2009-01-22

モテないというか、恋愛できないことに不安を感じることがある。

以下はひよっ子の妄言である。

そろそろ大学生活も終わりというところで、ふと思う。

4年間の大学生活で私は恋愛とは全くご縁がなかった。

別に女性と縁がなかったわけではなく、サークル等を通して

大学内外にたまに飲みに行ったりして「あーでもないこーでもない」と話し込む程度の女性の友人は少なくない。

思い返せば、1年次、3年間の男子校生活を終えた私にとって、大学生活とは非常に眩いものであった。

女性がいると場が非常に明るく、男のみで騒ぐのも悪くないが、やはりそれとはまた別格の楽しさというものがあった。

私はある割とまじめなスポーツサークルに所属し、その後学年の牽引役としてのポジションを固めていったのである。

その過程で、男子校の気質であろうか。思えば、それが間違いの源であったのかもしれない。

頭の固い私は恋愛に疎い。ただ疎いだけなら失敗のしようもあるが、恋愛の失敗はサークルを崩壊させる可能性のあると思い込んでいた。

しかし、恋愛とは疫病のようなものである。

私はとある女性にコロっとやられてしまったのである。

無論、振られた。完膚なきまでに叩きのめされた。己の打算と底の浅さを思い知らされた。ちなみにその女性は重度の腐女子であったことが後に判明する。

元々、サークルからは消えつつあったその女性はその件の後、やはり疎遠になってしまった。

私は泣いた。実際には泣いていないが、心の涙を流した。そして、自らサークル恋愛の禁を一人、心の内で誓った。

そして、私は「恋愛」という事象について深く思い悩むことになる。

その後、さらに、恋愛ごときで精神を耗弱させるなど、軟弱者のすることよ!と童貞をこじらせていくのだが、それはまた別の話。

かくて、自らの恋愛ベタをただただ己のスペック性格の問題と決め付けた私は、恋愛などその1年次の一回のみ。

4年次に至るまで本当に食指も動かなかった。

が、実際のところ恋はしていたのかもしれない。

その内に友人らは着々と己が欲望と策略に従い、恋人を作っていった。

幾度となく、男女ともの友人から彼女を作らないのか?と問われてきた。

その度に「気に入る人がいないし、気に入ってくれる人もいない」とのたまってきたわけであるが、

女性を見ても、どうしてもある女友達と比べてしまう自分がいたのだ。

その女性には2年次の初めより、私もよく知っている彼氏がおり、両者の喧嘩仲裁するほどの付き合いをさせてもらっている。

仲がいいときの両者は非常に仲睦まじいが、そうでない時は非常に険悪である。それでも付き合いが続いているのだから、相性はいいのだろう。

そして女性の方は非常に出来た人である。決して美人ではないが、包容力と優しさをたたえた顔つきであり、プロポーションは良い。

各方面の文学に通じ、映画サブカルチャーに関する造詣も深い。

料理はおおざっぱであるところが玉に瑕であるが、非常に懐が深く、また、他人の悪いところはきっぱりと「悪い」と指摘できる女性である。

隣の芝は青く見えるものだと笑っていただいても結構。だが、私にとってはマイ女性ランキングの五指に入るような女性だ。

そんな女性とどうしても出会いのある女性を比べてしまい、恋愛に至らない。

そうこうしているうちに卒業である。

社会に出れば出会いは多いと人は言うが、どう考えても私の理想は高い。

そして、恋愛というものを一世一代の重大事案と捕らえるその保守的な価値観が私に恋愛を躊躇させる。

そういう自縄自縛でがんじがらめにされ、動けない私に私は非常に不安感を覚えるのだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん