭に置いているのは「三年後に気持ちよく転職できるようにする」ということです。結構移り気が激しいタイプなんですよね。でも人には嫌われたくないという。「気持ちよく」というのがポイントで、会社を「気持ちよく」辞めて転職するのは今までに辞めていった先輩をみていてもなかなか大変そうです。「気持ちよく」辞めるための仕事術を「上司」「同期」「後輩」「自分」という点であげてみました。大切なのは「気持ちよく転職できるようにする」ために周りの人を気遣いそれを示すことで「あいつはよく頑張ってくれた」「次も頑張ってもらいたい」「また一緒に仕事をしたいな」と思ってもらい惜しまれつつ転職できるようにすることです。
あなたの上司は仕事全体の進捗の管理とメンバーの割り振りを考えます。そのために各人に割り振った仕事の進み具合や仕事量に無理がないかを把握する必要があります。あなたはそれを考えて、自分が行っているタスクの状態をきちんと上司に報告しましょう。現状に無理があるようなら、その状態と代替策を上司に相談しましょう。
大抵の人は忙しいのと、別の問題で頭を使っているため、きっとあなたが頭を悩ませて質問したいと思っている、その特定の問題について、あなたほど深く考えていないでしょう。そんな時にただ質問も投げられても、相手も一から考えてしまうので、お互いに負荷が高くなってしまいます。それで相手のことを考えて、技術的な質問や方針などの相談の際には質問の後に「こうしてみようと思う」「この点が問題なのでこうすれば解決するはず」など、それなりに自分の答えをもって、質問や意見をすべきです。そうすれば相手もそれをベースに自分の意見や経験を考えながら伝えることが出来るため、あなたの質問に答えることがそれほど重荷ではなくなります。
楽しく笑顔で働きましょう。笑う門には福来るではないですが、多くの人は笑顔に惹き付けられるものです。また上司も基本、自分の舵取りでメンバーが楽しく仕事出来ていると思いたいものです。それに応えましょう。
会社には多くの場合、コーディングルールやドキュメント規則があります。「こうしたほうが早いのになあ」とか「こんなのクールじゃない」とか考えることもあるでしょうが、ルールに従いましょう。3年後に後輩に「ここはクールじゃなかったらこうした」と説明するのは大変ですし、きっと3年もたてば、その「クール」も変わっているはずです。もしどう考えても効率が悪いようなら会社のルール自体の改善を訴えましょう。
上と矛盾するようですが、急ぎ仕事(こればかりやる会社もある)をやる場合は、ドキュメント不要ということもあります。そんな場合でも最低限の仕様等のドキュメントの記録を残しておきましょう。引き継ぐ後輩に口頭で伝えるのは手間というより、忘れている部分も増え、伝言ゲーム状態になります。これは、人日を割当られていないのにやるわけですから、ちょっと大変ですが、意識しておきましょう。
自分がどう考えて、どう上司とやり取りをしていたかを簡単な記録でいいので毎日つけましょう。将来の後輩が見た時にきっとそれが、励ましや何かのヒントになるはずです。
自分についてはこのひとつだけ。失敗をしないのは仕事をしない人だけです。三年後にはどうせ転職するのですから、失敗をおそれずルールを守りながらも常に新しい何かを探して創りだしていきましょう。そうすれば転職の際に自分はこういう挑戦をしてきたという自信が出来ますし、以前の会社で思い切れば未練なく辞めることが出来ます。
失敗は怖いですが、それを少し減らす方法として「失敗を想定する」プログラマ的に言えば「例外処理」を考えておくというのがあります。人はわからないものは怖いですが、失敗した、間違いを犯した場合はこうすればいい、最悪こうなるということがわかっていれば、その恐怖は減るものです。そしてその「例外処理」を書きおわったなら、明日のことを考えて、思い悩むのは辞めて、その日、その日の仕事を頑張りましょう。
仕事の進め方について書いてみましたが、冒頭でも述べたように、プログラマは一サラリーマンである以上に一職人です。プログラムについての勉強を常にしましょう。勉強は会社をやめても人を裏切りません。プログラム言語についてはもちろんですが、それだけではありません。仕事をしているとついつい忘れがちになりますが、基本的なデータ構造とアルゴリズムやデータベースの仕組みやネットワークの仕組み等の計算機科学を知っておくことが大切です。またプログラムの組み方については、デザパタやエンタープライズアーキテクスチャパターンなどを知っておくと仕事をすすめやすいでしょう。
私のおすすめは「勉強会駆動勉強」です。何か勉強したいな、身につけたいなあと思うことがあったら、それをテーマに近くのコミュニティの勉強会の発表申し込みをします。人に教えようとすると自分のものにしなければいけませんから必死に勉強します。するとその知識が身に付くのはもちろんこと、その分野について詳しい人と周りに思ってもらえるかもしれず、また第一人者からアドバイスを受けることもできます。なかなかの一石三鳥です。
勉強のことについて、最初と逆になりますが私たちは一職人ですが一サラリーマンです。ハッカーといえど、社会人としての基本的な知識である英語や数学や経済学をおさえておきましょう。経済学は感覚とは違う部分で社会が動いていることがわかり、おもしろいです。私のおすすめは「スティグリッツ入門経済学」ですね。また習慣として毎日のニュース(日経)や週ペースの経済雑誌(東洋経済等)を読んで、基本的な現代経済をおさえておきましょう。自分の仕事を社会の目から客観的におさえることが出来ます。
最後に。仕事のことや勉強のことをたくさん書いてきました。しかし、仕事に最適化しても人生はおもしろくありません。運動を適度にし、自分の趣味を見つけて興味を持ち(私はアニメとラノベ読み)、いろいろなことを学んで、楽しみながら人生を過ごしましょう。
この言葉そのものより、言ってる奴が気にくわない。
明日やらなきゃという強迫観念にとらわれてる様子が狂ってるとしか思えん。
「明日やろうは馬鹿野郎」が座右の銘ですなんて言ってるのを聞いた日には、
もうぶんなぐりたくなるwwww
そもそもの話が、何をおいてもまず実践、行動に移すこと、って言ってる奴が一番信用できん。
実践なんてやって当たり前で、人間生きてる限り何か実践してる筈なのに。
それをわざわざ実践実践ってアホかと。人間の中身がなさ過ぎる。
実践実践とやたら声高に言ってる奴にかぎって何も実践できてないという話もあるwww
十九世紀の英国の哲学者 ウィリアム・アーサー・ワード氏の言葉にこんなのがある。
「凡庸な教師はしゃべる。良い教師は説明する。優れた教師は示す。偉大な教師は心に火をつける。」
最近忘れかけてた俺の座右の銘。あなたはこういったことを伝えてくれようとしたんだよね。
う~ん、わかるんだが、難しいなー。
教えんのはWindows、Word、Excelで、やりたいことかぁ。ビジネス文書? いまいちね…
教える導入部分で、これを身につけると、こんな嬉しいことがありますよ、的な話をするけど、
それも10~15分あれば十分な話。その後は、こんなことやりましょう、やり方は…、みたいな話の繰り返し。
教えるのが同じ理解度のおっさんばかりならいいんだけど、若者や要領のいいおばさんも混ざってるんで、
おっさんばかりに合わせると、そうじゃない人達から、たいくつ~、という空気が…
それと、やっぱり、おっさんは理解度は落ちてるよ。俺は若者にも教えてるけれども、
できのわるい若者がそのままおっさんになって、さらに理解度が落ちているという印象。
なんだかんだ書いたけど、あなたの励ましはうれしかったよ、ありがとう!
この両者が合わさると、どうなるか?その答えは、矛盾する、である。
なぜなら、「思いついたら即行動」を守っていると、どうしても「継続」できなくなるから。
だって、思いつくたびに、習慣が増えていき、そのどれもが継続すべきなのだから。
そんな無茶なことやってたら、いつか破綻して時間が足りなくなって当然である。
継続をすることは確かに大切だ。
しかし、なんでもかんでも継続すれば良いというものではない。
良くないことを継続していると気づけば、修正したり中断したりするべき。
即行動も確かに大切だ。
しかし、実行中の行為があるにも関わらず、なんでもかんでも即行動するわけにはいくまい。
下手したら、即行動だとばかりにジョギングに出かけた矢先に、即行動だとばかりに家に戻って仕事する、なんてことになりかねない。
要するに、どちらの人生訓も、一概に言えず、まるで役に立たないのである。
しかも、前述の通り、これらの人生訓は単独だと大して問題にならないが、二つ合わさると大きな矛盾が生じてしまう。
なお、どちらかと言えば、「思いついたら即行動」のほうが悪しき教訓である。
とりわけ、発想が泉のように次々とわいてくる人にとって、「思いついたら即行動」は限りなく不可能に近い。
面白いことに、「思いついたら即行動」を座右の銘にしている人に限って、発想力が乏しく、自分でものを考えない人であることが多い。
※ブコメ
週一で継続するという発想はないんかい
それはよくやるよね。良い発想だと思う。習慣の数が100個くらいまでのうちはそれでカバーできるよね。
中学のころ、学校をさぼって曾祖母の部屋に隠れて一緒にテレビを見ていた。
たしか95歳くらいになっていたばあちゃんは、だいぶ痴呆入っていたけれど、ひねたガキで周囲から浮きがちの僕をよくかわいがってくれた。
テレビでは60歳くらいのよく知らない文化人か何かが「人生とは~」と偉そうに語っていて、正直つまらなかった。
そのとき、「まだ若いのが、なんとねぇ。。」とひいばあちゃんはぼそりと言った。
ひいばあちゃんから見たら60は若い者なのだ、と思い可笑しいと共に、つまらん話だ、という意見が一致したようで僕はうれしかった。
同時に、では95のひいばあちゃんにとって人生ってなんだろうと興味がわき、僕は「じゃ、ひいばあちゃんにとって人生ってどんなものだったの?」と聞いた。
ひいばあちゃんは「何でもないのよ、人が生きれば人生なの。長くても短くてもね」と言った。
自分は稲妻に打たれたように感じ、そのあとどうしたのかよく覚えていない。が、それはいつしか私の座右の銘となった。
といったら、これは間違いなく知らないことの方がたくさんあるわけで、「知っている事>知らない事」っていうのは物理的に不可能だ。
http://anond.hatelabo.jp/20090517122446
思うに『無知は罪か?』という問題とともに、『現代人は無知であることを許される程度に無名であり得るか?』という問題がそこにあると思う。現代社会が『無知な人間』に厳しいのは、一種のノーブレス・オブリージ(高貴なるものの責任)のようなもんだ。
「罪」というのは、いったいぜんたいなんじゃらホイ?
「許される」というのは、いったい誰に許しを請うのだろうね?
「法」というガイドラインの無いところに「罪の意識」というのは発生し得ないのであって、“そこ”にあるのは喪失感と後悔だけ。
コンセンサスと周知徹底の不十分なガイドラインなんていうのは、真っ当に機能するはずが無いものではないのかね?
“20090517112610”の増田だが、エンジニアの端くれなんぞをやっていると、調べる度・熟練する度に次から次へと、知らない事やわからない事が増えてきてorzな事はしょっちゅうだ。「達人ほど謙虚になる」ってのは、知らない事・わかっていない事が世の中にはまだまだたくさん有るってことが、明確に理解できてくるからではないのかと思っている。
かつて物作りの大先輩から、
と諭されて、それ以来座右の銘にしているけどね↑。
どれだけ手足・耳目の延長線上にあるものが発達したところで、「思っても見なかった、想像もしていなかった」出来事ってのは、常にすぐ背中合わせのところに潜んでいるものさ。だから、
誰が育ててくれるわけでもない。「取り返しの付かないヘマを重ねたら、誰かの生命・財産に損害を与える事もあるし、自分自身だって財産を失い、最悪命を落す事だってありうるんだ」という事だけ解っていればいいんじゃないのかな?
過失責任という設定は各国の法律にああるけれども、「知らなかった・理解が及んでいなかった」事そのものを咎める“法律”というのは設定しようがない。なぜなら、「あらゆる事象の道理を予め全て知っている」なんていうことが物理的に不可能だから。物理的に不可能な事に対して、責任の追及など出来るはずも無い。
「被害の発生・拡大を意図した」のなら、まさしく狙い通りだから、そこには微塵の慙愧も反省も無いだろう。
一方で、「知らないまま・正確に理解していないままで」事に及んだらまず間違いなく大失敗。人的・生命的損失が発生する事だって珍しくはない。
どちらがより大きな喪失感と後悔を伴うのか?
そりゃぁ「知らずにやっちゃった」方でしょうよ?
今年もそろそろアーティスト発表かなーなんて思いつつ見に行ってみたら、いきなりの不意打ちを食らった。
以下に該当する方は、チケットを買わないでください。
・座右の銘は「旅の恥はかき捨て」という方。
・いざとなったら、誰かがなんとかしてくれると思っている方。
エッーーwなんだこりゃ・・・。
もちろん、迷惑行為は良くないと思うし、無駄に自然を破壊するようなことはすべきじゃあない。そんなのわかりきってる。
なんつーのか、もうちょっと音楽の祭典らしい注意書きにしてくれればいいのに。
山の神様とかもうわけわかんねえけど、それを言うなら一番迷惑かけてんのは開催側自身だろうし、エコとかグダグダ言うならいっそのこと辞めちまえよ。
結局どんな注意書きがあったとしても、騒ぎたいだけの連中は無視して行くし、自分の好きなアーティストが出るっつーなら行くしかないんだよ。
それともあれかな。「いいか絶対やるなよ!絶対だぞ!」メソッドか?
または、炎上マーケティングなのか?(見事釣られた)
先日本屋に行ったら、バスタードの25巻を見かけた。これは確か読んでいなかったと思い、買って読んだ。書き込み方は、すごい。絵のクオリティは果てしなく高く美麗だ。だが、話の筋が、たぶん数十分しか進んでいない。24巻からどれだけの時間がたってたっけ。たぶん俺は、バスタードの結末を読むことなく死ぬな、と確信した。
作者の言葉がどこかに書いてあった。「このマンガももう始まってから、二十年です」と。この言葉を見て、バスタードとの出会いを思い出した。
バスタードが始まった当時、俺はまだ学生だったけど、週間少年ジャンプは5年以上は読んでいた。座右の銘は「影道冥皇拳」。立ち読みする事も多かったけど、学生になりお小遣いが上がってからは、結構買うようになった。そんな俺のジャンプ生活の中でも、バスタードが始まった時は衝撃だった。面白かった。何が面白かったのか、とにかく面白かった。ジャンプを毎週買い、ジャンプを解体してバスタードだけを集めて、お手製の単行本を作っていたくらいだ。もちろん単行本が出ても買っていた。カイザードアルザードギスクハンセグロスシルクとかなんか今でもよくわからない呪文を呟いてしまうくらいだ。
いつの頃からか、絵が乱雑になり、ジャンプが出てもバスタードが載ってない週があったりするようになった。そして、いつの間にかジャンプで連載されないようになった。連載があっているのか、終わっちゃったのかわからなくなった。昔のジャンプでマンガが載ってないという事はほとんど無かった。たまに休載とかなると子供心に本当に心配だった。もう終わっちゃうのだろうかとかドキドキしたり、はげましのお便りを出そうかとか悩むほどだった。
何で俺は、魅入られたようにこういうマンガが好きになってしまうのだろう。ハンターXハンター。ベルセルク。書店で雑誌を手に取っても、ほとんどの週で載ってない。だんだんジャンプからもアニマルからも離れて行った。
マンガ家の人にも充実した人生を歩んで欲しい。毎週書くっていうのは大変だし、難しいのだと思う。色々やりたい事もあるだろうし。でも読者としては、続きが読みたいわけで。どうすればいいとかそういう解決策を提示できるわけでもないだけど、二十年経ってなんだか疲れたというのが正直なところ。
たまに載ってるハンターXハンターを読むためだけにジャンプを買ったり、ベルセルクを読むためだけにアニマルを買ったりするのだけど、もっと定期的に載っていれば、定期的に買うような気がする。不定期な連載というのは雑誌の売り上げにマイナスになり、売り上げが落ちれば新規の購読者が減るという形になって結局出版社も作者も得をしてないような気がする。もちろん読者も悲しいけど。
あ、そう言えば、ガラスの仮面も読んでたなあ。
マンガは完結したというのがわかってから、全巻そろえた方が良いのかもしれないなあ。雑誌を買ったり、単行本が出るのを待ったりするのに疲れた。
可処分時間1時間の値段は、平均2,497円 - シチズン意識調査
8時間 × 365日 = 2920時間 12時間 × 365日 = 4380時間 16時間 × 365日 = 5840時間 24時間 × 365日 = 8760時間 24時間 × 365日 × 4年 = 35040時間
[2522880000秒][86400秒][25億秒][29200日]時間とは出来事である。
[時間とは出来事である][機会費用][権内][権外]英語・会計・IT
[時間とは出来事である][出来事管理帳][出来事を管理する]
年収を計算するには時給を倍にして1000をかける。逆に時給を計算する方法。年収を2で割って1000で割ります。
自由が丘の社長ブログ : 大事を小事の犠牲にしてはならない - livedoor Blog(ブログ)
毎日起きる事件は、登場人物と行為と場所を入れ替えただけのパターンです。
これはいつになっても変わらないでしょう。
名言・名句・名文・格言・箴言・哲学・言葉・知識・知恵・座右の銘・諺(ことわざ)
ひとつの行動を選択することは、
即、別のひとつの行動を
選択しないことを意味します。
芸能人の色恋沙汰をひとつ知る。
他人の人生に入れ込んで涙を流す。
公益目的でなければ、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな
世間の人が友愛と呼んでいるものは、ただの社交、欲望の駆け引き、親切のとりかえっこに過ぎない。結局自愛が常に何かの得をしようとする一種の取引に過ぎない。
大抵の友情は見せかけであり、大抵の恋は愚かさでしかない。シェークスピア
世間の26歳です。
23区内、1DKで家賃99,000/月の部屋に住んでおります。明らかにオーバースペックで、忙しすぎてデッドスペースに大量の物資が挟まった状態で片付けられていません。
気密性の低いところに引越ししてしまったので、虫がいて嫌になります。っていうか、流し片付けてないのが原因ですよね。「GONG」とか水樹奈々を流しながら氷殺ジェットで中二病やってます。
寝室と居室が分離できてて、たまーーーーーーーーーーに誰か来ても寝室見られずにすむってのはあるんだけど、結局居室が汚いんで薬局放送局なんですよね。
本気を出せばもっと便利に使える部屋なんだけれど、結局面倒くさがって生かせないんなら、次からはもっと不便な部屋にしようかな。
出典というか原典は、
レイチェル・カーソンの著した遺作「センス・オブ・ワンダー」からか。
曰く、子供のころ誰もが持っている、自然の神秘や不思議を感じ取る感性を大切にせよという主旨。
これが転じ、直訳「不思議感」から、広義解釈として、世の中の様々なことに対して、不思議を感じる感覚とされる。
ちなみに、はてなキーワードでは、というと、
と、説明される。
そう、誰しもが幼少時に抱いた好奇心。
いわゆる「どちて坊や」の「どちて」の本質が、これなんすかね。
とはいえ、あくまでセンスということから、理外の理なのであり、あくまで感情なのか。
まぁこの辺は、どーでもいいやヽ(・∀・)ノ
稚気という言葉がある。端的に子供っぽい、幼稚ということである。
ネガティブに使われるシーンが多いが、「稚気愛すべし」なんていう成句もある。
なんでこんなことを書いているかというと、
ここ1年、つとに、
○○○は、大人になったねぇというのを耳にし過ぎているからなのだ。
あ、これって褒め言葉なんだろうな・・・と思いつつ、なんかアレなのだ。
ちなみに、本日も2回ほど言われた。
まるで覚醒したアルジャーノンのように生活した日々以来、
aufheben:アウフヘーヴェン。すなわち、廃棄・否定し、そして保存し、高める。
正確な定義付けには、いろいろあるが、
違った考え方を持ち寄って議論を行い、そこからそれまでの考え方とは異なる新しい考え方を統合させてゆくこと。
この、ある意味、現代辞書的な解釈を個人的には採用していて、その意味で信条としているのだ。
が、昨今、この止揚が、どうも、高次化という前提ではなく、低次化しているのではなかろうかという自覚があるのだ。
すなわち、否定しきれず、結果「妥協」という決着で幕引きということである。
・・・・あ、なんかあらぬ方向へぶれたのでタイトルに戻す。
っつか、つかですね、
要は、センスオブワンダーを忘れちゃいけないよねっていうことですわ(大ワープしてみた)
しかし、ほんと、
こんなことをダラダラ考えられるっていう環境は、
幸せのなにものでもないなということで。
そう思っていた時期が私にもありました。
だいぶ前のことですけど、初めて派遣社員っていうのをやったときの衝撃。
それまでは奴隷のようにこき使われるサービス業の正社員と普通のアルバイトしか経験がなかった。
初めて派遣の仕事にありついて、時給1500円と聞いて人生はバラ色かと思った。
それまでバイトなんてやってた自分はまったくアホだったんじゃないかと思いましたね。
飲食系のところでも900円とか、牛丼屋になればなんとか1,000円いくところもありました。
ただここらへんがよくあるアルバイトの時給の限界ですよ (引っ越しとかそういうのは除くのかな?)。
私はアルバイトで月20万ちょっと稼いでいましたが、生活のほとんどがアルバイトの時間でした。
1,500円 × 8時間 = 12,000/1日
12,000円 × 20日出勤と仮定 = 240,000円/1月
実際は、時給が良かったので喜んで残業をしました。積極的に。
その結果、実際の収入は月30万弱くらいが平均になりました。
年収にしてだいたい350万くらい。
アルバイト時代と比べると年収ベースでおよそ100万のアップです。
これって世に言う「勝ち組」じゃね?プププ。
サラリーマン20代平均年収が341万円というデータがあるので、私の人生もまんざらじゃないですよ。人並みの年収をもらって、バラ色の人生が待っていると思いました。
でもここで第二の打ち止めがやってきました。
時給が上がらないのです。時給は固定されたまま変わりませんでした。
このままだとサラリーマン30代平均年収の484万円なんて夢物語です。
「そういえばマイホームとか持っているところのお父さんっていくらもらってるのかな?」
当時の素朴な疑問です。
マイホームって夢はちょっと大きすぎるかもしれないけど、
たとえば、2,500万のマンションを買うとしたら、
24カ月も飲まず食わずで働かなきゃいけないなんて当時の私には衝撃でした。
人生に絶望した私は自分でビジネスっつーのをはじめてみることにしました。
いや、ネットワークビジネスとかそういう怪しいものじゃないんです。
自分が社長さんになって、仕事を取ってきてそれをやってお金をもらうことを考えたんです。
起業1年目の目標は派遣社員のころの年収350万を超えることでしたが、
運が良かったのか年収は500万ちょいを達成。
派遣社員時代と比べて150万アップにこぎ着けました。
伸び率は鈍ってきましたが、今も収入はちょっとずつ増えています。
自分だけの話かもしれないが
なんとなくバイトで暮らしているころって、人生にどのくらいのお金がかかるかなんて知らなかった。
全く見当も付かなかったし、極力考えないようにしていたかもしれない。たぶんすごいお金かかりそうだから。
でもそんな頃に、時給1,500円という夢にまで見た高時給でさえも、
16,666時間も労働にまみれないと2,500万円のマンションが買えないとわかった時の衝撃は異常。
市場原理主義一辺倒の経済とか数字第一、結果第一、成果主義とかそういうことを批判するものいいけどさ
いい仕事をしてもっともっとお金を稼ぐ方法を考えないと、小さなマンションすら買えないよっていう事実、
私は20代のうちになんとか気付くことができてよかったと思っている。
時給1,500円でも人生はバラ色にはならない。
心理学が俺にあわないと見切りをつけ、
就職を決めた俺。
当初、カウンセリングとか臨床方面に興味があったんだが、
身近に精神疾患を抱える人たちを見聞きしたり、
症例を学ぶにつれ、
どうしても
「どうかんがえても本人のせいだろ」という考えが最後まで頭から離れなかった。
うつ病になるような状況を作り出してるのは圧倒的にクライエントであるというように見えて仕方なかった。
今でもその考えは変わらない。
もしかしたら俺の神経が図太くて、少し人より打たれ強いのかもしれない。
最近女がらみで周辺環境が泥沼になり、うつ病の診断を受けた後輩の相談を聞いていて、
またそんな考えが浮かび上がってきてしまった。
マッチョな考えだとも思わない。
世間はメンヘラに甘すぎではないだろうか。
こんな考えが論破されることを願う。
追記
・人の心の動きはすごく不思議。社会心理学なんかはすごく面白かったし、卒論もそれで書いた。
・データで明らかにされないことはずっと疑ってしまう。そのため、臨床や発達は胡散臭く思わざるを得なかった。
・うつ病は環境要因は大きい。が、その環境を選択しやすい個人や作り出してしまいやすい個人が少なからずいると思ってしまう。
・座右の銘「大概のことはやればできる」
追追記
・だいたいこんな感じのことを会社の偉い人は考えてるんじゃないかなと思ったのも付け加えておく。
「勝ち組」の代表格に勝間和代という人がいる。いや、別にこの人だけを槍玉に挙げるつもりはないのだが、あまりにもわかりやすかったので。
やたらとポジティブな自己啓発書を次々と出しておられる方だが、やっぱりこういう人だったか。以下の記事の末尾を参照。
座右の銘は、「起きたことはすべて正しい」。
来たよ来たよ。要するに "This is the best of all possibile worlds" というやつですな。何百年も前に使い古された「最善説」というやつです。本を月に何十冊も読む(上記記事参照)のなら当然ヴォルテール「カンディード」なんて小説なんかも読んでるんだろうね。フランスなんかだと古典の教科書として国語の授業で教えられるような本ですよ。もう一度読みなおすことをお勧めしますよ。この方が既に以前に指摘していることですが、もう一度書かねばなるまい。
この「カンディード」という小説のなかにこんなくだりが出てくる。d:id:hokusyu:20080112から孫引き。
ジャックという商人の、戦争や財産を巡る争いを見るに人間は自然を堕落させたのではないか、という質問に、パングロスはこう答えます。
「そうしたことはすべて必要不可欠だった」と片目の博士はすかさず言い返した。「個々の不孝は全体の幸福をつくり出す。それゆえに、個々の不幸が多ければ多いほど、すべては善なのだ」
ちなみにジャックはリスボン沖で溺死するのですが、パングロスは「リスボン沖の停泊地はあの再洗礼派の男(ジャック)が溺死するように特別につくられたのだと証明」するのです。
もはや説明は不要であろう。これほど「勝ち組」のネオリベ思想を的確に風刺した表現はそうないのではないのだろうか。
ちなみにこの「カンディード」という小説は、このパングロスを天才的哲学者と信じて馬鹿正直に信じたカンディードという純朴な青年が、世の不条理と師の教えの間の葛藤と戦いつつ、幾多の悲惨な体験を乗り越えて精神的自立を達成するに至るまでの物語、というわけなのだが、この小説が書かれたのは二百五十年前なのである。努力によって自分を向上させることが大好きな「勝ち組」の頭の中身というのは、どうやら二百五十年間進歩しないものらしい。
さて、上に引用したくだりをもう一度読みかえした上で、ロスジェネに関するこれにはじまる話題、たとえばこれとかこれを読みかえしてみてほしい。あまりにもこの小説と構図が似ていないだろうか。このような形で見せられれば誰でも、「自己啓発」の限界と馬鹿馬鹿しさに気付くのではないか。結局「自己啓発」というのは世の中の仕組みを全て肯定して不問に付した上で「全ては自分次第でどうにでもなる」という、あまりにもナイーブな思想なのだ。もうそろそろいい加減そのことにみんな気付いてもいいのではないか。
この小説の結論では次のようなことが語られる。あまりにも単純で、まともな大人なら誰でもわかっているはずのことだ。
正直者が報われるとは限らない、全てが必要不可欠で正しいなんてことはあり得ない。世の中は理不尽で満ち溢れている、しかしその中で自分なりに細々と努力して生きていくことこそが唯一の「人生を耐えられるものにする手立て」だということだ。そして、そのことについて他人がどう論評しようとも、すべてはどうでもよいことなのだと。
言いかえれば、「自己責任」だとか「自己権利」なんてものはどこにも存在しないのだ。健康と環境と才能と努力と時の運、それらを全て兼ね備えたときにだけ「成功」ができるし、「責任」があるとすればその「努力」の部分だけだ。それに、その「努力」さえも、「健康」と「環境」がなければどうすることもできなかったりするものでもある。その辺の複雑なことは自分にしかわからない。一般的に「負け組は努力が足りないから自己責任」なんてことが言えるはずもないのだ。
なんでその程度の平凡な理屈が誰の口からも出てこないのだろう?自己啓発自己啓発といって騒いでいるはてな民は、自分の努力だけでなんでも解決できると思ってるのだろうか。だとしたら随分、挫折を知らないお坊ちゃんお嬢ちゃんだとしか言いようがないのだが。
ちなみに「ルサンチマン乙」と言われないために言っておくが、俺自身はどちらかというと「勝ち組」に属する人間だし、才能のない俺にとっては努力だけが切り札だったことは理解しているつもりだ。しかしそれでもなお、いやそれだからこそ、努力だけで全てが解決できるなんて素朴すぎる発想にはとてもついていけないのだ。
自分の座右の銘を教えよう。
「人の行く裏に道あり、花の山」
どっちに向かっても楽しいことがあるんだから、どこに行こうとしているかなんて気にすることはないさ
id:muffdivingの「NC-15」って痛すぎないか? 五味プロデューサー的な感じだよな。本当に。
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080124/1201104568
この記事の内容は、はっきし言って間違ってないだろうし、凄く良いこと書いてると思う。びびった。
けれど、コメント欄の「俺は14歳で童貞捨てたけど、そんときから結構前戯しまくってたような・・・」とか書く必要ないよな。
この発言がこの記事の価値を1つ下げてるよな。
自己紹介をジコショウカイとか書いちゃうあたりが、ぞくぞくぞくーって鳥肌たっちゃうよ。
「・思いつきでつけた。エロければ何でも良かった。今は反省していない。」
「・好きな音は…ELLEGARDEN,Bad Religion,NOFX,Eminem,Nas,Clashあたり。」
・んなわけねえだろ。お塩大先生じゃあるまいし。」
あー!ここらへんも最高にゾクゾクするよ!どこまでもDQN臭がする!すごいすごい!
ネットの話題に精通してるぶってて全然面白くないところとかすごい!(狙ってねーよとか反論してきそうなところがまたいい!)
「タイトルの由来は、映画の年齢規制コードNC-17(17歳未満お断り)をアレンジして、NC-15(15才未満お断り=厨房お断り)という二つの意味がある。でも、年齢はリアル厨房でも精神年齢が厨房でねえ奴は大歓迎っす。」
あー!解説まで始めちゃったよ。お前は「徒然日記」とかタイトルをつけて、初めての記事でいきなりブログの方針を知りたくもない相手に語りだす厨房(精神年齢がね)か!
こういう文体書く人とか、基本的に大嫌いだけど、そんなのがいてもいいとは思うんですよ。
でも、本当に単純に、こいつからひしひしと滲み出る、田舎のDQN臭が気持ちわりー!