はてなキーワード: リタリンとは
子供三人の母子家庭で自分(都内某大学二年)/弟(ニート)/妹(中学生)という構成。
親は無職の借金まみれで余裕がなく、頻繁に子供に死ねと繰り返す&頭が悪く日本語の会話が困難なため精神的負担が大きい。
最近自己破産すると言い出した。現在の家計は別居中の父親からの養育費10万と自分のバイト代月5万ほどで生活している状態。
学費は全額奨学金。
どうすれば状況を好転させられるのかわからない。
金が無くて自分も正常な思考が回っていない気がする。くらくらする。疲れて何もしたくない。
大学は周りの連中の住む世界が違うように見える。皆キラキラして余裕があって穏やかで楽しそうに見える。金持ちが多い大学というのはあると思う。
精神科で薬もらってテンションあげたいが通院する金がない。通院歴あるからリタリンくらいまたもらえる気はするんだけど。
子を産むという罪を三度も繰り返しておきながら今まで養ってきた云々で偉そうな母親に辟易、というか殺したい。
いや、私を殺してくれればありがたいのだが。目眩。
DENPA!!!行って来ました。
ここ5,6年で一番いいpartyでした。
掛け値なしに楽しい!!!
昼間っからやってるのも健康的(←こう書いて「おっさんに優しくて」と読む)で◎。
内容、客層、ロケーション、料金すべてに満足できる、レベルの高いイベント。
ここまで"熱い"のは昨今ではかなり珍しい。マジおすすめ。ちょっとでも興味のある人は、一刻も早く行くべき。
とまぁ、ここまで書いて小休止。
自分は↓これ書いた人。
http://anond.hatelabo.jp/20081223011009
自分語り(補)
http://anond.hatelabo.jp/20081223215937
自分語り(転)
「良いイベントだなー。こんな良いイベント久しぶりだー」と強く思ったのですが、
どうも悶々とするものがあり、それをこの2日間考えてました。
んで、marquee ( vol.70「次世代ファンタジー特集」に電刃の特集あり) とかユリイカ増刊号『初音ミク』とか買って
まだわからなくて悶々としてたんですが、主催者の"点と線"さんのブログを見つけてちょっとわかった気になったのでコメントします。
以下はアリバイとして書き残したい文章。もしかしたら読む人によっては不快に感じるかもしれません。
でも、申し訳ないけど気分を害すような文章をアップします。
(なので過去の『自分語り』で不快に思った人は読まないで下さい。)
冒頭の佐々木渉氏へのインタビュー『生みの親が語る初音ミクとアングラカルチャー』が抜群に面白い。
これだけで1,200円出す価値があります。今現在、初音ミク関連の資料として最も価値のあるものじゃないでしょうか)
きちんと書いてる暇がないので。
では先に進みましょう。
//////memo//////
[前提]
自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説
http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html
慟哭 (3)
http://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1019.php
栃内新,左巻健男 編『新しい高校生物の教科書』講談社ブルーバックス,71頁より
[目次]
1.「慟哭 (3)」を読んで
3.人類知に帰ろう
4.あなたはどう思ってるの?
6.参照元
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1.「慟哭 (3)」を読んで
慟哭 (3)
「あー、デュシャンか。理解理解納得納得」って感じです。
こう言ったら失礼(ネタバレ)かもしれないけど、電刃はデュシャン - ウォーホール - 村上隆のラインの音楽・ファッションverなのねと。
この流れだとたしかに「○○論」は確かに意味を成さないっす。「意味を成さないように働く機構」という罠・舞台装置だから。
(便器語ってもしょうがないし。まぁ、人類史上もっとも「すごい」便器なんだけどw)
次のエポックメイキングな事象はアキバのホコテン復活の時かもーとか妄想しちゃいました。
(補)
レディ・メイド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%89
「泉」に関する個人的な解釈は、「心のヒダへの"effect"を芸術とするなら、
便器にサインして展示会に出しても芸術作品として"アリ"なんじゃね?」と提案している作品。
デュシャンは「美術を"effect"とするなら、『美しい』でも『怒り』でも『恐怖』でも何でもいいじゃん」と
「美術(芸術)」を「拡大解釈」できる素地を作っためっちゃ偉大な人。
(それまでは「真善美」を追求するファインアートが主流だった)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
ウォーホールは「キャンベル缶も芸術作品じゃね?」と言った人。
(余談ですけど、村上隆は美術史的「文脈」をきちんと押さえてるから海外で評価が高い。
美術史をちゃんと踏まえ、理論として一貫しており、装置として実際に働くから「海外の美術界」では評価されています)
ガイジン「あー、そうかもそうかも!!」
(電刃は村上隆と違って商売っ気が今のところなさそうに見えるから、反発(というか"やっかみ")も少ないかもしれないですね。)
(ニコニコではちょっとあるみたいだけど)
(補の補)
電刃は「オタク等々を拡大解釈させる"装置"である」と言いたいだけ。
電刃を「芸術作品だ」とは言ってない。「芸術作品」という評価は「解釈が拡大する運動性」において無意味。
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
はてな民に対しては「気持ち悪い」かもしれませんが、
ホントは「パラレルワールドで幸せそう?に学校に行くシンジ(を描いた庵野監督)」が正解じゃないですか?
(「気持ち悪い」は悪い意味ではない。↓参照)
映画エヴァンゲリオンの最後、「気持ち悪い」ってどういう意味?
http://news4vip.livedoor.biz/archives/50801624.html
俺は電刃行って目の前ですんげぇかわいい長門がぴょこぴょこジャンプしながら踊ってて、
それ見ながらガン踊りできる幸せに絶頂を迎えそうになったけどなー。
「現実」を住みやすくする手立ては、陳腐な言葉(≠「仲良く」)の中にすでにあるのになぁと。
「アメリカヲチしようぜ!!」でいいような気がする。オバマ的な意味で。
(別にEUヲチでも構わない。もちろん)
3.人類知に帰ろう
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
正直なところ、その違いって、テクノウチ君の考察のように参加者が共通してポジティブかどうかじゃないかなとw
それで終わりじゃ駄目なの?むしろw。
(中略)
僕や参加者がそうだと言ってるんだからそれでいいじゃないと思うんだけども、
それでも解釈(知的経験の枠)の媒介を人は要求する社会学の囚人なので、
僕なりにそれ用の答を探求してみたんですが、もとよりそんなつもりはないので嘘はつけないなあというどうしようもない始末。
庵野監督が『気持ち悪い』でEVAを終わらせた心境から遠くはないです。
(関係ないけど社会学部だった僕の卒論は「社会学は永遠に社会そのものを追い越せない」というものでした)
(中略)
これは大変ありがたいことですが、DENPAはアカデミックな言説に幽閉されるよりも、ただ好きなものを好きという幼児的で野蛮で原始的な本能に基づいているのも事実です。それもコンプレックスをいだかず堂々と。
僕らは学論の探求ではなくエンターテインメントの探求をしている。
不恰好でも感動はほんものだ。
そのシンプルな行為がこんなにもやりにくく、珍しがられる時代になってしまったんだなあ
と感慨深くなりました。
marquee(vol.70)「次世代ファンタジー特集」より
文字打ちが大変なので割愛。
「アート(引用者注:「学問」という意味も多分に含まれてる)はどこに行き着くために問い続けてるかわからない」というインタビュアーの質問に対し
点と線さんが社会学のフレームで世の中をすっきり見れるように、
若い子にもその手段をゲットできるような仕組みを作ってあげたいなーと思ってみたり。
年下の子に「学問楽しいよー。いや、むしろキモチイイとすら言える!!」としか俺はまだ言えてないけど。
(カウンターカルチャーであるはずの「学問」が、「幽閉」する機構として働く日本の異常性がアレなんだよなぁ)
学生運動とか創価学会とかオウムとかプロザックとかと変わんない気がします。
最近は「死なない程度の失敗ならおk(死なない程度に納めよう)」という考えの人多し)
鶴見済ですら
http://tsurumitext.seesaa.net/category/3920016-1.html
と言ってるのだから、たとえ手詰まりでも「ポジティブであればいい」とは言わない方がいいんじゃないかなーと思ってみたり。
まぁ、アメリカとかEUは全然手詰まりに見えないので、「手詰まり」こそが共同幻想な気がしますが。
(個人的にはバンクシーみたいな手法が好き。愛しつつコケにする系。音楽だとBUBBLE-Bさんとか)
バンクシー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC
BUBBLE-B / アムロケット
4.あなたはどう思ってるの?
オタクって何?
オシャレって何?
疑問に疑問でお返しします。
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「面白い」とか「なかなかのもの」とか言ってくれた人ありがとう。
全レスすると「キモイ」とか言われちゃうので、指摘してくれたコメにのみ応答。
clonicle 言っていることはまっとうだが、「ジャンクフード」(=人によっては取るに足らない虚像)だと発言することでテクノウチを決断主義者に仕立て上げるのは悪質
「決断主義」って言葉の意味を調べましたが、よくわからなかったです。
fuldagap「「ジャンクな物でも『おいしい』と感じる人が大半になったよ』って書いてあるだけだよ?」が微妙に誤読な気も。「化学調味料うめえ」じゃないかなーとか。総じて現役/引退オタクの自己正当化合戦に見える
そうです。たしかに「化学調味料うめえ」なのですが、
化調まで抽象化しちゃうとかえって伝わりにくいかなーと思い「ジャンクブート」にしました。
(「化調」に対応するのが「ビート」だけになっちゃうので。音楽的広がりが欲しかったので「ジャンクフード」と表現しました)
fuldagap 「全員「アツイ」から、濃淡は金・環境・時間の差でしかなかった」ってのは「アツ」くない人が見えにくかった時代がゆえの偽史だと思うなあ
「『おたく』とアイデンティファイされるようなファナティックな人々」が母集団ですから。
y_arim ぼくの知る限り、昔だってヌルいひとはいた。だけど時間の経過とともに彼らは「卒業」し、一貫して熱かったひとのみが生き残った。すると「昔は誰もが熱かった」という言説が生まれる。「元ヌルオタ」をどう語るか?
(『タイム・マシン』のエロイ的な意味で)幸せで「語り」に対してモチベがない人々に無理に語らせなくていいのでは?
ジャンプの発行部数見れば、「いた」ことはわかりますから。
mkd5 オタク 「おたく」のうち岡田氏の守備範囲が「オタク」となったってことかなあ/「(淡から濃に行かない奴は、そもそも「おたく」と呼ばれていない)」これがヌルオタなのでは
「ヌルおた」は言語矛盾を引き起こしますが、「ヌルオタ」は新語なので好きに定義しちゃってください。
『竹熊健太郎氏との対話(1)』での解説が一番しっくり来るのかなぁ。
「おたく全般」にまで広げちゃっていいのかどうかはまだ自分として決めてないです。
6.参照元
は文字数制限を避けるために↓こっちに移動。
http://anond.hatelabo.jp/20090115000935
おまけ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1756156
フック
(追記)
ああ、そうかそうか。書きたいこと書き殴ってたらレポ忘れてた。
"DENPA!!!"に行ってきたよ。
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20090113/p1
お三方とそう変わらない印象。
3Fではアニソン流してカラオケノリでオイオイって感じ。2Fと3Fの交流はぼちぼち。曲や3Fの込み具合次第かな。
ロンドンナイトは行ったことないけど、普通のライブとか新宿で昔やってたグルービー・ロックキャラバンとかと相似。
僕は2Fで「普通に」踊って楽しんでました。
テクノウチさんの時間は、3Fのお客さんが大挙していらっしゃいましてまったく踊れなかったので、僕的には一番…w
NHKの方(ETVのカメラマンさん)は「アンディー」かなーっとちょびっとヲチしてました。
(こっそり追記)
metamix きちんとオーガナイズされてる良イベントだっていうのは分かったけど、
その先があるのかどうかをもっと知りたい/クラブピーポーには文化考証なんてどうでもいいんですよ。
要はその現場があるかどうかだから。
「その先」「現場」ってのがどんなものをイメージしてるかにもよるなぁ。
「Dir en grey」なのか「RYUKYUDISKO」なのか「初音ミク/ニコニコ」なのか「third summer of love」なのか。
「超ライトオタク」や「越境」云々は主催者も意図してない(?)「バズワードでのプロレス」(@inumashさん)なんで、
どの層がたくさん「ひっかかる/ひっかかってる」かにもよるかと。
(まぁ、お客がみんな「かっこいい/かわいい」と書かれているってことは、
ちょっとキモ目の"いわゆる"「おたく/オタク」はあまりいないってことでもあるような気がするのはきっと気のせい。)
(昔に比べて非寛容な人が減っただけのような気がするのもきっと気のせい。)
【佐々木渉】 三年くらいしたら「初音ミク?そんなのもあったね」で良いんですよ。(中略)
まあウチも営利団体なのでもしかしたらヴァージョン・アップ版とか出すかもしれませんけど(笑)。
ただ、引くタイミングは考えないといけませんね。初音ミクにまで泥を塗って、
グダグダと退いていくようなやり方は、やっぱり不味いので。
ユーザーさんからも「『ぷよぷよ』を作った会社(株式会社コンパイル)が辿った末路を、よく調べておいて下さい」という
(独り言)
おいらは自称アスペです。人に言ったこともないし、それを仕事が出来なかったり人とトラぶったりする表向きの理由にはしないけど。
若いとき、「何でこんなに人と違うのか」とか「なんで自分のことをわかってもらえないのか」とか思ったりしたけど、アスペルガーのことを知って、自分がそうじゃないかと思ってなんだか救われた気がした。
とりあえずその傾向を知って、立ち回り方を一生懸命模索してきた。とても上手く言ってるとは思えないけど、何とかやっていけてる。
アスペルガーだということをカミングアウトして、たとえ障害として認定されても現状は何も変わらない。言ったとしても「扱いにくい奴」、「変な奴」ってずっと言われ続けるのだろうし、障害者認定がこの日本でどれだけのハンデを背負うか想像に難くないし。
でも、どうしようもなく湧き上がってくる「敵」の認知と、それに関する嫌悪感情の想起から社会的に身を守るにおいて、「アスペルガー者」であるという自覚はおいらの生命線だ。たとえそれが自称としても。
こんなこと、リアルに投げたって「甘え」で片付けられるのは、多分同じ感情を抱いている人は分かると思う。だからといって分からないまま軋轢や衝突を繰り返しても自分も周りも悲しいだけだ。
今回の一件で同じ「苦しみ」を抱いている人が他にもいると知った。そしてその人たちもつらいながらも何とかやろうとしているという事実は、なんだか分からないけどあったかい。
おいら達は生きてかなくちゃいけない。たとえそれが普通の人より気を張ってなきゃいけない分疲れ、周りに理解されないとしても。
だから自称アスペでもいいじゃん。それでも何とか社会の中でなんとかやっていく方策を見つけようとする糸口になるなら。
宗教っていわれてハッとした。確かにそうかも。
言い方が悪いけど、モルヒネ中毒みたいなもんかもしれない。
でも他に生きてて感じる痛みを和らげる方法が分からないし・・・・
医者にはかかってたが、医者がリタリンばら撒いてつかまっちゃったしなぁ。
あくまで自称なので、自助グループにも申し訳なくて入れないし。
夫に対して猛烈に嫉妬する
http://anond.hatelabo.jp/20080518030942
続き(1) http://anond.hatelabo.jp/20080518115202
続き(2) http://anond.hatelabo.jp/20080519013707
続き(3) http://anond.hatelabo.jp/20080519141444
精神的な病気なのかもしれないなあと思って、頭の中を整理するために、増田でまとめます。
以前、「夫に対して猛烈に嫉妬する」という日記を書きました。その時はただの殴り書きでした。実際には、書いていなかった事実があります。
>「包丁を突き立てるほどにいらだつ自分」
これですが、私がやったことはこれだけではありません。その後、所謂リストカットと似た行為、私の場合は足や上腕部など目立たない部分を切ったり刺したりしています。夫がいないときに行い、その後の処置も適切に行うため、この事実は私しか知りません。
怒りのやり場というか、わき上がる衝動をどうして良いのか判らず、自身の体であれば誰にも迷惑はかからない、といった感じで行っています。したがって、怒りが起きる要因が起きた直後でなく、その感情をその場ではプールし、その後、問題のない環境が整ったときに一気に自分の体に対して衝動をぶつけるといった感じです(判りにくいでしょうか・・・うまく説明できないのですが)。
本当は打ち解けた友達や、両親などに相談すべき事なのかもしれません。「私は病気かもしれません」とか。
しかし、私のパブリックイメージというか、家族、夫、友達から見た印象は、強くて明るくてたくましい人というものです。どんな困難にも打ち勝ってきた人だといった感じでしょうか。相談したところで、彼らに迷惑をかけるだけで、なんの解決にもなりません。できれば家族が知らないうちに病院へ行き(もしくは自己療法などをし)、家族が知らないうちに直したい。いい方法があればいいのですが。
かつて、こういう二面性というか、誰にも頼りたくない、誰にも迷惑をかけたくない、その代わり辛いときは自分に八つ当たりをする、というスタンスがおかしいと思い、心療内科に通ったことがあります。その際の診断は鬱病で、リタリンをしこたま処方されました(当時鬱病患者にリタリンを処方するのはある一定の病院では自然な流れでした)。
> 私は学生結婚した相手がキャバ嬢に貢いで多大な借金をしたため大学中退、必死に働いて返している途中で相手が疾走し離婚、返し終わった
この時期私はリタリンを大量に飲むことで睡眠時間を減らし高い集中力を保つことで人より倍働き借金を返したので、ある意味正しかったのかもしれませんが、私は鬱病ではなかったのではないかと(たぶん)思います。その後リタリンの離脱症状に苦しみましたが、何とか抜けました。
今日私がひとつ、自分では成長した、学んだ、と感動したことがありました。しかしそれは夫にとってはとっくに知り学んでいることでした。この瞬間私は、自分が無価値な存在なのでは、と思うのと同時に、「なぜ自分にはなんの(id:dankogaiが言うところの)giftもないのか」と思い、どこまで努力してもたどり着けない感じにいらだち、その怒りを自分に向けました。吐くまで飲む。飛び降り自殺をして頭が割れてぐっちゃぐちゃになる自分を想像する。ヘッドフォンをして世界を遮断する。いろいろやりますが最終的にどうしようもないので、太ももに刃物を刺したりします(ちなみに物凄いテンションなのであんまりいたくないです、後からいたいですけど。交通事故にあったときみたいな感じですね)。
夫は何も悪いことはしていません。ただ「えーそれ知らずに今までやってたの?」みたいなことを言ってたような気がします。文字にすると嫌味にな感じになりますが、至って普通の会話です(何度も言いますが「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」のトーンです)。本人に悪気はないし、そもそも夫に能力があることは悪いことではなく素晴らしいことであり、悪いのはそれに嫉妬したり追いつけないからといらだつ私です。その部分、病気ではないかと思い始めました。病的、ですよね?
思えば id:dankogai の奥様も、id:jkondo の奥様であるところの id:reikon も、gift を持っている夫を支える良き妻ですよね。id:dankogaiの奥様がどのような方かはあまり存じ上げませんが、id:reikon は会社でも総務法務会計周りだし、私生活でも家事全般請け負ってる感じで、いわゆる「良き妻」ですね。
一方私は夫に追いつきたい、ちょっと進んだと思ったらまた向こうが大幅に成長して幅を開けられ、みたいな感じで本当に最悪の妻だと思います。キモいですよね常考。でも、これは私のアイデンティティの問題でもあって、自分の仕事の能力が夫より低いから家事に専従する、というのは(すいません今から主婦の皆さんを敵に回します)、奴隷になった気分なのです。
悪いのは私の性格?病気?なので、離婚はしたくないし、病気なら直したい。今涙を流しながら文章を書いています。感情がコントロールできていないので文章が支離滅裂かもしれません。すいません。誰にも言えないことなのです。子供も夫も寝た夜中に、増田で書くしかないのです。
どれだけ頑張ったらいいのでしょう、育児もあるので勉強時間も朝の5時から6時の一時間くらいしかとれない。6時から弁当を作って、7時半くらいには二人が起きてくる。仕事は10時から19時。それから子供を迎えに行って、ご飯作ってお風呂の支度して子供が寝て、洗濯して干していろいろしたら22時くらい。それからちょっとネット見たりして調べ物する、そうこうしてるうちに0時がくる。勉強する時間が全然ない。みんなはいつ勉強してるのだろう。仕事に絡んだものなら仕事中に勉強できるけど、それも根本的な解決にはならない。
ちょっと混乱しています。また辛くなったら増田で書きます。
(自分の知らないことだけ書いたので偏りまくりです)
※ダウナー系・アッパー系という言葉は参考程度で。セッティングと本人の性向や気分にもよるので、まったくあてにならない。書いている増田は大概どれを飲んでもダウナーにしかならない。ただ、ネタとしてカテゴライズするのは面白いので残す。
別に意識しているわけではないのだが、過去付き合った女性、及び交友関係のある女性の多くが精神科に通院したり、薬が欠かせなかったりする。
この前もリタリン入手が厳しくなって怒ってたし。
そう言うと「類友乙」とか「メンヘル専門ってどんだけスペック低いんだよ」とか言われそうだが、別にメンヘルを狙ってるわけでもないし、むしろ後になってからそのことを知らされたケースも多い。
大学時代からの友人に「実は…」と明かされたり。
私は男なのであんまよくわかりやしませんけど。
そんな自分にできることっていったら優しく抱いてやるくらい。
それはアメリカの話ね。アメリカで問題になったのは公民権運動の時期。日本での同和と同じで一部で暴走があったということで、そしてその暴走にも内部批判もあったわけだけどね。
それは単に、アメリカ英語で「サンボ」が黒人の別称と重なってしまってたという不幸な偶然が元になったことなんだが、実を言うと「サンボ」はイギリス人が書いたインドの話であって黒人とは関係がなく、「サンボ」という言葉もインドでは差別的な意味はないわけだが。言ってみれば、ロシアの格闘技「サンボ」がアメリカで禁止されるような変な話になってたわけだ。ところがそういう指摘に誰も耳を貸さなかったんだな。
そういう馬鹿なことってのは起こり得るんだよ。だから俺が当局やマスゴミを信用できないというのはそういうこと。
多くの出版社が一斉に「自粛」したことが正常なことか?
それと、「理解できる」ことと「正しい」ことは全然違う。タミフル騒動やリタリン騒動ってのがあったが、一部の活動家(宗教系とも言われる)のデマ宣伝で薬が引っ込められたら死人が出るんだぜ。この一件はそれと同じ構図なんだ。
読んでみてから人種差別かどうか自分の頭で考えろよ。
それに、それと同じ論法を使えばあらゆる童話にいちゃもんをつけられるんでな。それに、たとえば「ちびくろサンボ」は非暴力主義の象徴として稀有な童話という価値を見出す人がいても不思議ではない。一つの作品を粗末に扱う奴は、自分が大切にしてる作品が踏み躙られても文句を言えないという覚悟をすべきなんだが、それでいいんだな?俺は絶対に嫌だが。
http://anond.hatelabo.jp/20080228130202
まあねえ。
↓こういうのは全然いいんだけどね
ttp://anond.hatelabo.jp/20080221192002
Rubyなら、
http://anond.hatelabo.jp/keyword/Ruby
↑こんな感じです。
FastladderだからインターフェスはFastladderになっちゃうけど。
さっくり、増田をフィリタリングして、好きな語だけを含むのを流し読みするにはいいよ。
フィーリングを聞いてるなら、
雑談とtipsをごちゃまぜにして覗いている感じです。
S/N比がアレだが、2chみたいにたまに宝石が混じっている感じ
つっても、サンプルコードの張り付けとかで、新しいライブラリを知ったりとかの程度だけどもね。
RSSでの取得の仕方は、
上の検索窓で、見たい単語を検索して、
んでそのページのRSSを取得ね。
(Fastladderなんでブックマークレットに突っ込む)
残念だけど、ADHD患者はパージするってことになったんでしょ。リタリン禁止を読み解くと。
社会的にどーでもいいってことなんだよ。
増田さんも覚悟を決めるしかないね。
一年前から精神科に通っている。成人ではあるが、ADHDの診断を受け、リタリンを処方されていた。前回受診時(11月末)には今後も投薬を続けられるので心配ないとのことだったが、二日前に主治医から電話があった。
17歳以上のADHD患者には、リタリンが処方されなくなることが正式決定したというのだ。しかも来年1月から。また、コンサータも、大人には適用されることは当面ないとのこと。
選択肢は三種類。
●断薬で様子を見る
●別の抗うつ薬(NSRI)への変更
とりあえず、来週、主治医が診察してくれることになったから、詳しい話を聞いてくるが、今はものすごく不安。「主治医の電話で衝撃の事実を伝えられた副作用」で仕事が手につかない。
メディアキャンペーンでリタリン中毒が取り上げられていたけれど、あれは処方する医師に問題があったのが一番の問題で、ドクターショッピングした患者や患者を装って売買目的で購入した人間、に問題があると増田は思う。その点もたしかに報道されたがそれ以上に「リタリンのせいで何もできなくなった」少数の被害実態が過剰に報道された。あるいは、「リタリンは合法ドラッグとして取引されている」ということばかりが強調された。
しかしADHD患者は適用外処方、ということもあり、ちゃんとその旨について主治医から説明を受け書類を受け取り、サインもし、その上で投薬。また一度に30日分以上は処方されないことになっていた。そういう意味で厳格な処方だったはずだ。
****************
鬱病が適用除外になるのは分かる。他に多くの薬があり、選択肢が豊富なのだから、副作用のほうが大きい薬ならやめたほうがいい。でもADHDに関しては、作用機序は解明されていないものの、70%という高率で効く薬だったうえ、代替薬の候補としてあがっているものが本当に効くのかも分からない状況で投薬だけが打ち切られるのだ。本来リタリンは「減薬」が必要なはずの薬なのに。
またADHDは覚醒レベルが低い、という側面もある。だから、ナルコレプシーの薬でもあるリタリンが効いているのかもしれない、ということも主治医から効いていた。覚醒レベルが低い→不注意になる→リタリン覚醒レベルがあがるから注意が持続するようになるのでは、と。増田は前夜に十分な睡眠時間をとっても、翌日、ひどい眠気におそわれることがよくあり、その症状はリタリン投薬後には改善していたのだ。
リタリンの薬価が安いから、製薬会社が売りたくなかったんだろう、なんて噂もある。17歳以下に対しては、投薬できて成人には投薬できない、というのも不可解だ。
ずっと続けられる薬だなんてはじめから思ってなかった。それでも、なんとか仕事を続けられる状態まで回復したのだ。一年前は一週間に一度は出社できず、自傷も止められない状態になっていた。今は毎日出社できているし増田の場合、副作用はほとんど出なかった。最低容量だったから、むしろ効かない日も月に何日かはあったが、それによって量を増やすのではなく、薬が効かない日はもう、仕方がないと。人間誰しも調子の良い日、悪い日あるわけで。
これからどうするのか、主治医と話し合って決めていこうと思う。ただ、これだけは言いたい。薬そのものが悪いんじゃない。薬を使う人間に問題があるのだ。
薬だけじゃない。水も砂糖も塩も、摂取し過ぎたら死ぬのだ。だからといって、水の供給をやめるのか?砂糖と塩は売らないことにするのか?人間の取り扱いの問題をシステムとして解決することなしに、問題のあるとされる薬を駆逐するだけなら、また同じような問題が、別の薬でも繰り返されるだろう。
少しづつ減らしていきなよ。
俺もADHDの治療でリタリン使ったことあってちっとも効かなかったから止めたんだけど
止めるときは辛かったな・・・
100エーカーの森のどこかで少年とクマが遊んでいる。表面的には純粋無垢な世界であるが、我々専門家グループが詳細に観察すると、この森には発達上の問題や心理社会的な問題が気づかれず未治療で放置されている。表面的には純粋無垢な世界である:クリストファー・ロビンは忠実な動物の友達に囲まれて美しい森に住んでいる。何世代もの読者がA.A.ミルンの「クマのプーさん」の話を優しくあたたかい物語として楽しんできた。しかし、時とともにとらえ方は変わり、現代の発達障害の専門家である我々のグループから見ると、これはDSM-IVの診断基準を満たす重大な問題を持つ動物たちの物語であることが明白である。我々はA.A.ミルンの作品を徹底的に読み、100エーカーの森の住人たちの診断を行ったのでそれを紹介する。医療関係者にこの物語には暗い裏側があることを理解してもらえたら幸いである。
まずプーから始めよう。このかわいそうなクマは2つの問題を合併している。もっとも目立つのは注意欠陥多動性障害(ADHD)の不注意優勢型である。また、例えばプーが雨雲に変装してハチミツをとろうとするなど愚かな考えを起こしたりすることから、我々はプーに衝動性の問題もあるのではないかと議論した。しかしながら、我々は、この行為はむしろ彼に合併する認知障害によるものであり、ハチミツに対する強迫的執着がそれをますます悪化させていると判断した。ハチミツに対する執着は、当然ながら彼の肥満の原因にもなっている。プーの食べ物に対するこだわりと何度も数を数える行為は強迫性障害(OCD)を疑わせる。ADHDとOCDを合併していることから、プーは将来トゥレット症候群を発症するかもしれない。また、プーは脳味噌がからっぽだと描かれている。しかし、クマの頭の周囲の長さの標準値がわからないのでプーが小頭症なのかどうか診断することはできない。プーの脳の発育が悪いのは物語の中に書かれていることが原因かもしれない。物語の最初のほうで、プーは(クリストファー・ロビンに)階段をひきずられて後頭部を何度も階段にぶつけている。彼のその後の認知障害はクマにおける一種の揺さぶられっこ症候群 によるものなのだうか?
プーには治療が必要である。我々は薬物療法が有効だと考える。プーに少量の中枢刺激薬を飲ませてみたら彼の日常生活がどんなに改善するだろうと考えずにはいられない。メチルフェニデート(リタリン)の服用を含む適切なサポートによって、プーは適応性が高くなり、多くの仕事がこなせるようにるであろう。そしてたぶん、もっと多くの詩を作って覚えていられるようになるかもしれない。
僕は薬をちょっとだけ飲む
薬は僕をちょっとだけ良くする
薬は僕をちょっとだけ良くする
悪くはないね
ピグレットはどうだろうか? 不安で、顔を赤くし、狼狽する、かわいそうなピグレット。彼は明らかに全般性不安障害である。もし彼が子供の時にきちんと診察と診断をうけたなら、パロキセチン(パキシル)のような抗パニック薬を処方され、"ゾゾ"(ゾウ)をつかまえようとした時のような心理的トラウマに悩まされることはなかったかもしれない。
プーとピグレットは、彼らの隣人イーヨーの慢性的な気分変調症により、二次的なセルフ・エスティームの低下を生じる危険性もある。このロバはなんとかわいそうな毎日を送っているのだろう。イーヨーの気分変調症が遺伝性・内因性のうつ病に由来しているのか、あるいは以前の心理的トラウマが彼の慢性的な否定的考え方、元気のなさ、失感情症の原因になっているのかの十分な情報は得られていない。イーヨーには抗うつ薬と個人精神療法が大いに効果があるであろう。少量のフルオキセチン(プロザック)の使用でイーヨーはシッポを失った事件のトラウマから解放されるかもしれない。もし彼が食べるアザミに混じって、セント・ジョーンズ・ワートがちょっとだけ生えていたら、森にはイーヨーの元気な笑い声がひびきわたっていたかもしれない。
かわいそうなオウルについて我々発達障害グループの意見は一致した。彼は非常に頭がいいが、読字障害(ディスレキシア)を持っている。彼が言葉の能力の欠点を克服しようとする痛々しい努力は、我々が毎日目にする読字障害で悩んでいる人々のそれと同じである。彼の障害がもっと早く気づかれて、徹底的なサポートが受けられていればよかったのに!
我々はルーのことを特に心配している。我々が心配しているのは彼の衝動性や多動ではない。これらの症状は彼の年齢相応である。我々はルーが育っている環境を心配しているのだ。ルーは片親の家庭で育っており、これは彼の将来に問題が生じるリスクを高めている。我々はルーが将来不良少年になって夜中に森の中をうろつき、ウイスキーの割れたボトルとアザミの煙草の吸い殻をあたりにまき散らすのではないかと予想している。我々はもう一つの問題からも、それがルーの将来の姿として十分にありうることだと考えている。ルーの親友はティガーだが、彼はルーにとって良いモデルではない。つきあう仲間は将来に大きく影響する。
ティガーは社交的で親密だが、危険な行動を何度も繰り返す。例えば、彼は初めて100エーカーの森に来た時、見たことのない食べ物を衝動的に食べてしまっている。ちょっとした挑発にのり、ハチミツやドングリ、はてはアザミまで食べてしまった。ティガーは自分の実験が後でどんな結果をもたらすのかをまったく考えていない。後に彼は高い木に登り、他の人の邪魔になるとしかいいようがない行動をとっている。ティガーはルーを危険な目にあわせる。我々のグループはティガーにはどんな薬がもっとも効果があるかを議論した。何人かは彼の問題行動は明らかに多動と衝動性によりもたらされており、中枢刺激薬が必要であると主張する。また、何人かはクロニジン(カタプレス)単独、あるいはクロニジンと中枢刺激薬の併用が有効なのではないかという。残念ながら、これらの薬物の効果はヒトでしか試されたことがないので、トラにも有効であるかどうかを科学的に判断することはできない。
たとえ我々がティガーを治療できたとしても、片親のもとで育っているルーの将来には問題が残ると思う。カンガはちょっと過保護すぎる。カンガのルーに対する独占欲は以前に社会保障サービスに逃げ込んだことがあるのと関係しているのだろうか? カンガの将来 はどうなるのだろうか? 彼女は何人かの男性と一時的な関係を持ち、その結果妊娠して生まれた子供達の世話をするのに疲れ、財政的困難に直面して、年老いていく可能性が高いと考える。しかし、我々は悲観的すぎるかもしれない。カンガは立ち直る力のある数少ないシングル・マザーの一人かもしれない。 ひょっとしたらカンガは高校の到達度テストに合格し、大学を卒業し、さらにはMBA(経営学修士)を取得するかもしれない。そして、カンガはいつの日か100エーカーの森を買い取り、1軒50万ドルもする高級住宅地に変えてしまうかもしれない。しかし、教育を評価せず、女性の強いリーダーシップを認めない(100エーカーの森の)社会の中ではそのようなことは実現しそうにない。
100エーカーの森では、小さな1人の少年、クリストファー・ロビンが強いリーダーシップを持っている。我々は今のところクリストファー・ロビンには診断しうる問題を認めないが、いくつかの点について心配している。この子が動物と話をすることに時間を費やしていることは言うに及ばず、両親の監督の完全な欠如には明白な問題がある。我々は物語の中で学業困難の初期のサインを見いだしている。また、E.H.シェパードの挿絵を見ると、この少年は将来、性同一性障害に陥る可能性があると思う。我々のグループの中の精神分析に重点をおくメンバーの一人は、彼がクマのぬいぐるみにウイニー・ザ・プーという風変わりな名前をつけたのにはフロイト的意味づけがあると言う。
最後にラビットにうつろう。彼は非常に尊大にふるまう傾向があり、まわりの者(しかも多くの別の種類の動物たち)と非常に親密な関係で友達がたくさんいると妙に信じ込んでしまうところがある。ラビットはしばしば他の者の意志を無視して彼らを新しいグループに組織し、彼自身はその頂点に君臨しようとする。我々は彼には明らかに病院の上級管理職の適性があると思うのだが、彼はその天職につく機会をのがしている。
森のどこかで少年と熊が遊んでいる。残念ながらこの森は実際には魅力的な場所ではなく、発達上の問題や心理社会学的な問題が診断されず未治療のまま放置されている幻滅するような場所である。彼らが小児発達クリニックに”てぁんけん”(探検)に来なかったのは残念である。