はてなキーワード: かかしとは
twitterでうちの会社の名前をプロフィールに入れて実名出して自分の顔写真まで出してる人がいる
もちろんフェイスブックもやってる
そんなひとが、有名どころのアカウントをフォローして、なんかかっこつけたことばっかつぶやいてんだけど、
実際問題、会社じゃ浮いてる。
もともと支店長だったんだけど、誰もついて来ない。
大体さ、昼休みに休憩室で一人飯だよ。
俺らはOLだの派遣だのとなりの部署の社員とわいわい飯食ってんだけどさ、
支店長がぼっち飯ってどう考えてもおかしいだろ。そこは部下と一緒に飯食いに行くべきだし。
んで、ぼっち飯しながらiPhoneでツイッターですよ。おめーの友達はネットにしかいねーのかって思ったわ。
で、こないだ人事が出て、支店長降格になったのね。
でもプロフィール直ってないwww
未だに支店長のつもりらしいwwwww
もうお前が座ってた場所に他の社員がいるだろっつーの。
んで、相変わらずtwitterでは会社の未来を考えるだのどーだのこーだの、
おめえこないだ降格になったばっかだろってw
なに一人でラフな格好して来てんだよw
んで、twitterでは飲み会で浮いちゃってたなんて一言も書かずに、
やれ感銘を受けただのなんだのしゃーしゃーと書いてやがるw
おまえどうみてもあれ場違いだっただろうがよwwww
ということは、性愛がなぜ倫理的にタブーかということに関わってくる。
性愛は強い感情であり、多くの動物では人間関係の要であることが多い。
しかしヒトの場合、性愛以外の人間関係がある。性愛じゃない人間関係において性愛が出てくると、その人間関係は元の形を維持できないので、性愛を関与させないようにすることが柔軟な人間関係の維持に必要になる。ありていに言えば、性愛は人間関係を硬直化させるから忌避される。
労働組織でも同様で、性愛が人間関係を硬直化させたら組織は運営できないし、労働と性愛が衝突してしまう。当然組織は労働が大事なのだから、性愛が邪魔だ。だから社会恋愛はマズイ(ただし組織でも家庭は性愛が支配的になる。性愛の人間関係を活かした組織だからだ。それでも生活と衝突しないようになっているし、哺乳類の常で親子や兄弟姉妹関係では性愛は抑制される)。
しかし、そうなると、職場での人間関係がメインであるような人は、相手を探す時に困っちゃうな。みんなどうやって解決しているんだろう。土日は趣味の市民教室とかに参加するとかかしらん?
この間、里帰りをした。
「俺はイタリアンの店は入った瞬間に大体の味がわかる」
と豪語した。
私がそれはすごいねえ、私は全然わからないよと言ったら母が
「でもこのあいだ初めて入った定食屋さんでみただけでやばいって感じたけど気まずいから一応食べたらやっぱりまずかったって言ってたじゃない」
と言う。確かに言った。でもそれは単に真面目な店か判断してるだけなんだよ。
「私の経験上、客席で子供が宿題の算数ドリル解いてるような店はろくな物が出てこなかった」
「えっじゃあうちも駄目じゃない」
「いやいや私いままでそんな事したこと無いでしょ。店員の家族が客席で生活してる店が良くないって事。前言った定食屋さんは客席の良いところで店長の母親がまかない食ってたの。営業時間に。」
実は両親は「小さな町のビストロ」を経営している。少なくとも私は客席で宿題なんてしたことがなかった。
「このあいだランチに入ってきた親子連れがいたんだけどいきなり子供3人がお絵かきの宿題を広げ始めてクレヨンで汚し放題するわかけずり回るわゴミ散らかすわで泣きそうになったのよ」
「そういうのはつまみ出そうよ…」
「親3人が私の倍ぐらいの体格で怖くてなにも言えなかったの」
母は線が細い。
「あと食卓の上でいきなりオムツ換え始めた人がいてびっくりしちゃった。幸い他に誰もお客様居なかったんだけど…」
「放り出そうよ…最低限帰るときに塩まいてやれ」
母は困った顔をする。
「子供連れお断りにしちゃえば?」
「大事なお客様が入れなくなるの」
テーブルマナー完璧な幼稚園児を連れてくる常連が居たりして一律禁止が難しい。20年前のそういう客が今、常連になってくれたりしているので「子供だから嫌」というルールは作りたくないと。
困ったねえ。
解決方法としては「価格を上げると馬鹿が寄りつかなくなる」「会員制にする」「子供お断り(名誉大人は可)」とかかしらん。
全部無理だねえ。入店試験ができればねえ。楽なんだけどねえ。
本気ってのは嘘なんですけど、
いやー、Perfumeですよ。
性的には14歳最強論者なので、特別ショックとかもなくて
ふと思うのがあれだ。ゴリ。
やっぱ今までゴリは一番がんばってきてるわけよ。
要領よくやってるなかで、
とにかくPerfumeのためにまっすぐがんばってきたの。
世間に知られるようになるとさ、
けど、ゴリはウザイとか妊婦とかスモウレスラーとかラテンの血とか
しずちゃんとボクシングやれとかサックされたとこ見たことないとか
バナナでも食ってろとか語尾はウホにしろよとか言われちゃってさ。
それでも、前向きにがんばってればなんかいいことあるかもって
ゴリはまだまだウホウホとがんばっちゃってるわけ。
そうやってウホってるゴリを見てるくせに、
ひとまとめでPerfume便器だなとか言われちゃって。
イケ山メン蔵に優しく抱いてもらってウッホーイイって。
けど便器。処女なのに便器。どよーん。
ウホも下がり目のイントネーションになるわ。ウホー。
クラスで劇みたいのやりマースとかなってさ、
カースト下の身分だし、どうせ見返り的なものもないしって思いながらも、
カースト上位の女の子にちょっと声かけられて舞い上がっちゃったりすんの。
で、本番。劇うまくいったねー、最高だったねーなんてやってたら、
要領よくサボってたイケメンが、二次会ではやっぱ主役になっちゃってさ、
俺は7時くらいで家に帰ってるときに、
「最初だけだけど、生挿入とか…しちゃった、エヘ」だって。なにそれ?
あー所詮俺ががんばったところでな…みたいにさ。
結論として、
・のっちとやりたい
・かしゆかと付き合いたい
・俺、ガンバ!
ってなった。
これで来週はゴリが撮られてたらいろいろごめん。
結論は変わらないけど。
自分の中ではそれぞれの職場で自分が提供するべきものがはっきりと区別されている。
本来一人の人間である私自身をパーツごとにばらばらにすることはできない。
頭ではわかっているのだけれど、実感としては根を同じくするそれぞれの「私」が微妙に重なりあいながら生活しているような感じだ。
まあそれぐらいは誰にでもあることだろうと思う。
家族に見せる顔、恋人に見せる顔、職場の同僚に見せる顔、学校の友人に見せる顔。
誰もが無意識のうちに微妙に「自分」を使い分けながら生活しているんじゃないだろうか。
ただ、はっきりと「この場で私はこれを提供する」と自分の中で決めてしまっているせいか、時々とても困ってしまう。
ホステスの私を気に入ってくださったお客様から様々な形の好意をいただくことがある。
外での食事や遊びのお誘いだったり、わかりやすい指名、同伴。
店のお客様層がわりと年配(私と同世代のお子様がいらっしゃるような年代)なので、気分転換の場の「お気に入り」として可愛がっていただけることは嬉しい。自分の中のファーザーコンプレックス的な部分がホステスをするにはちょうど良いのだろうと思う。
好意には好意を、楽しい時間と気遣いを。それは自分の中で何も矛盾していないし、ホステスという「私」が提供するべきものでもある。
ただ、惚れた『だから』触れたい抱きたい、とおっしゃられると途端に困ってしまう。
それはホステスの「私」が提供するべきものではない。
対価を得て性的接触とファンタジーを提供するのは風俗嬢の「私」の仕事だ。
貴方は私をどうしたいのですか。
私に「惚れた」とおっしゃるその気持ちは幻想なのではないのですか。
少なくともそれは日々の生活を共にしたいと思う相手に抱く気持ちではないでしょう。
家庭にいらっしゃる奥様とは別に、気分転換の場で接する「女」という要素に惚れていらっしゃるのではないのですか。
その「女」は私ではなくてもかまわないのではないのですか。
仮に心底「惚れた」とおっしゃるのなら、触れず抱かずにそうっとしておいてはいただけませんか。
奥様と、私に歳の近いお子様のいらっしゃる貴方は、惚れたからとモノにしてその先、私をどうなさるおつもりなのですか。
貴方は私に、本当は何をお望みですか。
口説き文句を聞かされるたびにぐるぐるとそんな問いが頭を巡る。
それを最後に捨てられるだろうと思ってしまうからだし、寝てしまった後に相手のお客様にどう接したら良いのかまるで想像できないからでもある。
射精してしまえば夢は覚めるのだ。そんな男性を何人も見てきた。
風俗嬢の私に対しては、射精の後に「気持ちよかった」「ありがとう」という嬉しい言葉が返ってくることが多い。
ではホステスの私に対しては?射精を終えてしまった相手から、私はそれでもまだ何かを受け取ることができるのだろうか?
私を欲しがったお客様たちは、夢から覚めた後も、なお私に対して何かかしらの執着を残すだろうか?
ホステスとしての私も風俗嬢としての私も、結局はひとつの「商品」でしかない。
ただその「商品」はそれぞれ提供するものが違う。
だからお客様に対しては常に心の中で「私に何をお望みですか」と問いかけずにはいられない。
酒の席で予防線をはり、延長線上に性的接触のない好意を、ただし心底からの好意を示す。
誠実に接することで、自分もまた誠実に扱ってもらえるという根拠のない信念にすがりながら接客をする。
「私に何をお望みですか」と問いかけながらも、私が提供できるものは最初から決まっている。決めてしまっている。
そこを見失ってしまうと「私」の境界線はバラバラになってしまうだろう。私はそれがとても怖い。
夜のバイト帰りにコンビニに入ったら、コミック本のコーナーでどう見ても小学生低学年の男子が新刊コミックを立ち読みしていた。
人が後ろに来たのに気づいたのか、とりあえず脇に寄った。
どうせこの子は買わないんだろうなと思いつつも、男子が読み終わるまで待つことにした。
私の住んでるところは、治安がそんなにいいわけじゃない。なのにコンビニに子供。
もう日付も変わるいい時間なのに、親は何してるんだろうと思いつつ。
とっさに「買わないの?」と声をかけてしまった。
「えっ」て固まる小学生男子。えっ、じゃないよ、て内心で思いつつ
「買わないんならちょうだい。あたしそれ欲しいの」
水商売のバイト帰りで少し疲れてイラついてたから、大人気ない行動だったかもしれない。
でもその行きつけのコンビニは昼に働いてる会社にも近くて、店主の奥さんとは顔見知り状態で、体調崩してるときなんかは店員さんが気をつかってくれたりする、けっこう好きなコンビニなんだ。
私情はいりまくりだけれど、そういう馴染みのコンビニで、深夜に子供がコミック立ち読み逃げして終わりなのかと思うと、ちょっともやもやしてそんな台詞になってしまった。
嫌な思いをした、と思われたかもしれない。
恥をかいた、と思われたかもしれない。
立ち読みすると恥をかくこともあるよ、と覚えてくれればいい。
子供のうちに、少なくとも真新しいピカピカの本を立ち読みすることはちょっと恥ずかしいことなんじゃないかな、と思ってくれればいい。
子供が立ち去った先に男が待っていた。父親のようだった。
スーパーの袋をさげて所在なげにコンビニの中をうろうろしてた、ごく普通の父親に見えたその人は、後ろからただ黙って私と子供のやりとりを見ていた。
本を買ってあげるか、立ち読みはダメだと連れ帰るか、何かかしら躾があってしかるべきなんじゃないかと思ってしまう私より、どう見てもその父親は年上だった。
ふざけるな小娘と思われたかもしれない。恥をかかされたと思われたかもしれない。家庭の事情は色々かもしれない。
でもやっぱり深夜のコンビニで小学生の子供がコミックを立ち読みしてる図は、保護者同伴とはいえ、あまり良くないんじゃないかと思うんだ。
それを「当たり前」て思って育つ子供がいるのは良くないことなんじゃないかと思うんだ。
大人気ない振る舞いをしてしまったのかもしれないけれど、でも、ものすごく間違ったことをしたつもりもない。
眼鏡・ノーメイク・眉毛はやしっぱなし・ボサ髪・うっすらヒゲあり・私服→母がジャスコで買ってきたもの
大学に入り好きな人(二次元)が出来、「こんなんじゃだめだお!!」と突然オサレを目指し
コンタクト・メイク・美容院行って眉と髪整えてもらう・ヒゲそる・私服、街のオシャレスポットで購入
などしてみたら、突如モテだした。
「お前ら全員でからかってるの?」というくらい自分で言うのもなんだがモテだした。
しかし三次元にモテても意味がないわけで、当然全部断るわけだけど、
なんかみんな聞こえのいい言葉を囁いてくるので「アレ?この人いい人?」とか恋愛初心者の私はうっかりほだされそうになってしまう。
ネット上にもよく「美人じゃない奴が大学で急にモテだして、勘違いして股開きまくるってよくあるよなwww」って言説が飛び交っているので「そうだそうだ。ただこの人たちはヤりたいだけだ」と思い出すようにしているんだけど、なかなか、手ごわくて困っている。
もともと男子からは無視か「アレって女?」扱いで褒められたことなど皆無だったため、ちょっと「すごく可愛い」「本当に今まで彼氏いなかったの?」だのなんだの褒められると「この人いい人け?」とすぐぐらつきそうになる……自分……情けない……
そこを今は何とか「いやこいつら皆私を肉便器にしたいだけだから!!」と思い込みなんとかかしているけどあんまりこうやって思い込むとまた逆にひっかかってしまう気もする。本当、いつの間にか自分がホイホイと引っかかっていかないかが怖い。なんかいい方法ないかな。あまりに男子との関わり合いが少ない為どう対応したらいいかさっぱりだよ……