他にも「偉い」「すごい」「優しい」「賢い」「勤勉」「仕事ができる」「良い子」「一緒にいると○○」(※〇〇には「楽しい」「幸せ」などが入る)etcetc、更にそれらを組み合わせることにより無限に褒め言葉を編み出してくる。
顔を見るなり褒められることもあれば、会話の流れのノリで褒められることもあり、かと思えばふとこちらを眺めてしみじみと褒めてくるときもある。
家事はきっちり当番を決めているわけではないが、お互いの得意を生かしてゆるく大体均等に分担している。
夜な夜な晩酌を楽しみながらおしゃべりに花を咲かせる。
そんな生活を送る中、彼氏は飽きずに今日も可愛い可愛いと褒めてくる。
毎日褒め続けられると人はどうなるのか。
外でちょっと嫌なことがあっても、家に帰ると褒めてくれる彼氏がいる。
(数える程しか経験がないが)仮に彼氏自身と喧嘩したとしても、その数分後には仲直りして褒めてくれる。
もはや彼氏と一緒にいること自体が一つの癒しである。人生が楽しい。
自己肯定感というものは最終的には自力で上げていくしかないのだが、褒められることによって自己肯定のためのハードルが下がる。
褒めてもらえて初めて自分の良いところに気づくこともある。
(余談だが、私も人間なので欠点は沢山あるので、彼氏に向かって「自分のこう言うところがダメだと思う。ごめんね」と謝ることがある。
そう言う時、彼氏は「確かにそういうところはあるけど、そこも含めて全部好き」と返してくれる。完璧な回答である。)
実際彼氏は可愛い。毎日褒め続けていたら、最近はますます可愛くなってきたようだ。
肌ツヤが良く、目がキラキラとしている。いつもニコニコしていて幸せそうだ。
彼氏を褒め続けると、彼氏が可愛くなった。これは何を意味しているのか。
つまり、彼氏から褒め続けられている私の方も可愛くなっているはずなのである。
少なくとも、自意識の上では何かそんな気がする。
肌ツヤが良く、目がキラキラとしている。いつもニコニコしていて幸せそうだ。
ちなみに、私は過去に「お前は可愛くはない。ブサカワだ」という呪詛をしつこく吐いてくる男性と交際した経験がある。
当時の写真を見ると、顔立ちは今と同じであるものの、目が死んでいる。
流石に私の方からは相手の容姿を貶し返すようなことはしてはいなかったものの、とにかくその人とはコミュニケーション上の衝突が耐えなかった。
御察しの通りお互い全然幸せではなかったし、最終的にはこちらから別れを切り出した。
人は自分の映し鏡だ、とはよく言うが、これは一種のポジティブフィードバックであると言えるのではないか。
相手が私を褒めると私は幸せな気持ちになり、私が相手を褒めると相手は幸せな気持ちになる。
褒め言葉が褒め言葉を駆動し、幸せな気持ちが幸せな気持ちを駆動しているのだ。逆方向もまた然りである。
今日と同じように、明日も変わらず私たちはお互いを褒め合うだろう。
余談
ちなみに世の中には、褒められる・褒められない以前の問題で潜在的に「自分の方が格上・相手の方が格下」という歪んだ自己評価を持っている者も沢山いる。
彼・彼女らはそうした自意識に基づいて大変無邪気にハラスメントを行ってくる場合も多いため(※社会人経験から来る主観です)、可能な限り関係性を薄く保つ、あるいは完全に断つことをお勧めしたい。
うんち
幸せにな
むかーし、『愛される私』っちゅう本を出した、芸能人とケコーンした芸能人の娘さんがおったが、今ならブッ叩かれるどころかこんなふうに称賛される時代
可愛いんじゃけぇ、ええじゃろう😊(広島弁Ver)
統失は病院へ