はてなキーワード: 習合とは
エログロ規制の激しいyoutubeだが、医療教育啓蒙を目的とした内容の場合には乳首や性器や内臓の露出が許される
ママは搾乳しなければ乳腺が詰まって最悪死ぬので、搾乳器の使い方は医療・健康についての啓蒙動画扱い
自前の顔を出している動画もある一方、AIによって顔だけすげ替えている動画も多い
モデルが誰かわからない習合的美女顔ばかりだったが、最近は露骨に特定芸能人の顔をした搾乳動画が増えてきた
芦田愛菜の顔をした制服姿の女が搾乳する動画、児童ポルノの類にしか見えない
ハンドルを動かすたびに器具に芦田愛菜の乳首が吸い込まれ、繰り返すうちに乳首が屹立して尖っていく姿が18歳未満でも合法的に見れてしまう
こんなの絶対に許されないだろ
多分そこら辺のものをみても仏教儒教に比べたら対してないといえるけどな。
そもそも1200年前に仏教と習合して、さらに儒教も混ざってちゃんぽんになったのを、ドイツを真似て強引に国家神道として天皇を中心とした宗教を作っただけのこと。
まあ今の御時世仏教も儒教も神道も、それこそ偉人の言葉もちゃんぽんになって、ただ、周りの様々なものと相互作用して生きて行くとそれだけのこと。
ゾロアスター教・キリスト教・仏教などの流れを汲み、経典宗教の特徴をもつ。かつては北アフリカ・イベリア半島から中国にかけてユーラシア大陸一帯で広く信仰された世界宗教であった。
マニ教の教団は伝道先でキリスト教や仏教を名のることで巧みに教線を伸ばした。これについては、マニの生まれ育ったバビロニアのヘレニズム的環境も大きく影響している。この地では多様な民族・言語・慣習・文化が共存し、他者の思想信条や慣習には極力立ち入らない環境で、そうした折衷主義は格別珍しいことではなかった。
マニ教はゾロアスター教を母体にユダヤ教の預言者の概念を取り入れ、ザラスシュトラ・釈迦・イエスを預言者の後継と解釈。マニ自身も自らを天使から啓示を受けた最後の預言者(「預言者の印璽」)と位置づけた
日本じゃ仏教が神道(それも上級国民向けのやつ)と習合してケガレを嫌う性質を内包しちゃったのが間違いの元じゃないかな。
宗教なんて弱者救済してナンボ。弱者だぞ、エンガチョに決まっている。
精神・知的、犯罪、ナチ・アカ、そらなるよ弱けりゃ。そんなの包摂していたら自分もエンガチョまみれになるし、組織に不正も犯罪も差別もはびこるわ。勝手なローカルルールだってウジャウジャ作られるわ。
「悪いことはいけません」って言って、昨日助けた奴が犯罪犯して誰かが泣いても、また犯罪者予備軍を助ける。
ナチがいたって、フェミがいたって、全部抱えて、そういう奴等に心の平穏が訪れるよう祈るんだよ。だからキリスト教もイスラム教も汚くて偉大なんだよ。
ただ、正直最近世の中がナチ・ファシズムに冷たすぎる気がする。
靖国神社は遊就館ていう偏りの極端な施設があるが、実際行くとわかるが遊就館はけっこう奥まったとこにあって鳥居から真っすぐ行って拝むだけだと目立たん
地方の護国神社のほうがよほど大日本帝国時代のモニュメントが目立つし偏りが目立つまである
日本は敗北して敵に占領されてるので意図的に曖昧にして目立つのを避けたし、靖国神社が曖昧さを利用しつつ政治的な意味合いでずるく立ち回ってるのは確かなんだけども
日本人、というか政治を忌避する無宗教というか無定見な庶民の大半は近所に神社でも寺でも大して考えず賽銭入れて拝むわけで
そういう考えのなさを、啓蒙して分別がつくようにしてやろうというのは傲慢だし、そもそも庶民に立ち位置を明確にせよってのは無理
キリスト教でも仏教でも現地信仰や習慣を適当に採用するから広まるんであって厳しく処罰だけしてれば広まるもんではない
新興宗教なんか罪は罪のまま(前世の因縁とか)で、自分はいいことをしよう(壺とか本とか札とか買おう)ていう誘導の仕方する
科学的な態度ではないだろうが、厳密に科学的な態度って検証してく過程で批判プロセスも必ず入るから、上記の理屈上、庶民の生活に組み込むの困難だし
むしろ科学的であろうとするけど厳密には科学的とはいえない、批判するけど批判は受け付けない態度が発生して、余計な反発を拡大してる
これもまた否定されたくない庶民が科学的であろうとした結果、相手を否定するのだけ採用したわけで、仕方ないっちゃ仕方ないのだが
どっちかで言うなら日本古来の習合信仰を復興させよう、建物とか再建しよう、とやったほうが「学問的に正しく」て「庶民感覚に訴え」て「江戸時代は素晴らしい」「日本スゴイ」に合致する上に、旧大日本帝国の残滓をほどよく薄めるのでは
なぜならこの手の技術は中国に移行しつつあるから。彼らは西洋的な手法と中国的な水墨画の感性、日本的な線画をミックスさせた面白い厚塗り絵を出すようになってきている。
韓国勢もうまい。彼らの場合セクシャルな感覚、肉感的な感覚に優れているので人体描写がとて秀でいている。一方で萌としての広がりは日本が圧倒的で、表情やポーズなどの表現力は西洋人が圧倒的。
しかしこれらは日本を飛び越えて混ざりつつある。萌えの宗主国である日本の発言権は多分将来的にとても小さくなる。だからうちらが萌えの中心なんですよ、漫画・イラストの中心なんですよ、というアピールはやっておいたほうがいい。
なんにせよ日本人はアピールせずに黙るのが美徳という風習があるから(謙譲の美徳は違う気がする)。
とても広い話を言えば、インド仏教がシルクロードを渡るうちにヘレニズム文化と習合してさらには道教と結びついたように、日本等国が宗主であった記憶は少しは残るだろうけど。
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「Momo challenge」というものがにわかに出てきたので。
結局はフェイクニュースだったらしいけれど、まあ都市伝説らしいなぁと。
「Momo challenge」はアプリだったり、動画サイトで閲覧している所に突然登場する。
最初の画面ではひきつった女性の顔(実際はアート作品の不正使用なのだが)が出てきて、指令を表示する。
それで、その指令を聞かないとひどいことが起きるだの、答えても指令がどんどん過激になるだの……そういった概略になっている。
何故話題になったかは時の運だとは思うけれど、非常に都市伝説のある特性を有した作品ではあるなぁと思う。
様々な媒体を介して、話に尾ひれがつき拡大解釈が行われたり、ものによっては意図的な改竄すら行われつつ、それらは拡散されていく。
一方で淘汰された都市伝説は、大半は消滅するが、残りの半数くらいは性質のみが抽出される。
そして、それらを掛け合わせて新しい都市伝説に魔改造されるか、既存の都市伝説に上書きされて「習合」していくのだ。
例えばかの「怪人赤マント」は、「赤い紙 青い紙」の選択/即死性と、「口裂け女」の行動範囲が習合してできた都市伝説である。
現代でも、八尺様が山女や悪皿の性質を有していたり、こっくりさんとお稲荷様が同一視されていたり。
神仏習合……とはいかないまでも、数多くの都市伝説が合わさり、進化をしているわけである。
さて、件の「Momo challenge」であるが、これの元ネタは実在のものであるが「青い鯨」だろう。
詳細は最近ジャンプで似たものを扱っていた漫画もあることだし割愛する。
ここに、本家にはない「指令を聞かないとひどいことが起きる」という都市伝説特有のルールを破ることに対する懲罰性が加わった。
「動画サイトを介する」部分は貞子をはじめとする近代ホラーの一要素だし、「突発的なポップアップ」は「赤い部屋」の性質である。
また動画サイトの方では一方的な通告のみを行うため、「件」の性質も含んでいるのかもしれない。
この様に性質を分解してみると非常にパッチワークされて作られた都市伝説であることが分かる。
ここまで顕著に多作品が継ぎ接ぎされた都市伝説はあまり例がないため、習合が多い都市伝説の中でも貴重なサンプルケースである。
今後もこのような習合性を活かした作品が洗練され、新たな都市伝説へのブレイクスルーに繋がっていくことを楽しみにするばかりである。
宮澤賢治のいわゆる「雨ニモマケズ」は検定教科書で出てくることが多く、やたらともてはやされてきた。しかし、「雨ニモマケズ」が宮澤賢治自身の信仰の表れであって、いわば宗教であることは、習っただろうか? 習っていないとしたら、いろいろとまずい。国家的にしれっと宗教教育をやっているということであるし、また、正しく教えていないという、まさに学力低下以前の話。
宮澤賢治がなりたかった「そういう人」というのは、ブッダである。欲は無く、いからず(瞋らず)、よく(能く)観聴きする、すなわち貪瞋痴(三毒)の無い、覚った人だ。相談を受けて廻り、調停に入って争いをやめさせる人物。なりたい姿を自ら書いて携帯することで、己への戒めにしたのである。本来の「お守り」、憶持仏のたぐいだ。
宮澤賢治には、肉食(ニクジキ)に批判的な著作がよくある。豚を主人公にしてみたり、人の方が食われそうになる話を書いたりした。農業を研究していたのもおそらくは、肉食をせずとも生きていけるからだ。
そしておそらく、宮澤賢治は、ブッダ(釈尊)に関して事実誤認をしている。史実の釈尊は、雨季安居をしている。つまり、雨季には外を出歩かず屋内で過ごしている。
史実の釈尊は、無理をするなと説いていた。しかし往々にして捻じ曲げられるもので、無理をしたり、苦行をしたりする「仏教」がつくられてしまっている。
それに、和國(日本)に届いた仏教と称するものは、中国の信仰がごちゃまぜになっていて。つまり、儒教が混ぜ込まれている。それは、中国での布教教化のために都合がいいからだし、権力者などが儒教の教義と矛盾しないことを求めたからでもあるだろう。そうして、中国では仏教と儒教が習合し、それが輸入された。ちなみに、中国の技術・文化を受容するためにも、神道も仏教と習合したり、儒教とまぜられたりして、現存する神道も本来のものではない。
ともかく、史実の釈尊も丈夫な身体はもっていたけれども、雨風に勝とうとはしなかった。
教科書にやたらと出てきて「雨ニモマケズ」がもてはやされてきたのは、いわゆる根性論、「頑張る」ということを注入するためだろう。無理をして「頑張る」ことを美化することが未だに行われ、わざわざ公的に教育されている。世(国家社会)のため、ひと(他人)のためには、己を傷めつけることも厭わない、そうした生き方がずっと美化されてきた。世のため人のために自らを犠牲にするという教条は、そもそもは儒教であり、言い方を換えれば軍国教育のようなものだ。要は、階級差別と、全体のために個を犠牲にするという全体主義である。
かように日本とかいうものは未だに政教一致国家なのだけれども、そのことに自ら気づかなかったり、気づかないようにしむけられていることは危険だし、だからこそ、社会の既成構造を優越させて変革を避け、創造性や生産性が低く、そして、自死率は高い。
昭和の集合住宅に住んでいて平成不況と人口流出で空室が多いんだが、火災報知器が昨日誤作動して消防出動の事態になったからか、工事をしていてうるさい。うるさくてつらいので、ヘッドフォンで昔に買った音楽を聴いている。それでふと思い起こしてこの人のブログを見たんだが、いまも死んだペットのことに執着しているらしい http://ameblo.jp/mariko-kouda/entry-12243053638.html
さて、私は仏教徒だから遺骨には執着しない。遺骨に後生大事に執着するのは儒教徒だ。ちなみに中国で仏教と儒教が習合してしまって渡来したから日本では混同されている。
私は数年前にもペットが死んだけど、遺骨は残さずにパアッと処分してしまった。私は、片親殺されているが、親の遺骨を相続したくないし、親の遺産も相続したくない。
遺骨が残るのは、超高温でもなければ燃え残るからだ。火葬にするのは、インドではおそらく、遺体が腐ってむごくなるのを避けたかったから火葬にしたわけで、そうやって火葬された人の霊魂は報われていいとこに生まれかわると信じられていた。だから、偉い人、偲ばれている人は、火葬にされる。火葬にもされなかった人はいいとこに生まれかわれないと思われていた。
遺骨は残さない方が本当はよい。遺骨に執着するのは凶相だ。ちなみに世の中には「お焚きあげ」というのがあるが、捨てるに捨てられないものを焼却処分してもらう、ごみ処理である。以前流行った(流行らせた)ことばでいえば「断捨離」である。例えば写真にしても、焚きあげて処分してもらう。それを、いまでも世の中にはなんでもかんでも写真に撮りたがる人々がいるが、画像データが大変だ。そして、見て記憶に残すことを忘れて、カメラで撮るのに必死になっている。
「千の風になって」ではないが、遺骨はナノ単位にでも砕いて風葬にでもした方がよい。それとも、処分に困ったら一心寺にでも持っていけばいい。遺骨を墓碑か寺院にでも納める人は多いと思う、遺骨を手元に置いて仏壇にでも納めていると大変だ。ましてや、遺骨や位牌に執着して逃げ遅れて死ぬ人がいるが、正直に言って客観的にみて、滑稽だ。
遺骨は生きていないし、生前のものでもない。古代エジプト人ではないから、ミイラにしたらいつか復活するとも思っていないし。
生きているというのは状態であって、実体ではない。生きものというのは状態である。
死んでもうこの世にない生きもののことは、記憶には残る。忘れられない。しかしその記憶も所詮は細胞の状態でしかない。記憶している人もそのうち死ぬ。残された記録もデータであって、実体ではない。
日記であろうが、枕草子であろうが徒然草であろうが愚管抄であろうが、経典であろうが、データである。日本では驚異的なまでに昔の経巻が保存されているそうだが、それも経巻の内容より経巻そのものに執着し信仰してきたかららしく、「御真影」ではないが火事になっても必死に経巻を運び出したからだそうだ。しかし経巻を後生大事にとっておいてもしかたがない。それなら中村元の岩波文庫のやつでも読んだほうがよい。
そうならないのは、貴重な経巻が残っているということが寺院の資産であり「箔」が付くからでもあり、それで檀信徒から財施(供養)をもらっている。法要にでもなれば、漢訳経典を暗誦するんだが、聞いている方は意味不明だ。我々は漢文のネイティブではないし、そもそもその漢文はいま「生きている」言語ではなく中国に行っても話さないだろう、ラテン語みたいに学術上のものでしかない。それでもその檀信徒が財施をするのも、彼らがモノに執着しているからであり、だから古い仏像とか経巻とか建物とかをみて大したもんだといい、布施をするのである。そして、経典の中味ではなく、経典を読むこと自体が目的化している。
あの人も、遺骨もアロマドームも生きていないしうまくすれば朽ちないだろうから、後生大事に持っていれば何十年後かわからないが自分が死ぬ方が先だろう。
忘れられないのはわかるし、忘れてはいけないのかもしれない。死なないと消えない記憶というのは、ときには快いかもしれないし、ときには残念かもしれないが、ある。空襲だか「鉄の暴風」だかに遭ったり、ベトナム戦争だかイラク戦争だかに行ったりした人は、忘れられないトラウマが残ってつらいものである。ヘタすれば人は80年とか100年とか生きられてしまうから大変である。しかしその記憶もデータであって、細胞の状態である。
本当に火事になったら私は死ぬかもしれないし、そうでなくとも私もいつか死ぬ。いま聴いている音楽も、データでしかなく、ディスクがクラッシュでもしたら消える。人類が滅亡したらヒトの遺伝子も失われる、それがいつのことかは、ちょっと、わからないけど。
それにしても、あの人もそのうち50である。どうなんだろう。たしか40を「不惑」とかいったと思うが。当人も、未だに残っているファンも、互いに執着して、共依存して、期待される姿を互いに演じて定着してしまっているということもあるかもしれない。しかしそうした姿は、私の望んでいることではなかった。
「うるさい、余は初陣であったのだぞ」
「はいは一回にせぬか。だいたい左翼に比べて右翼がふがいないのが――」
「まあまあ、そのあたりで……」
地味な増田家(五)の当主が最高司令官と軍師の言い争いを止めた。
彼がいたことに驚いて、二人は口をつぐむ。増田家(五)の当主は汁をおかわりした。
増田連合軍は敵味方あわせて三十五万の大合戦に敗れたが、そこからしぶとく反撃を開始した。
気がつけば、北の増峠は増田騎馬軍団に封鎖され、西は増田軍の本隊が、南は後衛部隊が何とか押さえている。
敵にゆいいつ残された東は増田島の脊梁山脈とその麓にうずまく樹海であった。
増田騎馬軍団は愛馬を屠って生肉を食べる状態になっても戦い抜き、北方異民族の連絡や離脱を阻止した。
南の後衛部隊も同様であり、彼らは補給線に繋がっているだけ抵抗が容易かった。
いわば増田連合軍は「常山の蛇」となり、増田騎馬軍団が叩かれれば本隊と後衛部隊が、
後衛部隊が叩かれれば本隊が、本隊が叩かれれば後衛部隊が味方を援護した。
そして、異民族軍が入り込んだ樹海の中には緒戦で追い散らされた武熊たちが巣くっていた。
蛮族は獰猛な熊たちに急襲され、眠れない夜をいくつも過ごした。
「やっぱり武熊は頼りになるのう」と手のひらを返す増田もいたが、
増田の誇る忍者たちもこの「狩り」に投入された。増田家(四)の軒猿たちもおり、オールスター状態である。
ある日、薄暗い森の中、武熊さんに出会った侵略者は恐ろしい恐ろしい勢いでしとめられていく。
「を書くを書く」
発泡する元ソースにはバミューダトライアングルにおける魔の海水のごとく浮力がない。溺れる蛮族は沈んでいった。
その隣では蛮族が熱湯落ちして煮られていた。
野営地を小さなかわいい影が走り回っていた。気がつくと、蛮族は寝首を掛かれ額に「うんこ」と札を付けられていた。
瞳を閉じた忍びが突撃してくる蛮族の前に立ち、至近距離で不気味な目をかっと見開いた。
目が合った敵の動きは硬直し、忍びが呪文を唱えると、一枚の何事か書かれた紙切れに化けてしまった。
ブチの忍犬は茂みに武熊たちを集めて語った。
「この円い鳥たちはな、みなワシが描いたのじゃ(手裏剣ください)」
興奮した武熊たちは習合すると合体して熱い鳥になり、羽ばたき一つで異民族を吹き飛ばした。
七連手裏剣と山彦手裏剣から逃げる蛮族の前に全裸の小僧があらわれた。
「けいお、しっこうする!!」
その忍者の姿は見るたびに次々と変わり、本性を確かめるすべがなかったが、忍者としては普通だった。
ある場所では夏なのに完全凍結した蛮族の死体が大量に発生した。
「うーむ、ふーむ」
「にゃにゃにゃにゃなーん(ご主人様の顔なんてもう忘れたのにゃーん)」
探検隊をも壊滅させる力をもった熊猫部隊は、その熊猫の一匹に数えられただけでも二百匹を超えた。
彼らは第六指で異民族をつかんでは投げつかんでは投げしていった。
その忍者は増田忍者には珍しく五方手裏剣ではなく、四方手裏剣を用いた。
いや、よく見るとそれは十字の切れ込みが入った乾物であった。
「たべものをしいたげるな!」
メガネをかけた好青年が木の陰から蛮族をみつめていた。みつめ続けていた。
「20162016!」
好青年がどこまでも追いかけてくるので、蛮族の世界はいつしかモノクロに染まった。
「~~」
「忍者検非違使です。本来、忍者の呼称が現れるのは近世になってからです。軒猿も同時代資料では言われていません」
森から延々と引き出される北方異民族の死体をみて、床几に腰掛けた当主のひとりがつぶやく。
匿兵衛が答えた。
「増田島におけるいくさとは本来このようなもの。それでも上様方はもっと御覧になりたいと仰せられるか?」
アルファマスダたちは揃って首を横に振った。
別の場所では女神?が現れていた。彼女は低音から高音までノイズのない深みのある声で言った。
「ぼいんは必要ないのです」
パァアアアアと光が異民族たちに突き刺さり、ヒンニュー教に改心した彼らは増田軍に降伏した。
「神だ!神が降臨された!!」とカラトラヴァ騎士団は大騒ぎした。
その時、増田左混はめずらしく言葉の通じる蛮族と対峙していた。
「俺は降伏しないぞ」
傲然と胸を張る敵を左混は一喝した。
「武装をつけようとする者は、武装を解く者のように誇ってはならない」
合戦から六日目に、晴れ時々鯖が降った。傀儡使いのまじかる系軍師はそれを吉兆と占った。
事実、北方異民族は完膚なきまでに壊滅したのだった。増田領(一)の奪還がなされるのは、一月後のことである。
自意識過剰の金髪縦ロール忍者は化粧に二年五ヶ月、自画像の角度とかの調整に一年が掛かってしまったため、参戦が間に合わなかった。
みやこで同時代史料「遊戯日記」を書き続けている公家は、伝え聞いた密林での戦いを以上のごとく記した。
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http://anond.hatelabo.jp/20160621021245
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