はてなキーワード: モヒカン族とは
相手を挑発し、怒らせてボロを出させ、そこを理論でつきながら論破していくという方法は、モヒカン族には良く見られる傾向ですが、世間一般にはなかなか通用しませんしね。
世間は、馬鹿は馬鹿のまま生きていく権利がある、自分らを怒らす輩はそれ自体が悪、という仕組みで動いています。世論に理屈は通りません。
大多数の人が気に入らなければ、どんなに理にかなわなくてもそれが正義です。
正しい論理を武器にすれば横暴な態度が許されるというものではないからです。
理屈が正しくても、誠実なそぶりをしている方が勝ちます。そんなもんです、世論なんて。
Librahackで必要なのは世論を味方につけることです。まだまだ一部の技術者がおかしいと思っている段階に過ぎません。
新聞の記事を読んだ人でもまだ、大量のアクセスをした奴が悪いだろ、という認識が多数です。
きちんとした人たちが、高木先生のように名の知れた人物が、それを否といっている。そういう積み重ねが世論を勝ち取るのですから
まぁ、高木先生も挑発的な面も多々ありますが、誠実に一つ一つ事実を積み上げて、誤解している人に丁寧に説明していくことの繰り返ししか出来ませんよ。
学生「はい。ブログです。無料で簡単にはじめられる、安心・シンプルなはてなのブログです。」
面接官「・・・で、そのブログは当社において働くうえで何のメリットがあるとお考えですか?」
学生「はい。モヒカン族(死語)が襲って来ても守れます。」((註・守れません。))
面接官「いや、当社には襲ってくるような輩はいません。それに無断リンクはマナー違反ですよね。」
面接官「いや、勝つとかそういう問題じゃなくてですね・・・」
学生「大切な相手に特別な思いを伝えたい!カラースターを活用してみませんか?」
面接官「ふざけないでください。それにカラースターっていくらですか。だいたい日本人にはブログより日記・・・」
学生「100はてなポイントです。はてポとも書きます。はてなアイデアポイントというのは・・・」
面接官「聞いてません。帰って下さい。」
学生「あれあれ?炎上させていいんですか?入りますよ。ホッテントリ。」
面接官「いいですよ。入って下さい。ホッテントリとやらに。それで満足したら帰って下さい。」
面接官「帰れよ。」
グラマー過ぎだろ。
おっさんは、ほれてしまったよね。
あの谷間に。
やあ。つかみから外してみたよ。
つかみたいのは、みんなのハートじゃなくて、
エミリーの胸なんだってことは、言わなくてもわかってるよな?
はてなーのみんなに、
そのエミリーの代表作「BONES」の「Season 2」をネタにして、
はじめに「BONES」をよく知らない人のために、
前提知識をあらかじめ書いておく。
ちなみに、おじさんは、
週末にこのドラマを鑑賞しているよ。
※※※※
「BONES」という題名からわかるように
テンペランス・ブレナン(エミリー・デシャネル)と
ただ事件を解決するだけでなく、
登場人物たちの人間模様や、
それらの要素もドラマの大きな魅力となっている。
※※※※
上記はちょっと宣伝的な説明なので、もう少し補足するよ。
当初頻繁に「スクインツ(一般人をバカにする嫌な連中)」と呼ばれ、
(唯一、顔面複製を担当するアンジェラは、そうではない人物なんだけど、今回はあまり重要ではないので触れない)
「スクインツ」という言葉自体も使われなくなっていく。
で、この「スクインツ」は、
人情や機微に対して鈍感(あるいは意図的に排除する)というシーンが
何度となく描かれるんだよね。
じゃあ、本題に入る。
「BONES Season 2」では、
FBI捜査官ブースの同僚として、ティム・サリバン(通称:サリー)が登場して、
結果を先に書くと、二人は別れるわけだけど、
そこの部分が今回書きたいところなんだよね。
「Season 2」の中盤で、
ブレナンが書いたサスペンス小説をなぞらえるように殺人事件が起こり、
のようなことを言っちゃうわけ。
「おい、サリー。そんなこと言ったらブレナンに殴られるぞ。俺は蹴られたいけど。」
なんて思ったわけだけど、
なんかブレナンは、しおらしくなって、
事件解決後に、「あなたの言う通りよ」なんて
サリーに言っちゃうわけ。
おいおい、成長するのは、むn(ry
フツーさ、「スクインツ」というか「モヒカン族」ってのはさ、
「君は、今、本当はこういうことを考えている」
「君の事は理解している」
みたいなことを言われるのが大ッ嫌いなんだよね。
「藁人形論法乙」なわけですよ。
どうして、そうかっていうと、
「モヒカン族」っていうのは、
その世界っていうのは大抵、
客観的なもので出来上がっているんですよ。
というのも、
世界を構築するためには、
再現性と一般性の高い要素が必要になるからね。
共感なんて、イラネーよ、夏。なんですよ。
そういうものは「世界の境界面」の内側にしまってあって、
外からは境界面の中は見えないようにしてるわけですよ。
だって、そんなもん客観的に説明できないしね。
「客観的に説明できないものは理解する(される)必要のないもの」なんだよね。
ここが大事なんだ。
親しくなったからといって、
境界面の内側に踏み込んじゃうと、
噛まれるわけ。
それがわかってない人は
「え、なんか、いきなり黙っちゃった?キモイ!」
とか思って、勝手に気分を害するんだよね。
それ、あんたも悪いから。
あそこで、ブレナンがキレなかったのは、驚きだった。
ザックだったら殴ってたよね。
さらに、サリーは何を血迷ったか、
ブレナンに
みたいなこというんだよね。
ディレクターがサリーに恨みでもあるか、(この巨●ン!羨ましいぞ!)
視聴者調査の結果、
ってなったに違いないよね。
というかね、
ただのハゲだから。ツルリだから。
いちおう、誤解なきように言っておくけど、
「世界の境界面」から、
中身がにじみ出ているときもあるし、
人によっちゃ、境界面の窓を開けているときもある。
でも、この脚本はない。
イージーさを感じる。
100%振るしかないじゃん。
ブレナンに
なんて、
「お前は、自分を殺して、俺と付き合うんだ、フゥハハー!」
と言っているのと一緒なんだよね。
おセックスに積極的だからって、
それはないです。
「モヒカン族」には、
各自勝手に縄張りを主張させて、
首輪を外して飼うのが一番いいんです。
というわけで、ジョッシーな皆さん、
そこんところ、よろしくね!
そんなのわかっててやってるに決まってるじゃん
モヒカン族は知識のご開帳や正誤の突き詰めと
「そ、そんなこと聞いてるんじゃないのに!」までをセットに楽しんでるんだから
前提となる知識のあるなしで全く物事のとらえ方が違う話題を取り上げて、大多数には話が通じているようなのに、最近突然「それがいったい何の問題なんです?」と食ってかかってくると言うか、自分がずれて話をしているということがよく分からずに若干ずれた論を展開する人が最近増加中、というか自分の目につく。
たとえば(大げさなたとえになってしまうが)「派遣社員の職が減っている」という話題があったとする。
これに対して、経済が減速していると言う事前の知識がある人は
と言ったことが導き出せる。(あくまで例である)
が、それに対して、突然現れ
と言ったことを言い出す輩である。(あくまでも例である)
まぁ要は「とりあえず半年ROMれ」とかそう言う話になっちゃうのかもしれないので、古典的かもしれないが、昔ならある程度自浄作用と言ったら良いのか、そう言ったことを直接的、或いは間接的に分からせる人がいたもんだが、最近はそうでもなく、そう言った人が妙な理論によって話を無理矢理に進めようとし、さらに似たような知識のない人がさらに入ってきて、ぐずぐずになり、うまく話が通じなくなる。
ちゃんとした例だとそこで、だれかが経緯をわかりやすくまとめたものを示し、そう言った前提となる知識がないひとにもどうしてそう言った話になっているのかを説明する人が出て(多くの場合は少し前に流行った表現でモヒカン族的に、思考エリートが強烈に書き記す)、話は元に戻るのだが、多くに場合、周りがまず嫌になって話を打ち切る、と言う例が多い気がする。そして一方的に勝利宣言してみたり(どこで勝ち負けが出る話になってたんだ?)とかして、外野としてはあーせっかくの話が途中で止まってしまったなぁ。と言う感想しか持たないことになる。
いや、インターネットはたくさんの人がいますよ、と言うことなのかもしれないが、しかし、昔に比べてコメントを書くと言うことにハードルが落ちてきているのか、そう言う例が増えているような気が。有り体に言うと以前なら匿名掲示板文化というか、そう言うものが大きく影響する場のみであったのだが、最近は一般ブログのコメント欄とかそう言うところでも増えているように思う。
自分の感覚だと、自分があまりにもその場の話と異なる感想しか持たなかった場合(つまり大多数の意見と異なる場合)まず自分が違うのではと疑問を持ち、多少なりとも調べてその上でコメントするなりなんなりすると思うのだが、そうではなく、何も考えずに書き込んでいるように見える。
まぁ単純に自分がじじいになっただけなのかもしれないが。しかし…。
私はニセ科学批判者が嫌いです
攻撃的な姿勢と 改心要求
知識のひけらかしと 優越感で生きている
間違いだ 詐欺だ 馬鹿だと はっきりと書き込んで人をはやしたてる無神経さ
私ははっきりいって夢邪鬼です
スルーのそぶりも見せない 遠慮のかけらもない
空気を読む心も 乱入された側への思いやりも 何にも持っていない
そのくせ 上から見下げたようなあの態度
次のエントリを上げる時は足でまとい
逃げ時は悩みの種
そんなお荷物みたいな そんなモヒカン族みたいな そんなニセ科学批判者が嫌いだ
私は思うのです このネット上からニセ科学批判者が壊滅してくれたらと
ニセ科学をブログで褒め称える そんな善良なブロガーだけのネットならどんなによいことでしょう
ニセ科学に無関心な そんな善良なブロガーだけのネットならどんなによいことでしょう
私はニセ科学批判者にならないでよかったと胸をなで下ろしています
私はニセ科学批判者が嫌いだ ウン 私はニセ科学批判者が嫌いだ
ニセ科学批判者が世の中の善良なブロガーのために何かしてくれたことがあるでしょうか
いいえ ニセ科学批判者は常に善良なブロガーの足を引っぱるだけです
身勝手で 右手が臭い!
七田式
赤い血液さらさら
簡単なものしか手を出したがらない 難しいものは見て見ぬふりをする
「それは科学の問題ではなくて別の問題です」と書けばすむと思っている所がズルイ
非の打ちどころがないニセ科学批判者も嫌いだ!
チクチクと細かい批判ばかり繰り返し 落としどころも決めずうろちょろしやがって
いつまでもヲチし続けて いつもどんどん群がってくる
あの大局を気にしないネガコメがいやだ!
あの計算高く揺らがないネガコメがいやだ! ネガコメが不愉快だ!
何がリテラシーだ! なにが落ち着いてまず調べろだ!
なぁにが目先の利益、安易な善意に囚われない冷静な思考だ!
そんなニセ科学批判者のために 私達善良なブロガーは なぁんにも対応する必要はありませんよ
第一私達善良なブロガーがこっそりとエントリを修正したところで
これだけニセ科学批判者がいながら一人として 感謝するニセ科学批判者なんていないでしょう
どぁったらいいじゃないですか それならそれで けっこうだ
ありがとう! ネ!
はっ 離せ 俺は善良なブロガーだぞ!
誰が何といおうと私はニセ科学批判者が嫌いだ
私は本当にニセ科学批判者が嫌いだあああああああ!
私は〜が嫌いですのガイドライン
http://ton.2ch.net/gline/kako/1006/10065/1006595233.html
http://jp.youtube.com/watch?v=0B2FZDzXUV4
追記:
映像、歌詞、解説付きなので、こちらの方が目の保養になるかも。
【苺ましまろ MAD】子供達を責めないで(私は子供が嫌いだ)【ニコニコ動画コメント付き】
http://jp.youtube.com/watch?v=32xLyAb_y9k
落ち着いたのならよかった。
ゼミ教官がどういう人か知らないけど、超一流系の学者だと、イカレてる人がソコソコいるけど
そういう人でない限りは素直に心配してくれてる人が多いと思うよ。
まあ、一回エイヤって会ってしまえば後は気持ちがラクになっていくと思うから、とりあえず最初のいっぽ推奨。
大変かもしれないけど。
あと、まあ、ガチの高学歴モヒカン族…と言ってしまったのは悪かったけれども、
ガチのインテリでも、怖くない人はいくらでもいるので、そういう人相手に礼儀正しく絡んでみ。
丁寧に絡めば、気を遣いながらリプライしてくれる人はけっこういるよ。
ケンカ腰系の絡みだと、単に無視されるか、モヒカン族がやってくると思うけど…。
それと、自己卑下が続くタイプなら、DQN釣って満足する系の記事はあんま書かないほうがいいよ。
ほんとにどいつもこいつも…っていう意識がぐるぐるまわるだけだろうから。
あるいは、単にネット徘徊してないで、本読むとかね。
ある程度あたまがいいんだったら、自分の興味関心で、本読んでったら、いいと思える著者にあえるでしょ。たぶん。
あと、ゼミの同級生が話あわないんだったら、
就職志望の人が多いゼミやめて、大学院/研究者コース志望の人が多いゼミに変えたほうがいいよ。
そういうゼミに行けば、あなたと似た自意識をかかえちゃってる人も多いと思うから。
多少はまともに話のできる相手がいるはず。
なんか、きもがられたり、ネタ扱いされたりしてるけど。
とりあえず、ネタなのか、マジなのか、よくわかんないけど。
ネタなら問題ないのだろうけど。
マジなら、とりあえず、これ完全匿名で書いてないで、もう少しだけでも同一人物であることが同定可能な場所で書くことをおすすめするよ。
別にずっと同定可能でいろとはいわないから。
わたしは、あなたが気持ち悪がっているあなたは、あなた自身が内面化してる視線に他ならないので。
耳学問でも、フーコー知ってるなら、わかってくれることを期待。
あなたが内面化してる、自己自身に対する観察が、いまどれだけあなたが思っているようなものなのか。
あなたがどんな記事書いてたか知らないけど、DQN釣り系の記事書いてたら、そういう尊大さは自己循環するだろうけれど、せめてDQN相手にしない記事かいてみたらいいんじゃない?っていうか、ガチの高学歴モヒカン族相手に論争してないでしょ?ガチのモヒカン族相手に論争しかけたら、自己観察はもう少し変わるとおもうよ。
30代。女。非モテです。合ってるかどうか、ちょっと聞いてください。
昔から自分がブサイクだってことには気付いてた。小中高と、典型的な非モテ女が通るような道を歩み、外見でちやほやされるかどうかが決まる世の中への歪んだ鬱屈が形成されていったと思う。
道が開けたのは大学時代。パソコン通信というものの存在に触れてから。
私が知ったのは、インターネットへとバトンタッチしかけている最終期ではあったが、そこで、外見に左右されないで済む居心地のよい世界を初めて知った。今で言うネトゲ廃人などとは違うが、むさぼるように夜ごとモニターごしの世界を堪能し、失われた自分の居場所を回復していったものだった。
たまにおそるおそるオフ会などに出席してみても、その時代のそういったところには美人などまずおらず、女性であるというだけで大事に扱ってもらえるような雰囲気が、私のそれまで完膚なきまでに破壊されていた女としてのプライドを徐々に持ち直させてくれた。主流の場がインターネットに変わってからも、早くから場慣れしていた私にとってそのデジタル社会は、住み慣れた安住の地に他ならなかった。モヒカン族に刈られることもなく、刈る側に回るほどではなくとも、お気に入りのテキストサイトや2chなどを泳ぎながら先住民として快適にすごしていた。
状況に異変がおき始めたのはここ数年。
「パソコンを持っているのはネクラなオタク」という前時代の雰囲気は完全に一変し、ケータイでネットにアクセスすることも徐々にできるようになりつつあったその時代。一億総インターネットの社会に、SNSが追い討ちをかけた。
もちろんネット上でのアンテナをそれなりに伸ばしていた私は、そういったSNSにもいくつか参加し、頭ひとつ抜けることになるmixiにもその成長に寄り添うかのように依存するようになっていった。今思えば先住民気取りかつ外見差別のなかったネット社会の居心地のよさに平和ボケしていたのだろう私は、それまでのオフ会のような感覚でmixiのオフ会などにも参加してゆくことになる。
はじめは小さな違和感にすぎなかった。mixiの人口が右肩上がりで増え始め、mixiこそ私にとってほぼ失われていた親友を作る機会というものを補完してくれる強力なツールと錯覚しはじめた頃に出席したいくつかのオフ会が決定的だった。
仰天した。もはやそこにいるのは、これまでのオフ会で会って来た様な、いかにもネットの住人という、どこか安心させてくれるある意味カタワ的な容姿の者などではなく、颯爽と街を歩くイケメン、美女らそのもの(私の目から見たら)。
これまでのオフ会ではむしろ場違いだったそのような人らが普通のコンパのように幅を利かせ(普通のコンパ知らないけど)、むしろ場違いだったのは私(の顔)だった。当然のごとく、そのような環境での私の扱いは、自分がただのブサイクであることを思い出させられるものとなる。別にオタオタと挙動不審だったとかではない。情報過多なネットの住人だったこともあり、それなりにどのような話題にもついて行けるし飲むこと自体は好きになっていた私は、その場では分け隔てられることなく楽しく過ごしたつもりでも、終わってからのメッセージのやり取りなどではいつの間にか無視され、次の飲みの機会(オフではなくあえて飲みと書く)があっても、顔を見られた後では誘われることはなかった。おなぐさみのように女性と打ち解けてみたりしたが、中身を知ればとても恒常的関係を築けるような相手ではないと(たぶんお互いが)感じて立ち消えたりディスコミュニケーションに陥って喧嘩別れしたりした。
リアルの世界ではとても近寄りがたく避けていたそのような人らが、ついに私の楽園だったネット社会にまで侵略してきたのだ。
彼らの侵食は苛烈を極め、もはやそこにあるのはリアルな社会と何ら変わらない、外見差別とそれを隠すおためごかし。いたたまれなくなった私はmixiから撤退するに至った。
そしていまや私は、最後の砦であるはてな村に追い込まれている。ここではまだ、自分の中の女性性を否定し尽くさないで済む程度にはちやほやしてもらえる。でもここもいつか現代のスペイン軍によって、陥落させられる時が来るのだろうか。
技術的ツッコミ合いでブログや世論が大炎上する様を『モヒる』『モヒられる』とか言うようになるのかな。
例:「Web3.0とかちょっと書いたエントリー相手にモヒってんじゃねーよバカドモめwww」(あくまで例です)
例:「この間新しいサービス立ち上げたらどっかの技術評論家からモヒられちゃってさ」(あくまで例です)
ファビョるとか言うのは人種差別ですからやめましょうね。いえ行動様式が似てるよねとかこれっぽっちも思ってませんから。マジで。
大して違わないんだけどねー。さて
後藤によれば、ある世代に生まれたことによってすべてが決まってしまうという考え方は「宿命論」であり、シニシズムやニヒリズムに通じる。
世代論そのものがもはや用済みなのだ、とかれはいう。その代わり後藤が持ち出すものは、古くて新しい文明の利器、科学である。統計と学術的分析をもちい、客観的かつ実証的に事実を導き出すこと。
『おまえが若者を語るな!』がいろいろとすごい。 - Something Orange http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080914/p1
ですが、色々勘違いしてるよね、という。そもそも「時代」というのはアプリオリに存在する客観対象ではなく『論じるという行為によって生み出されるもの』であることは、その本で批判されてるような人らの間では大前提なわけで、「時代なんて幻想です」という批判は彼等からすれば全く痛くないどころか冷笑の対象でしかないと思う。彼等が痛いのは「自分の切り口がもはや有効ではない現象の前で立ち止まっている自分たちに気づいた瞬間」くらいだよね。東浩紀が(あれほど賞めていた)村上隆批判をしていたときは結構痛々しくて気の毒だった。
まあ理系的発想で社会学ぽい言説をぶった切りしたい欲望は分からないでもないけど、それって一歩間違うと単に「物事の繋がりや文脈」が理解できない人=アスペルガー的症状にしか見えないんだよね。自閉症スペクトラムには入らない程度でアスペルガーな人って、ある種の超理系的人間=モヒカン族に多いと思うし、自分も幾分その気があるから分からないでも無いんだけど。また社会学が大概いかがわしいという言説も、もはや使い古されているわけで今更そんな話したくもないんだけど、もしそういう話を全然聞いたことがないなら「反社会学講座」(パオロ・マッツァリーノ、ちくま文庫)でも読むといいと思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080508014529
僕も分からない。
なにが分からないかというと、リンク先のダイアリーでこれは良くない、こうすべきだと言い合ってる人の考え。
脱オタって言ったら、人間で言えば生まれたての赤ん坊がはいはいして、たっちして、あんよが出来るようになるくらいのレベルなわけ(経験者・談)。
それなのに外野がいきなり「足を踏みきるときにはもっと拇指丘を意識させろ」とか「腿の引きつけの訓練をさせろ」とか言ったってしょうがないでしょうが。
初心者にいきなり難しいことを言って、自分ではいいことをしたと思っている(?)っていう。
ブラ上級者のチアキだって、胸の成長に合わせてブラをつけようと言っているのに。
身の丈にあったことをやらせようよ。
まあ今回の場合は、脱オタコーディネートを考えた人に対するコメントだからちょっと違うとは思うんだけど、
一念発起して脱オタを決意した彼自身も見ているであろうコメント欄にああいうこと書くのは同じことだと思った方がいい。
いや、どこにでもいると思うんですよ、こういう手合いは。
正論は正論なんだけど、相手の知識や立場について無頓着な奴(モヒカン族?とは違うのかな?)。
「初めてPCを買うんですがどんなの買えば良いですか?」という質問にぶっきらぼうに「用途によるだろ。常識だろそんなん。」とかすぐ言っちゃう人。
普段ならそんなのスルーだけど、このエントリがらみで話題になっているように、ファッションってのはいきおいコンプレックスを抱きやすいモノなわけ。
そうだとすると、こういう一言一言がどれだけ傷つけるか考えるべきだと思うんだ。
そこまで考えなくてもいい、一瞬だけ赤子の気持ちになって欲しいんだ。
偉そうにご高説垂れてるあんたも最初は初心者だったんだろ?
こういうことは僕自身も経験がある。脱オタを始めていくらか経ったあと。
急に脱オタして冷やかされるのはイヤだったから、だましだましちょっとずつ脱オタをしていたんだけど、
ある日、友人に「お前どこそこのGAPに行ってただろwプププ」と嘲笑混じりに言われた。
たまにずっこけるけど5歳児くらいには歩けるようになってきていた僕だったけど、これには本当に傷ついた。
あいつやああいうコメントをつける人は、レベル1の勇者にも「未だにスライムなんか倒してるの?さっさとはぐれメタル狩れよwwww」というのだろうか。