はてなキーワード: 完膚なきまでにとは
子供や学生はどいつもこいつも催眠術にはまって親や国家に奇妙な服従をしやがって。お前親や国家に騙されているんだよ、100%。そいつは超絶凶悪犯+知能犯(詐欺の天才)という前代未聞の手ごわい人間で、知恵と知識と資本と暴力を独占し、暴力で組織化し、人の弱みにつけこんで催眠をかけ、人を操作するところまでやる。本質が暴力しかないから、生きている価値もない罪人だ。心の中身は97%自己愛で、本物の愛は3%くらいしかない。しかも邪悪で嘘吐きでこの世から抹殺されるべき犯罪者である。家に放火するなり親を刺し殺すなり、その親どもを統括している警察や役所のボスを殺すのが正義だ。子供や学生はこれが理解できたら今すぐ自宅の包丁をバッグに忍ばせて連中を殺しに行け。完膚なきまでにめっためたに惨殺してしまえ、ゴキブリでも殺すようにな。
子供や学生はどいつもこいつも催眠術にはまって親や国家に奇妙な服従をしやがって。お前親や国家に騙されているんだよ、100%。そいつは超絶凶悪犯+知能犯(詐欺の天才)という前代未聞の手ごわい人間で、知恵と知識と資本と暴力を独占し、暴力で組織化し、人の弱みにつけこんで催眠をかけ、人を操作するところまでやる。本質が暴力しかないから、生きている価値もない罪人だ。心の中身は97%自己愛で、本物の愛は3%くらいしかない。しかも邪悪で嘘吐きでこの世から抹殺されるべき犯罪者である。家に放火するなり親を刺し殺すなり、その親どもを統括している警察や役所のボスを殺すのが正義だ。子供や学生はこれが理解できたら今すぐ自宅の包丁をバッグに忍ばせて連中を殺しに行け。完膚なきまでにめっためたに惨殺してしまえ、ゴキブリでも殺すようにな。
地元トップの高校に進学しながら完膚なきまでに落ちこぼれ、Fランに進んだもののサボりまくりバイトもバックレた。
でも相変わらず高校時代の友人は優秀。一橋3人、東大2人、慶応2人。
たまに飲むんだけどたいへん充実してるようだ。
全員普通免許持ってて普通に車欲しがってる。バイク買った奴が2人。
地元に居た頃は全員ややオタ臭かったんだが私服が着々と垢抜けて行ってる。半分以上が彼女持ちで非童貞。
つーか俺大学行ってないこと言ってない。まだバイトもしてるしサークルにも参加してることになってる。
あいつらと会うたびにコンプレックスで嫌な気分になるからもう会いたくない気がしてきてる。
でも会わなくなったときがマジで俺が終わるときのような気もして怖い。
ただ一つ言えるのは消費する奴はバカとか言ってる奴は憂鬱な奴で
消費しまくってる奴の方が元気だということだ。
地元トップの高校に進学しながら完膚なきまでに落ちこぼれ、Fランに進んだもののサボりまくりバイトもバックレた。
でも相変わらず高校時代の友人は優秀。一橋3人、東大2人、慶応2人。
たまに飲むんだけどたいへん充実してるようだ。
全員普通免許持ってて普通に車欲しがってる。バイク買った奴が2人。
地元に居た頃は全員ややオタ臭かったんだが私服が着々と垢抜けて行ってる。半分以上が彼女持ちで非童貞。
つーか俺大学行ってないこと言ってない。まだバイトもしてるしサークルにも参加してることになってる。
あいつらと会うたびにコンプレックスで嫌な気分になるからもう会いたくない気がしてきてる。
でも会わなくなったときがマジで俺が終わるときのような気もして怖い。
ただ一つ言えるのは消費する奴はバカとか言ってる奴は憂鬱な奴で
消費しまくってる奴の方が元気だということだ。
例えば部活とか会社とか一度自分で決めたものを辞めるってことに対して世間の風当たりは強い。風当たりが強いだけに辞める本人も罪悪感、自己嫌悪、情けなさを感じて疲弊してボロボロになって辞める。逃げる奴は逃げる事を繰り返す。いつまでたっても充実感のない人生になる。組織に属しているといつも自己嫌悪に苛まれている。そんな俺の人生を俺を例に俺が全力で無理矢理肯定してみる。
俺は子供の頃から何をやっても続かない子だった。運動音痴のくせにすぐにいろんなスポーツに手を出す。しばらくたって辞める。これの繰り返しだった。勉強も特に結果を出せず、特に興味のある学問もなく、ただだらだらと塾へ通い、惰性で中途半端に勉強しては平均点くらいで留まる奴だった。高校ではついに勉強すらもあきらめ退学しフリーターになりバイトを半年周期くらいで転々とし金が貯まっては2ヶ月くらいNEETになり、また求人広告を探し始めるといった毎日だった。時間ができればパチスロばかりやっていた。本当に何をやっても続かなく目標のかけらもない10代だった。
20代にさしかかっても明確な目標なんか見えてなかったがてとにかく一念発起一発逆転しなければならないと強く思い、極道の妻から弁護士になった人の本を読みモチベーションを高め、とにかくバイトの求人広告で一番時給の高いプログラマとかSEなるバイトが割がいいということで素人でも簡単に取れそうな MicrosoftのWord,Excel,Accessの資格をとってデータ入力のバイトを得てそこの社内公募から技術部へ入ってLinuxとか触らせてもらって合間に自主勉強して大学に行き、大学院に行き、就職し、就職先を1年ちょいしか経っていないが今度会社を辞める俺がいる。せっかくどん底から這い上がり社会のレールに乗ったにも関わらず俺は今回もまた例の長続きしない根性を朽ち果てさせる悪い虫が再び心の中に現れて、先輩社員からの白い目、裏切り者のレッテル、根性無しの烙印を押されるのにも関わらず今まさに退職の意思を伝えようとしている。世間が見ればどう見ても俺が初心を貫徹できない根性の無いクズであることは明らかだ。
ただ何でもすぐ辞めるには訳がある。勝手な意見を100も承知で言うが、全ては衝動だ。次への衝動が湧く、影響を受けやすい、常に変わりたい、新しいものを見たい、自分を変えたい、そのために生きている。明日に向かって全力疾走で走る何かが欲しい、10代に散々味わった惰性はもう十分だし惰性で生きていくくらいなら死ぬ、先が見えることをこれから何十年も会社でやり続けることは拷問に近いとすら感じた。自分は人から与えられた枠組みの中にじっとしていることはできない、いやどうせ辞めたくなるのだから迷惑がかかる、いつも申し訳ないほどに。自分でやるしかない、俺らみたいな人種はおそらく社会の中でクズ扱いされてボロボロになっているだろうが俺らみたいな社会のクズはクズなりに起業なり起業なり起業をしなければならない。野垂れ死んでも起業しなければならない。自分で考えた会社の枠組みの上でジタバタジタバタ新しいものを追いかけ回してひたすら技を磨いてADHDらしい発想で直感的に発想してモノをサービスを付加価値を創っていかなければならない。はっきり言って俺らのような人種は挑戦する回数と行動と瞬発力は並大抵のものじゃない(長続きしないのは致命的だがうまく管理してくれる相方がいればよい)。失敗ばかりでお金も全然貯まってないけれど、これまでの人生を急ハンドル切ってきた回数、独学の瞬発力とノウハウ、社会の底辺で味わった修羅場の回数、地を這い回り泥をすすって生きてきた人生経験に起業というフィールドでは勝るものはないはずだ。今ここでやらずにいつやる。
辞めるという事は決して負けることではないはずだ。会社に関していえば、労働契約である以上双方のメリットがなくなれば契約は解消される。俺は申し訳ないが辞めさせてもらう。先輩方には本当に感謝しているが辞めさせて下さい。完全に完膚なきまでに組織に従属し自分の頭でモノが考えられないことに、規律や空気に徹底的に従うことにもう疲れ果てた。5年経ったらとりあえず1人前になれるから5年は我慢って言われて、この俺のゴミクズのような人生模様からそれは完全に無理ってことをわかって下さい。それよりももっと自分の頭にあるワクワクすることを死ぬ気で追いかけて自分の人生をおもいっきり泣きながらもがき苦しんで生きていく。家族は飢えさせやしない、切羽詰まったらバイトだって何だってやる、俺はいつ死んでも構わない、ただ全力で泣きながら走らせてくれ。
辞めるってことは、俺の理想に向かう全力疾走のプロセスにただ「辞める」があっただけだ。いくつもの出会いや別れを越えてようやく俺は自分のフィールドに立とうとしている。遺伝的アルゴリズムのように評価値の高い広範囲なフィールドを確率的にうろうろうろうろ学習しながら探索した結果、探し当てた一山に今一気呵成に鬼神のごとく局所探索をかけようとしている。この山にこれから登り続けるかもしれないし、もしかしたらまた辞めて他の山を探索しにかかるかもしれない。いつまでたってもダメな奴かもしれないがいつまでたってもジタバタ走り回るバカでいさせてほしい。そんな人生をただ自分だけは肯定し受け入れて胸にしまい込んで一瞬一瞬を全力疾走で駆け抜けたい。
俺は俺の人生を100%無理矢理自分を騙して騙して嘔吐しそうになりながら何とか肯定する。本当はクズなことはわかっている。
ただそうやって生きていくしかできない俺を俺が肯定しないでどうするんだ。
という屈辱的な結果に終わった。
何よりもまずかったのは
最初の5分で決められたことと
後半ロスタイムに決められたこと。
完膚なきまでに叩きのめされたと言っていい。
終わった後、採点について激しく口撃した。
しかし採点はひっくり返らなかった。
全ては後の祭り。結果が全てなのだ。
好き嫌いは別にして韓国人俳優と比較すると体格はあまりにも貧弱だ。
サムスンから発売された。
そんなにも軽いものか?
ここ最近の韓国は常に上手で、一歩先のところから日本を見ている。
昨夜の日韓戦を見ながら改めて思い知った。
聞こえてきたのはデーハミングクの声ばかり。
声援でも負けていた。
今、我々日本人に必要なのは
ゆずの代表曲の一つに「夏色」がある。
そしてその曲の有名なサビの部分はこうだ。
この長い長い下り坂を
君を自転車の後ろにのせて
ブレーキ一杯握りしめて
ゆっくりゆっくり下ってく
そもそも自転車の二人乗り自体、道路交通法第57条第2項、さらにゆずは横浜出身なので神奈川県道路交通法施行細則第9条の該当規定により、2万円以下の罰金又は科料が課せられる立派な犯罪行為なのだが、まー警察の必死の抵抗むなしく(嘘)ヒット曲になっちゃったわけだし今回そこは大目に見てしまおう。
しかしサビの部分をもう一度確認していただきたい。
どこかおかしくないか?
長い長い下り坂、自転車の後ろに「君」をのせ進む。
そこでブレーキをいっぱい握り締める。
ていくわけないじゃん!
坂道で、しかも人ひとり余分に積載した自転車のブレーキを思いっきり握り締めたら、急停車するに決まってるじゃん!
こりゃおかしくねー???
こんなありえない歌詞を堂々曲に、しかもジャンジャン流れるサビにしてしまったゆずもおかしいし、それを黙って受け入れる日本国民もおかしいぞ!
しかし俺の知る限り、このことを指摘した人をまだ知らない。こんなに大ヒットした曲なのに、そしてかなりの国民が自転車で坂道を駆け下りた経験をもつであろう自転車大国日本であるにも関わらずだ。
もしかしてこの痛恨のミスは「J-POP界のタブー」で、これを指摘した人間はひとり残らず「粛清」されているから、そしてその指摘は完膚なきまでに「検閲」されているから世の中に流通していないだけかもしれない。
だとしたら俺も危ないのかもしれない。今この日記をかいている瞬間も、ゆず直属のスナイパーが俺の命を狙っているのかもしれない。
しかしやはり俺はこんな物理的にありえない歌詞を看過しておくわけにはいかない。俺が指摘してやらなければ、だれがする。そのためにとられる命であるならば、一遍の悔いもない。
さてそもそもなぜゆずはこんな歌詞を書いてしまったのか?その原因をさぐってみたい。
(1)単に表現の仕方をあやまった説
マジメに考察するなら、この説がもっとも有力だろう。つまり本当は「ブレーキを適度に握りしめながら」と歌いたかったところを、PVに見られるような「溢れだす若さ」が災いして勢い余って「いっぱい握りしめて」なんてやってしまったのかもしれない。
実はゆずの二人は好きな人を自転車の後ろに乗せて坂道を駆け下りるなんて、もう教科書レベルに模範的な「まぶしすぎる青春の構図」を体現したことなどなく、それどころか女子に相手にすらされない、悶々とした青春時代をおくってきたのではないか。それゆえ歌詞を全て「妄想」でこしらえたために、リアリティーが極端に欠如したこの歌詞が生み出されてしまったのではないか。しかもこの曲は彼らの「メジャーデビュー曲」である。根暗なやつが何らかの「デビュー」(その多くはいわゆる「大学デビュー」というやつである)を機にリア充をきどろうとして痛々しい結果になるのは、毎年この時期全国各地で見られる恒例のシーンである。つまりこの歌詞は、非リアの非モテがリア充をきどってかえって痛々しくなってしまった一つの例に過ぎないという説だ。
もしゆずが本当に長い長い下り坂をブレーキ一杯握りしめて「ゆっくりゆっくり」下っていった経験があるとしよう。全くきかないブレーキの自転車で長い下り坂を下ったら間違いなく猛スピードになるだろうから、ある程度ブレーキは効いていたのかもしれない。しかし人間二人(推定100キロ)を積載した上、ブレーキをいっぱい握りしめても停止しないということは、やはりその自転車は完全に整備不良である。
そもそも長い長い下り坂の後半にはそれなりのスピードに達していると思われるが、この自転車は止まることが出来るのか?もし坂道の途中でクルマが飛び出してきたらもう轢かれるしかないし、止まることがマトモに出来ない自転車で二人乗りなんかしてたら確実に事故る、もしくは誰かを轢いてしまって殺してしまったり重大な障害を負わせる結果となるだろう。そしたら最悪死ぬか、重傷を負うか、あるいは交通刑務所行きのあげく多額の損害賠償請求を受けるだろう。死んでしまったら「ゆず」は下界ではデビュー出来ないし、仮に重傷を負ってしまったり刑務所行になったならそんな悲惨な経験をあんな楽しげに歌うはずがない。よってこの説の可能性は非常に薄いだろう。
個人的には(1)の説を信じたい。言い間違いか、ただの語呂の問題だったのかもしれない。しかし(3)はともかく(2)の説もまたやはり濃厚だ。デビュー曲の、よりによってサビの大事な部分がそんな痛々しい「非リアの似非リア充アピール」だったなんて、今や紅白出演アーティストであり、北川悠仁に至っては「月9俳優」でもある彼らにとっては「不都合な真実」だろう。そしたらやはり、俺は「ゲシュタポゆず」によって粛清されてしまうのかもしれない。
でもやっぱりこのことを伝えずにはいられなかった。もし俺がゆずに消されてしまっても、俺が残した「ゆずの夏色のサビってヘンだよねー」という指摘が消えずに読者のみなさまに残っていくのであれば、筆者として望外の喜びである。
元増田です。
[心臓が動き出したことが]、っていう仮定を持ち出したのは貴方。
それは貴方が死因をも死の理由として挙げたので、私も同レベルの『生因』としてその仮定を挙げたまでです。
つまり先出しは貴方なのです……。私はそれに応じただけです。
ちょっとお互いに認識の齟齬があるみたいですね。
例えば、一度脳や心臓を完膚なきまでに破壊され、死亡が確認された後、それを完全に復元できる技術が存在あるとすれば、それを死からの蘇生と呼ぶことができるかもしれません。
でもそれは、哲学的な事象における死を示しませんし、それに貴方自身、死は永続的なものだと仰っていたではないですか。
論理自体は間違ってはいませんが、それを言ったら駄目だろ、って感じですね(死が存在しなくなりますので……)。あと、やっぱり先の発言と矛盾しています。
ツイッターにも書いた(現在はそのツイッターは削除しています、復活は出来ます)「私の外見とアニメを見るのは関係ない」という事さえ理解してもらえれば、
このような嫉妬も評価も嘲笑もしなくて済むと思うのですが…
一回イジメを始めた集団が、後から改めるってことはないです。
理由は2点
・もう貴女を弄ること自体が目的化している。理由は後から幾らでも付けられる。
・動機も責任も放棄しているから改めようがない。曰く、「だって皆も笑ってたし」
ではどうすれば良いか。逃げましょう。
可能なら引っ越しましょう。
数で攻められたら、どんな名将でも勝つのは難しいです。
しかも、戦争なら相手を殺して数を減らせますが、現代でそれは無理。
しかも相手は貴女を弄るのが目的ですが、
割ける気力の割合がそもそも違います。
理不尽な話ではありますが、勝ち目はありません。
逃げるにあたって重要な事。
・味方・理解者を作る。
→言い出しにくいでしょうが、信頼できる友人知人に現状を相談しましょう。
敵よりも味方の絶対数が多ければ、精神的に追い詰められる事はあんまりないです。
・一人で出歩かない。
→これも難しいでしょうが、出退勤時になるべく集団で動きましょう。
児童ばかりの集団登下校でも、集まってるだけで変態は尻込むものです。
況や大人なら。
また、イジメ等では、いじめっ子はまず対象を孤立させるところから始めます。
10対1と20対2では、全く展開が異なります。
(殴り合いでもすれば同じ結果になるでしょうが、
イジメる側は絶対安全圏から出られないので。)
どうしても、逃げたくない、または、周囲にオタばれしたくない場合…
・暫くは、ストーカー共との戦いに全てを捧げる必要があります。
中途半端はナシにして、全力で戦って、痛い目を見せるしかありません。
連中の首謀者を特定し、そいつだけを徹底的に、こっちが悪役になるくらいの気持ちで向かっていき、
社会的に完膚なきまでに殺す(くらいの心構え)で当たらなければ、見せしめにもなりはしません。
特にこのケースだと警察は役に立ちませんが、それでも一回は話を通しておきましょう。
理不尽ではありますが、ある程度失う覚悟をして、本当に大事なものを守ってください。
ネタならそれに越したこと無いし
万が一ガチなら可哀想な御話。
私は両方とも0になるのがわかりきってたから式をやらなかったなぁ
これまでは美容室でカットしてたんだけど、職を失ってからは専ら1000円カット。
新築高級マンションのエントランスから小太りの男が出てきて目が合った。
ユニクロで売ってるような無地のポロシャツに綿パン、アディダスのスニーカーという出で立ちに何故かバーバリーのショルダーバッグ。
アディダスとバーバリーという珍妙に着こなしに何とも言えぬ違和感があり、普通に「だせぇ」と思った。
男は無表情のまま俺のやや前方同じ方向に向け歩き始めたのだが、突然「ぶはは!」と吹き出した。
逆光で表情は見えないがガラスごしに明らかにこちらの様子を伺っている。
iPodや携帯をするでもなくガラス越しにチラチラこちらを見ながら笑いを押し殺して歩いているように見えた。
瞬間、体内の血液がカッと逆流した。
いい年で無職、スポーツ刈り、無精ひげもボーボーだし、身なりも整っていたとは言えない惨めな境遇の自分と、
悪趣味ながらもおそらく勝ち組にカテゴライズされるであろうこのブ男を瞬間的に対比してしまい、完膚なきまでに打ちのめされた。
だが次の瞬間、「この野郎!馬鹿にしやがってよ!!!!」と危うく絶叫しながら飛び掛るところだった。
これまで警察沙汰になるような事件など起こしたこともない、自他共に認める穏健派のこの俺がだ。
怒りと屈辱で未だに手が震えている。
巷では職を失った人たちの事件が紙面を賑わせているが、俺もそろそろ他人事ではなくなってきたのかも知れない。
なんかもうふられると全ての自信が完膚なきまでになくなるね。完膚の使い方間違ってると思うけどそこは勢いで。
誰が悪いってわけでもないからなー。運が悪いと思うしかないんだろうけど、自信喪失状態では自分はダメダメだから何度誰に告っても同じだとしか思えないんだよね、、、。悪いのは魅力のない自分だと思っちゃう。
しかもその女を唯一無二だと思ってるから(ここから脱却するのに数ヶ月から年単位でかかる場合も。きもいがしょうがない)、何度も誰かに告るとか考えられないし。
考えられないのに、しかも成功率がゼロとか思っちゃってるから、ますます八方ふさがりだと思い込んでしまう。
しかしだよ、ここまで思考したらあとはそこから対策を考えるだけなんだよ。
問題は2点、あきらめの問題、自信の問題。
自信の問題はねえ、自分の魅力という客観的な能力に比例して上がったり下がったりしてると思いがちだけど、実際の自信は本人の能力とは関係ないんだ。だからいくらでも高めることができる。
この辺ねえ、けっこうちまたに出回ってる自己啓発本とかバカにできないぜ。特にカーネギーとか外人が書いた奴がいい。アマゾンの「これを読んだ方はこれも読んでます」とかをたどっていったり、レビューを参考にして、いくつか読むだけでもずいぶん違うよ。
そう、分からないなら大いに悩むがいい。
その悩みが、貴方をより大きく成長させてくれるわけだから。
ただ、老婆心ながら一言・・・・・・。
世の中には、そんな「生きる意味」を求めて苦悩している若人の、その心の奥の隙を狙ってくる碌でもない連中が存在している。
特に、春の時期の大学キャンバスにはそんな罠がそこかしこに埋もれている。
「生きる意味は有るんですよ」
「これが生きる意味なんですよ」
そんな断定的で甘美な言葉で貴方を誘惑しようとしてる輩がいたら、速攻で逃げることをお勧めする。
そういう連中は、貴方のまさにその苦悩を喰い物にし、永遠に搾取し続けることを狙っているのだから。
そんな連中に引っかかったら、貴方はこれからの貴重な人生を喰い物にされ、貴方がまさに求めている「意味のある人生」すらも、完膚なきまでに奪いつくされてしまうのだから。
それは丁度、うちの兄貴のように・・・・・・。
「生きる意味」は難しい。
以下はひよっ子の妄言である。
そろそろ大学生活も終わりというところで、ふと思う。
大学内外にたまに飲みに行ったりして「あーでもないこーでもない」と話し込む程度の女性の友人は少なくない。
思い返せば、1年次、3年間の男子校生活を終えた私にとって、大学生活とは非常に眩いものであった。
女性がいると場が非常に明るく、男のみで騒ぐのも悪くないが、やはりそれとはまた別格の楽しさというものがあった。
私はある割とまじめなスポーツサークルに所属し、その後学年の牽引役としてのポジションを固めていったのである。
その過程で、男子校の気質であろうか。思えば、それが間違いの源であったのかもしれない。
頭の固い私は恋愛に疎い。ただ疎いだけなら失敗のしようもあるが、恋愛の失敗はサークルを崩壊させる可能性のあると思い込んでいた。
しかし、恋愛とは疫病のようなものである。
私はとある女性にコロっとやられてしまったのである。
無論、振られた。完膚なきまでに叩きのめされた。己の打算と底の浅さを思い知らされた。ちなみにその女性は重度の腐女子であったことが後に判明する。
元々、サークルからは消えつつあったその女性はその件の後、やはり疎遠になってしまった。
私は泣いた。実際には泣いていないが、心の涙を流した。そして、自らサークル内恋愛の禁を一人、心の内で誓った。
そして、私は「恋愛」という事象について深く思い悩むことになる。
その後、さらに、恋愛ごときで精神を耗弱させるなど、軟弱者のすることよ!と童貞をこじらせていくのだが、それはまた別の話。
かくて、自らの恋愛ベタをただただ己のスペックと性格の問題と決め付けた私は、恋愛などその1年次の一回のみ。
4年次に至るまで本当に食指も動かなかった。
が、実際のところ恋はしていたのかもしれない。
その内に友人らは着々と己が欲望と策略に従い、恋人を作っていった。
幾度となく、男女ともの友人から彼女を作らないのか?と問われてきた。
その度に「気に入る人がいないし、気に入ってくれる人もいない」とのたまってきたわけであるが、
女性を見ても、どうしてもある女友達と比べてしまう自分がいたのだ。
その女性には2年次の初めより、私もよく知っている彼氏がおり、両者の喧嘩を仲裁するほどの付き合いをさせてもらっている。
仲がいいときの両者は非常に仲睦まじいが、そうでない時は非常に険悪である。それでも付き合いが続いているのだから、相性はいいのだろう。
そして女性の方は非常に出来た人である。決して美人ではないが、包容力と優しさをたたえた顔つきであり、プロポーションは良い。
各方面の文学に通じ、映画等サブカルチャーに関する造詣も深い。
料理はおおざっぱであるところが玉に瑕であるが、非常に懐が深く、また、他人の悪いところはきっぱりと「悪い」と指摘できる女性である。
隣の芝は青く見えるものだと笑っていただいても結構。だが、私にとってはマイ女性ランキングの五指に入るような女性だ。
そんな女性とどうしても出会いのある女性を比べてしまい、恋愛に至らない。
そうこうしているうちに卒業である。
社会に出れば出会いは多いと人は言うが、どう考えても私の理想は高い。
30代。女。非モテです。合ってるかどうか、ちょっと聞いてください。
昔から自分がブサイクだってことには気付いてた。小中高と、典型的な非モテ女が通るような道を歩み、外見でちやほやされるかどうかが決まる世の中への歪んだ鬱屈が形成されていったと思う。
道が開けたのは大学時代。パソコン通信というものの存在に触れてから。
私が知ったのは、インターネットへとバトンタッチしかけている最終期ではあったが、そこで、外見に左右されないで済む居心地のよい世界を初めて知った。今で言うネトゲ廃人などとは違うが、むさぼるように夜ごとモニターごしの世界を堪能し、失われた自分の居場所を回復していったものだった。
たまにおそるおそるオフ会などに出席してみても、その時代のそういったところには美人などまずおらず、女性であるというだけで大事に扱ってもらえるような雰囲気が、私のそれまで完膚なきまでに破壊されていた女としてのプライドを徐々に持ち直させてくれた。主流の場がインターネットに変わってからも、早くから場慣れしていた私にとってそのデジタル社会は、住み慣れた安住の地に他ならなかった。モヒカン族に刈られることもなく、刈る側に回るほどではなくとも、お気に入りのテキストサイトや2chなどを泳ぎながら先住民として快適にすごしていた。
状況に異変がおき始めたのはここ数年。
「パソコンを持っているのはネクラなオタク」という前時代の雰囲気は完全に一変し、ケータイでネットにアクセスすることも徐々にできるようになりつつあったその時代。一億総インターネットの社会に、SNSが追い討ちをかけた。
もちろんネット上でのアンテナをそれなりに伸ばしていた私は、そういったSNSにもいくつか参加し、頭ひとつ抜けることになるmixiにもその成長に寄り添うかのように依存するようになっていった。今思えば先住民気取りかつ外見差別のなかったネット社会の居心地のよさに平和ボケしていたのだろう私は、それまでのオフ会のような感覚でmixiのオフ会などにも参加してゆくことになる。
はじめは小さな違和感にすぎなかった。mixiの人口が右肩上がりで増え始め、mixiこそ私にとってほぼ失われていた親友を作る機会というものを補完してくれる強力なツールと錯覚しはじめた頃に出席したいくつかのオフ会が決定的だった。
仰天した。もはやそこにいるのは、これまでのオフ会で会って来た様な、いかにもネットの住人という、どこか安心させてくれるある意味カタワ的な容姿の者などではなく、颯爽と街を歩くイケメン、美女らそのもの(私の目から見たら)。
これまでのオフ会ではむしろ場違いだったそのような人らが普通のコンパのように幅を利かせ(普通のコンパ知らないけど)、むしろ場違いだったのは私(の顔)だった。当然のごとく、そのような環境での私の扱いは、自分がただのブサイクであることを思い出させられるものとなる。別にオタオタと挙動不審だったとかではない。情報過多なネットの住人だったこともあり、それなりにどのような話題にもついて行けるし飲むこと自体は好きになっていた私は、その場では分け隔てられることなく楽しく過ごしたつもりでも、終わってからのメッセージのやり取りなどではいつの間にか無視され、次の飲みの機会(オフではなくあえて飲みと書く)があっても、顔を見られた後では誘われることはなかった。おなぐさみのように女性と打ち解けてみたりしたが、中身を知ればとても恒常的関係を築けるような相手ではないと(たぶんお互いが)感じて立ち消えたりディスコミュニケーションに陥って喧嘩別れしたりした。
リアルの世界ではとても近寄りがたく避けていたそのような人らが、ついに私の楽園だったネット社会にまで侵略してきたのだ。
彼らの侵食は苛烈を極め、もはやそこにあるのはリアルな社会と何ら変わらない、外見差別とそれを隠すおためごかし。いたたまれなくなった私はmixiから撤退するに至った。
そしていまや私は、最後の砦であるはてな村に追い込まれている。ここではまだ、自分の中の女性性を否定し尽くさないで済む程度にはちやほやしてもらえる。でもここもいつか現代のスペイン軍によって、陥落させられる時が来るのだろうか。
結構叩かれてるけどこの人の気持ちは分かるなあ。
ブスだからって言ってる人に、「美人も辛いよ」って言うのって、傷に塩を塗るような行為じゃない?
それをしたかったんならいいけど(いや、本当はそれはそれで全然よくないけどw)、皆そうじゃないわけでしょ、やっぱり。
確かに多分、「美人も辛いから」って言う人って、「美人だって誰だって皆色々だよ、皆色々辛い人生送ってるんだよ、あなただけじゃないよ」で励ましてるつもりなんだろうな、って思う。で、そういう人はなんか本当善意で言ってるから、余計困るというか。多分基本的にはいい人なんだろうね。「美人も辛いから」って言う人は。でもだからこそ性質が悪いんだよ…いい人っぽい言葉だからこそ、そういう言葉にこの増田みたいに反発すると、叩かれるわけでしょ。「なんだこいつ、わざわざブスに優しい言葉かけてやったのに」的精神なんだと思うけど(ってこう指摘したらこのことも更に『性格悪い』って思われるだろうけど、もうそこは覚悟の上なんで)。
あんなに「いい人!」とか言われてたのに、ブコメでは一転して「性格もブスだ」「落ち込んで正解、あんたの心の暗さを指摘したんだから」とかなんか「小町的キレ方」が勃発してるしw
「美人も辛いよ」っていうのはさ。結局はてな界隈でよく盛り上がるマッチョ話と同じなんだよ。「俺、残業こんなにあって薄給でどうこう……」って愚痴ってる人に「甘えだ」「皆そうやって辛いんだ」「お前だけが辛いなんて思うな」って言うマッチョと、それに反対する反マッチョで時々バトルしてるアレ。それと結局全く同じ構造なのね。
「いいよな高給取りで休みもある奴は」「お前、そういう奴だって辛いんだぞ」ってね。
でも皆さ。誤魔化してるけどさ。もう認めようよ、いい加減。
ブスの辛さよりは美人の辛さの方がマシに決まってるし
サビ残連続、薄給の人の辛さよりは高給で休みしっかりありな人の辛さの方がマシに決まってるじゃん。
もうそこを誤魔化すのやめようや。
弱者が愚痴れば「でも強者だって辛いことはある」で打ち消される。打ち消そうとしてくる。でも、打ち消せるの?それ?本当に?打ち消せるほど同等か?
ただでさえ弱者なんだ。愚痴くらい言わせてくれや。愚痴でさえ、強者から「俺だって辛い」で押し込められてしまう弱者って、どうすればいいんだよ。どこで空気抜けばいいんだ。ていうか、強者は何をしたいんだ。弱者をそこまで完膚なきまでに潰したいか?それならもう堂々と潰してくれや。
もうネットみのもんたはたくさん。いい人ぶって弱者をマッチョ理論で陥れていいことした気になって、弱者がこうやってもんた理論にケチつけると弱者を庇うような態度が一転して「それだから弱者なんだ」「これなら弱者であるのも納得」なんてたたき始める。
結局ぶっちゃけた話、自分達の強者様のご意見を、弱者が素直に受け取らなかったのが腹立つだけでしょ?
「事実を言っただけ」とか後から「そういう意味でいったんじゃないもん」とか言ってるけど。じゃあどういう意味だよっていう。てーか事実を言っただけって何だよw事実を書き込むにせよ何にせよそこに意図は出てくるわけで。意図がないならそもそもわざわざ書き込まないだろう。
上の増田の例も、「ブスだから」→「美人だって辛いわよ、だから元気だして!☆(私ってばいい人!)」→「そんなこと言われても寧ろ凹む」→「…(ブチッ)…は?何なの?人がせっかく言ってやったのに、調子こきすぎじゃない?てーかあんた、だからブスなんでしょ。性格もブスだね。救い様がないわ」(あるいはそれの亜種で「いや違うからwww最初からあんたを傷つける為に言ったんでwww」と方向転換することで叩く奴もいる)って流れじゃんw露骨過ぎてついついワロタけどw
http://anond.hatelabo.jp/20080702053741
カレシいないと信じてたしそのようにふるまっていたのにもかかわらず、実は・・・という展開でショックを受けたのか?
別に彼氏がいようがダンナがいようが気にスンナ。今まで通り飲みに行ったり遊びに行ったりしてコツコツ仲良くなっとけば、いつの間にかあの子のハート(笑)は増田のもの、なんてことがあるかもよ。そうでなくても1回ぐらいヤレるかもしんないし。
そんなに落ち込むことないよ。
好きな女性に彼氏がいることを知ってしばらくショックから立ち直れない。
完膚なきまでに振られるならまだ諦めがつくし気持ちの切り替えもできるけど、
「増田さんが良ければ今後も一緒にいてほしい」とか言うからかえって辛い一方。
客観的に見たら「彼氏がいながら自分の事を好きと言う男を侍らせとくなんてひっでー女」としか感じないからさっさと気持ち切り替えられそうと思うんだけど、当事者だとなかなかそれに気付けないよねえ。
完膚なきまでに振られるより酷い事されたと早く気付ければ良いね。
Hahaha!
完膚なきまでに男の心理を理解してないなw
恋愛経験多くないのか?年増なんだったらできればもう少し理解しといて欲しいものだ。
とりあえず参考資料として以下を読んで欲しい。
http://labaq.com/archives/50712283.html
とくにこの辺。
パリスとあたしの違いはカメラがついてきてるかどうかだけだ。そう叫んで自殺した少女も日本に生まれていれば、人生を謳歌できていたかもしれない。
確かに一歩目はブログだった。しかし、その次の飛躍はケータイ小説が成したものだ。ブログによって引き下げられた記述することに対する障壁を、情動のスイッチを押すことに特化した一群の物語が完膚なきまでに破壊した。ケータイ小説は赤潮のように繁殖した。その作り手であるケータイ小説家もまた。
いまやケータイ小説の消費者のほとんどが生産者であった。創作されたケータイ小説はまず周囲の友人達によって読まれ、そのほとんどがそこで停止するものの、稀に口コミで広まり一般文芸にはありえない形のヒット飛ばすこともあった。そして、ヒット作の周囲には多くの模倣が生まれ、そのミームは拡散し浸透した。この文化の担い手は主に少女達であったが、彼女達にとって今や物語はコミュニケーション上で通貨の役割を果たしていた。「泣ける」「感動した」等の賞賛の言葉は優れた物語に対する報酬ではなく、自分の物語を読んでもらうための対価となった。
このまま過飽和の状態が続くわけも無い。大方の識者と呼ばれる程度の文筆家達はそのように考えていた。事実、彼らのやり取りする物語は、劣化したミームのまとまりの無い堆積のようなもので、そこに生の声が塗りこめられていたとしてもそれを汲み取ることは、本人達にとっても容易なことではなかった。さらには、仲間内でしか判らないコード進行、バズワードなどによって共通言語が小集団に分断されていき、しまいには原宿の少女には渋谷で書かれたケータイ小説が読めないいうことも起こった。この緩やかなまとまりを持ちつつもタコツボ化していくケータイ小説界は、人文系、特に言語系学者のフィールドワークの対象として魅力的に見えたらしく、いくつかの論文を産んだ。中でも「ケータイ小説の系譜」はケータイ小説を神話の発生と絡めたこともあって現代の金枝篇との評価も高い。
さておき、浸透と拡散、特化した小集団の枯死といった経過をたどってブームとして消費されるかに見えたケータイ小説は突如として変貌する。あるケータイ小説家が「あなたの人生を小説にします」と宣言しサービスを始めた。既にケータイ小説市場に新奇の物語要素は存在せず、彼らは自分達の生活そのものをドラマチックな嘘と仲間内のコードで修飾して市場に流すようになっていた。そこにビジネスチャンスを見出したのだった。ゴーストライターである。熟年を対象とした自叙伝ビジネスとほぼ相似の関係であるが、このゴーストライターは雇用者に対して聞き取りをしない。雇用者の一切の創作の手間を省くためであるのだが、雇用者が若年であり語るべき過去を持たず現在進行形を小説としてほしがったためでもある。従ってゴーストライターは雇用者のあとをついていき、行動を小説に書き起こす。小説の頒布とそれに生じる利益の追求は雇用者が行う契約だった。1:1対応のビジネスモデルは多くの追随者を生み、ケータイ小説市場はモデルで消費者でもある雇用者とゴーストライターに二分された。
「書として街に出よう」
一番最初に組織化されたゴーストライター協会のキャッチフレーズだ。人々はゴーストライターという形でフィクションを身にまとうようになった。そしてゴーストライター達は昔の演劇要素を発掘してきて観察者たる立場を確固たるものにした。
日本人が外国人と街を歩くと説明に困る事態に遭遇する。外国人たちはあらぬほうを指差し「あれは何だ」と訊ねる。だが日本人には「あれ」が認識できない。認識しないことになっている。勿論「あれ」はゴールドライタンであり、認識しないのはそれが黒子の格好をしているからである。組織化され認知されたゴーストライターはその数を増し、街を行く人々の半数が黒づくめだった。この奇妙な習慣は海外に紹介され「KUROKO」は各国語に定着するほどになった。デートスポットなどでは男女のカップルの後ろに黒子が一人ないしは二人控え、次にささやく愛の言葉をインカムを通して伝えていた。人々はいつしか物語の後ろを歩くようになっていたのだった。このことは、よりドラマ性を求める人々によって多くのトラブルを産んだ。例えば暴行現場を取り押さえた警察官によって逮捕された三名の中に黒子が二人含まれていたことなどを軸に、主体の所在についての論争がしばしば起こされた。この事件は合意の有無を巡って最高裁小法廷に最終的に判断がゆだねられた。
そして、殺人教唆で逮捕されたカリスマ黒子「IA☆GO」がAIであったという暴露により、混乱はピークを迎える。ゴーストライターの慢性的不足から、ゴーストライター協会は自立AIをひそかに利用していたのだった。このスキャンダルで幹部数人が逮捕されることになりゴーストライター協会は解散した。
後を受けて設立されたゴーストライター連盟が、AI「IA☆GO」の基本構造を継承して作られた記述AIをPAB(ParsonalArtificialBrain)として公式に商品化し、それがやがて人類から機械知性に文明を禅譲する流れになっていくのである。