はてなキーワード: 当別とは
前提として抜けてるので補足したい。
これだと、MCで絶叫したと捉えられかねないのだけど、そうではない。
『音楽を捨てよ、そして音楽へ』という曲は、大森靖子の代表曲で、夏フェスでもワンマンでもほぼ確実に、ラストとかのクライマックスに持ってくる曲だ。
その曲で、何回も何回もしつこいぐらい繰り返されるのが「音楽は魔法ではない」という歌詞。
https://m.youtube.com/watch?v=4668uGkrHc8
彼女の音楽自体がそうなんだけど、好き嫌いは相当別れる曲だと思う。でも、本人やファンからしたらたぶん一番大切にされてる曲だ。
幅広く愛される曲ではないかもしれないけど、刺さる人にはすごく刺さる曲なんだと思う。
で、何度も言うけど、この曲や大森靖子の人間性の好き嫌いとはまた別の次元の話で客観的に考えてみてほしいんだけどさ。
この手のメッセージ性の強い曲を、フェスのラストに演奏し、恐らく会場にまだ余韻が残ってるであろう中で、その直後に「音楽は魔法だよー」と、真っ向から否定するMCをすることは、シャレだとしても不粋すぎるし、そういうヨギーの空気の読めなさが、一番問題なんじゃないか。普通そこイジるか?
ベースの件とか、その後のいざこざは、尾ひれの部分だと思う。
これは別のアーティストに置き換えても同じでさ。
フェスのラストに、代表曲かつ、かなり重めの曲を演奏した直後に、別のバンドがMCで、そのメッセージと真逆のことをヘラヘラしながら言って、空気をぶち壊しにする。
これは無いだろ。これを面白いといえるヨギーのファンはどんな感覚を持った音楽リスナーなんだ。
大森靖子のキレ方が大人げないって意見は分かるし、そこに批判が出るのはしょうがないと思うよ。
けど、大森靖子はそういう人だから、としか言えんなーとも思うし、ヨギーよイジったらダメなとこイジったな、という感じ。
例えば銀杏の峯田とか、Coccoとか、かまってちゃんのの子とか、皆そうじゃん。イジっちゃダメなタイプでしょ。
今回の件だって、もし大森靖子がキレてなかったら、イジられた側はマイナスしか無いじゃん。せっかくいい感じでライブ終わったのに、その直後にイジって笑いに変えられて泣き寝入りするのは、本気でやってるアーティストからしたら、そりゃ無理だろ。
もし本当にヨギー側が大森靖子のファンなのであれば。というか、普通の感覚を持った演者であれば、フェスのラストに大森靖子があの曲をやったあとに、それをぶち壊すようなMCは無しだって分かりそうだけどなー。
民主党のマニフェストに無駄な公共事業は廃止するとあり、その目玉としてこれらのダムが取り上げられていた。しかし、無駄なダムは岩手県や北海道にもある。それらには触れず、こっちだけを建設中止するとしているのは、群馬県と熊本県が自民党の地盤であり、岩手県と北海道は民主党の地盤だからである。
底の浅い話に道化が踊っている状態で、真面目に取り上げるのがばかばかしい話なのだが、このネタがさも重要なネタであるかのように考えている人が意外と多く、もっと重要な話が取り上げられないという結果になっている。
マニフェストで中止を主張しているというのであれば、国費の出費を止め、その分を地方交付金として出して地方の事業として完成させるというやり方を取るしかないであろう。無駄な公共事業は中止するのではなく、スタートさせないという事で対策するべきである。調査の開始=建設の開始という自民党政権の悪しき伝統こそ、変えるべき点である。
政権交代の度に、出来そこないの公共事業が増えていくというのは、政権交代はさせるべきではないという結果に繋がる。
公共事業を中止するというのであれば、岩手県には、未着工や建築中のダムが4つある(簗川ダム、津付ダム、遠野第二ダム、胆沢ダム)、北海道にも4つある(西岡ダム、徳富ダム、当別ダム、圧幌ダム)、他にも民主党前党首が迂回献金を受け取っていた西松建設がらみで青森の津軽ダム、山形の長井ダム、宮城の二ツ石ダムというネタもある。
これらのダムは必要なダムで、八ッ場や川辺川が不要なダムだという基準は、明らかにされていない。
[2009.9.27] http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html