コカコーラのキャンペーンで小説がドラマ化されて私はあせった。世間の人が森を知れば、私は今よりもずっと仕事のできない人間になると思って恐れた。相対的に順位が下がる、それもドラマティックに下がることを真剣に恐れた。
素人目に見てもキャンペーンは陳腐で大失敗どころか、マーケティングとかブランドイメージの確立とかそれらの全く出来ない人たちがありもしない勢いで作ったかのような「顔の見えない」キャンペーンで、そもそもキャンペーンではなく、ただのコマーシャルのいち形態なのかと思うほどでやっぱりドラマもどうにも中途半端で少なくとも森を感じさせる映像作品ではなかった。
スカイ・クロラが監督の作品となったときも少し怖くなったが、やはり杞憂だろうと思う。
そして私はいまこう思う。
森博嗣の熱い世代がうらやましい。オタク第一世代というのかフロンティアの気概はやはり私を、いい時代だったんだなと思わせるのです。
私は今のファンや若者に力も熱もあると思うし、仮になくてもその中で自分を全うしたいと真剣に思い、そうあることを願います。
ちょっとわかってきました。私は森博嗣や鶴田謙二、庵野秀明たちに置いて行かれると思っているのかもしれません。いや消えるのは森さんだけでしょうが、彼らの中には共有する時代があって、それを持ったまま森さんの声は私に届かなくなってしまうのです。
庵野秀明はゼロ年代を越えてもいくばくかの創作はするだろうし、山田章博も作品を発表するはずで、岡田斗司夫も唐沢俊一も社会に伴走し続け、鶴田謙二は相変わらず早送りにしても微動が確認できないくらいの遅筆でしょう。
私の妄想はとどまらないようです。
森博嗣の日記の終わりは、きっと創作への別れなのだと思います。漫画から研究、そして小説を経て、工作への傾注は私の前を通り過ぎる電車のようで私はそれを見送るより他ないのです。工作も創作だろうし、いやただ消えてもう見えなくなってしまうことの失いはどれほどの遺産があっても私には大きすぎるのです。
グッドバイと言えればいいのでしょうが。もともと日記の終わりをリアルタイムで経験しなかった私は、一度の別れで済むのです。覚悟して二度目を迎えるほうが幸せでしょうか、今こうして吐き出しながら覚悟をしきれないでいるほうが幸せでしょうか。