はてなキーワード: すいかとは
ほんと、マニフェストというかINDEX2009はきちんと読まないと駄目ぷりが出てこないね。
思わず図書館員の私が絶句したところをあげときます。
学校図書館の整備
等子どもの読書活動は、子どもが言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、創造力を豊かにするうえで欠かせないものです。子どもの読書活動推進法や、2010年を国民読書年とすることを定めた衆参本会議での「国民読書年に関する決議」を足がかりとしながら、全国の学校図書館の整備・充実を進めるなど、子どもの読書環境を改善します。
また、文字・活字文化の振興を図るとともに、司書教諭が不足している現状にかんがみ、その充実に取り組みます。
はい、ここ。試験に出るよ
司書教諭が不足している現状にかんがみ
司書資格保有者は腐敗するほど余ってます。余っている教諭資格者と違って、コンビニ店員並みの時給でパートタイムとして働く司書が多いのが昨今の現状です。
マニフェストの段階から無駄使い宣言するつもりですか。きちんと現状を把握してから書きましょうね。
もっと、問題になりそうなところ
今日の日本の平和と繁栄の陰には、先の大戦において内外に多くの犠牲が存在したことを忘れてはなりません。そのことを念頭に、戦後諸課題の解決に取り組みます。
北方領土問題を解決して日露平和条約を締結することや、拉致問題を含む諸懸案を解決したうえで日朝国交正常化に取り組むことが重要です。
また、国会図書館に恒久平和調査局を設置する国立国会図書館法の改正、シベリア抑留者への未払い賃金問題、慰安婦問題等に引き続き取り組みます。
はい、ここ。こいつはもっと重要。必ず出るからきちんと覚えようね。
また、国会図書館に恒久平和調査局を設置する国立国会図書館法の改正、シベリア抑留者への未払い賃金問題、慰安婦問題等に引き続き取り組みます。
図書館てのは国民の知る権利を保障する大事な機関。資料が無ければ存在しなかったという事も大いにアリ。歴史てのはそうやって存続してきているからね。
こういった観点から、「特定の思想・信条・イデオロギーに属さずに、資料を収集・提供する」てのが図書館の当然の常識中の常識。これ、理解していない図書館員が居たら、シューキョー化してる図書館員です。頭いかれてます。でも、たまに居ます。フィクション大好きな人間が集まりやすいから。
そもそも
なぜ平和調査を「政治的に中立でなければならない図書館」に設置する必要がある?それぞれ独立して置き、それぞれ独立した立場で利用してもらえばいいでしょう。
それとも、平和のためには資料として存続してはならない資料を廃棄するつもり? と、勘ぐられても致し方ないよね。
マニフェストはちゃんと読まなくちゃね
http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/img/INDEX2009.pdf
それでは、また来週~
ああ。
主にこちらの方ね。
幸福に、ってのは無理な気はするけれど、離れるなら一番無難なのは仕事で単身赴任、それも海外だろうと。
それで、海外なら生活費のかからないアジアがよいかなと思った。子供にお金が回せるから。
しかし、金があれば幸せ、ってわけじゃないから、「お父さんは仕事でフランス」とかの方が箔が付くから、ヨーロッパの方がよいかもしれない。
あと、海外なら「外人」を理由にコミュニケーションを拒否しやすいかもしれない。
「嫌い」ということを表明して良いことはないから、一番なのは関わらない事、じゃないかな。
ちょっとオタクよりのものからオシャレなものも、クラシカルなものも好きです。
大学では芸術を学ぶことにし、無事そういう学科にはいることができました。(美大じゃないよ)
サークルは映研にはいり、趣味を共有できる仲間たちと、毎日楽しい日々をすごしています!
と、思う。そんな私だと思う。間違いじゃない。
でも、中学のころからいつも心にひっかかってることがある。
「私は、芸術が好きなんじゃなくて、
“芸術が好きな私”が好きなだけなんじゃないだろうか?」
大学に入って学科やサークルの人たちと喋るうち、その思いは強まった。
みんなが私よりもっと単純に、もっと純粋に、芸術を愛しているように見える。
いや、皆結局自分が好きだけど、気づいていないだけ?心のそこから自分に酔えてるの?
考えてもわからない。
部活にも入っていなかった。入れば良かったと6年間後悔し続けた。
友達も少なかった。クラスの打ち上げに、ほんとは行きたかった。
親友とよべる友達がいた。でもその子に感じるのは劣等感ばかりだった。
私には逃避の場所や、アイデンティティを確率するためのなにかが要ったのだと思う。
いつも何かしらにコンプレックスを抱いている私だったから、
そんな私を私自身が知っていたから、
そしてそれを私が知っていたから、
私はいつも、芸術をただのオナニーの道具に使ってる自分に気づいてしまう。
「私、こんなの知っててすごいでしょ?」な、中二な、人たちが大嫌いなのに、
結局、そんな人たちと変わらない自分がもっともっと大嫌い。
(このへんでややこしいのは、
私は「人よりいろいろ知ってる自分」を演出するために芸術を使ったけれど、
その知識は、ネット上にいるような本当に知っているひとたちと比べれば浅い浅いものであることも知っていた。
ので、自分に浸りきるということすら完全にはできなかった。)
そんな自分を変えたいから、
もっと本気で芸術を愛したいから、もっと本気で芸術を知りたいから、
それが「日常」になってしまえば、逃避の場所にはならないだろうと思ったから。
そんなことを考えながら大学に入り、
私は「りあ充」になってしまった。
(私にとってそれは、充実しているひと、というよりは、当たり前のことをできるひとたち、という意味を含んでいた)
というより、無理にでもなった。中高時代を取り返すように。大学デビュー!
私はまっとうな大学生として、まっとうな大学生活を送っている。
模範的な、という意味ではなくて、ちょっとした堕落を含めて、典型的な。
毎日、ちょっと退屈で、ちょっと楽しい。
つまり、心のよりどころが、
あんまり必要じゃなくなってしまったのだ。
そうすると、また、やっぱり私は気づいてしまう。
私は、なんでも好きで、なんにも嫌いじゃない。
そして、なんにも好きじゃなくて、なんだって嫌いだ。
私は映画も絵画も音楽も文学も漫画も演劇も建築も、西洋問わず好き。
私は自分の知識の浅さを理由に、「嫌い」とか「面白くない」と言うことができない。
私は特に好きな監督、俳優、劇団、画家、音楽家、アーティストというのがない。
私は、何かに執着している人(たち)の臭いが嫌いでたまらない。
なにかをちょっと好きになろうとして、だけど「そのもの」の良し悪しより、
「それを好きなひとたち」の臭気にやられて(ネット上だと特にね)、私は「そのもの」自体が嫌になってしまう。
でもその知識を放棄することを私はしない。
そしてその人たちに笑顔を絶やさない。
私は常に、芸術それ自体をみることをしなかった。
私や、誰かの付属品としてしか、見れなかった。
大学に入って、本気でそれと向き合うことが怖い。
また、すぐ嫌いになってしまいそうで、でも好きになりたくて、
でもそう思うとやっぱり好きになりたい、なんて、
もう、無限ループ。
いつまでたっても出られない。
なぜ昔から考えてきたことにいまさら頭を悩ましているかというと、
こんな私にも好きなひとができてしまった、らしい、から。
その人は芸術をとても深く愛していて、
私が知っているなかで一番の、私なんか及ばないくらいの知識と見解を持っている。
私が周りと比べてちょっと多めの知識を持っている事で、私をちょっと気に入ってくれている、らしい。
その人に見合うような私になりたいな、と最近思い立った。
私は、また、芸術を好きになる「言い訳」を見つけてしまったらしいのだ。
こんなんじゃ、だめだと思う。虚しく、つまらない気分になる。
それに、そんな私が見破ってしまって、嫌われてしまうんじゃないかと思う。
ああ、どうしたらいいんだろう。
騙し騙し生きて行く、それでも良いって、
「そんな私」ごと愛してしまうって、そういう選択肢もありなのかもしれないけれど、
でも、本気で芸術を愛したら、きっと楽しいだろうと思う。幸せだろうと思う。
そういう自分になって始めて、自分を心から愛せるんじゃないかと、期待してしまう。
これは答えを出す問題ではないのでしょうか?
この矛盾を抱え込んで、これと共に生きてゆくべき問題なのでしょうか?
私はいま、答えが欲しい。不安なのかなあ。
日本語でおkな文章でごめんなさい。
運が良ければ、ここにいる賢そうな文章を書くひとたちが何かしらこたえてくれると聞きました。
パソコンばっかりやって、経験のないことを経験したような気分になって、
知識ばっかりで頭でっかちになってる現代っ子スイーツ文化系女子(笑)な私に、誰か答えをください。
(笑)をつけないと自分を提示できないっていうのも、悲しいよね。
もう4時すぎかあ。まだレポート終わってないのになあ。
白物は色移りしやすいから、白物と色物を別けて洗濯するモンらしい。
昔、オカンに怒られた。
とはいえ面倒だし、ついやっちゃうよね。
私はしょぼい社長業をしているが、どうもまわりの経営者連中を見ていると、苦笑いしたくなる奴が多い。
寄り合いがある時などに、講演者を呼んだりするのだが、人畜無害な人もまあいるんだけど、基本的には反吐が出る奴ばかりである。
中でも、発展途上国の貧困をリアルに伝えるおばさんを呼んだ会はとくにやばかった。まじやばい。
アフリカの子供たちの貧困を救え、とか言われたら、そりゃそうだと普通思ってしまう。反論できない。
しかし、そこには裏のメッセージが込められている。
「お前がうだつが上がらないのは、お前が努力しないからだ。彼らに比べればチャンスは平等だ。」という。
このメッセージは気付きにくいだけに強烈だ。あなたも「自分が駄目なのは努力が足りないからなんだ…」とか、思っていないだろうか。
実は実際のところ、成功において本当の自己選択可能な努力成分は微々たるものだ。一般的に『努力』と呼ばれるものは、自分で変革可能なものでは無い場合が99%だ。『努力』できるのも才能のうち、という奴だ。もっといえば、目標みつけられるのも運だし、見つける前に家庭環境から仕込まれるかどうかも運だ。
成功過程には、良い条件で生まれる運と、何かを担保にしたギャンブルがほぼすべてを占めている。(これに拒絶反応を示すなら、搾取対象として十分洗脳されている)
そして、勝ったらそれを可能な限り守る、それだけの話だ。
この事実を認めることは、成功者自身にとっても恐ろしいことだ。だから成功本の出版によって「自分の成功は人より多くの努力や工夫があったからだ…」という既成事実化と自己洗脳を行う。
しかし成功本などによる自己洗脳よりも効率的なのが、この途上国貧困層支援である。これは、世界レベルの社会貢献という形の懺悔や名誉だけでなく、自分の立場も守れるという、とてもパフォーマンスの良い行為なのだ。
直接的ないわゆる小作農である、国内貧困層に金を蒔いて救ってしまったら、自分の立場がそれだけ危ぶむことを彼らは理解している。
だから、グローバルな視点かつ盲目的に、そうした究極の貧困だけを対象とする。
幸せ観は人生ステージによって変化するだろうが、突き詰めると行き着くところは大体同じで、最大公約数を取るとかなりシンプルだ。
今でも最終的に家族に行き着く人は多い。しかし、かつての名士などになると、さらに地域の幸せまで考えたものだ。家族企業も家族の次に社員の人生を考えた選択をしてきた。国会議員や官僚は地元に利益を持ってくるために働いた。(これは職責からすると問題あるけど)
そうした隣人への貢献が、意識のグローバル化とともに、対象が寄り大きな貧困へとジャンプしてしまったと考えるとわかりやすいかもしれない。
一番貧困なのはどこかを探して、金を投入するのは全く間違い。こういうのは国レベルで行うべきスケールの話なのだ。そんなに気になるなら、JICA等、政府外郭団体はあるのだから、そこで労働力提供したほうがマシである。
そもそも、貧困の度合いをスケールにするのが間違いである。自分の身近さをスケールに貢献対象を絞っていくのがよい。その方が自分も生きやすくなるし、幸せにもなれる。
考えればもっとやることはあるはずだ。
対象を決めて、ただ金を適当に配るこだけでは問題があるだろう。
弱者層はよく『平等』を口にするが、実際は公正を望んでる人たちの方がダントツに多い。どっかの団体が無学を良いことに勝手に便乗しているだけだ。
本当に自由競争が正義だと思うなら、運が無いだけかもしれない人たちの、確率を底上げしてやらないと機能不全を起こすだろう?それを怠るのは欺瞞だよね。
「(グローバル視点で見れば)日本に格差ははない」とか、醜いこと言ってんじゃねーよ。ばーか。
べつにだれに追い抜かれようとどうでも良いだろうが。隣人さえ幸せならさ。そういうのって返ってくるぜ、自分にさ。広く種蒔いてれば、それだけ広く返ってくる。宗教っぽいな。でも人間ってそんなもんだし。結果的に再起不能も防げるし。悪いことなんかどこにも無いだろう。
審議不十分な中での採決は世論の反発を招きやすく、多数党としても取りにくい選択。
一方、議会で多数を占めない少数党は審議に応じても結局自らの主張は通りにくいわけで、
審議拒否などを通じて国会日程を消化し廃案や継続審議に持ち込もうとするのは、数少ない国会戦略の一つ。
審議拒否は国民の受けが良くないのはわかりきっていることなので、少数党としてもある程度のダメージを覚悟した上での強硬策ではある。
そういうわけで、全面的な審議拒否というのは選挙を催促するときとか選挙前に行われることが多い。
多数党としては選挙前に受けの悪い強行採決をするよりは、少数党の審議拒否をネタに選挙でのネガティブキャンペーンができる事のほうが有難かったりする場合もある。
選挙が近くない場合は、委員会や本会議での採決に欠席したり、採決のときだけ退席したりすることが多くて、これは結構良く見られる。
近いところでは母子加算復活法案の参院委員会採決で自公が退席した例がある。
退席の場面は画的にインパクトがあるので、ニュースになりやすく、少数党が反対の意思を示すパフォーマンスとしては使いやすい。
審議自体には参加しているので、議員としての職務を放棄したわけじゃないという苦しい言い訳もしやすいからだ。
またこの場合、多数党としては審議は尽くしたということで採決の正当性を主張しやすい上に、少数党の退席を詰ることもできる。
結局は議席数で決まるという前提があるので、審議拒否だの採決への欠席・退席だのは、
なんだかなぁと思いつつ、少数党はそんなことくらいしか出来ないわな、と諦めて見るしかない。
http://www.gpara.com/pickupnews/news/2007040501.php
某有名ゲーム9がらみでキャバクラの話が巷では話題のようですね。
女性と縁の無かった連中が金が入るとはまりやすいのがキャバクラ。
彼女らが日銭のために愛想を振りまいているというのが理解できない。
自分が盲導犬恋愛RPGをしているのに、自力でクリアしていると思うんだろう。
http://www.amazon.co.jp/dp/4757741812/
基本的には変わらないと思いますよ。
目標価格は含み益を間違いなく実現させるため、損切り価格は損失を適正なレベルに抑えるため、運用期限は無用な塩漬けを避けるために設定します。
積み立て型の投信なんかでも基準価格のチャートに3つの線を引くことはできます。
あるいは、積み立てなら、基準価格ではなく、保有する金融商品の評価額について3つのラインを設定したほうが分かりやすいかもしれません。
積み立てということだとおそらく長期での運用になるでしょうから、特に損切り価格と運用期限の設定に関しては1年ごとにするとか工夫をするとやりやすいかもしれません。
運用期限の設定が遠いと、無用な塩漬けを避けるためという目的を果たしにくくなります。
積み立てについて余談。
小さな積み木を重ねていけばいつか大きなお城が!みたいなイメージは(積立貯金ならまぁいいんですが)、元本保証の無い金融商品には持たないほうがいいですね。
元本保証の無い積み立て型金融商品の場合、積んでいく積み木の大きさ自体が時間とともに大きくなったり小さくなったりするので、コツコツ積む作業を欠かさずに続けたとしても、計画通りのお城を作るのは結構難しいのです。
投資タイミングを分散させる手段としては悪くないといえなくも無いのですが、手数料の分だけ投資効率は悪くなります。ノーロードで信託報酬の安いものがあればメリットを感じられるかもしれませんが。
よくわからんが、ストレス耐性についてはセミナーとかもあるようだ。
高いが会社に金を出させて行ってみるとか。
https://www.bc-seminar.jp/BcSeminar/SeminarUser/SU030003.aspx?link=SU110003&scid=101270000&sid=000002116
個人的には友達(彼女)ができてからストレスには耐えやすくなったような気がする。
仕事以外の世界があるとストレスには耐えやすいかもしれないな。
仕事なんて世界のごく一部でたいしたことないことだってことを、いつも自分に教えてやる必要がある。
仕事と無関係な人間関係を増やすことは相対的に仕事の価値を下げることになり、
受けるストレスを減らすだろう。
熱中できる趣味を見つけるのもいいかもな。
とりあえず名誉毀損ってのは、言いふらす内容が虚構でも事実でもあんまり関係無いよ(虚構の方が確かに認定されやすいけど)。ハゲの人に「ハーゲ!ハーゲ!」と言ったりするのも名誉毀損になりうるんだから。
んで元の文章だけど、「アイコラ」みたいな事態を想定してくれ。「アイコラ 訴訟」とかで検索すると分かりやすいかも。その事例の「アイコラ画像」を「本人そっくりなエロいCG」に置き換えると分かるんじゃないかな。「実写に見えるCG」ってのは、意図的に実在の人間に似せたりする事も可能になってくるんだよね。
んでもってテレビや雑誌を賑わすジュニアアイドルなんかに「あんなこといいな、できたらいいな(ドラえもんのOP曲風に)」な妄想を具現化させたような作品が出てきた場合、そのアイドル当人か所属事務所あたりから、名誉毀損とか肖像権の侵害とかで訴えられる可能性があるって事。
子供に依存しまくっている親(主に母親)は、子供が不幸なうちはご機嫌で、気味が悪いほど子供に優しくするけど、子供が幸せになって自分のところから離れていこうとすると、機嫌が悪くなって発狂して、なんとか子供を不幸にして、自分のところに戻って来させようとするんだよね。
例えば子供が仕事を楽しそうにやっていると、いかにその仕事が下らなくて価値の無いものかということを吹き込んでやめさせようとするし、恋人ができて幸せそうにしていると、その恋人を散々批判して別れさせようとするんだよ。
それで子供が仕事をやめたり恋人と別れたりして自分のところに戻って来ると、ご機嫌になって「子供を慰める優しい親」になるんだよね。
こういうふうにして育てられた子供は、「幸せになっちゃいけない病」に陥る。幸せになると親に見捨てられるから。実際に「見捨てる」という脅しをかける親も多い。(彼女の親友も、「あいつと付き合い続けるなら友達をやめる」と言って、「見捨てる」という脅しをかけているよね)
いわゆる『白雪姫コンプレックス』だね。そうして、親子でズブズブの共依存になる。
増田の友達と彼女の関係は、『白雪姫コンプレックス』の親と子供の関係に似ているかも。
その親友とやらにももちろん問題はあるし、彼女が今まで付き合ってきた男にももちろん問題はあるけれど、今まで彼女の人間関係が恵まれなかったのは、彼女自身にも問題がありそう。
彼女、自分を不幸にするダメ人間を引き寄せてしまう体質があるのかもね。
「幸せになっちゃいけない病」を抱えた人って、自分の就きたくない職業に就いたり、悪い男と付き合ったりするんだよ。無意識のうちに、自分が不幸になる選択をしてしまう。
おそらく、彼女と親友はズブズブの共依存関係だから、増田がよっぽど慎重にやらないと、増田を切って親友のところへ行く危険性がある。
彼女に向かって「なぜその親友はダメなのか」を言うだけでは難しいかもしれない。それよりも、彼女自身の意識を変えて、ダメ人間引き寄せ体質を改善する方向に持っていったほうがいいんじゃないかな。
彼女に必要なのは、自分の幸せを追求しても良いと思えるようになることと、自分を不幸にする人間との関係を切れるようになることだと思う。
それは女の子が妬まれたり妬まれたりして毎日を過ごしている一方で、(少女な)少年はめったに妬まれることがないため(そして女の子は男の娘を異常に好むため)、可愛い子ぶる手加減を知ることができないし、限度というものを身につけることもできないことにある。(少女な)男の娘にとってルールもなにもない無法地帯であるから、愛嬌差でそれほどないこともあり、無茶苦茶をやって勝ってしまうのだ。
(これは兄弟のいる子供がどれぐらい親に良い子ぶれば兄弟から疎まれるのか、どれぐらいなおべっかで済むのかを兄弟での関係で学べるのに対し、一人っ子で育てられたような孤独な子供が疎まれることがないため誰からも愛され得る訳ではないこと知らず、媚びのルールも学べないのに似ている。)
これを男性と女性の性分の違いとして解決することはとても単純でわかりやすいかもしれないが、そうとも言い切れないのは、そんなものを身に着ける経験を男の子はもともとすることができない立場にいるからである。
ものの好みがはっきりする以前から「戦い最高」とのたまう少年マンガを読み、親の趣味で勝負根性を叩き込まれ、気づいたころにはゲームとスポーツがもっとも近くにあるような環境で、処世術や社交性というものを身に着けるのは至難の業だろう。もちろんその後、自分の環境にぞっとし、別世界を知っていく男の子もいるだろうが、それにしたって恋愛葛藤成就をテーマにした少女時代を生きた女の子より年を留め置いてしまっているはずだ。男の子にも洗顔に命をかける子はいるし、白馬の王子(女)様を信じている子もいる。男の子なら誰もがかっこいい登場人物を見て「この人みたいに強くなりたい!敵を倒したい!」などと思うわけではなく、女の子同様「お嫁(婿)さんにして~!」と料理やファッションの道に進む男の子もとても少ないけど少なくないのだ。
「女の乙女心は男にはわからん」という言葉をよく聞くが、それは総じて「女の乙女心を理解できる男性」は自分の夢を持たず、(男女問わず)誰かに愛されていたいと願う我の強い人物であるから、女性にとってみれば近しい存在でしかなく、眼中に入っていないからである。もうそのへんは仕方がない。少女漫画のヒロインが二人いるようなものだ。(極薄の)百合だろ。ふつうに。個性がある以上、少女の乙女心みたいなものを理解できるかできないかは男女差というより、個人差でしかない。
愛嬌差がないころ、(少女な)男の娘は手加減を知らずにいるため、女の子との媚び合いに勝ててしまうことがある。そうした(美少女な)少年が年を経て、媚び合いに勝てなくなっていくとき、男(女)の子が自分を練習台にしていたこと、そして自分があまりに無知で、女(男)の子に対し恥じらっていただけな男(女)の子の純情を理解できずにいたことにショックを受けることになる。
そうした自分の未熟さに打ちのめされているころ、押し寄せてくるのは男性というものに自分が当てはまりつつあるのだという事実で、彼らはそうやって第二次性徴期へ突入するのである。
結局家庭の問題引いては親の人格なりの問題ということに落ち着くのかな、この話。なんだかなぁ。
どんな世界にでもかわいそうな子はいるし、どんな育て方をしても愛情に飢えている子はいるし、他人がいた方がいい子供だっているし、いない方がいい子供だっている。どうして目の前の子どもを見てそれを判断するのではなく「子供」「保育園」として語るんだろうか。
さらにいえば親が子育てをまともにできないようなら、社会が育てるという方向性になぜならないんだろう。「保育園に入れられてる子はかわいそう」「なぜなら親がちゃんとしてないから」「子供にストレスがたまるし愛情不足になりやすいから」で、おしまいなのか。かわいそうだから何なのか。ただかわいそうっていいたいだけなのか、保育園に入れる親は親失格と言いたいだけなのか。まぁそうなんだろうな。結局自分を正当化したいだけなんだよな、人間てさ。だからかわいそうだと言える相手がいないと困るんだよ。
ヨーロッパの諸革命によって発見された概念が、世界人権宣言の形で、一応世界的な秩序に取り入れられている。また各国内法にも取り入れられることが多い。
人権は個人の力ではない。自身の倫理や道徳や暴力が個人の力だ。いくらあなたが「私には生存権がある」といったところで、目の前で銃が火を噴くのを抑えることは出来ない。
そういうわけで実力行使のほかは、あなたが暴力を受けたら、国際社会上や身近な警察や報道機関や係累などに実態をさらし、待つしかない。多分、おそらく、もしかしたら、国際連合か国家か親切な隣人が、人権が侵されたと判断し、介入してくれるはずだ。
そして人権思想の存在しない場所で人権を叫んでも、あなたの命や財産の守りにならないことは言うまでもない。
それ以外で介入が得られない場合は、自己の権利および自由に被害が軽いか無いと判断されたか、あるいは運が悪かったのだ。
世界人権宣言(抜粋)
第1条
すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。
人間は、理性と良心とを授けられており、お互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
第2条
第1項
すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
第2項
さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。
第7条
すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。
すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。
第23条
第1項
すべて人は、労働し、職業を自由に選択し、公正かつ有利な労働条件を確保し、及び失業に対する保護を受ける権利を有する。
第2項
># dekaino dekaino 一言でいえば「理念」 2009/06/08 CommentsAdd Star
叩きやすい物を叩いて正義の味方のオレ様気取る奴ウゼー。
http://anond.hatelabo.jp/20090604021943
「そんな小説で欲求満たしてるなら生身の女触ってた方がリアリティもあって楽しいけどね」
・・・
「小説で犯罪が助長されたなんてマスコミは都合の良い考え方してるけど、そういう犯罪する奴に限ってその手の小説持ってるのはなんで?」
といった毒舌ながら、考えさせてくれる返答がきた。
思わず納得してしまうものもあったし、個人的にそういう小説に手を出したことがないのでわからないけど
やっぱり生身の方がいいよって思うのは納得。意思を伝え合えるってのは大事。
エッチするならやっぱり相手と一緒に気持ちよくなりたいからなぁ。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090529_rakuten_matome/
これは例えば海外の記事を無断転用した場合、企業でかつ商用利用であると何かと
目をつけられやすいからでしょうか。広告や配信契約を取る上では「企業サイト」を名乗るにも関わらず、
権利関係については「個人サイト」であるように見せかけて、上手く権利者の眼を逃れようと
している、というのは邪推でしょうか。
例えばコレ↓、元記事の写真の著作権表示だけを見事に消去して転載
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090526_ivemark_syndrome_girl/
英国の新聞、デイリーメイルに掲載された元の写真。左下にきっちりコピーライトが入ってる。
http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2009/05/22/article-1185690-050884CA000005DC-376_468x372_popup.jpg
これ明らかに、消してますよね?
個人サイトにおける非商用利用ならばともかく、ニュース配信された画像を
勝手に転用してmixiやライブドアに配信したり、バナータイアップを取って配信代金を得ているのはどうかと。
大げさな話ですが、例えば、同じように企業が運営している読売新聞のサイトが勝手に朝日新聞の写真を記事に
無断転用して、よもやそれを「販売」したら、間違いなくアウトですよね。
企業運営で、商用でニュースサイトにも配信している以上、いちおうマスメディアなんだから
こと権利関係においては「あいまいさ」を残して置きたいのか、マスメディア、と呼ばれないように
(責任に伴うデメリットが大きいので)精いっぱい努力してるみたいですが。
楽天とか大阪ガスとか、毎日新聞とか、別にオピニオンがあってやるわけではなく、
ただネットで叩かれやすいもの(あるいは既に叩かれているもの)を、ただ叩くだけ。
それも記者名はなし。ネチズンの炎上をけしかけるだけけしかけて、後のフォローもなし。
常に安全圏からの一方的な叩き(ただしタイトルは全力で釣り)は企業サイトとしてどうかと。
不思議と今は記事も消えてましたが。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20071207_innetwork_macherie/
この辺の問題はこのあたりで。
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1241293548/
GIGAZINEが人様の現地実況記事・写真でAppleのイベントを強引に実況中継しようとしていた件
http://anond.hatelabo.jp/20090910060057
内容を見ても何も深い突っ込みは入れていないし、ただ一般の「お問い合わせ」レベルの
内容を「取材」と称しているとしか思えない。
「神崎川へ女性が飛び込んだ」という通報を受け、警察と消防が大規模捜索中
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090421_kanzakioohashi/
http://ntd.spoo.co.jp/?q=node/4
率直に言って、駄本を読むための技術だと思う。そんなのに時間を掛けても… とおもうものにはよいね。つまり、自己啓発系の本のための読み方ということは言える。
あの技術のキモは何度も本を眺めて、そこから思い出すことにあるけど、パラパラめくるほうばかり目立っているので、キモの部分じゃないところが大切と勘違いさせる弊害があると思うね。でも、あの読みかたは理解が深いとは言えないので、考えて読むようなものには向いていないですね。それに、キモの部分を重視しようとなると、以外と時間がかかるし、投資時間あたりの理解度は高いとは思えない。
信じるものは救われるといった感じでいどまないと行けないのは、あの手の技術というのは、集中力に悪影響が出ることを排除したいからだ。一つに集中させる工夫だということだな。((これは試してガッテンの集中力のものを参考にすれば分かりやすいかも。ググレ))だが、それだけ無防備になるということで、危険もある。万能ではないものを万能だと信じ込んだりする危険があるからだ。
私としては、この方法より、ほかの速読のほうをオススメします。考えて読まなきゃならないものを読みたいならね。その場で段落ごとにさっさと読んで考えるといったことがやりやすいからだ。そうしないと行間を読めんよ。
数年前まではちょい景気上昇でやたらと高額なセミナーとかが流行ってインチキなものも多かったね。
フォトリーがインチキだとまではいわないけど、みためDQNな園ってやつも、かなり稼いだみたいだな。
その後どうしてるか、しらんがな。
ジーニアスコードとか、NLP系とかも流行って、ビジネススクールやら何やら、へんなBlogをかいては、
アフィリだ、ドロップシップだなんて、やってたのもあった。
で、俺も、フォトリーは 2日で10万のコースに行った。みかん集中法とか、なにそれ!って感じで、
ヘンな読書法は、身につけなかったが、自分で思うに、わりと読書はしてる。ま、興味ある分野を
調べていくとそれがどんどん広がっていくわけで。興味ない本はそもそも読まないし、読めないし、
そんなのつらいだけだ。ポイントを押さえて、手短に読み終えていくつかの心に残ったことを書き留める、
もしくは、脳に刻み込む。それだけだな。
それでいいんだったら、http://anond.hatelabo.jp/20090518143849元増田の話は
『そうした方が「ありのままを愛してる」という勘違いが発生しやすいから』で終わりだろう。
それなら別に文句ない。