はてなキーワード: 気概とは
いや違うんですよ、「笑った方が可愛い」ってフレーズにのみ反応して、ちんたら書いてたら、最新 25件がさっき見た最新 25件と全然違うことになってて、しかもトラバ元 URL キープするの忘れてて、過去ログ辿って再捜索するほど関連性も高くないしまいっかーそのまま送信しちゃえぽちっとなった次第なんです。で、URL 貼り付けるつもりだったタイトル欄が寂しかったから、それをはしょってタイトルにしただけなんですよ。
どの増田と混同されたか正直まだ見当付かないんですが、本日明けてからならこれ(このツリーのトップ)が初増田です、こんにちは。
追記:とりあえずその消されたエントリに反応した確率がとても高いところまでは判明したけど、ログ見たらこの話題に対して増田入り乱れ状態で、結局どの増田を指して同一人物とみなされたか判別できなかった。
あと、はじめは作り笑顔でも数年やってれば板に付くもんらしいので、自分が信じる先の境地としては、100% 意図的というより、意図的に作ったことを自覚するプロセスが無いほど自然に出せる笑顔、すなわちある意味自然な笑顔と言い表した方がしっくりくるかも。さすがにそんなグラビア的な笑顔を身につけようって気概は無いけど、自分がニコニコしてると思ってる時、相手もこいつニコニコしてるって思ってもらえるくらい思いの差を縮められたらいいなあと思ってる。いつか。
てーかこういう「女がよかった」っていってる男の言い分ってのはほぼ100パー、
「女に生まれてればセックス簡単にできていいよな」
だよな。結局は。
でも皮肉な事に、それは「男だから」思うことなんだよ。
仮に君が本当に女に生まれ変わったとしたら、その瞬間からそうそう簡単にセックスをしようとは思わなくなるだろう。
言ってる意味分かるか?
男の欲望を持ったまま女側のポジションに廻れば最強だろうが
それは両性のいいとこどりをしているだけ。お前は、「女がよかった」ではない。男の身でありながら女のような待遇を受けたい、と言っているだけだろう。そこのところを勘違いしている男が多すぎる。
女について男が語る時、どうしてこうも「都合の言い」部分だけを切り取って話す男が多いのだろうか?
女になりたいというならその全てを受け入れる覚悟はあるのか?
都合のいいところだけ切り取ってそれだけを欲しい欲しいという。
男であったときより性犯罪に遭いやすくなるし、
「イケメンに限る」なんて言ってるが、そんな今以上に顔で判断されるんだぞ?
生理もある。
くわえて喪女板を見れば分かる通り女になっても今のお前みたいなポジションである事も十分に有り得る。
そういったデメリットを全て受け入れる気概なんてない癖に、ナマ言うんじゃないよ。
「都合のいいところ」だけ見てそれを「女」とされてもね。あんたが見ようとしない都合の悪いところがもっともっといっぱいあるのにそれは見ないフリ。
都合のいいもの欲しがってるだけ。
単なる甘えん坊のぼっちゃんのわがままじゃん。
そんな気概じゃ、はっきりいって君、女になったら生き残っていけないよ。そんな甘いもんじゃないから。そんな愚痴言ってるくらいだから顔もたいしてよくないんだろう?そんな顔レベルのまま女側にきたらそれは凄いマイナスとなる。今以上にもっと生き辛くなるよ。そういう事考えたこともないんだろう。都合のいいところばっかり見てるから。
病院に行かせてください。
これが一番の解決策。
あなたじゃ抱えきれない。
このままじゃ,お互いに不幸なだけだよ。
今のままでは私もつぶれてしまうから,病院に行って欲しい。と言った方がいいでしょう。
はっきり言うけど。
「専門家に行かせる」というのが一番最良の方法。
あなたが支えるのもそれはいいでしょう。
でも,最良じゃないですね。
それはなぜか。まず症状が1つ。
幻聴,錯乱などの主症状から見て,うつ病じゃなくて統合失調症の疑いが強い。
うつ病は神経症なので,精神病の統合失調症まで行くと薬がないと快方には向かわないです。
うつ病と違って,人の支えだけでは難しいし,そもそもうつ病だって精神療法を受けた方が良い。
2つめ。
あなたが諦めかけているから。
恋人のように,ずっと面倒や根気よく世話をするという気概があるなら別です。
でも,やっぱり,友人だとこちらにも限界というのがある。
あなたが限界になって,友人をほっとくようになったとしても医者に行ってればそれだけでもいい。
3つめ。
早期の治療が早期の回復に繋がるから。
以上。
簡単にだけど,アドバイスをば。
http://blog.livedoor.jp/habuakihiro/archives/65115500.html 「元請けにこだわる理由」に
とあったので、すでにスーパースター級の人が答えてるけど、凡庸な人も答えてみる。こっちの方が圧倒的に数は多いので、意味なくはないかと。
自社のバックオフィスの方が、外注先に対してどんな立ち居振る舞いをしているのかご存じですか? 自社と外注先との間の契約がどのようになっているのかご存じですか? それを目の当たりにしても同じことを言い続けられる自信はありますか? そういうことはスーツの仕事とレッテルを貼って見て見ぬ振りをしてませんか? それでいて業界を変えたいなどといいますか?まず自社の外注先との関係をもっとしっかりと構築する気概を見せて頂きたい。
ほとんど知りません。たまに購買部署から納品・検収日をずらせとか指示が来るので、結構えげつない事もしてるかもとは思います。その問題は重大です。重大ですがしかし、それが重大だからと言って、技術が重要である事には変わりありませんし、外注さんにとっても技術を磨く事が有益である事も変わりはないので、言い続けない理由がないです。購買部署もコスト削減のために数人で数百の発注を滝のようにこなしつつ、常に上からの指示される目標数字に実態に合わすための仕事に忙殺されていて、1開発部門の1開発者が理想論をぶっても聞く耳を持つ余裕はないようです。
みんなで技術力を向上しようなどとアジテーションを繰り返しても、その成果を挫くような契約形態を取ってる会社に属して禄を食んでいるのが事実なのではないですか? 会社名の入った名刺を持つ時点で、会社の看板を担う一人なのです。住宅ローンを組むときに所属企業の信用があるから組めるというのは、それは「会社と自分は関係ない」などとは言えないということなのです。自分の信用は自分だけの力ではないのです。
すみません。ごめんなさい。生きててすみません。ただ、たしかにローンもカードも作れますが、給料については大学の同期で金融とかメディア系とか他業種に行った連中の話を聞くと、うーんって感じではあります。それでも、計算機が好きなので、後悔はしてませんが。
エンドユーザのところに謝罪に行く際に外注先を連座させて「開発したのはこの会社です」などとやるなら、だったら元請けなどやらなければいい。何のためにマージンを抜いているのか? お金を頂くに値する仕事をすべきです。
そんな事は自分や自分の周りではあり得ません。たとえ外注さんがこっちの言う事を無視して隠れて手抜きをしたのが原因であっても、謝りに行くのは我々です。厳しいお客さんは、原因の顛末の詳細を文書で要求しますが、当然元請けであるうちらの不手際という内容の文章を作って提出します。
作業が忙しいのと仕事が忙しいのは別の話です。俺たちだって忙しいんだ、などと下請けに対しては死んでも口にするものじゃないのです。言うべきは「お仕事を引き受けてくれてありがとうございます」です。その程度の節も通せないから、デスマるのです。プロジェクトマネジメントの筋も曲がってしまい機能しなくなるのです。筋を通すために体を張れずして何がマネジメントぞ。
これは意味が分りません。もちろんパートナーなので下に見るのはいけませんしそう心掛けていますが、上に見なくてはいけない理由が分りません。こちらの仕切りの迷惑を掛ける事もありそう言うときは平身低頭でお願いしていますが、逆に隠れた手抜きとかショボイ出来やスキルが追っつかなくてそもそも全く出来ないとかそういうを、外注さんがほとんど帰宅して家でのんびりだか彼女とよろしくやってる頃に、事務所で必死に尻ぬぐいしてるのも事実です。パートナーはパートナーです。
弊社などとは比較にならないほどの資本力と人材を持っていながら、一向に生産性が改善されないのは何故ですか? 相変わらず外注頼りなのは何故ですか? 自社で完結出来ない案件を受注するのを恥ずかしいとは感じないのですか? 何故10年前と取引価格が変わらないのですか? ブログなどで社外の人に向けてに叫ぶより先に、自社の中で行動して自社を変えてください。身の回り一つ変えられなくて、何が業界ですか? 何が社会ですか? 何が世界ですか? やりたいこと・出来ることをやってるだけで、世の中が変わるほどそんな都合のいいことはないのです。社内で上り詰めて改革をするくらいの気概を見せてください。
外注さんのメンバーは身の回りですが、購買部門も自社システム部門も開発部門からはまったく身の回りでないどころか別世界です。あと、重要な事を言いますと人月ベースで生産性が上がっていないというのは、本業としてお客さんには申し訳ないですが、外注さんにとっては生命線と言って良いほど必要なものです。もっとアジャイルでどんどん回せるような人だけでやれば生産性は上がりますが、通常の外注さんでそのレベルの人はリーダクラスとか一部だけです。多く見積もっても3??4人に一人がいいところ。羽生さんの所のような高スキル集団は極端な例外。そんなやり方をしたら、外注さんの売り上げはよくて半減、そして外注さんの7割は飯を食えなくなります。自由競争の社会ですから仕方ないと言えばそうかも知れませんが、自分は一緒にやっている外注さんのメンバがそうなるのは忍びないと感じるのは正直なところです。
1年前と・3年前と比較して、何をどれくらい変えることが出来ましたか? その実績をこそ叫んでください。これからの話よりも前に、これまでの苦闘とその結果を語ってください。であればこそ、その奮闘の先にある未来を信じることも出来るでしょう。プロは結果でのみ評価されます。
購買部門も自社システム部門も手が届かないので、身の回りは低レベルながら変えています。無駄なモノは作らなくて良いようにしたり、意思疎通を改善したり、外注さんのスキルアップをしやすいシステムにしたり、などなど。もちろん、羽生さんや比嘉さんみたいなデッカい事は出来ていませんが、コツコツとやっています。
購買部門も自社システム部門も、経営レベルで「これでは立ちゆかない」という危機意識を持たない限り変わらないと思います。一開発部門の一開発者が叫んでも、煙たがられて消されるだけです。自分も消されはしてませんが、圧力は何度も受けています。彼らに危機意識を持たせるには、羽生さんのような所が頑張って追い込んで貰うが非常に重要だと思っていて、影ながら応援しています。これからも頑張ってください。
http://anond.hatelabo.jp/20081015184850
えーっと、まずは良かったですね。v(。・ω・。)しかもアドバイスが言い方向に効いたみたいで。(私はそのアドバイス主じゃないけど。)
唐突で申し訳ないのですが1カ所だけつっこませて下さい。(そして独りよがり的な意見でもあるのでその点も含め)お許しください。
そこだけを目指すのはおかしくありませんか?
だから、相手の条件が変わっても(ex.失業、病気など)一緒にいたいなと思えるだけの
まずあなたのおっしゃることはとてもよく分かります。ホントその通り。
でもその上で私はあなたに断られた方(結婚前提で求愛された方)に少々同情してしまいます。ここでは彼らののパーソナリティについては(私に分かるわけもないので)除外してあります。
一般的にある程度年齢がいった男性にとって結婚は、社会や世間に対する一本立ちの宣言的な要素を持っていて、それに呪縛されている男性って少なくないと思います。そのような考え方をしてしまっている事って、責任は全て彼らにあるのでしょうか?
1世代前だと見合い結婚がまだかなりあったと思います。「恋愛」を知らないで結婚している親に育てられた方も大勢いるでしょう。友人と恋愛話をしないような人は「恋愛」に対するイメージはとても貧弱だと思います。(ソースは全部私。)
いい年した独身男性って下手をすれば何か問題があるくらいの視線を浴びせられます。土地柄や職種による差はあるでしょうが肩身が狭い思いだってします。そんな空気の中で社会的に一本立ちしたと認められたい願望ってそんなにいけないことですか。私は至極当然なもののの考え方だと思います。
(ここからは特に思いこみで書くので暴走気味になります。)
あなたに振られた方たちは「あなたといたい」という思いを持ちあわせてはいなかったのでしょうが、持ちたいんです。純粋に恋愛できるに越したことはない、できたらどんなに良いかと思っているはずです。でも自分の感情より社会の中での自分の立ち位置(独身者としての自分と、既婚者としての他者・多くはライバル)を意識するように刷り込まれちゃっているんです。面子を持っているんです。プライドを。
「あなたといたい」という感覚とは違いますが、「あなたとなら五十年生きていけそうな気がする」とは考えている。(ここは感覚なので理由付けは難しい。)そしてそう考えたからには、あなたとの結婚生活に責任を持つ気概や覚悟はあると思います。その前段階として、覚悟を決めるため食事などでいきなり価値観のすりあわせ(自分が妥協できるかできないかの探り的な質問)をするのだと思います。ムードもへったくれもありませんよね。その通りです。
私は現在30前半の独身ですが、親にはよくプレッシャーをかけられ「女なら誰でも良いくらいの気構えでいないと相手なんて見つからない。」といわれます。妥協は大切だといわれるのです。自分の気持ちに素直に生き、自分の感情を大切に恋愛ができるのは羨ましくさえあります。
そうはいっても一方では最近、恋愛をふまえないと結婚がしにくいのは事実なんだろうなと感じるようにはなっていきました。でも結婚を真剣に考えている私からすれば、恋愛なんてただのオママゴトだって思いもあります。少なくとも夫婦関係に比べたら恋愛は相手に対し責任ないですから。あと自分の両親が見合いで30年以上仲睦まじくやってきているので、恋愛が必須とも思いません。
もっというと恋愛結婚で離婚することだってあります。(こんなはずじゃなかったっていうやつ。)恋愛と結婚では、生活をうまく行うために要求される事柄が微妙に違うからでしょう。
繰り返しますがあなたのおっしゃることは間違いだとは思いません。当然あなたが誰と付き合うかはあなたの考えが全てです。
ただ、彼らの感覚を受け入れなくて良いですから、理解してあげて欲しい。少しだけ優しくしてあげて欲しいです。
彼らは、内在するちっちゃいプライドを大切にしたいと考えて行動してしまう、哀れな男たちです。
感情にまかせて書いたのでたぶん支離滅裂、事実誤認もあるでしょう。まとまりも説得力も欠けると思います。ただあなたがあまりにもばっさりと彼らを切り捨てていたので正直悔しかったのです。そしてあなたのように生きられている方が羨ましい。
変なこと書いちゃってすんませんでした。
追伸
あなたの恋の成就をお祈り致します。God bress you!
http://anond.hatelabo.jp/20081009143226増田より
ごめん、間違えたこっち。http://anond.hatelabo.jp/20081011231248増田より
ファッションとはすなわち流行です。はやりの物を追いかける生き方もあるけど、普遍的な事実を追いかける生き方も素敵なのよ。
有名プログラマとか見てご覧なさいよ、ファッションなんかに目もくれずにボサボサ髪の毛で偉業を成し遂げているでしょ。
映画監督だってそう。漫画家だってそう。目標に突き進んでいるとき、ファッションなんて殆ど意味をなさないんだよ。
人は周りの目が気になって弱気になったときにファッションに流されてしまうのです。
己を強く持ち、自分は自分の道を進むのだという覚悟を決めたら、ファッションなんて忘れてしまえるのです。
偉業を成し遂げられるかどうかは死ぬまでわからないんだよ。必要なのは気概。
人の美しさってファッションだけじゃないよ。ファッションなんて目もくれない生き方だって美しいんだよ。作務衣をきてたって美しいんだよ。ごつごつ汚れた手だって姫様は綺麗じゃと言うて下さるよ。つまりそういうことなんだよ。
党員の息子(よく考えたら"元増田"ではないですね。訂正しました)です。
「マルクスを指導者として崇めるよりも、神棚から引きずりおろし批判の対象としたり、ともに歩む同士として肩を並べてやり抜く気概」があるような人は、筆坂問題で党を離れた、という意味?それなら由々しき状況だよね。
まんまこちらの意味です。由々しき状況です。共産党は細かに支部があり、そこで勉強会等々を開き代々木に質問やらをあげていくシステムなのですが、筆坂問題の追及はされたのか疑問です。もし追求はされたとしたならば共産党の対応には疑問です。
筆坂という人は人間らしい人で共産党議員につきやすい一般的な堅物イメージとは、ちょっと違った豊かな人間性を持った方なので残念に思います。僕の父などはかなり憤りを感じていました。
最後の部分が気になった。
マルクスを指導者として崇めるよりも、神棚から引きずりおろし批判の対象としたり、ともに歩む同士として肩を並べてやり抜く気概が無い限り、共産党員は馬鹿でありカルト集団です。もちろんこれはマルクスを志位和夫やら代々木やらに置き換えても同じです。このような考えを持たれている方は、筆坂問題で党を離れられたのではないでしょうか。
これって、どっちの意味だろう?
「マルクスを指導者として崇めるよりも、神棚から引きずりおろし批判の対象としたり、ともに歩む同士として肩を並べてやり抜く気概」があるような人は、筆坂問題で党を離れた、という意味?それなら由々しき状況だよね。
逆に「マルクス(や志位和夫やら代々木やら)を指導者として崇める」ような人が筆坂問題で党を離れた、というのであれば、一時的に党勢はダウンしても、将来は明るいと言えるのかも。
そもそも、筆坂問題で党を離れた人って、そんなにいたのかな?
共産党員を両親に持った僕が無勉強な上、全くの想像ではありますがお答えいたします。
なんか、前半で志位が言ってることって「いちいち国会で取り上げてたらキリなくね?」という話ばかりな気がするんだが。「全国のあちこちで起こってる」って?実数が何件あるか知らんが、それら全部予算委員会で並べて、その都度麻生に「そりゃいけませんな」と言わせ続けるつもりか?それとも、今回幸運にも話題に上がった人だけ救済されたら後は知らんぷりか?
実数が何件よりも、トヨタがやっていることというのが重要。あのトヨタがやってりゃ余所もやってる、というのは想像できそう。
たとえトヨタだけであってもトヨタ=経団連という方程式はまだ生きているので、そのトヨタの不正に強く言えないことを問題提起しているとも言えそう。
その証拠にキヤノン(御手洗が今の経団連会長)のことも混ぜ込んで質問している。
ということでこれは「そりゃ(事実なら)いけませんな(けど個別の案件でしょ)」、と言わせてるで正解。
あと話題に上がった人だけ救済、ということにはならない。一つでも判例やら前例ができあがると全然違う。
ただマクドナルド店長残業代不払い問題とかと同じで、新しい問題がまた浮かび上がるのも事実。
共産党が一方的に言ってるだけで、それが違法かどうかも分かってない段階で総理大臣や厚生労働大臣が「トヨタけしからん!」なんて簡単に言えるわけねーだろ。
違法かどうかもわかっていない段階だから聞いているのだと思う。まあ共産党には違法だ、という確信があるのは確実。
まあ3ヶ月と1日おきに配置換え云々というところからも、正規雇用の義務から逃げているという、違法性を確信しているはず。
正直共産党の裏取りは半端無いと思う。
民主党の偽造Eメール涙目問題なんてことは絶対に起きない。責任は志位和夫がとると思うよ。そこはとらせなきゃ。
「こんにゃくゼリーで子供が窒息死して可哀想だからマンナンライフの経済活動を政府権限で強制的にストップします」と何が違うんだ?
トヨタは資本金3970億円の1部上場株式会社。いわゆる世界のトヨタです。
逆にいうとマンナンライフのこんにゃくゼリーが、なんでこんなすんなり製造中止になったかを考えるべき。
共産党も、あちこちで違法行為を確認済みならさっさと証拠固めて労基やら警察やらに通報するなり、赤旗で大々的に糾弾するなり、訴訟手続きのノウハウを被害者に伝授するなりすりゃいいのにな(これは実行済みなのかも知れんが)。
http://www.jcp.or.jp/youth/koyou/index.html
ここらへんは逆に一番強いところと思われます。
労働基準法や派遣法の改正とか、労基の監督権限強化とか、違反企業への罰則を強化するとか、そういった大局的な次元の話をするのが国会だと思ってたんだが、俺の認識が間違ってるんだろうか。
その改正/見直しのきっかけをこの質問で作っているんだと思いますよ。
現にあなたはいろいろ考えているみたいだし。
それが一票につながるはず、と共産党は努力しているんでしょう。
実際は全然つながってないですけどね。
最後にいうと、
共産党の代表質問は実はよくできた誘導尋問なのです。するっと答えが返ってくるとは端(訂正前:鼻)から思っておりません。
総理大臣に質問しても他の担当省庁の大臣が答えたりすることで、総理は質問から逃げている、というイメージを国民に与えたり、今回でいうと「個別の案件ですから何とも言えない」という言質をとったことで、この問題に進展があった場合に「あの時ああ言ったじゃないか、これは会社ぐるみ、グループぐるみの問題なんだ、動かないのはどういうわけだ」と言えることが大事なのです。
さらに言いますと、もう次の矢は準備されているかもしれません。そのくらい情報戦には強いですよ、奴らは。それで政府が動けばOKだし、動かなければ国民が審判を下す、そういったことを期待しているのだと思います。しかしこれは投票率が上がることが前提にされてます。この問題提起を受け止めるべき国民がどう動くかにかかってます。
国会で問題提起されたものを国民がひとつずつ判断し投票につなげないと、こういったことは水泡に帰すのです。投票率が低いと政府与党(現自民党)はHappyなんです。
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2008 10/10 08:10頃 追記です。
id:dekaino 宗教として崇めるのではなく、労働者の地位向上のために役立つ道具として扱うのが、共産党の上手い使い方?
というのは僕の実感しているところと似た考えだと思います。
政党はツールでしかないので、自分が高所得者になるまでは共産党あたりを支持して与党へのカウンターとして使うのがいいと思います。
ウィンプがマッチョになるためにとりあえず、現存するマッチョを叩くためのツール、ってことでしょうかね。
間違っても政党に帰属する議員は先生なんかじゃありません。ただの公務員です。みんなで見張ってどんどん汗かかせましょう。
上記のこれらと同じようなことを青木雄二が言っていたような気がします。
共産党が「たしかな野党」というのは伊達でなく、正直僕自身も共産党に政権とってほしいとは思ってません。一回くらいは好奇心程度にみたいかな、くらいです。
ついでに追記しますと、僕が共産党を積極的に支援する側に回らない理由は、共産党員が馬鹿ばっかりだからです。
学生運動くずれみたいなのが多すぎるんです。ファッションで政治に関わられても困ります。
公明党といっしょにされることが多いのはこういったことに由来しているのではないか、とも思います。
マルクスは神ではないし、またマルクス自身もそのようなことは望んでいないように思うのです。
マルクスを指導者として崇めるよりも、神棚から引きずりおろし批判の対象としたり、ともに歩む同士として肩を並べてやり抜く気概が無い限り、共産党員は馬鹿でありカルト集団です。もちろんこれはマルクスを志位和夫やら代々木やらに置き換えても同じです。このような考えを持たれている方は、筆坂問題で党を離れられたのではないでしょうか。
はてなブックマークで、コメント一覧を非表示に出来るようになったらしいが、俺は正直それよりも、「はてなブックマークのコメントに、直接コメントをつけ返す機能」の方がいいんじゃないかと思う。
今のはてなブックマークって、結局、ほとんど掲示板化してんだよなぁ。いい悪いはさておき、各々がブックマークしてコメントをして、他の人の意見なんかも見つつ……なWEB2.0!ってより、単に、2chのネットウォッチ板のスレを、該当のエントリにリンクさせました、みたいな感じになってる。
まあ、結局そういう風に流れてしまうのは人のサガなのかもしれないが……
制限しないと、有意義な使い方なんて俺たち愚民には無理なんだよなあというのを痛感する。匿名で、どんな記事にも書けて、しかもどんなめちゃくちゃなバッシングをしても、誰からも何も言われない、というフリーダムな空間を与えればどう転がっていくか……考えてみれば、当然のことだったのかもしれない。そんな自由で、責任も問われない世界で、「きちんと読んで」「反論にしても、無意味に強い罵倒はしない」とかそういうリアル世界でなら当然の事を、はてブ世界でわざわざ「してやる」奴がどれだけいるか。そんなある意味で、「いい子ちゃんぶった」ことをやる奴がどれだけいるのか。それを考えればやはり当然の帰結だった。
はてブは一部の人を除いてピンポンダッシュ化した。やっても、本気で追いかけてくる奴はそうそういない。
皆欲望のままに、読まなくても、脊髄反射でも、なんでも構わないからコメントをぶちまける。だってどうせリアルの俺だって分かるわけねーし、IDにしたって追いかける奴はそうそういねーし、コメントにしたって、コメント欄やトラバならまだしも、はてブのコメントにわざわざリンクしてコメントつけて反論するやつなんてそうそういねーし。じゃあ、やりたい放題やっちゃえばいいじゃん。なんか問題起きたら、消しちゃえばいいし。そんな感覚で出来てしまうのがはてなブックマーク。
ある意味2chよりもフリーダム。2chはおかしなレスを書いたら、すぐにその下で「何言ってんだ」「おまえの言ってることはおかしい」などとすぐ反論されてしまうが、はてブにはそれすらなかった。匿名の上、大抵は反論されずに済む(たくさんブックマークがつけばつくほど、自分のものは隠れていくし)。というか、仮に、ブログ主が反論していても、そんなのは関係ない。大抵、自分の書きたい放題かいたあとは、そいつのエントリなんか見ないから。自分の欲望書き散らしてすっきりした後は、見る必要なんてないし。
完全なる「俺ワールド」の出現だった。Myブックマークのページは、そんな俺ワールドの集大成だった。言いたい放題いって誰からも反論されないどころか、はてなスターができてからは、賛同者「だけ」が可視化されるようになり、「俺ワールド」はますます増長する。ブログでいえば、何をどう書いても、ネガコメはつかないが、「賛成です!」「同意です!」という声だけはつく、最悪でも、その「賛成です!」というコメントがつかないだけ、という状態。そら、書くわな。何でも。
一方、「ちゃんと読んでからコメントする」「罵倒はしない」「人格否定はしない」等のことを、なぜリアルや、個人のブログではきちんと守るのかといえば、それは「何言ってんのあいつ」「バカじゃねーの」と白い目で見られるのが嫌だったり、リアルでならそれで人間関係が形成できず孤独になってしまったりするのが嫌だったり、また、俺たち愚民は、自分では「バーカw」「ああそうじゃあ生きるのやめれば」とか言うくせに、自分にそれが向けられると怖いし、真っ当な反論が来てしまうとやはりそれも怖いという、人間、「DISりたいけど根はチキン」という奴がほとんどなため、だった。(俺はDISりまくる。だからお前らも俺をDISりまくっていいぞ。俺は何もいい訳せずそのDISを受け止めてやる、等という気概の奴はそうそういない。そこまでいけばそれはそれで天晴れだが)
はてなブックマークのコメント一覧を非表示にしても、その辺のはてブの性質はほとんど変わり無い。実際使う奴はあまりいなさそうだし、というか、非表示になることによって更に皆暴走していく気がする。「どうせ、こいつには見えてないんだろ?だったら今まで以上のDISでもいいよな」と。まあ、実際見てないんだから、ほとんどチラシの裏状態になるのでそれはそれでいいのかもしれないが、はてブの悪質な部分が変わるわけではない。
はてブのよさを残しつつ、悪質さを除外するにはどうするか、といえば、そこで、「コメントにコメントを『直接』つけられる機能」がいいのではないのか、と思うのだ。
直接、というのがキモだ。書いた本人の、Myブックマークに、はてなスターが現れるように、否応なく見ることになる状態でなくては意味がない。また、はてブのコメントに反論したいと思ったら、即、簡単に書き込めるためにも、「直接」書き込める感じの機能になっていることが必須だ。
別にコメントそのままが載らずとも、エントリに「○○users」と載るように、「あなたの意見にこれだけのコメントが更についていますよ」ということが分かればとりあえずいいし、あるいは、はてなスターは、「賛同」のマーク(ちょっと違うかもしれないが、とりあえずプラスの意味ではあるはず)だったが、その逆の、「賛同しない」という、紫色か何かのDISマークを作るのもいいかもしれない。
今の段階で既に、「↓」や「↑」を使って、やりとりをしている者がちらほらいる。それならばもう、はてブコメントに、直接コメントをつけられてしまう機能を作ってしまえばいいのだ。
実際につくか否かというより、その「直接コメントつけられてしまう」という恐怖が、「下手なこと書くと、反論されてしまう。DISられてしまう」という恐怖が、ちょうど、リアルやブログでそんなに下手なこといえないというのと同じく、「俺ワールド」の暴走の制止力になるだろう。
勿論、そんなことをしても、めちゃくちゃなことを書く奴は書く。ブログでも2chでもなんでもそういう奴は一定数いる。それはしかたがない。ただ、コメントをつけられる恐怖を課すことで、暴走の程度は以前よりは軽くなるだろう。
非表示をしても、それは臭いものに蓋をしているだけで、根本的な解決にはならない。毒には毒をもって制すのだ。
お怒りは分かる。
でもね、そんな事、何人もの人が何回もやってきたことなんだよね。
明らかにおかしな事していると「本人を含めた」誰しもが認めざるを得ない反論がでてきても、決して謝罪したり行動を改めたりしないんだよね。
私も今回、ちょっとどうかなって思って、その頭の悪さを説明しようかと思ったけど、やったところで何も変わらない事が分かりきってて、萎えちゃうんだ。
自己満足の為だけに人を批判するのって好きじゃないんだよね。
いかんよね、こんな態度じゃ。
だけど、もう無理。
はてブは彼らと一緒にこのまま腐っていってもいいんじゃないのって思うようになったよ。
だから、がんばって欲しいと思う反面、無理しない方がいいよとも思う。
http://anond.hatelabo.jp/20080816045217
彼女とその家族は「男が家族を養うべし」という考えを持っていて、憂鬱くんもやっぱり「男が家族を養うべし」と考えている。
だから、この場合、憂鬱くんがやらねばならんのは「今の年収で足りないのなら、稼いできます」とか「この金額でやりくりしてもらいます」とか、何かいわゆる「男らしい」コメントを言うこと。この両親には「男を立てる、ということを知らんのか?」と一喝してやるくらいの気概がないと、彼女の結婚するのは無理。夢のまた夢。大丈夫、彼女とその両親と憂鬱くんの価値観は同じだ。結婚に何より大事なのは価値観の一致だよ。
こんなところで、愚痴ってる場合じゃないぞ。
私だったら「自分の分と両親の分は、もちろん、私が払います。でも、あなた自分の分は出してね」と言ってくれる彼女を探すけどね(^_^;)。
「アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本」と題されたそのエントリからはとても香ばしい童貞臭が放たれていて、集まった村人たちは自分たちが若かった頃の少し苦い思い出を思い浮かべたりしながら口々に「俺はこのアニメがおすすめ」「こんな女いねーよ」「私女だけどこれはないと思う」など、早くも井戸端会議に花を咲かせていた。先走った若者が書き捨てていった浮ついたエントリを囲んで村人たちが談笑する光景は、なんでもない村の日常の一コマとして過ぎ去っていくかに見えた。
最初に気づいたのは誰だったのだろうか。始めは幻聴のように思われたが、なにやらエントリから声が聞こえる。しかもその声は村人たちのコメントに逐一反応しているではないか!
村の長老たちは戦慄した。
そもそも増田山から拾われるエントリに魂は宿っていないというのが定説だ。村人の声に反応したかのようにエントリが変化して数行の補足が書き加えられていることはたまにあるが、村人が発言するたびに逐一反応してみせる増田エントリなど聞いたことがない。死体が動き回っているかのような禁忌の念。しかもこのエントリの内容は、一部の長老にしてみれば痛々しい自分の過去と重なりすぎていてネタ扱いしなければ読むに耐えないような代物だ。
長老たちの対応は素早かった。短い会議の末に長老たちは声明を発表した。これは妖怪モトマスダの仕業である。妖怪は人間とは相容れない存在なのだ、だから打ち倒されなければならぬ。
かくして村の方針は決まり、村長はモトマスダを敵性と判断する旨を村全体に通知した。同時に長老に近い職工たちの組合へ通達が送られ、対モトマスダ兵器の大量生産が開始された。モトマスダ打倒の目的に限っては、普段は避けるよう指導される「オタ」という言葉の罵倒語としての使用すら許可された。
対モトマスダ兵器として作成されたのは、大量の改変エントリであった。改変は古くからある兵器で、元ネタへの注目を集め、その奇異なところを強調するには最適であるとされる。
大量生産された改変エントリは、瞬く間に絶大な効果を発揮した。村の運営に関わらない下々の村民ですらモトマスダを忌むべき存在として認識するようになったし、村の運営に興味を示さないが高い生産能力を示す職能集団(これはさらにギークやファックといった組合にわかれている)までも改変エントリ作成競争へ巻き込むことに成功したのである。
かくしてモトマスダは完膚無きまでに叩き潰された。断末魔の悲鳴とともに「アニオタが非オタの彼女に(ryの元増田によるまとめ」と題したエントリを吐きだしたように見えたが、誰も見向きはしなかった。村民は改変エントリの生産と消費に夢中であった。この熱狂はその後数日間続いた。
via アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
まあ、どのくらいの数のTwitterオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないTwitterの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、Twitterのことを紹介するために
Followすべき10ユーザを選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にTwitterを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う挨拶botは避けたい。
あと、いくらTwitter的に基礎といってもTwitter開発者の外国人アカウントは避けたい。
アニメ好きが『秒速5センチメートル』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
Twitterはアカウントを持ってるだけ、ふぁぼったー程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ふぁぼったー」を運営してて、「ふぁぼったー以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。戦闘力も53万だし。
ただ、ここでふぁぼったーネタ全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多なふぁぼったーについて、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなTwitter-er(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「Twitterオタとしてはこの2人のユーザは“ネタ”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のロリコンが持ってる幼女への憧憬と、2次元オタ的なネタへのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも宮崎駿的な
「ちょいペドなださカッコよさ」を体現するネタ
をはじめとして、オタ好きのするロリネタを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「botだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、
アメリカなら実写テレビドラマになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりTwitterは童貞のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「nonoriri」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、このユーザにかけるザマソニの思いが好きだから。
断腸の思いでかっこつけてもそれでも童貞くさい、っていう様が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにも童貞的だなあと思えてしまうから。
ありがみんの童貞クサさを俺自身は冗長とは思わないし、もう一生捨てられないだろうとは思うけれど、一方でこれが
なのに、発言の端々で童貞臭を漂わせてPOSTしてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられない童貞」としては、たとえありがみんがそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。写ツの表情の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の新規ユーザ層で猫メンテ画面見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
2007年前半で、Twitterの不安定さとかはこの時期ですでに頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティのサービスがこの時代によくやっていけるな、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくTwitter好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる捕鯨画像でしかエラーを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
otsuneの「してはどうか?」あるいは「lang:ja」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらないネットを毎日見てる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそひたすら女のケツをたんぶるのはotsune以外ではあり得なかったとも思う。
「仕事中にもTwitterを見てる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はotuneにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは爆弾だよなあ。爆弾が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうdisをこういうかたちでbot化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
ふぁぼったーから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたFollowingリストを作ってやる」という反応は大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
追記
私だったらハンドル選んで紹介されるより、一緒にはてダ行って「どのへんいけそう?」とか聞いて自分で選ばせてほしいな。誰選んでもバカにしないで、内容解説してくれたら彼を尊敬する
最終的に狙うのは、まさにその状態ですね。
このセレクションのキモって、「ono_matope」のところで書いているように、あくまで
「オタクが非オタのためにどこまでオタ臭を出さずにTwitterを説明できるか」
『脱オタクファッションガイド』と方向性は真逆だけど、狙っていることは同じ。
それができそうなのが私の場合この10ユーザということであって、シチュエーションとしては彼女の方が
「ちょっとTwitterのことが聞きたいんだけど、誰をFollowしたらいい」と聞いてきた場合を想定しています。
おま
そう言いたくなる気分はわかる。けど、ここで目指しているのはそこからの脱却。
可能か不可能かはこの際おく。できると思ってるから書いた。
「Twitterはアカウントを持ってるだけ、ふぁぼったー程度は見ている」元設定の無理度が一連のシリーズの中で最もクリティカルに出てきた改変だと思うwwww これありならどんな設定も通るわ!
この場合、どちらともとれるような書き方がいいのかなと思いまして。
自分が時かけ、東京ゴッドファーザーズのポジションになって笑った
全部好きなユーザからのチョイスですよー。
「実用のため」だったら『jihou』が確実に入るし、そんなリストはそもそも表に出せるものじゃないです。
arigaminがはまりすぎていて改変かどうかなんてどうでも良くなってしまった。
全くです。返す言葉もありません。
だから、捨てることなくありがみんが墓場まで童貞を持っていく結果となってしまってもいいんです。
オチは変えない方向で定着するのかw
だからハルヒじゃない10本目、いいものあったら教えてくださいと書いたわけで。
night16はどうしても「AIceとセット」になるので、先入観のないものを。
絶対箱の人が書いたろ?wと思ったら、やっぱり箱の人だった。
はてブがまさにその確認をするための作業なんですよね。
もしそこで「黙っておいた方が良い」と思いこんでもあとでしゃべっちゃたら、たぶん破局一直線だろうし。
むしろ、セルクマであることを認めてこそ、ネタが誤解されずにうまくやっていけるんじゃないかと
そういう期待はあるんですけどね。増田とは、匿名を徹底することではないと思ってます。
アホやwwwww
そいつは素敵すぎるぜベイベ。その狂気に触れ共感しつつ、あくまで正気を保ちたいぜ。
追記で全レスとか忠実すぐる
まとめエントリを作ってみました。
あわせてお読みいただければ幸いです。
まあ、どのくらいの数のアニオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないアニメの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、アニメのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にアニメを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う3クール、4クールのアニメは避けたい。
あと、いくらアニメ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
アニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場用アニメ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「エヴァ以前」を濃縮しきっていて、「エヴァ以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも2クールだし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「アニオタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、JAXA監修のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも谷口悟朗な
「童貞的なださカッコよさ」を体現するハチマキ
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ルパンIII世だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、
アメリカなら実写テレビドラマになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりアニメは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「あらしのよるに」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける原の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも2時間20分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
クゥの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
宮崎や富野だったらきっちり1時間40分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて2時間20分を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ原がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でコナン見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ナウシカよりも前の段階で、宮崎の哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がテレビアニメでこの時代にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるジブリ劇場用アニメでしか宮崎を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
押井の「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない学校祭を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアニメ版『らき☆すた』最終話はビューティフルドリーマー以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はビューティフルドリーマーにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうジュベナイル小説風味の恋愛をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
エヴァから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
追記
私だったらタイトル選んで紹介されるより、一緒にツタヤ行って「どのへんいけそう?」とか聞いて自分で選ばせてほしいな。
何選んでもバカにしないで、内容解説してくれたら彼を尊敬する
最終的に狙うのは、まさにその状態ですね。
このセレクションのキモって、「エヴァンゲリオン」のところで書いているように、あくまで
「オタクが非オタのためにどこまでオタ臭を出さずにアニメを説明できるか」
『脱オタクファッションガイド』と方向性は真逆だけど、狙っていることは同じ。
それができそうなのが私の場合この10本ということであって、シチュエーションとしては彼女の方が
「ちょっとアニメのことが聞きたいんだけど、何を見たらいい」と聞いてきた場合を想定しています。
そこをディープさを感じさせずに見せられなかったら、なんのためのオタクだよと。
『千年女優』は頻繁な場面転換が人を選びそうなので、それよりは正統的なカット割りのゴッドファーザーズを。
女性原作者のファンタジーアニメはいいと思うんですね。守り人は最終候補に残しましたし、『彩雲国物語』も
チャングムとの比較という点で、長くなければぜひ入れてみたかった。
(10本目から守り人を外したのは、07年テレビアニメで一番非オタにとっても見応えのあるものだと思うがゆえに、
逆にここに入れなくてもいいかなという理由で)
あえて『ハルヒ』以外は原作のないアニメを並べたんですけどね。
プラネテスも時かけも押井うる星も、オリジナルの範疇でしょう。
だからハルヒに乗り気じゃなかったのかな俺は。
連続ものについては、なにも短期集中でなくともいいと思う。
興味がなくなれば自然と見なくなるし、逆に興味が出れば自分からみたがるもんだろうし、
そこそこなら忘れないうちに続きをゆっくり見ればいいんだし。
後段については、それ故に「彼女の方から言い出した」という設定にしているというのもありますね。
彼女が積極的に興味のないものを、いかにオタ的暑苦しさ鬱陶しさを抜きにして、かつ
オタ世界の魅力をあっさりと受け入れてもらうか、そのセールストーク的コミュニケーション訓練が主眼ですから。
基本は「脱オタ」方向なんですよこれ。
これってまさにその確認をするための作業なんですよね。
もしそこで「差がない」と思いこんでしゃべったら、たぶん破局一直線だろうし。
むしろ、差があることを認めてこそ、オタと非オタが相互に肯定しあってうまくやっていけるんじゃないかと
そういう期待はあるんですけどね。脱オタとは、オタをやめることではないと思ってます。
そいつは素敵すぎるぜベイベ。その狂気に触れ共感しつつ、あくまで正気を保ちたいぜ。
そんなパーフェクトジオングみたいな珍妙な生き物居るわけ無いでしょ?
10本程度では酒に慣れる程度で酒の味が分かるようになるかというとどうか?
普通に好奇心が強いだけなんだけどな。そして染まりはしないが理解しようという気はあると。それだけの話だよ。
それに、誰も10本で酒の味をわからせようなんて言ってはいない。だから「軽く紹介」なんだし、きっかけ、入口。
『美味しんぼ』で偏食を直したカツ丼みたいなもん。あるいは今の漫画なら『神の雫』。
基本目が細くて等身が細めのアニメが中心だな。
まあ、萌えに踏み込む必要はないしね。後半はそれこそ「おめでとう」だよな。
お勧めされると逆に引く
いや、レコメンドでは全然ないのだけれど。
「オタが考える非オタのためのアニメ十選」っていう企画じゃない。
……なんでハルヒ?
カリオストロの城くらいで。
つーかムリにアニメなぞ媒介にせんでもええやん。
だからハルヒじゃない10本目、いいものあったら教えてくださいと書いたわけで。
カリ城はどうしても「ルパン」という枠があるので、先入観のないものを。
別にアニメでなくとも、漫画でもなんでもいいと思います。今回はたまたまアニメだと。
…(^ω^;) ((((((^ω^)
そう言いたくなる気分はわかる。けど、ここで目指しているのはそこからの脱却。
可能か不可能かはこの際おく。できると思ってるから書いた。
b:id:fuldagap 愚の骨頂
オタ世界的読解を捨てるわけじゃない。けれどそれは俺個人のもので、彼女にそれを知ってもらったり
まして共有してもらう必要もないだろ。
けれど、彼女がそういう俺の存在を許容してくれるなら、彼女に理解できる範囲で、俺という人間を
彼女がオタじゃあ意味がない、けれどせっかく自分と違うものの見方をしてるのに見守ってくれてるだけじゃ勿体ない。
彼女の感性を汲み取り、俺のコミュニケーション能力を向上させたい。
それくらいの貪欲さは持っていたいものだなと思ってる。
結果として彼女によって俺のコミュニケーション能力が引き上げられたらいいな、という期待を
もつくらいには貪欲でありたいなと思っている。
(tekitousphere - wideangle Weblog 2008-07-23「コミュニケーションの目的は……!」ということ。
での御指摘を受けて、改めました)
むしろそういうほうがアリかも。ありがとうございます。
あと、http://anond.hatelabo.jp/20080723070944にお返事を書きました。
http://twitter.com/wideangle/statuses/865446462
うへー……。
http://twitter.com/wideangle/statuses/865447639
結局「俺の」「能力」なのか。
お気持ちはよくわかります。私の書き方が悪かったですね。
そこで期待しているのは所詮は反射的効果に過ぎません。
そこに期待してもいいだろう、程度のもので、それを得ようという強固な目的意識まではない。
そこであえて「これってSF読みが女の子に贈ってしまう地雷なんだよね」と前置きして贈るってのは
どういうもんなんだろうなと。
そこでそういう風俗を面白がることのできる人もいるだろうけど、それがどういう面白がり方かと
考えてみると、あんまりいい結果になりませんよね。
全部好きな作品からのチョイスですよー。
「勉強のため」だったら『天使のたまご』が確実に入るし、そんなリストはそもそも表に出せるものじゃないです。
種明かし……だよね?天然で書かれたものならあまりにも狂気。ネタ文なら種明かしなしの方が完成度高い。
この場合、どちらともとれるような書き方がいいのかなと思いまして。
そりゃそうです。だから「俺の10本」でしかあり得ないし、「他人の10本」が知りたいです。
そして、女の子が主人公のアニメで女の子が感情移入できるものって、かえって少ないような気がしています。
そこの議論こそ、大切ですよね。
全くです。返す言葉もありません。
だから、見せることなく脳内に入れたまま墓場まで持っていくアニメのリストに結果としてなってしまってもいいんです。
順番に意味はないって書いたじゃん/あんなもん「話せばわかる」なんて思ってるやつの方が希少でしょ。
あれこそ正に「見て感じてしゃべる」ためのアニメだし。だからここに入ってるんだし、話せそうもないなら打ち切ればいいだけ/
コカコーラのキャンペーンで小説がドラマ化されて私はあせった。世間の人が森を知れば、私は今よりもずっと仕事のできない人間になると思って恐れた。相対的に順位が下がる、それもドラマティックに下がることを真剣に恐れた。
素人目に見てもキャンペーンは陳腐で大失敗どころか、マーケティングとかブランドイメージの確立とかそれらの全く出来ない人たちがありもしない勢いで作ったかのような「顔の見えない」キャンペーンで、そもそもキャンペーンではなく、ただのコマーシャルのいち形態なのかと思うほどでやっぱりドラマもどうにも中途半端で少なくとも森を感じさせる映像作品ではなかった。
スカイ・クロラが監督の作品となったときも少し怖くなったが、やはり杞憂だろうと思う。
そして私はいまこう思う。
森博嗣の熱い世代がうらやましい。オタク第一世代というのかフロンティアの気概はやはり私を、いい時代だったんだなと思わせるのです。
私は今のファンや若者に力も熱もあると思うし、仮になくてもその中で自分を全うしたいと真剣に思い、そうあることを願います。
ちょっとわかってきました。私は森博嗣や鶴田謙二、庵野秀明たちに置いて行かれると思っているのかもしれません。いや消えるのは森さんだけでしょうが、彼らの中には共有する時代があって、それを持ったまま森さんの声は私に届かなくなってしまうのです。
庵野秀明はゼロ年代を越えてもいくばくかの創作はするだろうし、山田章博も作品を発表するはずで、岡田斗司夫も唐沢俊一も社会に伴走し続け、鶴田謙二は相変わらず早送りにしても微動が確認できないくらいの遅筆でしょう。
私の妄想はとどまらないようです。
森博嗣の日記の終わりは、きっと創作への別れなのだと思います。漫画から研究、そして小説を経て、工作への傾注は私の前を通り過ぎる電車のようで私はそれを見送るより他ないのです。工作も創作だろうし、いやただ消えてもう見えなくなってしまうことの失いはどれほどの遺産があっても私には大きすぎるのです。
グッドバイと言えればいいのでしょうが。もともと日記の終わりをリアルタイムで経験しなかった私は、一度の別れで済むのです。覚悟して二度目を迎えるほうが幸せでしょうか、今こうして吐き出しながら覚悟をしきれないでいるほうが幸せでしょうか。