2020-01-04

愛されたかった子供の話

親の愛情というものを実感できないままいい大人になってしまった。ただの愚痴です。

けして全く愛されてなかったとも思わないし、虐待されていたとも思わない。

だけど二人とも心の底から子供を思いやってくれる親ではなかったと思う。

母親自分の「理想の家庭」に拘り続け、気に食わないことがあるとすぐ怒りだした。

原因を全て自分以外に求めて、折れる事をしらない母親だった。

食事中にテレビを見るならご飯は食べるな。感謝気持ちが無いなら食べるな。」

「やってもらって当たり前だと思っているでしょう。」

事あるごとに責められ、何かを手伝ったとしても「1回だけでしょ」と無かった事にされた。

次第に一緒に食べるのが苦痛になり、部屋にこもってインターネットをする事だけが家での楽しみになった。

父親は早々に母親と本気でコミュニケーションをとる事を諦め、テレビゲームに没頭するようになった。

最初子供の前では遠慮していたかもしれない夫婦喧嘩常態化し、高校生になるころには目の前で歪みあっても「またか」と思うだけになってしまった。

父親もそういった子供精神面での配慮をする親でもなく、ほぼ放置だった。

だけど不器用なだけで、本当はもっと父親」をやりたかったのかもしれないと今は思う。

とびぬけて裕福ではなかったけども、金銭面では不自由した事はなく、最終的には大学まで出してもらったので、その点は本当に感謝している。

両親は十年以上にわたって揉め続け、子供も成人してずいぶんたったころ3年ほどの別居を経てようやく離婚した。

その間にいろいろあって、自分は今母親とは現在ほぼ絶縁状態になっている。


こういう家庭環境だったので、「ちゃんと育てられた」という自覚がない。

精神面で自分を育ててくれたのは両親ではない。たくさんの本と、インターネットの向こうにいる無数の顔の無い人達だ。

それがずっと心の奥底で傷になってこびりついている。

高校生の頃は特に普通」の自信がなくて、周りからひとつひとつ普通」っぽいもの模倣してなんとかやっていた。

この時にできた友達がとてつもなく良い子で、初めは「こうなりたいの理想」のお手本として、明確に「この人に気に入られたい」と言う理由で接していた。

家に遊びにいったのは数回だけど両親もめちゃくちゃ良くしてくれて、「愛されて育ったんだなあ、いいなあ」と思った。

からも愛されるタイプだったのでその子には無数に友達がいて、なんとか特別になりたいと思っていろいろやった。良い子すぎてやっかむ人間もいたが、100%ガチの味方をし続けた。

結果おそらく仲良くはなれて、大学も一緒に行ったし、結婚式も呼んでもらった。今も仲が良いと思う。自分は今も何があってもその子の味方でいようと思っている。

数回だけしか遊びにいってないのに、その子結婚式に出席した時、ご両親がお見送りでなぜか自分名字呼び捨てですごく嬉しそうに握手してくれた。

何故か自分を気に入ってくれてたらしく、「家でよく話してたから覚えてくれてたんだよー」と後から教えてくれた時、自分の親にプライベートの話をしたのはいつが最後だろう と思った。


まだ母親交流があったころ、母親に心底疲れ果ててボロボロになって初めて誰かを頼った時、母方の叔母が助けてくれた。

無意識電話をかけ、泣いている自分に「どうしたの?」と声をかけてくれた。それまで何年も会ってなかったけど、叔母はたぶん「大丈夫な人」として心の片隅にあったのだと思う。

身内だからこそわかる母親の話をしっかり聞いて、こたえてくれて「親世代ってこんなにちゃんと会話ができるものなのか」とショックをうけた。

叔母は男二人を育てており、一人はいわゆる不良で、さんざんやんちゃしまくったが落ち着いて子持ちの父親となった。

から見ても大変だった子育てを経ても叔母は「でもやっぱり自分の子供は甘やかしちゃうんだよね」と言い切っていた。

それが心底羨ましくて、自分という存在が無くなったとしても、どうしてこの家に生まれなかったんだろう。と思わずはいられなかった。


友達の家も叔母の家庭も、実際はいろいろあると思う。無条件に子供に尽くせる親というのはたぶんそんなに多くない。

だけど、「親だけは何があっても自分の味方なんだ」と実感したかったと願うのをやめられない。

今は自分の事が自分でそれなりに好きだし、これまでの人生に後悔はない。それなりに生きている。

でも、自分という存在の真ん中に小さい穴が空いているし、それがずっと埋まらない。

6歳ぐらいの頃、いつになく大きかった両親の喧嘩に心を痛め、ベッドの上で声を殺して泣いていたら、母親が「大丈夫?」と一緒に寄り添って眠ってくれたことを思い出す。

この時は確かに愛してくれていたはずなのだ。同じシチュエーションで泣いていた時、次からはベッドに母親が来ることはなかった。


子供のころの自分」がずっと心の中で苦しんでいるのに、親に「もう大人なんだから」と言われた時の絶望感が消えない。

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