ケアレスミスの多い子供として育ち、メモを取ってないと凄い勢いで記憶を失う大人として社会人をやっている。
特技は電話口で会話を聞き取れなくて相手に何度も質問すること。
面と向かって会話してても3、4回同じことを言われてやっと理解することが多い。
文章を理解しても文脈を理解できずに相手に何言ってんだこいつとオブラートに包まれながら返されてようやく意味を勘違いしたことに気付くことも多い。
人間は悪いことばかり覚えがちだから自分でそう感じるだけで実際は平均的かせいぜい誤差の範囲なのだと信じて生きてきたが、どうもそうではなく回りと比べて明らかな有意差が出ているぞとそれなりの地位についてる人間から注意を受ける事が年数回。
軽度ではあると思う。
社会生活は他人の多少の善意を除けばこれといった補助もなしに送れている。
たまに被害妄想と加害妄想に脳が真っ黒に染められてメンタルが駄目になってしまいがちな事も多いが、これをはっきり障害と名付けるかどうかはグレーゾーンだろう。
もしも確かめて、その事実がどこかから漏れればその瞬間に社会的な立場が下る。
障害者としてちゃんと認定されて国から補助を受けられるレベルになれば社会的な地位や職場でのポジションも維持されるだろうがそこまでではない。
お菓子の食い過ぎで勝手に肥満になったデブがしょっちゅう体調を崩してスケジュールをかき乱すのを白い目で見られるように、甘ったれた生き方をしてきた奴が精神年齢の低い言動を病気のせいにしているうちに本当に頭がイカれただけの自業自得だと扱われるのだろう。
だから私は自分が発達障害である可能性を感じながらも、それを確かめない。
確かめようとしただけで白い目で見る奴が身近に、ないしはこれから転職した先等に1人でもいるかも知れないならやらないでおく。
確かめた瞬間に様々なマイナスが付き纏うのなら、絶対に確かめない。
薬やカウンセリングなど無くてもよく、むしろそういった事をヘタにやって寝た子を起こすような真似をする方がリスクが高いのだという確証制バイアスに全幅の信頼を置くことを選ぶ。
そうして本来なら薬でも飲むべきなのかも知れないのにそれを行わずにミスを繰り返す私に周りの人間が付き合わされることを、私にそう思わせるにいたるような社会を作ってきた彼らの自業自得なのだと考えて生きていく。
だってそうだろう?
少しでも発達障害の可能性がある人間が念のためにと精神科等で診察受けた事に、ちゃんとお医者さんに行って確かめるなんて貴方は責任感と勇気のある人なのねと言える人間だらけならこんな事にはなってないのだから、それを言えない奴らの自業自得だ。
身勝手だろうか?
身勝手と言われても構わんよ。
自分のなかでハッキリしないことがあるというのは、周りがどういう反応をするかということより自身にとって問題だと思いますよ。
診断ついても差別が始まるだけだよ。 たぶん今の状態でもイロモノ扱いされてるだろうが、その比じゃない。 医者の印籠はマジですごいぞ。 かといって、社会のせいにするのは違うと...
「風邪ぐらいで会社を休むな」と抜かすような奴らは「発達障害を言い訳にするな」ぐらいはいくらでも言うでしょうねえ。 いや本当この国の人間って自分たちが凄い凄い言うことに対...