2009-08-02

芸術を愛する

私は映画やら漫画やら音楽やら舞台やら絵画やらが好きです。

サブカルって言葉はもう死語でしょうか。そういうもの。

ちょっとオタクよりのものからオシャレなものも、クラシカルなものも好きです。

中学高校あたりからそういう感じだったので、

大学では芸術を学ぶことにし、無事そういう学科にはいることができました。(美大じゃないよ)

サークルは映研にはいり、趣味を共有できる仲間たちと、毎日楽しい日々をすごしています!

と、思う。そんな私だと思う。間違いじゃない。

でも、中学のころからいつも心にひっかかってることがある。

「私は、芸術が好きなんじゃなくて、

芸術が好きな私”が好きなだけなんじゃないだろうか?」

大学に入って学科やサークルの人たちと喋るうち、その思いは強まった。

みんなが私よりもっと単純に、もっと純粋に、芸術を愛しているように見える。

いや、皆結局自分が好きだけど、気づいていないだけ?心のそこから自分に酔えてるの?

考えてもわからない。

中学高校のころ、

部活にも入っていなかった。入れば良かったと6年間後悔し続けた。

友達も少なかった。クラス打ち上げに、ほんとは行きたかった。

親友とよべる友達がいた。でもその子に感じるのは劣等感ばかりだった。

私には逃避の場所や、アイデンティティ確率するためのなにかが要ったのだと思う。

いつも何かしらにコンプレックスを抱いている私だったから、

そんな私を私自身が知っていたから、

芸術(特にサブカル)が逃避に使われやすいから、

そしてそれを私が知っていたから、

私はいつも、芸術をただのオナニーの道具に使ってる自分に気づいてしまう。

「私、こんなの知っててすごいでしょ?」な、中二な、人たちが大嫌いなのに、

結局、そんな人たちと変わらない自分がもっともっと大嫌い。

(このへんでややこしいのは、

私は「人よりいろいろ知ってる自分」を演出するために芸術を使ったけれど、

その知識は、ネット上にいるような本当に知っているひとたちと比べれば浅い浅いものであることも知っていた。

ので、自分に浸りきるということすら完全にはできなかった。)

そんな自分を変えたいから、

もっと本気で芸術を愛したいから、もっと本気で芸術を知りたいから、

私は自分芸術だけの世界に閉じ込めてしまおうと思った。

それが「日常」になってしまえば、逃避の場所にはならないだろうと思ったから。

そんなことを考えながら大学に入り、

私は「りあ充」になってしまった。

(私にとってそれは、充実しているひと、というよりは、当たり前のことをできるひとたち、という意味を含んでいた)

というより、無理にでもなった。中高時代を取り返すように。大学デビュー

私はまっとうな大学生として、まっとうな大学生活を送っている。

模範的な、という意味ではなくて、ちょっとした堕落を含めて、典型的な。

毎日、ちょっと退屈で、ちょっと楽しい

つまり、心のよりどころが、

あんまり必要じゃなくなってしまったのだ。

そうすると、また、やっぱり私は気づいてしまう。

あんま芸術が好きじゃない(かもしれない)自分のこと。

私は、なんでも好きで、なんにも嫌いじゃない。

そして、なんにも好きじゃなくて、なんだって嫌いだ。

私は映画も絵画も音楽文学漫画演劇建築も、西洋問わず好き。

私は自分の知識の浅さを理由に、「嫌い」とか「面白くない」と言うことができない。

私は特に好きな監督俳優劇団画家音楽家アーティストというのがない。

私は、何かに執着している人(たち)の臭いが嫌いでたまらない。

なにかをちょっと好きになろうとして、だけど「そのもの」の良し悪しより、

「それを好きなひとたち」の臭気にやられて(ネット上だと特にね)、私は「そのもの」自体が嫌になってしまう。

でもその知識を放棄することを私はしない。

そしてその人たちに笑顔を絶やさない。

私は常に、芸術それ自体をみることをしなかった。

私や、誰かの付属品としてしか、見れなかった。

大学に入って、本気でそれと向き合うことが怖い。

また、すぐ嫌いになってしまいそうで、でも好きになりたくて、

でもそう思うとやっぱり好きになりたい、なんて、

そんな「芸術好きな自分」を確立させたいだけなんじゃ…?

もう、無限ループ

いつまでたっても出られない。

芸術が好きなの?芸術が好きな自分が好きなの?」

なぜ昔から考えてきたことにいまさら頭を悩ましているかというと、

こんな私にも好きなひとができてしまった、らしい、から。

その人は芸術をとても深く愛していて、

私が知っているなかで一番の、私なんか及ばないくらいの知識と見解を持っている。

私が周りと比べてちょっと多めの知識を持っている事で、私をちょっと気に入ってくれている、らしい。

その人に見合うような私になりたいな、と最近思い立った。

私は、また、芸術を好きになる「言い訳」を見つけてしまったらしいのだ。

こんなんじゃ、だめだと思う。虚しく、つまらない気分になる。

それに、そんな私が見破ってしまって、嫌われてしまうんじゃないかと思う。

ああ、どうしたらいいんだろう。

騙し騙し生きて行く、それでも良いって、

「そんな私」ごと愛してしまうって、そういう選択肢もありなのかもしれないけれど、

でも、本気で芸術を愛したら、きっと楽しいだろうと思う。幸せだろうと思う。

そういう自分になって始めて、自分を心から愛せるんじゃないかと、期待してしまう。

これは答えを出す問題ではないのでしょうか?

この矛盾を抱え込んで、これと共に生きてゆくべき問題なのでしょうか?

私はいま、答えが欲しい。不安なのかなあ。

日本語でおkな文章でごめんなさい。

もやもやを、言葉にしてみたかった。

運が良ければ、ここにいる賢そうな文章を書くひとたちが何かしらこたえてくれると聞きました。

パソコンばっかりやって、経験のないことを経験したような気分になって、

知識ばっかりで頭でっかちになってる現代っ子スイーツ文化系女子(笑)な私に、誰か答えをください。

(笑)をつけないと自分を提示できないっていうのも、悲しいよね。

もう4時すぎかあ。まだレポート終わってないのになあ。

  • 一生、あんたは「芸術」という言葉から離れられないよ。 おいらが「デザイン」という言葉からはなれられないのとよく似てる。 おいらのことを話そうか。 おいらはデザインを学びた...

  • 一昔前には、 ジャズの世界で「自分は黒人じゃないから本物のジャズが出来ない」と悩んでいた白人とか黄色人種みたいだ。

  • ohnosakiko先生かp_shirokuma先生を召喚すると幸せになれそう。はてなでは定期的に蒸し返されるテーマだ。

  • 芸術を愛するってのは、その中で自分が感じた権威という名の未知を愛したり、畏怖を愛したりする事なんだと、僕は思った。 世界は芸術だし、他人もまた芸術だ。

  • 浅くてもいいじゃん。 美は正義。好きになって当然。

  • 愛してるかどうかって自分がどう思っているかだけで、客観的な評価基準があるわけじゃないじゃん。 広く深く知っていたり、固執したりするのは愛の一つの形であり、必要条件ではな...

  • 好きなら好きで別にそれで終了じゃね? わざわざ人にアピールするもんでもないし、何をしたいのか全くわからん。 だってさあ、好きなもんはとめられないぜ? 好きなもんは理由なん...

  • なんだかね、痛々しい。 何でそんなに自虐的なのか。 自意識なんてもともと他人との差異化による産物なんだから、そのまんま飲み込んでしまえばよいのに。 芸術がどうかは別にし...

  • 私は、美大で絵画を専攻していました。卒業後10年以上経つのだけど、今だからこそ分かることってありますよ。 私は運動部に入りつつも、彼女もいたりして遊んでばかりで、勉強なん...

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