眠れないから書く。
少なくとも大学時代に堂々と人前で「怖いよね」と言われたときは心底驚いたし、
いまだにそのことが街で障害者にあうと思い出してモヤモヤしてる。
母の友達に知的障害者の子どもがいる友人がいたので幼稚園の頃からわりとそういう子もいるんだなぁって思って育ってきた。
そのうちその次元を超えて、存在するんだ、だから共生はしていかないとね、ぐらいの感想。
小学校でも軽度の知的障害者とクラス一緒だったし、縁が深いのかな?
軽度の知的障害者や視覚障害者が普通に地下鉄バス通学通勤してて田舎から出てきた自分はカルチャーショックを受けた。
都会スゲーノーマライゼーションすごいと思った。いい意味で。
で、そのことを一緒に帰っていた大学の友人に話したら、
「でも怖いよね!」
という返答が帰ってきて、これまたカルチャーショックを受けた。
そういう風に感じたことなかったし、それって堂々と言っていいんかい?っていう驚きみたいな。
で、その後大学時代に子どもが障者者って人と知り合いになったけど、
と言われたのが印象的だった。
宮城の山の中の隔離された障害者施設を閉鎖する方針を打ち出した時、
障害者家族が猛反発したニュースが流れた時、もちろん仕事の兼ね合いなどもあるんだろうけど、
こういうことか、って思った。世の中、障害者には厳しいんだな、と。
で、田舎の家帰ってきてそのことを姉に話したら、
当たり前じゃん、だって怖いもん
という答えが帰ってきて、そういうもんなのかー、とびっくりしたのも想い出である。
障害者が地域社会にいるということがいい意味ですごいね、と思うような人間だったので、
精神障害者への偏見もあまりなかった。メンタルクリニックへの偏見も。
なので、自分が精神疾患にかかった時、迷わずひとりですぐに精神科病院に行ったんだけど、
あとで姉に聞いたら、
メンヘラとメンタルクリニックが市民権得たのは最近だよ(だから少しは後ろめたくなれ)
みたいなことを言われたのだよね。
自分としては、中学校の頃からカウンセリングルームもあったし、そこに通ってる同級生もいたし、
精神科に通うのはその延長だな、ストレス社会だし病気になったら病院行くの当たり前だよ
って思ってた。
でも家族というか世間の認識と自分の認識はだいぶ隔たりがあるんだと、色々感じた。
で、2年前、電車に乗っていた時、ひとりの精神障害者がパニック起こして電車の壁をたたき出したり、
別の精神障害者が大声で笑いだしたり空語したりしたもんで、
はじめて、障害者って怖いんだなぁッて思った。
自分も精神疾患なので、障害者全部が怖いわけではないって知ってるけど、
薬が効いていない患者は怖いんだなぁって心底思った(なんでそんな患者電車に乗せてるんだよドクター!とも思った)。
自分も病気もあるし、障害者だって普通に暮らす権利あるだろって思うのと同時に
怖いよねと言った、大学時代の友人や姉の気持ちもわかる。今は。
なんか感情が板挟みなんだけども、生きることや生きる権利っていうのは
感情を超えたところにあると思うので、
昨日の事件を見て、障害者が苦手っていう人がいるのも認めるけど、
何も殺すことないだろ
っていうのが正直な感想。
あと、精神疾患に偏見持っている人って、自分が精神疾患になった時、
症状が悪化してから行く、みたいなことあるから、偏見持ちすぎてる人って損だなって思う。
社会の中で摩擦も見られるようになるし、受容も見られるようになるんだろうな、ッて思う。
いい方向に行けばいいんだけど。
ああ、俺と同じく浅野時代の仙台に住んでいたんだね。 ぶっちゃけ、地下鉄とか恐怖じゃなかった? 毎度乗車するたびに、大声で喚く障害者が黒松駅辺りで下車していって、 正直女...
キチガイに人権はないし、区別は差別ではないよね。 こういうこと左翼が耳にすると顔真っ赤にするけど、そもそも人間ではないんだから当然。 正直に言うけど、19人も殺してくれ...
だからおまえらネトウヨは口だけだから駄目なんだよ 後に続けよ あいつは愛国の為に一人で手を汚したのに
キチガイに人権は無いと言えるのに なんで区別は差別ではないなんて言い訳すんの? 差別上等って言えないの? 差別主義者って呼ばれるのが怖いの?w
自分はそういう障害者に遭遇したことがなかったなぁ。泉中央から乗ってたけど。 電車の中うろちょろしたり、座っておしゃべりしたりしてる人ぐらいは見たけど。 で、やっぱり思う...
確率的には、知的障害者なんかより健常者(とされている人間)の方がよっぽどヤバイよな
時分もそう思うんだけど、でも度胸ある人のようになれるか、って言えば多分なれないんだろうとは思う。自分は。