はてなキーワード: ながら見とは
作品としてはイイ。
十分楽しめると思う。
「こんなのアイマスじゃない!」「まったくの別物!!(怒」と
アイマスファンがネガティブキャンペーン張ってるだけで、
ってか、「原作」アイドルマスターではなく「原案」アイドルマスターなんだから、
『この作品はフィクションであり、実際の人物・団体等とは一切関係ありません。』
あと、「ゆきぽはオレの嫁!!」とかほざいてるアイマスファンもさ、
ちょっと発想変えればいいのに、とは思う。
そういう人たちって、2次元を単なるキャラとしてではなく。一個の個人として捕らえてる人たちなわけでしょ。
現実のアイドルのおっかけと同じような熱意と情熱を持っているわけでしょ?
じゃあ、アニメ化を喜べばいいのに。
765プロダクションのキャラ達が、サンライズという大手から仕事を取ってきたんだよっ!!
「こんなの千早じゃない!」とか言ってないでさ。
そうじゃないんだよ。あれは演技なんだよ!!と。
アニメというドラマの中で役割を演じてるだけなんだから、世界観も設定も違って当然なのさ。
それがキャラを愛するってことじゃないのかな?
「こんなのアイマスじゃない!!黒歴史www」とか言ってる人たちってさ、
「ストーリーが気に入らない!」って見ないのと同じだって事に気づいてないのかな?
それって結局は彼女達を貶めてる事にならない?
「○○はオレの嫁!!」とか言っちゃてる癖に、結局自分も単なる作品の一つとしてしか捕らえてないってことじゃないか。
そんなのが「愛」って言えるのか!!!
お前らは単なる「アイドルマスター」というゲームのファンなのか!!
それとも、
はるかの、みきの、いおりんの、やよいの、ゆきぽの、ちはやの、あずささんのファンなのか!!
初音ミクを見てみろ!
一個のキャラクターとして、マルチに活躍しているじゃないかっ!
クソみたいなストーリーの月9のドラマだって、キムタクの力で売れるというのに、、、
ゼノグラシアが売れないということは、それはつまり、
ひとえにアイマスファンの「愛」が、ジャニオタのそれよりも遥かに劣っているという事実に他ならない!!
アイマスが単なるゲームでおわるか、それも2次元のアイドルとして末永く愛されてゆくかは
全てはファンの力にかかっている。
おわる。
人の一生をフィルムに写し取ること、を目指したのかな。フォレストガンプが好きな人はいいかも、って聞いて見たんだけど、まあまあ面白かった。主役級二人の年代ごとのメイクが見所。長いわりにさらっとした感触。冒頭の戦争の描写がけっこうブラックで印象に残った。
ミュージカル映画。いやあ爽やか。つーか主人公の友達二人がいい味出し過ぎててわろてしまう。アンコールも満足感高い。うん、いい映画だよ。ところどころ「ああミュージカルだなぁやっぱり」と引っかかりも覚えるけど、ミュージカルから入るマニアックなお客さんのためなんだろうと思って流す。ことにしてそれを差し引いてもいい映画。
DVD。パンこえーよ。パパこえぇーよ。果てしない物語的なものを期待して見たら、なにこのごっつい悲惨な物語は。いや面白いよ、すげー面白い。CGや特殊メイクの完成度、ストーリー展開の巧みさ、伏線の回収、全てが素晴らしい。けどスゲー凹む。ファンタジーは現実を写し取るための道具であって現実逃避のための道具じゃねーよって言われた気分、なのかな。いや、現実逃避のための道具にしている嫌な自分を写し取られた気分なのか。よくわかんねーけど面白くてスゲー凹みました。
DVD。もっと毒が欲しいな。毒が足りない。いい人になっちゃった理由がわかんねー。
直訳すると取り替え子。スピリチュアル的なものを想像しながら見たらガチ社会派映画だったでござる。いや面白いよ。なんつーかな、見たばかりだからうまく言葉にできない、のであとで追記するかも知れん。
松山ケンイチと椎名桔平の顔芸が楽しめるいいドラマ、だったのですが最終回がなんつーか。evaの最終回と比較する向きがあるようですが、何つーかね、幸せ家族ドラマ幻想挟むスタイルは「幸せ家族ドラマも見たかったよ」と思わせなければ失敗だよね。eva最終回は「学園evaも見たかったなぁ」と思わせる魅力を表現できたからよかったんだと思うんだよね。これはなんつーか。うーん。松山ケンイチの顔芸もイマイチ立ってない気がした最終回。やっぱり打ち切りなんですかね。
日本の教師って、言っていることが矛盾していたり、正直言ってこんな人がこれからの未来を担っていく子どもを預けたくないような人間がよくいる。
中でも、悪いことをした人はあまり責めずに、周りにいた人間をこっぴどくしかる教師というのは結構よくいる。
たとえば、こんな話。これは実際にある知り合いから聞いた話だ。
そいつの学校は、ストーブを生徒が勝手につけないように、教師がコードを所持していて、授業中だけ担当の教師がそのコードを使ってストーブが付けられるというシステムになっている学校だ。しかし、コードとは単なる延長コード。それに運悪く、ちょうど技術の授業で延長コードを製作していたところだった。
はじめ、生徒たちはそのコードが延長コードだということに気づいていなかったのだが、やんちゃな一人の生徒が、「もしかしてこれ延長コードちゃう?」と考えて試してみたところ本当に延長コードだったので、調子に乗ってその子はストーブを勝手につけてしまった。
そのことはすぐに教師にばれ、そのクラスは一日ストーブ使用禁止になった。そして、全クラスで担任から注意があった。
「今回の件に関しては、実行した人間は論外だが、周りであったかいなと思ってただ見ていただけの人間も罪は重い。なぜもっと早く教師に伝えなかったのか」とそのクラスの教師はひどく激怒していたのだという。実行した人間が論外なのはわかる。しかし、見ていただけの人間はみな決して温もっていたわけではなく、罪悪感がありながら見ていたのだという。教師にちくると、そのやんちゃなメンバーからいじめを受けることは必定。それが怖くて通告できなかっただけなのだ。その理由もわからずに、ただあったまっていたのだと勘違いしてひどく怒っていた教師に腹が立った。
保護者や生徒の前では「いじめは絶対にさせません。私たちが未然に防ぎます。」と涼しい顔で言っているくせにそんな事情もわからないなんて、いじめを防ぐことは絶対にできない。どうせちくった奴がいじめられていても、いじめた人間に対して「そういうことはするな」というだけで何にも説得力がない。自分の経験から言うと、教師がいじめを止めたというのは見たことも聞いたこともないからわかる。
http://anond.hatelabo.jp/20090308114957
かなり遅いレスになってしまってすまない。
もともと自分も地方出身者で(ホッテントリで取り上げられてた街です)、それを元にはてなで交わされていた議論もある程度納得していた。
旅行で東北各地を車窓から、自転車で、タクシーで、イ●ンで、地元の飲み屋で学生の拙い視点ながら見てきたら、一口に地方と言っても抱えてる課題やそれが起こった過程、現状なども一つ街が変わるだけでかなり違うんじゃないかなと感じた。
あと、それぞれの町でやっている取り組みは結構あったり、それがうまく回っているんじゃないかと思えることも多々あった。
はてなー各々の中のある故郷やもしくは地方というイメージを持って互いに論じ合っていても噛み合ってない部分があるんじゃないかなと。
と大ニ病っぽい意見ですまない。
一日数本のローカル線の終着駅。
ストーブが静かに燃えてる待合室でネットブックを開き、ホットスポットにアクセスしてブログの記事を書いた。
それが新しい時代の始まりだと言えることは確かかもしれない。
俺、今20代後半で、心臓病。自分の場合は、移植は必要なかったのだが、手術中の輸血のために同じ血液型の人が大量に必要で、親の仕事の関係者とかに集まってもらって、待機してもらったらしい。とにかく大変だったという話はたくさん聞いた。今は医療技術が進歩したので、そこまで大変ではないらしいが。ちなみに、自分は「最上の命医」っていうマンガの主人公と同じ病気・同じ手術で、1巻の冒頭に手術の方法まで詳しく書いてあるので、興味があったら読んでみて。
うーん、とりあえず、自分は特殊な人間なんだ、という感覚はずっと持ってきたね。同い年で同じ手術頑張って受けたけど、手術中に血液がいきわたらず脳障害を起こして寝たきりの子の話とか聞いたし。小学校から、「運動では勝てないから勉強ではトップでなければならない」みたいに思っていた。で、東大にギリギリで現役合格したけど、その後は、あまりたいしたことのない人生を歩んでいます。
あ、あとね、9歳の時に、追加でカテーテル手術受けたんだよね。自分の心臓に管が入れられるのを、自分が見ている手術。太ももからね、カテーテルっていう細い管を入れて、心臓近くの血管まで延ばして、そこで風船みたいなのを膨らませて血管を太くする手術。この手術、手術中もちゃんと意識があるんだよね。たぶん、心臓には痛覚がないから、麻酔事故のことを考えると、全身麻酔でなく太ももの局所麻酔の方が合理的だからだと思う。同時に造影剤も入れられてね、でっかいスクリーンに、心臓と管の位置が表示されるのを見ながら手術が進むの。で、その画面、意識があるから、手術を受けている俺も見ているの。「おー、管が進んだー」とか思いながら見ているの。
正直、当時、「自分の心臓に管を入れられているのを平気で見つめていられる俺、クールで超かっけー!!」って思ってた(笑)痛みは、まぁあったよ。たぶん、バルーンが膨らむときだと思うんだけど、胸焼けのすっごいのみたいなのがくる。
まぁ、いい人生経験になったよ。たまに、人から精神的に弱いとかおっとりしているだとか言われるんだけど、「自分の心臓に管が入っていくのを自分で見つめている」とか「『全力疾走すると死ぬかもしれません』といわれながら普通に体育で全力疾走させられる」とかいう状況になっても、落ち着いていられる人にそういう発言をして欲しいなぁ、と思う。まぁ、大人だから言わないけどね。ってか、今は健常者と同じだから、いちいち心臓病のことは伝えていないし。
ありむーの次のPostをどきどきしながら見ています。
何故だかネット上で自分の性別が本来のものと違う方で喧伝されてて、申し訳なくなる。
数年前までは「それはデマですよ」ということも言える範囲でちまちま言ってたけど、何だかもう抗えない強大な力に押しつぶされそうで、喧伝されてる界隈自体から遠ざかってしまった。
ところがぎっちょんちょん、遠ざかったにもかかわらず、時々自分の性別談義をひょんなこと、とこで見聞きする。でも、そこに「当人ですが、デマですよ」なんて書き残したりするのも野暮極まりないし、そもそも本人認定が下されそうにもないから、もじょもじょしながら見守ってる。
申し訳なくなると同時に、嘘を吐いてることになってるのが嫌になる。嘘の内容(性別が本来のものと違う認識がなされている事)自体はあまり関心が無い。でも、もしこういうことを口にしたら、たとえそれなりに親しい人でも「この人はそんなに性別に固執する人だったのかー」と誤解されて終わりだと思う。そうしてまた架空の自分像が作られていって、自分が吐いてる事にされる嘘が増えていくのは忍びない。だから黙ってる。
さっき久しぶりにひょんってなって、もじょってした。スズメバチの箱の話を思い出した。楽しそうに話題にしてるから、それはそれで良いのかなとも思う。その話が嘘かほんとかなんてこの人達にとってはどうでも良くて、気楽に消費できるいち話題として扱っている。その話題発祥によって自分がもたらしたアカルマ分が、嘘吐いたヴィカルマ分を相殺してくれてたら、自分含むみんなにとって良い話だとも思う。でも程度がつかめないから、やっぱり心が揺らぐ。
伴侶さんにすら話せないことを書ける増田パワー恐るべし。
【降臨賞】空から女の子が降ってくるオリジナルの創作小説・漫画を募集します。
http://q.hatena.ne.jp/1231366704
条件は「空から女の子が降ってくること」です。要約すると「空から女の子が降ってくる」としか言いようのない話であれば、それ以外の点は自由です。
字数制限 : 200-1000 字程度
街を歩いていると突然地響きのような音が聞こえてきた。地震か? と思ったら、僕の足下のアスファルトが割れて、女の子が飛び出してきた。
キューティーハニーのようなミニスカートの女の子は、アスファルトをブチ破った勢いのまま、右コブシを突き上げて、僕の下あごに昇竜拳っぽいアッパーカットを叩き込んだ。僕は他動的に人生初めてのバック宙を披露しながら、後方にぶっ飛ばされて、1.5回転してそのまま顔面からアスファルトに突っ込んだ。
「観念しなさいよね、この悪党!」
不本意ながらも手足をぴくぴくさせて倒れていた僕の方を見ながら、女の子は得意げにそう言って、僕をびしっと指さした。
上の前歯が2本折れていたので、口の中の血と一緒に吐き出して、僕は言った。
「ふぁ、ふぁんた誰?」
前歯のあった空間から空気が漏れる。ファンタが誰かは別に知りたくない。僕はもう一度言いなおした。
「あんた誰?」
「正義の味方だけど?」
悪びれる様子も無く答える女の子。女の子が胸を張ると、キューティーハニーのようなショーカットが揺れる。
「あのさ、何で地中から出てくるわけ?」
「私ね、ブラジル上空で飛行機に乗っていたの。そしたら日本で悪の反応があるじゃない。これは地中を通った方が早いと思って、そのまま空から降下して地中を通って日本に来たってわけよ。我ながら見事な考えだったわ」
-----この女の子、ブラジルの空から地球の反対まで降って来たってわけか・・・
僕は腫れ上がる顎を押さえながら言った。口の中は血の味しかしない。ボトボトと滴る鼻血がすごい。出血が酷すぎて、意識が朦朧としてきた。だが、倒れる前に、これだけは聞いておかなければならない。
「それで・・・僕は何で悪人なわけ?」
えっ? という驚きの表情を浮かべて、女の子は何やら携帯電話のようなものを取り出し、しきりに操作していた。しばらくして、少し青ざめて、それから今度は耳まで紅くなって、言った。
「ごめんねさい、思いっきり人違いみたい。本当に穴があったら入りたいくらい・・・」
女の子は文字通り、自分がブチ破ったアスファルトの穴に入って、消えて行った。
僕はそのまま意識を失い、アスファルトに突っ伏した。
今や日本で生まれる子供の30人に1人がハーフという時代らしく、
その内「ハーフ」という言葉すらなくなるんじゃないかというくらい、ハーフというものが一般的になる時代が来るのかもしれないが、
良くも悪くも未だに世間的には偏見というか、思い込みみたいなものが多かったり、
悪気はないつもりでも、ハーフから見て凄く嫌な言葉なんかも結構あるので、ちょっと増田でハーフについて書いてみる。
とりあえず世間で、ハーフに関することで半ば常識みたいになっている事柄って、
とかそういう感じだと思う。
たまに「そんなの当然でしょ」とのたまうハーフ脳(笑)とでもいう方を見かるが、どちらも間違いと言って良い。
最近はウェンツのお陰で、ハーフ≠バイリンガルは一般的にも浸透してきているが、ハーフ=美男美女説は曲者。
ハーフに美男美女が多いというのは、恐らくTV画面を通して見るハーフが、ベッキーやウェンツ、滝クリ、加藤ローサ、柚木ティナとかで、
逆に光浦とか岩尾みたいなのはTVに出てきたことがないから、なんとなくそう思ってしまうのも分かる。
うん、確かに滝クリや加藤ローサは美人。控えめに言っても嫁に欲しいくらいだ。
(因みに滝クリは知り合いの知り合いだったりする。会ったことは無いが)
雑誌でモデルをやっているハーフも、大体が美男美女でスタイルも良い。
他にも今までの人生で言われてきたのが「ハーフって日本と外国の血の良いとこどりでしょ」という台詞。
さらりと笑顔で返しつつも、交配で良いとこどりが確実に起こるんなら、
今頃競馬場ではサラブレッドが時速300kmで走ってるだろうよ、と心の中で何度ツッコんだか分からない。
おれは日欧ハーフなのだが、幸いにして顔のバランスは悪くなかった。
というのも、両親がとんでもないイケメンと美女だったからだ。
おれがハーフかどうかというのは全く関係のないパラメータである。
逆に言うと両親と比べると、悲しいことにおれはそこまで目立って美男ではない。
良いとこどりは、贔屓目に言っても成功したとは言えないだろう。
結局、ハーフであろうがなかろうが、美男美女が生まれるかどうかというのは、
80%が両親のスペック次第だというのは否めない。というか、それが現実だ。
そして現実は厳しいのである。
そのコミュニティ主催のオフ会(という名の飲み会)に参加すると、別に美男美女が多いという印象はない。
勿論可愛い子やイケメンはいるが、不細工な人もいる。そして当然圧倒的に多いのは、平均点付近。
これは渋谷を歩いていて美男美女、不細工な人間、普通の顔立ち、それぞれの人を見かける確率、比率とそう変わらない。
信じられないくらい太っているやつもいれば、骨みたいなやつも、イヤなやつも、酒乱も、オタクっぽいやつもいる。
山本モナはハーフ失敗作なんて話も聞いたことあるが、(違う意味でなら確かに失敗作かも知れないが)
そういった会に参加してみると山本モナでも平均点よりは大分上だということに気付く。
純日本人の女の子と比べて、山本モナが平均点より上なのと一緒である。
ハーフを2、300人くらい集めたところで、加藤ローサみたいな子はなかなかいない。
少なくともおれは出会ったことはない。
だから、顔の作りとしては平均的なのに、そういったハーフ=美男美女という先入観を持つ人から、
「ハーフなのに可愛くないね」とか「イケメンじゃないハーフっているんだ」みたいなことを言われると、結構傷つくわけである。
人にもよると思うが、例えて言えば、子宮を無くした女性が「女なのに子供が産めないなんて」と言われるのと似たダメージだと思って良いと思う。
分かりやすく言うとメラゾーマくらい。
言い過ぎかもしれない。すみません。
しかし、そういう言葉を笑って返せるくらい、ハートに剛毛が生えてるやつはなかなかいない。
また、ハーフ=美男美女という先入観の賜物と言えば、「私ハーフが好きです!」という台詞が挙げられる。
寝転びながら見ているTVに写った、アイダホとかユタ州のアメリカ人が「忍者が好きだ。忍者がいる日本は大好きだ!」と言っているのを見て、
屁をこきながら「現代の日本に忍者なんかいねーよアホ」と笑う人は多いと思うが、
「私ハーフが好きです!」というワードは、結構それに似ている。
ただ、TVを通して見るアイダホの人と比べると、実際に面と向かって言われたりする分、ウケがよくない。というか、むしろ非常にウケが悪い。
おれのハーフの友人の誰に聞いてもそうだった。
「ハーフが好き」な人間のことを、たいていのハーフは嫌うのである。
(ハーフ好きな女の子と遊びまくってるやつもいるかもしれないが)
さて、まだまだ書きたいことはあるのだが、やらなきゃいけないことが山積なので、そろそろ筆を置きます。
コメントや、もしブクマが付いてもそのコメントはあまり見ないと思いますが、(ネガティブなのが付いてたら3日は立ち直れないので)
近いうちに続きを書くかもしれません。
改めて自分で読み返してみると何が言いたいのか、よく分からん感じですね。すみません。
(私個人を見て!ってことはそんなに言いたいわけじゃなく、どちらかというと、ハーフにありがちな属性を全否定してみただけです)
コメントあまり見ないと書いておきながら、はてなーがあまりにも優しいので、嬉しくなってちょっと追記します。
おれ自身は自分がハーフだからどうだとかって思ったことは殆ど無いのだが、
友人の中には、他人から言われる言葉とかを凄く気にする人が意外に多かったりします。
所詮は人それぞれの感じ方なんだろうけど、ハーフの人がTVで活躍しているのを見る機会も増えたし、
自分がハーフなのもあり、折角だからちょっと増田で筆をとってみた次第です。
世の中の皆がはてなーみたいに優しいなら良いんですが、そうでもないことってあるみたいなので。
その世代のハーフの人たち(ウエンツ前夜世代と勝手に呼んでる)は学校でいじめられた経験って多い。自分もそう。
別に理由はいわゆる「差別」ではないと思うけど、次ハーフについて書く時は、恐らくそこらへんも書いてみます。
あと「ハーフ」っていう呼称が良くないって風潮もあるが、それも人それぞれ。
結局のところハーフって呼称が一番定着しているから、便利だし自分でも抵抗なく使ってる。
「ハーフ」って言われると人格を半分否定されているって思うのは、ちょっと被害妄想気味っぽいかも。
そういうこと言うなら逆に「ダブル」ってのもおかしいだろと。「ミックス」だと犬みたいだし。
自分は「混血」とか「雑種」とかも抵抗ないけど、「雑種」って言葉が嫌いな人は多いかも。
難しいね。
ただ、そういうことで騒いでるのは、「ちび黒さんぼ」の場合と同じく大体当事者じゃなかったりもする。
またダラダラとまとまりなく書いてしまったが、とにかく最後まで読んでくれてありがとうございます。
続きを書くとしたら2週間後くらいかな?多分。
はじめての増田だったので、緊張しました。
>>稲中
ごめん、稲中読んだことない。
あと、おれは上にも書いたように、呼び方にこだわらないです。
偽外人とか半外人とか言われても何も思わない。(会話の流れでは、逆においしいなと思っちゃう)
あと「ハーフが好きです!」ってのは男に多いかもしれないです。滝クリとかローサとか可愛い。ハーフじゃないけどスザンヌも可愛い。結婚したい!
でも、ハーフがみんな可愛いわけじゃないので。。
>>両親の馴れ初め
自分のことをあまり事細かに書いちゃうと、某会の人に誰かばれそうだったので自粛しました。(でも国際結婚で大恋愛ってイメージありますよね)
時刻は早朝、天候はすこぶる晴れ、場所は電柱すらない、田んぼのど真ん中を突っ切る一本道の県道。
俺は車を運転していたわけだ。するとはるか遠く前方で、左右の歩道それぞれに女子高校生らしき人間が数名ずつ立っているのが見えた。彼女らが登校中なのは言うまでもない。
左側の集団が、右側の集団に早く渡って来いと催促しているのが見えた。ちょうど俺の車と俺の前を走る軽トラの間は軽く1kmはあろうかというくらいに離れていた。対向車線からは車がやってくる気配はない。彼女らが車道を渡るのであれば軽トラが彼女らの眼前を通り過ぎた直後だろうと思っていた。
軽トラが通り過ぎる。左側の集団が「今のうちだ」とせかす。しかし右側の集団はなぜかはるか彼方にいるはずの俺の車を気にしてなかなか踏み出そうとしない。片足だけを車道に踏み入れた右側の彼女らの視線は、俺の車と手招きする左側の友人たちを何度も何度も往復し、そしてついに、彼女らは意を決して車道を走り出した。俺の車にぶち当たるジャストなタイミングで。
当然ながら俺は急ブレーキを踏み、クラクションを鳴らし、窓を開けずに(寒かったので)「何やってんだ!」と叫び彼女らをにらみつけた。状況が理解力を超えてしまったらしく、危うく(もしくは残念ながら)冷たいアスファルトの上で肉塊になりかけた(なりそこなった)彼女らは目を点にしてその場に立ちすくんでいるだけ。その場から引き返そうともしない。そして、徐行する俺の車をヘラヘラと笑いながら見送った後、悠々と右側の歩道へとたどり着く事に成功するのを、俺はバックミラーで確認したのだった。
・・・と、いうことがこの半年の間に三度ほどあったわけだ。これを根拠に高校生全員に一般化するつもりはないが、それにしてもちょっと洒落にならん頻度だよなあ。
18日 23:15 文字放送雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク! 「祝50歳テレ朝50周年コラボ?久本雅美ファミリー!!爆笑パンスト綱引き&ロバート秋山の熟女(秘)チェック!!」
19日 23:15 文字放送爆笑問題の検索ちゃん・芸人ちゃんネタ祭りスペシャル (仮題)「今年はどんな爆笑ネタが披露されるのか…!!」
20日
21日 M-1グランプリ2008 今夜ついに08年の漫才日本一が決定!!史上最多4489組の頂点優勝賞金1000万円を獲得するコンビはだれだ!?(1)ダイアン(2)笑い飯(3)モンスターエンジン(4)ナイツ(5)U字工事(6)ザ・パンチ(7)ノンスタイル(8)キングコング▽島田紳助・松本人志・上沼恵美子
22日
23日
24日 21:00 笑っていいとも特大号 (仮題) 01:05 明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー2008 03:05 空飛ぶ!爆チュー問題クリスマスライブ2008
アメトーークはネットの反応がすごいことになりそうでそういう意味で楽しみ。
M-1はキンコンの負けっぷりを見たくて楽しみ。その後の西野さんのブログも楽しみ。キンコンが勝ったら勝ったでそれはそれで良し。
渋谷の某所にて結構可愛い制服の女の子(多分中学生位)が携帯片手にきょろきょろしながら歩いていた。
進行方向が同じだったので、特に観察する訳でもなく見ていると、どうやら人を探しているらしい。
辺りは広い通りではあるものの、あまり人通りはなく、ちょっと不安そうだった。
そこで声を掛けて…とか言う話は妄想としては面白いんだが、本当にそんな事をすると変質者扱いされるだけなので、そんな方向には話は向かわないのでした。
暫く歩いていると、何処からともなく同世代位の男の子が出てきました(どうやら隠れていたらしい)。
「もおぅ」とか怒りながら駆け寄っていく女の子の顔には満面の笑みが浮かんでいて、迎える男の子の方もちょっと照れた様な笑顔を浮かべながら、2人は並んで歩き出しました。
女の子はかなり照れているのか、単に落ち着きのない子なのか、2人で歩き始めた後も絶えずきょろきょろしたり、男の子の前へ回っては振り返ったり、後ろに回っては声を掛けたりしています。
男の子の方は結構いたずら者らしく、ちょこちょこと彼女をからかっては笑っているのですが、その笑顔もまた「彼女が可愛くて仕方がない」と言う感じで可愛らしいのでした。
あぁ、いいなぁ、昔のデートってこんな感じだったよなぁ。
むかぁーし、むかしの事じゃったぁ…、などと思いながら見ておりましました。
さっきもこうやって隠れてたのか、マメな子だなぁ。
しかし、今回は女の子も直ぐに気付き、直ぐに追いかけていきました。
ぶつふりをしながらニコニコと追いかける女の子と、笑いながら逃げる男の子。
クルクルと駆け回る2人が、夕日を浴びて長い影を作っていました。
可愛いなぁ。「犬ッコロ」みたいだ。
…あの子達との距離は時間だけじゃなかったみたいです。
何時の間にこんなに汚れちまったんだか…
昨日ね。ものすごい面積とものすごい商品の山にびっくりした。伊丹モールの三倍くらい広さあるんじゃないか? 知らんけど。
月曜の夜だったからか、あんまり客入りは良くなさそうだった。開店当初にこんなことで大丈夫なのだろうか。まあ最寄りの駅が阪急で、しかも歩いて数分かかるったらこんなものだろうか。金融なんたらの影響が濃いのだろうかとかぼんやり考えながら見て回る。
ウインドウズショッピングは楽しいなぁ。人ごみを覚悟していたので気楽だし。衣類はやっぱりかなり充実してるみたいだ。阪急百貨店とizumiyaの中は見てないんだけど、私がこういう巨大商業施設にまず期待するのは変な小物屋、アジア系小物とかよく分からない玩具屋とか誰が使うか分からないものばかり並んだ文房具屋とか風呂場アイテム専門店とか、なので、探してみるがあまりない。うーん残念。こういうウインドウズショッピングを楽しくしてくれる店ってのは大事だと思うんだがなぁ。
SHIPSでセーター買おうか迷ったが見送り、晩飯の材料買って帰る。帰りはバス乗って定期のあるJRまで移動。阪急西宮北口←→JR西宮間のバスって夜はあんまり本数ないのな。すごく不便。結局今後も帰りに寄れる伊丹モール利用しそうな予感。
追記。そういえば書き忘れていたけど、「客入りがよくなさそう」と書いたのは明らかに先導する警備員が余っていたから。駅の出口から阪急西宮ガーデンズにいたるデッキに5~7人くらい?警備員が立っていて、「左側をお進みくださーい」って叫んでたのだが、どう見ても必要ありません本当にありがとうございましたって感じ。盛り上がってます感をなんとかして出していこうとする演出の一環なのか? それも失敗してる気がするけど。などと意地の悪い感想を持ったりした。
びっっっくりした。
まあこういう歌詞なんだけども。
最高を求めて 終わりのない旅をするのは
きっと 僕らが 生きている証拠だから
もしつらいこととかが あったとしてもそれは
キミが きっと ずっと あきらめない強さを持っているから
僕らも走り続けるんだ YEH! こぼれ落ちる
涙 も全部宝物 oh! YEH!
現実に打ちのめされ倒れそうになっても
きっと 前を見て歩くDream Fighter
Perfumeは下積みが長くて苦労したんだろうなとか
まったく関係なくて
そのくらいのことで、
俺はなんて自己中心的なヤツなんだろうかと。
あきれたりびっくりしたりしながら涙を拭いましたよ。
なんで増田で消すんだ?
消せるシステムが付いてるとこだと必ずそういう人は出てくるよ。規約やシステムで制限されてない以上、仕方ない。増田みたいな苦言を定期的に出す活動をしたら、空気とか何かそういうので消しにくくはなるかもしれないけど、スマートかどうかは分からない。
現状の自分に限るなら、リソースの永続性とか宗教じみたこと思いつつ自分の息がかかったものネットに出すから、訂正こそすれ消しはしないけど、そういうのに染まる前は消すことが奥ゆかしい文化圏にいたから、当然右に倣ってた。「怒られたので消します」「問題あったら消します」「恥ずかしいので数時間後には消します」みたいな言葉が飛び交う文化圏。ちなみに会話の途中で誰かが消してどこかが途切れたら、もうその話題には触れないか、周りも消せるだけ消したりして、気遣いアピールと思しき行動に徹してるようだった。
割かし最近、そういうのと似た様式を持った別文化圏を目にする機会があって、それ以来その手の人のことは心の中で「女神気質」って呼んでた。心の中本邦初公開。
そういう文化様式を持った人達は、自主削除を良くないこと、罪なこと、恥ずかしいこととは一切思ってなくて、むしろ逆の感情を抱いてる節がある。たとえ自分にとって不都合があるから消したとしても、無意識のうちに他人のため、周りのため、空気のために消したと脳内ですりかえられてるみたい。自分奥ゆかしい・自分に非は無いコンボで自己肯定の肥やしにしてるんだと思う。誰も削除なんか望んでない状況で、「私が削除したのでこの問題は全て解決しました、以下スルーで」と言い切るケースに何度か遭遇した。
ずっと続いている話題の途中の投稿が消されてて流れが追えなくなることがあって、すげー迷惑。
みたいに自分の心構えを他人に適用させた視点で見ると、心構えによってはとてもやきもきするけど、相手の気持ち具合を推測しながら見たり接したり避けたりすれば、そこまで気にならないよ。不便だとは思うけど、そういう村の人なら仕方ないなって思える。というか、「もう終わった話題にいつまでも粘着してて、すげー迷惑」って怒り出してきそうでおっかないから、腑に落ちなくてもスルーしてる。
つづき
http://www.earthfield.net/new/life.htm
◎「石橋を叩いて渡る」人
100%はあり得ません。石橋でも壊れる時は壊れるのです。自分で叩き壊しておいて「この橋は危険だった。叩いてみて良かった。」と言うのは止めましょう。
その石橋を叩いて試している年月の間に次の橋が崩壊しているかもしれません。
石橋とわかっているならさっさと渡りましょう。
◎恐る恐る跳ぶ人
おそるおそる跳ぶと距離が伸びません。届くものも届かなくなってしまいます。
様々な思いは切って跳びましょう。巧遅よりは拙速を尊びましょう。
(仕事編)
◎場違いな人
場違いな人がいると場が乱れ、通るものが通らなくなります。自分を変えるか場を変えるか、改善策を図りましょう。
◎しがみつく人
退陣は潮時です。刻を過ぎるとダメージがどんどん大きくなっていきます。
以後の美しさは、あなたの見事です。
払拭し清算しましょう。
◎他人のやっていることをしたがる人
自分にできることをしないで他所の人のやっていることばかりしたがる人は、いつまでたっても何もできません。
憧れるだけでなく自分のできることを磨いて、憧れられる存在になりましょう。
◎間違える人
空間の間、時間の間。。間を詰め、あせると間違いが多くなります。背中を伸ばして周囲を見渡し、一息入れてみましょう。これを行うだけでも良くなります。
あわてても美味しく入りません。湯冷ましに、ちょっと置いておくぐらいが丁度です。
◎手の遅い人
考えていても速くなりません。心理的ブロックや雑念が多いと遅くなります。身体訓練は必要です。やり遂げる意志で集中し流れましょう。
雑念や心理的ブロックを減らすためにも、エネルギーワークは有効です。
◎努力しているのに・・・という人
我慢し耐え忍んでいるだけでは「努力している」とは見做されません。成果や変化が必要です。アドバイスを受けたらやってみましょう。「周囲の反発が・・」なんて言い訳していないで、自分の行動を変えましょう。独り閉じ籠ってグルグル考えていないで、動かしましょう。
人間関係は相対関係です。つまり多くの場合、あなたにも問題があります。自分からは逃げられません。職場を替えても同じ問題が起きます。自分の問題点を探り、自分を変えましょう。
◎権威ぶる人
偉そうに下に文句ばかりつけて仕事ができるような顔をしている人がいますが、間違いです。時代が変わりました。見捨てられます。
部下や仕事、相手を見極めましょう。褒めるべきは褒めましょう。率先遂行しましょう。ポジションがなくても通じる人になりましょう。
◎ワーカーホリックの人
時間を潰しているのはあなたです。特定の事しか愉しめないのは人生の浪費です。
特定の事以外の中にも何かを発見しましょう。
◎義理や使命感で自分を殺す人
「〜しなければならない」「自分しかいない」と自分を駆り立てている間はいいですが、駆り立てられていませんか?
最初は「私、やりたい!」だった筈です。使命感は自分を殺し相手を殺します。やりたい気持を大事にしましょう。対象は変化しても良いのです。愛のために生きましょう。
◎任せられない人
人には物理的限界があります。どれほど有能な人でも、任せることを学習しないと大きな仕事はできません。有能であればこそ任せましょう。あなたにはもっと大切な、あなたの為の仕事が待っています。
◎「楽をしたい」と言う人
人間は動物です。動かなければ死にます。何が問題で、本当の望みは何か、もう一度自分に問いましょう。
◎安寧のために他を犠牲にする人
その安寧は長くは続きません。やがて自分の番が廻ってくるでしょう。その時あなたを助けてくれる人は、もう誰もいません。
他を活かす道をとりましょう。すると、安心が自然にやってきます。
◎「失敗した」と凹んでいる人
凹む必要はありません。二度と繰り返さなければ経験は学習というメリットに変わります。
何故それが起きたのかおさらいして再発防止行動を採りましょう。
◎「元気がない」と言う人
エネルギ−は自分の内側から涌きます。「元気がない」という人は、エネルギ−ロスが多いか、外に求めて内から出していないのです。エネルギ−には流れていく先も必要ですから暇にしてると元気が出ません。何かをやって成果を出して自分に満足を感じていくと元気が出てきます。
◎成功して人生がつまらなくなっている人
その仕事を辞めましょう。持っているものを捨てましょう。成功しているのに、辞める必要があるのか? 必要はありませんが、いくらやっても得るものはないでしょう。つまらないのに続けるのは立脚点を失うのが怖いからか、やりたいことがわからないからです。得るものを得たら切り上げましょう。大切なことを思い出して人生を楽しみましょう。
◎仕事とは
「事に仕える」の意なり。糞便と同じでやらざるを得ず、やると楽しかったり集中できたりスッキリしたりして自己発現のネタとなり、人の為でもお金の為でもなく自分とみんなの為であり、結果として時にお金も入ってくること。
Primitive(純粋)な喜びを思い出しましょう。
(お金編)
◎お金に囚われている人
お金は手段やチャンスであって、目的ではありません。真の目的を思い出しましょう。
それは必ずしもお金によらないものかもしれません。
◎「無料!安い!」に釣られる人
「只ほど高いものはない」とか「安物買いの銭失い」などと云います。その時は「得をした」と思うかもしれませんが、何でも欲しがるとつけ込まれます。自分が本当に価値あると思ったものにだけ、自分が適切だと思った金額を払いましょう。
◎お金や物=愛だと思っている人
お金や物をもらうと「愛してもらっている」と思う人がいます。あるいは自分には与えられないと「愛されていない」とか、「何か買ってやることが愛だ」とか。
ゴシップ記事を読めば分かるように、お金持ちに愛があるとは限りませんし、物やお金を受け渡ししたから関係が良好だとも言えません。
人を物のように扱う人に愛はありません。物も人のように大事にする人には愛があります。愛あるがゆえに物を与えないこともあります。
お金と愛は別です。分別をつけましょう。
◎金遣いの荒い人
お金は捨てると泣きます。何の為につかうのかを考えましょう。いい顔がしたいとか他人の目が気になる人はお金が生きません。欲求不満解消のためにお金を使う人は、ハケ口を求めて使うのではなく何故不満が起きるのかを考え、不満そのものを解消しましょう。
◎ブランドや肩書きに縛られている人
ブランドや会社の名前、肩書きで自分や何かに偉大さを感じている人は、見識が高いのではなくブランドに縛られているのです。その為に無駄な出費や労力を注ぎ込まねばならず失った時には自分がない感じがします。自分を見つけ取り戻し育てましょう。
◎愉しみに逃げている人
「自分には何もできない」と自分に制限をかけていたり、腹立ちを抑え込んでいたりしていませんか? 買い物をする何か食べに行くお金を使うだけが愉しみになっていて、日々の生活を楽しめなくなっていると要注意です。あなたにはきっと何かできます。お金を払って「してもらう」ばかりでなく、自分にも「できる」を楽しみましょう。
◎お金があれば何でも買えると思っている人
でも、自分自身は買えません。自分からは逃げられず、何を買っても満たされません。
「何でも買える。」と思っている限り、愛も自己の意義も知らずに終ってしまいます。
価格とは何かを思い出しましょう。個々の瞬間の輝きに目を留めましょう。
◎遺産について
遺産の多寡や遺言で争いが生じるのではありません。嫉妬や欲望によって争いは生じるのです。ですから生前に未来は予見できますし教育が重要です。遺産自体は多少残すぐらいが丁度でしょう。その分その人は人類に何か価値あることをしたのでしょう。残される側もお互いの人間関係を見れば予見できます。「もらって当然」等の愛も感謝も自尊心もないような考えは捨てて、争いが生じるようでしたら、高みの見物や全体の統括ができるような少し離れたポジションを用意しておくこともできるでしょう。
◎お金を出し渋る人
お金を守る奴隷と書いて「守銭奴」と言います。お金を守ると自由意志を失い奴隷となります。生きていても楽しくありません。楽しいっ!嬉しい!有難い!にお金を出すと、お金も自分も生きてきます。好きで大事なら生かしましょう。
◎味覚を失った人
砂を噛んでいるように物の味がしなかったり、何を見ても楽しくなかったりする人の中には、物事を金額だけで測っている人がいます。
自分が当てはまるようでしたら、一度ご自身の価値観や物を見る目をチェックしてみてください。
また、金額で物事を測るようなことをしていると、人生の楽しさを失う危険性がありますので、即刻改めましょう。
◎金額で感謝を測る人
何でも金額が高いと有り難がる人がいますが、現況では金額と価値はマッチしていません。私達は空気がないと生きていけませんが呼吸代金を地球に?支払っていませんし、一方で、害にしかならない武器や薬物が高値で取引されています。金額で価値を測るのは物事の判らない愚か者のやることです。
◎「金やものがあるからダメになる」と思っている人
「清貧」や「武士は食わねど高楊枝」が格好良いとか、お金があると男は遊ぶし女は逃げるとか「お金があるから社会がおかしくなる」等と思っている人がいますが、お金や物が問題なのではなく、人が問題なのです。人を改善することを考えましょう。
お金に善悪はありません。良いと思う仕事をどんどんやって、どんどん稼いで、良いことにどんどん使いましょう。
◎お金を儲けるには
お金を出す人の「欲しい!」欲求欲望や贖罪の気持ちが、あなたの収入に繋がります。人は、生存のため、恐怖や苦痛から逃れるため、快楽や感動を感じるためにお金を払います。恐怖や不安を煽るという方法もありますが、虚偽は後で恨みや怒りを買いますので、やめたほうが無難です。後々まで感謝される仕事をすると信用が歩き出し、「人の言う者」=「儲ける」となるでしょう。
◎お金とは
お金はチャンスのひとつですが、実体はありません。お金がいくらあっても幸せとは限りません。お金を欲しいもの(実体)に替えると一時的にせよ満足や幸せを感じられます。しかしやがて「いくらあっても足りない。」ことや「お金では買えない。」ものがあることに気が付くでしょう。
人類と共にお金が存続するには、人や物を運びサービスするための感謝の形のひとつとなれば良いでしょう。
渡す時にも「ありがとう」 もらうときにも「ありがとう」 造り出したものたちや運びサービスしてくれている人々に感謝を感じるかどうかで存在価値が変わってきます。
(お勉強編・その他)
◎愛されたい人
愛されたい人は、愛されません。「欲しい、ちょうだい!くれ!くれ!くれ!」と纏わりつくと鬱陶しく感じられます。そんな人に喜んで何かをあげる気にはなりません。他人に何かを求めるのは止めましょう。自分で遊びましょう。自分の行為の中に楽しさや嬉しさを見出しましょう。
愛は自分の内側から聞こえてきます。愛は内側から湧くものなのです。
自分の中から生かすエネルギーが溢れている人は、自然と愛を感じていますし、特に「愛されたい」とも思いません。そんな美しく可愛らしく素敵な存在になりましょう。
◎「愛したい」人
自分に嘘をついています。本当は「愛したい」のではなく、「愛さなくては」という義務感だったり「愛されたい」の裏返しだったり損得勘定だったり、うわべで言葉を使っているだけでしょう。愛は物や取引ではありません。真実味のある自分の正直な欲求を問い直しましょう。
考えていては自転車に乗れません。「身につく」というのは考えるという方法では達成できないものなのです。
知識だけでは世界を捉えられません。しばし考えるのを止めましょう。身体トレーニングあるのみです。感覚を呼び醒し研ぎ澄ませましょう。
◎情報を求める人
他人の話や書物等の情報を入れるだけで咀嚼しない人は、頭が重く固く痺れて悪くなります。賢くはなりません。 賢明になるには、よく噛み砕き味わうことが大事です。本当か?と自分の体験と照らし合わせましょう。自分の体験を大切にしましょう。情報は最低限に絞って頭を軽くしましょう。その方が回転が速く正確な判断ができるようになります。
◎「むずかしい本」の好きな人
難しいのは、著者の本質的理解が足りないか、読む人の理解力が足りないかです。書き手が優れているとは限りません。むしろ頭の良い人は簡単に書きます。
難しい本が好きなのは、頭が良い気分を味わいたいだけかも。でもね、難解な書物を無理に読むと、脳が過放電を起こして力を失います。かえって頭悪くなります。
わかりやすい本を少しずつ読んで読解力をつけましょう。
時には目を閉じ頭を休めましょう。
◎議論好きな人
議論好きな人は真実を失います。真実追求の為ではなく、闘争や議論の為に言葉を使うからです。
言い訳や逃げ道を探すのは止めましょう。
あなたの足は地につかず、自分が何者かついに知ることはないでしょう。自分を信じず、人の言うことを聞かず、見捨てられていきます。自分の無い中途半端な生き方を辞め、自分や人類に誇りが持てるよう真剣に生きましょう。一所懸命にやりましょう。
◎敵がいないと存在できない人
「打倒、OO!」と叫び行動して、倒してしまうと自らの存在価値そのものを見失う人がいます。
以後の進化ある姿を見据えましょう。
更なる敵を求めて血眼になったり順位が替わっただけで何も変わらないなんていう愚かしい状態は避けましょう。
そもそも戦う意味があるのか、自分の本当の望みを見直しましょう。
◎破壊を愉しむ人
破壊を愉しむ人は未熟です。創造と破壊を比較すると創造の方が困難だからです。
造る歓喜を知りましょう。その愉しさは深いものです。
◎自分の恐怖の裏返しで他を破壊する人
他をどれだけ破壊しても恐怖は尽きることがありません。自分の恐怖は自分で乗り越えましょう。
◎強くなれば恐怖はなくなると思っている人
恐怖を越えるのは力ではなく覚悟です。強くなっても恐怖はなくなりません。
自分を知り覚悟が決まると恐怖を乗り越えられます。
乗り越え慣れてくると恐怖のない自分を発見します。
◎自分が他人を救えると思っている人
その人を救えるのはその人自身だけです。助けることはできます。でもそれは本人にその気がある時だけです。その気がないのに手を出すと、問題を先送りにし事を大きくします。助けたいなら手も口も出さないトレーニングをしましょう。
◎神頼みする人
歪みを正し、心を澄ませ、自らに問い、自ら答えましょう。
◎ひとつになろうとする人
ひとつになろうとしてはなりません。ひとつであると知るのです。
ひとつになろうとするのは「ひとつではない。孤独だ。」と思っているからです。ですから、なろうとすればするほど、孤独感が強くなります。
ひとつであると知ったら、後はわざわざ「なろう。」なんてしないで、自分のできることを精一杯行いましょう。「ひとつ」に根ざした自分の活性化を図りましょう。
◎地球や他人を救いたい人
本当は自分が救われたいなら、正直にそれを認め、その為に行動しましょう。地球や他人に生活させてもらっている自分の立場を知り、感謝と共に自分を救いましょう。
◎救われたい人
いくら待っても叫んでも、それはやって来ません。自分を救えるのは自分だけです。
行動しましょう。まず、自分の長所や恵まれている処、持っているものをありったけ書いて、壁じゅうに貼りましょう。
少なくともボディはあるでしょう? それからそれから・・・・。
◎「選ばれた」人
「選ばれた」と思い優越感を感じるのは、自分に劣等感を感じ選ばれることで補おうとしているのです。
それでは問題解決になりません。不満は無限に続きます。他人基準を辞めましょう。本当の自分は此処にいます。
今の自分基準で自己改善の努力をし、成果を喜びましょう。「しあわせの青い鳥」の話を思い出しましょう。
◎他人の不幸をあざ笑う人
「人を呪わば穴二つ」と云います。人の不幸を望んだり嘲笑する人は、自分の足元にも墓穴を掘っています。
人の良い処を見ましょう。人を褒めましょう。するとあなたの人生も明るくなってきます。
◎同情する人
同情する人は悦びを感じています。「可哀想に・・。」と言いながら悲劇の主人公を愉しみ、「自分じゃなかった」と喜びます。一種の不幸好きですが、不幸好きは幸せにはなりません。同情する癖があったら改めましょう。何故同情したのか追究して考え、不幸を感じる自分を解除しましょう。同じ轍を踏む危険性があれば回避する道を探しましょう。
◎悪い結果を想像する人
人生は自転車に乗っているのと同じです。自分の見た方向に自然と行動し進んでいきます。悪い結果を想像していると運は向上しません。打てるだけの手を打ったら、運を天に任せて手放しましょう。悪い結果を想像するのは、心配であったり挫折感を少しでも減らそうという心理作戦ですが無駄です。結局それはやってきます。明るい方向を見て少しでも成功率を上げる方が人生の収穫は多くなります。
◎「恐いもの見たさ」の人
顔をそむけながら見るようなことをしていると、次第にそれに対する感性が鈍ってきます。
身近に危険が迫ってきても気がつかないかもしれません。
感性を保つには強すぎる刺激は害となります。自ら恐怖を味わうようなことは辞めましょう。
危険は避けて感性を磨き、幸せな良い方向を見るようにしましょう。
◎足がすくんで動けない人
「止」は「死」です。視ているだけでは進みません。タイムリミットは近づいています。
自分を叱りつけ、誰かに尻を蹴り飛ばしてもらってでも、一歩を踏み出しましょう。
檻の中の安全を捨て、何かをしましょう。転がりだせば、まだなんとかなります。
◎「悲劇のヒロイン」を演じる人
悲劇のヒロインやヒーローを演じる人は悲劇や不幸が好きで、その中に悦びや愉しみを感じています。「ああ、私ってなんて哀れでみじめで可哀想なのかしら、ステキ!」「俺はみんなの犠牲となって死んでいく、カッコイイ!」といった感情です。その人は周囲に不幸を訴え、不運を嘆きますが、助けてはなりません。助けても苦情を言われますから放っておくことです。このような人は具体的な自助努力をせず、自分の不幸を愉しみます。
近くにいると騙されて道連れにされる危険性がありますので、離れて遠くから看取りましょう。
◎不幸好きな人
不幸の好きな人は幸せにはなりません。自分がどれだけ幸せにコンタクトしているかチェックしましょう。見る映画や本はハッピーエンドですか? 感情移入している人物は幸せそうでしょうか? 街を歩いていて見る顔は笑顔が多いですか? 聴く曲はどうでしょう? 好きな絵はどうですか? あなたの見る風景は幸せそうですか?
◎「しあわせ日記」をつけましょう
不幸にコンタクトしている方が多いという人は、「しあわせ日記」をつけましょう。
その日に幸せに感じたことだけ書くのです。一行でも一言でもいいです。もちろん、多い方がハッピーです。「いい人を見た。」とか「おいしいもの食べた。」とか「靴のひも、結べた。きれい。」とか。しあわせでないことは即座に忘さり、時々日記を見て幸せな気分に浸りましょう。
◎さて、「幸せ日記」やこのガイドラインにも、役割の終わる時が来ます。
その時は、あなたが既に過去の幸せに浸る必要が無く、未来を視、現在を楽しむ境地にいる時です。
言葉の限界に制限されず、自由に感覚を愉しむ時です。おめでとう。
◎人の善い処を見ましょう
「お見事!」とは見るべき事の意なり。 悪しき事は見るべき事にあらず。
http://www.earthfield.net/new/life.htm
◎なにも悪いことしてない人
自分以外の誰かのために一生懸命頑張って、自分を置き忘れていませんか?
自分にも価値を認めないと支えきれずに潰れてしまいます。
自分自身も周囲のものも大切にして、活かす道を探りましょう。
◎「いいひと」
自分のことを「普通、どちらかと言うといい人」と思っている人の中には、「どうでもいい」人がいます。様々なものを見捨ててしまっているが故に「気になることや問題はあまり何もありません。」と言います。
過渡期の現在、本当に良い人なら当たり障りのない人生は過ごしません。常に自分と周囲のための改善を図っていくことでしょう。時には困難もあるかもしれませんが、実りの多い人生となるでしょう。せっかく生まれてきたのですからライブを楽しみましょう。演る側にまわりましょう。
◎優しい?人
自分のことを「優しい」と評価する人のなかには、弱い人や易しい人もいます。気を使い、相手の強引さに負けやすく、自分の弱さの為に何かを譲ったり我慢をしたりする人です。
真の優しさとは強く、時には相手にも自分にも厳しいものです。 優しく、気高く、そして誇り高く在りなさい。
もう一踏ん張り、そしてもう一踏ん張り、譲らないことをトレーニングしましょう。
◎「頭ではわかっているんだけど・・・・」と言う人
理解が浅いか、深層では矛盾した考えを有しているか、思考と感覚や感情等との統合がとれていません。矛盾点がないかもう一度考え直しましょう。自分を棚上げせず、普遍性や立場が代わった場合等他のケースではどうか見直してみましょう。感情や感覚に合わせてみましょう。----自分では、あるいは周囲の人に聞いても、どうしても解決に繋がらなければ、本当は知らないのです。何かが根本的に間違っています。 諦めて、エネルギーワーク等をお受け下さい。
◎全てを許せと教えられた人
全てを許すなら、自分の素直な反応も許しましょう。怒るべき時には怒りましょう。
反応を止めることはエネルギ−の流れを止めることであり、無理を生じて破綻を来します。
自分の自然な反応を許さず他の「全てを許す」というのは「見放している」というのと同じことです。
自分という存在さえ見捨ててしまっています。自分を許さずに世界を許すことはできません。
自分の為に過去を赦し様々な未来を許可すると自分と世界が緩くなります。
◎「してもらうのが当然」の人
「してもらうのが当然」なら「してあげるのが当然」でなくてはなりません。
してあげるのを嫌がると流れが止まり運が尽きます。もらう以上にあげるぐらいが良好です。
◎同じを求める人
あなたと相手が同じになると流れが止まり、お互いの芽を摘むことになります。
活かすとは変異を認めることにあるのです。自分と異なる点も大事にしましょう。
◎傷ついた人
感情面で傷ついたり気に障るのは、そこに感情障壁があるからです。
あなたがバリアーを張っていて、そこに何かが触れたからなのです。
痛いだけのバリアーをはずしましょう。そうすると心の傷も一緒になくなります。
◎自信のない人
うつむかずに顎を引き、肩を張らずに胸を張りましょう。そして自分のできたことを思い出しましょう。
周囲の人のできたことばかり思い出される人は、そこにあなたのサポートがあったことを思い出しましょう。
自分が何者かを思い出したら、自分の望む方向に粘り強く進みましょう。
その歩む行為があなたの自信となります。
◎暗い人
人や何かのために行動して褒められたり成果が出ると明るくなります。
褒められないのは、
足りないか
相手を間違えているか
あなたの「人を測ったり責める気持ち」>「人に感謝や嬉しいの気持ち」だからです。
◎節操のない人
節操のない人は真実に届きません。尻軽にあちこち飛び歩いていると大事なものさえ見過ごしてしまいます。おいしそうなものばかりつまみ食いするのではなく、一つ一つをよく噛み締めましょう。そうすると人生が実りあるものとなります。
◎他人の応援ばかりする人
あなたと応援している相手との方向が同じとは限りません。むしろ人はそれぞれ別の存在です。
あなたにもできます! 自分のために自分の力を発揮しましょう。自分を応援しましょう。
◎他人のせいにする人
「あの人がこう言ったから。」等と自分の行動を他人のせいにする人は、その成果や喜びも自分のものとはできません。それでは奴隷「ひとでなし」と同じです。
やりたくないときは、断固「否!」を通しましょう。自分の意志でやりましょう。自分の責任でやりましょう。
自分のやる気でやった時に、達成感が生まれるのです。つまんない人生とサヨナラしましょう。
◎期待に沿えなかった人
期待に沿う必要はありません。期待は重石です。あなたに重石を載せるような人の言うことを聞く必要はありません。
あなたがやりたいだけできたなら、それでいいのです。
◎迷惑をかけてはいけないと教えられた人
迷惑はかかるものです。「迷惑をかけてはいけない」を厳密にすると生きていけません。そして「これぐらいなら許される」というものでもありません。ですからむしろ自分がどれだけ他の存在に迷惑をかけているのか意識して正確に測りましょう。同時に御返しについても測りましょう。その量が多いということは、自分を活かし他人を活かしているということです。
◎恩返しできなかった人
受け取ってもらえなかったり、いなくなってしまったり、そのとき自分に力が無かったり。悔やんでも悔やみ切れず自分を責めてしまう人は、恩を下に返しましょう。そうして人類は良い行為を続け増やしてきたのです。「私も昔してもらったから・・・」というあなたに助けられる人は、どれほど多いことでしょう。
◎どうしたらいいか判らない人
どうしたら良いかは、調べ、考え、尋ねれば分かります。その先は自身の実践と試行錯誤の繰り返しです。
「兵は巧遅より拙速を尊ぶ」とも云います。実践し、経験し、やり直しましょう。前進あるのみです。
◎気遣いの多い人
気遣いが多いのは、人や問題を深いところで捉えず、表面的に取り繕うことばかりを繰り返しているからです。
気遣いは、「人に嫌われたくない」「責められたくない」「仲間はずれ村八分にされたくない」という恐怖心から発しています。
恐怖心から発する行動に、愛はありません。愛は深く強く、障害をものともしない、すべてを生かす力です。
目を逸らさず人や問題を直視しましょう。根本的な問題解決を図りましょう。ときには手を出さず見守ることをトレーニングしましょう。
◎「気遣いがない!」と怒る人
自分の機嫌が悪いのを八つ当たりしていませんか? 本当は気遣いは必要ありません。
愛があれば良いのです。
◎自己中心的な人
自己中心的な人には中心がありません。自己の望みを知らず空洞の円の周囲をグルグル廻っています。そのため満足を知らず、感謝や助け合いの意味が解らないので怒り、勝手な振る舞いをします。
自分の望みや満足を問い直しましょう。作戦を捨てて一直線にそれに向かい、人のありがたさを知りましょう。適当な生き方なんて辞めてしまいましょう。
◎なぜか時間に遅れる人
できない約束やしたくない約束を重ねてきたのかもしれません。自分の中で「守らなくちゃいけない」と「縛られるのは嫌だ」がケンカしています。気遣いや「いい顔をしたい」等は捨てましょう。やりたいことだけ約束しましょう。そして約束は「しなくちゃいけない」義務ではなく、その時になったら「やってもいい」許可だと受け取りましょう。
◎憂鬱な人
あれもこれもと望み過ぎです。自己矛盾や嘘、言い訳や無理矢理がありますから、諦めましょう。
やれることからこつこつやって、自分の出来を愉しみましょう。
◎待ちくたびれた人
あなたは実際の時が来る前に想像しイメージトレーニングを行い、同時に生命エネルギーも使い果たしてしまいました。
エネルギーを使い果たした状態ではイメージ通りに行くはずがありません。
想像するのを止めましょう。その時間は何か他の愉しみに使いましょう。
現実世界の変化は多様ですから、「うまくやろう」という考えは捨てて、臨機応変に世界と自分の変化を楽しみましょう。
◎意地や見栄を張る人
意地や見栄を張るのは、立場を失うのが怖いからです。でもその立場は砂上の楼閣です。
維持するために出費がかさみ崩れ落ちてゆくでしょう。
本当に守りたい何かのために恐怖を乗り越え最適な立場に移りましょう。全てを失う前にカミングアウトしましょう。
◎プライドの高い人
いつも「あいつの方が上だ、悔しい。」「自分の方が上だ、ふふん。」「みんな、間違っているよ。」なんてやっていると疲れてきますし周囲の人も離れていきます。良いアドバイスももらえなくなりますし、アドバイスされると傷つけられたような気分になって真っ当に受け止められないでしょう。
本当は世界は開かれている協力関係にあります。横つながりの助け合いの世界です。
素直に「できないの。」「お願いね。」「ありがとう。」って言えるようになりましょう。
心を開きましょう。
◎プライドと自負心
プライド(pride)は「群れ」です。プライドの高い人は、時に周りの評価に振り回されます。
また、自負心の強い人は、自分で自分に負わせた重荷に耐えかね潰されることがあります。
目指すところは同じです。自分を大切に。周りも大切に。
◎優劣にこだわる人
こだわり過ぎると自分と相手との間に壁をつくり、自分を閉じ込め孤立させます。
囚われず視野を広く持って人それぞれ条件が異なることを知り、自分と相手お互い各々の「素敵!」を見い出しましょう。
◎一番になれば認められる、と思った人
できるかどうかと、他人が認めるかどうかは別です。例を挙げれば、歌が上手だからといって歌手になって有名になるとは限りません。他人が認めるとか有名になるというのは、その「一番」とか「できる」とは別のもので、努力の方向性が異なります。考え直しましょう。
◎他人が羨ましい人
あなたはその人の人生の素敵なシーンだけを見ています。
人はそのポジションにつく為に様々なものを支払い、いる為に条件を科しています。あなたにとってマイナスと思われるそれら全てを引き受ける覚悟があるか、自分に問うことです。そして覚悟があるならそれに向かって行動しましょう。
◎兄弟姉妹間の嫉妬について
親や兄弟姉妹と比べるのは辞めて全人類と較べなさい。兄弟姉妹がどうかではなく、自分の内側に答えを問いなさい。
その時あなたは独立した存在となれるでしょう。
◎父の教え
我が父は私にこう教えました。「ぼくは人生は円のようなものだと思う。生まれたところを中心に円を描き、その円から次の人がまた円を描く。」
父母を競争相手のように感じている人は、間違いです。そもそも発進点が違うからです。 どのような円を描くかが大事です。
◎二番目に多くある問題
セカンドはトップとよく比べられ、自分でも比べます。比べるときに、人は物や行動や他人の評価を物差しにすることがよくありますが、間違いです。物質化した結果を比べている限り、セカンドはオリジナルに成れません。大事なのは優れた結果を生み出した考え方です。セカンドやコピーであることを悩む人は先ず「比べる」ということを止めてみましょう。結果を真似て超えようとするのではなく、考え方を学び自分で練ってみましょう。
◎張り合う人
周りと同じでないと不安なくせに、横の人より優れていたいというのは、自己矛盾です。自分を見直し抜け出しましょう。
◎1番にしがみつく人の問題
「OOのトップ」とか「スーパーOO」とか呼ばれる人のなかには、そのポジションにしがみつこうとしている人がいます。このような人は後ろから迫ってくる人のことが気になって実力が発揮できません。ネガティブキャンペーンなど内部抗争に気をとられているうちに外圧に潰されます。今までのように前を向いて走りましょう。次を目指しましょう。身に合わなくなったポジションなぞ、置き去りにしましょう。
◎ひがんでいる人
ひがんでいる人は、心に壁があって目からも耳からもマイナスしか入りません。心にプラスが残りません。ですから、周囲の人がいくら褒めた言葉や仕草を与えても気持ちが通じません。結果として本人は「認められていない、認められたい」と思いますし、何かモノをもらったりしても「普段認められていないんだから、これぐらいもらっても当然よっ!」ぐらいに受け止めてしまって感謝が生じません。周囲の人にとっては「やりがいのない人」となります。
ゆがんだ目で見ても物事はまっすぐ視えません。「あいつばっかり良い目にあって」「自分ばっかり損をして」と感じる人の問題は本人にあります。先ず自分のひずみを直しましょう。見直しましょう。あなたの思っている以上に世界は正当にできています。
◎イライラしている人
あなたはエネルギ−と時間を浪費しています。疲れてイライラして周囲へ当たるのは、既にエネルギー不足を起こしているからです。良い仕事はできません。眠りましょう。
そして自分のエネルギーがどこで浪費されているのか検索しましょう。
◎諦めきれない人
「あきらめる」とは明らかであると知ることです。「諦めたけれど・・・」なんて「〜けれど」がつくようでは未練です。ちゃんと痛手を味わいましょう。
「もし〜だったら」などと逃げないで、その時点のあなたではどうしようもなかったと思い知りましょう。
何かを学んだら自分を許して時に任せることを知り、過去の事は澄ませて、今のあなたにできることをしましょう。
◎手放せない人
「さようなら。」も愛の表現のひとつです。あなたは知っています。
言い訳は止めましょう。あなたと相手のために勇敢に行動しましょう。
そのあとには、自由や平安、新しいチャンスが待っています。
◎完璧を求める人
「極める」という言葉があります。この世界は変化し続けています。ですから際(きわ)までは突き詰めることができますが、そこには行けません。行ったと思った瞬間にはそこが変化しているからです。完璧とはあり得ないことだと知っておくことです。
求めても得ることができないと知ることが差取りです。
◎コントロールしたい人
あなたと誰かは別存在です。ですから完全なコントロールは不可能です。あなたがコントロールしようとするほど相手は反発を感じます。あなたもその作業のために自由を失い、やがて破局します。
縛るものは縛られます。相手を自由にし、自分も自由に生きましょう。
◎すぐに見捨てる人
誰かを見捨てたり何かを見放すと、その時はスッキリ良い気分になります。でもそれは自分の可能性を捨てているのと同じです。いつかの可能性の為に見守りましょう。
◎過ぎてしまう人
時を過ぎると過放電を起こして「疲れた」で終わってしまいます。
◎すぐに助けを乞う人
人は自分ができたことに誇りや喜びを感じるのに、あなたはそのチャンスを逃しています。
自分でやってみましょう。もうちょっとがんばりましょう。壁を越えましょう。
するとだんだん楽しくなってきます。活きてるって感じます。
◎逃げてばかりいる人
問題の多くは自分が引き起こしています。自分からは逃げ切れません。観念して問題解決を図りましょう。
◎逃げることに罪悪感を感じる人
状況に危険を感じているなら、できるだけのことをしましょう。
できるだけのことをして、それでもどうしようもなかったら
あなた一人でも逃げましょう。共倒れや全滅だけは避けましょう。
振り返らずに安全圏へ全速力で進んで、そこからできることをしましょう。
中にいてできなかったことでも、外からならできるかもしれません。
◎思い出に浸ってばかりいる人
過去に存在を求める人に未来の席はありません。思い出にふけるのをやめましょう。
未来を視ましょう。今を生きましょう。
◎閉じこもって助けを求めない人
この世界は開放系で成り立っています。自分独りでできることには限界があります。
中でどうしてもできないことなら、外に助けを求めましょう。
閉じこもってフリーズしたりグルグル回っていても問題解決に繋がりません。
閉鎖系や物理的限界について学んだら、「有難う」って開放系に切り替えましょう。
◎守ろうとする人
「何か(だけ)を守ろう」とすればするほど、視線は内側を向き、閉じた壁は厚く狭くなり
外は敵だらけとなり、守ろうとしていたものさえ犠牲にして小さくすり潰していきます。
守ることは諦めましょう。閉じた円に先はありません。閉鎖系概念は生かすには矛盾なのです。
手放しましょう。開放系に切り替え、全てを活かす道を採りましょう。
◎「済みません。」しか言えない人
自分を閉ざした考え方のために「相手から奪っている自分」を感じて「済まない」と思うのですが、済まないでは澄みません。心に借金を重ねて濁っていきます。
借金してしまった分はとっとと返してしまいましょう。払いきれない分は「ご免なさい」と免じてもらいましょう。 自分を開いて「ありがとう。うれしいっ!」と感謝と共に元気エネルギ−を相手に上げましょう。
◎自分を責めてばかりいる人
「わたしのせいだ。」なんて自分を責めるだけでは問題解決になりません。また、できないことで自分を責めても仕方ありません。何故それが起きたのか客観的に考えましょう。自分と他人の責任を区別しましょう。再発防止の為に具体的に何が可能か列挙し行動しましょう。ニ度と同じ失敗はくり返さないと知れば、そのことは済まし、自分を澄ましましょう。
◎悪者探しをする人
誰かのせいにしても問題が解決するとは限りません。それが正当とも限りません。親兄弟や周囲の人のせいにしてもあなたは救われません。犯人捜しと問題解決は別です。自分を救うことも考えましょう。
◎「みんなが悪い」と言う人
最も悪いのは、あなたです。みんなに嫌われて当然です。他人のせいにばかりするのは止めましょう。不満タラタラ言いながら「自分にはできない」等の言い逃れをしたり弱者のフリをして助けを求めるのは止めて、自分で行動しましょう。
◎許せない人
本当に相手が悪いのでしょうか。問題の多くは自分が引き起こし、結果を受け止めたのも自分です。
同じことを許す人と許せない人がいます。「許せない」と感じるのは、感情のトラブルなのです。
考えた結果「許さない」という時は、自由や生存等を確保するという理由がついているはずです。何故許せないのか、何故そうなったのかを考えましょう。
◎復讐を考えている人
逆恨みは論外ですし、報復合戦は問題解決に繋がりません。しかし、理不尽なことをされたのでしたら、復讐は当然です。きっちり片をつけましょう。徹底的にやりましょう。
ただ、もっと賢いのはやられそうになった時にやることです。「正当防衛」なんて言葉もあります。そしてもっと良いのは、やられないことです。「君子危うきに近寄らず」と云います。
また、復讐を果たしたからといってあなたの喪失感や傷が癒えるとも限りません。ですから自分自身の救済も考えておいて下さい。何故それが起きたのかを考査して再発防止運動を行うのも良いでしょう。
◎いつも身構えている人
見境のないファイティングポーズは周囲の緊張を生み、無益な戦いを引き起こして共倒れの原因となります。戦うばかりが能ではありません。共存の道を探りましょう。自分が賢いことを証明しましょう。
◎闘わざるを得ない人
「殺るか殺られるか」という問題解決思考方法は難易度として易しいですが損害も大きなものになります。戦わずに済むが良いです。しかし闘わざるを得ない時は言い訳を考えずさっさと勝って終わらせましょう。
◎我慢している人
あなたの気持は漏れ出ています。溢れてしまっています。いくら笑顔をつくってみても口で何と言おうとも、気持は必ず伝わります。怒りを我慢しているのに周囲の人から「怒りっぽい人」と評価され、何も言っていないのに「言いたいことを言う人」「好き嫌いが激しい人」と言われるのは、全部ばれてしまっているからです。ばれてしまっているのに我慢する必要はありません。自分を出すことです。そして隠すのではなく何故隠さなければならないような自分なのかを考え、解決策を図ることです。
◎期待する人
期待とは自己表現欲求の他人への転嫁です。自分のやりたいことを自分でやり切っていないから欲求不満となって他人の肩に載るのです。
自分をやりましょう。自分でやりましょう。他人は別の存在で、期待通りになっても自分に真の満足感は来ないと知りましょう。自分で切りをつけましょう。
◎心配する人
あなたのネガティブなエネルギ−が状況を更に悪化させています。心配しても良い事はありません。現状を丸ごと承認し、改善のための自分の努力に意識を向けましょう。
◎八つ当たりする人
自分の大切なものを傷つけています。怒りを出してはならないと言っているのではありません。怒って当然の時はあります。その時に怒りましょう。その相手に怒りましょう。我慢しているから溜まって本来向かうべきではない方向に殺すエネルギーが向かうのです。出すべき時に出しましょう。
◎コントロールのために怒る人
怒りは時として相手をコントロールするために発せられます。怒った時は相手の生命エネルギーを得ていい気になるのですが、他人のエネルギーは長持ちせず、すぐイライラします。不当に怒られた側は次の誰かに八つ当たりするか、予防または反撃を考えるでしょう。他人に依存するのは止めましょう。自分の内側から生命をくみ上げましょう。自分で自分を活かしましょう。
◎「ありがとう」と言えない人
気の強い人や自尊心の強い人の中には、上手に「ありがとう」と言えない人がいます。
「ありがとう」と言うのが自分の欠点や過失を認めるような気がするらしいのですが、
「有り難い」というのは、人間の物理的限界を知りそれを認めることのできる心の強い人が感じる感情ですので、
恥ずかしがらずに素直に表現すると良いと思います。
◎感謝を受け取れない人
そのほうが相手も楽になります。「当然のことをしたまでだ。」なんて肩肘張らないで
あなたは意外にいいことをしたのです。自分のしたことの価値を認めて
相手と一緒によろこびましょう。するともっと一緒に楽しく生きられます。
◎「感謝の気持が通じない」と言う人
感謝は自分がしたら済むのです。感謝の見返りを求めるのはやめましょう。
◎感謝とは
ニコニコニコ。「うれしいな。」「よかったね。」「ありがとう。」など
何かをもらうから交換に感謝するのではありません。
もらっていることに気付くと出る良い気持ちが感謝です。"I am Lucky!!"ってね。
良い気がしない時は、手放してみましょう。なくなると価値がわかります。
◎わかってもらえない人
まず自分や相手の事を理解しましょう。自分の矛盾点を見つけて解除し、自分をスッキリさせましょう。
相手の許容性等も把握しましょう。そして明確な意志を伝えましょう。
◎「何を考えているか分らない人」
情報不足であったり思考能力が足りない可能性と、価値観や思考プロセスが異なっていてあなたの理解外の可能性があります。情報や考え方を伝えましょう。また、理解外を許しましょう。
◎誰とでも仲良くしたい人
無理があります。負荷があなたやあなたの大事な人にかかっています。大事な人とそうではない人を区別しましょう。
人は各々異なっています。全員に好かれるなんて不可能です。嫌な顔を隠しながらお付き合いするのは止めましょう。
群れていたからといって助かるとは限りません。大きな船でも沈む時は沈むのです。良い人とだけお付き合いしましょう。
◎なぜ、嫌いなんでしょう?
「あの人とは付き合いたくない。」という人がいたとします。
その人があなたを傷つける人なら嫌いで当然です。でもそれ以外の理由なら、なぜかと自分に聞いてみる価値があります。
また、その人はあなただけを傷つけるのでしょうか? それとも誰にでもそのような態度をとるのでしょうか? もしあなただけに酷い態度をとるようなら、そこには何か理由がありそうです。周りの誰もがあなたを傷つける態度をとるなら、あなたに問題があるのかもしれません。
理由や問題を検索し、問題解決行動を採りましょう
◎「駄目」や「嫌い」の多い人
「嫌い」「駄目」が多い人はこの世界を楽しめません。その多くは思考制限による感情のトラブルです。産まれてから現在に至るまで家族や狭い社会からプログラミングされてきた結果です。自分で組み込んだものもあるでしょう。よく世界を観ましょう。世界は自由で様々な形で存在しています。自分の制限プログラミングをはずしましょう。
◎ジミー坊やと白ねずみの話
ジミー坊やは白ねずみと遊ぶのが大好きでした。優しいおじいさんも好きでした。
ところがある人が、坊やが白ねずみと遊ぶたびに坊やに電気ショックを加えました。
幾度か繰り返されるうちに坊やは白ねずみが嫌いになりました。それだけでなく坊やはおじいさんも嫌いになりました。
おじいさんの長く白いひげが白ねずみに似ていたからです。
ひどい話ですが、似たようなことは誰にでもありうる話です。
例えば、子供の頃苦手だった誰かと同じ名前の人に対して、別人だと解っているのに何故か緊張してしまう等も、このパターンです。
(実際は、本人が気づかない処で混同などが起きていることが多くあります。)
このような制限プログラミングをはずすお手伝いをアースフィールドでしています。
◎奪い過ぎている人
何でも見境なく「私が」「私に」と言う人は、他の誰かのチャンスを奪っているだけでなく、自分の本当に欲しいものさえ見失ったり得る機会を逸したりします。
人には容量があると知りましょう。手を引くことを学習しましょう。そうすると人生が綺麗に流れて、今まで知らなかった世界が広がってきます。苦労していたのが莫迦みたいに思えてきます。
◎信じて裏切られた人
「信じる」とは不安を紛らす等のために現状を思い込みにより認識することです。ですから信じた様にならなくても不思議ないのです。人は変化し言葉は完全ではありません。人や言葉を信じるのではなく自分の目や感覚を信じましょう。予想通りにならなければ自分が間違っていたのです。自分にチェックをかけ直しましょう。
◎言葉に囚われている人
言葉は事物やイメージを切り取ったものです。その切り取り方は人や状況により異なります。全く同じというのは有り得ないのです。切り取る対象自体が異なる場合もあります。言葉は完全ではないと知りなさい。そして人により状況により言い方や受け止め方を変えましょう。
◎相手に合わす為や支配のために会話する人
その関係は長続きせず、あなたは会話をするのが嫌になるでしょう。会話はエネルギ−の奪い合いの為にあるのではなく、何かを理解し伝えるためにあるのです。無理な会話を止め、知りたい時や教えたい時だけ言葉を使いましょう。
◎不安の裏返しでしゃべる人
物凄くよく喋る人のなかには、自分の不安を覆い隠そうとしている人もいます。内容に殆ど意味はありません。聞く側としては、真面目に言葉を受け止める必要はありません。
自分が不安で喋っていることに気が付いた人は、一人のときに何故何に不安を感じているのか考え、解消しましょう。
◎黙っている人
言葉は完全ではありませんが、言わないと通じないこともあります。言うべきことを言わないと状況はあなたの望まない方向に行くかもしれません。
言いましょう。何を言えば良いのかわからない時は、相手の言葉の意味を受け止められていない時です。
解るまでその場で問い質しましょう。
◎「見ザル言ワザル聞カザル」という人
ヒトのすることではありません。自分に関することは、ちゃんと見聞しましょう。言うべきことは言いましょう。自由と権利を取り戻しましょう。
◎言わずにやってしまう人
言わずに人の分まで何でもやってしまう人は、その人の行動するチャンスを奪っています。
問題点があるなら言いましょう。言っても伝わらなければ本人が気付くまで待ちましょう。
その間に、自分が何故それに不満を感じたのか自分の内側の答えも求めましょう。
言うばかりでしない人
あなたは自分の行動能力を失っていきます。自分のすべきことはしましょう。
誰がやっても良いことは手の空いている限り手を出しましょう。手を出して
自分の手で何かができると楽しくなり、あなたの行動能力もあがっていきます。
◎愚痴を言う人
「愚痴を言う」という行為は、相手から生命エネルギーを奪う行為です。
自分は気持よくなりますが、相手は疲れてしまいます。相手に縁を切られても仕方ありません。
また自分が気持よくなるのも一時だけです。問題解決しないので、すぐに不満が溜まり同じことを言いたくなります。
問題解決の為の行動を起こしましょう。愚痴を言わないのも解決法の1つです。
◎恩を仇で返す人
何かをしてもらったり教えてもらった時に、文句を言ったりけちをつけたり愚痴を言うなど礼を失する人は、やがて相手にされなくなります。
お礼だけ言いましょう。何か言ってしまいそうなら頭を下げるだけにしましょう。
ためになったり嬉しかったら感謝も捧げましょう。
◎恩を義理で返す人
恩返しは、感謝と「やりたい」気持でするものです。「半返しにしておくかぁ。」などと金額で測ったり義理で返す人は、恩返しではなく好意に対して取引で応じているのです。礼を失する行為はやめましょう。自分の気持を大切にしましょう。
自分の感覚や自由意思を尊重しましょう。あなたの道はあなたの足元にあります。
◎話を進められない人
「考えてみます。」と話を持って帰った後、否定的な考えばかり浮かんだり二度三度と同じ相談をするようなら自分を疑ってみるべきです。誰かに相談して「考えてみます。」等で話を濁しているようでは、あなたの本気が疑われます。本気で問題解決したいなら具体的な部分までその場で話を詰めて、即行動しましょう。
◎愛想笑いをする人
自分に嘘をついています。口は笑っていても声や目は別のメッセージを伝えます。
他人に合わせて笑ったり怒ったりしていると自分の感情を見失います。
自分に正直になりましょう。心の底から笑えるようになりましょう。
◎愚痴をよく聞く人
あなたに愚痴を言うのは聞きそうな態度だからです。信頼しているからではありません。その人はあなたの悪口を別の人に言うでしょう。何の解決にもなりません。「私に愚痴を言わないで!」と硬く断りましょう。態度で示しましょう。改めれば問題解決法を考えてあげましょう。
◎相談される人
「何々についてはどうでしょう?」と聞いて、ふんふんと頷きながらよく人の話を聞く。
でも実行しないし変化もない。何度でも同じことについて聞く。
聞かれている側は最初は気持が好いのですが度重なると疲れてきます。
自分のアドバイスを再検討するか、相手を再評価するか、時期が来ています。
◎何でも疑ってかかる人
それは期待が裏切られるんじゃないかという恐怖心から来ます。人は時に自己存在さえ疑います。しかし自分まで否定すると何も分らなくなります。ベストは制限のない思考をベースとした体験を積み上げることです。疑うなら行動しないことです。じーっと見てるんです。そして何か「分かった!」と感じた時か欲求が自分の中から起きた時に、その分だけ行動します。余計なことはしません。その分だけです。そしてまた結果やら何やらをじーっと観察するんです。疑うだけでなく「確認」という結果を出していくんです。そうして繰り返しているとだんだん自分と世界のことが解ってきます。そうするとだんだん生きているのが楽しくなってきます。
◎「石橋を叩いて渡る」人
100%はあり得ません。石橋でも壊れる時は壊れるのです。自分で叩き壊しておいて「この橋は危険だった。叩いてみて良かった。」と言うのは止めましょう。
その石橋を叩いて試している年月の間に次の橋が崩壊しているかもしれません。
石橋とわかっているならさ