秋の行楽シーズン。
旅行先に限らず運動会などでもカメラ片手に東奔西走するパパママ達がこれでもかというほど目に入ってくる。
一生懸命に子供の姿を写真に収めようと奮闘しているわけだが、大半の方に惜しいと感じることがある。
一生懸命に走り回るところまでは良いのだが、いざ追いついてみると直立の姿勢でパシャ。また走っては追いついて直立のままパシャ。
惜しい。非常に惜しい。
当然大人の方が子供より背が高いので、大人が立った姿勢からシャッターを切ると子供は頭ばかりが大きくて足が短く写ってしまうことになる。
しかも大人目線から子供の顔を通り抜けた先は地面。周りの景色も写らなければ奥行き感の乏しい写真の出来上がりだ。
そこまで頑張って走ったなら、もう一頑張りしてしゃがんでみよう。
子供と目線の高さを合わせてみることで、その子供が見ている世界が見えてくる。
その世界とともに子供を写真に収めてあげれば、あなたの写真は「子供の写真」から「子供のいる世界の写真」に変わることができる。
確かに上目遣いの子供もかわいいものだ。でもそれは、子供が親に視線を向けている時だからこそ。
親の目線からの写真を表現するときにこそ使うべきアイレベルといえる。
このように、アイレベルとはつまり誰の目線かを表現するためのものである。
さて、写真が上手になってくると人から写真を頼まれることも増えてくる。
今までは自己満足でよかった世界に、急に他人の評価が入り込んでくるのだ。
ではどの高さにアイレベルを合わせるのが最も無難といえるのだろうか。
レンズの画角にも左右されるが、レンズ選びのできない方が使う標準的なレンズでは足が長く頭の小さい写真になる。
一見誰もが喜びそうな変化といえる。
しかし、写真に撮り慣れない被写体は、顔をあなたのレンズに向けてくるだろう。
引きすぎた顎は二重にたるみ、見下ろすような目線は威圧感に満ちあふれ、実に高圧的で傲慢な写真の出来上がりだ。
余談だが、それらを避けるためにこうした角度からの写真は被写体にやや上方向の遠くを見てもらうような姿勢をとってもらうことが一般的だ。
広がる空に目を向けることで、未来や世界に対する広がりを感じられるからである。
それは、女性なら鼻下からおでこ。男性なら鼻下から鎖骨に合わせるというものだ。
一般的な話になるが、女性は瞳が魅力的に写る写真を好み、男性は謙虚ながら存在感のある写真を好む傾向にある。
細かい説明は割愛するが、その黄金率がそれぞれ鼻下を中心に5~10cmの範囲に収まっているといえるわけだ。
あくまで一般論であり最初に立ち返ればアイレベルは表現の入り口に過ぎない。
しかし、頼まれた記念撮影に撮影者の表現が強く現れてしまうことが好まいくないことも確かだ。
記憶の片隅にでも役に立つ知識としてとどめておくと良いであろう。
子供の素晴らしい瞬間を切り取るために恥じらいなんてものは些細な問題だ。
尻を突き出し、時には地面に這いつくばってでも収めた瞬間は、その経験も含めてかけがえの無いものなのだ。
こうして皆の理解がすすみ撮影者が自由になれる世界を心から待ち望んでいる。
とは言え、下の子を抱いたままだったり激しい腰痛をお持ちだったりと簡単に中腰になれない方もいるだろう。
そんな方にはチルト(バリアングル)液晶のついたタイプのカメラが激しくおすすめだ。