2018-09-02

妻帯者の孤独

妻も子供もいます、というと、お幸せですね、リア充ですねと言われ、独身者より満たされているように思われることがある。

かにひとりでは得られなかったものを得た、という意味では、どうやったって否定できない。頑張っても得られなかった人がいることを考えると、運が良かった、ぜいたくだとも思う。

しかし、常に隣に誰かがいるからと言って、すべての欲求が満たされるわけではない。その人は単なる監視役かもしれない。

たとえば女性セックスから早めに卒業したがるが、男性欲求はそうすぐに衰えるものではない。

それなのに、妻帯者が他の女性セックスすると、不倫だといって世の中から叩かれ、社会的抹殺されかねないほど制裁をうける。

それだけでなく、魅力的な独身者に声をかけたときに、あなた妻帯者でしょう、といって毛嫌いされる。むしろこちらの方がきつい。

妻や子がいるから、恋心やセックス欲が満たされていると考えているのだろうか。いや、違うだろう。少なくともそこまでは考慮してくれているとは思えない。

独身女性が妻帯者と関係を持つことを「発展性がない」と考えるのは自由だ。しかしその女性だって、すべての男に発展性を求めているわけではないだろう。

やはり、単に形式的観点で、妻帯者は排除されているのだと思う。

多くの女性無自覚だが、たぶん社会的非難制裁が怖いのだろう。結局は発展性ではなく、リスク回避に落ち着く。

社会不倫者を叩く理由は分からないが、おそらくパパ、ママ、ボク、ワタシが、閉じた関係の中で平和に暮らすことを理想とし、外部の人間が関わることをよしとしない人がいるのだと思う。

しかし、それによって妻帯者のセックスは息の根を止められている。「完全に」ではないという反論もあるのだろうが、実質的には、多くの日本人男性はそうである

そのために風俗産業があるんだよ、という無神経な助言には耳を貸したくない。

セックスを例に書いたが、人間欲求セックスだけではない。さまざまな欲求があり、それを家族がすべて満たすわけではない。

しろ長年一緒に暮らすことは、諦めを増やすことでもある。それも必要なことだが、解決方法はそれだけでいいのか?

もちろん具体的に実行に移すとなると、問題は出てくる。たとえば、妻が「裏切られた」と強いストレスを感じる問題がある。

自分が応えるつもりがないのに、相手を束縛するのである。それは正当な訴えなんだろうか。その批判に対する反論は、たぶん「気持ち悪い」「けがらわしい」といった感覚的なものになるだろうが。

妻が応えないのは、自分の肉体の衰えが著しく、とてもさらせる裸ではなくなった、という自己嫌悪もあるだろう。それは気の毒だと思う。

しかし、だからと言って、夫の人間としての欲求を頭から否定するのも残酷だ。

金銭的な問題もある。独身女性をある程度惹きつけるためにはカネもかかり、二重帳簿がなければ、たちまち家計を圧迫する。しかし、この根本奴隷的なおこづかい制だ。

結局、何が言いたいのかというと、自分が足かせと感じているものを、他人が宝物のように言うのは、とてもつらいということだ。

想像してくれ。奴隷用の重りを、恋した相手から、そんな素敵なものがあるのだから大事にしなきゃと言われる気分を。

そんなに嫌なら離婚すればいい、というかもしれないが、彼らの生活を支えなければならない、という責任感はある。

恋やセックスは、なぜそれと一体にならなければいけないのか?実際には妻とはセックスしていないのに、無関係のものが結び付けられているようにしか思えない。

そこが切り離されない限り、妻帯者こそ孤独に苛まれるという現状は変わらない。あるいは、異性に恋する気持ちを殺すしかない。つまらん世の中だ。

  • うんち

  • 妻帯者というより、単に選んだ嫁が君にとって外れだっただけでは。 まあ、単に嫁さんが老いていく自分にコンプレックス抱いているように見えるから、そこら辺をおだてたり、ちょく...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん