はてなキーワード: 不確定性原理とは
横からレス。
意志や行動の原因を突き詰めていくと、多くが脳、そして肉体やそれらの周辺環境にもすこしずつたどり着く。さらにどうしてそういう脳を構成するようになったか…哲学的思想などを含めて追求していくと、そのような脳(等)を構成するようになった原因は過去の経験や遺伝子など、遡るほどにその人の外に多く原因が求められていく。そしてついに原因の探求はその人が受精擦る前に到達し、求める原因の領域はすべて当人の外へと出るだろう。
それを覆すのは唯一、不確定性原理くらいのものだが、それにしたって意志の力ではどうにもならない。こう考えれば意志に自由の要素があるという考えはとてつもなく怪しい。
ただし人間の遺伝的本能として、自由意志や魂といった幻影を求めたがるように作られているように思われるし、また、自由意志や魂に帰着させねば、社会が個人に対してさまざまな行為に責任を負わせることが難しくなるため、社会的にも忌避したがるものだろう。
世間では理系とひとくくりにされがちだけど、自然科学系の理系と情報系ではかなり本質的に性質が異なるんじゃないかと思った。
自然科学は相手が自然なので、『全てを把握できるわけではない』という意識がまず前提にあると思う。それは別に不確定性原理でもいいし、もっと単純にモデル化して近似しないとほとんど何も計算できないという現実でもいい。
対して情報系では、扱う対象がそもそも『人が作ったシステム』であり、基本的には『本質的に全てを把握できるもの』だ。ゲーデルの不完全性定理とか、NP完全問題なんかの話もあるが、これらをまともに扱う人間は情報系の中でもごく一部ではないかと思うし、述語論理のような完全システムを構成することも可能だ。
何を言いたいかというと、世間一般に流布している『理系は頭が固くて融通が利かない』というようなイメージは、理系の中でも情報系の人間によるところが大きいんじゃないかと思ったということだ。
それが良いとか悪いとかいうことではなく、刷り込まれた思考の様式として、情報系の理系は何事にも『完全なシステム』を構築しようとするケースが多いんじゃないかと思う。
なぜそんなことを思ったのかというと、俺は物理出身なんだが、全くいい加減でテキトーな人間なんだ。世間で言われるような『キッチリカッチリ』というようなイメージの対局にいる。だから(特に理論)物理学の『まぁ大体こんなもんでしょ』という大雑把さがとても肌に合っていたのだ。
もちろん単なる性格の問題と言うのもあるとは思うが、周りの情報畑の人間を見る限り、専門分野の雰囲気による影響というのも結構あるんじゃないかと思ったのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20090614184545
みんなさ、何をモチベーションに生きてる? みんなさ、やる気ある?なんとなく生きてない? 元増田は「一瞬一瞬がもう取り返せないこと」という事に着目して、やる気が出た。 そしてそれを皆に伝えたくて、増田に書いた。 と俺は理解してる。 多くの人がそれに何かを感じた。 俺も感じた。けど違和感があった。だから反論というか自分の意見を書いてみた。 さて、ここで議論の前提を確認したい。 色んな意見の中に「なぜ人生に意味を見出す必要があるのか?」という質問があった。 これってどうよ? じゃあ俺は逆に質問したい。 「意味の無い人生を充実して過ごせるのか?」と。 充実した人生を送りたくない人はもう良いよ。さようなら。君とは話にならない。 つまり前提として「充実した人生を送りたい」というものがあるとしてる。 俺の意見は「意味が無いとやる気が出ないので充実した人生は送れない」というもの。 なので反対意見は「意味が無くても充実した人生は送れる」という事になりそうな気がする。 本当は議論の前に「充実した人生とは何か?」を定義しなきゃ、なんだけど、めんどいので放置したいかな。 それに関しては「品質の良い異性とのセックス」「ヒト、モノ両面での支配欲の充足」「快適さ」などが候補かな。 どうせ君らの充実した人生なんて、上記にあげたもの程度でしょ?と馬鹿にしたけど、 俺もその中に入ってるから、実は馬鹿に出来ないw んで、俺の感じた違和感ってなんだろうと、ちょっと反省してみた。 たぶん「元増田がせっかく、やる気が出る概念を発見したのに、その後、余計な事をズラズラと並べ立てた事」に イラっとしたんだと思う。 例えば「結局俺はさ、何かを達成したいんだろ?」 とか言ってるのもう見てられない、って感じ。 俺達はさ、もう間違いなく最高の生物なわけ。 どんなヤツでも、例えば、 人を殺しまくったヤツとか、幼女犯しまくったヤツとか、ルンペンとか、植物人間とか、イチローとか 俺から見たら同列なわけ。 「人間として生まれてきた」というだけで1兆 x 1兆 x .... 点ぐらい獲得してるの。 この視点だと、人殺しもイチローも誤差の範囲。 「宇宙から見たら、チョモランマとかある地球もツルツルの球体に見える」みたいなもん。 そもそも、人殺しだって、そんな風になりたくは無かっただろうよ。 でも遺伝子と環境と不確定性原理がそれを許さんかったわけだ。 そんなわずかな差をエサに意味を見出し、頑張ろうと思えるわけ?ってのが違和感の正体かな。 それと、さっき「最高の生物」とか言ったけど、この場合の「最高」って何よ? と聞かれたら「俺には分からん」というか「まとめられん」って感じ。 ここがわからんってヤツとは、また改めて議論したいかな。今回は無理。 話は戻って、でも俺は色々言ったけど「死んだら無意味だ」と感じてる。 宗教がこの辺をてっとり早く解決してくれるんだろうね。だから人類は宗教大好き。 でも俺は宗教は根拠が無いから信じられない。「疑うな」とかいう宗教もあるし馬鹿みたいに見える。 うーん 結局俺は何が言いたいんだろうね。 自分で読んで支離滅裂な文章に見えるよ。反応があったらまた考えてみる。
私たちが真実と考えている事が、理論によって規定されているとすれば、どのようにして真実を哲学の基礎に据えることができるのでしょうか。探求され理解されるのを待っている宇宙が存在すると考えているという意味で、私は実在論者であるといえるかもしれません。すべてが想像の産物であるとする唯我論者の立場は時間の無駄であると考えています。そのような原理に基づいて行動する人はいません。しかし、理論がなければ、宇宙について何が真実であるのか理解できないのです。
そこで今まで単純すぎるとか幼稚であると書かれてきましたが、私は、物理理論とは観測結果を記述するための数学的なモデルに過ぎないという立場をとります。ある理論がよい理論であるのは、すっきりしたモデルであり、広い範囲の観測を記述し、新しい観測結果を予言できる場合です。
それを越えて、その理論が真実に対応しているのかと尋ねることは意味がありません。なぜなら、私たちは真実とは何かを知らないからです。
科学理論をこのようにとらえると、私は概念道具主義者、あるいは実証主義者になるかもしれません。実際その両方で呼ばれてきました。私を実証主義者と呼んだ人たちは、実証主義は時代遅れであると付け加えました。これも軽蔑する事で反論するということのもうひとつの例です。過去の知的流行であったという点では、私は時代遅れかもしれません。
しかし今まで簡単に述べた実証主義的な立場だけが、宇宙を記述して新しい法則と手法を探している人がとりうる立場だと思います。
モデルに依存しない真実の概念が存在しない以上、真実に訴えかけても駄目なのです。
私の意見では、科学哲学者が量子力学や、不確定性原理に対して抱いている困難の根本的な理由は、未だに明らかにされたことのない、モデルに依存しない真実があると信じていることだと思います。
討議デモクラシーの挑戦 ―― ミニ・パブリックスが拓く新しい政治 ――
Amazon.co.jp: 多数決を疑う―社会的選択理論とは何か (岩波新書): 坂井 豊貴: 本
「多数決」以上に民意を反映できる選挙方法とはどのようなものなのか?
みんなの心は絶対に一つにできない(アローの不可能性定理) - YouTube
小選挙区の死票半端ない 自民2500万票222議席 民主1100万票38議席 共産700万票1議席©2ch.net
小選挙区制の魅力 有権者2割の投票で8割が自民党議席に©2ch.net
今回総選挙の自民党の絶対得票率は、比例代表選挙で16・99%、 小選挙区で24・49%に過ぎない!
一選挙区から一人しか当選しない小選挙区制を採用している場合には、特定の政党に投票する傾向の強い地区を分割し、相対的に多数が別の政党に投票する傾向のある選挙区に吸収させることで、特定の投票を無効化することができる。
共和党のジョージ・W・ブッシュが、民主党の現職副大統領アル・ゴアを破って当選した。
獲得選挙人 271
得票数 5045万人
得票率 47.9%
獲得選挙人 266
得票数 5099万人
得票率 48.4%
Amazon.co.jp: 選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?: ウィリアム パウンドストーン, 篠儀直子: 本
「合理的無知=コストパフォーマンス的に、政治の勉強に膨大な時間を費やすより、適当に暮らしてた方が合理的。」
みんなの心は絶対に一つにできない(アローの不可能性定理) - YouTube
151 :名無しさん@12周年 : 2012/03/18(日) 21:15:38.52 ID:q4JH9ZwT0
>>127
どちらも同じ芸能人になったりするように
全く合理的ではない
多数論証
88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。
最も賢いクマと最も愚かな観光客の知能レベルは、ほぼ一致する。
理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書) | 高橋 昌一郎 | 本 | Amazon.co.jp
Amazon.co.jp: 不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力: ジェイムズ D.スタイン, 熊谷 玲美, 田沢 恭子, 松井 信彦: 本
アローの不可能性定理とコーポレート・ガバナンス: 官庁エコノミストのブログ
[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム][全体主義][ファシズム][ナチズム]
シンプソンのパラドックス: 集団を2つに分けた場合にある仮説が成り立っても、集団全体では正反対の仮説が成立することがある。
書評 「選挙のパラドクス」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
何をそんなにムキになってんのかさっぱりわからんが。そんなに古典が嫌いなのか?
具体的にどう役に立つんだよ。お前そういう説明全然出来てないだろ。喩え話ばっかで。
あなたが単に理解できてないだけのことでしょ。古典がステータスシンボルになるなんて自明のことなんだから。
何を言っても「そんなの役に立たん、俺の知ったことじゃない」と言われるんだから仕方ないよ。限られた範囲のことを限られた水準でしか書かない人は限られた素養だけで済むかも知れないが、それ以上のことをしようと思ったら幅広く学ぶしかないってのは自明のことなんだが。
俺はお前さんの上げたLispやら低レベル言語やらコンパイラやらの意義を、全部具体的に説明できるぞ。だから基礎教養だといってるんだ。
ほう、じゃあ例えば情報系の学科には待ち行列とかパターン認識とかそういうことを研究している人たちもいるわけだが、そういう人たちが「関数型言語やコンパイラやOSが必須科目なのはおかしい!俺はそんなものを使わないのだから学部で教えるな!必要な人だけが研究室のゼミでやったらいいだろう!」と言ったとしたらどうするのかね?あなたが言っているのは結局そういうことなんだが。あなた自身があなた自身の納得できる理由で理解しているかどうかなんてどうでもいい。俺にとっては、エンタメ系のライターがなぜプログラミングをする必要があるのか想像できないが、だからといってあなたに対して「プログラミングなんか無駄だから文章の練習をしろ」なんて強要すべきなんて思っちゃいないよ。
何度も言うように、高校では古典文学の大系を網羅してるわけじゃなくて、古典文法を教えているだけだ。それから、微積がどう関係があるんだ?あんたはどうせ、位相とか測度まで理解しようという気じゃないんだろうから、式変形ができる程度のことだったら線型代数なんかよりよっぽど簡単だろうにさ。
鼻歌交じりにバイクを解体できる外人の整備工が、箸をうまく使えなかったら、箸を使うのはバイクを解体するより難しいということになるのか?
なにを言ってるのかね。それをこそ俺はあなたに問うているのだが。
あなた、外人のプレゼンとか文章とか見たことないの?古典文学から気の利いたフレーズ抜き出したりして話の取っかかりにしたりしてるでしょうに。
つーか、そうか、一貫した主張も出来ない奴がえらそうにプログラマを語ってるのか。死ねよもう。
「できない」ことと「しない」ことの区別ぐらいはできるようになってほしいね。
誰もそんなことは言ってないだろ。さっきから思っていたのだが、君は何か俺の主張を勘違いして、明後日の方向に必死で反論しているようだな。
文学なら近現代のそれが、あるいは世界の名作文学が優先じゃないかと言ってるだけだが? 日本の古典の専門教育を優先する理由はどこにもないだろ。
だから、高校の国語教育は文学教育じゃないと言っているのに。読み書き能力の教育なんだってば。文法を教えるついでに一番有名な作品のさわりを教えておこうとしているだけだよ。
しねーよ。公教育ってのは平均と底辺を引き上げるためにやるんだぜ? 勝手に貪欲に勉強するような本当に優秀な奴は、海外留学でもなんでもやってるよ。
引き上がってすらいない君は底辺よりもっと下なんだろうね。じゃあ君は何のために大学に行ったんだ?
むしろ俺は、大学で勉強しないような奴は大学に来ていただかなくて結構だと思っている。専門学校とか、あるいは実務の中でOJTで鍛えた方がよっぽどスキルアップになるんでな。
ところで東大とか京大とかって国立なの知ってたか?東大とか京大とかの理学部や文学部を覗いてごらん、君が想定していない公教育の意義がわかると思うよ。
いや、それはどうか。逆ならまだわかるが。
自分がまだ勉強中だというくせに、えらそうに人の忠告を否定するなよ。とりあえず「不確定性原理」について調べてみな。どっちにしても、基本的に工学の理論は物理や数学からパクってきて発展するものなんだから、発想としては物理を学んでいた方がよくわかるのは自明。実際俺は、仕事で信号処理を扱うようになったとき、量子力学の教科書を引っ張り出してきてもう一度読んだよ。
だから誰も無理強いなんかしてないっての。必要なことだけ学びたい人は工業高校とか高専とか専門学校に行け、必要ないことまで学びたい奴が普通高校に行けと言っているだけなんだが。
市場の流れを読んでババヌキ大会しているという要素はあるだろうしそれとの比率はわからないが、市場が株に間違った値をつけていれば、適正な値との差額で儲けることが出来る、という原理に基づいているのではないかと。
たとえばA社の株が100円をつけていても実は適正な価格が110円でありかつそのことを見抜いて売買に利用すれば、差額の10円を儲けることができる…はず。もっとも株価なんて多数の要素が複雑に絡み合ってるので適正価格を見抜くなんて難しさの極みなわけだが。
http://anond.hatelabo.jp/20071012045754
だが、優秀なハスラーである君には自分の撃った玉の影響で盤上の玉がどのように変化するか正確に思い描くことができるだろう。
しかし現実はそうではない。
我々は盲いているのだ。盤上を知るためには玉をつくしかない。
玉をついた結果、何に触れることもなく反対側に玉が届いたらそこに玉がなかったということを君は知ることができる。
しかし、観測は常に影響を与える。
観測者である君がそこに玉があるということを知った場合、既にそこに玉はない。
混沌とした盤上で、観測した結果どのように状態が変わったかということ知ることは不可能だ。十分な情報が不足している故に。
このような状況では盤上の状況を確率でしか語ることができなくなる。
また、盤上にある玉が静止しているのか、はたまた気紛れに飛び回っているのか推測するのすら困難になる。
私は決定論を否定しない。
だが、我々が決定論に必要な正確な初期値を手に入れることは決してない。
なぜなら、我々もまた盤上の存在なのだから。