はてなキーワード: かいなとは
ばななは激怒した。必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の店長を除かなければならぬと決意した。ばななには経営がわからぬ。ばななは、村の物書きである。ほらを吹き、羊と遊んで暮して来た。けれどもサービスに対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明ばななは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此(こ)の居酒屋にやって来た。ばななには父も、母も無い。女房も無い。一時帰国していた友だちと二人暮しだ。この友だちは、もう当分の間外国に住むことが決定していた。送別会もかねていたのである。ばななは、それゆえ、ビールやらおつまみやらを買いに、はるばる居酒屋にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それからヨーロッパみやげのデザートワインを開けた。コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。歩いているうちにばななは、居酒屋の様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、居酒屋の暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、居酒屋全体が、やけに寂しい。のんきなばななも、だんだん不安になって来た。ちなみにお客さんは私たちしかいなかったし、閉店まであと二時間という感じであった。路で逢った若い衆をつかまえて、グラスをわけてくれる?いいときの日本は、夜でも皆が歌をうたって、賑やかであった筈(はず)だが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて、気のいいバイトの女の子に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。気のいいバイトの女の子はビールグラスを余分に出してくれた。ばななは両手で気のいいバイトの女の子のからだをゆすぶって質問を重ねた。気のいいバイトの女の子は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「なぜ説教するのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」
「たくさんの客を説教したのか。」
「はい、こういうことをしてもらったら困る、ここはお店である、などなど。」
「おどろいた。店長は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。客を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、バイトの心をも、お疑いになり、御命令を拒めば説教にかけられて、叱られます。きょうは、六人叱られました。」
聞いて、ばななは激怒した。「呆(あき)れた店長だ。生かして置けぬ。」
ばななは、単純な男であった。それであまりおおっぴらに飲んではいけないから、こそこそと開けて小さく乾杯をして、一本のワインを七人でちょっとずつ味見していたわけだ。たちまち彼は、どう考えても年下の若者に捕縛された。調べられて、ばななの懐中からはデザートワインが出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。ばななは、店長の前に引き出された。
「このデザートワインで何をするつもりであったか。言え!」店長は静かに、けれども威厳を以(もっ)て問いつめた。ばかみたいにまじめな顔でだ。
「どうしてもだめでしょうか?いくらかお金もお支払いしますから……」とばななは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」店長は、憫笑(びんしょう)した。「仕方の無いやつじゃ。こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです。」
「いったい何のきりなのかよくわからない!」とばななは、いきり立って反駁(はんばく)した。「客の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。店長は、バイトの忠誠をさえ疑って居られる。」
「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。客の心は、あてにならない。場所はいいのにお客さんがつかない。信じては、ならぬ。」店長は落着いて呟(つぶや)き、ほっと溜息(ためいき)をついた。「わしだって、もうけを望んでいるのだが。」
「なんの為のもうけだ。自分の地位を守る為か。」こんどはばななが嘲笑した。「罪の無い客を説教して、何がもうけだ。」
「だまれ、下賤(げせん)の者。」店長は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに不況になってから、もっと自然食をうちだしたおつまみにしてみたって聞かぬぞ。」
「ああ、店長は悧巧(りこう)だ。自惚(うぬぼ)れているがよい。無難に無難に中間を行こうとしてみんな失敗するのだ。ただ、――」と言いかけて、ばななは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。三日のうちに、私はちょっと異様な年齢層やルックスや話し方をする大勢のお客さんを連れて、必ず、ここへ帰って来ます。」
「ばかな。」と店長は、嗄(しわが)れた声で低く笑った。「とんでもない嘘(うそ)を言うわい。逃がした客が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るのです。」ばななは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。それが成功する人のつかみというものだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、ここに三十四歳の男の子がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて店長は、残虐な気持で、そっと北叟笑(ほくそえ)んだ。居酒屋で土曜日の夜中の一時に客がゼロ、という状況はけっこう深刻である。
「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの持ち込みは、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。」
「はは。持ち込みが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
ばななは口惜しく、地団駄(じだんだ)踏んだ。ものも言いたくなくなった。
竹馬の友、三十四歳の男の子は、深夜、居酒屋に召された。店長の面前で、佳(よ)き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。ばななは、友にいちおう事情を言った。人にはいろいろな事情があるものだ。三十四歳の男の子が「まあ、当然といえば当然か」とつぶやいたのが気になった。そうか、この世代はもうそういうことに慣れているんだなあ、と思ったのだ。みな怒るでもなくお会計をして店を出た。そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。初夏、満天の星である。
というわけで、いつのまに東京の居酒屋は役所になってしまったのだろう? と思いつつ、二度とは行かないということで、ばななたちには痛くもかゆくもなく丸く収まった問題だった。
これが、ようするに、都会のチェーン店で起こっていることの縮図である。
【この間東京で居酒屋に行ったとき、もちろんビールやおつまみをたくさん注文したあとで、友だちがヨーロッパみやげのデザートワインを開けよう、と言い出した。その子は一時帰国していたが、もう当分の間外国に住むことが決定していて、その日は彼女の送別会もかねて いたのだった。
フレンチレストランなどで持込に便宜を図ってくれる(ただし持ち込み料はしっかりとるのだが)店ならいざ知らず、居酒屋にワインの持ち込みができるものだろうかと思ったが、送別会への精一杯のお礼のつもりでワインを出してくれた彼女の気持ちを思うと、どうしても叶えてあげたくなった。
それで、お店の人に店長さんを呼んでくれる?と相談したら、気のいいバイトの女の子が「はい、かしこまりました」と言って奥に引っ込んで行った。
すると、店長というどう考えても年下の若者が出てきたのだが、年齢が上だろうが下だろうが、ルールを曲げてくれとお願いをするのはこちらである。
私たちは「突然で申し訳ありませんが…」と前置きして、ていねいに事情を言った。この人は、こういうわけでもう日本にいなくなるのです。その本人がおみやげとして海外から持ってきた特別なお酒なんです。どうしてもだめでしょうか? いくらかお金もお支払いしますから……。
店長には言わなかったが、もっと書くと実はそのワインはその子の亡くなったご主人の散骨旅行のおみやげでもあった。人にはいろいろな事情があるものだ。
しかし、店長は言った。ばかみたいにまじめな顔でだ。
「こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです」 そりゃそうだろう、お酒の量販店が幅をきかせる昨今、持込を許そうものなら、つまみだけ注文してお酒は格安で買ってきたもので乾杯という人たちで店があふれかえるのは想像にかたくない。お酒が最大の収入であろう居酒屋はあがったりだ。店の人が大ごとと感じるのもしかたない、とみな怒るでもなくお会計をして店を出ようとしたが、そのとき店長が続けて言った言葉で立てかけた膝を戻した。
「ですが、私どもではご用意できないワインでもあり、事情もそういうことであれば、グラスをお出ししましょう。お代はいただきません。チェーン店のマニュアルにはない私の一存ですので。
先ほどの気のいいバイトの女の子が店長の指示でビールグラスを余分に出してくれた。コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。
それで店長に感謝しつつ盛大に開けてにぎやかに乾杯をして、一本のワインを七人でちょっとずつ味見していたわけだ。
お客さんは私たちしかいなかったし、閉店まであと二時間という感じであったので皆の声が途切れたときに、厨房からバイトの女の子に語りかける店長の声が漏れ聞こえてきた。
「なあ、酒の持ち込みできる店はやっぱり好感度高いかな?」
「そうですねー。でも普通、誰もその店のメニューにあるのと同じお酒持ち込もうとは思わないですよ」
「そうだよな。今のひとたちみたいに、その店になくてしかも特別な意味のあるお酒とかだろうな。だったら、あらかじめ電話をもらってその酒の銘柄を聞いたうえでOkして、持ち込み料もらう…うん、次のブロック会議で提案してみよう」
頭の回る店長である。だが私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を 持っているということがわかるほどの人生経験は積んでいなくてもしかたのない年恰好である。
お会計をして店を出ようとしたとき、店長がこっそりと声をかけてきた。
「チェーン店のルールにはずれたことですので、今回かぎりということで他の方にはご内密にお願いします」
「もちろんです」と答えながら、バッグを探って名刺を出した。
「お心遣い、本当にありがとうございました。また皆で来させていただきます」
彼の頭の中の作家一覧に私の名前も登録されていたのだろう、びっくりした顔でつかえつかえ彼は言った。
「ご本はかねがね読ませていただいています」
どの本を読んだかと聞いてその言葉が本当であるかお世辞であるかを確かめるような無粋なまねはせずに「それは、どうも」とだけ答えて私は店を出た。
ほろ酔いの頬に夜風が涼しかった。】
―こんなのが読みたかったんですがね。
三次元なんか糞!それより二次元のほうが、あーでこーで、自分にとって都合いいから好きだ、ってさ
お前ら、二次元ナメんじゃねーよ
んな生半可な気持ちで二次元の嫁を持とうだなんざ100年早いんだよ!!!
しかもそういう奴に限って、三次元では浮気女をビッチと呼び忌み嫌う癖に、二次元では都合よくたくさんの嫁を持とうとする。馬鹿か?二次元ナメてんじゃねーぞ。
結局、三次元より二次元の方がいいとかいって、三次元と二次元比べて都合いいから逃げてくるような奴っていうのは、逆説的だがそれだけ三次元に固執してるんだよ。本当は三次元で果たしたかったけど果たせなかったからそうやって足で砂かけて二次元に逃げるようなことすんだろが。でも二次元はお前らの逃げ場じゃねーんだよ!二次元キャラはお前らの逃げ場じゃねーの!
比較してる時点でもう純粋な愛でもなんでもないだろ!何が純愛だ、ボケが。次元なんて元より関係ないだろ!二次元キャラだろうがなんだろうが好きだから好きなんだよ!!お前らのは結局打算じゃねーか。傷ついた僕を黙って癒してくれるからっていう、都合いいダッチワイフとして二次元を求めてるだけの、それの何が純愛だ、ふざけんじゃねーよ、それで二次元嫁がどうのこうのよくいえたもんだ、お前らに二次元を愛する資格なんざねーよ!
電波男なんて一時期はやったけどあんなもん読んで感銘受けてる奴は紛れもなく馬鹿だ。あの作者は自分の過去が悲惨だからってのを免罪符に、三次元を叩きに叩いて、二次元に逃げて、そんな「逃げ」を純愛とか呼んでる紛れも無いアホ!そして二次元では浮気し放題と来た、どこがそれの純愛だァ?お前らなんて結局同じだよ!忌み嫌ってる三次元の恋愛至上主義者たちと何も変わりやしない!そんなに三次元で報われたかった思いなら、そんなに三次元に固執してるなら大人しくそっちに住んでろ!逃避場所として、お前等の叶えられなかった思いを吐き出すためのゴミ箱として二次元を使うな!
何が純愛だマジで、打算だらけ、結局は自己哀憐、結局自分が大好きなだけだ、二次元なんて自分を写してるだけじゃねーか
二次元を本気で一生愛しぬく覚悟をナメてんじゃねーよ
あのキャラがただ好きだと、触れないし聞こえないし何もどうにもできやしないけどそれでも一生かけてただ愛する覚悟が、逃避したお前らにあるのかよ!?
「二次元の方がいい」とかしたり顔でいってんじゃねーよ!何がいいだ、比較してこっちの方がマシだからって逃げてくるな!キャラが非処女だったり過去に恋人いたりしたら投げ出すような奴らは二次元の嫁を持つ資格なんざねーよ!大体嫁とか図々しいんだよ!俺たちはただ愛するのみ、それしかできないんだ、嫁なんて、彼女の、キャラの意思をてんで無視した言葉じゃねーか、お前ら大体そんな素敵な二次元キャラがお前らを愛してくれるとでも思ってるのか!?俺は正直俺なんて無理だと思ってるよ、それでも見返りなくても愛するんだよそれが好きってやつだろーが、俺たちはひたすら一方的に愛することしかできない、それでもいいやつだけ二次元道にはいってこいよ、都合よく彼女の意思を捏造して嫁にしたつもりのやつなんて糞以下だ
三次元より二次元の方がいいとかお前らが言ったところで彼女が、キャラ側がお前らをいいと言うかなんてわからないっつーか大抵無理だろーが!その時点で相手の意思丸無視、意思なんてないことになってる、そんなものは次元関係なく人間じゃない、いや人間扱いしてないってことだ、人間扱いしてないものを好きだというのは結局物を好きだっつってるだけ
愛してなんかいないんだよ!!!コンビニで肉まん買ってるのと同じなんだお前等の二次元嫁がどうこうってのは
本当ふざけんな!!!!!!
二次元ナメるんじゃねーよ!!!!!!!
お前らが愛してるのはあのキャラじゃねーよ!!お前らが好きなのは醜い自分自身だけだ!!!!!
二次元を都合よく三次元の批判に使うんじゃねえ!!!!!!!!!!!!
彼女を利用してでもしないと三次元世界に文句の一つも言えねえのか!!??
失恋?こっちは伝える事すら出来ねーんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
物凄く苦しいがどうしようもないんだ好きだから、
二次元は逃避場所どころかとてつもなく苦しい場所なんだ、
それを分かっていない奴が多すぎる
少し前、これまでに会ったことのないタイプの人と知り合った。ぶっちゃけ自分はその人のことが大嫌いな気がしている。その人は、人当たりは悪くないし、見た目だってそこそこいい方だ。他人に気を遣うこともできるし、下品ではないし素行も悪くない。だが、
教養はなく、
感情的で、
語るべき何物をも持たず、
努力をせず、
自分を磨かず、
危機感を持たず、
成し遂げた事も何もなく、
モラルも乏しく、
目の前にある快楽を追い求め、
テレビの話を鵜呑みにしている、
毎日ダラダラしつつも「○○しないとな~、そうだ、一緒にやろーよー」と他力本願で何一つ実行に移さずに、ただひたすら自分を甘やかし続けている。この人を私の中では、意志が弱い人だと認識している。私は内心その人をとんでもなく見下しているというのが本当のところだ。その人は一応は高卒よりも高い学歴を持っているのだが、一体どういう教育を受けたらこんな思考回路になるのかと本気で理解に苦しんでいる。学生時代があったのなら、少しぐらいは何かものを考えたこともあるんじゃないのか。
だがそこで同時に思う。
「努力し、自分を磨き、より価値ある存在へと自分を高めてゆける、社会に生きる立派なヒト」
というのはとて右肩上がり至上主義的であって、それは安全な環境で、周囲に味方もいるような、とても幸運な一部の人間だけが持つに至る、ごくごく限られた世界での価値観なのかもしれない。
悲惨で過酷で、自分を粗末に扱うことが異常だとも思わない世界で生きてきた人や、
物質的には恵まれているけれどもそうした価値観を持たない環境に育った人や、
生まれつきそういう思考回路を持たない人たちにとっては、
それは単に説教臭くてうるさくてメンドクサイ戯言でしかないのかもしれない。
五体満足であるにも関わらず労働市場における商品価値が低いままでいるとか、
頑張れば何か活かせる能力が無いとも限らないのに一切何もしないとか、
趣味や打ち込んでいることが何もなくて世間話以外の会話ができない&その自覚がないとか、
それらは罪ではなくて、非難されるようなことでもなくて、本当はそれでも全然OKなのかもしれないと思った。
むしろそれが生き物の普通の姿であって、
人間様だけがトクベツだから犬畜生とは違って右肩上がる素晴らしい俺様たち!
理性!
知性!
教養!
という具合に、軍隊とは違うものの、似た形で刷り込まれてしまっていたのかもしれない。そのルールに従わなければ、意志が弱い、使えない、ゴミクズであり、さっさと○ぬべきだとか言われても仕方が無いのだと思っていた。また、これまで自分の周りには自分と似たような経歴や思想や倫理観を持った人間しかいなかったためにそれに疑問を持つこともなかったのだろう。誰もが頑張るとかやらなくちゃとか自分をコントロールするように、非常に強く内面化されているらしい。意志の弱い人を例の人を見るにつけ、私の中で虫唾が走るようなひどい嫌悪感が湧き出てくる。そして逆に、そうした偏見を持ち人を蔑視する自分自身を責めてしまう。いい年なのに、とても厨二病的な葛藤が生まれている。(←この「いい年なのに」も思考停止?)
どうしたらいいのかって、自分が持っている偏見を意識し、感情を抑えて向き合ってゆくしかないだろう。相手が変わることなどないのだから。
ああとても苦しい。
どうもあたしの書いたことが一般論化されたり歪曲されたりしている気がするので、書いてもいいかなあ?
まず、この話は特定のシチュエーションで考えて欲しいわけ。
まあ、スカスカだったわけ。だったらちょっと我侭言わせてもらってもいいかしらと思ったのよ。
他のお客さんもいっぱいいるようなところで自分たちだけ特別扱いしてくれなんて言ってないし、言わない。
そこまで配慮の無い人間ではないと思ってるの。
コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。
友達の店はもう閉まってたの。だからそっちには移動できなかった。
あたしが主催したら、チェーン店じゃ無いこじんまりしたところを探すんだけど、この時はたまたま他がなかったのよねー。
私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、
みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。
どうもこれが上から目線で気に入らないって受け取られてるみたいだけど、事実よ?
客商売だったら葱しょってる鴨は逃がさないでしょ。追っ払わないでしょ?だって金づるよ?
読んでる人からすると「なにその上から目線」って感じだけど、上とか下とかじゃやないの。
客としてどうなのかってこと。それだけよ?
店の人がそこまで大ごとと感じるならまあしかたない、とみな怒るでもなくお会計をして店を出た。
そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。
ね、おとなしいもんでしょ?そこで暴れたわけじゃないわよ。店長に無理強いしたわけでもないの。
あたし達はお店にも店長にも何も言ってないし、あたしは店名を出してもいない。
たまたまその店の店長がちょっと惜しいなあ、と思ったから、書いた。
人材こそが宝であり、客も人間。そのことがわかっていないで無難に無難に中間を行こうとしてみんな失敗するのだ。
それで、口をそろえて言うのは「不況だから」「遅くまで飲む人が減ったから」「もっと自然食をうちだしたおつまみにしてみたら」
「コンセプトを変えてみたら」「場所はいいのにお客さんがつかない」などなどである。
これはチェーン店に総じてこんなことになってそうだなあ、と思ったことだからあたしなりの一般化ね。
人材こそが宝であり、客も人間。これが文章のコアなんだけど、どうもここは読んでもらえないみたいね。反省。寂しいわね。
いっしょにいた三十四歳の男の子が「まあ、当然といえば当然か」とつぶやいたのが気になった。
そうか、この世代はもうそういうことに慣れているんだなあ、と思ったのだ。いいときの日本を知らないんだなあ。
たくさんの増田さんたちや、ブクマで言われていたように、チェーン店なんてそんなもんで、過度の期待をする方が間違ってる、
雇われ店長に熱意なんか求めるな、臨機応変という名の例外は規律を乱すだけで会社全体で見れば損失、などなど。
どれも同じように感じるわ。交流を求めない、規範からは外れない、全体の為に個性は殺して当然、みたいなことね。
これがとても気持ち悪いのよ。誰の顔も見えてこない。主張のある人なんていない。
既存のシステムとその内部からしか外を見ない。例外はありえない。
だいだいね、物書きの本音は最後の3行ぐらいにぽろっと出てるわけ。
今の日本は穏やかな思いやりなんて通用しない、一期一会の客との邂逅を楽しめる店長もいないし、
思いがけないサービスにはっとさせられるような脚としての経験も無い。
寂しいはなしよねえ、ってのが本音。
それから、どこをどう読むとあたしのことを特別扱いしなかった店長は死ね、見たいな受け取りかたになるのかしらね、
そういう人たちの気持ちには興味があるわ。どこをどう読んだのか、だけでもいいわ。教えて欲しい。
さて、以上です。
お騒がせしてすいませんでした。
でもまた騒がせるけどね、きっと。
だって黙ってられないんだもん。おもったことは書くわよ。
8月15日0:54追記
タケルンバさんも来たわー。うれしい。
http://anond.hatelabo.jp/20090814015200
料理に合うワインを出すような店は高いんじゃないのか?知らんけど。
上司や接待出くわされる飯が不満ならそれとなしにそう言えば?彼らと不倫してるわけじゃないんだろ?少なくとも、ムードを出す義務がないじゃん。
おいしい店ってだけなら「ぐるナビで探してくる!」とかできるけど、さらにおしゃれな店って言われると、
俺の母は特別美人でもブスでもなく浮気もしてない普通の主婦なんだが
美大卒のせいか人の顔や身体を造形的に採点するのが大好きなで
勿論身近な人にそんなことやらんが、
「世の中の人間の95%は美醜を冷静に見分けておらん」というのが持論で
例えば山口智子が人気あったときも山口智子の造形的欠陥をたびたび論じていた
山口智子の立体性のないゴロンとした平らな顔を嫌っていた
「顔の土台や頭の形がどれだけ悪くても、ちょっと目が大きいとかちょっと流行で人気があれば『美人』」
「まん丸な目やまん丸な顔ばかりが好まれて、切れ長な美しい目や立体的でナカ高な顔なんかは全然理解できない(世間の奴らは)」
なんてことをしょっちゅう言ってて
「わかってない見る目のない人間はしばしば姉の方が美人だというが、目の印象ぐらいしかわからんからであろう」
「顔の土台からまるっきりまおちゃんの方が美人」とよく言ってる
「足がとてもまっすぐで綺麗で驚いた、あんな日本人なかなかいない」とか
すぐそういう見方のコメントになる
で、息子の俺もそういう影響と絵を描くようになった関係から
人を見るたびに造形的に鑑定して腰が低いなとか高いなとか
きたねえラインの足だなとかすごくいい頭蓋骨だなとか
下手な女性以上に細かく観察・採点してしまっています もう抜きがたい癖です
結論として何が言いたいのかというと
母譲りの自分の鑑定眼への自信と選民意識からこれを言うのですが
あなたのこだわってる「美人の基準」は本当~~~~に確かかなあ?
大抵の、95%以上の凡夫の言う「美人」て美人でもなんでもない、表層や気分に騙された意見だからさ
あなたはその基準に苦しんでるようだから尚更それが気になるのよね
ん?よくわからん。
仮定ですって前提つけりゃ理不尽に誰か攻撃してもいいってわけじゃないだろうよ。
この場合の「誰か」は仮定が正しいときのみ存在するわけで、仮定が正しくなかったら存在しないわけだ。
「仮定ですという前提」をつけたから攻撃してよくなったわけではなくて、攻撃対象を特定するために仮定が必要だっただけ。
「攻撃していいかどうか」は仮定の有無とは無関係でしょ。
これはロジックが同一じゃないと思うが。
もともとの話は「ばなな(本人)」、「バナナプレイヤー(本人の価値判断をする人)」、「第三者(俺)」がいて、「第三者」は「バナナプレイヤー」の価値判断しか見れない、という点がポイントかと思う。
増田の挙げた例は「本人」、「価値判断をする人」の二者しかいないわけだ。だから正しくは
A「増田のやつはどうしようもないクズでどんな犯罪でも平気でやるらしい」
B「もしそれが本当なら最低の人間だな」
となって、増田(俺)はBの発言を許容するかどうか、という話になると思う。
でもって俺はBの発言なら許容する。別に何も問題ないだろう。Bは。
価値判断をする人と攻撃をする人が同一人物であるような君の例は、かなり意味合いが異なると思う。
「どの程度まで推測できるか」ってのは、今の例で言うとAの発言の正しさ(事前確率)だから、Bの発言の正しさP(B=true|A)に関係してくる。
でも俺は自分の発言が正しいだなんて一言も言ってないし、正しさの高さ(低さ)には興味ないのよ。
自分は研究者ではなく実践者だと周りにはいつも言っているんですが、それでも論文審査なんかに担ぎ出されてしまうことがよくあります。ちょっと断れない相手からだったのでここのところお付き合いしているのは、論文に加えて面接試験も。
そこで思ったのが、素人に自分の専門分野を説明する方法を知らない人が多いということです。
私も、人文系ならまだ畑違いでもだいたいの方向は分かるのですが、理系の、しかも化学とかバイオになると、もう全然分かりません。申請者たちは、面接を突破するにはこのズブの素人に自分の研究の価値を分からせなければならないのですが、それに成功できる人が本当に少ないんですよね。
価値が分からないことの大きな理由は、彼らの言う「こんなすごいこと」が理解できないからです。「この研究に成功すればナンチャラホンチャラな物質がホゲホゲ反応を起こすようになるんですよ!」なんて誇らしげに言われても、そのナンチャラホンチャラもホゲホゲも理解できないんだからしょうがない。
今日面接した一人も、そんな感じで話が進んでいました。「もう、聞いてもワケワカラン」というのが本音ですが、そんな顔をしたら失礼ですから真面目には聞きます。
「ふーん。それで、そのホゲホゲ反応はどんな応用ができるんですか」
「それがすごいんですよ。ホゲホゲ反応を、ピロピロパラパラな物質に応用するとトントコチャンチャカな物質ができるんです。すごいですよね!」
「ふーん。それで、そのトントコチャンチャカな物質は、どんな応用が(以下略)」
というような応答が何度かあり、「結局、何の役にも立たないのか?」という疑念がほぼ真実であると認定されようとしたとき、彼が一言ぼそっといいました。
「まあ、要するに石油が作れるわけです」
「なんだって!」とその場にいた面接官は私も含めて同時に叫びました。
「いえ、石油を作るには私の研究だけでは不十分です。石油を作るには、さきほどもご説明したとおり、ホゲホゲ反応をピロピロパラパラな物質に応用して、トントコチャンチャカな物質を生成したり、それをペコポコパコピコな物質(中略)するような工程が必要です」
その受験者は、「何でそんな当たり前のことを聞くのか」と訝しげな眼でこちらを見ていました。でもね、あなたにとっては「当たり前なこと」が、普通の人にはわからないんですよ。普通の人に分かるようにするには、それが最終的にどう応用されて、その面接官の暮らしがどのように向上するのかを具体的に説明しなければなりません。
たとえば、寿命が三年延びるとか、煙草を吸ってもガンにならないとか、せめて消しゴムのカスが少なくなるとか、そういうレベルでもいいので、具体的な応用例を教えて欲しいんです。
ま、そりゃ分かりますよ。基礎研究とかだったら、具体的にどう役立つのかなんて説明しにくいってことぐらいは。でも、しょうがないんですよ。面接官がいつも必ず自分の研究テーマに関心を持ってくれるなんてことはありえません。私だって自分からお願いしてカーボンナノチューブの作り方とかグルコミン塩の反応の変化とか聞いてるわけじゃないんです。
どうしようもない事実として、申請者たちは理解して欲しい。残念ながら、そういうズブの素人があなたの研究計画の価値を判断しなくてはならないことは、往々にしてあるのです。それは私だって変えられないし、ましてや申請する側には絶対に変えられる事態ではありません。だから、事実として、まず受け入れて欲しいんです。研修者が読む論文に書く形そのままでは、研究資金はもらえないんだってことを。
そういう場合に注意して欲しいことは、それが何の役に立つのか、ということ。そして、それをできるだけ具体的に、生活に結びついた形で表現できるようになるということ。
ま、石油が作れるといったって、それが石油以下のコストで作れるのかとか、そもそもその他に必要な研究も進展するのかとか、そういういくつもの問題をクリアして、初めて実用になるんですけどね、でも、「石油を作る」という方向性も分からないまま、ホゲホゲ反応ができるということだけで資金を提供できる人はなかなかいないんじゃないかな、と思うわけですよ。
言い換えると、役に立たない研究なんかしなくてもいいんじゃないか、というのが研究者ではない社会の受け取りなんです。
増田さんたちにはいつもお世話になっているので、今日は皆さんのお役に立てるように、一つだけアドバイスしてみました。皆さんの研究資金確保に役立ってくれることを祈っています。
それ店員泣き寝入りでは....(´・ω・)カワイソス
「基本持ち込み無理です。どうしても持ち込みたい場合、持ち込み料として1本5,000円払ってください。」
ぐらいの提案して
金払ったら、その持ち込みワインに店が持ち込みを認めた印をつければよいかなと思った。
他の客も5,000円払ってまで持ち込みする奴はなかなかいないだろうし、持ち込んだとしても売り上げ落ちない。
「そんなの持ち込む方が悪いんだろ。m9(^Д^)プギャー」
で終了。
追記:
ここまで書いて大元の記事読み直したら、吉本ばなな持ちこみ料払う提案していた。。。
店長、普通の客がちょっと払うのためらいそうな持込料を吉本ばななに請求しとけば
まるく収まったのかなと思えてきた。
歩道のない道で車を運転していて、自転車を追い抜くとき、自転車の人がこちらを振り向いたりして確認してくれることはほとんどない。
気配は察しているのかいないのか、なんとなーく減速してなんとなーく左に寄るようなふるまいを見せる人はいる。ただし後ろの自動車になんらかの「私はあなたを認識している」サインを送る人は本当に少ない。
ドライバーと目が合うのが恐いのか。
物騒な事件が多い昨今、そんな気持ちになるのはわからなくもない。
だからといって、後ろの自動車に気づいているかどうかを隠蔽されると、追い抜く車のドライバーは本当に不安になる。
「自動車がぶつかってきても、こっちは自転車だから責はない、勝手によけてくれ」という考えなのか。
しかしもし責任を負わないとしても、車に当てられてケガをするのは自転車に乗っているあなたであって、たいていの人はケガをするよりしないほうを好むだろう。
当たられどころが悪ければ死んじゃうかもしれないのに。後ろを確認しなかったことが一因となって、自分を死なせてしまうかもしれないのに。
たとえば背後に迫る車が怪しく蛇行運転をしていても、後方確認をしなければ気づけない。それで死ぬなんてばかばかしいと思わないのだろうか。
高校卒業するまで自転車に乗れなかった(自転車教習合宿で乗れるようになったという)知人は、「自転車の運転が下手だから、後ろを向くとバランスを崩して倒れるかもしれない」などと言う。
そういう人は自転車にミラーをつけるか、またはそもそも自転車に乗らないでほしいと思う。
お互いの安全のために。
ちょっと話したいことがあるから会わない?と誘われた先日。頻繁というほどでもないけど、一ヶ月に一度は飲みに集まってる友だちだったので二つ返事でOKした。喫茶店で落ち合い、このところのことなどひとしきり話したところで、「ところであんた、月末何か予定あるの? 実は私、応援してる政党があってね。」と。
出たな学会員!というのが、その瞬間の正直な感想。まさかこの発言から、別の政党がくるとは思ってない(あっても幸福実現党か、共産党だろう)。案の定「公明党なんだけど。」と。その子は以前私がファッキン創価学会!と発言した時に「創価にもいい子いるんだよ、友だちにいるけど。」と言ってたので、グレーなのかなとは思っていた。政教分離の原則をガン無視してるとことか、しつこすぎる勧誘、F票集め(以上二点はこれまでに遭遇したことないけれども)、芸能関係にはびこるお遊戯会状態に反感を抱いているので、私は学会嫌いを公言してはばからない。
この時点では完全に彼女の話を聴く気が失せてしまった。というか、これからこの子とどう付き合っていこうかと考えていた。繊細で、思いやりのあるいい子だ。共通の趣味でよく盛り上がるし、年下の私になついてくるのがとても可愛い子だ。距離を離すか、フェードアウトか、カットアウトか。沈黙とともに態度を決めかねていた私に、彼女は熱心に、公明党がどんなことをこれまでに実現させてきたのかを語った。「こんなことを考えている公明党を、私は応援したい。だからあんたにも、投票してくれとは言わないけれど、偏見やマスコミの報道だとかに惑わされないで、ただ知ってほしいんだ。」と、続ける。ゴリ押しされると思ってた私は、若干拍子抜けした。「考えてみるわ。」と、曖昧な返事をしてしまったチキンな私に、彼女は嬉しそうだった。
それからしばらく、宗教の話をした。私は宗教と神様は、人が幸福になるために人が生み出したものだと思っている。そして神は押しつけられるものではなく、自分で見出すものだ。ので、「布教される」ことに対して私は否定的でいる。もちろん布教活動ってのは、「こんなにも自分を幸せにしてくれたこれに参加してもらうことで、あなたにも幸せになってもらいたい!」っていう純粋な願いが根本にあってのものだ、というのは理解しているけれども。だって私は私であり、あなたはあなたなのだ。私はもう、音楽っていう神様を見つけてしまっている(個人的に、音楽というのはたくさんの神様を抱いた多神教だと思っている)。あなたが学会という信仰を持っていることは否定しない。ただ、そうなんだね、と思うだけ。県民の友だちが先日の都議選で、「都民の友だちに公明党に入れてくれるようお願いして」「何区の人が何人いれてくれた?」とお願いメールを山のように受けてうんざりしていた。もしあんたがそんなふうにゴリ押ししてくるようだったら、友だちを止めようと思った。けれども、考えて欲しいとだけ言うのでびっくりした。考えるだけの私をそのまま認めてくれたので嬉しかった。これからも友だち付き合いを続けていきたい。
というようなことを話した私に、彼女は、あんたが受け入れてくれてよかった。本当は今日、こうして話をするのはとても怖かった、と、言った。日本では信仰を持つというのは、それだけで差別を受けかねない。あんた(私)が、そういう考えを話してくれる人でよかった。私は私、あなたはあなたっていうあんたの姿勢を、私も否定しない。考えてくれる、ただそれだけでいい。
きっと彼女の周りには、第三者視点で見ても善良な活動をしている学会員しかいないのだろう。ネットでよく語られる、狂信的な人々はいないんだろう。だから、柔らかい姿勢のままでいられる。
私の返答は、正直ではなかったかもしれない。卑怯な部分が多分にあったかもしれない。けれどもなんだか彼女と前より少しわかりあえた気がして、嬉しかったのだ。
しかし彼女は、世間的に思われている学会の姿や、彼女が言う「一部の人たち」(私の言う狂信的な人たち)がどれだけの数いるか知っているんだろうか。何故信仰しているんだろうか。音楽業界で働いていたあなたは、学会ネットワークで決まってしまう仕事がたくさんあることについてどう考えているのか。その辺りを避けて会話してしまったのが心残りなので、いつかまた話し合えたらいいと思う。
「スケベはモテない」って聞いてきたんだ、何度も。
聞いたっていうか、主に漫画とかアニメとかフィクションでよく見たのかもな。
学園漫画でさ、池沼寸前みたいな漫画特有アクティブスケベ男が「○○って最低!」とか言われてて。
ムッツリスケベ男も何かでスケベ性がばれてやっぱり「○○キモ!」と言われてて。
とにかく、スケベなのはモテないし格好悪いし人間としてダメだなあって学習した。
それで思春期からいつしか、スケベ性や性欲を完全に隠蔽するようになった。
我ながらよく出来た、息をするような自然な隠蔽。
たまーに下ネタ的なこと言ってもむしろ「そういうことも言えるんだ!?」みたいな扱い。
振る舞いって言うのは習慣にすると負担無く出来るようになる。
あと、そういう作った人格がちょっと本当に癒着して貼り付いてくる。
具体的に言うと、家ではオナニーしてても一歩外に出るとそういう欲望が全然無くなるっていうか。
一人で居るとエロ妄想とか出来るんだけど人と一緒に居るとピタッと収まる。
所蔵エログッズの話になっても「○○君は逆に持ってたら見直す」と女の子に言われたりする。
むしろそういうこと言われるとこっちが驚いて、
「え?普通にエロ本持ってるのにな、なんでこんなこと言われてるんだろう」
「あ、そうかそういう振る舞いをしてるんだったっけ」
と思い出すような感じ。勿論そこで「エロ本持ってるよ」と正直に言ったりはしない。
でもちょっと不思議に思って、
殊更「ボクは女の子に興味ないノデ!」みたいなアピールをした覚えは無いし、普通に溶け込んでるつもりだし、
自己イメージとしては「ガツガツした性欲のない男」ぐらいを意識していた筈だし
「変わった男」ではなく「みっともなくない男」が目標だった筈だし。
何故ちょっと仲良い女の子に不能者みたいなイメージで定着してるんだろう?ふしぎ!ってようやく気付いて。
折を見てちょくちょくと聞くようにしたら驚きの答えが返ってきた。
女の子は普通に話をしてるだけでも男の性欲とか感じることがあるんだって。
会話の間とか視線とか。(ホンマかいな?) 男がマナーとして隠してても。
でも俺からそういうのを感じたことが一度も無いんだって。だからホモか不能だって。
あと、二人でご飯食べに行ったことある子が「あれは不能」的な話をしてたらしい。
ちょっといいご飯を奢りで食べに行って楽しく話をして帰りになんか服をつままれたりした以上の思い出がないのに。
つまり結論として何が言いたいかって言うと
性欲を見せないようにしてたらモテたり一目置かれたりするどころか
変な奴として勇名を馳せてただけだったよって言う。
あとこれやってる限り対人的な性欲や感度が0になるので
生身の女性と付き合ったりとか一生ないなって。
でも、息をするようにやってたから自分が仮面被ってることも忘れるし、癒着してて取れないし。
なにより、今更性欲オープンにしようとしても出来ない自分に気が付いた。
2009年8月6日。エンドレスエイトは、7週間ほぼ同内容の物語を放送し、そして8回目にしてようやくの終わりを見せた。
視聴者の思いはさまざまであろう。あるものはその終わりにカタルシスを覚え、あるものは8週間かけてこれか、と憤っている。
あるものはなんだかんだ終わって寂しいという思いを抱いている。
しかし彼らに共通しているのは、「やっと終わった」。その安堵感だった。
ところが。ところが、だ。
その2009年8月27日。何が起きたと思う。何が起きたと思う?
NHKが涼宮ハルヒの再放送をはじめた。木曜日の25:30。第1話からの放映なら、涼宮ハルヒの憂鬱ほどの人気アニメならば、
まかりまちがって、なにやら奇跡めいた出来事や、真っ黒な裏事情のようなものがあってこのような顛末になったのかもしれない。
だが違った。とても大人の裏事情だとか、奇跡なんて言葉では片付けられない悪意がはびこっていた。
NHKは、「エンドレスエイト」の最初のエピソードから放映しはじめたのだ。
NHKのエンドレスエイトは、そのまま8週間かけて終わりを迎えた。
ネットでは「NHKの奇行」、「NHKはじまったな」、「NHKおわったな」なんてありきたりな形容をされた。
ところがだ。NHKはおわってなんかいなかった。翌週、またエンドレスエイトを最初のエピソードから放映しはじめた。
そして呼応するように、テレビ埼玉が再び涼宮ハルヒの憂鬱を再放送しはじめた。
どのエピソードかっていうのはいわなくても分かるだろう。
「エンドレスエイト現象」とでも呼ぶべきその事象は、瞬く間に広まった。
NHK教育。日本テレビ。フジテレビ。TBS。テレビ朝日。どれも例外ではなかった。
はじめは木曜日の25:30から、30分枠だった。それが1時間枠となり、別の曜日にも広まり、どのテレビ局も深夜帯は涼宮ハルヒの憂鬱しか放映されなくなった。
京都アニメーションは更なる攻勢にでてきた。「エンドレスエイト、新作発表」。
いつ作っていたのやら、エンドレスエイトを新たに作り直していた。内容? ご存知の通りだ。
ネット上でテレビ東京の数々の逸話を聞いたことがある人は多いと思う。
そう、他のテレビ局がジワジワと侵攻を許すなか、テレビ東京だけは決してその領域を踏み越えさせることはなかった。
日が経つごとに電波はエンドレスエイトにジャックされていった。2010年8月、NHKはエンドレスエイトしか放映しなくなった。
9月、10月。テレビ東京以外の放送局は全て、エンドレスエイトしか放映しないような有様になった。
しかし、それでも、テレビ東京は戦い続けた。
新作アニメは常にテレビ東京で放映されていた。それしか残る枠はないのだから、当然のことだ。
アニメオタクの最後の聖域として、テレビ東京は在り続けようとしていた。
その均衡が崩れる瞬間は、意外とあっけなかった。「エンドレスエイト劇場版 三部作公開決定。第1作は12月末上映。」
11月に入り、たちまち流れたニュース。その翌日からテレビ東京は完全にジャックされた。
本当に一瞬の出来事だった。その日、日本のアニメーションは完全に終末を迎えたといっても良かった。
――クリスマス。かつてはアニメオタクだった俺も、エンドレスエイトが日本を席巻しはじめてからというもの、
まるで憑き物でも落ちたかのように所謂オタク趣味が消えていった。
いまでは女の子とも普通に会話できるようになったし、先週ついに彼女もできた。
「おまたせっ!」
「おまっ、おっせーよ何分待たせんだよ」
「ごめんごめん、ほらっいこうよ」
彼女との2回目のデート。コンドームの準備はできてる。今日童貞を捨てる。ホテル、ホテル、ホテル。
手をつなぐだけで、俺の男の部分はいきり立っていた。だめだ、落ち着け! 落ち着け! 落ち着け!
「kきょ、今日は行きたいところあるっていってたけど、どこ?」
「見たい映画があるんだけど。前、アニメ好きだったって言ってたよね?」
アニメが好きだって言ってた。いつの話だよ
エンドレスエイト劇場版はごく普通に始まった。何度も見た。本当に何度も見てるものだ。
彼女だって何度も見てるはずだ。飽きないのか? 洗脳でもされてるのか?
なぜ楽しそうに眺めてられるんだ、こんな茶番。
俺の考えに呼応したかのように叫び声が響いた。
「君達もそう思うだろう! こんな茶番を見せ付けておいて許されるはずがないのさ、京都アニメーション!」
その立ち姿。気づいた。見覚えがあった。
「ほう、私をご存知とは、光栄だな。どうだ、こんな茶番見てて楽しいかい?」
俺の、オタクとしての、最後の矜持がうずいた。
「これっぽっちも、おもしろくねえ!」
「そうだろうそうだろう! 実にくだらないよなあ!」
指同士を叩く。パチンッ、ドーン!バーン!
「スクリーンが壊れた……すごい!」
「君……私は京都を叩く! 君も来るかね」
「京都ですって!? し、しかしいくら山本監督といえども、いまや魔都と化した京都へ乗り込むのは……」
「そう、確かに危険だ。私ひとりではね……」
「山本君一人にいかせるわけにはいかんだろう」
「何も京都に憤りを感じていたのは、彼だけではないからね」
「俺達が力をあわせれば百人力よ!」
「AIRでの借り、変えさせてもらうほかない」
「……(コクッ」
「さあ君も、私達と一緒に京都を討とう!」
「はい!」
そして8年が過ぎた。京都へ放たれたミサイルが要因で始まったWW3は、2018年を持って終戦となった。
日本国の若きリーダーとして獅子奮迅の活躍を見せた山本寛、多くの人たちは、死ぬ間際まで彼の名を忘れることはなかった。
エンドレスエイト、完
若い男女が集まっている同期の飲み会で当然のように(?)彼氏彼女の話題になった。
女子は4人中2人が可愛い方で、当然のように彼氏がいるようだった。
残り2人のうちの百貫デヴは、ひとなつっこい良い人だがやはりというかなんと言うか彼氏はいなかった。
もう1人の無口な歌丸みたいな人は、しゃべらないので、いるのかいないのかわからなかった。
男子の方には、かっこいい奴とかファッショナブルな奴もいるのだが、
なぜかその時は誰にも彼女がいないとのことだった。
俺以外は。
しかし、俺が彼女がいることを口にすると、
百貫デヴさんが、
とびっくりして、他の人らにも、同意を求めていた。積極的に同意する人もいないが、特に否定する人もいない雰囲気だった。
つまり、常識的な人間だからそんな風に目の前の人を蔑む話には面と向かって同意はできないが、
言ってる内容自体には頷けないこともない、みたいな、そんな感じでみな目を泳がせていた。
(ちなみに百貫デヴさんは、そういうツッコミキャラだったから別に悪印象や空気が凍ったりはしなかった。ダウンタウンの浜田が俺にツッコんだようなイメージで捉えてもらえればいい)
俺自身、自分がそんなに風采があがる方だとは思ってなかったが、やはりここで
『ああ・・・俺はやっぱり「いない側」の人間に見えるんだな』
と確認させられた。
その後も百貫デヴさんは、
「○○君(←かっこいい奴)に彼女がいないのに、増田君にいるなんて信じられない・・・普通逆じゃない?」
などと繰り返していた。
「いる」と言ってるのにそこまでいなそうに見えるってどんだけだよとも思ったが、
自分でも百貫デヴさんに「彼氏いる」って言われたら、「もの好きな男もいるなあ」とか思ってしまうだろうので、
苦笑いするのみだった。
(ちなみに俺自身は、中肉中背で顔も平面系なので、(これでもかと言わんばかりのブサメンだから等ではなく)醸し出す雰囲気で「いなそう」なんだろう。それはわかる。彼女だって初めてのだし、ずっと「いなそう」側の奴らとばかりつるんでたから。要は、地味で、ダサいんだろう。誰が見てものブサメンだったら百貫デヴさんもさすがにツッコめなかったと思う。人種差別みたいになるから)
http://anond.hatelabo.jp/20090726030243
なんちゅうか、「彼女がいるか居ないかは人間性のリトマス紙」というのも確かにそうなんだろうけど、
彼女(彼氏)がいてもいなくても、「いなそうに見える人間」「いそうな人間」というのもある。
いてもいなくてもいいから一度は「いそうな人間」に入りたいなあ。
これじゃあ彼女(←普通に何度か彼氏がいた子)と一緒にいても、格差カップルに見られるんだろうなあ。
「もの好きな女もいるなあ」とか、「こんな奴なのに彼女いるんだから、何か目に見えない凄いところがあるに違いない」なんて、ありもしない才能を勘ぐられるんだろうなあ。
> 物凄い勢いで「お前は何も解ってない!!!!」と罵倒された。
どっちの「解っていない」だろう。
→もともとカツカツだった人で、十分な貯金がない人は生きていけない!
プライベートな友人とかいないと、マジで誰とも会わなくなる。話さなくなる。世の中から必要とされてないと感じて自己嫌悪の嵐。
どっちだろうなあ。…まあ、世の中から必要とされてる代替の効かない存在とか、まずありえないんで、てけとーに怠けてればいいんですけどね!うつ病になる人とかクソ真面目だからてけとーに怠けられませんから大変ですね!!
あぁ、なんて書けばいいんだろう?
「前回」はメモに走り書きだったので書いた内容すら覚えていない。
あまり大げさに書いても仕方ないし、箇条書きすぎても悲しい。
まぁ、いつもの日記形式に書こうと思います。
私は死ぬことにしました。
私が10年以上患っている「社会に適応できない病」こと診断名「適応障害」は未だに私を苦しめます。
昨日も仕事に行くことができませんでした。
くりかえしちゃいけない、と何度も頭の中で叫んでも結局行くことができませんでした。
9時25分始業で9時ぎりぎりまで行く行かないの戦いは繰り広げられましたが結局今日も負けました。
次に気がついたときは17時過ぎ。休む連絡もしなく無断欠勤です。
これで3度目の無断欠勤。さすがに病気に理解のある店長ともいえどそろそろクビにすることを考え始めるでしょう。
今の仕事はアルバイトです。責任は前職の正社員よりは薄いですが、社会人であることには変わりありません。
前職クビに言われたときのことを思い出します。
「いくら能力や熱意があっても社会人として当たり前のことができなければ意味がない」
そう、社会人として当たり前のこと、「休まず時間通りに出勤する」という当たり前の行動が意味がないんです。
「使えない人間」はこの厳しい社会の中から淘汰されてしまいます。精神に異常を持った精神病患者もまたいらない存在扱いを受けるご時世です。
社会人としての当たり前ができない精神病患者・・・宇都宮にいたときに株式会社オーエスピーの宇都宮事務所長(2006年当時)に言われた「精神病患者は使えないんだよ!!」のように言われるのがオチです。
これを言った所長がバカ、という説もありますがどこの企業の人間もそう思い、言うでしょう。そうに決まっています。
少なくとも私をクビにした企業はほぼ全てがそうでした。
「心配だから。休んでね」と言うオブラートに包んでは結局退職を促す。次はない。つまり切り捨てるって事じゃないですか。
前回自殺未遂したとき、当時の雇用元の株式会社スタッフサービスエンジニアリング事業部はコンプライアンス事業部の部長を私の元に送り込み退職金の名目で46万円を押しつけてきました。
当時ろくに思考もできない状態だったので言われるがままに書類にサインしましたが、後にその書類を見るとそれはいわゆる手切れ契約でした。
「46万やるからおまえはこの会社から消えろ」
・・・という書面でした。
このように私は結局どこの会社からも、この「社会」からもいらない扱いを受けて捨てられる存在なのです。
たぶんクビになるでしょう。
それなりに能力を評価されていましたが、結局社会人として当たり前の行為ができない以上クビになります。
たぶん今日(7/27)の出勤ができない場合クビになります。店長としてもそうせざる得ないでしょう。
そうなると私はまた無職となります。
携帯電話代やら家にいくらか入金等お金は必要です。ですので仕事を探さなければなりません。
齢31で職歴めちゃくちゃ(本当の履歴を書くと履歴書一枚じゃ足りません)に仕事はあるでしょうか?
ぶっちゃけ職を選べなければある、でしょう。
しかし、行けなければ意味がないんです。またクビになる。
一部の人に言われた障害者枠での就業。それにすがりついて精神障害者手帳を取得しましたが、現実は厳しいです。
障害者は障害者でも身体障害者が主で精神障害者での求人って殆ど無いそうです。
当たり前ですね。企業は「使える」人材を捜すのですから。精神に異常にある人間なんか欲しいわけがありません。
結局、私は社会に見捨てられた存在です。
ゴミです、クズです。
もう疲れました。
必死に職探して何度もお祈りの言葉聞いてみて、何とかは入り込んだ会社では活躍する暇もなく「社会に適応できない病気」が発動、数日で会社に行けなくなってごたごたになって結局クビ。
こんなサイクル、こんな螺旋を繰り返すのに疲れました。
以前、似たような愚痴を書いたときにこれを「負の矛盾螺旋」と書きました。
そして望みました。この螺旋を斬ってくれる存在を。
九字を切った兼定でこの矛盾螺旋を斬ってくれる存在を。
書いておいて何ですがそんな存在はいません。
他人は助けてくれるかもしれないけど、斬るのは自分自身でしかできない。
残念ながら私にはもうこの螺旋を斬る「力」がありません。逆に螺旋に、繰り返されるアホのような事象に疲れはててしまいました。
だから、死ぬことにしました。
私という存在の死によって矛盾を消滅させる。そうすることにしました。
死の方法は前回と同じにする予定です。
場所は自室じゃ全く持って意味がないので別の場所にします。
なるべく家人に迷惑をかけない場所ということで前々から行きたいと思っていた青木が原樹海に行くことにしました。
初夏とはいえ樹海ならまだ寒いでしょうし薄着で大量服薬すれば低体温症で死ねるでしょう。
それでは、さようなら
…とか書き殴って青木ヶ原まで原付行ったのになんで今生きてるんだろうね?
なんで今、ここにいるんだろうね。
不思議だよ。
青木ヶ原まで行ったはいいけど入り口探してるうちに恐くなって涙目。
さらに不安になって事情を知る友人に電話したら涙がぼろぼろこぼれてきた。
「帰りたい、帰りたい」とか情けないこと言ってた。
それから数日して予想通りリサイクルショップはつつがなくクビになり無職となった。
現在絶賛ハローワークで職を探してる。ネットでも少し応募した。
今までと少し変わったのは障害者雇用をメインに据えていくと言うこと。
あと、メンタル系のジョブカウンセラーの人と相談を開始したこと。
今日ジョブカウンセラーの人と話したけど随分ユニークな人物扱いされた。
自分そんなつもり無いけどそんならしい。
「社会に適応できない病」のせいとはいえ何十回も仕事にトライしてはクビになって…という根性は凄いらしい。
後は能力はあるとかそんなこと言ってたけどそれは上手く乗せるためなんだろうけどね。
来月もう何度か話をするけど結局どんな風になるのかは分からない。少なくとも悪い方には行かないだろう。
結局二度目の自殺企画は未遂以前に終わった。
樹海は禍々しさはあれどただの原生林だった。そう、ただの原生林。
色々な所ではなされているような幻想も死への森でもなんでもなかった。
それを知っただけでも今回のアホ騒ぎは個人的にはプラスになっただろう。周囲に多大なる迷惑をかけたけど。
やはり結局はこの螺旋を断ち切るのは自分自身でしか為し得ないんだと思う。
武器も無い、方法も分からない、仲間は…多分いない。
だけど自分でやらなきゃ行けない。自分で突き抜けなければならない
まずは…九字を切った兼定買うところからはじめようか、ねぇ
ワッハ上方の闇2
http://anond.hatelabo.jp/20090731032622
の続き。
http://www.pref.osaka.jp/gikai/discuss/index.html
【 平成14年度会計決算特別委員会-11月20日-07号 】
◆(梅本憲史君) 先ほど文楽に対する思いを両部長を含めて、御堂筋パレードも含めてのお話かもわかりませんが、御意見といいますか御感想みたいなのがあったので、あらかじめちょっとこっちの方についての御感想も最後に聞きたいなと思いながら、事前に通告だけしておこうかなと、こう思っております。
とりわけ、三時前でございますが、先ほど来よりは大分肩の荷をゆっくりとおろして、情緒的な話で終わりますので、ゆっくりとひとつお聞きいただいたら結構だと思っております。
そこで、ワッハ上方の活性化について、まず御質問させていただきます。大阪に根づく文化の振興を図る観点から、ワッハ上方について幾つかの御質問をさせていただきたいと思います。
大阪には、大阪で生まれ育ち、先日、国連教育科学文化機関--ユネスコの世界無形遺産として宣言された人形浄瑠璃、文楽を初め、世界や全国に誇るすばらしい文化が数多くあるのは御案内のとおりでございまして、またその中の落語、漫才や講談といった上方演芸も、その一つに加えさせていただいていいんだろうと思っております。
上方演芸は、大阪の庶民生活に深く根づいた貴重な文化であり、かつて道頓堀に中座など五座が林立し、上方文化の拠点として隆盛を誇ったころは、大阪に活気があったように思います。今、大阪が元気を取り戻し再生するためには、上方演芸など大阪ならではの文化の振興が不可欠であると思いますのは、私のみではないだろうと思います。
その上方演芸の振興拠点として平成八年十一月に設置されたワッハ上方については、本年四月からの条例改正に関する議論を初め、ここのところ毎議会何かと話題になる施設でありまして、生活文化部の平成十四年度歳入歳出決算資料などの提出資料を見ると、歳入が約五千三百万円、歳出が約四億四千六百万円と、四億円近い収支差額がございました。歳出の六七%に当たる約三億円を施設の賃貸借料が占めておるわけでございます。ここ数年の状況を見ても、一定の歳出削減努力というものの形跡は見られるものの、歳入に大きな変化は見られません。
文化振興には一定の費用が当然必要であり、費用面だけをとらまえてその必要性を判断するのは、偏った物の見方であると言わざるを得ないのでありますけれども、四億円に及ぶ収支差を持ったままで施設をこのまま継続することの是非は、やはり議論を尽くす必要があろうと思います。
そこで、大阪府は、そもそもこのワッハ上方の収支をどのように計画をしておられたのか、そしてそれは現実に実現をできたのか、まずお聞きをいたしたいと思います。
◎文化課長(合川正弘君) 設立当初におきます上方演芸資料館--ワッハ上方の収支の経過についての問いでございますので、お答えさせていただきます。
ワッハ上方を計画し、設置いたしました当時といいますのは、バブル経済の崩壊後ということになっておりますけれども、まだまだ各地のさまざまな施設の計画なんかでは、強気の見通しが一般的であったというふうな時期であろうかと思います。当時の資料に当たりますと、施設の賃貸借料と、それから運営に当たります人件費を除きます運営費、これについては、施設の収入ということ、これは入場料の収入、それから施設の貸出料の収入、これで賄おうというふうな考え方を立てておりました。
ワッハ上方は八年の十一月に開設でございますので、平年ベースとなりました、平成九年度の決算で見ますと、収入額といたしましては一億百六十六万円余り、それから支出額で六億一千八百三十二万円余りということで、この支出のうち賃貸借料と人件費を除きます運営費ということになりますと、一億七千百九十六万円余り。これを賄うという収支差でいきますと、七千三十万円余りということでございました。
その同じ数字を十四年度の決算ということで見ますと、収入額で五千三百八万円余り、支出額で四億四千六百七十万円余りでございまして、賃貸借料と人件費を除く運営費ということで見ますと、一億三千七十一万円余りということで、ここの収支差が七千七百六十三万円余りということになりまして、こういった状況につきましては、残念ながら開設以来ほとんど変わっていないということでございます。
◆(梅本憲史君) 施設の賃貸借料と人件費を除く運営費については、施設の加入で賄うという設置当初の目標は達成をできていないということであります。
そこで、運営費に関し、これまで講じてきた収支改善策とその実績をお聞きをいたしたいと思います。また、今年度の状況もあわせて御説明を賜りたいと思います。
◎文化課長(合川正弘君) ワッハ上方の運営費のこれまでの収支の改善策についてお答えいたします。
まず、平成十二年度には、展示室の入場料を大人が八百円でありましたものを四百円にするといったように、半額にするという条例改正を行いました。また、十五年度からは、ホールの使用料に演芸以外の文芸に利用するというときに、一般の利用の場合の六〇%とすると。これは、もともと演芸利用には五〇%というのがありましたが、新たな区分で六〇%というものをつくり、こういう条例改正を行いまして、施設の利用促進につながる、こういう環境の整備を行ったところでございます。
また、事業というふうなことでは、若手芸人によります漫才とか、あるいは落語などを生で楽しんでいただくということで、展示室の中に置いております上方亭における上方亭ライブというようなものとか、あるいはお笑い体験教室ということで、素人の方がプロの方の芸を、昔をなぞってみると、体験する、そういうふうな事業などを積極的に実施しておりまして、展示室の魅力向上ということに努めております。
また、開館以来、館長には民間人の方を登用させていただいておりまして、府民のニーズを的確にとらえた柔軟な施設運営を行えるようにと、そういうように考えておりまして、施設の利用促進にはずっと努めているところでございます。
さらに、施設管理費用の一般的な管理費の見直しにも積極的に取り組みまして、開設当初の平成九年度と平成十四年度で比較いたしまして、四千百二十五万円余りは縮減しているということでございます。
しかしながら、一方で収入につきましては、先ほど申し上げましたように入場料を下げたこととか、あるいは最初のころはやはり相当たくさんお客さんに来ていただいたわけですけれども、最近ちょっと低迷といいますか、ちょっと落ちついた数字になっているといったことでございまして、同じ時期の収入で見ますと、四千八百五十八万円、九年度と十四年度を比較して下がってございます。こういったことで、収支差の改善につながっておらないというのが十四年度までのところでございます。
一方、平成十五年度から、先ほど申し上げましたように条例改正の効果もございますし、さらに運営経費の削減ということにも努めております。そういったことで、展示室の入場者数でありますとかホールの稼働率などが、平成十四年度から十五年度にかけては一〇%程度改善する見込みということを予約などで見込んでおります。収入も、そういうことで五千九百万円程度確保できるという見込みになってございまして、収支差の改善の方も一定進んでくると、こういうふうに見込んでおります。
◆(梅本憲史君) 運営費の縮減問題とともに、もう一つは、ワッハ上方の収支差が縮まない大きな原因としては、その支出の七割弱を占める賃貸借料の問題あるいは人件費の問題もあると思いますけれども、これまでの削減の実績を教えてください。
◎文化課長(合川正弘君) ワッハ上方の運営費以外のこれまでの収支の改善ということでございます。
まず、賃貸借料でございますが、入居いたしておりますビルの貸し主と精力的に家賃の交渉というのを行っておりまして、開設当初約三億四千万円ほどございましたものを、十四年度で三億円を切る二億九千八百万円強というふうなことで、四千七十二万円余りの縮減を図ったところでございます。今後も精力的に交渉して、家賃相場の下落といったこともございますので、その縮減に努めていきたいというふうに考えております。
また、人件費につきましては、ワッハ上方は開設当初からは文化振興財団の方に委託するという形でやっておりましたが、十四年度から府が直接運営するというふうなことにあわせまして、職員定数の見直しとか、あるいは非常勤化というふうなことを図りまして、開設当初と比較いたしまして四千八百四万円余りの縮減を図っているということでございます。
◆(梅本憲史君) これまでの説明をお伺いいたしておりますと、当初の収支計画見込みは外れ、今後もその達成の見込みはないというふうに思われますし、またこれまで行われてきた収支改善策も、その抜本的な改善策とはなっておらないようでございます。
それならば、原点に立ち返って、文化振興施策におけるワッハ上方の位置づけというものを一から考え直してみてもよいのではないかと私は考えるんです。ワッハ上方においては、落語、漫才、講談などの上方演芸の公演がほぼ毎日開催をされておる。また、お笑い体験教室や上方亭ライブなどの大阪ならではとも言えるユニークな独自事業も、継続的に展開をされておられる由です。ことしの夏には、上方で生まれ、はぐくまれてきた雅楽、能、狂言、上方舞、上方演芸や、府内の各地で伝承されてきた地域の伝統芸能などを一堂に集めた上方芸能まつりinミナミが開催され、盛況であったようにお聞きをいたしております。これらの上方の文化に触れた府民の中には、閉塞感が漂う実社会にあって、つかの間とはいえ、心にゆとりや潤い、あすに生きる元気を感じた人は少なくないだろうと思われます。このことは、なかなか目に見えるものではなくて、ましてやお金や数値であらわすことも極めて困難なことだと思いますけれども、この効果はやはり正しく評価をされなければならないものであろうと思います。
ワッハ上方は、そのような意義や役割を担う施設としてのあり方を位置づけられるべきであると思いますけれども、どのようにお考えになっておられますか。
◎文化課長(合川正弘君) お示しのとおり、上方演芸、これは庶民の生き生きとしたエネルギーの中ではぐくまれてきたと、こういう伝統、歴史を持っております。また、その時々の世相とか風俗を巧みに織り込みながら、社会情勢の変化とともに変わってきたこういうふうな庶民文化の代表であると、こういうふうに考えております。
ワッハ上方は、こういった貴重な無形の文化であります上方演芸を継承し、次代に引き継いでいくということで設置いたしております全国で唯一の施設でございます。今後とも、さらなる収支改善を図りましてより効果的な運営に努めまして、さらに多くの府民に親しまれる、こういうふうな施設になるように努力していきたいと、こういうふうに考えております。
ワッハ上方のあり方ということにつきましては、来年度、全庁的に大阪府の行財政計画案が改定されるということになってございまして、その中で検討させていただきたいというふうに考えております。
◆(梅本憲史君) これまでの今の議論をやっておりますと、従前からおやりになっておられることと大層変わりはございませんので、少しお答えにくいから、要望としてお話をしておこうかなと思うんですが、収支改善にたゆまぬ努力をなさるということは、これは当然のことでございますので、このことはどの質問の中にも含まれておることだろうと思うんです。
しかし、本来、丸々投資をなさってビルをお建てになられて、そこへこういう施設をということになりましたら、賃貸料というのは当然要らないわけでございます。賃貸料というのは相手があることでございまして、何回かの改定もやってこられたようですし、今の御答弁を聞いておりましても、一つの近隣の値下がりというのも含めての交渉の由はあるのかなという気もいたしますけれども、これも今申しますように相手があることでございます。
先ほど、これは一般会計に出ておるものですから、少し意味合いが違うかもわかりませんが、文楽あるいは能、雅楽等々と同一の地位に昇格させてみてはどうか。そういう意味合いで言うたら、補助、助成ということも考えなければならないかなと、こう思います中に、例えば先ほど文楽に本府が三千七百四十四万円でしたか、当初は五千万円ぐらいあったんですね。それから大阪市の方で五千二百万円ですか、ひょっとしたら多少減額があるかもわからんというお話でございますが、一億円を超すお金が当初はあったというようなことでございました。
これ、その価値にかえるというのは難しいということは申し上げましたけれども、例えばそういうものを初めからこの金額から特化してというか変えて考えますと、今までですと、一合目から上の方を見ておりますので、頂は雲に隠れておるということもあるかもわかりません。なかなか改善努力をなさっておられても、先の見えない話でございますので、少し励みがなかったのかと思うんですが、これが、例えばそういうものに換算をさせていただいて、そのものを除外していただきますと、五、六合目ぐらいまで上がったのかいなと。そうすると、雲の間から少し頂が見えるといいますか、改善の黒字の色が見えてくるのかなという気もいたしますので、そういうことも含めて、少しそういう換算といいますか、一回積算をなさって、このことを大読みすることは非常に難しいかもわかりません。しかし、委員からもそのような話があったということを頭に入れていただきまして、ひとつ一層に励みを持って改善をしていただくということが大事だろうと思います。
周辺に非常に力のある商店街--道具屋筋、あるいは黒門、千日前、戎橋等々の商店街も含まれて、あるいは上方芸能、大衆芸能のメッカである吉本等もございますので、ひとつその地域性を生かされた連係プレー、循環型の連係プレーをおとりになったらどうか。あるいは読売の、マスコミ御出身の民間の館長さんがおられるようでございますし、非常に熱心に、非常勤でありながら常勤並みにお勤めになっておられるというようなことも漏れ聞きました。どうぞひとつその媒体も通じて、ワッハ上方再生に大きくお力添えいただきますようにお願いを申し上げたいと思います。
家族や親戚もしくは親友など、自分と近しい人との間でも死生観について話す機会というのはあまりなかった。
近しい人というのは国籍・宗教・環境などが同じ(要するに「典型的」日本人)であったので、死生観についてもほぼ同じだろうと身勝手に考えていたのである。
しかし、それは全くの誤りだった!死生観にズレがある。
考えてみれば、人によって世界観が異なるのと同様に死生観が異なるのも当たり前のことなのだろう。
自分自身がそうであったように、近しい人が互いに同じ死生観を持っていると無条件に期待している人は結構多いらしい。
ズレがあるだけなら問題はない。やっかいなのは近しい人であった死者について語る時である。
おのおの自らの死生観を下敷きに死者を語る時、そこにズレから生じる不穏な空気が漂うことがあった。
それは、喧嘩一歩手前とでもいえる雰囲気であった。なぜそんなことになるのか。
死者についての「語り」とは、死者というメディアによって自分語りをすることに他ならない。
死者というのはまさに無私の人間を体現するものであり、鏡あるいは白いスクリーンのような存在だからである。
そして死者というメディアに投影した自分語りとはその実、語り手の死生観についての「語り」である。と、そのように感じた。
おのおのがズレた死生観について自分語りをしたところで「語り」はかみ合わずにズレてくる。
「語り」のズレの原因は死生観のズレにあるはずなのだが、前述の通り死生観が同じであること期待している人は多い。
そのためやがて「語り」のズレの原因は、不思議な論理によってもう一方の語り手に向けられる。
「こいつは死者のことを何も理解していない!」「こいつには自分の悲しみなど理解できようはずもない!」「こいつの発言は不謹慎である!」
近しい人同士であればこそ、その場で面と向かって議論などできようはずもなくこっそりと険悪な雰囲気になる。不穏な空気は長きにわたり続いていく。
この論が正しいかどうかに根拠はないが、少なくとも死生観にズレがあるらしいことに対しては気を払った方がよいと思っている。
できることなら死生観について話し合う機会を持つべきであろう。
死者のことで喧嘩するのはよくない。
この想いにズレはないのでは。
いままでよく頑張ってきたね。
辛かったね。
大変だったね。
たくさん無理をしてきた事を知ってるよ。
大丈夫だよ。
君は間違ってなんかいないよ。
なんにも悪くないんだよ。
だからそんなに苦しまないで。
大丈夫だよ。
君は正しい。
君が考えるすべての事は正しい。
大丈夫だよ。
僕が全力で認めるからね。
君はぜったいにぜったいに正しい!
そのままの君で生きる事が難しいなら、
少しずつ上手くやれる方法を探していこう。
これから、ゆっくり、のんびりでいい。
今はまず、胸に手を置いて。
僕の言葉をちゃんと聞いてほしい。
君は悪くない。
たくさん苦しんだ事も、辛かった事も、君のせいじゃない。
そんなに自分を責めないで。
なんにも間違ってない。
今の君で良いんだよ。
大丈夫。
安心して良いんだよ。