2009-06-22

ひいばあちゃんのはなし

中学のころ、学校をさぼって曾祖母の部屋に隠れて一緒にテレビを見ていた。

たしか95歳くらいになっていたばあちゃんは、だいぶ痴呆入っていたけれど、ひねたガキで周囲から浮きがちの僕をよくかわいがってくれた。

テレビでは60歳くらいのよく知らない文化人か何かが「人生とは~」と偉そうに語っていて、正直つまらなかった。

そのとき、「まだ若いのが、なんとねぇ。。」とひいばあちゃんはぼそりと言った。

ひいばあちゃんから見たら60は若い者なのだ、と思い可笑しいと共に、つまらん話だ、という意見が一致したようで僕はうれしかった。

同時に、では95のひいばあちゃんにとって人生ってなんだろうと興味がわき、僕は「じゃ、ひいばあちゃんにとって人生ってどんなものだったの?」と聞いた。

ひいばあちゃんは「何でもないのよ、人が生きれば人生なの。長くても短くてもね」と言った。

自分稲妻に打たれたように感じ、そのあとどうしたのかよく覚えていない。が、それはいつしか私の座右の銘となった。

震災戦争で夫と子供二人を失い、戦後の混乱をたくましく生きた人だった。

若いころ美貌により超玉の輿に乗り、戦後結婚を申し込む者があとを絶たなかった、というのはまた別のお話

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