はてなキーワード: 真空管とは
海外のblogで初音ミクについて熱い(長い)文章を書き込んでいるのを見かけたので試しに翻訳してみた。無断翻訳なので匿名で。urlは以下の通り。
http://deliciouscakeproject.wordpress.com/2010/09/20/hatsune-miku-and-the-magic-of-make-believe/
=====以下翻訳=====
そこにはバルトロメオ・クリストフォリって名前のすげえヤツがいた。こいつの得意技は楽器を作ることだった。何でも作ったわけじゃない。当時はひどく弱々しいちっこいもので、しょぼい羽柄が並んだ弦を引っかいて金属的なチャリチャリした音を出すもの、つまり鍵盤楽器を作っていた。いわゆる「バロック・ミュージック」ってヤツだ。クリストフォリが音楽技師として、また機械技師としてやったのは、弦を異なる強さで叩くハンマーを使った仕組みづくりで、それによって演奏家は小さい音(ピアノ)や大きな音(フォルテ)で演奏できるようになった。だもんで皆それをイタリア語でピアノフォルテと呼んだ。もちろん、今ではお前も俺もそして誰もがクリストフォリの発明品をピアノと呼んでいる。
イタリアはピアノを発明することによって、日本が初音ミクを発明するための扉を開いた。
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俺は今、ここサン・フランシスコの150席しかない小さな映画館で、秋のアイドル公演を待っている。チケットが完売した「39[ミク][[Sankyu!]] Giving Day」コンサートの上演を見るために、愚かな時間の無駄遣いをする連中が集まっている。コンサートじゃ電子的に創造されたポップアイドルつまり緑の髪をした女神が、ゼップ東京のコンサート会場で生演奏するバンドにあわせて踊り歌っている様子がスクリーンに映し出されている。それはまるで、一部はライブなんだが、本当はそうではなく、「本物」のボーカロイド・コンサートでお目にかかれるのに近いものだった。言ってみればゴリラズを見に行くのとそれほど違いはない。伴奏は本物のミュージシャンが作り出しているが、客が見ているのはいわば巧妙なごまかしの表層であり、音楽に命を持たせるために使われる動くペルソナだ。これがミクの魔法である。それは見せかけの魔法だ。
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クリストフォリがピアノを発明した頃、J・S・バッハは平均律クラヴィーア曲集を書いた。そこでは要するに鍵盤楽器の各音程間で一通り数学的な調整をすれば、突然どのような調号でも十分演奏できるようになるということが言われている。言い換えれば、何か妙なことをしようとした際にいつも調子はずれの音を出すのではなく、初心者から中級までのピアノの生徒がやらかす糞を抑えるような5フラットとか7シャープとかそういったことが完全にできるようになる。これによって18世紀の鍵盤楽器は初めて、いちいちくそったれな調律をしなおすことなく新しい楽想を試すことができる原始的なワークステーションとなった。
数十年後、ようやくピアノの価格が下がり十分なほど生産できるようになったことで、それは非常識なほどの大金持ちだけの特別な楽器ではなくなった。代わりにそれは有名な王族たちのような常識的な程度の金持ちが購入できるものとなり、彼らは好んで地元の作曲家を雇い自分たち(とその客)を楽しませるために音楽を書かせた。こうした作曲家の一人があのヴォルフガング・A・モーツァルトであり、彼の特別な才能は主に下ネタと女性の音楽生徒に対する性欲の面で発揮された。もちろん鍵盤楽器からふざけた音を引き出す才能もあり、その短い人生の間にモーツァルトは最も好きな楽器をピアノに決定した。彼が書いた27のピアノ協奏曲(本当に素晴らしいのは最後の10曲ほど。アニメのシリーズのようにモーツァルトのレパートリーは後半になるほど良くなった)は、単に協奏曲の形態にとって画期的な礎石となっただけでなく、ピアノ音楽の基礎を築いた。モーツァルトの協奏曲はこう言っているようなものだ。「これこそピアノにできることだ! ピアノだけでなく、オーケストラと一緒でもいい! まさか今更ハープシコードに戻ろうってんじゃなかろうな?!」
モーツァルトより後の時代の人間は皆彼に同意した。ひとたび音量の大小を調整できる鍵盤楽器を手に入れてしまえば、弱々しいチャリチャリした機械になぞ戻れっこない。これが230年ほど前の出来事だ。ミクへの道は一日にして成らず。
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ミクの公演にやって来たファンの男女はいろんな連中の寄せ集めだ。彼らの5分の1ほどは当然ながらボーカロイドのコスプレをしている。何人かはケミカルライトまで持ち込んでいる。コンサートは全長1080ピクセルの巨大なスクリーンで始まり、全劇場用サウンド・システムが炸裂し、観衆は最初はためらいがちに見ていたが、最初のいくつかの歌の後は雰囲気が盛り上がってきた。彼らはスクリーンの中の群衆と一緒にリズムに合わせてケミカルライトを振り、曲が変わると歓声を上げ、各ナンバーが終わると拍手をした。単なる録音と録画じゃねえか、などというたわ言は知ったこっちゃない。理論的にはゼップ東京の群衆だって同じように録画を見ていたんだ。本当に「ライブ」で演奏される音楽など、現代においてはクラシックのオーケストラと民族音楽の演奏くらいしかないし、それにシンフォニー・ホールですら今日ではマイクが使われている。誰もが電子的な助けを借りて音楽を聴いている。ひとたび電子機器を楽器として受け入れることを覚えてしまえば、ミクを愛するのは簡単だ。彼女がモーツァルトの魔笛のアリアを歌っている動画を聞いてみよう。
http://www.youtube.com/watch?v=gr9fbQzNpqA
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19世紀欧州で、もしお前がピアノの演奏ができない作曲家だったとしたら、お前は存在していなかっただろう。それはもはや単に大小の音量で演奏できる楽器にとどまらず、巨大な和音構造物であり、多音パッセージワークであり、一人の演奏家の手で「あらゆる音符を見ることができる」ものとなっていた。もしピアノがなければきっと「2人のバイオリニストとビオラ及びチェロ奏者各1人をかき集めて旋律が上手く行くかどうか調べにゃならん」てなことが起きていただろう。そしてもちろんチェリストは、ある音符について「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」と演奏するようお前が何度も何度も何度もお願いするのにうんざりして1時間後にはそこを立ち去ったことだろう。
少なくともピアノがあれば、お前の小さな指以外に迷惑をかけることなく「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」とやることができる。
かくして1800年代においてピアノは中心的な作曲道具となった。そして同時に社会の中産階級が暇と屑な時間を持つところまで進化し、そしてもし彼らがスポーツやゲームを発明しなければ、彼らは音楽その他を演奏したいと望み、そんでもって家に持ち込むためピアノを注文できるようになった。欧州だけでなく日本でも、少なくともウィリアム・ペリーが彼らを開国して西洋化が始まった後には、同じことが生じた。基本的にピアノは文明化の証と見なされ、そして有名な山葉寅楠ってヤツがイケてる連中のため日本製ピアノを作り始めた。
19世紀末と20世紀は音楽制作にとって黄金時代だった。楽譜を買って他人の歌を演奏する方法で「音楽を作る」こともできたし、あるいは作曲と理論について十分に学び自分の曲を創造するというやり方で「音楽を作る」こともできた。そうした取り組みの多くはピアノの周辺で起きた。ピアニストが力を得た。鍵盤があれば、お前はスターになることができた。
そして、とんでもないことが起きた。
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ミクだけじゃない。巡音ルカとリンとレンも公演に出てきたぜ! 全ボーカロイドのパーティだ。彼らの異なる声質と、ミクと組む様々なやり方は、見事な音の見本集になっている。他のキャラクターが登場するのを見た観客たちは熱狂している。異なるシンセサイザー・プログラムのマスコットに過ぎないにもかかわらず、彼らはまるで我々の友であり家族であるかのようだ。ようつべとニコ動を使って彼らを我が家へ招待しよう。彼らの声を我らの生活のサントラにしよう。電子的に作られたアニメキャラが本当のミュージシャンになれるのかって? おk、ならお前に聞いてみよう。魂のない箱がお前の周囲の空気を震わせているけど、それは本当の音楽なのかい?
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それこそが実際に起きたとんでもないことだ。録音された音楽。録音された音楽こそ、音楽史の中で起きた最悪の出来事だ。
ひとたび蓄音機を、ラジオを、レコードプレイヤーを、カセットプレイヤーを、CDプレイヤーを持ってしまえば、音楽を楽しむのに「音楽を作る」必要はない。コンサートホールのチケットを手に入れる必要もない。単に座って、電気を使った箱にお前を楽しませればいい。ピアノは専門家のための道具に成り下がった。それは淑女が結婚に必要な才能を覚えるためのものに、あるいは子供が(1)それを憎んでいることに気づく(2)両親が子供に才能があることに気づいてプレッシャーを積み上げ始める――まで稽古を受けるものとなった。もし(2)の現象が起きたなら、最後にはピアノを本当の演奏楽器あるいは作曲用の道具として使うようになるだろう。しかしそれはもはや「音楽制作」の中心にはない。
さらに悪いことにロックがギターをポピュラーにしてしまった。ギターが人気になり、ピアノは役立たずとなった。お前が鍵盤楽器を学ぶのは、ビートルズにしてくれるものを持てずバッハやベートーベンにしがみつくしかないある種の意気地なしだからだ。誰が決めたルールか知らねえが最低だ。10代のころ、俺はピアノを使ってランキング上位40の曲を弾けたおかげで女の子たちに「いくらか」いい印象を与えられた。けど、結局はクラスの野郎どものうちその曲をギターで弾けるヤツがいつも勝ちやがった。くそったれ。
だがここで思い出してくれ。俺は、イタリアがピアノを発明したことが日本の初音ミク発明への扉を開いたと言ってきただろ? ピアノは21世紀に飛び込むときに今一度変革に見舞われたんだ。
http://www.youtube.com/watch?v=-7EAQJStWso
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もし音楽を生み出す小さな電気の箱が「本物」であるなら、録音済みのコンサートに向かって「アンコール! アンコール! アンコール!」と叫ぶのは極めて正常だ。その音楽はお前を感動させたんじゃないのか? もっと聞きたいと思わないのか? というわけで映画館の観衆はもっともっとと叫び、そして彼らはアンコールを聞けることが分かっていた。なぜならそういう風に録音されていたから。ミクが公演を終わらせるため最後の舞台に出てきた時、もう一度鑑賞力のある人々から歓声が上がった。それは人工的なものだが、とことん楽しむため我々はそれを本物だと見なした。まるでドン・コッブが[ネタバレ注意!!]インセプションのラストで回転するコマから歩み去るかのように。ミクは夢のような存在だ。サウンド・エンジニアとCGアーティストと音楽家が作り上げた美しい夢であり、決して卒業することも年を取ることもスキャンダルを起こすことも業界から追放されることも惑星上から姿を消すこともない完璧なアイドルだ。彼女は実際、いくつもの「映像」を持っている。我々は皆、この音楽的見せかけの共犯者だ。過去の聴衆がモーツァルトのオペラを、ガーシュウィンのミュージカルを、あるいはかのすさまじいレ・ミゼラブルを本物であると信じたように。我々は十分深く信じられるようになるまで偽りの世界を本物だと信じるふりをする。その世界を感じるまで、見せかけの魔法を感じられるようになるまで。
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真空管からトランジスタを経て迷宮のような電子回路まで。もしピアノの鍵盤が「あらゆる音符を見る」ことのできるインターフェイスだとしたら、それは作曲家に最も未来を感じさせるインターフェイスだ。そして我々にはシンセサイザー・キーボードとMIDIコントローラーとワークステーションの世界が与えられており、そこでは遂にピアノが単なる「楽想を試す場所」から超越した。ちょっとした波形の調整によって、ハンマーと弦の機構に制限されることなくこれらの楽想を正確に響かせることができる。新しい音を作り上げることもできる。楽想の断片を記録し、他の楽想をその上に並べて電子キーボードを個人的な架空のオーケストラに仕立てることもできる。ピアノはピアノを超えた。それは作曲家の手の延長どころか、作曲家の心の延長となったのだ。
一つだけ欠けているものがあった。声だ。
そして、ご存知の通り、日本は日本であり、彼らはやってのけた。彼らは人工物を誰よりも巧みに操った。彼らは本物の料理だと見栄えが悪くなるからという理由でプラスチック製の小さな食品サンプルを作った。本物の労働者は間違いを犯しがちだから製造ライン用のロボットを作った。本物の音楽家を家に入れるのは大変だから編曲家のために電子キーボードを作った。そして、人間の声を合成する技術が十分に発達した時、そしてそれが人工音声のためのペルソナを創造するというアイデアと衝突した時、ミクが見せかけの音楽における21世紀のスーパースターになるのは当然のことだった。
中にはボーカロイドというアイデアが音楽家の全てを破壊するという人もいるだろう。全ての仕事をソフトウエアがやってくれるのに、誰が人間を必要とするんだ? 俺が思うに、ボーカロイドってのは偉大なる民主化の旗手であり、音楽家のために沢山の扉を開いてくれるカギなんだ。過去において、もしお前が作曲家、編曲家あるいはプロデューサーになりたければ、まず自分の曲を書いてそれから演奏家を探し見つけ出すしかなかった。何しろお前の傑作に生命を吹き込みたければ、5人編成のバンド、20人編成のオーケストラ、そして3オクターブ半の音域を持つ歌い手がいないとどうしようもなかったのだから。マジ悲惨。だがミクがいれば誰もが作曲家になれる。誰もが自宅のスタジオで曲を作り、正しい機材があれば、電子機器を使った完全なポピュラーソングを生み出せる。ボーカロイドは音楽家の仕事を奪うわけじゃない。それまでミュージシャンには決してなれないと思っていた人々の中からミュージシャンを作り出すんだ。動画投稿サイトで毎日そうしたことが起こっているし、こうしたコンサートではそれまで決して聞いたことのないような人々が突然電子王国の宮廷音楽家になれる。非常識なほどの大金持ちだった王家の人々の手にあった手製の楽器から、平民たちの手に握られた緑の髪の女神へ。それがこの大きな3世紀の違いだ。
何であれ多くの人々が音楽を作ることは、単に大人しく聞いているだけよりもいいことだと俺は信じる。俺は魔法を、ボーカロイドを、ミクを信じている。
=====以上翻訳終了=====
誤訳は当然あると思う。でも面倒なので修正はしない。
道を譲らない、と言うか世界は俺を中心として回ってると思いこんでる香具師。
通路に障害物と化してボケーと何を見るでもなく立ち止まってる香具師。
そんな香具師はどこにでも居るだろうが、売春婦紛いのメイドはほんの少しだけ減ったがまだまだ多いし、街中にはアニメ絵の看板が乱立、少し通りを歩けば半裸のロリコン向けイラストや、辱めな格好をさせられた絵なんかが普通にある。
客観的に見ると、もう秋葉原は完全に狂ってる・・・
昔ながらの電気街はどこだ?駅前でコンピュータパーツやゲームのチラシを配ってた店員の兄ちゃんはどこに行っちまったんだ?
いくつかブックマークが付いた+何か眠れないから追記。
昔のアキバが良かったと言うが、無線やラジオや真空管を扱ってた頃と比較したら・・・とか案の定突っ込まれてるが、まぁそりゃ確かにその時代に比べたら秋葉原に来る客の質は下がってるよなって言うのは恐らく紛れも無い事実だと思う。・・・ひょっとしたら違うのかも知れないが、少なくとも無線⇒パソコンと移り変わった時に客のマナーが悪くなったって言う話は聞いた事があるので完全に間違った認識では無いと思いたい・・・・。
でも、現状はその時よりも深刻だと思う。ラジオ⇒パソコンの時は買い物客のマナーが悪いって話だったと思うが、今は(現在は落ち着きを見せているが)露出狂が沸いたり、自称パフォーマーが沸いたり、モラルが欠如してるような行動を取る人が多過ぎる。その上に、自己中心的な買い物客が増えていて「カオスって次元じゃねーぞ」って状況かと・・・。
「今が楽しければ良い」「自分さえ良ければ良い」とか思ってて変な行動で笑いや注目を浴びようとしたり、身勝手な行動をしているのかも知れないが・・・。・・・冷静になって、自分のやった行動が客観的に見てどうなのかを判断出来ない・・・いや、出来なくなった人が増えているんだろうか・・・。
また、はてブで「バンドは大きな駅では良くある事」と突っ込まれてるが・・・、・・・何と言うか、実力不足と言うか、何と言うか・・・。
秋葉原なら多少見た目とオタク受けしそうな口調で話せば下手でもギャラリー出来るだろうって思いがあるのかどうかは分からないが、何かレベルが低いんですよねぇ・・・(私の耳が腐ってるだけだったら申し訳無い話だが・・・)
どうしても、通勤先の最寄り駅で歌ってるインディーズと思われる方々と比較してしまって・・・。・・・ビジネス街で、そんなにギャラリーが出来る要素が少ないと思える場所でそれなりのギャラリーを集めてる(バンドの)方々を見てしまうと、大した努力せずにギャラリーを集めてるアキバ駅前のアーティストの方々が小さく見えてしまって・・・。
・・・眠る前に書くとどうしてこんなにネガティブで叩かれ要素満載の文章になるんだろうか;
マナーの悪さと、バンドのレベルの低さに独り善がりな苦言を書きつつ、最初に書いた際の「卑猥な絵が多過ぎる」って部分への突っ込みは・・・、・・・もういいや。眠いし、増田で愚痴っても改善される訳でもないし(ただ、こんだけネガティブな事を自分のIDのダイアリーで書いたら炎上するだろから今までモヤモヤとしてたが、一応の匿名な増田で書けて少しだけスッキリした)
マナーの悪さが原因であれこれ余計な法律やら規正で雁字搦めにされる前にマナーが改善される事を祈りつつ、・・・もう寝よう、午前3時半過ぎちゃったよ・・・。
無線機は真空管の方が音が柔らかくて聞き取りやすいと思うけどなー。
別にそう思わない人を攻撃する気はないけど、違いはやっぱりあると思う。
TS-830Sは手放せません。
その都度言われる「アナログの頃はよかった」っていう論調はいったいなんなのだろうか、と。
アナログの方が性能がいいという主張は、まぁ理屈は分からなくもない。
ところがそういう連中に限ってデジタルに録音された音楽をアナログで聞いていたり
しかも再生のアンプに真空管使ってるわけでもなく、完全にデジタルを意図して作られてたりするわけで
お前ら本当に性能のこと分かってるのか、と。聞き分けられるのか、と。
CDが出たばかりの頃の感覚のまま今まで来ているんじゃないか、と。
で、結局のところ多くの主張は「アナログの方が味がある」とか「心温まる」という意見だったりする。
確かに俺もレコードに針を落として「ブブブ・・・」っていう音が入ったりするのは凄い好きだ。
録音状態が最悪なデモテープなんかを聞くのもすごく好きだ。
ただ、だからといってアナログの方がデジタルよりはいいと思わない。
それは別の話だからだ。
つまるところ、アナログの方がよかったなんていう論調は
「あの頃はよかった」なんていう過去の栄光にすがる気持ちであったり
「最近の奴らはよくわからん」なんていうジェネレーションギャップだったりする気持ちを
素直に「時代の流れについていけない」とか「今の音楽は分からない」とか言えばいいものを
「アナログよもう一度」なんて言ってしまうのは心の弱さじゃないのか、と。
もう10年ほどすれば
「クラウドじゃない頃はよかった」
なんていう人が出てきたりするのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20070806113351
昔、真空管やトランジスタのテレビやラジオを売るだけじゃなく修理もしてたような電気屋さんが、仮に今でも昔と変わらず栄えていたとしたら、
きっと今ではパソコンを売るだけじゃなくてサポートとかもきちんとやってただろうなぁ。
三丁目の増田さん家から「パソコンが起動しない」って電話があったら「今行くから待ってて」ってすぐ駆けつけたりとか。
通販でパソコンを買った家や会社って、パソコンが動かないとかトラブルの時にどうしてるんだろ。パソコンに強い知人や友人がいるならいいけど。
パソコンの販売はともかく、サポートについては地元密着型のサービスってのは結構需要が大きいと思う。
採算が合うかどうかは別だろうし、実際、なかなか大変かもしれない、ある意味「あまりやりたがる会社のない仕事」かもしれないけど。
- 元々は材木商である「佐久間屋」に由来して「佐久間町」と言う地名であった。材木商は大火のたびに莫大な利益を上げており、火除けの町秋葉原らしい縁起である。現在でも秋葉原駅東側に「神田佐久間町」、「神田佐久間河岸」という地名が残っている。
- 後にこの地に勧請される「鎮火社」を人々が秋葉社と呼んだことから秋葉原(あきばはら、あきばっぱら)と呼ばれるようになる(上記参照)。
- 1888年 - 秋葉社が松が谷に移転。
- 1890年 - 日本鉄道の鉄道線(現在の東北本線)が上野から秋葉原まで延長。当初は旅客の扱いは無く、秋葉原貨物取扱所として駅の南を東西に流れる神田川から駅東側に割り堀を引いて水上貨物輸送への窓口となっていた。駅名をつけたとき「あきはばら」と誤植されるが訂正されずに今に至る。
- 明治中期から大正時代にかけ、秋葉原周辺は鉄道・都電など交通の便が良く、そのため、特に卸売業が発達し、秋葉原駅近辺に青果市場も開かれた。
- 1925年 - 秋葉原駅~東京駅間の開業により東北本線が東京駅まで開通。
- 1932年 - 御茶ノ水駅~両国駅間が開業し、秋葉原は乗換駅になった。
- 1935年 - 神田青果市場が設置される。
- 1936年 - 鉄道博物館(のちの交通博物館)が東京駅から中央本線万世橋駅(のちに廃止)の駅構内に移転する。
- 戦前から戦後にかけて - 地下鉄(銀座線)・都電・国電と付近で多くの鉄道・軌道路線が立体交差をしていたことから、鉄道・交通に関する子供向け絵本に、未来都市の象徴として秋葉原が描かれることがあった。
- 1945年の第二次世界大戦後 - 神田地区の闇市で当初電機学校(現在の東京電機大学)の学生のために販売していた真空管やラジオ部品など電子部品の店舗が総武本線ガード下に集まって、今日の電気街の基になった。
- 1960年代 - 高度成長と連動する形で、テレビや洗濯機、冷蔵庫など家電製品の販売店が多くなり、大阪日本橋のでんでんタウンと並んで日本有数の電気街の地位を築く。
- 1980年代 - ファミコンの普及に伴って、各種コンピューターゲームソフトを扱う店が増え始め、ゲーム関連の専門店も登場する。
- 1989年 - 神田青果市場が大田区(大田市場)へ移転。跡地は駅前広場・駐車場を経て現在の秋葉原UDXビル・秋葉原クロスフィールドとなる。
- 1990年代 - 家電製品の郊外型量販チェーンストアの台頭で、家電売り上げが減少。その種の電化製品販売を縮小してパソコン及び関連商品を扱う店が増える。
- 1994年頃 - パソコンパーツ(いわゆる「自作PC」の部品)を扱う店舗が増え始める。
- 1990年代後半 - コンピューターゲームの中で、美少女やアニメを扱ったものに人気が特化していき、秋葉系・オタクといわれる存在が注目されはじめる。
- 1997年7月 - 秋葉原駅前広場を会場にコンピュータ関連展示会「インターネットショーin秋葉原」が開催される。以後2001年まで毎年開催され、1999年からは「AKIBAX」の愛称がつけられるなど、秋葉原の夏の一大イベントとなる。
- 2000年頃 - メーカー製コンピュータの販売が縮小し、代わってアニメ・同人誌系などの店舗、いわゆる「オタクショップ」が増える。
- 2002年頃 - 秋葉原駅電気街口周辺にアダルト関連グッズ(AV・おとなのおもちゃなど)を販売する、いわゆるアダルトショップが進出。
- 2002年6月 - 安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例(通称千代田区環境保護条例)が制定。秋葉原のほぼ全域が路上禁煙地区に指定された。
- 2005年8月24日 - つくばエクスプレス秋葉原駅が開業。同時に、同駅東側に車寄せや駅前広場も整備された。
- 2005年9月16日 - 秋葉原駅構内の、旧貨物駅跡地にヨドバシカメラマルチメディアAkiba・タワーレコード秋葉原店が開店。
- 2006年3月9日 - 神田市場の跡地に秋葉原UDXビルが開業。秋葉原クロスフィールドがグランドオープン。
- 2006年5月14日 - 交通博物館が閉館。博物館は2007年、さいたま市に鉄道博物館と改称して移転予定。跡地の今後は未定。
- 2006年6月2日 - 仮称TX秋葉原駅開発ビルが着工。阪急電鉄がつくばエクスプレスから同社の駅周辺の用地を借り受けて建設・運営するターミナルビルである。2008年4月に開業予定。阪急系列のホテルremmがテナントとして入店予定。
- 2006年10月16日 - 都内で初めての区営有料トイレがJR秋葉原駅にオープンした。
- 2006年12月22日 - 2002年以降休止していたAKIBAXが「AKIBAX2006」として復活開催。
- 2006年12月31日 - JR駅ビルにあったアキハバラデパートが閉店。
はじめに
秋葉原は現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術の聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェア・コンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェア&ハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。
この記事は、秋葉原の歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。
電気屋街としての秋葉原の歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前の秋葉原にも山際電気(現在のヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後、焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生がラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。
この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野や新橋、渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原の国鉄や都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。
その後、GHQにより道路の拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本の高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車で郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原は電脳街となるのである。
秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメやゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタクの聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。
秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌、アニメグッズ、ガレージキット(フィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原に移転するまで吉祥寺、渋谷、新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂の宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャー・ショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメやマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。
批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメの物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語やメッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生のミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。
東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語(アニメにおけるキャラクターやロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語は存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンのデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」
この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁・血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティ=コミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクターを好み、そうしたキャラクターが登場するアニメやゲーム、ガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在の秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術の進化が趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。
オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクはオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家の篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独な連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。
しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。
秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCやインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタクと情報家電の親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブやパソ通などで、一部のオタクはBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチな趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。
「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。
秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバblog(http://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットのジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在の秋葉原はオタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメのコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。
高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在の秋葉原は評価されるべきだろう。
参考文献
「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹
http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm
http://www.akiba.or.jp/history/index.html
オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思
http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1
http://sotokanda.net/his_cafe.html
註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。
コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博
カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介
動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀